雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

小さな小さな物語 第二十二部  表題

2020-06-17 15:59:58 | 小さな小さな物語 第二十二部

     小さな小さな物語  第二十二部

    NO.1261 から No1320 までを載せています 

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小さな小さな物語  目次

2020-06-17 15:50:25 | 小さな小さな物語 第二十二部

        小さな小さな物語  目次

     No.1261  八合目からの景色
        1262  イギリスの選択
        1263  社会のルール
        1264  反省の季節
        1265  それぞれの生き様

        1266  裏も表も
        1267  とにもかくにも
        1268  みずみずしい感性
        1269  絆
        1270  七草粥を楽しむ  

        1271  ゆうらり ゆらり
        1272  成人への主張
        1273  この国で生きる
        1274  それぞれの歳時記
        1275  科学とスポーツ

        1276  残り100秒
        1277  国際協力
        1278  ありがとうございます
        1279  鬼の力もお借りして
        1280  国力が問われている




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八合目からの景色 ・ 小さな小さな物語 ( 1261 )

2020-06-17 15:49:43 | 小さな小さな物語 第二十二部

残念ながら私は、本格的な登山の経験がありません。また、あらゆるものを犠牲にしてまでのめり込むほどの魅力を得ることは出来ないままです。
それでも、一般素人が比較的簡単に登れる山や、途中まで車やバスなどを利用できる山などで、ちょっぴり登山家気分を味わった経験は持っています。本格的な登山をなさる方から見れば笑われるような経験ですが、汗をかき、喘ぎながら目的地点に到着した時の快感は、エベレストの頂上を極めた人と大差ないのではないかと思ってしまうほどです。

テレビだったのか何かの本だったのかの記憶も定かでないのですが、本格的な登山家が、世界的にも名高い高峰を目指し、大勢の支援者やチームに支えられて頂上目前の最後のベースキャンプで、天候や体調を理由で下山せざるなった時の心境の切なさを語られていたのを記憶しています。
その一方で、そうした地点において、頂上征服を断念する決断をすることは、実に勇気がいることであり、それこそが真の登山家だといった別の記事も記憶しています。
頂上を極めることはすばらしいことであり、その功績に対しては敬意を表すべきでありますが、同時に、不運にも頂上目前で下山を決断した登山家やリーダーに対しても、相応の評価がなされるべきだと思うのです。

これは、素人の部類だと思われる登山愛好家の話なのですが、八合目からの景色について熱く語るのを拝聴したことがあります。
頂上からの景色は、その感動も加わってすばらしいものだとしても、その行程にある「八合目からの景色」には、目前に迫って見える頂上の姿、これまで登ってきた足跡、頂上からとは一味違う下界の景色、等々、実に味わい深いものがあるというのです。
しゃにむに頂上を目指すことも良いのでしょうが、八合目からは周囲の景色などを楽しみながらペースを落として、九合目そして頂上への厳しい道のりを、苦しみばかりでなく楽しむ余裕を持つことが登山を楽しくする一つの方法だというのです。

折から、冬山登山の季節となります。登山を楽しむ方々には、くれぐれも無理な日程や悲壮なまでの目的地への執着は控えていただいて、八合目の景色を楽しみ、無事下山してこそが登山なのだということをモットーにしていただきたいと願っています。
ところで、私たちの人生も登山に例えられることがあります。確かに比喩としては納得させられる部分も少なくありません。そうだとすれば、人生においても、八合目からの景色を楽しむ余裕も必要なのではないでしょうか。八合目の景色を楽しみ、一休みの後はゆったりと九合目に向かうことも豊かな人生のあり方のような気がするのです。何が何でも頂上というのは、時には品格を失うような登り方になることがあることを心すべきだと思うのです。
ただ、人生という奴は厄介なもので、楽しんでいる八合目の景色が、実は登っているときの八合目とは限らず、頂上はとっくに過ぎて、下っているときの八合目だとすれば、また別の味わい方を見つけ出す必要が出てくるのですよねぇ。

( 2019.12.11 )

 

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イギリスの選択 ・ 小さな小さな物語 ( 1262 )

