雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

日本シリーズ 三戦目始まる

2023-10-31 18:09:31 | 日々これ好日

    『 日本シリーズ 三戦目始まる 』

    プロ野球日本シリーズ 三戦目が始まった
    それにしても 一戦目と二戦目
    「8-0」「0-8」と 予想外の展開
    まるで 漫画でも見ているような
    作為的なほどの 結果だった
    さて 大切な 今日の試合
    如何なる展開になるのかな??

                   ☆☆☆

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期間限定

2023-10-31 08:17:21 | 私の好きなフレーズ

  『 私たちは何歳になっても、ある「期間限定」の中で生きている 』


当地では、三月に入ると、あちらこちらの家庭からイカナゴを煮る匂いが漂ってきます。「くぎ煮」を作っているのでしょう。これなどは、正真正銘の「期間限定」の風物詩といえるでしょう。
        ( 中略 )
「青春」などという言葉は、最近あまり一般受けしない言葉のような気がしますが、人生の中で、最も背伸びすることができ、またそれが許される時のような気がするのです。そして、まさしく青春は「期間限定」なのです。
「青春は年齢ではない」などと、何とかいう詩人の言葉を持ち出す人もいますが、そのような言葉を持ち出すこと自体が、青春を遙か昔に失っている証拠といえます。
私たちは、人生における「期間限定」であるどの期間も、再び取り戻すことなどできません。中には、取り戻しているような発言をする人もいますが、単なる勘違いにすぎません。
人生の「期間限定」は、正真正銘の「期間限定」ばかりなのです。二度とその期間が戻ってくることなどありません。
ただ、私たちは何歳になっても、ある「期間限定」の中で生きているということも出来ます。そのかけがえのない与えられた時間を、精一杯生きる工夫を考えることが大切なような気がするのです。

    ( 「小さな小さな物語」第十一部  NO.604 より )    

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早朝のお月見

2023-10-30 18:55:24 | 日々これ好日

      『 早朝のお月見 』

    今朝も お月様が とてもきれいだった
    ほぼ まん丸だが 十六夜月と言うべきなのかな
    しばらくすると 東の空が 明るくなってきた
    「 東の 野にかぎろいの 立つ見えて 
            かへり見すれば 月傾きぬ 」

    この歌とは 見る順番が逆だったが
    ちょっとした 万葉気分
    贅沢な時間を 頂戴した

                   ☆☆☆

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ラグビーW杯 南アが連覇

2023-10-29 18:12:07 | 日々これ好日

     『 ラグビーW杯 南アが連覇 』

    ラグビーW杯は 大熱戦の末
    ニュージーランドを降して 南アフリカが優勝
    お昼は 女子大学駅伝 そして フィギュアスケート
    夜は間もなく プロ野球の日本シリーズ
    まさに スポーツの秋
    ただ 自分もスポーツをしているような 気になってしまうが
    動いているのは 口だけ モグモグモグ・・・

                   ☆☆☆
   

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地獄を見てきた男 ・ 今昔物語 ( 20 - 16 )

2023-10-29 08:16:17 | 今昔物語拾い読み ・ その5

    『 地獄を見てきた男 ・ 今昔物語 ( 20 - 16 ) 』


今は昔、
文武天皇の御代に、膳広国(カシワデノヒロクニ・伝不詳)という者がいた。豊前国宮子郡の小領(ショウリョウ・郡の司の一つ。次官クラス。)である。
その人の妻は先に死んでいたが、慶雲二年( 705 )という年の九月十五日に、広国がにわかに死んだ。
ところが、三日を経て活(ヨミガエ)
り、側の人に語った。

「私が死んだ時、使者が二人やって来た。一人は髪を結い上げてて、一人は髪を束ねた小童だった。私はこの二人について行ったが、二つの宿駅を通り越して行くと、道の途中に大きな河があった。橋が架かっている。金できれいに塗られている。
その橋を渡って行くと、行く手に極めて楽しげな所があった。私はこの使者に『ここは、どういう所ですか』と訊ねると、使者は『渡れる南の国だ』と答えました。その所には、八人の官人がいて、皆、剣を帯(オ)びた武人であった。
なお進んで行くと、金色の宮殿があった。門から入って見れば、王が在(マ)します。黄金の椅子に座っていらっしゃる。

