雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

運命紀行  誇り高きがゆえに

2012-01-26 08:00:03 | 運命紀行
       運命紀行

          誇り高きがゆえに


絶世の美女と言われ、和歌の上手と言われ、そして、誇り高き女性がいた。
複数の妻を持つのが普通の男社会である平安王朝の貴族社会を、胸を張り、凛として生きる女性がいた。
その人の名前は伝わっていない。私たちは、その女性を右大将道綱の母と呼ぶ。

彼女の父は、陸奥守藤原倫寧(トモヤス)。藤原北家の流れをくむが、いわゆる受領階級の中流貴族である。
十八歳の頃、藤原兼家の猛烈な求愛を受ける。
兼家は右大臣師輔の三男、上流貴族の御曹司であった。この頃は二十六歳の頃で、昇殿を許された歴とした殿上人であったが、長兄、次兄共健在で、上位の官職についていた。
都中に比類ないとまで噂される美貌の持ち主であり、教養豊かな彼女にとって、右大臣家の御曹司といえども十分満足できる相手ではなく難色を示すが、兼家のあまりにも熱心で強引な求愛にさすがの彼女も陥落する。

それは、単に兼家の熱心さに負けたということではなく、現在の官位はまだ低くとも、大きく羽ばたく才能の持ち主であることを感じ取ったからだと思われる。
実際に、長兄の早世、次兄との出世争いからの冷たい仕打ちを受けながらも、やがて、摂政関白太政大臣にまで上り詰め、宮廷を牛耳り、藤原氏全盛の基盤を作り上げていくのであるから、彼女の男性を見る目は確かだったといえる。
しかし、同時に、社会的に優れていることと家庭の幸せを築くこととは、いささかずれがあることは、いつの世も同じであるらしい。

二人が結ばれた時には、兼家にはすでに時姫という正妻がおり、将来関白となる道隆もすでに生まれていた。
翌年、彼女は道綱を生む。かけがえのない男児誕生であり、「道綱の母」の誕生でもある。
兼家の正妻時姫の出自も道綱の母と大差はなく、上流貴族が複数の妻を持つのが当然の時代、結婚当初は二人の地位に差はなかった。しかも、道綱の母には、口説き落とされての結婚という思いもあった。しかし、道綱という男児を儲けたとはいえ、その後の二人の立場は大きく差がついていった。時姫の子からは、道隆、道兼、そして道長と、平安王朝の絶頂期を築き上げる人物が登場していき、それに比べて、道綱の存在は遥かに影の薄いものになってしまったからである。
さらに、兼家には、次々と女性が現れ、道綱の母の心は千々に乱れる。

『 なげきつつひとりぬる世のあくるまは いかに久しきものとかは知る 』

これは、小倉百人一首に採録されている道綱の母の歌である。
この頃の、満たされぬ気持ちを詠んだものかと想像されるが、誇り高き彼女は、決して悲しみの中にうずもれてしまうようなことはなかった。
顔を上げて、凛として豊かな才能を筆に託して、その想いを書き綴っていった。
平安王朝文学の一角を担う、『蜻蛉日記』の誕生である。


     * * *

平安王朝を舞台にした物語などに登場する女房や姫たちは、その殆どが美人として描かれている。
美しい女房装束や、絢爛豪華な王朝絵巻を思い描くと、そこに登場する女性全てが美人のように錯覚してしまい、紫式部や清少納言さえ美人であったかのように思ってしまう。平安王朝文学を代表するこの二人の女性も、実はとてつもない美人だったのかもしれないが、その確証は何もない。

しかし、道綱の母は違う。
当時の公式な系図を示す書物の中に、「本朝第一美人三人内也」と書き残されているのである。つまり彼女は、正真正銘の美人だったのである。
また、歴史物語「大鏡」の中では、「この君きはめたる和歌の上手におはしければ」と評されている。現代人が好き勝手につけた評価ではなく、当時の書物に記録されているのだから、和歌の上手であったということも正真正銘の事なのである。

美人で才媛、そして、右大臣家の御曹子に見染められ、強引なまでにして口説き落とされて一緒になった男は、紛れもない俊才であった。紆余曲折はあったとしても太政大臣にまで上り詰めていき、一子道綱も、母を異にする兄弟たちに比べれば見劣りするとはいっても、右大将にまで昇り、母の死後ではあるが大納言の地位を得ているのであるから、客観的に見る限り、まずは順調な生涯であったかに見える。
しかし、道綱の母という女性は、容姿端麗な才媛に加え、誇り高い女性であった。それゆえに、誇り高きがゆえに、のうのうと与えられた生涯に満足することは出来なかった。

