二条の姫君
第四章 墨染の衣をまとって
第四章 ( 一 )
北山准后の九十の賀の、まことに華やかな催しが盛大に行われましたのは、弘安八年(1285)の春のことでございました。
思えば、二条の姫さまがあのような晴れがましいお席に出ることは、あれが最後だったのでございます。
その後も、御所さまからの御声が何度もございましたが、姫さまはかたくななまでに応じようとはなさいませんでした。
やがて、後宇多天皇は譲位なさいまして、御所さまの皇子である春宮煕仁親王が践祚され伏見天皇即位となりました。これにより、御所さまが院政を行うこととなり、真の治天の君になられたのでございます。
当然のことながら政務多忙となり、やがて、姫さまへの御便りはなくなっていきました。
姫さまは、御所を退出する覚悟を決められたあとは、一日も早く出家されることを望まれていたようですし、実際にその布石も打たれておりましたが、何分にも、村上源氏というご立派な血筋の姫であり、久我家は清華(摂関家に次ぐ格式)の家にあたる家柄でございますから、早々姫さまの望まれるままにことは運びませんでした。
さらに、母方の四条家の人々も、姫さまの身の上を案じられること一方ならず、さらには、姫さまとの縁が深く、雪の曙殿と慕い続けておられる西園寺実兼殿は、若くして関東申次の重責についており、鎌倉との関係を無視することのできない朝廷にあって、大きな権力をお持ちなのです。
さらには、春宮大夫の御役も兼ねられていることから、伏見天皇の誕生はさらに朝廷での存在感を高めておられました。
御所への出仕を拒み続けられた姫さまでございますが、雪の曙殿からの御誘いには、そうそう拒絶することも出来ませず、また、姫さまは御父上を始めあちらこちらから相続し、あるいは形見として贈られた財産は、主に乳母の家の方々が管理されておられますが、雪の曙殿の御威光を必要としていることも確かなのでございます。
正応元年(1289)六月、雪の曙殿、つまり大納言西園寺実兼殿の姫が入内されることになり、たっての要請により姫さまは、晴の行列の二の車にお乗りになられたのでございます。
そのお姿に、事情を知る方々は変わらぬ美しさに称賛の声を上げられ、側近くお仕えする者たちは誰もが、御出仕はともかく、歌会など晴れがましい御席への復帰を願ったものでございます。
しかし姫さまは、これを潮に、かねてからの念願を果たすべく、東山の宿坊にほとんど籠られるようになり、出家へと向かわれたのでございます。
* * *
第四章 墨染の衣をまとって
第四章 ( 一 )
北山准后の九十の賀の、まことに華やかな催しが盛大に行われましたのは、弘安八年(1285)の春のことでございました。
思えば、二条の姫さまがあのような晴れがましいお席に出ることは、あれが最後だったのでございます。
その後も、御所さまからの御声が何度もございましたが、姫さまはかたくななまでに応じようとはなさいませんでした。
やがて、後宇多天皇は譲位なさいまして、御所さまの皇子である春宮煕仁親王が践祚され伏見天皇即位となりました。これにより、御所さまが院政を行うこととなり、真の治天の君になられたのでございます。
当然のことながら政務多忙となり、やがて、姫さまへの御便りはなくなっていきました。
姫さまは、御所を退出する覚悟を決められたあとは、一日も早く出家されることを望まれていたようですし、実際にその布石も打たれておりましたが、何分にも、村上源氏というご立派な血筋の姫であり、久我家は清華(摂関家に次ぐ格式)の家にあたる家柄でございますから、早々姫さまの望まれるままにことは運びませんでした。
さらに、母方の四条家の人々も、姫さまの身の上を案じられること一方ならず、さらには、姫さまとの縁が深く、雪の曙殿と慕い続けておられる西園寺実兼殿は、若くして関東申次の重責についており、鎌倉との関係を無視することのできない朝廷にあって、大きな権力をお持ちなのです。
さらには、春宮大夫の御役も兼ねられていることから、伏見天皇の誕生はさらに朝廷での存在感を高めておられました。
御所への出仕を拒み続けられた姫さまでございますが、雪の曙殿からの御誘いには、そうそう拒絶することも出来ませず、また、姫さまは御父上を始めあちらこちらから相続し、あるいは形見として贈られた財産は、主に乳母の家の方々が管理されておられますが、雪の曙殿の御威光を必要としていることも確かなのでございます。
正応元年(1289)六月、雪の曙殿、つまり大納言西園寺実兼殿の姫が入内されることになり、たっての要請により姫さまは、晴の行列の二の車にお乗りになられたのでございます。
そのお姿に、事情を知る方々は変わらぬ美しさに称賛の声を上げられ、側近くお仕えする者たちは誰もが、御出仕はともかく、歌会など晴れがましい御席への復帰を願ったものでございます。
しかし姫さまは、これを潮に、かねてからの念願を果たすべく、東山の宿坊にほとんど籠られるようになり、出家へと向かわれたのでございます。
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