雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

遅い春   第九回

2010-12-26 08:12:47 | 遅い春
         ( 9 )

翌日は土曜日で、牧村の会社は休みであった。
牧村はいつも出勤する時間に見舞いのため桜木家を訪れたが、志織は昨夜のうちに入院していた。
この日は桜木製作所は営業日にあたっているが、桜木社長は在宅していた。おそらく牧村の訪問を予期して、出社を見合わせていたようだ。

緊張している牧村に対して、桜木社長は落ちついた表情で応対し、昨日のことを責めるようなことはなかった。しかし、同時に、今後は絶対に志織と会わないようにしてほしいと申し渡された。
牧村も昨日の行動が軽率であったことを詫び、幾つかの釈明と反論もしたが、とても互角に話し合えるものではなかった。

桜木社長の話の内容は、これまでの牧村と志織のことを責めるつもりはなく、親切にしてもらったことに感謝しているが、志織には近々のうちに正式に結納を交わす相手が決まっているので、世間の目もあることだから、今後は絶対に会わないようにしてくれ、というものであった。
それが真実かどうか確認しようがなかったが、牧村には辛い話であった。

数日後、牧村は支店長に呼ばれた。予期した通り、志織に関することであった。
支店長は、志織との関係について、やましいことはないかと詰問した。男女のことに関して、何をもってやましいというのかと心中は煮えたぎる思いであったが、牧村の口から出た言葉は、「決してやましいことなどありません」というものであった。
志織とのことは、いくら重要な取引先だとしても、勤務時間中に明らかにプライベートな感情で会っていたことは事実であり、やはり牧村には負い目となっていた。

しかし牧村は、この時のことを思い出すたびに、もっと正々堂々とした応対が出来なかったのかと自己嫌悪に陥った。志織とのことを上司と論争しても詮無いことではあるが、「やましいことはない」と答えたのは、やましいような行いはないという意味ではなく、何事もなかったという意味で使ったように思い出された。
それは、いかにも未熟な男の照れから来たものなのか、それともサラリーマンとしての保身のための防衛本能のようなものが働いたのか分からなかったが、牧村の心にいつまでも疼き続ける傷となった。

支店長からの注意を受けたあと、牧村は桜木家からの担当を外された。桜木社長からの強い要請があった時から覚悟していることではあった。
桜木家の担当を同僚に引き継いだが、後任者は会社の事務所を訪問することになったので、自宅の情報は入らなくなった。
もちろん牧村も、直接桜木家を訪れせめて志織の状態を知ろうと試みたが正確なことを知ることが出来なかった。これまでに何度か顔を合わせたことがある通いのお手伝いさんの話では、志織はすでに最初の病院は退院していて、現在は伊豆の方で療養を続けているとのことであった。恵子さんも一緒らしかったが、それ以上のことは分からなかった。
そのお手伝いさんが特別に口止めされているということではなく、本当に詳しいことを知らないらしく、「普通の生活をされていますよ」という言葉を信じるしかなかった。

そして、牧村は、年が明けるとすぐに転勤の辞令を受けた。東北地方の日本海に面した都市にある支店への転勤であった。
牧村の会社では、定例の人事異動の他に小さな人事異動はほぼ毎月のように行われているが、着任して一年足らずでの転勤は異常なもので、牧村を東京から離れさせるための辞令であることは明らかであった。あるいは、具体的には何も示されなかったが、重要取引先とトラブルを起こしたことに対する懲罰的な意味も含められていたのかもしれない。

     **

牧村は東京を去った。
牧村の家は父の代に東京に移ってきたのだが、数年前に両親はその故郷の方へ戻っていて、とても江戸っ子などとはいえない育ちであるが、牧村にとっては、東京は生まれ育った街であった。この会社に就職したうえは、いつか東京を離れる時が来るとは考えていたが、何とも納得しがたい転勤であり、都落ちという言葉が身にしみる思いであった。

転勤直後は休日を利用して再三東京に戻り志織の消息を求めたが、正確な情報を掴むことは出来なかった。
桜木家へ直接照会すればある程度のことは教えてもらえるかもしれないが、桜木社長との話を考えれば出来るわけがなく、志織に結婚の話が具体化していることが本当であれば、下手な行動は志織自身に迷惑をかける恐れもあった。
さらに、同僚などを介しての情報も、牧村に見栄のようなものもあって、期待したような情報を得るほどの行動はとれなかった。

