雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

殿上の名対面

2014-12-31 11:00:32 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第五十三段 殿上の名対面

殿上の名対面こそ、なほをかしけれ。
御前に人さぶらふをりは、やがて問ふも、をかし。
     (以下割愛)


殿上の間で行われる名対面(ナダイメン)は、何とも興味深いものです。
天皇の御前に点呼の当番の蔵人が伺候している時には、殿上の間に立ち戻らず御前に侍するままで点呼をとるのも面白いものです。

名対面を終えた人たちが足音を立てて次々と出てくるのを、弘徽殿の上の御局の東表の所で、私たち女房は耳をすまして名対面で姓名を名乗るのを聞いているのですが、その中に親しい人の名が混じっていた女房は、お定まりのことですが、はっとして胸がときめくことでしょう。
また、住所も正確に教えない不実な男の名前を聞いた女房は、どんな気がするのでしょうか。

「いいお名前だこと」
「いやだわ」
「声が悪いわねえ」
などと、勝手な品定めをするのもおもしろいものです。

「名対面は終わったらしいわ」と言う声を聞くほどもなく、滝口の侍が弓弦を鳴らし、沓の音をざわざわと立てながら出てくると、次には、蔵人がたいへん足音高く板敷を踏み鳴らして、東北の角の高欄の所に、高膝まづきという座り方で、天皇の御前の方に顔を向けて、滝口の侍には背を向けたまま、「誰々は控えているか」と尋ねているのがおもしろい。

呼ばれた滝口の侍は、高く、あるいは細く名乗るのですが、時には、「何人かが伺候していないので、名対面は受けられません」と申しあげると、蔵人は「何故か」と事情を尋ねるのですが、滝口の侍は差し障りの理由など申し上げると、蔵人はそれを聞きとると特別詮索することもなく帰るのが通例なのですが、「蔵人の方弘をからかってやろう」とて、まだ若い君達が、滝口の侍たちはいい加減な理由を述べている、などと伝えたものですから、方弘は大変腹を立てて滝口の侍を叱りつけ、責任を追及したりしたものですから、滝口の侍にまで笑われてしまったそうですよ。

また、後涼殿の御厨子所(天皇の食事を調理する所)の御膳棚に、沓が置かれていて大騒ぎになっているのを、方弘本人までがたいそう面白がっていましたが、
「いったい誰の沓なのですか」
「知りませんよ」
などと、殿司の女官や、女房たちが騒いでいるうちに、
「やや、それは方弘の穢いものでした」
と自ら名乗り出たものですから、ますます大騒ぎになってしまいました。



宿直の侍臣・滝口の侍などが交替する引き継ぎの儀式である名対面の様子が描かれている場面は、規模はともかく、ロンドンの衛兵交替を連想させるものですが、この章段の主題はむしろ方弘の粗忽さの紹介といえるでしょう。

まあ、お笑い話といえばその通りなのですが、蔵人という殿上人としては最下級にある者の悲哀ともいえます。
若い貴族にからかわれているあたり、本人の粗忽さもあるのでしょうが、いつの世もいじめというものはあったのでしょうね。

少納言さまはどちらを描こうとされたのでしょうか。
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若くよろしき男

2014-12-30 11:00:55 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第五十四段  若くよろしき男

若く、よろしき男の、下種女の名、呼び馴れていひたるこそ、憎けれ。知りながらも、「なに」とかや、片文字はおぼえでいふは、をかし。

宮仕へ所の局によりて、夜などぞあしかるべけれど、主殿寮、さらぬただ所などは、侍などにあるものを具して来ても、呼ばせよかし。手づから、声もしるきに・・・。
はした者、童女などは、されどよし。


若くてまずまずの身分の男が、身分の低い女の名をなれなれしく呼んでいるのは、何とも感じがよろしくありません。
その名前を知っていても、「何だったか」とか、名字の半分くらいは思いだせないかのように呼ぶのが、奥ゆかしいのです。

