『 ふ化をして海へ入ったアカウミガメはどこへ行くのでしょうか。
子ガメは中央~東部太平洋へと旅立ち、はるか1万キロ先のメキシコ沿岸にもたどり着くものもいます。単独で太平洋を横断しますので、この旅は親や仲間から学習するものではなく、本能的に行うものであることは間違いありません。
成体で100キロを超すアカウミガメでも、ふ化直後は20㌘もありません。小さな身一つで大航海に乗り出すのです。
子ガメはまず黒潮に乗り、続いて北太平洋海流へと乗り継いで、数年~10年ほどかけて太平洋を横断します。海流を利用して子ガメが大洋を横断するのはアカウミガメだけですし、産卵地が集中する地域を考えても、海流の利用は偶然ではないと考えられています。
ただ海流に乗るだけではありません。子ガメはその時々に向かうべき方角を地磁気の仰角や強度から定めているようです。成長した後、地磁気コンパスは日本方面へ帰る地図にもなりますが、子ガメがふ化後地表に出て砂浜を歩き沖合に泳ぎ出て行く際、生まれた地域の磁界が刷り込まれるとされています。
日本方面へ帰るのは生まれて20~30年程も経つ頃ですので、それだけの期間、学習した地図が記憶されているとは驚きます。また、体の大きくなった帰り道では海流は利用せず、まっすぐ泳いでくることも分かっています。
ちなみに、北太平洋では平均40歳頃で成熟すると推定されていますので、日本方面に戻ってから繁殖するまでさらに10年程度かかるようです。 』
( 以上は、毎日新聞11月15日付朝刊 「須磨海浜水族園のなかまたち」の飼育教育部・石原孝氏の記事を引用させていただきました。 記事の前後や途中部分を割愛させていただいていますので、記事の趣旨を歪めている部分があればお許しください。 )
「鶴は千年 亀は万年」という言葉がありますが、まさか亀が万年も生きるわけではないでしょうが、太平洋を数十年かけて旅するというのは、実に壮大な物語といえます。
また、生まれた海岸や、自分が向かうべき地を承知しているというのですから、何とも不思議で、切なさを感じてしまいます。
同様の能力は、鮭や鰻なども有しているようですが、もしかすると、彼らのその方面の能力は際立っているとしても、多くの動物が似たような能力を持っているような気もするのです。
私たち、人間も動物の一種ですから、私たちが先天的な能力を何も有していないと考えることの方が不自然だと思うのです。
私たち人間、つまり「ヒト」という種は、多くの生物の気が遠くなるような進化と突然変異の繰り返しの結果、その頂点に位置している「種」のように考えられることがあるようですが、さて、それは本当に正しい姿を把握していることなのでしょうか。
現在地球上に生息している生物の中で、もちろん私たち人類が把握することが出来る範囲に限るとしてですが、最も知的に進化した位置にあるというのは、ごく普通の考え方だと思うのです。
しかし、アカウミガメの壮大な航海を考えると、人間の考える進化などというものは、「ヒト」という種の持つ能力の中でのみ支持させる考え方ではないのかと思ってしまうのです。
もしかすると、私たちは、多くの知識と称するものを得るのと引き換えに、多くの何かを失ってきているのではないでしょうか。「虫が知らせる」などという言葉が今もなお健在なのは、何かのはずみに私たちが失ってしまった何かが、時々顔を見せることがあるのではないでしょうか。
私たちは、科学は万能ではないか、と思ってしまうような社会に生きています。
しかしながら、私たちは今もなお、どうすることもできないものを背負い続けています。
残念ながら、私たちが生きている社会は、すべてを自然の成り行きに任せられる社会ではありません。束縛があり努力が必要であり、欲望だけは十分すぎるほど持っています。そして、そのような社会は、努力次第で浮き上がったり沈んだりする社会のように思ってしまったりします。
けれども、それらをすべて認めるとしても、どうすることもできないものを背から外すこともできません。そう考えれば、私たちは、何か分からないのですが、大きな力に抱かれて存在しているような気もしてくるのです。
( 2018.11.22 )