今日私たちは、『蜻蛉日記』の作者として道綱の母を知ることが多い。
この作品は、彼女が十八歳の頃から三十九歳の大晦日までの二十一年間の記録である。夫兼家との赤裸々な記録が中心になっていることから、彼女の夫に対する復讐の記録であると評する人もいるようだが、少し違う。
その内容は、確かに兼家に対する厳しい態度や時姫はじめ妻妾たちとの葛藤が中心になっているとはいえ、上流貴族との交流、旅先のこと、母の死や道綱の成長などにも触れている。
それに、作品の中には兼家の和歌が多数収められており、兼家の協力があったとさえ感じ取られる面もある。

いずれにしても、この『蜻蛉日記』は、紀貫之の「土佐日記」に始まる日記文学という一つのジャンルを生み出した重要な作品といえる。また、この時代の女流作家の多くが女房経験者であるのに対して、彼女にはその経験がなく、その意味でも異彩を放っている面があるのかもしれない。
そして、道綱の母が、平安王朝の正真正銘の美人才媛であることを認識した上でこの作品を読んでいくと、これまでとは少し違う何かを見つけ出すことが出来るかもしれない。

                                      ( 完 )
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小さな小さな物語  第六部

2012-01-25 10:55:47 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
        小さな小さな物語  第六部


         No.301 から No.360 までを収録しております。
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小さな小さな物語 ・ 目次

2012-01-25 10:54:01 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
     小さな小さな物語 目次 (No.301~320)

 No.301  すばらしい快挙
    302  やはり野に置け
    303  証拠隠滅
    304  もう節電は不要
    305  星たちの物語


    306  しゃれた言葉
    307  秋の気配
    308  何かが終わる
    309  お送りする心
    310  出会いの数だけの別れ


    311  遥か彼方のお話
    312  金高騰
    313  ラクダのコブ
    314  無い物ねだり
    315  新首相に期待したい


    316  自然災害と向き合う
    317  重陽の節句
    318  かぐや姫のふるさと
    319  長寿と高齢化の狭間
    320  おはぎとぼたもち
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すばらしい快挙 ・ 小さな小さな物語 ( 301 )

2012-01-25 10:53:15 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
「なでしこジャパン」の活躍満喫されましたか。
この数日間の報道は凄まじいものがありましたが、これにより女子サッカーがわが国においてもメジャースポーツになってくれればいいのにと願っています。
プロスポーツの世界で生活していくということは、どのスポーツでも簡単なことではないのでしょうが、私たちを魅了させてくれるスポーツ選手の多くが、経済面の理由から厳しい環境を強いられているようです。女子サッカー界もその一つのようです。
                                              

スポーツなんて趣味の延長線にあるものだ、なんて言ってしまえばその通りでしょうし、スポーツで米や麦が生産できるわけでもなく、石油が産出されるわけでもありません。
しかし、スポーツの振興の度合いが、その国の文化のレベルに比例するような関係にあることはよく言われることです。
中には、国策としてスポーツ強化に励み、非人道的な選手管理や国民生活を相当犠牲にする形で選手強化を計り、国威を示そうとした国家もありましたし、現在もあるでしょう。しかし、それも、本末転倒しているとはいえ、スポーツの強化が文化国家として評価を受ける手段だと認識しているからなのでしょう。


世界全体からみれば、プロであれアマであれ、スポーツをする人にとって、わが国はあらゆる環境面で恵まれている方だと思います。
ただ、今回の「なでしこジャパン」の快挙に、これだけ国を挙げて大騒ぎするのを見れば、国家を代表して戦う選手や指導者に対して、あるいは代表入りを目指す人たちに対して、国家あるいは社会としてもっともっと支援が必要だと感じました。
嫌な予感は的中するもので、「彼女らの頑張りを見習って自分も頑張りたい」などと、ブラックジョークだとしても質の悪い発言をされる指導者もいますが、そんな冗談はともかく、スポーツや文化の振興に国家として今少し資金を投入してもいいのではないでしょうか。