王は私を見て仰せになった。「今、汝を召したのは、汝の妻の訴えによるものだ』と言って、すぐに妻を召し出した。
召し出された者は、私の昔死んだ妻でした。頭の上に鉄釘が打たれていて、釘の先は額まで通り、額に打たれた釘は頭の頂まで通っていました。また、鉄(クロガネ)の縄で両手両足を縛り、八人の者が担ぎ上げて持ってきたのです。
王は私に訊ねました。『汝はこの女を知っているか否や』と。
私は、『この者は、私の昔の妻です』と答えました。
王はまた仰せになりました。『このような罪を受けている訳を知っているか否や』と。
私は、『私には分りません』と答えました。
すると、今度は女に問うと、女は、『わたしが昔死んだ時、お前さんはわたしを惜しがってくれず、さっさと家から出してしまわれたので、それが恨めしくて訴えたのです』と言いました。
王はこれを聞くと私に向かって、『汝には罪がなかった。速やかに家に還るがよい。汝の妻が、死んだ時のことを以てつまらぬ訴えをした。これは不当である』と申されて、さらに、『もし、汝が父に会いたいと思うなら、ここから南の方に行って会うがよい』と仰せられました。

そこで、言われたように行って見ると、まことに我が父がおりました。
とても熱い銅(アカガネ)の柱を抱かされて、立っていました。鉄の釘三七本がその体に打ち立てられていました。また、鉄の杖で以て、朝に三百回、昼に三百回、夕べに三百回、合わせて九百回打たれ責められていました。
私はこれを見ると、悲しくて、父に訊ねました。『あなたは、如何なる罪によって、このような苦しみを受けているのですか』と。

父は、『わしがこの苦しみを受けているわけを知っているか。わしは生前、妻子を養うために、ある時には生き物を殺し、あるいは八両(量は重さの単位。)の綿を人に貸して、強引に十両に増やして責め取り、あるいは小さな斤の量(コンノハカリ・当時、品物により大小違う秤があった。)でもって稲を人に貸して、大きな秤でむりやり返させ、あるいは人の物を奪い取り、あるいは他人の女を犯し、あるいは父母に孝養を尽くさず、上役を敬わなかった。あるいは奴婢でない者を奴婢と称して罵り打ったりしたが、このような罪のために、我が身は小さいが、三十七本の釘を打ち立てられ、毎日九百回、鉄の杖で以て打ち責められている。何と痛いことか、何と悲しいことか。いつになったら、わしはこの罪を免れて、安らかな身になれるのだろう。
お前は家に返り、速やかにわしの為に仏を造り、写経し、わしの罪をのぞくようにしてくれ。

ところで、わしが大蛇になって、七月七日の日にお前の家に入った時、お前は杖に引っかけて外に棄てた。また、わしが赤い犬になって、五月の五日という日にお前の家に入った時、お前は他の犬を連れてきて噛み付かせて追い払ったので、わしは腹を空かせて返った。また、わしが猫になって、正月の一日という日にお前の家に入った時、お前は飯や様々なご馳走を存分に食わせてくれた。それによって、三年間食いつなぐことが出来た。
また、わしは兄弟の長幼のしだいを無視したために、犬に生まれ変わり、不浄の物を食い、返って自らその汁を出した。(この部分の意味、よく分らない。)わしはきっと赤い犬になるだろう。
およそ人は、米一升を人に施せば、その報いに三十日分の食糧を得るものだ。衣服一揃えを人に施せば、その報いに一つ(「霊異記」では一年分)の衣服を得るものだ。僧に経を
読ませると、東方の黄金の宮殿に住み、願いのままに天上界に生まれることが出来る。仏・菩薩の像を造る者は、西方の極楽に生まれることが出来る。放生を行えば、北方の浄土に生まれるだろう。一日持斎(ジサイ・正午を過ぎて食事を摂らないという戒律を守ること。)すれば、十年の食糧を得るのだ』と言いました。

