雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

さても このごろは ご案内

2024-10-04 08:36:09 | さても このごろは

        『 さても このごろは 』

年老いて、人はなぜか昔を懐かしむ。

いつの世も、生きていくのはそうそう簡単なことではないけれど、百歳を超えて生きるとなれば、穏やかな心を保つのは、なかなかに、安易なことではあるまい。

百歳を超えて生きる女性がいた。
老いと共に昔のことを懐かしむのは人の常のようだけれど、彼女もまた、昔のことを懐かしげに語ることが多かった。

ここに紹介する短編集は、その女性が百歳を超えた頃から話してくれたものを、書き留めたものである。



  短い作品集です。ぜひ、ご一読いただきたくご案内いたします。

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 お花畑

2010-05-01 08:20:44 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


あれは、十歳になったかどうかの頃のことだったと思う。
となり村の親戚の家まで用事に行かされた帰り道のこと、川の土手だと思うんだが、一面にきれいな花がいっぱいに咲いていた。


わたしは、用事の途中なのに、持っていた荷物を放り出して、お花畑のなかを走り回り、手に持ちきれないほど摘んで長い時間遊んだのをよく覚えている。


あの道は、その後も何度か通ったはずだが、あのとき以外一度もお花畑を見た記憶がないんだねぇ。


お花を摘んで遊んだときのことを、このごろよく思いだすが、夢でもよく見るようになって、ねぇ・・・。

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引き潮の子

2010-05-01 08:19:00 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


わたしは 引き潮の時に生まれた子なので、大きくなるまで育たないと 言われていたようだ。


わたしの家族は だいたい小柄な方だけれど、わたしは特に小さかったみたい。
そのことも 「引き潮に生まれた子供だから」ということが、理由にされていたらしい。


でも、子供の頃でも 特別体が弱かったわけでもなく、ずっと小柄なままだったが、あっちこっちで 結構 悪さをしていたよ。


引き潮の時に生まれた子供は短命だということに、何かの根拠があるのか 単なる迷信なのかは知らないけれど、結局 わたしは 飽きるほど生きてきてしまった、よ。


まあ、何かにつけ 生まれた時のことで 何もかもが決まっているわけでもないようだねぇ。

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たくさんの家族

2010-04-29 12:04:46 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


わたしは たくさんの家族の中で育った。
きょうだいは九人いて、わたしは 一番末っ子だった。
「おまんは おとんぼなんで、好き勝手に育った」と、皆によく言われたけれど、さて 確かにそうかもしれないが、かならずしも気楽なわけでもなかったよ。


きょうだいのうち 三人は幼いうちに亡くなっていて、わたしの上には 兄二人と姉が三人いたけれど、わたしが小学校四年の頃には 長兄以外は全部外へ出ていた。

そんなわけで、その頃の家族といえば、長兄と兄嫁さん、その子供が四人、わたしのてて親と はは親、そして わたし。
てて親と はは親は、母屋の中にある納屋だった所を 少しばかり手を入れて生活していて、わたしは一番上の姪と一緒にいることが多かった。


両親のことを、家の中では ジイちゃん バアちゃん と呼んでいたし、姪や甥たちは わたしのきょうだいみたいだったし、何が何だか よく分からん家族だったなあ、まったく。

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となり町のおばあさん

2010-04-28 10:05:23 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


となり町に 母方のおばあさんが一人で住んでいた。
すぐ近くに子供の家族がいたが、一緒に住むのは 気づまりだとかいって、古いが結構広い家に一人で住んでいた。


わたしは はは親の使いで時々訪ねていった。
まあ いま思うと やはり はは親は気掛かりで、といって そうそう自分が里へ帰るわけにもいかず、代わりに わたしを行かせていたのだと思う。


となり町までは 大分距離があるけれど、わたしは そのおばあさんが好きだったので 行くのが楽しみだった。


行くと いつも よく来たよく来たと喜んで、わらを編んだ ふご のような物の中から お菓子を出して くれるのよ。
ほかの孫や ひ孫に取られんように とっておいてくれるんよ、ね。
でも、いつから入れていたのか、せんべいや おかきは 湿っていたし、干菓子なのか饅頭なのか分からないような物もあった、な。
でも、わたしは とても嬉しかった。


おばあさんは 足は達者だったけれど、歯はほとんどなく 言葉も はっきりとは聞き取れなかった。
顔もくしゃくしゃで 口の悪い大人の中には、「化けるほど生きているからなあ」と言う人もいた。