それにしても、アメリカとの決勝戦を見て感じたのは、やはり「奇跡」というものはあるのだということでした。
例えば、終了間近に「なでしこジャパン」が追いついたシュートです。宮間選手のコーナーキックを澤選手がシュートした場面ですが、おそらく二人の絶妙の呼吸の一致があり、おそらくボールに触れることがなかった何人かの選手の動きが相手選手の動きを牽制し、澤選手も狙っていたとはいえ、ここ以外ではゴールできないというスポットでボールを捕らえたシュートだったのではないでしょうか。
もし、全く同じ場面を再現できると仮定して、宮間選手のコーナーキックも今回と全く同じに蹴ったとして、果たして何回繰り返せばゴールできるのでしょうか。何千回、何万回やっても再現できないとすれば、それはもう奇跡の範疇なのではないでしょうか。
これも誰かと同じレベルの冗談と受け取られそうですが、もしかすると、案外、私たちも奇跡に近い出来事と接しながら生きているのかもしれません。「昨日、あそこで右に曲がらなかったとしたら・・・」何かが起こっていたのかもしれません。

( 2011.07.23 )
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やはり野に置け ・ 小さな小さな物語 ( 302 )

2012-01-25 10:52:17 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
あれは何という草なのでしょうね。
わが家の小さな庭の真ん中をうねるように土の道があるのですが、いったん雨になると、この部分は水路になってしまいます。梅雨が完全に開ける頃までは、この部分は湿りがちで所々苔が生えたりしていますし、雑草たちの憩いの場にもなっています。
その通路兼水路が側溝につながっている辺りに、三年ほど前から水辺などに生えている草がしっかりと根付いていたのです。きっと小鳥が運んできてくれた種が育ったのでしょう。


細い針金のような緑の茎(もしかすると葉かもしれません)を、放射線状というのですか、全方向に伸ばし、昨年には、太さは太い部分でも五ミリにもならない程ですが、長さは一メートルほどにもなり、その数は数百本はあるのです。決してオーバーではなく、切る時にざっと数えたのですが三百本より多かったと思います。
その前の年にも花を付けていたのですが、根元から切るごとに株が太り、昨年の秋には、その何百もの茎の中央あたりに一斉に花を付けたのです。薄茶色で決してきれいなものではないのですが、全体としてはなかなか壮観で、家人は褒めてくれませんでしたが、相当満足していたのです。


ただ、同時にある予感もありました。
大分前になりますが、私は雑草を一か所に集めて育てたことがあります。このブログで紹介させていただいた記憶がありますが、その時も、雑草といえども肥料をやって育てるときれいなものだと満足したのですが、翌年にあらゆるところから生え出してきて苦労した経験があるのです。
今回も、これだけ見事な花の数なので、相当広い範囲に種が飛ぶのではないかということです。
期待通りといいますか、懸念通りといいますか、その周辺はもちろん、花壇といわず菜園といわず、煉瓦の隙間からでも顔を出してきました。一本の針金のようにすっと伸びて、小さいうちから花のようなものを付けていて、抜くのは極めて簡単なのですが、その数たるや心配した通りのものでした。


「やはり野に置け蓮華草」と先人が詠んだのは、こんな状態を指したものではなく、もっと生々しい背景があるようですが、やはり、野にある花や草は、野にあってこそ輝くのでしょうね。
それは、何も蓮華草に限ったことではなく、私たち人間とて同じことだと思われます。人間の能力は決して同等などではなく、やはりそれぞれに身を置く場所があると思われます。努力や成長ということもありますが、人たるものそこそこ飯を食った後には、己の置き場所を自覚したいものですね。
ただ、これが、他人のことはよく分かるのですが、自分のこととなりますとねぇ・・・。

( 2011.07.26 )
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証拠隠滅 ・ 小さな小さな物語 ( 303 )

2012-01-25 10:51:25 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
中国で大きな鉄道事故が発生しました。
事故により亡くなられました多くの方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また、負傷された方々も多数にのぼると報じられています。一日も早いご回復をお祈りいたしますとともに、ご家族の方、ご遺族の方々にお見舞い申し上げます。


