雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

小さな小さな物語 第二十九部

2024-02-21 13:41:45 | 小さな小さな物語 第二十九部

    『 小さな小さな物語 第二十九部 』


  NO.1681 より NO.1740 までを収録しています

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小さな小さな物語  目次

2024-02-21 13:40:24 | 小さな小さな物語 第二十九部

          小さな小さな物語  目次


     NO.1681  お疲れ気味の『我が魂』
        1682  特別の時間
        1683  小手先では追いつかない
        1684  平均値では見えないもの
        1685  自然の姿

        1686  絶好のチャンス
        1687  真夏のおでん談義
        1688  犯罪の陰で苦しむ人々
        1689  温かく心にしみる笑顔
        1690  見なかったことにしよう

        1691  犯罪者を生み出す環境
        1692  歳を重ねていくほどに
        1693  話せば分かるのか
        1694  なぜエベレストに登るのか
        1695  背伸びしてみる

        1696  名もない人たち
        1697  新しいご隠居さん像
        1698  プロとプロもどき
        1699  七歳までは神のうち
        1700  戦場は遙か彼方か?

  
       

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お疲れ気味の『我が魂』 ・ 小さな小さな物語 ( 1681 )

2024-02-21 13:39:25 | 小さな小さな物語 第二十九部

今、当地は台風7号の直撃を受けています。
ところが、庭の様子を見てみますと、背の高い花はかなり痛めつけられており、植木鉢も一つ倒されていますが、風はそよ風、雨は殆ど降っておらず、空は少し明るく感じられます。どうやら台風の目に入っているらしくて、テレビでは当市に再上陸して北上中とのことです。予報では、午後四時頃から二、三時間の間が最も強い風になりそうですので、あとひと頑張りが必要な状況です。

このコラムを書いている八月十五日は、第二次世界大戦の終戦の日という重い意味を持つ日に当たります。また、お盆の中日でもあります。
台風と言うわけではなく、我が家では毎年お墓参りは数日前に参ることにしていますし、お坊様も毎年十四日に参っていただくことになっています。我が家の宗教は仏教ですが、仏教徒だという意識はなく、お盆の行事も先祖供養という意味合いが殆どです。
それでも、近しい人を見送ることが増えるにつけ、少々思いを馳せることも多くなってきているような気もします。
特に今年は、台風が直撃しそうだと言うこともあって、昨夜来、家に閉じこもっている状態ですが、それが、何だか新鮮な気持ちでお盆を迎えているような気がします。
そうした徒然の中で、手許の資料の中から、こんな句を見つけました。
『 陰干しにせよ 魂も ぜんまいも 』

これは、橋閒石(ハシカンセキ)氏の作品です。下記の句も含めて無断で使わせていただいておりますので、お許し下さい。
橋閒石氏の本名は橋泰来(ハシヤスキ)です。生年は 1903 年(明治 36 年)、逝去されたのは 1992 年(平成 4 年)です。俳人として著名ですが、ほんとうは英文学者・教育者と紹介すべきなのでしょう。
閒石氏は、石川県金沢市に誕生し、金沢二中・四高・京都帝国大学英文科を卒業し、1928 年に県立和歌山中学(現、県立桐蔭高校)に教諭として赴任、1931 年に新設された県立神戸高等商業学校(現、神戸商科大学を経て兵庫県立大学)の教授となり、神戸に移住、定年退職後も親和女子大学の教授後に学長を務めています。
俳句は、中学の頃から病に伏せることが多かった氏は、病床で俳句を独学で学び、大学教授になってからも、英国随筆文学の研究等に加え、俳句・連句・随筆などの分野に幅広い活動をされました。
故郷金沢の気風をかもしながらも、神戸に多くのものを与えて下さった文学者でもありました。

橋閒石氏をそれほど勉強したわけではありませんが、好きな句をあと二つ使わせていただきます。
 『 銀河系の とある酒場の ヒヤシンス 』
 『 詩も川も 臍も胡瓜も 曲りけり 』
如何でしょうか。この先生の勉強をするとなれば、かなり根性が必要な気がしてしまいます。
さて、この台風のお陰で、お盆の中日を家に閉じ込められてしまったお方もおいででしょう。帰郷や楽しみにしていた家族行事に影響を受けてしまったお方もおいででしょう。
しかし、折角の機会ですから、少しばかり自分を見つめ直す機会を得たと考えて、「少しばかりお疲れ気味の『我が魂』」を、先生の最初の句にあるように、日差しのもとにさらすのではなく、そっと陰干ししてみるのも良いのではないでしょうか。

