『 異例の解散宣言 』
石破新総裁は 党役員人事を固め
閣僚人事も ほぼ固まったようだ
人事については 側近重用とか 旧派閥の影響とか
長老の影とか 早くも 様々な声があるが
それは毎度のことで
プチ政権交代を思わせる 石破政権とて
自民党の枠を 飛び出せるわけではあるまい
要は 迫力ある内閣として 機能するかどうかだと思う
そして まだ首班指名も受けていない段階で
具体的な解散宣言がなされたのには 驚いた
異例の決断が さて さて どういう結果を生むのだろうか
☆☆☆
『 兵庫県知事選挙 』
兵庫県は 現職知事の失職により選挙が行われる
まだ 日程は固まっていないが 11月になりそう
立候補者名も チラチラ噂されるようになった
今度は しっかりとした判断を示す責任がある
兵庫県民の一人としては・・・
☆☆☆
『 絶好調 大谷サーン!! 』
絶好調の大谷翔平選手 今日も本塁打・盗塁を加え
「54-57」に達した
この10試合の成績は まるで
野球の神様が 乗り移ったのかと思わせる
残り試合はあと2試合 その後プレーオフが待っているが
今 私たちは 凄い光景を見せていただいていることになる
感謝 感謝 そして あと2試合も頑張って下さい!!
☆☆☆
『 中関白家の悲哀 ・ 望月の宴 ( 121 ) 』
彰子中宮に若宮(敦成親王)が誕生なさったことは、道長殿にとっては、まことに待望の慶事でございました。ご出産にあたっての様々な御祈りや、御誕生後の御行事のどれもこれも、先例を見ないほどの豪華にして御心を尽くされたのも当然のことと申されましょう。
しかも、この慶事は、道長殿にとりまして、また彰子中宮にとりましても、さらなる御繁栄への始まりでもありました。
さて、若宮(敦成親王)のまことに際立った美しさは、山の端からさし昇った望月などのようでいらっしゃるのを、帥殿(ソチドノ・故道隆の子、伊周。故定子皇后の兄。)の一門の人々は、胸がつぶれんばかりに大変な事だとお思いになって、人知れず長年御心の内で描いていた事どもも、すっかり当てが外れてしまったように思われ、
「やはり、この世においては、世間から物笑いにされて終る身であったようだ。まことに情けないことだ。思いがけなくすばらしい夢など見て(定子が敦康親王を儲けたこと)からは、これから先は望みをかけたが、『異なることなき人の例の果て見て(格別な事のない人でも、最後まで見て初めて平凡であったかどうか分る・・当時の諺か?)』などと世間では言っているのだから、いくらなんでもと、そのまま精進や斎戒で過ごし、ひたすら仏神をお頼みしてきたが、今となってはこれまでの定めであるらしい」と、御心の内で嘆かれるお気持ちになられ、「あてにもならない事に頼みをかけて世を過ごすのは、たいそう見苦しいことなど出てきて、いよいよ生きがいのない有様に追込まれるに違いない。どうしたものか」などと、御叔父の明順、道順(アキノブ、ミチノブ・高階氏。伊周の母方の叔父。)らに相談なさる。
「たしかに世の有様は、おっしゃる通りです。そうだといって、ほかにどうすることが出来ましょうか。ただ御命だけご無事であるようにと、その事だけをお頼みしていくしかありません」などと、しみじみとしたあれこれを涙ながらに申し上げるので、帥殿も、「こうして、何することなく罪業を積み重ねていくというのも、全くつまらないことであろう。物の因果の道理を知らない身でもないのだから、何事を期待しているのかと思うと、たいそう虚しいことだ。やはり、今となっては出家して、しばらく修行して、せめて後世の安楽を願うことにしようと思うにつけても、一途に発起した道心でもないので、山林に住んで経を読み修行をしても、俗世の事などを忘れてしまえそうもない。そのように様々な俗縁にまつわれながら、念誦や読経を行っても何の甲斐があるのだろうかと思うと、まだ、とても決心がつかないのだ」などと言い続けられる。たいそういたわしいことである。
中納言(伊周の弟、隆家。)、僧都の君(同じく、隆円)なども、世の中に対しては同じ思いではあるが、それほど深くお考えにならず、気軽そうに見受けられる。
この殿(伊周)だけは、万事において世の流れに絶えず心を痛められているご不運なので、いっそうおいたわしいことである。
☆ ☆ ☆
『 石破茂氏が自民党新総裁に 』
自民党総裁選挙は 接戦の上
決選投票で 石破茂氏が逆転勝利した
苦節の時を経ての勝利だけに 感慨やいかに・・
決選投票で 議員の方々は
A・B・Cの どのパターンで行動したのか興味深いが
戦い済んだ後は しこりが気になる
伝えられているところによれば
石破茂氏には 党内主流から長く離れていることや
人間関係構築に難があるとも 複数の人が述べている
ここはぜひ それを逆手にとって
挙党一致に近い態勢を 築いて欲しいと願う
☆☆☆
『 ドジャース 踏ん張る 』
ドジャースは パドレスに勝利して
地区優勝に 大手をかけた
今日負けていたら
地区優勝に 黄信号が点灯するところだった
大谷選手は 盗塁を56に伸ばしたが
今日は それ以上に
勝利に貢献する打撃が 目立った
彼の大目標の一つである 地区優勝を
明日にも 実現させて欲しい
☆☆☆
『 自民党総裁選挙 なお混沌 』
自民党総裁選挙は 27日の投開票に向けて
激しさを増しており 情勢はなお混沌
党員票は ほぼ投票が終っている状態で
残りは 議員票の引っ張り合いだ
様々な予想が出ているが
決選投票になるのは ほぼ確実で
おそらく 水面下では
すでに 決選投票の票読みも 終盤なのだろう
どなたがなろうと 男性であろうと女性であろうと
ベテランであろうと 若手であろうと
総理大臣としては 新米なのだから
党を挙げて支援し 国民も辛抱強く
成長を期待すべきでは ないだろうか
☆☆☆
『 涙 川 』
流れいづる 方だに見えぬ 涙川
沖ひむときや 底は知られむ
作者 都 良香
( 巻第十 物名 NO.466 )
ながれいづる かただにみえぬ なみだがわ
おきひむときや そこはしられむ
* 歌意は、「 流れ出ている 源さえ分らないほどの 涙川だが 川の奥底まで干上がったときには その深さが分るだろうか 」といったもので、恋歌なのでしょう。
この歌の題名には、「おき火」とあり、『物名』に編集されています。『巻第十 物名』に入っている歌全部に言えることですが、「おき火」を詠み込む為に作られたものなのか、偶然その文字が詠み込まれていたかによって歌の持つ意味は大きく変ってきます。本歌の場合も、同様です。
* 作者の都良香(ミヤコノヨシカ・834 - 879 )は、平安時代前期の文人・貴族です。
都という姓は、伝来されたものではなく、良香の父である桑原貞継が、822 年に、兄など共に改姓したものです。
桑原一族は、地方官と中央官を務めるような豪族だったようですが、貞継の父桑原秋成は貴族とされる従五位下まで上りましたが、外位(外従五位下)としてで、内位である中央貴族と明確に区別されたようです。
改姓を願い出たのには、このあたりの事情もあったと推定されますが、それにしても、「都」というのは思い切った姓を選んだものです。
その貞継も、やはり従五位下に上ったときは「外位」としてで、後ろ指を指されない貴族である「内位」の従五位下に叙されるまでに四年の年月を要しているのです。
もちろん、その格差を克服するのには、四年の年月だけではなく、その能力が認められたということであり、旧儀に大変通じていたと伝えられています。
* 良香が誕生した時は、すでに都姓になっていましたが、改姓したからと言って、そうそう条件が良くなるわけではなかったでしょう。ただ、父もそうだったようですが、良香はたいそう学才に優れていたようです。
860 年、文章生に補され、文章得業生(成績優秀な者二名が選ばれ、官吏登用のための試験の受験候補とした。)となり、869 年に対策(官吏登用試験)に及第、870 年に少内記(中務省の官吏。正七位上相当か?)に任官しています。
そして、注目すべきは、一年遅れて 870 年に対策を受験した菅原道真の問答博士を良香が勤めているのです。後に学問の神様と尊敬されることになる道真は、良香より十一歳ほど下ですから、さすがにその俊才ぶりが窺えますが、道真も少内記を経験し、従五位下に上ったのが、良香が 872 年で道真が 874 年で、従五位上に上ったのが道真が 879 年 1 月ですが、この年の 2 月に良香は亡くなりました。
年齢に大きな差はあるとはいえ、二人が官吏となってから十年ほどの間は、官吏としての実務能力は互角に近かったのではないでしょうか。家柄が重視されるこの時代、比較するさえ無意味なほどのハンディを背負いながら、あの道真と互角に近い能力を示した良香は、もっと評価されるべきのように思うのです。
ただ、政治力ということでは雲泥の差があったのでしょうか、この後、道真は目覚ましい昇進を遂げ右大臣にまで上り、やがて政争に巻き込まれ、数奇な生涯をたどることになります。
* さて、良香は、872 年に従五位下大内記に叙任され、貴族の仲間入りを果たします。父たちの願いが叶い、「外位」を付けられることはありませんでした。そして、875 年からは文書博士(大学寮の教官)を兼ねました。
漢詩漢文に優れ、詔勅・官符(カンプ・公文書)や対策の設問などを起草しました。漢詩は「和漢朗詠集」や「新撰朗詠集」に採録されており、各種の伝承も記録しており、富士登山の記録も残されているそうです。
* 871 年より編纂の始まった「日本文徳天皇実録」(六国史の第五にあたる歴史書)にも関与しましたが、完成直前の 879 年 2 月に死去しました。「日本文徳天皇実録」が完成したのは、その年の 11 月のことでした。
良香の四十五年の生涯(行年は四十六歳)は、当時の平均的な寿命から見れば、極めて短命ということではないのでしょうが、豊かな才能を開ききるには、短すぎたような気がしてなりません。
特に、政治家として昇進を重ねる菅原道真に対して、学問の道を歩き続けたであろう都良香の姿をせめてあと十年でも見せて欲しかったと思うのです。
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『 上川外務大臣はニューヨークへ 』
目下 自民党総裁選挙の 真っ最中だが
上川外務大臣は 国連総会に出席している
岸田首相も 米国から帰国中だ
日本人学校の生徒が 刺殺されるという事件があり
領空や領海を 侵犯される事件も 起きている
国内でも 能登の豪雨は 深刻な被害をもたらしている
自民党総裁選挙の最中だとは言え 政務に抜かりはないだろうが
政権与党としては 選挙期間が長すぎるような気がする
いろいろ 思惑もあるのだろうが・・
☆☆☆
『 能登豪雨 被害拡大 』
能登半島の豪雨の被害が 拡大している
年初の能登半島地震の 復旧工事中でもあり
被害を さらに大きくしているようだ
テレビ報道を見ると ただ 唖然としてしまうばかりだ
仮設住宅が浸水するなど ひとこと言いたい気もするが
復旧を急ぐあまりの 次善の策だったのだろう・・・
自民党総裁選挙でも 災害対策も語られているが
理想論ではなく いま出来ることを
手厚く行うべきだと 切に願う
☆☆☆