今、私たちの国はどちらに向かっているのでしょうか。
この数日、あるいはこの数か月、主として国会や政党や国会議員、さらにいえば地方政治にかかわる人などに関する情報を、新聞やテレビなどで見聞きする限り、わが国の未来に若干の不安を感じています。
国政や地方政治に関わる人たちが、厚顔無恥とでも表現せざるを得ないような事件が表面化するたびに、「大部分の人はまじめに任務を果たしており、これほどの事件を起こすのはごく一部の人間だ」といった論評を、時々目にします。特に、テレビのコメンテーターの中には、問題人物を厳しく糾弾した後、まるでアリバイ作りのように、このような言葉をまるで台詞のように付け加えるのです。
まあ、国会議員の全員が、あるいは、私たち国民が選出した政治の代表者たちの多くが、とんでもない事件を起こしたり、ケチ臭いごまかしをしてみたり、無知からだと思うのですが、常識外れの発言をするような人ばかりだとは思わないのですが、同時に、法的な白黒はともかく、表面化していない同類の人間も少なくないように思ってしまいます。
まだ二十歳未満の警察官が、先輩の警察官を拳銃で射殺するという悲惨な事件がありましたが、未成年に拳銃を持たせることの是非が話題になりました。政治家に対しても、年齢制限の他に国政なり地方政治なりに参画するための最低条件のような資格を定める方法が無いものでしょうか。
物事には優先順位があり、物事には軽重の差もあります。
しかし、これらの判断には個人差が大きいように思われます。
現在、北朝鮮をめぐる諸問題は大きく変動しています。わが国がカヤの外に置かれようとしているのかどうかはともかく、そうそう楽観視していいのかどうかもともかく、変わろうとしていることは事実のようです。しかし、世界中が一番の重大事として見ているかどうかとなれば、シリアの問題があり、イランに関する問題の方が遥かに重大と考える国家は少なくないでしょう。
それどころか、わが国のように、内政のゴタゴタしている問題の解明こそが一番大切だと考える人も少なくないというのも事実でしょう。
第二次世界大戦で壊滅的な状態になったわが国は、まさに不死鳥のように蘇りました。
特に経済面では、もしかすると世界NO.1も可能ではないかというほどの夢も描きました。その後、長期の停滞を余儀なくされ、個人生活面では、まだ回復軌道に戻らない状態です。
しかし、個人生活でいえば、全体的な基準としては、これ以上を望む方が無茶なのかもしれません。別の視点に立てば、これまでのような、アメリカの国力・軍事力の恩恵に頼り切ることでわが国が存在し続けることが可能なのかどうか、現実の問題として浮上してくる予感があります。
私たちの国はどちらに向かっているのか。世界中が激しく動いている中で、相変わらず、チマチマとした問題で右往左往している自分の国に悲しさを感じてしまいますが、もしかすると、それこそが平和である証拠なのかと考えたりもします。
ただ、それによって、わが国が明るい未来に向かっているとは思えないのですが。
( 2018.05.14 )