( 2023.08.16 )

 

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特別の時間 ・ 小さな小さな物語 ( 1682 )

2024-02-21 13:38:10 | 小さな小さな物語 第二十九部

8月16日の夕方、京都・五山の送り火をテレビで見ました。
お盆にお迎えしたご先祖の御霊(ミタマ)を、浄土へお送りする行事として、かつては、一般家庭においてもそれらしい行事がありましたし、今でも、地域によって形は違うとしても、お迎えしたご先祖の御霊をお送りする行事は残されているようです。
京都・五山の送り火は、全国的に有名になり、観光資源として重視されるようにもなっていますが、関係者にとっては、代々継がれてきた大切な行事なのでしょう。
少し前のことになりますが、五山の一つを守っている村のお方と知り合う機会がありました。天下の京都市民を「村のお方」と言うのは正しくないかも知れませんが、そのお方が自分たちのことをそう表現していたのです。そのお方は、いわゆる分家に当たる家柄の人でしたが、本家に当たる家では、送り火の伝統を守っていくための負担は軽いものではないようでした。同時に、その誇りも大変なもので、何百年という伝統は、そうした方々の不断の尽力によって守られているのでしょう。

毎年のことですが、この時期は、何と言ってもあの大戦の惨憺たる終戦を迎えた日があり、その前には、広島・長崎という辛い惨事が語り継がれています。
国民の多くは、これらの大事も、歴史の中の出来事になりつつありますが、お盆という行事と重なり合った時、やはり、重たい記憶として迫ってきます。
お盆の行事も、年々伝統が薄れてきているのでしょうが、近しい人を見送った人にとっては、やはりお盆は大切な時期のはずです。もちろん、お盆は仏教色の強い行事ですので、他の宗教を信奉しているお方にとっては、意味合いが違うかもしれませんが、日本人の多くは、先祖供養という思いが強いのではないでしょうか。
お盆になると、玄関辺りに提灯を吊って彼の国から大切な方々の御霊をお迎えし、お盆の数日を共に暮らし、お盆が終ると、京都・五山の送り火のような大行事は行わないまでも、心を込めて御霊を浄土にお返しして一連の行事を終える・・・。
行事の形は変化し簡略化されていっても、あるひととき、彼の国へ旅立ってしまった方々と共に有るという行事は大切にしたいものです。御霊をお送りする浄土が、どれほど遠い所なのかは知りませんし、行っている行事にどれほどの意味があるのか疑問に思うこともありますが、そうしたことも含めて、このひとときがちょっとした安らぎを与えてくれるような気もするのです。

『 数百万個から数千億個ほどの恒星とガスやダストの星間物質などが集まったものが銀河です。銀河の中でも、私たちがいる太陽系を含む銀河のことを銀河系、もしくは天の川銀河と呼んでいます。
銀河系以外にも数多くの銀河が宇宙には存在しており、規模の大きさによって ゛銀河群゛、゛銀河団゛と呼ばれています。
銀河群と銀河団で明確な境界はないものの、数個から数十個程度の銀河の集まりは銀河群、それ以上の銀河の集まりを銀河団としています。
銀河系から最も近い銀河団はおとめ座、かみのけ座の方向に見える銀河団で、私たちは ゛おとめ座銀河団゛と呼んでいます。距離は銀河系から約5900万光年ほどのところにあります。おとめ座銀河団は暗い銀河まで含めると2000個以上もの銀河が集まっており、地球から距離が近いため、明るい銀河も数多く見られています。 』
 以上は、毎日新聞8月17日付朝刊の「県立大西はりま天文台からの便り」(川端美穂氏)の記事から抜粋させていただきました。

この毎日新聞に不定期に連載されている記事が大好きで、いつも読ませていただいています。
今回の記事の中にも、私たちの星から「約5900万光年」先を、「距離が近いため・・」と表現されています。天文に関わっている方々のスケールの大きさに、いつも感動させられています。
そのおこぼれを頂戴して、大空の遙か彼方に連なる星々、そして、送り火に見送られて帰って行かれる御霊たち・・・、例え一瞬でも、そうした次元にこの身を置いて『特別な時間』を味わうこととしましょう。

( 2023.08.19 )

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小手先では追いつかない ・ 小さな小さな物語 ( 1683 )

2024-02-21 13:36:59 | 小さな小さな物語 第二十九部

厳しい残暑が続いています。
かつては、当地辺りでは、お盆が過ぎると、日中は変らなくても朝夕は大分楽になる、と挨拶の中で語られていました。実際、私などもそうした考えを持っていて、最近では私自身が口にすることが多いのですが、どうも、空念仏のような気がしています。
テレビなどの天気予報によれば、東京や大阪では、あとしばらくは最高気温が30℃を下回ることがなさそうで、それどころか、なお猛暑日も登場しそうな気配です。
当地でも、熱中症アラートが連日出されている状態で、早朝の散歩でさえ汗ぐっしょりで、梅雨明け直後の猛暑と何ら変らず、むしろ湿気が増えているような気さえします。

泣き言ばかり言っても仕方がありませんが、二十四節気によりますと、明日8月23日は「処暑」に当たります。つまり、今日までは、立秋の期間というわけです。
処暑は、物の本によりますと、「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」とあります。また、「暑さが止まって、新涼が間近い日」とも説明されています。
「立秋」の日を迎えても、それで涼しくなるなどと考えている人はまずおりません。「暦の上では秋ですが・・」の名文句を生み出したと共に、この日から後は、「暑中見舞い」ではなく「残暑見舞い」とするのが正しいとされ、こちらは、かなり頑強に守られているようです。
二十四節気など伝統的な教えと現実との乖離が小さくないことは承知しながら、私たちは結構うまく付き合っているのではないかと思ってしまいます。
ただ、それに甘えて、「暦の上では処暑ですが・・」などは勘弁願いたいものです。

先日のハワイ・マウイ島の山火事は、住居地を呑み込む大惨事になりました。今年は、大きな山火事が北米や欧州など多くの地域での発生が伝えられています。
猛暑や熱中症、あるいは豪雨や竜巻などの被害も、多くの国で発生しています。
地球温暖化が叫ばれるようになって久しいですが、どうやら、それによる悪影響は年々増加しているようです。その原因が、現在広く喧伝されている事柄だけが原因なのかどうかは分りませんが、私たちが、地球の気候さえも影響与えるほどの乱暴を働いているのか否か、もう少し真剣に検証し、議論だけでなく実行ある行動が必要な時期が、すでに来ていることだけは確かなような気がします。

世界の英知が、地球規模の対策を実施させない限り、こうした傾向は続きそうな気がするのですが、私たちも、わが国や、限られた地域社会においても成すべき事があるのではないでしょうか。
例えば、高校野球の暑さ対策。今回の甲子園の高校野球でも様々な熱中症対策が行われていますが、それは歓迎するとしても、もっと根本的な対策が必要になっているのではないでしょうか。この時期に大会を行うことが適切なのか。せめてドーム球場に出来ないのか、等です。
また、台風や豪雨、あるいは地震などの自然災害は、わが列島は大変厳しい環境にあります。いくら対策を取るといっても限界があることは否定できません。しかし、安易に「想定外だった」といった発言は聞きたくもありません。ハザードマップ等をもっと周知させて、対策が取れていない場所は、はっきりとその旨を示し、簡単に「想定外」などと言った発言は慎んで欲しいと思うのです。きっと、土地の値段が下がると、強い反対があることは「想定内」ですが。
いずれにしても、自然の変化に対応することは簡単ではないようです。しかし、私たちは、コロナという大変な制約社会を経験しました。何とかその経験を生かして、犠牲者を少しでも少なくするための少々の制約は、受け入れる素地が出来ているのではないでしょうか。
すでに、小手先の対策では通じないところまで来ている、と思うのですが。

( 2023.08.22 )

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平均値では見えないもの ・ 小さな小さな物語 ( 1684 )

2024-02-21 13:35:41 | 小さな小さな物語 第二十九部

全国高校野球夏の大会は、今年も多くの物語を綴りながら終了しました。
大会前には、幾つもの有力校が紹介される中で、慶応(慶應義塾高校)は、結果から見れば、実に順調に5試合を勝ち抜いて、優勝の栄冠を手にしました。各メディアは、107年ぶりの優勝と喧伝していました。100年ぶりなどと言われますと、大谷選手を連想してしまいますが、わが国の野球の歴史はそれほど長いわけではありませんから、107年となりますと、その歴史の端から端に近いような気がしてしまいます。
ある新聞には、大正五年( 1916 年)に第二回大会で、慶応が優勝した時の記事が紹介されていましたが、その見出しは、『 全国中等学校野球大會 慶応優勝す 』とありました。改めて、歴史の流れというものを教えられた気がしました。

