麗しの枕草子物語
還暦過ぎた童子
やんごとなきあたりの方々のお話で恐縮なのですが・・・
花山天皇が春宮であられました頃、春宮傅兼明親王という方がおいでになられました。
この御方は、花山天皇の祖父村上天皇の異母弟にあたる御方でございますが、十九歳の頃に源氏として臣籍に降りられました。そして、六十四歳の時に親王宣下を蒙り、皇族に復籍されました。
皇子が親王宣下を蒙るのは、乳児か幼少期であるのが普通ですから、六十四歳にしての親王宣下は極めて異例といえましょう。
さて、花山天皇が御即位されて間もないことなのでしょう。
さる上臈女房が、まだあどけなさを残している天皇に、五寸くらいの大きさの、とても可愛らしい殿上童の人形を作って、髪はみづらに結い、立派な装束を付けて献上なさいましたが、そこには、「ともあきら親王」と書かれていました。
「兼明(カネアキ)」は、「ともあきら」とも読めますので、六十四歳でまるで童のように親王宣下を受けられた兼明親王のことをユーモアたっぷりに表現されたのでしょうが、天皇は、一目見てその事を察し、大喜びされたそうでございます。
(第百七十五段・みあれの宣旨の、より)