2020-06-17 15:48:48 | 小さな小さな物語 第二十二部

全世界の注目を集めていたイギリスの総選挙は、与党保守党が圧倒的な勝利をおさめました。
単独過半数を大幅に超えて勝利したジョンソン首相は、来年1月末のEUからの離脱を公約としていますので、いよいよイギリスのEU離脱が実現しそうです。
選挙結果を受けて、EUのその他の加盟国や、日米なども比較的冷静に、それも好意的な結果として受け取っているようで、為替や株式市場に懸念らしい動きは出ていないようです。

来年1月末に正式離脱となっても、そこから一年間は経過期間となるので、すぐに変化は出ることはなく、入出国や貿易などに大きな影響が起こるのは一年後のようです。
しかし、「合意なき離脱」は避けられることになりそうですが、イギリス国内に事務所や工場を構えている企業は対応が必要になるでしょうし、わが国としても、貿易など幾つかの分野はイギリスと単独に協定が必要になって来るのでしょう。
わが国の関係する企業などの対応は大変ですが、イギリス当国の政府や企業などの対応ははるかに大変ではないでしょうか。さらに、ヨーロッパ諸国との人的交流は、わが国に比べ数段さかんでしょうから、国民の日常生活にもかなりの影響が出るのではないのでしょうか。
しかし、それでもイギリスは、EUからの離脱を決断しました。

ヨーロッパ全体を一体化しようという壮大な構想は、イギリスの離脱により試練の時を迎えているように思われます。
いずれも長い歴史を有しており、再三激しい戦争を経験し、敵味方となったこともある国々が同一の政治的な理念のもとに一体化しようとする試みは、人類の歴史上あまりないものではないでしょうか。合従連衡という言葉があるように、合体したり同盟を結んだ例は数多くありますが、それらは、征服されたり圧迫された上のものであったり、腹に一物を持ちながらの同盟がほとんどだったと思うのです。
EUの構想は、それらとは違う形のものであったと思うのですが、ここに来て、加盟国間の軋轢が表面化することも多く、イギリスの離脱がEUの将来にどのような影響を与えるのか、見守りたいものです。

わが国の歴史もまた、合従連衡とは無縁ではない過去を有しています。
現在においても、国家間の協力関係は複雑さを増しており、特に直近では、厳しさを増している関係もあります。
また、他国との関係ばかりでなく、国内において難題を抱えている国は少なくありません。独立問題や、人種や宗教からの対立、弾圧といった例も少なくありません。
ややもすると、私たちはそれらの問題を他国のこととして考えがちですが、わが国内でも同様の問題は生じています。幸か不幸か、現時点では、国家を分裂させるほどのことにはなっていないようですが、別の観点から見れば、そうした問題点が無視され、蓋をされているということになるのかもしれません。
万人が納得し満足できる政治体制など存在しないと思うのですが、民主主義政治の名のもとに、弱者や少数勢力を見ないことにしている部分がないのか、考えてみることも必要なのではないでしょうか。

( 2019.12.14 )

 

 

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社会のルール ・ 小さな小さな物語 ( 1263 )

2020-06-17 15:47:38 | 小さな小さな物語 第二十二部

注目を集めていた、元事務次官が長男を殺害した事件の裁判において、懲役6年の実刑が下されました。
理由はどうであれ、明らかな殺人事件ですから、厳正な裁判が行われ、然るべき判決が下されるのは当然のことではあります。民主国家であれば、犯罪が裁かれるのが社会のルールであり、このような問題が大きな話題になることは、むしろ不自然と考えるべきなのかもしれません。
しかし、被告人となってしまった方の家庭環境を考えてみた場合、何とも表現しがたい感情が沸き上がって来て、一体、この被告人を誰が裁けるのかという気持ちになってしまいました。

この裁判には、検察側から懲役8年の求刑がなされていて、一般的には情状などを酌量すれば、4年から6年程度の実刑というのが専門家やテレビの解説者の意見のようでした。一部には、執行猶予の可能性も皆無ではないという意見を述べられる人もいました。結果は、大方の予想の中の一番厳しい判定になったような気がします。同時に、この判決を下さなければならなかった裁判官の方々の煩悶は、並大抵の事ではなかったのではないかと推察致します。