今回の決勝戦の下馬評は、若干、仙台育英が優勢とする声が多かったような気がしていました。
もちろん、負ければそれまでのトーナメント戦を、安定した戦いぶりで勝ち上がってきた慶応を高く評価する声もありました。しかし、準決勝までのデーターを比較する限りでは、仙台育英有利とする判断は間違っていないと言えますが、野球というゲームが、そうしたデーター通りに動かないというのも、誰もが承知していることでもあります。
今回の決勝戦においても、慶応の1番打者丸田選手の先頭打者ホームランは、不利とされるデーターなどすべて消し去ってしまうほどの迫力がありました。

現在行われている陸上の世界選手権も、熱い戦いが繰り広げられています。こちらは、リレー競技もありますが、個人競技が主体です。
個人と個人の戦いとなりますと、その日のコンディションや突発的な運不運もありますが、概ね身についた実力が出ています。出場選手は、自分の持っているベストの記録を超えるように頑張るのでしょうが、大きな実力差を一つの試合、一つの大会で乗り越えるのは不可能に近い気がします。
ところが、団体競技となりますと、少し様子が変ってきます。一人一人の選手のデーターからでは具体化させにくい技術なども少なくありませんし、各自のデーターから平均値をはじき出した物からは、そのチームの力を安易に判定することは正しくないようです。
例えば、野球において、チーム打率が2割5分の場合でも、全員が2割5分のチームと、3割の者と2割の者が半々のチームとでは、その攻撃力は同等とは言えず、戦略も大きく変ってくるはずです。

スポーツに関わっておられる方からは、今さら何を言っているのかと笑われるかも知れません。スポーツに限らず、様々な指導に当たっておられる方は、当然その点を配慮しているとおっしゃることでしょう。
しかし、行政の多くの場面では、施策の根底には平均化されたデーターがあるといえましょう。また、そうでなければ公平な行政が行われないとも言えるかも知れません。
けれども、人々は、平均化されたデーターで生活しているわけではありません。様々な施策に堪えられない人、様々な施策では救われない人、制度の階段や狭間で厳しい思いをしている人など、そうした人々は決して少なくないはずです。
多数決や平均値を否定するわけではありませんが、それによって苦しんでいる人々にどのような目配りが出来ているのか、それが優しい行政であり、社会力というものではないでしょうか。

( 2023.08.25 )

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自然の姿 ・ 小さな小さな物語 ( 1685 )

2024-02-21 13:34:22 | 小さな小さな物語 第二十九部

わが家からすぐ近くにある池に、ヨシゴイが来ているということで、このところ立派なカメラを持った人たちが十数人集まってきています。
その池は、灌漑用の池として今も利用されている物ですが、一辺が100mにも満たない正方形に近い長方形ですが、その一辺は、片側2車線と3m程の歩道を持った交通量の多い道路に面しているのですが、池の4分の1位が葦原のような状態になっています。灌漑用の池としては葦などの雑草はない方がいいのでしょうが、おそらく、コウノトリが餌を取りに来たりすることから、池の管理者がある程度の繁茂を黙認しているようです。
ふだんはカイツブリの天下のような状態ですが、数年前からコウノトリが時々姿を見せるようになり、夏にはヨシゴイが来るようになり、今日あたりはヨシゴイの親が2羽・雛が5羽いるそうで、列を作っているところを狙っているようですが、時々2~3羽が姿を見せるだけで、ほとんど葦原の中にいるようです。

今はすっかり数を減らしましたが、当地辺りは、古来雨の少ない地域で、数多くの灌漑用の池が作られてきました。高い山はありませんが、山間には幾つもの池が並んで造られていて、それらの池はそれぞれに村落ごとに所有が決まっていて、多くの小さな水路で田畑に水が供給されていました。かつては、水争いもあり、分岐点などでは寝ずの番をすることもあったと、聞いたことがあります。
ヨシゴイが来ている池も、もともとは低い山際と田畑に囲まれていて、大きさも今の倍以上ありました。二十年ほど前からの大規模な開発により、新しく引かれた準幹線道路と住宅地に囲まれるようになり、周囲の土手も散策できるようになりましたが、魚や亀など水中にいる生き物はともかく、鳥などの住処としては環境が悪くなったように思われます。
ところが、以前は気がつかなかっただけかも知れませんが、コウノトリが姿を見せ、ヨシゴイが雛を育てているとなれば、自然が失われたとは言えず、むしろ自然力が増えているような気さえします。

