雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

統率される社会

2024-07-21 08:03:05 | 私の好きなフレーズ

 『 一人のカリスマ的なリーダーが 国家であれ地域社会であれ企業であれ、意のままに動かせている集団の中にいるよりは、ああだこうだと右往左往している集団にいる方が幸せなような気もするのですが。』


現代の日本社会は、リーダーによって統率されるのに不向きな社会のように 思われて仕方がありません。
リーダーにふさわしい器の人物が少なくなったのか、我こそがリーダーだと勘違いしている人が多くなってしまったのか、他にも原因があるのかもしれませんが、政党の離合集散を見ていますと そんな気がしてしまいます。たかだか五十人か百人の一群を率いることができないのですから、国家はもちろん、もっと小さな地域社会を一人のリーダーで引っ張って行くことなど、しょせん無理だということなのでしょう。
まあ、一人のカリスマ的なリーダーが 国家であれ地域社会であれ企業であれ、意のままに動かせている集団の中にいるよりは、ああだこうだと右往左往している集団にいる方が幸せなような気もするのですが。

      ( 「小さな小さな物語」第十一部  NO.637 より )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の大三角

2024-07-09 08:00:50 | 私の好きなフレーズ

『 デネブという星は、相思相愛の二つの星を 遙か彼方から眺めているのかも知れません。』


牽牛星すなわちアルタイルと織女星ベガは 対をなしているように見えますが、地球からの距離は、アルタイルが十七光年、ベガが二十五光年と距離に差があり、二つの星の距離は百四十六光年あるそうです。あまり近い距離とは思えませんが、天文学的舞台に立てば、極めて近い距離ということかもしれません。
そして、最近では、わが国でも夏の大三角という表現がなされるようになりましたが、それにはもう一つのデネブが加わります。
何だか三角関係の憎まれ役にされそうで同情してしまうのですが、確かにこの星はほかの二つの星とは少し違うようです。まず、地球からの距離が千四百光年以上と相当離れています。大きさも、他の二つが、半径が太陽の二、三倍なのに対して百倍以上あり、光度となれば、二つが太陽の数十倍程度に対して、デネブの光度は六万倍を超えるそうです。
ただ、この星は、毎日毎日その質量を減らしていて、わずか数千万年後には超新星爆発を起こしてブラックホールへと進化する可能性を秘めているそうです。
デネブという星は、相思相愛の二つの星を 遙か彼方から眺めているのかも知れません。

         ( 「小さな小さな物語」第十一部 NO.642 より )     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時の流れが与えてくれるもの

2024-06-27 08:14:59 | 私の好きなフレーズ

『 私の場合は 甘酸っぱい味付けをしてくれたように思うのですが、今 悲しみのどん底にある人も、きっと時間が何かを与えてくれるような気がするのです。』


悲しみのどん底にある人に接する機会も何度かありました。
それなりの悲しみにぶちのめされたこともありました。
おそらく、ただ今現在、悲しみの渦中にある人もいることでしょう。
拙い私の経験を述べさせていただくとすれば、その方の悲しみは時間が拭い去ってくれるほど軽いものではないのでしょうが、悲しみの中にあっても 自分をも包み込んで流れて行く時間というものは、やはり、私たちに何らかの作用を与えてくれるように思われます。私の場合は 甘酸っぱい味付けをしてくれたように思うのですが、今 悲しみのどん底にある人も、きっと時間が何かを与えてくれるような気がするのです。

       ( 「小さな小さな物語」第十一部  NO.633 より )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ただ 導かれて

2024-06-15 08:01:05 | 私の好きなフレーズ

『 彼女のように生きた多くの人たちが、二百数十年に渡って心の灯を守り続けたことを思うと、まことに感慨深い。』


マセンシアは元亀元年( 1570 )に豊後の有力大名である大友義鎮(ヨシシゲ・後の大友宗麟)の七番目の娘として誕生した。名前は桂姫、あるいは引地の君と呼ばれた。
   ( 中略 )
(夫の)秀包没後、嫡男の元鎮は毛利家当主輝元より改めて長門国阿川の地に七千石が与えられた。その子元包は周防国𠮷敷に領地替えとなり一万一千石に加増されている。これにより、秀包の子孫は𠮷敷毛利家として一門を支えていくのである。
三十二歳の若さで未亡人となった桂姫は、おそらく息子たちと行動を共にしたと考えられるが、生涯をマセンシアという洗礼名で通したようである。
時代は徳川の時代となり、キリシタンに対する締め付けは厳しくなるばかりであった。
また、当主輝元は、もともとキリシタンを嫌っていたようで、桂姫に対しても棄教を厳しく迫っていたようである。しかし、当主であるとはいえ、桂姫は義理の叔母にあたることもあり、何よりも、桂姫の人柄と敬虔な信仰心を砕くことはできず、黙認するようになったという。

桂姫、洗礼名マセンシアは、その信仰心を微動だに揺るがせることもなく、七十九歳で天に召された。
慶安元年( 1648 )のことで、秀吉や家康による禁教令から久しく、島原の乱からも十年を経ていた。亡骸は毛利家の菩提寺に葬られたが、墓地からは遠く離れた山中であったという。一族にキリシタンを抱えた毛利家の苦しい対応が窺える。
その生涯は、今に伝えられているものはあまりに少ないが、彼女のように生きた多くの人たちが、二百数十年に渡って心の灯を守り続けたことを思うと、まことに感慨深い。

        ( 運命紀行「ただ 導かれて」 より )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信長と光秀を結ぶ

2024-06-03 08:06:48 | 私の好きなフレーズ

『 つつましやかに、激しかった戦国時代が終りを告げようとする流れを見つめながら晩年を過ごしたのではないか 』


果たして、濃姫は何歳まで生存していたのか。
個人的には、信長の嫡男となる信忠を養子としていることは事実と考え、信忠の誕生前後までに死去したとか、離縁されたという説は受け入れにくい。また、本能寺において、信長とともに華々しく散ったというのはドラマチックではあるが、出来過ぎているような気がするし、その後の情報も無視できない。
慶長十七年の逝去とすれば、徳川の天下がすでに固まっており、大坂夏の陣で豊臣家が滅びるのは三年後のことである。信長の後、天下人となった秀吉にしろ家康にしろ、濃姫を粗略に扱ったり、まして迫害を加えるようなことはなかったはずである。
おそらく、少々頼りない人物ではあるが、織田信雄のもとにあって、つつましやかに、激しかった戦国時代が終りを告げようとする流れを見つめながら晩年を過ごしたのではないかと思うのである。

      ( 運命紀行「信長と光秀を結ぶ」 より )    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謎と謎を結ぶ

2024-05-22 08:05:51 | 私の好きなフレーズ

『 明智光秀という人物が、そのような庶民感情を誘うような人物であったのかどうか、これも謎の一つであろう。 』


天海がもし光秀であったとすれば、亡くなった時は百十六歳となる。但し、光秀の生年も諸説ある。
また、上記した天海光秀説に対しては、それぞれに反論があり、天海が光秀であるという説はほぼ否定されている。
同様の話は光秀に限ったことではなく、スケールの大きなものとしては、源義経がチンギス・ハーンになったというものもある。
この種の多くは、いわゆる「判官贔屓」といわれるように、悲運の人物に寄せる願望のようなものが含まれていることが多い。
明智光秀という人物が、そのような庶民感情を誘うような人物であったのかどうか、これも謎の一つであろう。

    ( 運命紀行「謎と謎を結ぶ」 より )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先の大戦

2024-05-10 07:59:28 | 私の好きなフレーズ

   『 先の大戦といえば応仁の乱ですよ 』


真偽の程は確かでないのですが、「京都の人は、『先の大戦』といえば応仁の乱を指す」といった話を聞いたことがあります。
多分、小話の類に近い話だと思うのですが、私はこの話がとても好きなんです。
こちらは、大分前ですがテレビで聞いた話ですが、江戸時代の大大名の後継者の方が代々伝えられている書画骨董などを整理するに当たって、やはり名高い公家の子孫の方に相談したところ、「お宅はせいぜい四百年でしょうから、大したことありませんよ」と言わんばかりのアドバイスを受けたそうです。
この話からも、「先の大戦といえば応仁の乱ですよ」と言うのもあながち大げさでないような気がしてしまいます。

       ( 「小さな小さな物語」第十一部  NO.632 より )    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七歳までは神の子