さて、事故直後の映像がわが国のテレビなどで早々に伝えられましたが、事故状況の映像もさることながら、線路橋から地面に縦になっている車両をそのまま押し倒した映像には驚きました。まあ、事故車両を地面に下ろす方法としては、最も手っ取り早くて合理的な方法かもしれませんが、私たちには乱暴に過ぎるように見えました。
しかも、そのあとすぐに、車両の一部が重機で砕かれ、土に埋められたといいます。その作業工程の中で、二歳の子供が生存しているのが発見されたということですから、何とも凄まじい話です。
国民性や文化の差というものがありますので、私たちがあまり無責任な意見を述べるのはどうかとも思いますが、さすがに中国の一般の人たちにとっても乱暴すぎる事故処理だったようで、被害者家族や報道機関などから、「証拠隠滅」のための行動だと非難の声が大きくなり、政府首脳も対策に乗り出したようです。


他国のこととはいえ、多くの外国人が利用することもある鉄道であり、隣国の人たちのためにも安全な鉄道システムが構築されるよう訴えることは必要なことだと思います。わが国などもその典型ですが、一国の不条理は、なかなか国内の知性や道徳だけでは解決されないことも事実なのでしょう。
それにしても、わが国のこの数日のテレビ報道はどうなのでしょう。新聞なども同様のようですがあまり多くを見ていませんのでテレビに限定しますが、中国の鉄道事故に対して、「証拠隠滅」「証拠隠滅」と、下手な選挙運動のように連呼しているように見えてしまうのが少し情けないのです。


隣国の大事故を無視するのも良くないことですが、そのため福島第一原発の事故報道は手抜きされていませんか。かの国の「証拠隠滅」を指弾するのもいいことかもしれませんが、わが国の「証拠隠滅」の追及は甘すぎるのではありませんか。
かの国の有力報道機関は当局の意向に従った報道しか出来ない、などと蘊蓄を述べられているテレビ解説者を数人見ましたが、福島の原発発生後の、それも一か月以上にわたって、政府も含むいわゆる当局者の発表データーをそのまままことしやかに伝えていたのではありませんか。あのデーター正しかったのですか。かの国の今回の事故に対する「証拠隠滅」が少々乱暴すぎ、わが国の「証拠隠滅」が少々巧妙だっただけではないのですか。
福島の原発事故発生後、せめて三月中の関連ニュースや解説報道について、歪められた当局の発表データーを妄信していたり、意図的であれ無知であるからであれ、明確に誤った報道がなされていなかったかどうか検証すべきではないでしょうか。
まあ、自助能力を苦手としている私たちですから、外国機関からの圧力でもかからない限り無理なのでしょうが。

( 2011.07.29 )
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もう節電は不要 ・ 小さな小さな物語 ( 304 )

2012-01-25 10:50:21 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
東日本大地震の後、私はいち早く節電を呼び掛けました。私の居住地は関西電力管内なので、当時は直接的に電力不足の心配はなく、節電は全く無駄なことで景気の足を引っ張る悪い行為だとの意見も少なくありませんでした。
しかし、関東であれだけ厳しい電力不足の状態が起きれば、他の地域で影響が出ないなど考えられません。東西で周波数の違いなどあるとしても、わが国の電力生産の主力が火力であり、ついで原子力である実情からすれば、電力不足はわが国全体のものになると考えたからです。しかし、それは、せいぜい半年ほどのことだと思っていたのです。


しかし、私は宗旨変えをいたしました。「節電は不要」を主張することにしました。
現在、関西電力管内でも節電の呼び掛けがなされています。電力会社から要請が出され、さらに政府からも出されました。しかも、その節電要請の量に差があるのです。どうしろというのでしょうね。
まあ、その程度の行き違いは今更驚きませんが、どうも、節電節電という声ばかりが大きく、供給源の確保に真剣でないように思われてなりません。それが気に入らないのです。


もっとも、私が気に入ろうが気に入らなかろうが別にどうでもいいことでしょうが、節電の大騒ぎの中で失われていっているものを承知の上での大騒ぎなのでしょうか。
熱中症などの健康被害は承知の上なのでしょうが、この間に、企業の流出、あるいは新規設備の見送りが発生していることも承知の上のことなのでしょうか。円高、原発事故、風評被害、政治不安、そして電力の供給まで心配があるとすれば、少し力のある企業であれば海外展開を考えるのは当然のことだと思います。
出て行きたい企業は出て行けばよいという、まことに勇ましい意見を述べられる人もいるそうですが、それは、わが国が貴重な雇用の場を失っていることを承知したうえでの発言なのでしょうか。
政府は、この四か月余りで、節電により私たちがどれだけの雇用の場を失ったのか公表して欲しいものです。まさか、調査していないなんて言うのではないでしょうね。