私たちは、押し並べて自然が好きなようです。自然を守れ、自然を壊すな、環境破壊だ、などという言葉は、よく耳にします。
それほど積極的でなくても、自然に触れたいという気持ちは多くの人が持っていると思われます。本格的な山歩きでなくても、少し郊外に出たり、樹木の多い公園などでも、自然に触れたという感覚を頂戴できるような気がします。
ちょっとした庭であっても、樹木を植えたり草花を育てるのは、単に花の美しさを楽しむだけが目的ではなく、何か、自然に接しているような気持ちが心地よい面も有るのではないでしょうか。ベランダなどで園芸を楽しまれる方も、同様ではないでしょうか。

「自然」という言葉は、ちょっとした辞書で調べるだけでも、多くの意味、広い範囲の状況説明に使われています。
ここで使っている「自然」は、「天然に近い状態」「あまり人の手が入っていないこと」程度の意味で使わせていただいています。 
その範囲での自然ですが、私たちの心身は自然の持つ何かを必要としており、私たちが自覚している以上に影響を受けているのかも知れません。
そして、その自然は、何も堂々たる大自然でなくても、ちょっとした緑、一茎の花、鳥の声、水の流れ、風の感触・・、そうしたものも、こちらの気持ちしだいで、私たちの心身に安らぎを与えてくれるように思うのです。しかも、そうした身近な自然は、まったく天然である必要などまったくなく、近くの池のように、身近な自然にはむしろ適切な人工が必要なのかも知れません。
そう思って、わが家の庭を見回しますと、どうやら、今少し人工が必要な気がつくづくしてしまいます。

( 2023.08.28 ) 

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絶好のチャンス ・ 小さな小さな物語 ( 1686 )

2024-02-21 13:33:19 | 小さな小さな物語 第二十九部

福島第一原発の処理水の放出が始まりましたが、やはり、いくつかの問題が起っています。
現在伝えられている物は、いずれも予想されていた程度のことで、これぐらいの摩擦は覚悟しておく必要がありますし、政府も予測していたとは思うのです。ただ、それにしては、様々な対応策は、処理水の放出と同時に実行されるべきだと思うのですが、「今月中に・・」などといった言葉は聞きたくもありません。おそらく、その様なことは百も承知で、政治的な思惑からなのでしょうが。
それにしても、風評被害対策の予算が300億円というのは、適正なのでしょうか。あの、安倍のマスクでさえ460億円ほど掛かっているそうですよ。

もっとも、その他にも、保証などのための基金が800億円あるそうですし、東京電力も大見得を切っていますから、漁業関係者などへの直接的な損失補填に穴をあけるようなことはないでしょう。ただ、まさか風評被害対策の300億円はこの基金から出るというのではないでしょうが、とかくこの種の費用は、ポトポト、ポトポト漏れがちですから、間接的な費用や、便乗してくる対策もどきには、しっかり目を配ってほしいものです。
それともう一つ、現在いわれている風評被害や損失補填は、福島やその近隣地を中心に議論されている観がありますが、現在の流れは、もっと広範囲なものを考える必要があるように思われますので、後追いにならないようなもっと大規模なものを考えるべきではないでしょうか。

世界の水産資源(魚介類と藻類などの食糧資源)の漁獲量は一貫して増加しています。しかし、天然物の漁獲量は、1980 年頃からは横ばいあるいは下降気味です。増加しているのは養殖による物が増加しているからです。しかも、天然の水産資源は、その90%は何らかの制限を加えなければ枯渇に向かう恐れがあり、そのうちの3分の1ほどは、すでに回復が困難ともされているのです。
天然物が長く利用できる対策が必要であり、養殖のさらなる拡大が必要ですが、養殖の魚も空気と水だけで育つわけではありませんから、自ずから限度があります。
さらに、消費量は、なお増加を続けると考えられます。最近の水産物の消費が増大している背景には、発展途上国を中心に生活水準が上がった人が増えたからだと言われます。しかし、世界には、飢餓と闘っている人が8億人いるとされています。世界の英知がこうした人々に目を向けて欲しいと願いますが、当然それには食糧の消費が増え水産物も同様でしょう。
水産資源の逼迫は、年々厳しくなることでしょう。