このように、善悪の業を造ることによって得る報いの様子を見て、恐れおののきながら返ってきて、もとの大橋のもとに来たが、門番の者が道をさえぎって、『この中に入った者は、決して出ることは出来ない』と言う。
そこで私は、しばらくうろついていると、一人の小童が現れた。門番はその小童を見ると、ひざまずいて礼拝した。その小童は私を呼んで、片方の脇門の所に連れて行き、その門を押し開いて、私を連れ出し、『汝は、速やかにここから還りなさい』と言う。私は、『いったい、あなたはどなたですか』と訊ねると、『汝が我を知りたいと思うのであれば、それは、汝が幼い時に書写し奉った観世音経だと思いなさい』と答えて、門の中に還った、と見たと同時に、蘇生したのだ」と広国は語ったのである。

その後、広国は、冥途で見た善悪の報いを詳しく記録して、世間に広めたのである。
人はこれを知って、悪を止め善を行うべきである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

 

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人道的休戦決議案が採択されたが

2023-10-28 18:13:29 | 日々これ好日

     『 人道的休戦決議案が採択されたが 』

    ガザ地区の 厳しい状況を受けて
    ヨルダン提出の 人道的休戦決議案が
    国連総会において 採択された
    安全保障理事会では 拒否権行使の応酬で
    いずれの決議案も 成立させられないのを受けたものだ
    ただ 決議に法的拘束力はなく 政治的な意味はあるとしても
    今日も 戦線は 苛烈を極めている
    それにしても 総会決議よりも 安全保障理事会の決議の方が
    実効性があるなんて・・
    やはり 国連は少しおかしい と思う

                      ☆☆☆

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一条天皇 女院を見舞う ・ 望月の宴 ( 93 )

2023-10-28 08:12:01 | 望月の宴 ③

     『 一条天皇 女院を見舞う ・ 望月の宴 ( 93 ) 』


やがて、月末となった。
( 史実としては閏十二月の十六日のこと。)
世の中は何かと騒がしく新年の準備に励む頃であるが、女院(東三条院詮子。一条天皇生母。)のご病状が回復なさらないので、気分は落ち着かず、公も私もご心痛である。
こうした時、東三条院への行幸が行われる。それが今日のこととお聞きになって、女院は今か今かとお待ち申し上げているうちに、午の時(真昼ごろ)ばかりにお成りになる。

帝は、御輿が到着してお下りにになられる間もじれったく思われ、さっそくに女院と御対面なされたが、たいそう苦しげにされているのに、若宮(媄子内親王。母は定子。)は女院の御懐から離れず出たり入ったりされているので、すぐにおいたわしいことだとご覧になられて、中将の乳母(媄子の乳母)をお呼びになって、「この宮を抱いてさしあげよ」と仰せになられると、若宮は「いやいや」と言って御懐にお入りになる。
すっかりおやつれになり、まるで別人のようになられた女院の御姿に、帝は涙も止まらぬほど思われて、「今までお会いしなかったことが悔やまれて」などと、どうすることも出来ず、たいそう悲しくお思いであった。

女院も、特に申されるお言葉もなく、ただつくづくと帝をご覧奉って、お泣きになられるが、御涙をおこぼしにならないのも、これはゆゆしきことと拝されるにつけても、帝はますます涙を押えきれずにお泣きになられる。(泣いて涙が出ないのは不吉とされた。)
これまで何度もお迎えしていた行幸の作法に比べて、様子は異なり忌まわしいばかりの有様は、お伝えのしようもない。
伺候している多くの女房たちも、ただ涙にむせんでいる。
殿(道長)もお見受けする限り気丈に構えていらっしゃるが、すべてにつけて悲しいことなので、御直衣の袖も涙に濡れていて、御部屋を出たり入ったりして看病申し上げている。女院は、さっそく今夜にも他所へお移りのはずなので、転居先の御設備のことなど色々と仰せ付けになるにつけても、ただお一人で涙ながらに出たり入ったりなさっている。
行幸の御供の上達部や殿上人やたくさんの人々も、たいそう悲しくて、どのようにおなりになるのかと、ひたすら心を痛めている。
帝はさらにお悲しみで、御声も惜しむことなく、まるで幼児のようにしゃくり上げてお泣きになる。

日もいつしか暮れてゆき、殿(道長)は、「早く還御なさいませ。今夜の御移りは夜が更けてからになるでしょうから」と、早く早くと急かせられる。(天皇が夜中に、宝剣が置かれている清涼殿を空けることは許されない。)
帝は、「まことに罪深く情けない者は、この私のような者であったのだ。この御有様を見捨て奉ることがどれほど辛いことか。下賤の者でさえ、このような場合これほどつれないことはするまい。何と情けない身の上であるのか。せめてお移りになる所まで」と仰せになられたが、「そのようなことはなさるべきではありません」とて、早々に還御なさるように奏上させなさったので、女院は何も申されないが、もう十分と満足する前に還御なさることになり、悲しく思っていらっしゃる。
帝の御手をお取りになって、御顔にご自分の御顔を近寄せて、お泣きになる有様に、御部屋の内外に伺候している人々は号泣した。
「何と不吉なことか。そんなに泣くものではない」と、立前を口にするような上達部なども、制止なさりながらも、やはり涙を浮かべている。

こうして、「この若宮はどちらへ」と帝がお訊ねになると、中将の命婦が「若宮は姉宮(脩子内親王)兄宮(敦康親王)のいらっしゃる所にと、殿は申されています」と奏上すると、「まことに、そうするのが良いだろう」と仰せられる。
すでに夜になっており、御輿を寄せて度々還御を催促申し上げるので、心を引かれながら還御なさる帝のお気持ちは、まことに推察申すべきである。
無上の御位にあるとは申せ、親子の情愛をご存じないのであればともかく、すべて世の道理のままの御有様は、まことに悲しい限りである。御輿にお乗りになる時のご様子は、まがまがしいほどに思い詰めていらっしゃる。御袖を御顔に押し当てていらっしゃるが、それでも御涙が流れ出ていらっしゃる。
殿は帝の還御にお仕えなさるので、御乳母たちや女房たちが女院のおそばに伺候すべくお命じになって、帝にお供なさるのも気もそぞろで、今頃女院はいかがなっているかと心細くお思いである。
帝はそのまま何も仰せになることなく、夜の御座(オマシ・清涼殿の夜御殿。)にお入りになり、もう何事も念頭になく、女院のお見舞いの御使者ばかりを絶え間なくお遣わしになる。

     ☆   ☆   ☆

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122人がスタートラインに

2023-10-27 18:25:29 | 日々これ好日

     『 122人がスタートラインに 』

   昨日のプロ野球ドラフト会議で 122人が指名を受けた
   正式の契約交渉は これからだが
   スタートラインに 立ったことになる
   テレビで伝えられているだけでも 
   それぞれの人に それぞれのドラマがあり
   指名順位はともかく 選ばれた者として
   謙虚に 努力と摂生に努めて欲しい

                ☆☆☆

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プロ野球ドラフト会議

2023-10-26 17:53:22 | 日々これ好日

      『 プロ野球ドラフト会議 』

    プロ野球 ドラフト会議 
    今 一巡目の指名選手が 確定した
    重複指名も 結構あったが
    人気が集中したのか 人材不足か 微妙
    ただ 現在大活躍している選手には
    二位以下の選手が 意外に多い
    この後の 各球団の指名選手も 興味深い

                 ☆☆☆
    

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放生の功徳 ・ 今昔物語 ( 20 - 15 )

2023-10-26 07:59:19 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 放生の功徳 ・ 今昔物語 ( 20 - 15 ) 』


今は昔、
摂津国東生郡撫凹村(ナデクボムラ・大阪市東成区ともされるが、所在よく分らない。)という所に住んでいる人がいた。家は大いに富み、財産は豊かであった。

さて、その人は神の祟りを受け、それから遁(ノガ)れようとして祈祷しお祭りをしたが、その為に毎年一頭の牛を殺したので、その祭を七年間続けたので、その間に七頭の牛を殺したのである。
七年間の祭が終った後、その人は重い病にかかった。それから又七年間、医師に掛かって治療を続けたが治らないので、陰陽師に尋ねてお祓いをしたがやはり治らない。
そのうち、病はますますひどくなり、体はしだいに衰弱して、まさに死を待つばかりになった。
そこで、病者は心のうちで、「自分がこのように重い病にかかり、もだえ苦しむのは、長年にわたって牛を殺した罪によるものだ」と思って、この事を悔い悲しんで、毎月の六節日(ロクセチノヒ・六斎日のこと。月に六日、八戒を守り功徳を積む日。)には必ず戒律を守り、また方々に使いを出して、多くの生類(生き物)を買って、放生を行った。

ところが、その七年目になって、遂に死んでしまった。
その死に際に、どう思ったのか妻子を呼んで、「私が死んだ後、すぐに葬ることなく、九日間そのままにしておくように」と言い置いた。
そこで、妻子は遺言にしたがって、しばらく葬らずにいると、九日目に蘇(ヨミガエ)って、妻子に語った。

「私が死んだ時、頭が牛の頭で体は人の形をした者が七人やって来て、私の髪に縄を付け、その縄を取って、私を取り囲んで連行したが、道の先を見ると、厳めしく造られた楼閣がありました。
『これはどういう宮殿ですか』と訊ねると、この七人の者は眼を怒らせて、私を睨むだけで何も言わない。そのまま門の内に連行すると、気高く立派な人が出てきて、私とこの七人を呼んで、向かい合わせて仰せになった。「この者は、お前たち七人を殺した者だ」と。
すると、この七人の者は、まな板と刀を持っていて、『膾(ナマス)にして食ってやろう。此奴は、我等を殺した敵なのだからな』と言いました。
ところが、その時にわかに、千万の人が現れて、私が縛られている縄を解いて言いました。「この事は、この者の罪ではない。この者は、祟っている鬼神を祭るために殺したのだ。だから、鬼神の罪なのだ』と言いました。
こうして、この七人の者と千万の人の間で、罪が有るか無いかを連日に渡って訴えあったが、火と水の如く結論が出ませんでした。そのため、閻魔大王はこの理非の判断をなさることが出来ませんでした。

ところが、七人の者は、なお頑強に『この者は我等の四本の手足を切り、神霊の廟に祭りました。だから、何としてもこの者をもらい受けて、膾にして食うのだと主張しました。
千万の人も『我等はこの事情をよく知っています。決してこの者に罪は有りません。鬼 神の罪なのです』と王に申し上げて、争いました。
王はこの事の裁定に悩まれて『明日また参れ。そこで判断しよう』と仰せになられて、それぞれ引き取らせました。
九日目になり、また集まりましたが、訴え合うことは前と同じでした。そこで、王は「数が多い方ということで、この判定をしよう』と仰せになって、千万の人の方が正しいと判定を下されました。

七人の者はこれを聞いて、舌なめずりをして唾を呑み込み、膾を作る真似をして、それを食べるような格好をしながら、悔しがり嘆いて、それぞれが『恨みを報いられなかったことは極めて残念だ。我等は絶対をこれを忘れない。後で必ずこの報復をしてやる』と言って、去って行きました。
千万の人は私を敬い、取り囲んで王宮を出ると、私を輿に乗せて送ってくれました。
その時、私は『あなた方はどういうお方ですか。どうして私を助けてくれたのですか』と訊ねました。すると、その人たちは『我等は、あなたが長年にわたって、買い取って放してくれた生き物です。あの時のご恩を忘れられず、今お返ししたのです』と言いました」
と、こう語ったのである。

その後は、いよいよ心から信仰心を起こして、鬼神を崇めることなく、深く仏法を信じて、自分の家を寺にして、仏を安置し奉り、修行に勤めた。また、ますます放生を行い、怠ることなく続けた。
これ以来、この人のことを那天宮(ナテングウ・人名として扱っているが、ほんとうは寺の名前のことらしい。)と言うようになった。
やがて、臨終を迎えた時、身に病はなく、年九十余りで命を終えた。
されば、放生は、信仰心のある人であればもっぱら行うべきことである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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