『 八月が終る 』
朝 物置の壁で セミの抜け殻を見つけた
昨日 久しぶりに セミの声を聞いたが
抜け殻は 前日まではなかったので あのセミのものらしい
今日は もう声を聞かないので どうしているのだろう
今日で 八月が終る 遅れてきたセミには 時間が足るまい
抜け殻を そっとはずしたが 少々切ない・・・
☆☆☆
『 八月が終る 』
朝 物置の壁で セミの抜け殻を見つけた
昨日 久しぶりに セミの声を聞いたが
抜け殻は 前日まではなかったので あのセミのものらしい
今日は もう声を聞かないので どうしているのだろう
今日で 八月が終る 遅れてきたセミには 時間が足るまい
抜け殻を そっとはずしたが 少々切ない・・・
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『 作新学院が10度目の優勝 』
全国高校軟式野球選手権大会 決勝戦は
兵庫県明石市の 明石トーカロ球場で行われた
名門同士の戦いになったが
作新学院が 中京の4連覇を阻んで 10度目の優勝を果たした
両校の健闘に 拍手を送ります
☆☆☆
『 人間は進化の過程の何かのはずみで、とんでもない能力を持ってしまったのかもしれないという懸念が消えないのです。 』
科学が進み、月も火星も現実世界の中に組み込まれてしまいました。
私たちがどこからやって来て、どこへ行こうとしているのかは、哲学や宗教の問題だと思っていましたが、ごく簡単に絵解きしてくれる人もいます。
ほんの数分先が見通すことができるようになれば、多くの事故や災害が回避されるようになるでしょうが、賭け競馬は成り立たなくなるでしょうし、株式市場も現在のシステムは崩壊するでしょう。あるいは、もしかして、すでにそのような技術を開発している人がいて、こっそり儲けているかもしれません。
いずれにしても、人間は進化の過程の何かのはずみで、とんでもない能力を持ってしまったのかもしれないという懸念が消えないのです。
しかし、いくら能力を持っているとしても、人間ごときが神の領域まで手を突っ込むことは、正しくないように思うのです。
( 「小さな小さな物語」第二部 NO.74 より )
『 智辯が優勝 』
高校野球 夏の大会
智辯と智辯の決勝戦は 智辯が勝った
などとふざけると 両校に失礼になるが
見ている方は 兄弟校の戦いは どうも気になってしまった
ただ 何かと制約の多かった この大会での
兄弟校の決勝戦は 後々まで語られることだろう
来年は 通常の大会が行われることを 祈る気持ちだ
☆☆☆
『 智辯と智辯 』
高校野球 決勝戦は
奈良の智辯学園と 和歌山の智辯和歌山となった
ベストエイトの段階で 少し予感があったが
実現したとなると 不思議な感じもする
しかし ここ二戦の戦いぶりを見ると
強さが際立っていた 熱戦を期待したい
☆☆☆
『 もう少し丁寧に 』
東京都渋谷で 予約不要のワクチン会場が開設された
早朝から大勢が並び
『密状態』を作り『熱中症』を生み出すことになっていないのか
「予約なしで接種できる」とは 余りに乱暴な看板ではないだろうか
もう少し丁寧な説明と もう少し緻密な予測を徹底しないと
若者のワクチン離れを 加速してしまうことにならないのか
心配される 余計なお節介かもしれないが
☆☆☆
『 高校野球 ベスト4決まる 』
高校野球 コロナに加え 連日の雨に苦しめられながら
今日 準々決勝の四試合が行われた
その結果 ベスト4に勝ち進んだのは すべて近畿勢となった
珍しい現象だと思うが
残りの準決勝 決勝も 熱戦を期待したい
☆☆☆
『 藤井聡太二冠 初防衛 』
将棋 藤井聡太二冠が
『王位』のタイトルを 初防衛
このところ 豊島二冠と
互いのタイトルを懸けての 戦いが続いている
藤井二冠は豊島二冠を 苦手にしていたように見えていたが
どうやら 克服したようで どこまで強くなるのだろう
師匠の 勝負メシのジンクスが 壊れたようだが
それもまた 嬉しい限りだろう
☆☆☆
『 勉強させていただきます 』
パラリンピック 間もなく開会式
オリンピック同様 開催に関して 様々な意見が飛び交っているが
開催する以上は スムーズな運営と 熱戦を期待したい
実は パラリンピックのどの種目も 短距離走以外は
試合全体を 見たことがないように思う
可能な限り
じっくりと 勉強させていただきます
☆☆☆
そのかみの 玉のかざしを うち返し
今は衣の 裏を頼まん
作者 東三条院
( NO.1712 巻第十八 雑歌下 )
そのかみの たまのかざしを うちかえし
いまはころもの うらをたのまん
☆ 作者 東三条院とは、円融天皇の女御藤原詮子(センシ)のことである。( 962 - 1002 ) 行年四十歳(旧暦で計算)。
☆ 歌意は、「 その昔の 玉の髪飾りを お返しいたします 今は 衣の裏の玉を 頼みとしましょう (「救われることを気づかない者が、仏の教えで悟りを得ることが出来る」といった仏道の教えを引いている。)」といったものであろう。
☆ この和歌には、前書き(詞書)がある。
「 后に立ち給ひける時、冷泉院の后の宮の御額を奉り給へりけるを、出家の時、返し奉り給ふとて 」とある。
つまり、作者が円融院の后になった時に、冷泉院の后(作者の姉、超子)がつけていた髪飾りを頂戴したようで、それを、自分が出家するにあたって、お返しします、ということらしい。
和歌そのものや、実姉とのやりとりが特別秀逸ということではないが、この姉妹は、それぞれ天皇の后であり、姉は三条天皇の生母であり、作者は一条天皇の生母だと考えると、この和歌のやりとりも特別な重みを感じさせる。
☆ 作者の父は、藤原氏の長者となる、摂政・関白・太政大臣藤原兼家である。母は、正室の時姫であるが、同母の兄弟姉妹が五人おり、いずれも歴史上の重要な役割を果たした人たちと言えるのである。男子の道隆・道兼・道長の三人は、いずれも貴族政治の頂点に立っており、女子は、姉の超子は冷泉天皇に入内して、三条天皇の生母となっている。妹である作者・詮子は円融天皇に入内して、一条天皇の生母になっているのである。
この五人の兄弟姉妹が活躍時代は、平安王朝文化、そして藤原氏が最盛期に至ろうとしている時期と言える。
☆ この五人の誰もが、アマチュア歴史ファンの一人としては魅力あふれる人物であるが、詳細を述べるのは割愛させていただきたい。
ただ、作者について若干触れさせていただくすれば、歴史の流れという観点から見れば、作者・詮子 の活躍は、986 年に、わが子の一条天皇が即位した後から存在感を増している。
991 年に夫の円融院の崩御後に出家し、自邸に因んで「東三条院」を称した。これが、わが国における女院号の最初である。
出家後は、むしろ政治向きの発言力が増えているようで、一説によれば、道長を支援することが多く、一条天皇の中宮彰子の実現にも尽力したとされている。
☆ このように、平安王朝文化、あるいは藤原氏による摂関政治全盛に、少なからぬ影響を与えた女性といえるが、それにしては、歴史上の著名度が少々低いように思われてならない。
☆ ☆ ☆