今、私たちは、ある大国から水産物の全面的な輸入禁止を突きつけられて戸惑っています。漁業関係者など、影響を受ける方々の困難が思いやられます。
しかし、乱暴な言い方になりますが、今回の問題は、政権さえその気になれば、乗り越えられる問題です。売れなくなった物を政府がすべて買い上げれば済む話です。私たちはコロナを乗り切ったのですから、同じように国家予算を投入すれば良いのです。そのくらいの資金を二年や三年投入しても、この国が潰れることなどありませんよ。
ただ、今回は「買ってやらない」ですから、こうした対応が可能ですが、「売ってやらない」となりますと、いくらお札を刷っても解決できません。場合によっては、国家存亡の危機にさえなります。現に、図式は違いますが、ロシアによるウクライナ侵攻によって、小麦が入手できずに苦しんでいる人々が出ています。
そう遠くない日に、食糧が安全保障上の大きな武器になる日が来るでしょう。現在、食糧の売却を止めて相手国を抑圧しているというニュースは聞いていませんが、工業製品やある種の資源では、輸出制限が行われています。
私たちは、水産資源の輸入禁止を突きつけられてその対策に追われていますが、やがては、相手国から食糧の輸出を止められる危機を迎えるかも知れません。
そう考えますと、政権も一般国民も、食糧自給率についてもう少し真剣に考えるべき『絶好のチャンス』を与えてくれているのかも知れませんよ。

( 2023.08.31 )

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真夏のおでん談義 ・ 小さな小さな物語 ( 1687 )

2024-02-21 13:30:59 | 小さな小さな物語 第二十九部

先日のわが家の昼食のおかずは、「おでん」でした。
お陰様で、家の中はクーラーで快適に過ごさせていただいておりますが、窓の外は、まぶしいような陽光で、今日で猛暑日が何日目だとか、セミさえも鳴き声をひそめています。
こうした日におでんとは、と思わないでもありませんが、そこは家庭の事情ということらしく、買い置きの温めただけで食べられるおでんの賞味期限が原因のようです。
出来合いのおでんの中身は、大根・卵・こんにゃく・ちくわ・ごぼう天・鶏だんごの六種でした。味の方は、まあ、微妙と言ったところでしょうか。

まだしばらくの間は、暑さが続きそうな時に、おでんの話題はどうかと思いましたが、何の何の、テレビや新聞では「おせち」の広告が展開されていますから、おでんの話題など遅すぎるかも知れません。
間もなく、そよりとでも秋風が吹けば、あちらこちらでおでん談義が聞かれるようになることでしょう。
おせちなどでも、地域による具材や味の違いが語られることがありますが、ふだんは故郷のことなど全く関心が無いように思われる御仁が、俄然郷土びいきになるのが、面白い限りです。おでんも、そうした一面を強く持っているようです。

おでんの味を決めるのは、出汁と具材とされています。
しかし、料理の仕方によっても味は変るでしょうし、それぞれの家庭ならではの独特の風味があるようですし、何よりも、「お袋の味」などといった錦の御旗を振り回されますと、とても太刀打ち出来ません。
具材については、地域によって若干の差はありますし、家庭ごとの独特の種も少なくありません。そうした差があるとしても、よく聞かれる具材だけでも、10や15は簡単に並べることが出来ます。わが家の昼食にあった種に加えて、はんぺん・餅入り巾着・厚揚げなども広い支持を得ています。
そうした中で、ほとんどのアンケートで、図抜けて上位を占めるのは、大根と卵(ゆで卵)です。

おでんの種はたくさんありますが、大きく分けて、うま味を提供する具材と、うま味を頂戴して自らがより美味くなる具材があります。提供する側にあるのは、昆布や練り物や牛すじなどたくさんあります。回りから頂戴する側にあるのは、大根や卵やこんにゃくなどです。そして、これらの中で、図抜けて支持を受けている種は、大根と卵が拮抗して並立しています。さらに、物の本には、うま味を提供する具材は長く煮てはならず、うま味を頂戴する具材は、長く煮るほど味が増すと教えています。
さて、ご同輩、あなたは、どちらに属しておいででしょうか。
人間様の人生をおでんと同列にするのは失礼ですが、さしたる味もなく、提供するほどのうま味を持ち合わせていない私としましては、ここから性根を据えて、人生という鍋で出来るだけ長く煮てもらって、たっぷりうま味を頂戴する生き方も悪くないなぁ、と思っているのですが、それはそれで、根性も忍耐も必要なのでしょうねぇ・・・。

