雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

小さな小さな物語 第二十部  表紙

2019-05-30 14:56:57 | 小さな小さな物語 第二十部
     小さな小さな物語 第二十部  表紙


         No.1141 から No.1200 までを収録しています
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小さな小さな物語  目次

2019-05-30 14:55:59 | 小さな小さな物語 第二十部
          小さな小さな物語  目次


     No.1141  大きな力に抱かれて
        1142  満ちても欠けても月は月
        1143  一緒になるのも別れるのも難しい
        1144  残された日々
        1145  貿易戦争


        1146  拒絶反応
        1147  その間にあるもの
        1148  悪意との戦い
        1149  誤差の範囲
        1150  危険がいっぱい


        1151  彼は何を見ているのだろう
        1152  「平和」を叫ぶのは簡単だが
        1153  正当な評価を
        1154  変わるもの変わらないもの
        1155  一年の計 


        1156  許容範囲
        1157  日本の真ん中
        1158  全力疾走
        1159  清廉潔白
        1160  今を生きる
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大きな力に抱かれて ・ 小さな小さな物語 ( 1141 )

2019-05-30 14:55:03 | 小さな小さな物語 第二十部
『 ふ化をして海へ入ったアカウミガメはどこへ行くのでしょうか。
子ガメは中央~東部太平洋へと旅立ち、はるか1万キロ先のメキシコ沿岸にもたどり着くものもいます。単独で太平洋を横断しますので、この旅は親や仲間から学習するものではなく、本能的に行うものであることは間違いありません。
成体で100キロを超すアカウミガメでも、ふ化直後は20㌘もありません。小さな身一つで大航海に乗り出すのです。
子ガメはまず黒潮に乗り、続いて北太平洋海流へと乗り継いで、数年~10年ほどかけて太平洋を横断します。海流を利用して子ガメが大洋を横断するのはアカウミガメだけですし、産卵地が集中する地域を考えても、海流の利用は偶然ではないと考えられています。
ただ海流に乗るだけではありません。子ガメはその時々に向かうべき方角を地磁気の仰角や強度から定めているようです。成長した後、地磁気コンパスは日本方面へ帰る地図にもなりますが、子ガメがふ化後地表に出て砂浜を歩き沖合に泳ぎ出て行く際、生まれた地域の磁界が刷り込まれるとされています。
日本方面へ帰るのは生まれて20~30年程も経つ頃ですので、それだけの期間、学習した地図が記憶されているとは驚きます。また、体の大きくなった帰り道では海流は利用せず、まっすぐ泳いでくることも分かっています。
ちなみに、北太平洋では平均40歳頃で成熟すると推定されていますので、日本方面に戻ってから繁殖するまでさらに10年程度かかるようです。 』
  ( 以上は、毎日新聞11月15日付朝刊 「須磨海浜水族園のなかまたち」の飼育教育部・石原孝氏の記事を引用させていただきました。 記事の前後や途中部分を割愛させていただいていますので、記事の趣旨を歪めている部分があればお許しください。 )

「鶴は千年 亀は万年」という言葉がありますが、まさか亀が万年も生きるわけではないでしょうが、太平洋を数十年かけて旅するというのは、実に壮大な物語といえます。
また、生まれた海岸や、自分が向かうべき地を承知しているというのですから、何とも不思議で、切なさを感じてしまいます。
同様の能力は、鮭や鰻なども有しているようですが、もしかすると、彼らのその方面の能力は際立っているとしても、多くの動物が似たような能力を持っているような気もするのです。

私たち、人間も動物の一種ですから、私たちが先天的な能力を何も有していないと考えることの方が不自然だと思うのです。
私たち人間、つまり「ヒト」という種は、多くの生物の気が遠くなるような進化と突然変異の繰り返しの結果、その頂点に位置している「種」のように考えられることがあるようですが、さて、それは本当に正しい姿を把握していることなのでしょうか。

現在地球上に生息している生物の中で、もちろん私たち人類が把握することが出来る範囲に限るとしてですが、最も知的に進化した位置にあるというのは、ごく普通の考え方だと思うのです。
しかし、アカウミガメの壮大な航海を考えると、人間の考える進化などというものは、「ヒト」という種の持つ能力の中でのみ支持させる考え方ではないのかと思ってしまうのです。
もしかすると、私たちは、多くの知識と称するものを得るのと引き換えに、多くの何かを失ってきているのではないでしょうか。「虫が知らせる」などという言葉が今もなお健在なのは、何かのはずみに私たちが失ってしまった何かが、時々顔を見せることがあるのではないでしょうか。
私たちは、科学は万能ではないか、と思ってしまうような社会に生きています。
しかしながら、私たちは今もなお、どうすることもできないものを背負い続けています。
残念ながら、私たちが生きている社会は、すべてを自然の成り行きに任せられる社会ではありません。束縛があり努力が必要であり、欲望だけは十分すぎるほど持っています。そして、そのような社会は、努力次第で浮き上がったり沈んだりする社会のように思ってしまったりします。
けれども、それらをすべて認めるとしても、どうすることもできないものを背から外すこともできません。そう考えれば、私たちは、何か分からないのですが、大きな力に抱かれて存在しているような気もしてくるのです。

( 2018.11.22 )
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満ちても欠けても月は月 ・ 小さな小さな物語 ( 1142 )

2019-05-30 14:53:22 | 小さな小さな物語 第二十部
一昨日、11月23日夕べは満月でしたが、報道などによりますと、平安時代、藤原道長が、『 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば 』と、わが世の春を歌ったのは、ちょうど一千年前の満月を愛でて詠んだものなのだそうです。
一千年前の11月23日は、旧暦でいえば10月16日にあたるそうですが、ある貴族の日記にこのエピソードが記されているそうです。

その日から一千年、一万数千回の満月があり、同じ数だけの新月があり、私たちの先人たちは、その折々に満月を仰ぎ見て喜怒哀楽を噛みしめて、時には雲や雨を残念がったりしたのかもしれません。新月の夜は、当然ながら仰ぎ見るべき月はありませんが、その分星は輝きを増し、人々は願を懸け、堪え難い難儀を耐え忍ぶ糧としたのかもしれません。
天体の行動は陰に陽に私たちに影響を与え続けているという考え方もありますし、事実そうなのかもしれませんが、私たちの日々には、いささかの感傷は抱くとしてもほとんど影響を感じることなく、時には、空に星や月があることさえも意識することがないことも少なくないような気がします。
しかし、天体は、地球上から眺めた天体という意味ですが、日々姿を変えています。月の姿の変化ほど明確ではなくても、金星や火星も、日々その位置は変化しており、星座たちも季節単位で見れば大きな変化を知ることが出来ます。

私たちの日常生活にある様々な物、周辺の草木ばかりでなく、山や川や海、毎日使っている器物、さらには毎日のように接し入る人でさえ、毎日少しずつ変化を続けています。
しかし私たちは、日々の僅かな変化に気付くことは少なく、むしろ、そのような変化が毎日敏感に襲いかかって来れば、大きな負担になってしまいます。
しかし、私たちの周辺にあるもの、人間関係も含めて、刻々と変化していることは厳然たる事実なのです。

それは、私たち自身も同様です。毎日同じような時間を過ごしているように感じられることがあっても、厳密には一日とて同じ日はないものです。成長もあり、退化もあるのでしょうが、今日の私が昨日の私と違うことは確かです。
残念ながら私には経験がありませんが、社会的な地位が向上し、権限が高まっていった場合に、「初心忘るべからず」を守るのは、難しいことのようです。
「この世をば わが世とぞ思ふ ・・・」と思ってしまうのは、何も道長だけではなく、最近話題になっている経営者なども、そのような罠にはまり込んでしまったのではないでしょうか。
満ちても欠けても月は月です。その実態に変わりがないことを意識し続けるのは、つくづく難しいことなのだと教えられました。

( 2018.11.25 )
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一緒になるのも別れるのも難しい ・ 小さな小さな物語 ( 1143 )

2019-05-30 14:51:10 | 小さな小さな物語 第二十部
つくづく感じさせられます。「一緒になるのも別れるのも難しい」と。
日産自動車の事件は、経営トップの横暴や使い込みといった単純な事件で終わりそうでない様相を呈してきました。
事の真相は、今のところ現社長サイドの情報が中心になっていますので、すでに前会長らが逮捕されたからと言って安易に判断することは慎むべきだと思いますし、法令違反については、検察がしっかりと捜査してくれるはずです。
その黒白は別にするとして、逮捕とほとんど同時に、一部からは「クーデター説」が浮上していることを考えても、その面は完全否定できないような気がします。
外野席より遠い場所から眺めての意見ですが、窮地にあった日産がルノーに助けられたことは事実ですし、凄腕のリーダーによって業績がV字回復したことも事実でしょう。しかし、別の観点から見れば、名門企業の二万人にも及ぶ社員を切り捨て、本丸ともいえる資産をたたき売りすることが出来たことが大きな要因であることも否定できない一面があります。
ここに来て、日産の業績がルノーを上回る状態になった現在、公表されている分の役員報酬の格差だけでも、まるで占領されている感じがしている人も少なくないはずです。そうした不満に、前会長は絶好のチャンスを与えてしまったような気がしてならないのです。

「合従連衡(ガッショウレンコウ)」という言葉があります。中国の「史記」に登場する言葉ですが、「その時の利害によって他と結びついたり離れたりすること。時勢に応じて巧みに計略を廻らす政策。」といった意味で、もともとは国家間の外交政策を指していたものですが、現在はもっと広い意味で用いられているようです。
この言葉は、もとは一つのものではなく、「合従」と「連衡」は別の人物により唱えられた政策でした。
「合従」は、中国の戦国時代末期の頃、西方の強国秦に対して、南北に連なっている燕・趙・韓・魏・斉・楚の六国が合力して対抗させる戦略を指します。提唱者は当時数多くいた、学者とも政治家ともいえる人物の一人である蘇秦(ソシン・紀元前317年没)で、六国を説き伏せて六国の宰相となり、秦と戦ったが敗れたようです。ただ、秦の東方進出を十数年阻んだ効果はあったようです。
もう一つの「連衡」は、蘇秦と同門の人物張儀(チョウギ・紀元前309年没)が「合従」に対抗する戦略として提唱したもので、東方にある六国を分断させて一国ずつと同盟を結び、その隣国を攻略していく政策を言います。これにより秦は東進を果たしますが、宰相となっていた張儀も後に失脚したようです。
「合従」が六国を縦に同盟したものであり、「連衡」が秦と横の一国と同盟を結んだものであることから、「合縦連横」という文字を使うこともあったようです。

少々長くなってしまいましたが、このように、国家が同盟を結ぶということは、なかなか難しいようです。最近の歴史で見ても、ソビエト連邦の崩壊があり、現時点ではイギリスのEUからの脱退問題があります。
企業となれば、国内においても多くの事例があります。多くの提携や合併が行われていますが、解消に向かった例も少なくありません。
「同じ力の会社同士の合併は難しく、吸収合併の形はうまくいくことが多い」という声を聞くことがありますが、うまくいったのは吸収した側であって、吸収された側の悲哀は語られないことが多いものです。
そう考えれば、日産自動車も難しいかじ取りが求められるのでしょうが、正々堂々の対処を期待しています。

いずれにしても、国家や会社でなくても、「一緒になるのも別れるのも難しい」ことには変わりがないようです。
死ぬや生きるやと大騒ぎして結ばれた二人でも、そこまでやらなくても良いのではないか、と思うような別れ方をする夫婦も決して珍しくありません。
それなら、なぜ結婚したのかと馬鹿のように言う人もいますが、それは当事者でないから言えることで、結婚なんて、結ばれてみなければ分からないことが山ほどあるものなんですよ。国家や企業同士であっても同様だと思いますよ。
それが証拠に、決して大成功したとは思えない政策である「合従」という言葉も「連衡」という言葉も、今もなお多くの人に親しまれているのですから。

( 2018.11.28 )
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残された日々 ・ 小さな小さな物語 ( 1144 )

2019-05-30 14:49:36 | 小さな小さな物語 第二十部
早いもので、はや十二月に入りました。
毎年のように感じ、当ブログにも何回か書いたような記憶がありますが、十二月への月替わりは、他の月とは少し違うような気がします。もちろん、十二月から一月へと移るのは、気持ちの変化としてはさらに大きいように思いますが、新年を迎えるのは、何だかんだと言いながらも明るさのようなものが伴っているものですが、十二月を迎えるのは、少々切なさを引きずっているような気がするのです。

年齢を重ねるにつけて、一年が経つのが早く感じると言いますが、ある人に言わせれば、それには理由があって、一年は同じ時間を刻んでいるとしても、二十歳の人の一年は、生きてきた分の1/20にあたりますが、六十歳の人にとっての一年は1/60の長さに過ぎないので、年齢とともに一年が短く感じるのは当然なのだそうです。
この計算式が正しいのかどうかは、数学者なら証明できるのか脳学者なら証明できるのか知らないのですが、経験者の多くは感じている現象のようです。
いずれにしても、古来十二月は忙しい月とされているようです。十二月の異称として「師走」という呼び方は今も使われますが、ふだん天地が裂けても微動だにしないほどの坊さんでさえ走り出すので「師走」という名がつけられたとされています。

しかし、この説は、平安時代にまでも遡る古いものだそうですが、すでに当時でさえ、師走の正しい語源だと思われていなかったようなのです。
年が果てる「トシハツル」四季が果てる「シハツ」などといった言葉から転移したという説もあるようですが、やはり、「坊さまが走り出す」というのは、光景を描くだけでも微笑ましいですし、エピソードとしては秀逸のような気がします。
もっとも、十二月の異称は、「師走」だけでなく、「限月」「極月」「窮月」など何となく分かるものから、「弟月」「乙子月」など、ぜひ語源を尋ねて見たくなるようなものまで、二十や三十では終わらないほどの数あるようです。
しかも、月名の異称がたくさんあるのは十二月に限ったことではないようですから、私たちのご先祖たちは、感性の塊のような人に溢れていたのかもしれません。

いずれにしましても、今年も残すところひと月となりました。
これも、毎年のように思うことですが、残されたひと月を、「あとひと月しかない」と考えるのか、「まだひと月ある」と考えるかによって、気分はずいぶん変わったものになるように思うのです。
そう考えながら、私自身の今年を振り返ってみますと、「意味があったな」と思う日なんて一割もありません。残りの三百余日はいつの間にか過ぎ去ってしまったような日ばかりのように感じます。そう考えれば、残された日が三十日もあれば、相当意味ある時間を生み出すことが出来る可能性が残っているということになります。
まあ、こう大見えを切りながら、年末の頃になると、「まだ三日も残っているのだから、云々・・・」ということになるのでしょうね。そうとは分かっているのですが、あとひと月、気合を入れて行くとしますか。

( 2018.12.01 )

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貿易戦争 ・ 小さな小さな物語 ( 1145 )

2019-05-30 14:47:55 | 小さな小さな物語 第二十部
米中の激しい貿易交渉は、とりあえず三か月ばかり休戦ということになったようです。
わが国をはじめ、多くの国は、ほっと一息ということではないでしょうか。
「貿易戦争」などと大げさなテーマを掲げて見ましたが、私が特別な知識を持っているわけではなく、新聞やテレビなどで報道されるものの断片を、拙い知識で勝手に理解したものがベースであることをお断りしておきます。

貿易戦争という言葉自体は、相当以前からあったものと思われますし、当時者同士が激しく対立する状況は、おそらく人類の歴史と大差ないほど古くからあるものと考えられます。
わが国の戦後の円/ドル相場の変遷を振り返ってみても、1ドルが360円だったことを考えますと、現在、1ドル当たり数円動いただけで、まるで大企業が傾いたり、国家さえも大打撃を受けると大騒ぎすることと考え合わせれば、厳しい貿易条件の変化をよくも切り抜けて来れたものと思ってしまいます。

貿易戦争という言葉は時々目にする言葉ですが、その多くは、当事国が激しく競り合うことの象徴として使われることが多いように思われます。
しかし、今回の米中間の貿易戦争は、その言葉通りのような不気味さを感じさせます。今回、とりあえず休戦になりましたが、その内容に関する両国の発表を聞くだけでも、とても合意などとは程遠いものであったことが考えられます。
両国による互いの関税の掛け合いは、圧倒的に輸入額が大きい米国の方が有利なような気がしますが、そうそう簡単なものではないようです。両国間の経済交流、第三国を経由したものなどを考えていくと、両刃の刀という面が強く浮かび上がってきます。それに、米国の方が圧倒的に世論を気にしなくてはならない弱みもありそうです。
そういうことを考えれば、どこかで手打ちが必要な気がするのですが、今回の米中の貿易戦争は、どうも「貿易を前面に立てた戦争」という感じが漂っているように思われるので、全面解決というのは、簡単には実現しないのではないでしょうか。

現在、それぞれの国は、個別に、あるいは集団で、関税を中心として経済活動の統一を図っています。しかし、現在のわが国についてでも、とても私などでは説明できないほど複雑ですし、その究極を目指したはずのEUでさえ難問山積みのようです。
ただ、肝に銘じておかなくてはならないことは、どんな堅い絆で結ばれた契約があったとしても、究極の状態になった場合には、どの国も自国優先になることは間違いありません。つまり、わが国の場合、食料とエネルギーに関しては、輸入なしでは成り立たない国家になってしまっていることを認識する必要があります。豊かな自然に恵まれたわが国がどうして食糧自給率がこれほど低いのか、海洋資源に恵まれているわが国はエネルギーの自給も夢ではないはずです。
ドルを貯め込むことも必要ですが、ドルさえあれば食料も石油も手に入れることが出来る時代がいつまでも続くと考えるのは、あまりにも楽観過ぎるのではないでしょうか。 

( 2018.12.04 ) 
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拒絶反応 ・ 小さな小さな物語 ( 1146 )

2019-05-30 14:46:10 | 小さな小さな物語 第二十部
東京の山手線に新しく出来る駅名が話題になっています。
「高輪ゲートウェイ」というのが、JR東日本が発表したその駅名ですが、賛否両論、というよりも否定的な意見が高まっているようです。
その理由はいくつかあるようですが、その一つは、新駅名は公募されたもののようですが、投票上位のものは採用されず、遥かに下位のものが選ばれた事にあるようです。あらかじめ、必ずしも上位のものから選ぶわけではないとされていたようですが、投票結果が全く無視された状態なので、何のための公募だったのかという反発が強いようです。
他にも、「もっと簡明な地名にすべき」「山手線の他の駅名とそぐわない」「なぜカタカナを入れなければならないのか」などがあり、中には、「JRの駅名としてふさわしくない」というものもあるようです。

命名については、何につけても簡単に行かないことが多いようです。
多くの人が経験するということでは、子供の名前を付けるのもなかなか難しいようです。かつては、両親やご先祖の名前の一部を取り入れることが多かったようですが、親に自信がなくなってきたというわけではないのでしょうが、その時代の著名人や流行の言葉などの影響の方が多くなっているようです。
市町村などの名前もなかなか簡単には決まらないようです。合併などにおいては、スムーズに決まることの方が珍しいほどですし、住民投票をしてまで市の名前を変えようとしている所もあります。
まあ、スタジアムなどの命名権が巨額な金額で売買(?)される時代ですし、芸名となれば神懸かりやしきりに改名する人もいるわけですから、命名というものが難しいのは当然ともいえます。

人の名前一つとっても、数百年前と比べると、ずいぶん変わってきています。具体例を挙げるのは控えさせていただきますが、特別な規制や弾圧があって変わってきたわけではなく、次代の流れとでも説明するしか仕方のない現象によって、少しずつ変化していき、気がつくと、江戸時代に多く用いられていた名前のほとんどは、少なくとも小学生にはかわいそうな気がするもののような気がします。
最近は次代の流れがいっそう早くなっていますから、生まれてきた子供に、可愛さを絵に描いたような流行の最先端を行くような名前を付けた場合、その子が還暦を過ぎた頃、違和感はないものなのでしょうかねぇ。
そう言えば、誰の名前であっても、人生七十年、八十年、最近は百歳を超える人が珍しくない時代ですが、その間を一つの名前で通しているのですから、私たちは、実に勇気があるというか、厚顔というか、すばらしい根性の持ち主のような気もするのです。

名前に限らず、私たちが何気なく見聞きし接しているものの多くは、常に変化していくもののようです。その一方で、伝統文化のように、変わらないもの、変わらないように懸命の努力を続けているものもあります。それでも、私たちは、常に変わっていくものに包まれて生きていることに違いはありません。
また、私たちの日常生活を守っていくためには、「変えてはならないもの」「変えなくてはならないもの」の選択が重要なことも確かといえます。
ただ、時の流れとともに変化していくものに対して私たちの抵抗力は弱いものですが、人為的な変化に対しては極めて強い拒絶反応を示す傾向があります。しかも、その拒絶反応を示す対象や程度は、個人差が極めて大きいことが、私たちの社会の軋轢の原因の一つになっているようです。

( 2018.12.07 )
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その間にあるもの ・ 小さな小さな物語 ( 1147 )

2019-05-30 14:43:35 | 小さな小さな物語 第二十部
外国人労働者の受け入れを拡大する改正入管法は、大荒れの末、八日の午前四時過ぎに成立しました。
この法案についての是非は、本稿のテーマではありませんので割愛させていただきますが、どちらが比重が大きいかはともかく、最終的には移民政策をどうするかということになるのでしょうから、今後の日本にとって英知を集めるべき重大テーマであることは間違いないことでしょう。
それはともかく、国会に限った事ではありませんが、徹夜で討議する国会議員の方々も大変だな、と思いますとともに、これを討議というのにあたるのかという強い疑問も感じています。
例えば、議事が思う方向に進まないからと言って次々と問責決議案を提出するのは、それが通るなどと思っていないのでしょうから、この行為にどれほどの価値があると考えての事なのでしょうか。一方の政権側も、成立させるべき日限を切っての国会討議のように見受けられますので、何か一連の面白くもない行事を見せられているような気がします。
そもそも、今回の政権側と法案反対の野党側とは意見が遠く離れていて、その隔てている距離を近づける意思などともに持ち合わせていなかったのではないでしょうか。

金星は、今「明けの明星」の位置にあります。
夜が明けるのが遅いこの季節、少し早い時間に空を見上げますと、お天気さえ良ければ美しい姿を見せてくれます。日時によってその位置は変わりますが、太陽と月を別にすれば、圧倒的な明るさですからすぐに見つけることが出来ます。
確か、落語に、竿竹か何かで星を取ろうとする話があったように記憶しています。まあ、いくら明るく輝いていて近くに感じられても、竿竹で届くとは思いませんが、「手が届きそうな」という程度の表現は許されそうな気がするのです。
しかし、いくら手が届きそうな距離であっても、その間には多くの「もの」が存在していることも事実だと思うのです。たとえば地球の近くには大気圏がありますし、大気圏には汚染物質を含めた様々な「もの」があり、金星の周囲も同様であり、その間の距離がどのくらいか知らないのですが、塵なども存在しているでしょうし、人類には未知の「もの」も存在しているかもしれません。
手が届きそうな距離にある地球と金星の間にも、多くの「もの」が存在してはずです。

民主的な意思決定手段の最たるものは、「多数決による」ものと考えられているのではないでしょうか。もちろん、多数決といっても、単純に過半数を求めるものや、2/3以上といった基準を設けているものもありますが、それを含めて、意見が対立した場合、集団の進路を定める方法は賛否の数を数える以上の方法を私たちは見つけ出せていないような気がします。
もっとも、現実の社会はそれほど単純なものではないようで、「談合」などといった事件で時々浮上してくるような合理的(?)な手法も横行しているようですが、さて、どれが正しい意思決定方法なのかは、難しいような気もします。