だが 考えてみると、あのころ あのおばあさんは九十歳くらいだったはずだから、いつの間にやら わたしの方が 遥かに長生きしてしまったなあ、ほんとになあ。

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ランプの生活

2010-04-27 13:27:03 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


わたしが小学生のころに、家に電気がついた。
町の方では、もっと早くに電気がきていたらしいけれど、わたしらの所は少し離れているから大分遅れたらしい。

それでも、同じ小学校に通ってきている子の中では早い方で、山の方の子の家などは、終戦のあと わたしの家族が姉さんの家に世話になったときにも、まだ電気は引かれていなかったらしい。

百姓の家だから そりゃあ 町の家より広かったが、電灯があったのは 玄関と台所と長兄たちの部屋の三か所だけだった。
里にいるあいだは、ほとんどランプでの生活だった。そのランプも すぐ消されてしまうから、冬はいろりの明かりが頼りだった。
それでも べつに 不便だなんて思ったこともなかった、な。

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楽しみはタコの足

2010-04-25 17:15:34 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


てて親が、ウリとかスイカとかナンキンなどを売りに行くと、わたしは一人で瓜小屋の番をしていた。
退屈しながら、虫を捕まえたり、草花を摘んだりして遊んでいたが、てて親が帰ってくるのが待ち遠しかった。


それは、町へ行った帰りの てて親の籠の中には、いつも何かおみやげが入っていたからなんだ。
てて親の姿を見ると、わたしは一番に籠の中を覗き込んだ。
たいした物など入っていないんだが、せんべい二、三枚か、干したタコの足一、二本か、ごくたまに飴玉もあった。


「咲は、いつも籠の中を覗きに来るから、何ぞ買って来んわけにはいかん」と、てて親は笑っていたが、わたしは、タコの足をしゃぶりながら、とっても幸せだったよ。

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風を追う

2010-04-25 17:14:46 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


瓜小屋へよく行ったが、いつも てて親と一緒だった。
瓜小屋は、ウリやスイカなどを盗まれないように番をする小屋だが、木とむしろで作られた粗末なものだったが、わたしは好きだった。


夏休みも終わりに近い頃になると、大風に襲われることが時々あった。粗末な作りの小屋のため、大風ともなると激しく揺れ、とても怖かった。
すると てて親は、「ホーイ、ホーイ」と大声を張り上げて、風を追い払おうとするんだ。


その頃 てて親は六十歳近くで、当時としては年寄りであり、わたしも含めた皆からは「おじいさん」と呼ばれていたが、風を追う時には とても大きな声を張り上げていた。


今思えば、「ホーイ、ホーイ」と叫んだくらいで 風が他所へ行ってくれるはずはないが、その頃は、てて親の風を追う声を聞くと 不思議に安心することができたなあ。

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蕎麦を打つ

2010-04-25 10:47:21 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思い出される・・・


里の家では、小麦も作っていたが、家でうどんを打つことはあまりなかったが、蕎麦は兄嫁さんが時々作っていた。


兄嫁さんは、石臼をごろごろと長い時間かけて蕎麦の実を挽いて粉にして、それを小さな声だが掛け声をかけながら練り上げていた。
それを、溜まり醤油で味付けした汁とネギを薬味に昼食や間食として食べさせてくれた。


兄嫁さんは恐い人だったけれど、あの蕎麦は美味しかった。
「おまんも、蕎麦の打ち方をしっかり覚えるんやで」と、蕎麦を打つのをいつも眺めていたわたしに、決められたせりふのように言っていた。


しかし、わたしは小さい頃に家を離れてしまったことや、その後も 所帯を持ったあとで蕎麦を食べる機会があまりなかったこともあって、とうとう一度も打つことがなかった。
兄嫁さんがあのように言っていたのに、もしかすると、わたしは大きな損をしていたのかもしれないと思うことがある。


 

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西山の狸

2010-04-25 09:54:25 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


子供の頃のご飯のおかずといえば、まあ 畑で採れるものばっかりだったわ、な。
肉は食べることなど習慣としてなかったし、魚も塩漬けされたものか干物に限られていたが、それも、余程のことでもないと食べさせてもらうことはなかった。


わたしはニンジンが、あまり好きではなかった。
今のニンジンは食べやすくなっているけれど、昔のニンジンは金時ニンジンだから、ほら、雑煮に使う真っ赤なの、あればっかりだから、ニンジンが好きな子供は少なかった。


それで、食事の時、親たちの目を盗んで、おかずのニンジンを窓からよく捨てたものだった。
それを見つけられた時には、はは親は決まったように「ああ、どんどん捨てなはれ、西山さんの狸が食べに来るわ」と言っていた。


子供たちにとって、西山に住んでいるという狸は、とても怖いものだったけれど、わたしは一度も見たことがなかったなあ。

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