( 2023.09.03 )



 

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犯罪の陰で苦しむ人々 ・ 小さな小さな物語 ( 1688 )

2024-02-21 13:29:29 | 小さな小さな物語 第二十九部

「京都アニメーション放火殺人事件」の公判が始まったというニュースを見ました。
三十六人の犠牲者を出したあの痛ましい事件ですが、加害者が重傷を負っていたこともあり、公判に漕ぎ着けるのに、四年もの歳月を要してしまいました。しかも、果たして正常な裁判を行うことが出来るのか、個人的には疑問を感じています。
あの残忍な犯罪がなぜ行われてしまったのか、当初から様々な専門家とされる人たちが意見を述べられていました。そうした中には、必ずと言っていいほど、事件か起きた背景とか、加害者の生い立ちなどについて、あるいは社会の責任といったことが語られます。確かに必要なことなのでしょうが、多くの場合はきれいごとのような気がしてしまいます。
それに、「三十六人の犠牲者」と報じられることが多いですが、堪えきれないほどの心身の痛みを受けた人の数を考えますと、膨大な数が想像され、ただ、ただ、唖然としてしまいます。

残念ながら、国内における犯罪を劇的に減少に向かわせる手段は、ないように思えてなりません。
命を落したり、回復困難なような障害を受けた方々だけでも相当な数に上るのでしょうが、その後ろには、数倍の近しい関係者の人がおり、時には、壊滅状態になってしまった家庭の数も少なくないと考えられます。
何のデーターも持たない意見ですが、一つの犯罪において、そこから発生する個人や家庭の深い傷は、そのほとんどは各自の努力で解決させるしか仕方がないのが、わが国の現状ではないでしょうか。

折から、ロシアによるウクライナ侵攻の悲惨な場面の映像を見ますと、惨禍に遭った人々やその周辺の人々が、それなりの生活を送れるようになるまでに、どれだけの時間とお金と、表現の方法を知らないのですが、精神の歪みを回復させるまでの膨大な何かが必要なのではないでしょうか。
幸いにも、わが国は、あの惨憺たる敗戦からこちらは、戦乱を経験せずに来ています。ありがたいことですが、近隣諸国と事ある毎に様々な摩擦が起きていることを考えますと、いつまでもこの状態を続けるためには、より大きな努力と工夫を必要とされているのでしょう。

そうした大きな問題の数々は、為政者や然るべき指導者の方々にお願いするしか仕方がないのでしょうが、私たちの日常生活の回りにも、危険がいっぱい存在しています。
ほんの小さな犯罪や事故であっても、当事者となった個人や家庭は大きな影響を受けます。被害者はもちろんで、加害者とても同様です。
善悪つけがたい犯罪や事故もありますが、それがはっきりしている場合でも、加害者側にも言い分はあるのでしょう。ただ、悪い方が悪いことは確かですが、私たちの社会は未だに連座制の風潮が強く、重大犯罪でない場合でも、一人の加害者が家庭を崩壊させてしまう例は数限りなくあります。
そうした犯罪の一つとして、無人販売所での窃盗事件が時々報じられています。「人を信用して成り立っている商売をぶち壊している」と指摘しているコメンテーターの人がいました。もしかすると、人前では自分もその様な意見を述べるかも知れないのですが、実は、その正反対の意見を持っています。
人を信じる、人は正直なものだ、といった考え方は大切にしたいと思います。しかし、同時に、人はそれほど強く正しい時ばかりではないような気がするのです。未だに、タバコのポイ捨ては後を絶ちません。自転車事故の多くはルール違反が絡んでいるようです。ちょっとしたミスや横着は、多くの人がついついやってしまうものではないでしょうか。
無人販売店での窃盗も、「盗む奴が悪い」と言うのが100%正しいのでしょう。しかし、もし、そうした店舗がなく、販売員や万全のセキュリティがあれば、「出さなくてもよい犯罪者を生まなかったのではないか」と考えてしまうのです。
小さな犯罪に踏み切らせない、それも社会力の一つだと思うのです。

( 2023.09.06 )

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