二条の姫君
第三章 愛憎はあざなえる縄の如く
第三章 ( 一 )
時は弘安四年(1281)、憂きことも、愛憎も積み重ねながら、いつしか二条の姫君も二十四歳の春を迎えておりました。
変わらぬ美貌は、さらに妖艶ささえ加え高貴な方々をますます惹きつける女性に成長されておりました。
しかし、それはまた、姫さまを穏やかな生活から遠ざけようとしているかのように思われるのでございます。
さて、御所さまはじめ、多くの人々との間が次第に難しくなり、姫さまの「山の彼方」へのあこがれは強くなるばかりの様子でございます。
しかしながら、姫さまのあこがれへの強さとは裏腹に、御所さまや姫さまを取り巻く人々との恩愛は、憂きことが多いといっても、姫さまが宮廷生活から離れることはそう簡単なことではございませんでした。
新しい年も如月の半ばともなれば、多くの花が色づき始め、梅の香が風に乗ってくるようになりましたが、姫さまの鬱々たるお気持ちにはむしろ気障りなご様子で、ぼんやりと過ごされることが多く、お付きの者たちに愚痴をもらすことも少なくなっておりました。
御所さまが女房を召されるお声が聞こえて参りましたので、何事かと姫さまが参上いたしますと、どういうわけが御前には何方も伺候されておられなかったのです。
御所さまは、御湯殿の女房の詰め所にお一人で立っていらっしゃったのです。
「この頃は、女房たちが里住みで、あまりにも寂しい心地がしているのに、そなたはいつも局に籠っているのは、どこかの男に心魅かれているからか」
などと仰っています。
姫さまは、御所さまのいつもの癖の嫌味だと思いながらも、何とも煩わしい気持ちになっているご様子のその時、性助法親王(有明の月)が御月参りに参上されたと連絡がありました。
姫さまは、直ちに御所さまを常の御所にお入れ致しましたが、その後引き上げるわけにもゆかず、そのまま知らぬ顔をして御前に伺候されておりました。
その頃、今御所様は、ご病気が悪くて、何日もご祈祷を続けておられましたが、如法愛染王の御祈祷を法親王にお頼みされたのです。はい、今御所様と申されますのは、後の遊儀門院様のまだ姫君だった頃のことでございます。
またそのほかにも、御所さま御自身の御祈祷に、北斗の法を、それは鳴滝の般若寺においてでしょうか、修されることをご承知されました。
御二人は、いつもよりのどやかに世間話をされており、姫さまもずっと伺候されておられましたが、法親王のお心うちは何を考えているのか気がかりのご様子なのに、姫君の御気分が良くないとの報告があり、御所さまはそちらへ向かわれました。
「御所さまのお戻りをお待ち申し上げてくださいませ」
と姫さまが法親王をお引き留め致しました。
御前には、他に伺候している女房がいなかったものですから、姫さまと法親王は二人だけで向い合せになってしまいました。
法親王は、辛い月日が積ったことから始まり、いろいろと現在までのことを話され、お袖の涙は、他の人の目を隠しきれないほどなのです。
姫さまは、お答えしようもなく、ただ黙ってお聞きになっておられましたが、間もなく御所さまがお戻りになったのさえ知らずに、なお繰り返す法親王の同じような口説きごとは、襖の向こうまで聞こえたのではないでしょうか。
御所さまは、姫さまがお気付きになるより前に襖の向こうで立ち止まっておられたのですが、御二人が御所さまに気付かれた頃までには、相当いろいろと聞かれてしまったようなのです。
特に、このような男女のことに関しては特に鋭い御所さまですから、二人の関係を相当深く想像されたのではないかと考えますと、姫さまは唖然とされるばかりでした。
* * *
第三章 愛憎はあざなえる縄の如く
第三章 ( 一 )
時は弘安四年(1281)、憂きことも、愛憎も積み重ねながら、いつしか二条の姫君も二十四歳の春を迎えておりました。
変わらぬ美貌は、さらに妖艶ささえ加え高貴な方々をますます惹きつける女性に成長されておりました。
しかし、それはまた、姫さまを穏やかな生活から遠ざけようとしているかのように思われるのでございます。
さて、御所さまはじめ、多くの人々との間が次第に難しくなり、姫さまの「山の彼方」へのあこがれは強くなるばかりの様子でございます。
しかしながら、姫さまのあこがれへの強さとは裏腹に、御所さまや姫さまを取り巻く人々との恩愛は、憂きことが多いといっても、姫さまが宮廷生活から離れることはそう簡単なことではございませんでした。
新しい年も如月の半ばともなれば、多くの花が色づき始め、梅の香が風に乗ってくるようになりましたが、姫さまの鬱々たるお気持ちにはむしろ気障りなご様子で、ぼんやりと過ごされることが多く、お付きの者たちに愚痴をもらすことも少なくなっておりました。
御所さまが女房を召されるお声が聞こえて参りましたので、何事かと姫さまが参上いたしますと、どういうわけが御前には何方も伺候されておられなかったのです。
御所さまは、御湯殿の女房の詰め所にお一人で立っていらっしゃったのです。
「この頃は、女房たちが里住みで、あまりにも寂しい心地がしているのに、そなたはいつも局に籠っているのは、どこかの男に心魅かれているからか」
などと仰っています。
姫さまは、御所さまのいつもの癖の嫌味だと思いながらも、何とも煩わしい気持ちになっているご様子のその時、性助法親王(有明の月)が御月参りに参上されたと連絡がありました。
姫さまは、直ちに御所さまを常の御所にお入れ致しましたが、その後引き上げるわけにもゆかず、そのまま知らぬ顔をして御前に伺候されておりました。
その頃、今御所様は、ご病気が悪くて、何日もご祈祷を続けておられましたが、如法愛染王の御祈祷を法親王にお頼みされたのです。はい、今御所様と申されますのは、後の遊儀門院様のまだ姫君だった頃のことでございます。
またそのほかにも、御所さま御自身の御祈祷に、北斗の法を、それは鳴滝の般若寺においてでしょうか、修されることをご承知されました。
御二人は、いつもよりのどやかに世間話をされており、姫さまもずっと伺候されておられましたが、法親王のお心うちは何を考えているのか気がかりのご様子なのに、姫君の御気分が良くないとの報告があり、御所さまはそちらへ向かわれました。
「御所さまのお戻りをお待ち申し上げてくださいませ」
と姫さまが法親王をお引き留め致しました。
御前には、他に伺候している女房がいなかったものですから、姫さまと法親王は二人だけで向い合せになってしまいました。
法親王は、辛い月日が積ったことから始まり、いろいろと現在までのことを話され、お袖の涙は、他の人の目を隠しきれないほどなのです。
姫さまは、お答えしようもなく、ただ黙ってお聞きになっておられましたが、間もなく御所さまがお戻りになったのさえ知らずに、なお繰り返す法親王の同じような口説きごとは、襖の向こうまで聞こえたのではないでしょうか。
御所さまは、姫さまがお気付きになるより前に襖の向こうで立ち止まっておられたのですが、御二人が御所さまに気付かれた頃までには、相当いろいろと聞かれてしまったようなのです。
特に、このような男女のことに関しては特に鋭い御所さまですから、二人の関係を相当深く想像されたのではないかと考えますと、姫さまは唖然とされるばかりでした。
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