下仕えの女官を呼ぶ時は、宮仕え所の女房の局に立ち寄って、夜などは具合が悪いでしょうが、宮中なら主殿寮、そうでない普通の所なら、侍所などにいる者を連れて行って、女を呼ばせるのがよろしい。
ご自分で呼ぶのでは、誰の声だかはっきり分かってしまうでしょうに・・・。
もっとも、まだ幼い下仕えの者や童女などは、まだ恋愛関係には無縁でしょうから、ご自分で呼ばれてもいいでしょうね。



男が女を呼ぶのは、なかなか難しいことのようです。
もっとも、この章段に書かれているのは単に少納言さまのお考えということではなく、当時の宮中などでは常識だったのでしょうね。
まあ、現代でも、いい歳した小父さんが、若い女子社員に「何々チャン」などと言っているのは、かなり気持ち悪いですよね。
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若き人

2014-12-29 11:00:33 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第五十五段  若き人

若き人、稚児どもなどは、肥えたるよし。
受領など、おとなだちぬるも、ふくらかなるぞよき。


若い女性や幼い子供などは、ふっくらしているのがよろしい。
受領(国司の守)などのような、人の上に立つような身分の人も、でっぷりと貫録があるのがよろしい。



若い女性の行き過ぎたダイエットは、少納言さまはお気にいらないようですよ。
中高年齢者は、やや太り気味な方が貫録があるというのは、つい最近まで常識のようでした。ただ、残念ながら今は「メタボ」という言葉が、黄門さまの印籠のような状態になっています。いやはや・・・。
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稚児は

2014-12-28 11:00:20 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第五十六段  稚児は

稚児は、あやしき弓・しもとだちたるものなどささげて遊びたる、いとうつくし。
車などとどめて、いだき入れて見まく、欲しくこそあれ。
また、さていくに、薫物の香いみじうかかへたるこそ、いとをかしけれ。


幼い子は、粗末な弓や、むちのようなものなどを振りかざして遊んでいるのが、とてもかわいらしい。
車などをそこに止めて、抱きしめてみたいし、貰っていきたくさえなります。
そうして、車を進めて行くと、子供の着物の薫物の香りが強く匂って来るのなどは、とても風情があるものです。



理知的で、沈着冷静な女性とイメージされがちな少納言さまですが、可愛らしい稚児にはかなり惹きつけられるようです。

ただ、短い章段ですが、「車など・・・」以下の文意は今一つ解り難く、意訳には諸説あるようです。
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よき家の中門あけて

2014-12-27 11:00:10 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第五十七段  よき家の中門あけて

よき家の、中門あけて、檳榔毛の車の白く清げなるに、蘇芳の下簾、にほひいときよらにて、榻にうちかけたるこそ、めでたけれ。
五位・六位などの、下襲の裾はさみて、笏のいと白きに、扇うち置きなどいきちがひ、また、装束し、壺胡籙負ひたる随身の、出で入りしたる、いとつきづきし。

厨女のきよげなるが、さし出でて、
「なにがし殿の人やさぶらふ」
などいふも、をかし。


立派なお屋敷の中門が開けてあって、檳榔毛(ビロウゲ・高級車に使われる)の車の真新しくてきれいなものに、蘇芳色(スオウイロ・暗紅色)の下簾が、あざやかな色合いも美しく、轅(ナガエ・牛と牛車をつなぐ長い柄)を榻(シジ・牛車の轅を置く台)に置いてあるのは、すばらしい光景です。
五位・六位の者などが、下襲の裾を石帯(セキタイ・革に黒漆を塗った帯)に挟んで、笏(サク・シャクともいい、正装の時などに手にする薄い板)の新しくてとても白いものに、扇を添えて持ったりして、あちらこちらと行き来しており、一方では、正装をして、壺胡籙(ツボヤナグイ・矢を入れて背に負う容器)を背負っている随身が出たり入ったりしているのは、いかにもこの場に似つかわしい様子です。

台所で働いている小ざっぱりとした女性が、家から出てきて、
「何々様のお供の人はお控えですか」
などと言っているのも、趣のある情景です。



おそらく大臣以上の上級貴族が参内に出立しようとしている光景ではないでしょうか。
少納言さまも、宮仕えされている間は、このような上流社会との交流も珍しくなかったのでしょうが、一般庶民から見れば、「よき家の中門」の向こうは雲の上のような所だったのでしょうね。
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滝は音無しの滝

2014-12-26 11:00:41 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第五十八段  滝は音無しの滝

滝は、
音無しの滝。
布留の滝は、法皇の御覧じにおはしましけむこそ、めでたけれ。
那智の滝は、「熊野にあり」ときくが、あはれなるなり。
轟の滝は、いかにかしがましく恐ろしからむ。


滝は、おとなしの滝。
ふるの滝は、法皇がご覧にお出かけになったそうですが、とてもすばらしいことです。
なちの滝は、霊場熊野にあると聞いていますが、実に心ひかれる滝です。
とどろきの滝は、どれほどうるさく轟いているのでしょうか、恐ろしいことですねぇ。



音無しの滝の所在については諸説あるようですが、単に名前を挙げているだけなので、宮中でよく知られているものだったのでしょう。そう考えれば、大原三千院の裏山にある滝を指しているものと考えられます。
布留の滝については、大和・石上神宮の裏山のものらしく、以下の説明は古歌から引用されたもののようですが、どうやら幾つかの史実が混同されているようです。

那智の滝は、当時、熊野詣でとともによく知られた存在だったようです。
轟の滝は、泊瀬観音の近くに実在しているものですが、これを取り上げた理由は、少納言さまお得意の「音無し・・・轟」を対照させた悪戯心なのでしょうね。
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川は飛鳥川

2014-12-25 11:00:24 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第五十九段  川は飛鳥川

川は、
飛鳥川。「淵瀬もさだめなく、いかならむ」と、あはれなり。
大井川。
音無川。

七瀬川。
耳敏川。「またも、なに言をさくじりききけむ」と、をかし。
玉星川。

細谷川、
五貫川、
沢田川などは、催馬楽などの、思はするなるべし。

名取川。「いかなる名を取りたるならむ」と、きかまほし。
吉野川。
天の川原。「機織女に宿借らむ」と、業平がよみたるもをかし。


川は
飛鳥川。「水の流れが定まっておらず、行く先はどうなるのだろう」と、しみじみとした情緒が感じられます。
大井川。
音無川。

七瀬川。
みみとし川。「さて、何をそれほど詳しく聞き取ったのでしょう」と、おもしろい。
玉星川。

細谷川、いつぬき川、沢田川などは、催馬楽などを思い起こさせるものなのでしょう。

名取川。「どんな評判を取っているのですか」と聞きたいものです。
吉野川。
天の川原は、「機織女(タナバタツメ)に宿からむ」と、在原業平が詠んだというのも風情があります。



いずれも古歌や催馬楽などから引用したもののようです。
なお、名取川のところでは、当時には今で言う「名取制度」などなかったでしょうから、ここは「評判を取る」といった意味でしょう。

この川を紹介する章段も、三幅対(サンプクツイ)という形式が取られています。
それぞれに少納言さまお得意の幅広い引用がなされていますが、どうも、臨場感に乏しいような気もします。
もしかすると少納言さま、川にはあまり興味がなかったのかもしれない、とも思うのです。
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暁に帰らむ人は

2014-12-24 11:00:30 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第六十段  暁に帰らむ人は
  
暁に帰らむ人は、「装束など、いみじううるはしう、烏帽子の緒、元結かためずともありなむ」とこそ、おぼゆれ。いみじうしどけなく、かたくなしく、直衣・狩衣などゆがめたりとも、たれか見知りて、嗤ひ譏りもせむ。
     (以下割愛)


暁に女のもとから帰るような時の男は、「装束などをひどくきちんと整えたり、烏帽子の緒を元結にしっかり結び固めなくてもいいでしょう」と、思うのです。
ひどくだらしがなく、ぶざまに、直衣や狩衣などをゆがめて着ていたとしても、そんな朝早い時間に、誰がそれを見て笑ったり悪口を言ったりするでしょうか。

男は何といっても、暁の別れる時の振る舞い方こそ、愛情細やかなものでなくてはなりません。
むやみに起き渋って、いかにも床を離れるのが辛いという様子を見せて、女の方から無理にせっつかれるように仕向けて、
「とうに夜明けが過ぎてしまいましたよ」
「まあ、お寝坊さんで、見苦しいわ」
などと言われて、男がため息をつく様子も、
「いかにも、まだまだ愛したりなくて、帰るのが辛いのでしょうねぇ」
と、女には見えてしまうのです。

