筏士よ 待て言問はん 水上は
いかばかり吹く 山の嵐ぞ
作者 藤原資宗朝臣
( No.554 巻第六 冬歌 )
いかだしよ まてこととはん みなかみは
いかばかりふく やまのあらしぞ
* 作者 藤原資宗朝臣(フジワラノスケムネノアソン)は、藤原北家小野宮流の中級貴族。後冷泉天皇の頃の人であるが、生没年は未詳。
* 歌意は、「 筏士よ、しばし待て 尋ねたいことがある 川上では、どれほど激しく吹いているのか 山の嵐は 」といった感じであろう。
* この和歌の表題には、「 後冷泉院御時、上のをのこども、大堰川にまかりて、紅葉浮水といへる心をよみ侍りけるに 」とある。
この部分から、いくつかのことが推察できる。
まず、作者の生没年は不詳てあるが、後冷泉天皇(在位期間 1045-1068)の御時の頃に活躍した人物であることが分かる。
次に、「上のをとこども」というのは、上級貴族、つまり、公卿か少なくとも殿上人以上を指していると考えられ、作者がそれほど高位の貴族ではなかった(この時点では)らしいと推定できる。
* 作者は、最高官位は「正四位下少将右馬守」と伝えられている。もちろん、れっきとした貴族であるが、藤原北家の出自を考えれば、官人としては不本意な生涯であったかもしれない。
伝えられている記録によれば、作者の父は参議であり、一族の養子となった弟公房も正三位参議となっていることを考えれば、本人の能力ということもあるが、藤原氏の勢力争いにおいて劣勢となったのかもしれない。
* 作者 藤原資宗朝臣に関する資料は極めて少ない。新古今和歌集に収録されているのはこの和歌だけであるし、歌人として著名であったとも伝えられていない。
ただ、それだけに、新古今和歌集の撰者が、どういういきさつからこの和歌を選んだのか大変興味を引かれる。個人的には、「筏士」というあまり歌の題材に登場しない人物に焦点を当てていることに魅力を感じたことと、その貴重な一首が新古今和歌集に乗せられたからこそ、今日私たちがこの人物を知ることが出来のだと思って、本稿に加えたのである。
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