2024-04-28 08:00:45 | 私の好きなフレーズ

 『 子供たちを地域で守り育てるという考え方は広く浸透しており、わが国の道徳や人情の根幹になっていたのではないでしょうか。』


『こどもの日』が対象としているのは、何歳くらいまでの子供を指しているのでしょうか。
「児童福祉法」によれば、満十八歳に満たない者を対象にしていて、その総則には、「すべての国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ育成されるよう努めなくてはならない」と定められています。
『こどもの日』に祝う子供は、もう少し下までの年齢のようにも感じるのですが、いずれにしても、子供や若者が社会の将来を担っていることは疑う余地がないことですから、『こどもの日』制定の趣旨にせよ、「児童福祉法」の総則にせよ、単なるお題目として書き並べたものではないと思うのです。
しかし、残念ながら、乳幼児の悲惨な事件は多発していますし、青少年に対する悲しい事件も少なくありません。

かつて、わが国の広い地域では、「七歳までは神の子」という考え方が浸透していたようです。
七歳までの子供は、産婦と生児を守る「産神様」の支配下にあって、男女の性別の区分なく、共同体の一員にも加えないで、共同体全体で育てるべき存在とされていたそうです。乳児のお宮参りも「産神様」にお参りするのであって、土地の守護神である「氏神様」に参るのは、将来に備えて挨拶しておくのだそうです。そして、七歳のお祝いで「産神様」の守護から離れて、「氏神様」の支配下に入り、氏子として地域社会の一員に組み入れられたそうです。
もちろんこれらのことは、地域に差があるのでしょうが、子供たちを地域で守り育てるという考え方は広く浸透しており、わが国の道徳や人情の根幹となっていたのではないでしょうか。

     ( 「小さな小さな物語」第十一部  NO.622 より )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孤高

2024-04-16 07:59:40 | 私の好きなフレーズ

 『 一本の大木の成長の陰には、成長過程で消えていった多くの仲間がいるというのです。』


大きな木はなぜ一本だけそびえ立っていることが多いのか、と言いますと、まだ小さい頃には周囲にも何本か仲間がいたはずなのですが、その中から一本だけ成長の早いものが仲間から抜きんでると、周囲の仲間たちには日が当たらなくなり、ますます成長に差が出て、そのうちに地中からの養分も独り占めするようになり、やがて仲間たちは消えて行くそうなのです。
一本の大木の成長の陰には、成長過程で消えていった多くの仲間がいるというのです。
「一将功成りて万骨枯る」という言葉もありますが、大木も一将もその存在の陰には大きな犠牲があるわけですから、その立場になった後も、仲間に頼ったり、大衆におもねるような態度は慎んで、「孤高」であり続けてほしいものです。

  ( 「小さな小さな物語」第十一部  NO.626 より )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山川草木

2024-04-04 08:00:25 | 私の好きなフレーズ

 『 自分と違うと思われる人々に対して寛容であり、理解することに努める必要がある 』


自然の景観を山と川で表すのは乱暴に過ぎるというのは、海も空も平地もあるからですが、草と木で植物全体を表す方はどうなのかと、まことに詰まらないことが気になりました。
実は、何かの本で見た「竹は、木か草か?」という記事のことを思い出したからです。
特殊な植物は別にするにしても、草と木の区別は、そうそう簡単ではないようです。
一般的に説明されているものによりますと、「形態的には、幹(茎)を太らせるものと、ある成長時点で太らさないもの」で区別するそうです。そして、「生態的には、耐性芽(厳しい季節を乗り越える芽)が地面より上にあるものは木」だそうです。
それでは、竹はどうなるのかと言えば、それがよく分らないのです。
竹は、竹の子として芽を出すと一気に成長し、その後は幹を太らせることはありません。それなら草かと言えば、多くの草が一、二年草なのに対して、相当の期間元気です。第一、孟宗竹のようなものを草とはとても言えない気がします。
他にも、種子や子葉から大別する方法もあるようなのですが、例えば、単子葉植物はほとんどが草なのですが、単子葉植物だからと言って、バナナを草だというのも納得できません。
さらに、萩のように、種類によって草のものや木のものがあるのですから、ますますややこしくなってしまいます。
     ( 中略 )
それに、「山川草木」と呼ばれるようなものは、おこがましくも人間が、区別したり種類分けなどすることが、とんでもないことかもしれないと思うのです。
そしてそれは、「草木」に限らず、人間という動物もまた、単純に種類分けなどできない存在なのではないでしょうか。性別であれ、人種であれ、国家や民族の違いや、思想や宗教の違いで、区分けしたり差別することは慎重であらねばなりませんし、自分と違うと思われる人々に対して寛容であり、理解することに努める必要があるように思うのです。

  ( 「小さな小さな物語」第十一部  NO.625 より )

          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする