雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

劇的な会談

2019-06-30 18:43:03 | 日々これ好日
        『 劇的な会談 』

     米朝首脳会談 突然の開催
     トランプ大統領がツイッターで呼びかけ 金正恩委員長が応じた形で
     軍事境界線で 劇的な出会いとなった
     ほんの顔合わせが予想されていたが 50分もの本格的な会談となった
     大統領のツイッター発信後には 様々な交渉が水面下であったのだろうが
     今後の 両国の交渉進展に 大きく役立つと思われる
     ドラマチックな出来事って あるものだなァ

                           ☆☆☆
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老子は凄い

2019-06-30 08:09:01 | 私の好きなフレーズ
   『 特別に優れた人物だけが理解できる教えなど、しょせん大した教えではないはずです。』


では、それほど難解な教えを、私ごときが学んだり、いわんや文章にして公表するのは、何の意味もなく、むしろ害があるのではないかという心配があります。
その懸念もないことはないのですが、何せ、相手は『老子』です。そんな心配は無用だと思うのです。
特別に優れた人物だけが理解できる教えなど、しょせん大した教えではないはずです。
優れた人物にはそれなりに、私のような凡庸な人物にもそれなりに、理解し習得できる教えこそが優れた教えのはずで、『老子』は、きっとそのような大先生であるはずです。


                  ( 「ちょっぴり『老子』」(1)より )
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成功裏に閉会

2019-06-29 18:54:01 | 日々これ好日
        『 成功裏に閉会 』

     G20首脳会議 無事閉会した
     注目を浴びていて米中会談も
     現状では 最良に近い形で終わったようなので
     まずまず 成功といえるG20だったのではないだろうか
     もっとも 多くの国や機関が参加してでのことなので
     儀礼的な交渉も多いと思われるが 
     今は 成功を素直に感謝したい

                      ☆☆☆  
     
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大阪が中心地に

2019-06-28 19:23:30 | 日々これ好日
        『 大阪が中心地に 』

     G20開幕 
     参加国の首脳が集結
     この二日間は 政治的には 大阪が世界の中心地の観
     呉越同舟だとしても 同じ船に乗ることだけでも 意味があるはずだ
     いくら小さな絆の卵であっても 生まれて欲しいものだ

                          ☆☆☆
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少々誇らしい

2019-06-27 19:02:48 | 日々これ好日
        『 少々誇らしい 』

     テレビ報道の受け売りで 申し訳ございませんが
     大阪は 厳戒態勢
     警視庁や 他府県からの警察官の姿が 物々しい
     各国首脳も次々と到着
     たった今 トランプ大統領も 伊丹空港に到着した
     大阪が 世界中に発信されていると思うと
     少々 誇らしい

                    ☆☆☆
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御嶽のご利益

2019-06-27 08:18:39 | 麗しの枕草子物語
     麗しの枕草子物語  
               御嶽のご利益

私たちに取りまして神仏におすがりするということは、まことに真剣なものでございます。
それも、御嶽(ミタケ・吉野金峰山)に御参りするとなりますと、それはそれは大変な行でございます。
何十日も前から精進潔斎に勤め、出立となれば、いかに身分高い御方であれ、とても粗末な身なりにて御参りするものでございます。


ところが、中にはとんでもない御方もおいでのようでございます。
衛門佐宣孝といわれる御方は、
「そのようなことは、実につまらないことだ。皆と同じような衣で参詣したとて、大したご利益などあるまいに。それに、『粗末な衣装で参詣せよ』などと御嶽の権現様が仰せられるはずがあるまい」
と申して、濃い紫の指貫に白い狩衣、山吹色の衣などを仰々しく着飾って、ご子息には、青色の狩衣、紅の衣、手の込んだ模様の水干という袴を着せて、大勢の供を連れて参詣なさったそうでございます。


御参りの途中で行き合った人々は、「この御山で、こんな身なりの人を見たことなどない」と、あきれ果てたそうでございます。
それがですねぇ・・・、彼の御方が参詣から戻られて僅か二か月ばかり後に、筑前守の後釜に任ぜられたのですから、堪りませんよ。
御嶽のご利益とは、なかなかに奥深きものではありますわねぇ。


(第百十四段・あはれなるもの、より)
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少し早い旅立ち

2019-06-26 20:10:07 | 日々これ好日
        『 少し早い旅立ち 』

     今朝 セミの抜け殻を見つけた
     キンカンの枝先 それも根元近く
     姿も 鳴き声も聞いていないが 無事旅立ったらしい
     わが家のセミとしては 少し早い旅立ちだが 
     長い地中生活を終えて 最後の時を 思い切り羽ばたいておいで
     当地は 今日 ようやく梅雨入り

                      ☆☆☆ 
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前代未聞

2019-06-25 19:41:24 | 日々これ好日
        『 前代未聞 』

     恒例のように 内閣不信任案が提出され 恒例のように否決
     賛成票も反対票も 議員個人の意思で投票されているのだろうか
     不信任案の中に 『前代未聞の事項』という言葉がある
     何もかも 恒例通りを善しとするのも どうなのかと思う
     何はともあれ 国会閉会となり 次は参議院選挙となる

                          ☆☆☆
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交流戦終る

2019-06-24 19:18:41 | 日々これ好日
        『 交流戦終る 』

     プロ野球のセ・パ交流戦 
     順延となった試合2試合が今日行われ 終了する
     予想通りと言うか やはり パの圧勝に終わった
     昨日までの成績でいえば
     パの勝率は首位チームに近く セの勝率は最下位チームに近い
     来年からは 何かハンディを考えなくてはいけないような気がする
     誰かに 叱られるかな?? 

                          ☆☆☆
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あやめ草

2019-06-24 08:16:00 | 新古今和歌集を楽しむ
     あやめ草 ひきたがへたる 袂には
                 昔を恋ふる ねぞかかりける


                       作者  九条院

( No.771  巻第八 哀傷歌 )
               あやめくさ ひきたがへたる たもとには
                          むかしをこふる ねぞかかりける



* 作者は、藤原呈子(フジワラノテイシ/シメコ)。生家は、藤原北家中御堂流(道長の御堂流からの分かれ)で、上流貴族である。( 1131 - 1176 )享年四十六歳。

* 歌意は、「 今日は あやめ草の節句(端午の節句)ですが これまでとはうって変わっている わたしの墨染の袂には 昔を恋い慕って泣く音が 涙と共にふりかかっています 」と、亡き夫である近衛天皇を忍ぶ哀傷歌である。

* この和歌の前書きには、「近衛院のかくれ給ひにければ、世を背きて(出家して)後、五月五日、皇嘉門院に奉られける 」とある。
皇嘉門院(コウカモンイン)とは、崇徳天皇の皇后であり、近衛天皇の養母でもあった。
この和歌の次には、「 返し 」として、皇嘉門院の和歌が載せられている。
  『 さもこそは おなじ袂の 色ならめ 変わらぬねをも かけてけるかな 」 

* 九条院 藤原呈子は、藤原氏全盛のしかも最上流の家に生まれた。しかし、それは、藤原氏一族内の激しい権力闘争と、天皇家の即位をめぐる抗争、天皇の外戚の地位を廻る権謀術数が最も激しい時代であった。そして、呈子はその奔流のさなかに身を置かざるを得ない生涯であったと考えられる。

* 呈子の父は太政大臣藤原伊通(コレミチ)である。九条に邸宅を構えていたことから、九条大相国とも呼ばれた。
十八歳の頃、父のいとこにあたる美福門院の養女となる。美福門院は、この時代の歴史上著名な女性である。鳥羽天皇の譲位後の寵妃であり、近衛天皇の生母である。当時の複雑な権力闘争の折々にちらちらと姿を見せる女性であった。
呈子の入内をもくろんでいた伊通にとって、当時の政権を握っていた鳥羽院の支援を受けるために、血筋を頼って、呈子を美福門院の養女にすることに成功し、さらに関白藤原忠通の養女としたことにより、呈子の入内は実現するのである。

* 1150年のことで、呈子二十歳、夫となる第七十六代近衛天皇は十二歳であった。
近衛天皇は、鳥羽天皇の第九皇子であるが、母が美福門院であることから、生まれながらの後継者となる。三歳で即位したが、病弱気味であったらしく、十七歳で崩御している。在位期間は十余年間に及ぶが、政治の実権は鳥羽院が握り続けていた。

* 1155年、近衛天皇は、皇子を儲けることなく崩御、後継天皇は難航の末、後白河天皇の誕生となる。
呈子は、近衛天皇の崩御の翌月に出家する。天皇の若過ぎる崩御に加え、皇子を儲けることが出来なかったことは、呈子ばかりでなく、一族にとっても残念極まりなかったことであろう。
1168年、後白河上皇より、呈子は九条院の女院号を賜った。女院号は、単なる称号ではなく、経済的な裏付けもあったので、この後も生活面は恵まれたものであったと推定できる。
1176年、九条院呈子は崩御する。享年四十六歳であった。

* 九条院呈子の生きた時代は、天皇権力、公家勢力が複雑に絡み合った政権闘争が歴史上最も激しい時代であったと考えられる。
この短い文章に登場する人物の足跡を追うだけでも、この時代が如何に激しいものであったか分かるはずである。その激動の中を、九条院呈子がどのように生きたか詳しく知りたいと強く思うが、そのためには、相当の覚悟が必要なようである。

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