被告人となった方は、事務次官までなった方です。社会的な経歴が刑事裁判の量刑に影響があってはならないのは当然のことです。
ただ、ごく素直に考えて、被告人は最高学府の教育を受け、公務員という社会がどういうものかを私は知らないのですが、少なくとも事務次官という地位は、運や弾みだけでは就ける地位ではないはずです。
しかし、大きな組織の実質的なトップに立ち、わが国の行政のある部分に大きな影響を与えるほどの仕事を任せられたほどの人物であっても、一つの家庭をコントロールすることが至難であることが浮き彫りにされたような気がします。

そもそも、一つの家庭をコントロールする、という考え方が間違っているのでしょうが、家庭という組織は、もっとも原始的な組織であり、最も根源的な組織であり、最も原則論が通じにくい組織のような気がします。
今回の事件においても、多くの指導的な立場の人が指摘していることに、「一人で抱えすぎないで、外部の力を借りて欲しかった」というものがあります。まことにその通りであると思いますし、そうして欲しかったと思います。
しかし、伝えられている限りでは、何度かそうした努力をされたようですが、多くの場合は、「家庭の問題には公権力は入りにくい」という問題に直面したようです。また、第三者としては立派な意見は述べることは出来るのですが、当事者となった場合、果たしてどういう行動が出来るのでしょうか。
国家間の争いは大きな不幸を生み出します。組織内のゴタゴタは、組織を分断し脱落者を生み出します。しかし、家庭という組織は、それは大家族であれ独り暮らしであっても、傷を癒し心身を蘇えさせるべき場所であるはずですが、戦いの場であるとなれば、なんとも辛いものです。

( 2019.12.17 )

 

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反省の季節 ・ 小さな小さな物語 ( 1264 )

2020-06-17 15:46:33 | 小さな小さな物語 第二十二部

早いもので、いつしか今年も残り十日ばかりになりました。
師走という言葉の語源は諸説あるようですが、よく知られているのは「日頃冷静な『師』さえ走り出す」ほど忙しいということからきているとされるものです。ただ、この『師』というのも、僧侶とも師匠ともいわれ定説はないようです。
かつては、商取引において年の瀬に一年分の決裁をすべて行ったり、熊さん八さんクラスの庶民も、生活用品の多くを付け買いしていて、大晦日に決裁していたらしく、落語にはその辺りの話が伝えられています。

現在は、商取引においては、歳末が特別大きな意味は持っていないようですが、多くの人にとって、やはり十二月は何かと忙しいことが多いようです。
その原因としては、ボーナスやそれに伴う商戦が盛んになり、クリスマスや正月といったイベントがあり、年末年始の連休を利用した帰郷や旅行などがあり、そのうえ年賀状も書かなくてはならないし忘年会もあって、通常の月より忙しくなるのは確かなようです。
このように、間違いなく十二月には行事が多いのですが、もう一つは、やはり一年が終わるということに対して、精神的に独特の感情に迫られる一面があるようです。

「一年の計は元旦にあり」という言葉がありますが、どうも、何かを計画したり見直したりするのは、年の瀬のような気がします。個人的な感覚かもしれませんが、年の瀬は反省の時のような気がするのです。
何もこの慌ただしい時に反省などと面倒くさいことなどする必要はないと思うのですが、年の瀬が近づくにしたがって、様々なことを思い返す気持ちになりがちな気がするのです。
もっとも、つい最近ラジオで聞いたことなのですが、あるベテランタレントの方が「反省などしない。自分には反省している時間などないので、ひたすら前に進むだけだ」といった意味の言葉を述べられていました。ずいぶん勇ましい言葉だと思うのですが、同時に、反省してみて何かが改善することなどあまり経験した記憶がないので、この方の言葉に凄く納得してしまいました。

そうとはいえ、やはりこの時期は、何かと反省する気持ちが起こりやすい時期であることは確かなようです。
あれも出来なかった、これは手も付けていない、などと反省といいます、言い訳といいますか、忸怩たる気持ちに襲われがちです。
反省したところで、出来なかったことが急にできるようにもなるはずもないのですが、一年の終りに向かって、あれこれと来し方を思い浮かべることもそれはそれで意味があるような気がするのです。
そして、幸いにも、令和元年というこの年には、まだ十日も日が残されています。何か、一つや二つは出来るものがあるかもしれませんよ。

( 2019.12.20 )

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それぞれの生き様 ・ 小さな小さな物語 ( 1265 )

2020-06-17 15:44:55 | 小さな小さな物語 第二十二部

「身の丈に合わせて・・・」という文科大臣の発言が非難を受け、さらに大きな問題を引き起こしました。
ただ、文科大臣という立場での発言であることには、非難されるべき一面があったことは確かでしょうが、嵐の後は「結果OK」のようで、大臣の発言のおかげで、危く導入されかけていた大学入試試験制度が白紙になったことは、怪我の功名のような気がします。
大学受験を間近に控えている方や、そのご家庭などには戸惑いや混乱があるのでしょうが、伝えられている内容を聞きますと、計画されていた制度は問題が多すぎるような気がします。

文科大臣の立場で、「貧富の差を自覚せよ」と思わせるような発言はいただけないと思いますが、「身の丈に合わせて頑張る」というのは今一つ分かりにくいのですが、「身の丈に合わせた生き方」というものは、少なくとも大人であれば、心すべき至言ではないでしょうか。
「少年よ、大志を抱け」という有名な言葉があります。若い人たちが、家庭環境などには関わらず、すべからくそれぞれの目標に向かって努力できる社会であって欲しいと願います。しかし、残念ながら、幼い時から生まれた環境などによってハンディーが存在していることは否定できないのではないでしょうか。「少年よ、大志を抱け」とクラーク博士が呼びかけた生徒たちは、いわゆるエリートに近い少年たちであって、当時の日本には、そのような言葉が全く届かない少年たちが大勢いたのではないでしょうか。
現在の日本は、当時よりも機会の均等化が進んでいるとはいえ、ある時点では、私たちは自分の足元を見つめてみる必要もあるようです。

つい最近、テレビで心に残る話を聞きました。
一つは、今年阪神タイガースを退団した横田慎太郎氏に関することです。(無断で書かせていただくことをお許しください。)横田氏は、高校三年の2013年秋のドラフト会議で二巡目で指名を受け、翌年阪神タイガースに入団し、スラッガーとして大きな期待をかけられていました。実際に、その年に満塁ホームランを放つなどその片鱗を示していました。
しかし、2017年 9月に脳腫瘍であることが分かり、闘病生活に入りました。球団は、横田氏の将来に大きな期待を抱いていたようで、翌年からは育成選手としての契約として回復を待ったようです。しかし、病状は完治状態のようであっても、視力の回復はままならなかったようで、今年の9月に引退を表明しました。このクラスの選手としては異例の引退セレモニーが行われ、その状況や引退試合でのファインプレーがテレビで紹介されていました。胸がつまるような、二十四歳での引退表明でした。
もう一つは、ある芸人さんの話が紹介されていたものです。その男性は、芸歴二十年ほどの中堅クラスの芸人さんですが、たまにテレビにも登場していますが、その実情は、芸人の仕事だけで食べていくのが厳しい状況なのだそうです。この話を披露していた方が、その芸人さんは有能な方だけに、他の道に進むことは考えないのかと尋ねたそうです。その答えが、「自分はこの仕事が好きなんです。今までこの世界でやって来て、どんなに努力しても絶対に勝てない芸人が何人もいることを知りました。自分の力では絶対に勝てないことは十分わかっています。しかし、自分はこの仕事が好きなんです。必死に頑張って、この世界で生き残ることだけを考えて、これからも続けるつもりです」というものだったそうです。

私たち、残念ながら、努力だけではどうにもならない事って、あるのですよ。天賦の才などというものは認めたくありませんが、残念ながら、あるのかもしれません。努力が足らないからだと言われれば、その通りかもしれませんが、誰もが天才と言われる人ほどの努力をすることなど出来ないように思うのです。
「身に合った生き方をせよ」などと言われますと、腹も立ちますし、へそも曲げたくなります。
しかし、私たちには、私だけではなくほとんどの人は、そうそう思い通りの生き方など出来ないのではないでしょうか。「身に合った生き方をせよ」を「縮こまって生きよ」と受け取るならば腹も立ちますが、そうではなく、それぞれには、「それぞれの生き方」があるのであって、その生き方を模索する過程で、何かが見えてくるかもしれないような気もするのです。
「自分はこの仕事が好きなんです」と言い切る芸人さんに拍手を送りたいと思いますし、二十四歳でプロ野球選手という華やかな世界から決別しなくてはならなかった横田氏の今後に、懸命のエールを送りたいと思うのです。
なお、先日行われた、マリナーズのイチローさんが参加したことで話題になっていた「学生野球資格回復制度」の研修会に、横田氏も参加していたそうです。「ガンバレ、ガンバレ」。 

