麗しの枕草子物語
清水に詣でる
正月に寺に籠る時などは、雪がちで厳しい寒さに凍えるほどなのがいいですわね。変に温かく、雨が降り出しそうなのはどうもいけません。
さて、清水寺に籠るとて、本堂の外陣に個室を作ってもらうために呉橋のたもとに牛車を止めていますと、左肩だけを覆う衣姿の若い法師たちが、足駄というそうですが、とても歯の高い下駄を履いていて、とても急なそり橋になっている呉橋を、お経などを誦しながら、足元など全く気にもしないでひょいひょいと歩く姿は、場所柄につけとても趣のあるものです。
ところがですよ、いざ私たちがその橋を渡るとなりますと、とてもとてもそうは簡単に歩けるものではありません。端っこに寄って、手すりにすがりつくようにしてよろよろと進むのが、先ほどの法師の姿を考えると、我ながら可笑しくなってしまいます。
お部屋が用意できた旨の案内がありますと、従者たちが履物などを用意して参詣人たちを牛車から降ろし、一斉に本堂に向かいます。
まずそり橋を渡るわけですから、長い裾をまくり上げていたり、はではでしく着飾っている人もあり、履物も様々で、廊下などはまるで宮中のように裾を引きずって、皆が先を急いでいる姿はとても可笑しい。
「そのあたりは低くなっております」「一段高くなっております」などと、女主人にぴったりと付き従っている従者が、我先に追い抜いていこうとする人たちに、「少しお待ちなさい。高貴なお方がおいでなのですよ。わきまえてください」などと注意を与えていますが、その言葉に少し遠慮する人もいますが、気にもとめないで、「何としても自分が最初に御仏の御前に」と思って先を急ぐ人もおります。
ようやく本堂に辿り着き、用意されている部屋まで行くときも、ずらりと座っている人たちの前を通って行くのは実に嫌なものですが、外陣と内陣を区切っている犬防ぎの内側を覗き見ますと、常燈とは別にたくさんの燈明が供えられていて、ご本尊が目が眩むほどにきらきらと輝いていて、阿闍梨たちが願文を読み上げ経を唱えてる声が一段とありがたい気持ちを高めてくれるのです。
「ああ、どうして何か月もお参りに来なかったのだろう」とつくづく反省させられます。
この後、お籠りとなるのですが、ご本尊を一目見ただけで信仰心は高まってくるものなのですよ。
(第百十五段・正月に寺に籠りたるは、より)