多くの場合、私たちは賛成か反対で意思を示します。
しかし、どうでしょうか、満場一致で決まるような課題はそうあるものではなく、国会等の議場で満場一致が登場するのは、事前に自分の意見を放棄してしまった人がいるか、そもそも議場で討議するほどの事でなかったか、いい格好を世間に見せるためのものだったにすぎない、などではないでしょうか。
かつての食堂には、すしや定食などに、「松・竹・梅」と三種類が用意されていました。松と梅との間に存在する「竹」は、結構多くの人の支持を受けていたようです。
私たちは、多数決以上に優れた意思決定方法を持ち合わせていないと考えているとすれば、「賛成」と「反対」にある「竹」のような存在をもっと重視する手段を見つけ出す必要があるのではないでしょうか。

( 2018.12.10 )
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悪意との戦い ・ 小さな小さな物語 ( 1148 )

2019-05-30 14:41:57 | 小さな小さな物語 第二十部
『 人生は他人の悪意との戦いだ 』 これは、ある哲学者の言葉らしいのですが、残念ながら出典を承知しておりません。
ただ、この種の言葉は、大学者の言葉を借りるまでもなく、古来同じような言葉や考え方は数多く伝えられています。
性善説とか性悪説となれば、中国の孟子と荀子の相反する主張としてよく知られています。筆者は、どちらの説についても本格的に勉強したことがありませんので、辞書に書かれている程度の事しか知りませんが、孟子の唱える性善説は肌触りの良さを感じるとしても、人が生涯にわたって、どのような場面でも「性善」ということではないと思うのです。別に、性悪説に一票入れるわけではありませんが。

昨今、スポーツ界における、パワハラ・セクハラ、あるいは八百長もどきのものなどが数多く表面化しています。
つい先日には、問題になっていた日本体操協会のセクハラ問題は、第三者委員会の調査結果として、「配慮に欠け、不適切な点が多々あったとはいえ、悪性度の高い行為だとは認められない」との判断を示し、これに基づき、協会は職務停止となっていた役員二人の復帰を決定したと発表されました。
何とも、どう受け取ればよいのか分からない見事な「メイ回答」ですが、残念ながら世間の多くの人を納得させるほどのものではないように感じられ、この問題は第二幕が用意されているような予感がします。

それにしても、昨今は、何か問題が起これば、「第三者委員会」による調査が流行りのようですが、さて、多くの人を納得させるような調査結果を導き出した「第三者委員会」は、どの程度の比率なのでしょうか。
そもそも、そのメンバー選定については、多くの場合疑問視される人物が加わることがあります。それはある程度無理もないともいえますのは、その問題にまったく専門知識を有していない人を選出するのはどうかと思いますし、大変詳しい人の場合は、対立しているどちらかと親交がある可能性があるからです。また、多くの場合には弁護士が加わっていますが、弁護士といえども、一般の裁判において、加害者側に就く場合と被害者側に就く場合とは豹変するわけですから、まるで万能のような評価をするのには首を傾げるのです。
つまり、「第三者委員会」が一種のアリバイ作りになっている場合があるように思えてならないのです。
そう考えれば、少なくとも公的な組織とされているようなスポーツ団体の事件に関しては、然るべき機関において、調査委員会などに加わる資格のあるメンバーを選定しておく、などの工夫は出来ないものでしょうか。

もっとも、日大の事件が不起訴になったように、スポーツにまつわる事件には、独特の難しさがあるようです。それに、日本では一年にどれほどの裁判があるのか知らないのですが、考え方が対立することは山ほどあるわけです。
誰が見てもわかるような悪事は、完全ではないとしてもその多くは、法治国家であるわが国では犯罪が成立しているようになっているはずです。
問題は、その実に微妙な悪事が始末に悪いのです。「不適切な点が多々あっても」白になったり黒になったりするのでしょうから、その不適切な点を多々ぶつけられる人にとっては、まさに『人生は他人との悪意との戦い』を強いられているのではないでしょうか。
所詮、どうにもならないことなのでしょうか。

( 2018.12.13 )
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