今、わが国がしなくてはならない重要事項の一つは、有り余るほどの電力の供給源を揃えることなのです。節電節電の大騒ぎなど、せいぜい三か月ほどで十分なのです。
官民がその気になれば、電力供給源など十分すぎるほどあります。節電を叫ぶより、稼働可能な電力供給源を全て戦力に加えるべきなのです。
もし、このまま、一年なり二年なりを節電で対処していけば、それ以上に今の状態のままでわが国の電力需要が落ち着いたとすれば、わが国の若い人たちの良質な労働市場は大幅に減少することでしょう。二、三年経ってから、電力は十分ありますといっても、失われた雇用機会は戻ってきたりはしないのです。
莫大な借金を次世代に残すななどと、出来もしないことを唱えるのも結構ですが、次世代の雇用機会を流出させるような愚だけは、今すぐ止めなくてはなりません。
そのためには、節電節電と叫ぶより、電気をもっとよこせと叫びましょう。

( 2011.08.01 )
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星たちの物語 ・ 小さな小さな物語 ( 305 )

2012-01-25 10:49:28 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
お天気さえ良ければ、夜の九時頃に空を見上げますと天頂近くの辺りに三つの明るい星が見えます。
「夏の大三角」と呼ばれる三つの一等星が輝いているのが、節電とやらのお陰もあって、都心部からでも見えるかもしれません。
この三つの星は、最も明るいものがこと座の「ベガ」で、あとの二つは、わし座の「アルタイル」と、はくちょう座の「デネブ」です。そしてこのうちの、「ベガ」とは「織姫星」のことであり「アルタイル」とは「牽牛星」のことです。


七夕伝説はわが国に残る伝説の中でもきわめて古い歴史を有しています。行事などは中国から伝えられたものが主体になっているようですが、わが国固有の言い伝えなども入り込んで、今日でも様々な形の地域性を持った行事や伝説となって語り継がれているようです。
因みに、ごく一般的な七夕伝説を復習してみますと、
「織姫は天帝の娘で、機織りに秀でたよく働く娘でした。牽牛もよく働く牛飼いでした。天帝は二人の結婚を許し、幸せな夫婦生活が始まりました。ところが、新婚生活があまりにも幸せなため、織姫は機を織らなくなり、牽牛は牛の世話をしなくなってしまいました。
天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離してしまいました。ただ、さすがにあまりにも憐れと思われたのか、一年に一度だけ、七月七日に逢うことを許されました。
この日になると、どこかからカササギがやってきて、天の川に橋を渡してくれるのです。しかし、天候が悪いと橋を渡ることが出来ず、その年は逢うことが出来ないのです。七月七日に降る雨は、織姫と牽牛が流す涙だそうです・・・」


天の川の両岸に二人を引き離したなどと簡単にいいますが、天の川の川幅は十万光年ほどあるそうですから、それほど近い距離ではありません。その川に橋を架けるカササギは、どれほど巨大な鳥なのでしょうか。
つつましやかで働き者の織姫と牽牛が、満たされた生活を得るとともに働かなくなってしまうなんて、天上も人間社会も案外近いような気もします。


都心を少し離れますと、わが国の空にもまだまだ星空が残っています。
八月六日は旧暦の七夕にあたります。星座を見つけたりするのは、私のような素人の方は難しいでしょうが、夏の一時を星たちの瞬きを見つめ、星たちの物語に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。
そう、織姫と牽牛の姿を求め、十万光年の幅を持つという天の川などを見つめながら・・・。

( 2011.08.04 )
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しゃれた言葉 ・ 小さな小さな物語 ( 306 )

2012-01-25 10:48:22 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
先日、カラオケに行く機会がありました。
古くからの親しい仲間で食事をした後のことでした。残念ながら私は歌うのが苦手で、もっぱら聞き役なのですが、親しい仲間でのカラオケボックスというのは嫌いじゃないんです。今回も楽しいひとときを送ることが出来ました。


同年代の仲間なので、選曲される歌の多くは聞いたことのあるものなのですが、これもいつも思うことなのですが、歌い手のすばらしさはともかくとして、それぞれの歌には実にすばらしい言葉があるということです。つまり、「しゃれた言葉」が、あちらこちらにちりばめられているのです。
私は小説を読むことが好きなのですが、時々、「この作者はこの言葉を言いたいためにこの作品を書いたんだな」と思うことがあります。長々と書き連ねた文字よりも、たった一フレーズの言葉が勝ってしまうことを経験することがよくあります。


文章を書くことも好きな私も、「しゃれた言葉」を求めています。ただ、これがなかなか簡単ではないのです。
考えてみますと、「しゃれた言葉」などと言っても、実はどうってこともない言葉だともいえます。私は文章を書く時、何かにつけ「広辞苑」のお世話になっているのですが、「しゃれた言葉」だと思われるものは、特別な造語や擬音語を除けば、ほぼすべてここに収録されている言葉なのです。
逆に言えば、「広辞苑」をマスターすれば「しゃれた言葉」を自由自在に操れるかといいますと、残念ながらことはそれほど簡単ではないようです。


例えば、演歌などによく登場する「あなた」という言葉があります。ある曲の中では、この言葉が強烈な印象を放ち、何とも切なく訴えてくることがあります。その時の「あなた」は、紛れもなく「しゃれた言葉」なのですが、「あなた」そのものが「しゃれた言葉」でも何でもないのです。
つまり、主役が引き立つためには多くの名脇役が必要なように、孤立した一つの言葉だけで「しゃれた言葉」になることはないように思われます。
しかし、私はなお、小さくともきらりと光る言葉、そういうものがあるのではないかと探し求めています。ただ、もしあるとしても、そのような言葉は、それを使いこなせる人のもとにのみやって来るらしいことも、薄々は感じているんですが・・・。

( 2011.08.07 )
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秋の気配 ・ 小さな小さな物語 ( 307 )

2012-01-25 10:47:33 | 小さな小さな物語 第五部~第八部
『秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる』
八月八日が立秋でしたから、よく使われる言葉ですが、「暦の上では秋になりました」という季節になったわけです。「どの辺が秋だ」と言いながら、時候の挨拶では律儀に「残暑お見舞い」としているのですから、私たちは何とも微妙で不思議な感性を持つ民族なのかもしれません。


文頭の和歌は、古今和歌集にある藤原敏行のものですが、よく知られており現在でも季節を紹介する記事などによく引用されるものです。
作者がこの和歌をいつ詠んだのかは知らないのですが、おそらく立秋直後のことではないのでしょうか。
「秋の気配など目には見えないが、風の音に秋の訪れを感じた」といった感慨を詠んだものなのでしょうが、現在の私たちには、昨日や今日の風の音で秋の気配を感じるのは無理なようです。


そもそも、立秋に限らず、立春、立夏、立冬ともに、実際の季節感とは少々乖離があるように思われます。
これは全くの私見なのですが、立秋などが季節感と無理がある原因の一つは、春夏秋冬それぞれの期間を同一の長さとしたことにあるように思うのです。春も四か月、夏も四か月といった具合に、季節は正確に移りゆくものなのでしょうか・・・。などと、大変な発見をしたような気持ちになりながら、念のために自分の周辺に秋の気配を感じさせるものがないかどうか見渡してみました。
すると、何と、はっきりと感じさせるものがあったのです。


二、三日前から、ウォーキング中に蝉の死骸を見ることが増えているのです。
少し木がある所では、依然衰えを見せない蝉時雨ですが、あちらこちらで蝉の死骸が落ちているのです。確か昨年の場合も、立秋の頃から見かけられるようになったと記憶しています。
私たちには感じられにくい季節の変化を、懸命に最後の時を生きた彼らには感じ取れる何かがあるのかもしれません。


わが家の庭では、今朝までのところでは蝉の死骸を見ていません。蝉の行動範囲がどのくらいなのか知りませんが、わが家の小さな庭のあちこちに残されていた脱け殻を考えると、同じ程度の数の死骸がこの庭に残されることでしょう。
何年の生涯だったのかも知りませんが、最後の一時を力いっぱい鳴いてくれた蝉の死骸を集めることが、自然が私に与えてくれる秋の気配なのかもしれません。

( 2011.08.10 )
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