指貫なども、座ったままではこうともしないで、何をさておいても女に寄り添って、睦言の続きを女の耳にささやきながら、もじもじと何をしているのか分からない様子なのですが、いつの間にか、帯などを結んでいるのです。
格子を押し上げて、妻戸のある所はそのままで、女を一緒に出口まで連れて行って、別れ別れでいる昼の間は、待ち遠しい気持ちだなどと口にしながら、そっと女の家を出て行ってしまうのなどは、女もいつまでも男の後ろ姿を見送る気持ちになり、名残り惜しさにひたることでしょうし、思いだすことも多くありますのよ・・・。

それとは対照的に、ひどくさっぱりと起きだして、夜具も何もさっさとひき散らかして、指貫の腰のひもをごそごそと音を立てて結び、昨夜脱ぎ棄ててあった直衣や、袍や、狩衣なども、その袖をまくりあげて、腕をぐっと差し入れて、帯をたいそうしっかりと結び終えて、ひざまずいて烏帽子の緒をギュッと強く結び入れ、かっちりと頭にかぶる音がしたかと思うと、扇や畳紙などを、昨夜枕元に置いておいたのですが、自然に散らばってしまったのを探しているのですが、まだ暗いので見当たるものでもありません。
「どこだ、どこだ」
と、そこら辺を一面にたたきまわってやっと見つけだし、汗をかいてしまったものですから扇をばたばたと使い、懐紙を懐に差し入れて、
「失礼するよ」
とほんのひとこと言うだけなのよ。こんな男もいるのですから。



この章段は、間違いなく少納言さまの恋愛講座です。
やはり少納言さまは、理にも情にも満ち溢れたすばらしい女性だったのですねぇ。

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犬は何処へ

2014-12-23 11:00:54 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子   ちょっと一息 

犬は何処へ

第四十七段は「馬は・・・」、 第四十八段は「牛は・・・」、 第四十九段は「猫は・・・」と、身近な動物がテーマになっています。
常識的な感覚からしますと、「猫は・・・」の前か後ろに「犬は・・・」というのがあってもよいような気がするのですが、全く無視されています。
もっとも、各段が極めて無造作に並べられているのが「枕草子」の特徴ともいえるのですが、どういう意図からなのでしょうか。

もちろん、現在私たちが見ることが出来る「枕草子」が、少納言さまが意図された順に配置されているのかといえば、そうでない可能性の方が高いのかもしれません。
現在発行されているものでも、当ブログで紹介させていただいている章段と食い違っているものがあります。

小さな順序の相違は別にしまして、全体を通して各テーマが順序立てられていなかったらしいことは確かなようです。
関連するテーマが数段続いたと思うと、全く違うものに移ったり、時系列的にも自由奔放に並んでいます。
少納言さまは「あとがき」にあたる部分で、原稿を突然に持っていかれてしまったようなことも書いておられますが、さて本当はどうなのでしょうか。

それにしても、「犬」は何処へ行ってしまったのでしょうか。
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橋は朝津の橋

2014-12-22 11:00:23 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第六十一段  橋は朝津の橋

橋は、
朝津の橋。
長柄の橋。
天彦の橋。
       (以下割愛)


橋は、
朝津の橋。長柄の橋。天彦の橋。

浜名の橋。一つ橋。転寝(ウタタネ)の橋。
佐野の舟橋。堀江の橋。鵲(カササギ)の橋。
山菅の橋。小津の浮橋。
一筋わたしたる棚橋。心細いけれど、名前を聞くだけでもおもしろい。



ずらりと橋の名前が並べられています。いずれも、古歌や催馬楽や歌枕から引用していますが、ほとんどが実在していた物のようです。
ある研究者は、主として恋を主題とした水に架かる橋を列記しておいて、最後に山道に架かる一本橋を結びとして、恋路の危うさを示しているとされています。
若干こじつけのような気もしますが、何せ少納言さまのことですから、その程度の仕掛けはあるのかもしれません。
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