牧村は鬱々と日を過ごした。退職することもかなり真剣に考えたが、この会社にいることが志織との繋がりを残しておける数少ない手段だと思うと決断することも出来なかった。
それにしても、あの時、何が起こったのだろうか。
牧村は、性急に志織を公園に連れて行ったことを後悔しながらも、あの時の志織の急変を理解することが出来ていなかった。雲の多い夕方とはいえ直射日光を浴びたことが悪かったのか、あの距離を歩かせたことが影響したのか、あるいは、公園で出会った男たちに何らかの接点があったのか・・・。

公園に連れて行くという念願を果たした満足感とその後の志織の急変は、幾つかの可能性を追求してみても、どれも牧村を納得させることが出来なかった。
あの時の本当の原因を解明したいという気持ちも小さくなかったが、本当に志織に確認したいことはそのことではなかった。
それは、激しく震えていた志織を抱きしめた時の、あのすがるような瞳は何を訴えようとしていたのかということであった。あの時、志織の力になれると思ったのは、単なる自分の独り善がりに過ぎなかったのか、それを確認したかったのである。

牧村の志織を想う気持ちは、遠い距離を隔てることでなお増していったが、仕事に埋没してしまう時間も少しずつ増えていった。
ふと、そんな自分の姿に気が着いた時、牧村は、志織との再会などもう実現することなどありえないのだという絶望感に襲われた。そして、揺らぎを見せている自分の弱気を責めながらも、深まる絶望感を払拭することが出来ない一番の理由は、志織から何の便りもないことであった。

その後の志織の病状については何も確かめることが出来ていなかったが、桜木社長の動向については何度か聞く機会があり、特別な変化がないことから少なくとも志織は小康を保ち、転地療養を続けているものと想像していた。それであれば、もし社長から禁じられていたとしても、何らかの便りをすることはそれほど難しいことではないと思われたからである。
しかし、何の音信もなかった。
自分からもっと行動することがあるのではないかと考えることもあったが、桜木家の膨大な資産と、志織から見れば自分はやはり子供に見えたのかとの不安が、牧村の行動に制約を加えていた。

このままの時間を過ごし、次の転勤でうまく東京に戻れるとしても、それは二年も三年も先のことになる。その時間はあまりにも長く、一通の手紙さえ届かないことが悲しかった。
牧村は、なおなじめない北国の街で悶々としながら月日を重ねていった。

     **

牧村が、志織の訃報を受け取ったのは、翌年の三月のことである。東京に比べ訪れの遅い春にいらだちながら、志織との日々を想い起していた時であった。
その手紙は、桜木社長から直接牧村に送られてきたものであった。志織の死去を丁重な文面で伝えていた。亡くなってからすでに十日ばかりの日が経っていた。

その手紙には一冊の絵本が添えられていた。
その絵本は、あの、蜜蜂と菜の花との物語の絵本であった。一頁一頁が懐かしく、牧村は頬を伝う涙を拭うことも出来なかった。
絵本の中程あたりの、蜜蜂が鳥に襲われて地面に落されている頁に、志織のメモが添付されていた。

「この哀しみは、愛より出でて、愛より哀しい」
その文字は、端正な字を書いていた志織のものとしては少し乱れていたが、紛れもない志織の文字であった。その文字の乱れから推し量れば、病状の良くない中で書かれたものと思われた。
この絵本を牧村に贈るように言い残したということは、書かれているメモは、明らかに牧村に対して書かれたものであった。

「この哀しみは、愛より出でて、愛より哀しい」
牧村は何度もそのメモを読み返した。二人が、いろいろな物語などを語り合っていた頃には聞いたことがない言葉であった。それより後に、おそらく闘病生活の中で思い浮かんだ言葉なのだと思われた。
「愛より哀しい」哀しみとは、何を指しているのだろうか。その哀しみを、自分の力では背負うことが出来なかったのだろうか、と牧村は悔やんだ。

遅い春も、時が来れば必ず訪れるが、志織は二度と自分のもとに帰ってくることはない。愛より生じたこの哀しみを、自分は一人で背負っていかなくてはならない。どうして、あと一歩を踏み出す勇気が自分にはなかったのか・・・。
絵本を抱きしめるようにして、牧村は悔やみ続けていた。

牧村が退職したのは、その数か月後のことである。

                                         ( 完 )





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする