『 活動に移ろう 』
新型コロナウイルスによる感染拡大
一部の地域では なお厳しい状況が続いているし
その他の地域も 北九州市のように 再拡大は心配されるが
インバウンドが 期待できない今は 私たち国民の出番が必要
多くの場所では 自粛以前の50%程度の人出のようだが
ここは 十分注意しながらも 活動に移る時だと思う
☆☆☆
『 子供に厳しすぎるのは良くないし、好き放題にさせるのはもっと良くない 』
この章(第十七章)は為政者の在り方について述べられているわけですが、子供の教育、あるいは接し方として読んでみますと、なかなか味わい深い内容となります。
子供に厳しすぎるのは良くないし、好き放題にさせるのはもっと良くない。かといって、至れり尽くせりとというのも次善のようですし、子供たちが自分の力で伸びていっているように実感させ、しかも侮られないようにとなれば、なかなか難しいことです。
為政者が優れた政治を行うのは難しいようですが、子供を育てることも簡単なことではないようです。
それだけに、相当腹を据えて真剣に向き合っていかなければならない、ということだけは確かのようです。
( 「ちょっぴり『老子』 第二十二回より )
『 コロナの陰で 』
新型コロナウイルスで 大騒ぎしている蔭で
国際関係が 熱を帯びてきている
「陰」と表現するには 動きが激しすぎるが
香港問題を中心に 米中関係が厳しさを増しており
わが国はじめ 多くの国にとって 静観というわけにはいくまい
コロナ外交 マスク外交 ワクチン外交・・・
そして 外交という一線を超えないことを 祈るばかりだ
国内のこれからも大変だが
世界の動きが 何とも不気味だ
☆☆☆
『 ガンバレ ガンバレ 』
遊園地や動物園 水族館も開園する所が増えて来た
飲食店なども営業時間が少し延び 元気な声が報道されていた
何よりも 屋形船が 再開に辿り着いたというニュースは
映像を見ているだけで 胸が熱くなった
まだまだ感染は治まっておらず 予断は許されないが
逞しい人々の姿に 期待が膨らむ
ガンバレ ガンバレ
懸命に エールを送ります
☆☆☆
『 知恵比べ 』
新型コロナウイルス 緊急事態宣言の解除により
各自治体などにより 対策のばらつきが大きくなってきた
重症者用ベッドについても 国の要請数を丸呑みしない自治体も多い
自粛解除のステップも同様で
各自治体間の 知恵比べの観さえする
全国を均等にルール化するのには 無理があるが
国家としての 強力なバックアップ体制は必要であろう
金だけ出して口出しは控えめに と言えば叱られるかな
しかし ここからは 頑張るだけではなく
知恵が大きな意味を持ってくるように思う
☆☆☆
麗しの枕草子物語
みめ麗しき女官
殿司(トノモツカサ・清掃や灯火などを担当する部署)に仕える女官は素敵ですねぇ。
身分の高い女房が仕えるところではありませんが、良家の姫にもぜひ経験させたいようなお勤めです。
若くて、しかもみめ麗しい女官が、きちんとした服装で勤めている姿は、とても好もしいものです。
そして、経験を積んで少し歳を重ねますと、何事に対しても気後れすることはなく、てきぱきと物事をこなしている姿も、さらに素晴らしいものです。
願わくば私も、殿司に仕えているような、特別みめ麗しく、気立てがとても良い若い女官を一人召し抱えて、季節ごとに流行の先端を行っているような艶やかな着物を着せて、宮中を闊歩させてみたいものですわねぇ、ホホホ・・・。
(第四十四段 殿司こそ・・、より)
『 季節の変化の一つでしょうが・・・ 』
わが家の庭を 我がもの顔に咲き乱れていた ノースポールも
どうやら 盛りが過ぎ始めました
来年も好きなだけ生えてもらうために 種の付けるのを待っていましたが
数日かけて 抜き始めることにしました
かなり大ごとですが 私にとっては 季節の変化の一つてす
ただ もう一つ 雨の後でもあり 蚊が これでもかというほど 登場
これも 季節の変化の一つでしょうが 降参 降参 です
☆☆☆
『 在宅勤務の行方 』
アフターコロナとやらが 話題になってきている
人類の歴史となれば少々オーバーだが 今後100年に限定した場合
新型コロナが どのような位置付けになるのかは
今少し経過を見なければ 評価することは出来ないと思うが
私たちの生活に 幾つかの変化をもたらすことは 間違いあるまい
さて その中で 在宅勤務は どのような位置を占めるのだろうか
満員電車を解消するほどになるのか ごくごく限られた勤務体制になるのか
極めて興味深い
☆☆☆
『 プロ野球も そろりそろり 』
緊急事態宣言の全面解除に関して 首相会見
不満を数え上げれば 切りがないかもしれないが
ここまでの結果は 先進諸国に比べて
圧倒的にすばらしい結果だ
素直に評価し リーダーシップを示された方々に感謝すべきだと思う
ただ ほんとうに真価が問われるのは ここからの数か月だと思う
プロ野球も そろりそろりながら 開幕を決定
スポーツばかりでなく さまざまなイベントの
リード役になって欲しい
☆☆☆
昨日とも今日とも知らず 今はとて
別れしほどの 心まどひに
作 者 恵子女王
( No.1238 巻第十四 恋歌四 )
きのうとも きょうともしらず いまはとて
わかれしほどの こころまどひに
* 作者 恵子女王(ケイシジョオウ)は、醍醐天皇の孫にあたる皇族で、摂関家の正妻としての生涯を送っている。( 925 - 992 )行年六十八歳。
* 歌意は、「 昨日の事か今日の事か 今になれば いつからお別れしてしまったのかと 心が乱れております 」といった意味と受け取ったが、この和歌、とらえ方によれば、もっと奥深いものと受け取ることが出来そうにも思われる。
ただ、この和歌は、1237番にある夫の謙徳公の和歌「 別れては 昨日今日こそ 隔てつれ 千世しも経たる 心地のみする 」に対する「返し」になっているので、「恋歌」というより夫婦間のなれあいのような和歌と思われ、仲の良い夫婦だった様子が垣間見える。
* 恵子女王は、第六十代醍醐天皇の第三皇子・代明親王(ヨシアキラシンノウ)の息女である。
藤原北家九条流の伊尹(コレマサ・謙徳公)の正妻となり、五男二女を儲けている。歌人としては、当時の上流の女性の教養としての程度ではないかと推定されるが、皇族から降嫁した女性として充実した生涯であったようだ。血筋、教養共に恵まれ、さらに容姿も優れていたらしい。
* 子供のうち、恵子女王が生んだ男子のうち一番下の義懐は摂政・太政大臣にまで昇っており、二人の女子は、上の子は冷泉天皇の女御となり、その子は花山天皇として即位している。下の女子も為尊親王の妃になっており、摂関家の正妻として十分な役割をはたしているかに見える。
しかし、当時、若くして亡くなる人が多い時代ではあったが、恵子女王も子供に先立たれる悲哀を経験している。
一番目と二番目の男子は夭折したようであるが、三番目の挙賢(タカカタ)と四番目の義孝は同じ日に亡くすという経験をしている。年子の二人は、ともに容姿端麗なことでも評判であったが、はやり病のため、天延二年(974)九月十六日の朝に挙賢が亡くなり、夕方には弟の義孝が亡くなったのである。人々は、挙賢を前少将、義孝を後少将と呼んで、その死を悼んだと言われる。二人とも、二十歳を迎えたばかりの頃であった。
* 恵子女王は、この二年前に夫の謙徳公と死別したばかりであり、その哀しみの深さは察するに余りある。
拾遺和歌集には、この時の悲しみを詠んだ恵子女王の和歌が載せられている。 「謙徳公の北の方、二人のこども亡くなりて後」
『 あまといへど いかなるあまの 身なればか
世に似ぬ潮を 垂れわたるらむ 』
( あま(海人/尼)といっても、どのようなあまの身だというので、世の中にはないような辛い潮を たらし続けるのか )
* 朝と夕べに、年齢の似通った兄と弟の若い公達が亡くなるという出来事は、当時大きな話題になったようで、「今昔物語」や「大鏡」などにも記されている。
特に弟の義孝は、その子の行成が三蹟の一人とされ、能書家として知られている。
また、その和歌が小倉百人一首にも選出されている。
『 君がため 惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひけるかな 』
* 天皇の孫として誕生し、公家社会にも公卿の妻としての生涯を生きた恵子女王は、現代の私たちが学ぶ歴史においては、あまりお目にかかることはない。
しかし、祖父である醍醐天皇、夫である藤原伊尹、そして孫にあたる藤原行成、同じく孫にあたる花山天皇などは歴史上の人物として知られている。その陰に隠れがちではあるが、恵子女王の生涯も、その悲劇性も含めて、魅力に満ち溢れている。
そして、恵子女王の末裔は繁栄し今上天皇にまでも繋がっているのである。
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