( 2019.12.23 )


  

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裏も表も ・ 小さな小さな物語 ( 1266 )

2020-06-17 15:43:27 | 小さな小さな物語 第二十二部

この十年では最悪の関係ともいわれる日韓関係は、ようやく、一年三か月ぶりに首脳会談を開くことが出来ました。
会談の成果については、韓国の報道と日本の報道には、微妙というよりかなりの温度差があるように感じられます。日韓の差ばかりでなく、わが国内の報道を見ても、かなりの差があるのが見えてきます。
会談の内容がすべて明らかにされているわけではなく、実情がはっきりしない部分がありますし、たとえ内容が全て示されたとしても、両首脳が発せられた言葉の一つ一つをどのように受け取るかによって、その内容は大きく変わってきます。
「分かった」という言葉一つ取ってみても、その意味には裏も表もあって、なかなか一筋縄ではいかないことが分かります。

ある市の現職議員が、「病気だと届け出して、海外に旅行していた」という情けない事件が起きました。同様の不祥事は珍しくもないことですが、このような嘘が通じると考えているのか、実際はほとんどが通じているが、たまたま表に出てしまったのか、どちらなのでしょうか。
人の言葉に裏表があるのは当然ともいえますが、この議員の場合はその範疇のものではなく、議会や市民を馬鹿にしているとしか見えません。あるいは、このような事が別に珍しいことでもないのだとすれば、地方議会のあり方というものを根本的に見直す機会があってもいいような気がしてしまいます。

もっとも、問題が多いのは地方議会ばかりでなく、国会議員の中にも、人格的な面だけで「勘弁してください」と言いたいような人物が散見されます。私たち外野席がそう思っても、「勘弁してやるものか」と居座る議員の多いことはご承知のとおりです。
彼らも、選挙戦を戦っており、国民の選別を突破しているのですから私たちにも弱みがあるわけですが、立候補する時点での各党の資格調査や、各選挙区などでの投票を得ていることを考えてみた場合、やはり、裏と表を見事に演じきったのか、あるいは、選挙という魔法の輪を通り抜けると、裏の顔が逞しくなってしまうためなのかもしれません。

『 裏を見せ 表を見せて 散るもみじ 』という句があります。
良寛さんの辞世の句のように紹介されることがありますが、良寛さんの最期を看取った貞心尼は、「師(良寛)自身の歌ではないが、師の心にかなう歌だ」と残しているので、良寛さんの歌ではないようですが、とても好きな言葉です。
良寛さんと言えば、「子供たちと日が暮れるのも忘れて手毬をついている」といった印象が強いのですが、その生涯は、世俗と仏の教えがせめぎ合うような、どろどろの生涯を送った一面も持ち合わせている人物なのです。
その良寛さんが、最期の時にあたって、この言葉を思い浮かべたのだとすれば、この句にいっそうの感慨が深まります。
私たちは、残念ながら、ついつい嘘をついてしまいます。誰にも見せることが出来ない「裏」の部分も抱えています。
しかし、いつの日にか、裏も表も見せる覚悟を育て上げたいものです。

( 2019.12.26 )

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とにもかくにも ・ 小さな小さな物語 ( 1267 )

2020-06-17 15:42:22 | 小さな小さな物語 第二十二部

昨日の午前中、当地は快晴でした。風もなく、体感的には実に穏やかな陽気でした。
毎年の習慣で、この時期にお墓参りをすることにしています。私宅のお墓は、公営のかなりの規模の墓地にありますが、昨日の午前中のかなり早い時間でしたが、墓参に来ている人がかなりおり、すでに新しいお花が飾られているお墓もちらほらありました。
習慣としてのお墓参りの人もあるでしょうし、特別な思いを抱いての墓参の人もいるのでしょうが、一年の一つの区切りとしてお墓に参っている人も結構いるような気がしました。

今年も残り少なくなりましたが、振り返ってみれば、社会的に何の影響もない出来事であっても、個人的には少なからぬダメージを受けることはあるものです。
台風や豪雨で大災害を受けた人たちにとっては、年の瀬の今もその傷を癒すには、まだまだ時間が足らないでしょうし、社会的に話題になることもない小さな事件や事故や不幸な出来事を受けた人にとっても、その悲しみの大きさや背負う物の重さは、年の瀬を迎えたところで大した役には立たないのでしょうが、お墓参りの人の中には、必死に語り合おうとしている人もいるかもしれません。

私個人は、最近は、年の瀬の墓参は一つの習慣的なものなのですが、それでも漠然とではありますが、一年を思い返す一瞬を体感できる場所のような気がします。
こうして、今年も年の瀬のお墓参りが出来たということは、無事に一年を過ごせたということなのかもしれません。しかし、考えてみれば、無事というには、そうそう平穏だったわけではなく、事故や事件に巻き込まれることはありませんが、悲しい別れを複数回経験した年でもありました。人の世の常とはいえ、悲しい別れは、こと我が身にふりかかれば、悟りの境地などというものに程遠いのはもちろんですが、そんな心境になどなりたくもないという気持ちにもなります。

今年は、わが国にとっては、お代替わりという大きな出来事がありました。『令和』という言葉も、すっかり馴染んだ気がします。
国際的には、紛争地域は軽減に向かう傾向が見えないようですし、大国どうしの軋轢はむしろ厳しさを増しています。
わが国を取り巻く環境も同様で、特に隣国との関係は史上最悪といわれるほどの状態で、首脳会談が実現したとはいえ、融和に向かう第一歩と考えるのは楽観過ぎるのではないでしょうか。
そうした難問や、個人的な鬱積を抱えながらも、平成から令和へと移った一年という時間は、何のゆるぎも見せることなく過ぎ去ろうとしています。
いろいろな事もあり、何かを得たという実感もないけれど、とにもかくにも一年を乗り越えて、歳末のお墓参りも出来たことを素直に感謝すべきことかもしれません。
今年も、今日を含めてあと三日。これといった予定のない三日間ですが、例年にない濃密な三日間になりそうな気がしています。

( 2019.12.29 )


 

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みずみずしい感性 ・ 小さな小さな物語 ( 1268 )

2020-06-17 15:40:53 | 小さな小さな物語 第二十二部

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
新しい年が皆様方にとりまして、良いお年でありますよう祈念申し上げます。

平成から令和へと移り変わるという、そうそう経験することのない元号の交替があり、それも、天皇の生前譲位という現在の日本人の誰もが経験したことのない大きな出来事は、多くの人に新鮮な経験を与えてくれたのではないでしょうか。
個々の問題は別にして、令和元年という年は、何か大きな意味を持つ年であったような気がします。

『 大和は 国の真秀ろば 畳なづく 青垣 山籠れる 大和し美し 』
これは、万葉集にあるヤマトタケルノミコト(日本武尊/倭建命)の歌です。
読みは、「やまとは くにのまほろば たたなづく あおかき やまごもれる やまとしうるわし」、歌意は、「大和は 国じゅうの中で最も美しい所だ 青い垣根のように 連なった山々に囲まれていて 大和はほんとうに美しい」といった感じです。
なお、参考書により漢字が違う場合がありますが、万葉集は万葉仮名と呼ばれる「文字の意味に関係なく音に漢字を当てたもの」で書かれていますので、どの漢字が正しいということはないと思われます。

新元号の『令和』が万葉集から引用されたということから、昨年は万葉集が注目を浴びました。
万葉集は膨大なうえに難解な文字も多く、本格的に学ぶのは簡単ではありませんが、一部分を紹介した参考書は沢山あります。
前記の歌は、万葉集の中で、私の最も好きな歌です。ヤマトタケルノミコトは、古代を代表する英雄の一人です。その悲劇的な生涯は感動的であり、同時に、実に美しい歌を残してくれています。
新年に当たって、このヤマトタケルノミコトの歌を読み返して、美しいものを美しいと感じ、悲ししいものを我が身の痛みと感じられるような、みずみずしい感性を少しでも身につけたいものと考えております。

( 2020.01.01 )

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