悠久の狭間で
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幼くして両親と死別した松下史郎は、土地の有力者の一人娘である四歳年上の千草と、姉弟のように育てられる。
愛とは、命とは、悠久の時空とは・・・
解くことのできない疑問を背負って、史郎は懸命に生きて行きます。
全編38回と若干長編ですが、ぜひ本文をご覧下さい。
悠久の狭間で
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幼くして両親と死別した松下史郎は、土地の有力者の一人娘である四歳年上の千草と、姉弟のように育てられる。
愛とは、命とは、悠久の時空とは・・・
解くことのできない疑問を背負って、史郎は懸命に生きて行きます。
全編38回と若干長編ですが、ぜひ本文をご覧下さい。
目 次
第一章 萩の咲く村 第一回 ~ 第七回
第二章 戦いの街 第八回 ~ 第十四回
第三章 めぐりあい 第十五回 ~ 第二十三回
第四章 妙法の里 第二十四回 ~ 第三十回
第五章 悠久の流れ 第三十一回 ~ 第三十八回
第一章 萩の咲く村 ( 1 )
西に向かう新幹線ひかり号は、新大阪駅を発つと三十分ほどで姫路駅に到着する。
世界遺産にも登録されている姫路城は、その歴史的、文化的な価値を語るまでもなく、規模の大きさや優美さだけでも訪れた人々に強い感銘を与える。
兵庫県の南西部に位置する姫路は、古くから都と西国を結ぶ要地として栄えてきたが、江戸時代初期に現在の天守閣を有する城郭が構築され、播磨の中核都市として発展を続ける基となった。
JR西日本の山陽本線姫路駅からは、二本の支線が内陸部を経て日本海に向かって伸びている。
松下史郎が育ったのは、その支線の駅に近い小さな村である。
もっとも行政上でいえば町制が敷かれているが、人々の生活は昔ながらの村落が単位になっており、農業を中心とした村は山並に抱かれていた。
史郎は両親の顔さえ知ることなく育った。
成長してからは写真で両親の面影を認識していたが、史郎にとっては、両親というより両親という名の人物という感覚に近いものだったと思われる。
もともと病弱だった父は、史郎が誕生する前に病死、母も一歳の誕生日を待たずに亡くなっていた。
松下家が当地に移ってきたのは、史郎の祖父の代である。
祖父は妻を亡くしたのを機に、それまで住んでいた大阪から知人を頼って当地に移ってきたが、一人息子である史郎の父が兵役中に健康を害し除隊してきたことが切っ掛けだった。
祖父と父は、海産物の小商いをしたり、大八車で荷を運んだりして生計を立てていたが、ほどなく祖父は他界した。
その後は父が一人で仕事を続けていたが、出入りしていた池之内家で、女中として住み込んでいた母と知り合い所帯を持った。
しかし、若い二人の生活は束の間の儚いものとなった。
父は結婚一年目を迎えることなく世を去り、新妻は大きなお腹を抱えて夫を見送った。
その母も、史郎が満一歳になる直前に夫の後を追った。
戦況が悪化の一途をたどり、人々の生活が一段と厳しさを増しているさなかだった。
一歳の誕生日を天涯孤独の状態で迎えることになった史郎は、池之内家に引き取られることになった。
松下の親戚が大阪にいるといわれていたが、戦災で生死さえ確認することができず、母も肉親の縁が薄く、幼くして池之内家に住み込んでいたからである。
史郎が実際に育てられたのは、古くから池之内家の女中として住み込んでいる、お吉婆さんだった。
お吉婆さんは、かつては大勢の使用人の世話に当たる女中たちの頭のような存在で、幼くして下働きとして池之内家に預けられた史郎の母の親代りのような存在でもあった。
そうした経緯もあって、孤児となった史郎は池之内家に引き取られたのである。
池之内家は酒造を家業としていたが、同時に、膨大な土地を所有するこの村きっての名家だった。
しかし、池之内家の全盛期は昭和の初期頃までで、太平洋戦争が激しさを増すにつれて、酒造業としての経営は成り立たなくなり、酒を中心とした食品の問屋としての仕事が中心になっていった。
ただ、営業体としての規模や雇い人の数は縮小していったが、その膨大な資産に影響を与えることはなかった。
酒造を営んでいた頃でも、池之内家の経済を支えていたのは地代収入で、酒造業や問屋業の仕事は雇い人の生活を支えるのには役立ってきたが、池之内家の利益としては僅かなものだった。
太平洋戦争終了後の混乱の中でも、池之内家が村の有力者であることに変わりはなかったが、社会情勢の激変がその膨大な資産を襲った。
広大な農地の殆んどを小作に出していた池ノ内家にとって、農地解放政策による打撃は特に厳しいものとなった。それまでの小作料や地代収入の大半を失い、残された農地は僅かなものとなり、殆んど収入を生まない家作と山林が資産の中心となった。
村の有力者としての体裁を守っていかなくてはならない池之内家の台所は厳しいものになったが、よくしたもので、それほど利益が上がらなかった問屋業が、戦後の食糧を中心とした物資不足のため大きな利益をもたらすように変化していた。
お吉婆さんは、池之内家の広い屋敷のうちの一画を与えられていて、そこで史郎と共に生活していた。
池之内家には、普段は使用しない立派な玄関とは別に、家族や使用人がいつも利用する出入り口があった。
その入口を入ると広い土間になっていて、左手が当主家族の住居である母屋部分となっていて、右手は使用人たちが居住したり食事などをするための部屋になっていた。
土間の奥は、昔ながらの大家族のための台所である。
使用人の部屋の方には、土間にそった廊下を隔てて、八畳の和室が四つと十畳ほどの板の間、それに風呂、洗面所、便所などがあった。
昭和の初めころは女中も多く、季節には杜氏が別棟で生活したりしていたが、史郎が引き取られた時には、この広い部分で生活するのは、お吉婆さんと史郎の二人だけになっていた。
板の間は社員のための食堂になっていたが、あとは使われていなかった。
お吉婆さんと史郎は八畳の部屋を二つ使用していたが広すぎるほどだった。
その頃のお吉婆さんの仕事は、社員のための昼食と夜食を作ることと、家の中や庭などを掃除するくらいで、当主家族がいる母屋の方には、別の女中が世話をしていた。
当時はまだ年金制度は確立されておらず、お吉婆さんの収入は池之内家からの給料だけだったが、最低の食材などは別に支給されていた。史郎が引き取られた時、お吉婆さんはすでに七十歳近くになっていたが、史郎の養育費も含めた形で給料が支給され続けていたのである。
史郎は、自分が両親のいない境遇であることは早くから承知していたが、それがどういうことなのか分かっていなかった。
小学校に入る直前にお吉婆さんから両親のことを聞かされていたが、物心ついた時からお吉婆さんとの生活だったので、父とか母とかという存在の意味がよく分からなかったのである。
お吉婆さんが史郎を大きな声で叱りつけたり、手をあげることも珍しくなかったが、史郎も憎まれ口をきいて悪戯ばかりしていた。
お吉婆さんに財産があるわけでなく、優遇されているとはいえ高齢の女中が受け取る給料だけでの生活だったが、その頃は誰もが貧しかったし、池之内家の当主の頭の中には、史郎を養子として引き取ることもあったようで、二人に対して好意的だった。
池之内家の家族は、当主の惣太郎と一人娘の千草の二人だけだった。
千草の母親は、千草が小学校に入る少し前に病気で亡くなっていた。
他に家事を行う住み込みの女中が一人おり、土間を挟んだ反対側にお吉婆さんと史郎の二人が生活していた。
池之内家の敷地内には、造り酒屋の頃の建物が幾つもあった。
空き家になっていたり、一部は倉庫に利用され、一棟は改装されて問屋業の事務所になっていた。
通いの社員が六人おり、当主の惣太郎が社長だったが、業務の方は番頭格の社員が仕切っていて、惣太郎は金庫の管理をしているだけだった。
千草は史郎より四歳年上だった。
両親を知らない史郎と幼くして母と死別した千草は、早くから姉弟のようにして育った。
史郎が母屋の方へ行くことをお吉婆さんは厳しく禁じていたが、千草が史郎やお吉婆さんの部屋に来るのは殆んど毎日のことだった。
そこで長い時間を過ごし、食事をしたり、泊っていくこともよくあった。
母屋の女中は千草が史郎やお吉婆さんの所に入り浸りになることを嫌っていたが、当主の惣太郎は、幼くして母を亡くした不憫さから娘に厳しく対するようなことはなく、むしろ史郎と姉弟のように育つことを喜んでいた。
二人は幼い頃からいつも一緒だった。
幼い頃は、遊ぶというより千草が史郎の面倒をみるという状態だったが、史郎もよくなついていた。いわゆる少年反抗期のような時でも、千草の言うことにはよく従った。
成長するに従って、それぞれの友達と遊ぶことが多くなっていったが、二人だけで遊ぶことも少なくなかった。
史郎が学校へ行くようになってからは、二人が部屋で過ごす時は千草が史郎の勉強をみてやることが主になったが、もっと幼い頃には、お吉婆さんが話を聞かせることがよくあった。
お吉婆さんはどこで覚えたのか、たくさんの話を知っていた。
その中には怖い話も多くて、二人はふるえながら聞き、急に大きな声で驚かされたりすると互いに手を取り合って逃げ出した。
そのくせ二人とも怖い話が大好きで、よくねだって話をしてもらっていた。
お吉婆さんはたくさんの話を知っているだけでなく、話し方も実にうまかった。同じ話でも途中から内容が変わったり、予期せぬところで突然に幽霊や化物が出てくるので、いつも新鮮で実に怖かった。
そんな話を聞いた夜は、二人とも怖さから一人で寝るのが嫌で、史郎がいつも寝ている横にもう一組布団を敷いてもらい、並んで寝ることが多かった。
千草の布団やパジャマは準備されていたので、二人が寝床に入ると、お吉婆さんが母屋の方に千草がこちらで寝ることを伝えに行った。
����� �第一章 萩の咲く村 (��2 )
史郎やお吉婆さんが母屋で食事をするのは、ごく稀だった。
正月とか法事とかには招かれて同じお膳をいただいたが、それ以外に母屋で食事をすることは少なかった。しかし、千草が史郎たちと食事をするのは珍しくなかった。
母屋には当時としては近代的な厨房があったが、お吉婆さんは土間にある昔からの大きな台所で食事を作っていた。
社員のための昼食はお吉婆さんの仕事だったし、残業する社員のために握り飯と味噌汁を用意していた。
史郎の食事は、殆んどが社員用の中から分けられていたが、社員や取引先から二人のために差し入れてくれる物もあり、千草にも楽しい食事であった。
それに、これは史郎が後年になって知ることなのだが、お吉婆さんが自分で作っていた漬物の味はたいへん美味なものだった。
二人が並んで寝る時は、お互いにお吉婆さんの口真似をして怖い話をしながら寝るのだが、どちらが真似ても少しも怖くなかった。それでも大声でキャアキャアと怖がる真似をしながら、いつまでも同じ話を繰り返し、どちらかが眠ってしまうまで続けた。
そして、そのようにして眠った時には、史郎はよく夢を見た。夢に出てくるお化けはふざけあっていたものではなく、お吉婆さんが話してくれる方の幽霊やお化けが出てくるのだ。
史郎は怖さのあまり目を覚まし、布団の上に正座してべそをかいていることがよくあった。トイレへ行きたいのだが怖くて立ち上がれないのである。
そのような時には、必ず千草は目を覚まし、「オシッコでしょ」と言って、連れて行ってくれるのだ。
史郎たちが使うトイレは、建物の端にある社員用のものと共用していた。
夜中に長い廊下を通ってその広いトイレへ行くのが、幼いころの史郎は苦手だった。
「お姉ちゃんは、どうして怖くないの ? 」
ついて行ってもらったあと、史郎は必ず千草に尋ねた。
「あたしはお姉ちゃんでしょ。だから、シロちゃんのこと守ってあげるのよ。でも大人になったら、シロちゃんは男の子だから、その時はあたしのことを守ってくれるのよ」
千草もいつも同じように答えた。
「分かっているよ。お姉ちゃんはボクのお嫁さんになるんだから、大人になったらボクがお姉ちゃんを守ってあげるよ」
史郎は、ついて来てもらった弱みを吹き飛ばすように、大きな声で返答するのもいつものことだった。
夜中に目を覚ましてしまうと、史郎は寝付かれないことがよくあった。その時も千草はすぐに気付き「手を握っていてあげる」と手を伸ばしてきた。
「大丈夫よ。何も怖くないよ。あたしが手を握っていてあげるから何にも心配することないよ。シロちゃんが眠るまでしっかりと握っていてあげるから、安心して眠るのよ」
史郎は千草に手を握ってもらうと、すごく幸せな気持ちになってぐっすりと眠れるのだ。
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外で遊ぶ時は、近くのお寺の境内へ行くことが多かった。
他の子供たちと一緒に集まることが多かったが、二人だけの時はお寺の裏山によく登った。裏山といっても、寺院から続いている細い道を少し登った所に雑木の少ない場所があるあたりのことだが、見晴らしがよく村全体が見渡せた。
そこから上へも雑木の間を縫うようにして小道が続いているが、村人たち も出入りすることはあまりなかった。雑木は上に行くに従い大きくなり、村全体を包んでいる大きな山並につながっている。
その寺院は、山塊が平地に交わるあたりを切り開いて造営されているが、史郎たちが生活している村落より遥かに古い歴史を有していた。
境内は子供たちの遊び場のようになっていたが、その奥に墓地があり、墓地にそった小道を登って行くと、二人がよく行く場所に出る。そして、そのあたり一帯だけは雑木に代わり萩の木が繁茂していた。ずっと昔に当時の住職が植えたものが増えていき、野生化したものだといわれていた。
この裏山の萩の木は、夏休みの終わり頃から少しずつ花をつけ始めるので、小学校へ行くようになってからの史郎は、萩が花をつけ始めると宿題に忙しくなった。
さらに季節が進み、可憐な花があふれる頃には二人は裏山によく行った。
千草は幼い頃から萩の花がとても好きで、史郎を誘うことが増えるのだ。史郎の方は花にそれほど関心がなかったが、萩の花が美しくなるほどに千草は元気を増し、二人で萩の木が繁茂しているあたりを走り回れるのが嬉しいので、花というよりこの季節が好きなのだ。
千草が小学生の頃は、学校から帰ってくると二人でこの裏山に登り、咲き乱れる萩の花に埋もれるようにして陽が沈むまで遊んだ。
緑と赤紫が入り乱れた萩の草叢で、二人は肩を寄せあって、太陽が山の端に沈んでゆくのを飽きず眺めていた。
「シロちゃんは、あたしをお嫁さんにしてくれるの ? 」
史郎が小学二年くらいの頃のことである。
二人は萩の花に包まれていて、夕陽をいっぱいにあびて顔は赤々と輝いていた。
千草の突然の言葉に、史郎は臆することもなく答えた。
「うん、ボクは早く大きくなって、お姉ちゃんより背が高くなったら、お姉ちゃんをお嫁さんにするんだよ」
「ほんとう ? 」
千草はおしゃまな振る舞いで史郎の顔を覗き込み、くるくると大きな瞳を輝かせた。
「ほんとうだよ。ボクはお姉ちゃんをお嫁さんにすることに決めているんだから」
「じゃあ、約束して」
「うん、約束するよ」
「言うだけでは、だめ」
「じゃあ、ゲンマン」
史郎は千草の手を取って指切りをした。
「そんなの、子供のすることよ。あたしをお嫁さんにしてくれるのでしょ ? 」
「そうだよ。約束するよ・・・。約束するのに、なに怒ってるの ? 」
史郎は急に不機嫌になった千草の様子が気になったが、対応の方法が分からず戸惑っていた。
千草は硬い表情の顔を史郎の顔に近づけると、その唇に自分の唇を押しあてた。
唇が触れ合ったのは一瞬のことですぐ離れたが、千草はなお史郎の顔を覗き込んだまま言った。
「これが約束よ・・・。さあ、今度は、シロちゃんがあたしにキスするんよ」
史郎は何が起こったのか分からなかったが、千草に叱られているとの認識があり、自分が原因で千草が悲しんでいるのだと思った。そして、命じられたように唇を押しあてた。
千草の場合は一瞬のことだったが、史郎は千草に抱きつき、じっとしていた。それがどのような意味を持つ行為なのかなど意識になかったが、千草が悲しそうな顔を見せると史郎も堪らないほど悲しくなるのだ。
史郎にとって千草は何よりも大切なものだったが、そこに、物心ついてから一度も接することのなかった母親の匂いを感じていたのかもしれなかった。
二人の間で不思議な時間が流れた。
やがて、千草がなおじっとしている史郎を押し放した。
「もう、いいんよ。これでシロちゃんは、ずっとあたしを守っていかなくてはいけないんよ。分かった ? 」
「うん、分かった」
史郎はおうむ返しに答えたが、なお、千草の中に母親の匂いを追っていた。
幼い二人は、このような経験をしながらも本当の姉弟のように育っていった。
その後も、一緒に遊んだり、勉強したり、並んで寝たり、裏山へも何度も行った。しかし、このようなことは二度と起きなかった。
史郎には、このあとも同じことをしてみたいという気がすることが何度もあったが、まだ小学校低学年の頃のことであり、男と女のキスという観念はなく、母性に引かれる本能のようなものだった。
しかし、史郎の心の中に、自分が大人になった時には千草が自分のお嫁さんになるのだという思いも刻み込まれていた。
世間的には不幸な生い立ちに見える史郎だが、この頃はむしろ恵まれた環境だったといえる。経済的なことを考える年代ではなかったし、考えなくてもいい生活ができていた。父親役はいなかったが、お吉婆さんが母親の代わりをしてくれていたし、千草は本当の姉と同じ存在だった。
本当の姉弟と違うところといえば、二人は全くといっていいほど喧嘩をしなかったことである。これは周囲の人たちが感心するほどで、本当の姉弟でもこんなに仲の良いのは知らないといわれた。
史郎の性格は決して穏和な方ではなく、お吉婆さんにも憎まれ口はきくし、母屋の女中や社員にも時には可愛げのない口答えや行動もあった。友達の中では、むしろ乱暴な振る舞いが目立った。
だが、千草に対してだけは違った。
千草から命じられたことは必ず守ろうとしたし、反抗するようなことは殆んどなかった。このことは千草も同じで、千草が史郎を叱りつけるようなことは時々あったが、史郎がお吉婆さんや他の人に厳しく叱られている時には、涙を流してかばった。
その姿は、幼い頃から、姉というより母親の姿のように見えた。
やがて千草は中学に進学し、史郎は小学三年生になった。
この頃から、千草が史郎の部屋で泊まることはなくなり、訪れる回数も減っていった。史郎は不満であったが、男の子と女の子とはそういうものだとお吉婆さんが教えてくれたが、納得できなかった。
それでも三日に一度くらいは宿題などを教えるために、史郎の部屋を訪れていた。
千草は中学二年になると、週に二日学習塾に通うようになった。
その頃の学習塾は規模が小さく組織もしっかりしたものではなかったが、習字や珠算などの塾も結構盛んだった。
千草は学校の帰りに塾に直行し二時間ばかり勉強するのだが、夏場はともかく冬は帰り道が暗くなった。
何かの機会に、お吉婆さんが千草を迎えに行かせたことから、それ以後は迎えに行くのが史郎の役目になった。
千草の同級生もその塾に何人か通っていて、史郎がビー玉などで遊びながら待っているのを見つけると、「小さなナイトがお待ちかねよ」とからかったが、千草は友達の言葉を気にもしなかった。
「シロちゃん、ありがとう」
と声をかけ、友達と一緒の時でも史郎を除け者にするようなことはなかった。
第一章 萩の咲く村 ( 3 )
史郎に不幸が襲った。
史郎が中学に上がる直前にお吉婆さんが亡くなったのである。
行年八十歳だった。
当時としては決して早い死という年齢ではないが、お吉婆さんはそれまで病気などしたことがなく、史郎にとってはもちろんのこと、周囲の人にとっても予期せぬ死だった。
倒れる日の朝も、史郎をいつもと同じように送り出したあと、昼過ぎに社員の昼食の世話をしている途中で気分が悪いと言いだし、そのまま倒れ込んだのである。
連絡を受けて史郎が学校から帰ってきた時には、すでに入院した後だった。
史郎は学校を休んで病室で付き添ったが、一度も意識を回復することなく三日目に息を引き取った。
この時史郎は、人は死ぬものだということを初めて知った。
父も母も史郎が物心つくまでに亡くなっていたし、その後は親しい人の死に直面することがなかった。
史郎にとって、お吉婆さんは最初から居る存在だったし、いつまでも近くに居てくれるものだと思っていた。いや、思っていたというより、そういう認識さえ持っていなかった。
しかし、朝は元気だった人が、昼には死んでゆく人に変わることに大きな衝撃を受けた。あれほど史郎を護っていてくれた人が、一言の言葉を残すことなく死んでゆくことに限りない不合理を感じていた。
まだ少年だった史郎は、悲しみという感情よりも、誰にぶつけたらいいのか分からない激しい怒りを抱いていた。
お吉婆さんの死によって、史郎の生活を支えてくれる人がいなくなった。
池之内家の当主の惣太郎や千草は、母屋の方に移るように勧めたが、史郎は今まで通りの部屋を使うと言い張った。
かねてから母屋の方には行かないように躾けられていたこともあるが、部屋を移ることがお吉婆さんを捨てていくような気がしたからである。
これまでは二部屋使っていたが一つは空けることにして、お吉婆さんが使っていた部屋に荷物をまとめた。
食事は母屋の人たちと一緒にすることになったので、千草と顔を合わせる機会が増えたのは嬉しかったが、当主の惣太郎や史郎にあまり好意を持っていない女中のナカも一緒なのが気重だった。
学校などの費用も必要な時にナカに頼んでおけば、惣太郎から貰っておいてくれるようになったが、史郎にはそれが大変辛かった。
そのため中学生になってからは、修学旅行を含めて学校からの旅行には一度も参加していなかった。学校に収めるお金のことを言いだしにくかったからである。
千草がそのことに気付き惣太郎を強くなじったことがあるが、逆に史郎が惣太郎からひどく叱られた。史郎にそのような肩身の狭い思いをさせるつもりはなく、むしろ池之内家の恥をさらされた思いだったのである。
史郎と千草の関係も、お互いの成長とともに距離のあるものに変わっていった。
史郎自身も幼年期から少年期へと移行し自我が大きく育っていっていたが、四歳年上の千草の成長はさらに激しく変貌するものだった。
そして、千草にも大きな試練の時がやってきていた。
千草が高校に入って間もなく、惣太郎が後妻を迎えたのである。
惣太郎が妻を亡くしたのは、千草が小学校に入る前である。それから十年の月日が流れていた。
その間に惣太郎に浮いた話もあったし再婚の話もあった。それにもかかわらず独り身を続けてきたのは、やはり千草への配慮からだった。
若くして逝った妻への想いは、惣太郎にとっても軽いものではなかったが、千草の母への想いが自分よりはるかに重いことを承知していた。
再婚相手は、五年来の交際がある三十代の女性で相手の立場や年齢への配慮もあったが、惣太郎自身が将来への不安を感じだしていたこともあった。
それと、千草が中学を卒業したことも一つの決断材料となった。父の再婚という娘にとって関わりたくない現実を、それなりに理解できる年齢になったと考えたからである。
父の再婚に千草は積極的に反対はしなかった。しかし、受けた衝撃は小さなものではなかった。
新しく母となった人は決して悪い人ではなく、よく気がつく如才のない人だった。千草に対しても、母というより姉として接すると言い、その努力をしてくれていることは十分に伝わっていた。
しかし、父や新しい母となった人がいくら配慮してくれても、亡くなった母を否定されているような思いを千草はどうしても消し去ることができなかった。
惣太郎が考えたように、千草も男と女のことについてそれなりの理解を示せる年齢になっていたが、それは同時に、多感な青春の、もっとも傷つきやすい年代でもあった。
千草の変化は帰宅時間が遅くなることから始まった。
史郎と話し合う時間も少なくなっていった。
史郎の方にも、千草が眩しいような存在に変化していっていることを認識していて、幼い時のように接することができなくなっていたことにも原因していた。
再婚一年余りで、新しい母に男の子が誕生した。
千草にとっては歳の離れた弟になるが、そのような実感は全くなく、今度は父と新しい母に史郎を否定されているような気がしていた。
そして、その赤ん坊が日ごとに可愛く育っていくのを見ながら、千草は家を出る決意を固めていた。
千草が実際に生家を離れたのは、史郎が中学三年になった年である。大学入学とともに京都で下宿することになったからである。
この村から京都まで通うのはとても無理で、京都の大学を選んだ以上下宿生活を避けることはできなかった。
千草が京都の大学に進むことを惣太郎が反対していたのは、一人娘を家から出したくなかったからである。
池之内家は今もこの村きっての名家であることに変わりがなかった。
家業が酒造業から問屋業に変わっていたし、資産も戦前に比べると少なくなっているが、名家としての地位に変わりなかった。
いずれ千草に婿を取って継がせるというのが、惣太郎の変わらぬ願いだった。そのためにも、千草には自宅から通える大学に進ませかったのである。
千草が京都の大学を選んだことを史郎は直接聞いていたし、家を離れることも承知していた。
しかし、現実に千草がいなくなった淋しさは想像以上のものだった。そして、父との確執を超えてまで行動する千草の姿に、自分もやがてこの家を出てゆかねばならないことを教えられていた。
史郎は中学一年の終わり頃から新聞配達のアルバイトをしていた。
惣太郎は、史郎が大学を卒業するまでは責任を持つと約束してくれていたが、こまごまとしたお金を請求するのが辛くて働きだしたのである。そして、働こうと考えた動機の中には、漠然とだが自分もやがて千草の後を追うことになるという予感のようなものもあった。
史郎の毎日は、朝刊を配達することから始まり、朝食のあと学校へ行った。夕方は食事の時間に合わせて家に帰り、食事のあとは自分の部屋に籠った。
その部屋は、史郎を赤ん坊の時から育ててくれたお吉婆さんが何十年も暮らした部屋である。ラジオしかないが、史郎はこの部屋が好きなのだ。
一人寝転がってラジオを聴いていると、お吉婆さんが横にいるような錯覚に陥ることが時々あった。錯覚から覚めた時の淋しさはたまらないが、胸が詰まるような懐かしさが忘れられず、自分の方から錯覚を求めようとしたこともよくあった。
朝刊の配達は五時に始まるので、朝は四時には起きなくてはならなかった。そのためもあって、千草が京都へ行ってからは新聞配達店の二階に泊まり込むことが多くなっていた。
千草がいなくなった池之内家は、史郎にとって敷居の高い所になりつつあった。
しかし、中学生の史郎が生きていくためには、この家の援助を受けるしか仕方がなかった。
この頃の史郎の世話を一番してくれたのは、母屋の女中のナカである。
新しく嫁いできた女性の存在は、ナカにとっても深刻な問題だった。史郎に対する態度が親切にっていったのは、一種の防衛本能のようなものなのだろうが、史郎にはありがたい変化だった。
生活の全てを保障してくれる池之内家は何より大切な存在ではあったが、最近はどこか屈辱的なものを感じ始めていただけに、ナカの変化はありがたかった。
史郎は中学三年になった時には高校進学を志望していた。
千草も通っていたこの地区で唯一の公立高校を目標にしていた。
史郎は勉強が好きな方ではなく、自宅で宿題以外の勉強をすることなどめったになかったが、学校の成績は悪くなかった。千草の成績が非常に良かったので比べられると見劣りしたが、公立高校を目指すのに十分な学力はあった。
しかし、史郎が自信を持っているのは体力の方だった。両親ともに若くして病死していたが、史郎には恵まれた体格を遺してくれていた。
小学生の頃には、両親がいないことや、お吉婆さんと歩いていたことなどをはやし立てる子供たちもいたが、そのような時には相手構わずかかっていった。自分もよく怪我をしていたが、相手を傷つけることも少なくなかった。
時には傷を負った子供の親が怒鳴り込んでくることもあったが、何の言い訳もしない史郎を叱るようなことは、お吉婆さんには一度もなかった。乱暴な振る舞いも多かったが、本来優しい性格であることを知っていたし、年下の子を傷つけるようなことは決してしなかったからである。
お吉婆さんは、怒鳴り込んできた相手の親を追い返すだけでなく、その子の史郎に対する悪口を詫びに来ないと許さないと息巻き、詫びに来させたことも何度かあった。
お吉婆さんの向こう意気の強さも大変なものだが、その背景には、この村における池之内家の存在の大きさも影響していた。
小学生の頃まではよく喧嘩をしていた史郎も、中学二年の頃からは喧嘩を仕掛けてくる者がいなくなっていた。年齢に比べて身体が大きく腕っぷしも強かったが、幼い頃から喧嘩を始めると自分が動けなくなるまで戦い続ける凄さがあった。
中学一年の終わり頃のことだが、千草をからかった高校生と喧嘩になり、互いに傷つきながら戦い続け史郎が動けなくなってしまったことがあった。
その時などは、次の日も、その次の日も、その高校生が学校から出てくるのを待ち伏せしていて取っ組み合う凄さだった。
相手は隣町の有力者の息子で、柔道をやっていたこともあり相手にかなり分がある情勢だったが、史郎は絶対に戦いを止めようとはしなかった。続けて動けないようにされながら四日目も待ち伏せしている史郎の姿を見て、とうとう相手の高校生は逃げ出してしまった。
この時は、相手の親が池之内の当主に仲直りのとりなしを頼みにきて、ようやく決着したのである。
この喧嘩はちょっとした評判になり、これ以後は史郎に積極的に喧嘩を仕掛けてくる者はいなくなったのである。
中学三年になると、すぐに進路に関する保護者懇談会があった。
中学になってからは保護者会などに誰も出席することがなかったから、担任の先生は自宅に惣太郎を訪ねて高校進学について確認してくれた。
この時点でも、史郎は千草が卒業した高校に進むつもりだったし、惣太郎も承知していることを明言していた。
だが、その考えが少しずつ揺らいでいた。
当主の惣太郎の考えに変化はなく、史郎にも直接高校進学を勧めてくれていたが、千草のいない家から高校に通うことに意味があるとは思えなくなっていたのである。
「姉さんに、相談したい・・・」
千草に会いたい気持ちが日増しに大きくなっていた。
しかし、千草は帰って来なかった。
三度ばかり手紙をもらっていたので元気らしいことは分かっていたが、五月の連休にも帰らず、夏休みに入っても帰って来なかった。
惣太郎も頻りに帰郷を促していたが、とうとうお盆にも帰って来なかった。
両親には、京都の夏の行事を見たいことやゼミがあるからということで、お盆が過ぎてから帰ると連絡してきていた。
そのことでも千草と父親との間で激しいやりとりがあった。
この地で暮らす人々にとって、お盆は特別に重要な行事だった。
千草にとっても実の母親の御霊を迎える大事な時なのに、どのような予定があるとしても帰って来ないというのはわがまますぎると史郎も思っていた。
史郎の会いたい気持ちは膨れ上がり、怒りのようなものが込み上げかけていた。
第一章 萩の咲く村 ( 4 )
千草が帰ってきたのは、このあたりのお盆の行事が行われる八月中旬を過ぎてからだった。
五か月ぶりに会う千草は、眩しいばかりに輝く女性になっていた。
史郎は千草との距離を測りかねて戸惑うばかりだったが、千草は何の変化もなかったように「シロちゃん、シロちゃん」と話しかけた。
史郎は、帰りを待ちかねていたことをうまく伝えられないことに苛立ち、待ちかねていたことを知られるのも恥ずかしく、複雑な気持ちを整理できないままに、お盆に帰って来なかったことを責めた。
千草は、史郎に対しては「ごめんねぇ・・・」と素直に謝り、そのかわり京都に連れて行ってあげると誘ってくれた。
この誘いで史郎の鬱屈したような気持ちは一瞬のうちに消え去った。
八月も終わりに近く、宿題が残っていたし新聞配達もあったが、千草と京都へ行くことの方がはるかに重要だった。
新聞配達の方は店主に相談して休ませてもらい、喜々として千草に従った。
アルバイト料が貰えるのは月末なので、これまでの小遣いの残りなどを掻き集めたが、「費用のことは心配しなくていいのよ」と、史郎の心配を見抜いたように言ってくれた。
当日は朝早くローカル列車で姫路に出て、そこからは急行列車で京都に向かった。姫路ばかりでなく、東京・大阪間の新幹線もまだ開通していない頃である。
史郎は急行列車に乗ったことが一度もなかった。しかも、千草と二人っきりの旅行など予期していなかっただけに、列車が動き出すと気持ちが高ぶり興奮を抑えることができなかった。
史郎には、千草との旅行に限らず汽車での旅行の経験が殆んどなかった。小学校の修学旅行などの経験はあるが、中学になってからは修学旅行を含め学校からの旅行には一度も参加していなかった。
まだ夏休み中だったが、月曜日のことで乗客は少なく、指定席ではなかったが座席は十分すいていた。史郎は海が見える方に座ろうとしたが、「そちら側は日差しがあって暑いよ」と山側の席を選んで史郎を窓側に座らせた。
大学に入ってから千草が帰ってきたのは今回が初めてなので、史郎が会うのも四月以来のことになる。この間僅かに五か月足らずなのに、すっかり大人の雰囲気を漂わせるようになっていた。
史郎にはそのことが少し心配だった。
窓側の席を勧められたのも何だか自分だけが子供扱いされているような気がして、「姉さんがきれいになった」と、少しばかり背伸びした意見を言った。
「ちょっと、どきどきしているんでしょ」
千草は悪戯っぽく笑いながら、史郎を列車の窓に押しつけるように身体を寄せて、耳元で囁いた。
「それは、シロちゃんも同じよ。春先とは見違えるほど大人になったよ」
その時史郎は、今まで千草に感じたことがないものに気付いた。
香りだった。
「お化粧しているんだ」と思い、本当にどきどきしてくる自分に戸惑っていた。
列車が明石を過ぎる頃、二人は弁当を開いた。
昼頃には京都に着く予定だったが、朝早かったこともあり車内で弁当を食べようという千草の提案で、姫路駅で駅弁を買い込んでいた。 それは、史郎が生まれて初めて食べる駅弁だった。
史郎は勧められるままに千草の分にまで手を伸ばし、その半分位までも食べた。
この時の弁当の味は、史郎にとって生涯忘れられない味となった。こののち何十年にわたって、駅弁を食べるたびに、この日の味とこの日のことを思いだした。
昼前に京都に着いた二人は、まっすぐに西本願寺に向かった。
池之内家のお寺の本山にあたるので、お参りするように父に頼まれたのだと言いながら、千草は史郎の手を引くようにして広い境内を案内した。
両親やお吉婆さんのことを拝むのよ、と言われて手を合わせたが、史郎は拝む気持ちより建物の大きさと荘厳さに圧倒されていた。
そのあと二人は街並みを見ながら御所に向かった。
途中で休息を兼ねて昼食をとり、やがて御所の杜についた。
史郎は、京都に来たのが初めてであり、西本願寺にしろ御所にしろ、その大きさに驚いた。
その他にも、歩いてきた道のいたるところに広大な場所を占める寺院や神社があるのが不思議だった。普通の人はどこで生活しているのだろうと思った。
千草にそのことを話すと、「ほんとうね」と笑いくずれ、史郎に身体をぶつけるようにして預けた。
その頃には、すでに史郎の方がかなり背が高くなっていた。
千草が史郎を御所に連れてきたのは、そこが目的だからではなかった。
鬱蒼とした杜の中の小道と砂利の敷かれた広い道を通り抜けると、道路を隔てて赤い煉瓦造りの建物が見えた。
「あれが、わたしの学校よ」
千草が誇らしげに指をさして史郎に教えた。
その建物は、千草に指差され、同じように誇らしげに自分を見下ろしているように、史郎には見えた。
あの建物が千草を奪おうとしているのだ、と思った。
「行ってみる?」
千草は史郎の心の中に起こっている感情には気付かず明るい声で尋ねた。
史郎は首を横に振り、踵を返した。
一呼吸おいたあと、来た方向に向かって歩きだした。
「シロちゃん、どうしたの」
千草の呼びかけには答えず、史郎は砂利を鳴らすようにして歩いた。
「どうしたの、シロちゃん」
ようやく追いついた千草は史郎の腕を取った。
腕を取られて史郎は立ち止ったが、顔をそむけた。目に涙が浮かんでいた。
「どうしたの・・・。何を怒っているの・・・」
俺・・・、俺も大学へ行く・・・」
千草は腕を組んだまま歩きだした。
御所を東側に出たところに神社があった。梨木神社である。
「お参りして行こう。萩の木がたくさんあるよ」
千草は史郎の腕を離さず、神社に案内した。
本殿に向かう参道の両側には、萩の木が参道をふさぐほどに茂っていた。花の季節にはまだ早いが、赤紫色の小さな花をここかしこにつけていた。
「ごめんねぇ。わたしのことばっかり話して・・・。シロちゃんのこと少しも考えていなかったみたい」
「姉さんのせいじゃないよ」
「かんにんしてね・・・。ここは・・・、萩の木が多いでしょう。ほら、あのお寺の裏山ぐらいあるでしょう」
子供の頃二人がよく遊んだお寺の裏山には、野生の萩の木が茂っていた。夏休みが終わる頃から赤紫色の花をつけ始め、十月の中頃が一番美しかった。
その頃から千草は史郎のことを「シロちゃん」と呼び、今も変わらなかった。史郎は千草のことを「お姉ちゃん」と呼んでいたのが、いつの頃からか「姉さん」と呼ぶようになっていた。
いつの間にか呼び方が変わったように、千草が少しずつ遠くへ行きつつあるのを史郎は感じていた。
二人は名水と説明のある井戸の水で手を洗った。
腕を組んでいた部分が、汗で濡れていた。
千草の下宿に着いた時には、すでに夕闇が迫っていた。
下宿は、古いが立派な家の離れだった。大学で知り合った友達の親戚に当る人の家で、格安で紹介してもらい七月に移ってきたばかりだった。
大家の老夫妻は母屋に住んでいて、離れは息子夫婦に建てたものだが、その息子が東京に転勤になり貸すことになったようである。
離れには六畳の和室が二間あり、押入れが多く小さな台所もあった。風呂はないがトイレはあり、小家族なら十分生活できるスペースがあった。風呂は一日おきに大家が沸かすので、その時には使わせて貰えることになっていた。
「今日はお風呂がないから、少し遠いけれど銭湯へ行く?」
千草が窓を開けながら尋ねた。
「俺ならいいよ、水で身体を拭くから。姉さんはどうするの」
「それなら、わたしもそうするわ。じゃあ、先に身体を拭きなさいよ。お湯はすぐに沸くからね。ずいぶん汗をかいたでしょ。その間にご馳走を作るわ」
千草は、すき焼きを食べさせるといって、途中で買ってきた材料で準備を始めた。
史郎はその横で、同じ流し台を使って身体を拭くことにした。
「裸になっても、いいの?」
「いいわよ。あら、恥ずかしいの? だったら、外にいてあげようか?」
「姉さんがいいのなら、俺はいいよ」
「わたしはいいわよ。シロちゃんなら、真っ裸になっても大丈夫よ。だって、よくお風呂に入れてあげたし、洗ってあげたじゃないの」
「それは、子供の頃のことだよ」
「いまでも同じよ。シロちゃんは、幾つになってもシロちゃんよ」
史郎は上半身裸になって身体を拭いた。さすがに下半身は隣室の隅へ行き素早く済ませた。
「暑いから裸のままでいいよ」
と千草は言ったが、新しいランニングシャツだけ着ることにした。今日のために自分で買ってきたものである。
すき焼きを作る予定だったが普通の鍋しかなかったので、大きい方の鍋で肉や野菜や豆腐などを入れて炊きあげることにして、もう一つある小さい方の鍋で、史郎がご飯を炊いた。
そして、出来上がったものを勉強机と兼用の食卓に運んだ。
すき焼きというより肉鍋という感じで、いつもご飯を炊いているという小さい方の鍋はお粥に近いものになった。
「味は保証できないけれど、量だけはたっぷりよ」
二人は差向いになって食べた。
史郎にとって特別の意味を持ち続けることになる食事なのだが、この時は、ただひたすら食べた。
その夜二人は同じ蚊帳の中に入って寝た。
史郎は隣の部屋で寝ると言ったのだが、
「何を言ってるの。蚊帳に入らずに寝たりしたら、明日の朝には誰だか分からなくなるほど顔が腫れあがってしまうよ。いつも抱き合って寝ていたんだから、少しくらい大人になったからといって気にしなくてもいいのよ」
と千草は笑いながら、史郎を子供扱いにするように睨んだ。
千草はパジャマというよりトレーナーのようなものを着ていたが、史郎はランニングシャツと体操用の白いズボンを寝巻代りに持ってきていた。
いつもは千草が重ねて使っている敷布団を一枚ずつにして使った。蚊帳はかなり大きなものだったが、二人が並んで寝るのにはぎりぎりだった。
話し疲れてもう眠ろうということになったのは十二時を過ぎてからだったが、史郎はなかなか寝付けなかった。
千草は史郎のことをいつも弟として扱っていたし、いつまでも子供のように思っているようだが、史郎はいつの頃からか千草に女性を感じるようになっていた。
よく一緒に寝たのは事実だが、それは史郎が小学校の低学年の頃までのことである。
かなり時間がたった頃、千草が声をかけた。
「眠れないの?」
「うん。姉さんと寝るのなんか、ずいぶん久し振りだから・・・」
「ほんとうねぇ・・・。無理して眠ろうとしなくてもいいのよ。じっとしていたら、そのうち眠れるから・・・。シロちゃん、手をかして・・・、小さい頃のように手をつないであげるわ。そうすれば、きっと眠れるから」
千草は自分から手をのばして史郎の手を取った。
「しっかりと握っていてあげる。これで、ぐっすりと眠れるからね」
史郎がまだ幼い頃、怖い夢をみて夜中に目を覚ますことがよくあった。そのあとはなかなか寝付けないのだが、千草が一緒に寝ている時は必ず気付いて、手を握ってくれるのだった。
「大丈夫よ。あたしが手を握っていると何も怖いものはないからね」と言って寝かしつけてくれたのである。
千草はその時のことを思い出して手を取ってくれているのだろうが、今つないでいる手は、史郎には柔らかすぎる女性の手なのだ。
「手をつながなくても、眠れるよ」
「いいのよ、遠慮しなくても」
千草は言葉に合わせるように握っている手に力を入れた。その力が史郎に心地よく伝わった。
史郎も握られている手を握り返すようにして力を込めた。
「わたしは、どんな時でも、わたしよ。シロちゃんとわたしは、何年経っても、何十年経っても、シロちゃんとわたしよ。心配しなくていいのよ。どんなことが起こっても、わたしはシロちゃんの味方よ」
きっと、あの赤煉瓦の建物を見た時に流した涙のことを言っているのだと思ったが、それには答えず、ふたたび手に力を込めた。
早く大人になりたい、と思った。早く大人にならなくては、千草はどこかに消えてしまう・・・。
そのようなことを考えながら、やがて史郎は眠った。
第一章 萩の咲く村 ( 5 )
次の日は近くを案内してくれるということになっていた。
その頃の史郎が持っていた京都のイメージは、古都というよりも大都会というものだった。
しかし、昨夜は気付かなかったが、朝になって外に出てみると、あたりには大都会というイメージには程遠い典型的な田園風景が広がっていた。
「京都といっても田舎だなあ」と、史郎が笑うと、
「そうでしょう。このあたりはまだまだ田舎なのよ」と、千草も同じように笑った。
「でも、わたしはここが大好き。『妙法の里』と勝手に名付けて、すごく気に入っているの」
と五山の送り火について語り、その山肌を見に行くのよ、と足を速めた。
史郎は、五山の送り火については誰かに聞いたことがあると思ったが、どんな文字が描かれているのか、それらにどのような意味が込められているのか知らなかったし興味もなかった。
それでも、千草がこの夏に見た様子などを楽しげに話すのを聞くのは嬉しかった。送り火に興味がわいたわけではなく、自分を一人前として話してくれているのが嬉しかったのである。
「次は、深泥池を見に行きましょう。怖い池よォ」
今度は史郎の気持ちを裏切るかのように、この池にまつわる怪談話を、まるっきり子供扱いするようにおどろおどろしく語り、悪戯っぽく笑った。
後年になって、史郎が千草の面影を思い浮かべる時、最も心に残っていた笑顔である。
二人は山道をかなり長い時間歩いた。
小さな山を一つ越えた先にあるその池は、満々と水をたたえていたが大部分は鬱蒼とした雑木などに覆われていて、千草の怪談話があながち大げさ過ぎるものではないように思えた。
それが深泥池だった。
そのあとも何か所かに寄った。
いずれも寺院や神社だったが、その一か所に比叡山が美しく見える寺院があった。
おりから降りだした霧雨が、額縁の中の絵のように見える比叡山を幻想的なものにしていた。
二人は肩を並べて座り、語り合うこともなく、夢の中のような景色をいつまでも見入っていた。
降ったり止んだり、時々は陽がさす蒸し暑い京都の残暑に、さすがに若い二人も疲れ切った状態で千草の下宿にたどりついた。
夕食は途中で済まし、夜食代わりの和菓子を買ってきていた。
その日は大家の風呂に入れてもらえることになっていたので、和菓子の一折を手土産に持参し史郎も挨拶した。
弟だと紹介する千草に、大家夫妻は「姉弟は、いつまでも仲良くしなさいよ」と、にこやかに応じてくれた。
その夜も、昨夜のように同じ蚊帳の中で寝た。
史郎は新しいシャツと変えていたが同じ寝間着姿だった。千草の方は浴衣姿に変わっていた。
並んで横になり、今日行った所などについて話し合ったが、史郎はすぐに口数が少なくなってしまった。明日の午前中には帰らなければならないことが気を重くしていた。
明日別れると、おそらく正月まで会えないと思うと淋しかった。
「明日帰ってしまうのかと思うと、淋しいね・・・」
千草は昨日と同じように手をのばして、史郎の肩のあたりに触れた。
史郎はその手を両の手で握り締めた。
そのままの状態がしばらく続いた。
「シロちゃん、こちらに来ていいよ・・・。淋しいもの、ねぇ」
史郎はその言葉でよけいに淋しくなり、握っている両手にさらに力を込めた。
「おいで・・・。一緒に寝よう・・・」
千草の声もいつもの明るい声ではなかった。
史郎は手を離し、身体を反転させて千草に寄り添うようにした。
幼い頃に抱かれるようにして寝たことを思い出していた。
そして、千草の鼓動が伝わってきているような気がしていたが、自分の鼓動が激しくなっているためだと気付いて、なぜか身体が震えた。
「シロちゃん、キスしてもいいよ」
千草のかすれたような声が聞こえた。
史郎にははっきり聞こえたが、どう対処したらいいのか判断がつかなかった。
「いいのよ・・・、おいで・・・」
同じようにかすれた千草の声がした。
史郎は半身を起こし、千草の顔を覗き込むように見た。薄明かりの中で、千草の目がきらきらと輝いていた。
「おいで、シロちゃん・・・」
史郎は起こしていた半身を千草に重ねた。目の前に千草の唇があった。
史郎は自分の唇を重ねた。やわらかな感触が史郎の全身を駆け巡った。
そのあとどうすればよいのか分からず、すぐに顔を上げた。
千草は閉じていた目を開けて、
「前にもキスしたことあったね」と言って、微笑んだ。
そして、片方の手をのばし史郎の頭を撫でるようにしてから、身体を浮かせるようにして唇を合わせてきた。史郎も必死になってそれに応じた。
前にキスしたことがあるというのは、二人がまだ幼い頃のことで、ママゴト遊びのような中でのことだった。史郎にはそれ以外にキスの経験などなかった。
史郎の頭にその時の光景が浮かんだが、それは一瞬のことで、千草の唇と重なり合っている身体を通して、やわらかな感触と甘い香りが伝わってきていた。
いつか史郎の手は、千草の浴衣の胸に差し込まれていた。そして、その手の感触が、さらに史郎の理性を奪った。
史郎は身体を浮かし、両手で浴衣の胸元を開き下着を手繰り上げた。ほのかな明かりの中で、乳房が震えていた。
史郎は、神秘の世界に見える二つの膨らみに顔をうずめた。
「姉さんは俺のものなんだ」と心の中で叫びながら、さらに激しく身体を重ねていった。
激情に襲われながらも、頭のどこかで千草を傷つけてはいけないという冷静なものも働いていたが、同時に、片手は浴衣の裾を広げていた。
そこには、夜目にも鮮やかな白い足が艶やかに輝いていた。
千草の中に自分の知らない世界がある、と史郎は思った。
そして、浴衣の帯を解くことができないことに苛立ちながら、下着に隠されているあたりに手を差し込もうとした。
「シロちゃん、シロちゃん」
喘ぐような千草の声が史郎の手の動きを止めさせた。
差し入れようとした手はそのままに、千草の言葉を聞きとろうと顔を上げた。
「シロちゃん、そこはかんにんして・・・。ね、そこは、かんにんして・・・」
史郎は、自分の行動が千草を悲しませていることに驚き、慌てた。
慌ただしく手を引いたその顔は、今にも泣きだしそうになっていた。
「ごめん・・・」
「ううん。シロちゃんが悪いんじゃないよ・・・。でも、まだ、そこは駄目・・・。かんにんしてねぇ・・・」
千草は優しく諭すように、かすれた声で史郎に語りかけた。
そして、両の手で史郎の頭を抱いて、自分の胸に引き寄せた。史郎は倒れ込むように千草の胸に顔をうずめ、その身体を抱きしめていた。
「シロちゃん・・・。早く、大人になってね・・・。待ってるから・・・」
史郎は全身を襲う激しい震えを抑えることができず、千草の身体にしがみついていた。
そして、なぜか泣いていた。
松下史郎の、十五歳の夏が終わる頃のことだった。
第一章 萩の咲く村 ( 6 )
千草が父や継母の反対を押し切って結婚するらしいという話を史郎に伝えたのは、その頃話す機会が増えていた女中のナカである。
千草に連れられて京都を訪れてから、ひと月ほどが過ぎていた。
史郎にはとても信じられない話だったが、ナカは惣太郎と千草のやりとりをまるで見ていたように詳しく話した。
千草が帰郷を渋っていたのには、惣太郎から縁談の話が出されていたことも原因していたらしい。
相手は継母の縁戚にあたる人物で、池之内家と同業者の次男ということである。惣太郎の考えでは、その男性を婿に迎えて自分のあとを継がせるつもりで、まるで話を決めているような調子で娘を説得したとのことである。
一方の千草にすれば、大学に入ったばかりなのに縁談を決めようとする父の意向は全く理解できなかった。相手の男性についても、会ったこともなければ名前さえ聞いたことがなく、年齢も十歳ほど上なのである。
夏に帰郷した時も父と娘は衝突し、千草は史郎を連れて早々に京都へ帰って行ったが、その後も惣太郎が京都まで出向いて説得を続けていた。
そして、父と娘の激しいやりとりの中で「自分には決めている人がいるので、すぐにでも一緒になる」と逆に千草が言い出し、勘当するだの、二度と家には帰らないなどということになってしまったようだ。
史郎がこの話を最初に聞いた時はまだ父と娘が争っている最中だったが、その後、父からの仕送りも止めるということになってしまい、毎月の手続きを担当しているナカに伝えられた。
再びナカの話を聞かされる時には事態は最悪の状態になってしまっていた。
さらに十二月の初めに、相手の家とも約束が違うとか、どうだとかと話がこじれてしまい惣太郎は苦しい立場に追い込まれてしまった。
結局この縁談話は消滅したが、父と娘は修復が困難なまでに傷つけあい、大きなしこりを残してしまっていた。
それでも千草の継母が中に入り、大学を卒業するまでに必要な資金は渡したようである。
やがて年の瀬となり、正月を迎えても千草は帰って来なかった。
一月下旬、史郎は学校を休んで京都に向かった。
記憶を頼りに御所まで行き、その先にある千草の通う大学を見つけた。校門の前で千草が出てくるのを待つという計画だった。
到着したのが昼前頃だったが、何時になろうと待ち続けるつもりだった。国鉄(現JR西日本)京都駅からここまで歩いてきたが、途中でパンを買って食べていたので夕方までは頑張れると考えていた。
ただ、じっと立っていると考えていた以上に寒さが厳しかった。
京都の冬は関西では寒い方だが、史郎たちの山間の村も、神戸や大阪の都市部に比べるとかなり寒かった。その日は天気も良く寒さなど気にしていなかったが、日陰になっている所で動かずにいると、足もとから寒気が伝わってくるのがはっきりと分かった。
学校の正門と思われるあたりは日差しを受けて暖かかったが、長い間立っているわけにもいかず、通りを行ったり来たりした。
それに、これだけ大きな学校なので他にも出入り口があるかもしれないという不安もあったが、千草は必ずここに姿を現すと自分に言い聞かせながら待ち続けた。
「シロちゃん。どうしたの、何かあったの?」
大分時間が経ち、史郎が心細くなりかけた頃、大きな声を出しながら駆けてくる千草の姿があった。
史郎は嬉しさと張りつめていたものが切れたような気持ちとで全身の力が抜け、千草に抱きつきそうになったが、視線の先に連れらしい数人の女性の姿が見えたので思い止まることができた。
「シロちゃん、どうしたの?」
千草は史郎の軍手をつけた手を取って、今度は声の調子を落として繰り返した。
史郎は会えたことによる安心感と他の人の目が気になって、なかなか言葉が出てこなかった。
「とにかく、行きましょ」
千草は史郎の手を取ったまま、連れだってきた女性のグループのところに戻った。
「ゴメン。今日の講義休むのでよろしくね。そうそう、紹介するわ。わたしの一番大切な人で、史郎君です」
千草は依然史郎の手を取ったまま、悪びれた様子もなく紹介した。
数人の女子大生は、それぞれが史郎に明るい声で挨拶した。
史郎はどう対応したらよいのか分からず、ペコリと頭を下げた。寒さに固まっていた頬が、今度は燃えているように火照っているのが自分でも分かった。
千草は史郎と顔を合わせた時、あれほど何があったのか尋ねていながら、そのことには触れずに歩きだした。
大学から東の方角に大分歩いてから、
「お昼まだなんでしょう?」と、史郎の顔を見上げるようにして尋ねた。
その時もまだ手を取ったままだった。
史郎がパンを食べたことを伝えると、
「じゃあ、おうどんにしようか」
と言うと、史郎の答えを確認することもなく食堂のような店に入った。
史郎が大盛りのうどんを食べる間も、近況を少し聞いただけで史郎の見事な食べっぷりを見つめていた。
そのあと二人は喫茶店に入ったが、そこで「何があったの?」と、千草は心配そうに尋ねた。
二人は、その喫茶店で長い時間話し合った。
史郎は、千草が正月に帰って来なかったことを責めた。
千草の父の惣太郎が勘当すると言っているのは強がっているだけで、本当は千草と喧嘩してしまったことを後悔しているし、最近は元気をなくしていることを話した。
そして、千草の方から仲直りすべきだと、必死になって話した。
「シロちゃん、ありがとう、心配してくれて・・・。だけど、わたしは、もう二度と池之内の家へは帰らないつもりなの。ごめんね・・・。
池之内の家は、新しい母の子供が継ぐのが一番いいのよ。わたしは、池之内の家にはいない方がいいの・・・。父がわたしのことを本気で憎んでいないことは、分かっているのよ。でも、父が新しい母とうまくやっていくためには、わたしがいない方がいいのは本当よ」
「姉さんが家を出るにしても、旦那さんと仲直りしてからの方がいいと思うよ」
「そうねぇ・・・。本当はそうすべきだったと思うの。でもねぇ、いろいろと難しいことになってしまって・・・。
結婚の話、聞いた?」
「ナカさんから、聞いた」
「わたしは、その人と結婚する気なんかないわ。いい人だとか、悪い人だとかなんて関係ないの・・・。本当は、シロちゃんがもっと大人で、シロちゃんのお嫁さんになって、二人で池之内の家を継ぐことができたら、なんて考えていたんだけれど・・・。池之内の家は、あの赤ん坊が継ぐことになってしまったみたい・・・」
千草は史郎との話の中では、すでに走り回っている父と継母との子供を赤ん坊と呼ぶことが多かった。
それにしても、史郎には衝撃的な話だった。
千草が史郎の嫁になるということは、幼い頃にはよく話し合ったことだが、あくまで子供同士の話で今となれば現実味のないことだった。さらに、池之内の家を継ぐという具体的なことは、考えたこともなかった。
それでも史郎の心のどこかに、早く大人になりたい、早く自立して千草を嫁にしたいという夢のような願望を、持ち続けてきたことも事実だった。
しかしこの時、そのようなことを打ち明けることはとてもできなかった。
「それにね、シロちゃん。わたしは京都に来て、もっと大切なことを知ってしまったの。わたしたち人間が、どのように生きて行くべきかということを教えられたの・・・。
もう、わたしには、父の跡を継ぐような生き方はできないわ・・・。社会のために働く道を進むことになると思うの・・・」
この時の史郎には、千草が言っていることを理解することができなかった。
史郎が、学生による平和活動というか、いわゆる学生運動のことを知るのは、これより数年のちのことである。学生を中心とした戦闘的な活動が社会問題として顕在化してからのことだった。
このあと二人は、哲学の道を歩いた。
途中で対岸の細い道に移ったが、そちらの方には残雪があった。
南に行くほど行き交う人も少なくなり寒々とした景色になっていった。
「シロちゃん、おいで」
千草は史郎を木陰に誘い、キスをした。
史郎も千草の身体を抱きしめていた。すでに背丈は史郎の方がかなり高くなっていたが、「それでも、まだ大人じゃないんだ」と思うと、悲しみが込み上げてきた。
「シロちゃん、思いっきり生きるのよ。よく勉強して、人の言うことなんかに惑わされないで、思いっきり生きるのよ」
千草は史郎の顔を真っ直ぐに見つめて言った。
そして、もう一度、背伸びをするようにして史郎の唇を求めた。
これが、二人の別れだった。
史郎は京都まで行った目的を果たせぬまま池之内の家に戻った。
夜の大分遅い時間になったが、ナカがおにぎりを作って待っていてくれた。
最近は新聞配達店の二階で寝ることの方が多くなっていたが、食事は池之内の家で食べさせてもらっていたし、時間が合わない時でもナカが何かを用意してくれていた。今ではこの家ではナカが一番の味方になっていた。
その夜、史郎は高校進学をやめることを決意した。
高校などに行っていては一人前になるのが遅れてしまう、と思ったのである。
高校などに行っていては、一人前になる前に千草が遠くへ行ってしまうとの思いに押されたようにして、決意を固めた。
史郎が進路変更を学校に申し出たのは入学願書を提出する直前のことで、担任の教師は驚いて史郎に進学の重要性を説き、自宅に惣太郎を訪ねて進学させるようにと奔走してくれた。
惣太郎も教師とともに進学するように説得したが、史郎の決意は変わらなかった。
それに、この頃の惣太郎は、千草の問題ですべてのことに無気力になっていて、史郎の将来について真剣に考える熱意などなかった。
第一章 萩の咲く村 ( 7 )
昭和三十四年春。
史郎は大阪市東部にある小さな鉄工所に就職した。
皇太子殿下と美智子さまのご成婚を控え、日本中が沸きあがっていた。
わが国が敗戦後の困難を乗り越えて、高度成長期のスタートに立とうとしている時でもあった。
しかし、史郎が中学を卒業したこの年は、まだこれまでの不況を引きずっていて就職が楽な時ではなかった。
史郎が就職に志望を変更した時には、大企業の採用試験はすでに終わっていた。家を出たいという希望にそって担任教師がようやく見つけることができたのがこの鉄工所だった。
当時の職場環境には、前近代的な部分もまだ多く残されていた。
中堅以上の規模を持つ企業では労使間の対立が激しく、労働争議が報じられることも少なくなかった。その一方で、小規模な職場においては労働基準法さえ満足に守られていない例も珍しくなかった。
史郎が就職した鉄工所も小規模なもので、いわゆる町工場と呼ばれる中でも零細な部類に属していた。
社員構成は、主人と妻女と社員が四人で、そこに史郎が加わって総勢七人である。社員のうち一人は年配の人だが、あとの三人は若く、会社が借りている古い民家で共同生活をしていた。
史郎も入社と同時にそこで生活することになった。民家は主人の自宅に隣接していて、朝夕の食事はそこへ食べに行くことになっていた。
鉄工所がどういう仕事をする所なのか史郎には知識がなかったが、鋼材を中心とした材料や製品を運んだり、機械の周りを片付けたり掃除をしたりの繰り返しで、機械を触ることなどなかった。
まだコンピューター化はもちろんのこと自動制御される部分もない機械ばかりで、何年もの経験を積んでゆかねばならない職人の世界だった。
史郎は入社して一か月が過ぎた頃から辞める方法を考え始めた。
最初から仕事に面白さなど期待していなかったが、共同生活をする先輩社員とうまくやっていけるとは思えなかった。
両親の顔さえ知らない中で育った史郎だが、いざ離れてみると池之内家の人々のあたたかさや、世間に対する力の強さが痛感された。
世間というものを知らな過ぎたともいえるが、共同生活を長く続けられるとは思えなかった。
自分の態度がそれほど悪いとは思えないのだが、史郎に対する陰険ないじめのようなことが続けられていた。
そして三か月目に入った頃、共同生活をしている社員のうち史郎に対していつも辛くあたっていた男を殴り倒してしまったのである。
四歳年上の男だが、退屈な共同生活のうっぷんを晴らすように史郎をからかっていた。
他の社員もいる前で、殆んど一方的に殴り倒したもので、顔の腫れが三日ほど引かなかったが、事の起こりは史郎の金を巻き上げるようことで、明らかにその男に非があったので主人の耳に届くことはなかった。
このことを機にいじめはなくなったが、史郎は完全に孤立してしまった。
しかし、史郎が鉄工所の退職を決意したのには他にも理由があった。千草のことである。
就職することを知らせようと、勤め始める直前に千草の大学を訪ねたが、春休みになっていた。仕方なくおぼろげな記憶を頼りに下宿を訪ねたが、千草はそこを引き払っていた。
一度会ったことがある大家は史郎を覚えていて、学校も辞めて結婚する、といって出て行ったことを気の毒そうに教えてくれた。
さらに、史郎が五月の休みを利用して池之内の家に帰った時、千草が駆け落ちした、とナカが教えてくれた。
すでに別の大学の上級生と一緒に生活していて、「旦那さんは、お嬢さんのことは諦めたらしい」ということを、幾つもの噂を交えてくどくどと話してくれた。
史郎が鉄工所の先輩を殴り倒したのは、ナカの話を聞いてから間もない頃である。少々あくどい悪さをしても黙っている史郎に対して、その男がやり過ぎてしまったこともあるが、その時の史郎が自分を抑制できない状態になっていたことにも原因があった。
そして、その事件の少しあと、史郎は会社を休んで再び京都を訪れた。
恥ずかしさに耐えながら校門を出入りする女子大生に千草の消息を尋ねたが、教えてくれた何人かの話は史郎にとって絶望的なものばかりだった。
千草は、四月になってから大学に殆んど顔を見せていなかった。別の有名大学の男子学生と一緒に暮らしているようで、生活のために働いているはずだとも言っていた。
その男子学生は、京都の学生の中では有名な人物で、幾つかの活動のリーダー的な存在で、警察に追われているようなことを言う女子大生もいた。
大学は退学していないようだが、妊娠しているはずなので当分大学には出席できないだろうとの話もあった。
得られた情報はいずれも史郎を苦しめるもので、肝心の居所を知る人には会えなかった。
千草に対する切ない思いが史郎の心を苛んだ。
それは、裏切られてしまったようなものと、苦しんでいるのではないかという心配と、助けることができない自分の無力さを恨む気持ちが入り混じったようなものだった。
そして何よりも、自分の無力さが情けなかった。
まだ少年ともいえる史郎の悶々とした日々は、千草がすでに自分から離れ去っているのだと自身に認識させるための時間でもあった。
千草があの時言った「思いっきり生きるのよ」という言葉は、独り立ちせよという別れのメッセージだったのだとようやく思い至った。
こんな所に居てはいけない。
三年も四年も下働きしている時間は自分にはないのだと史郎は思った。小さなことで足を引っぱりあうような所にいて、うじうじしている時間はないのだと自分自身に言い聞かせた。
「思いっきり生きるのよ」と言った千草の言葉を無駄にしてはいけない。早く力をつけなくてはならない・・・。
高校進学を断念して働くことを選んだ史郎にとって、力とは即ち「金」だった。
「金」を稼ぐことこそが力を持つことへの一番の早道だと、十六歳になったばかりの史郎は考えていた。
鉄工所の給料は五千円だった。
主人の家での食事や家賃が無料なので、当時としては特に低いというものではなかった。しかし、食事は主人の家のものだけでは足らなかったし、会社が休みの日は自分で賄わなければならない。三か月働いてみても、金を残すどころか手元に持っていたものを使い込んでいた。
中学を出たばかりの少年が、自分の給料だけで生活することに無理があるのか知れないが、史郎には我慢がならなかった。先輩たちの生活を見ていても、給料前になると史郎の金さえあてにするほどなのだ。
二年や三年頑張ってみたところで、金が貯まるどころか自分の大切な貯金まで無くしてしまう可能性が高いと思った。
その時史郎は十万円余りの貯金を持っていた。
そのうちの十万円は、お吉婆さんが必死になって残してくれた金である。その他にもアルバイト料の残りや、家を出る時惣太郎からもらった餞別を貯金していた。
大学生の初任給が一万二千円位の頃なので、少年にとって少ない金額ではなかった。鉄工所に勤め始めて間もない頃から、その貯金を使いたい誘惑に何度も襲われたが、その度に懸命に耐えてきた。自分が力をつけて行くためには、お吉婆さんが残してくれた金に簡単に手を付けてはならないと、何度も何度も自分自身に言い聞かせていた。
史郎は主人や先輩に内緒で鉄工所を辞める準備を始めた。
史郎の仕事は相変わらず工場内をうろうろするだけで、一番力持ちだということ以外には必要とされていなかったので、いつ退職しても会社が困ることなどない。
しかし、史郎自身の方はそういうわけにはいかなかった。次の日からの生活を考えなくてはならないからである。
それに、いざ転職するとなると簡単なものではなかった。十六歳の少年にそれほど有利な転職先が簡単に見つかるはずもなかった。
それでも史郎はあれこれと考えを巡らし、お盆前に賞与が貰えることを聞いていたので、八月の末に退職するのが一番有利だと計算していた。
盆休みに史郎は池之内の家に帰った。
一か月分の給料にも満たない額だったが賞与をもらっていた。女中のナカは、史郎の心ばかりのお土産品を大変喜び懐かしんでくれた。
「いつでも帰ってきてよい」と言ってくれていた惣太郎の言葉に甘えて、この夜もお吉婆さんと暮らしていた部屋を借りた。ナカは夜遅くまで史郎の部屋で話し込み、千草に関する断片的な情報も伝えてくれたが、史郎にとって喜ばしいものではなかった。
その後も千草から池之内家へは何の連絡もないようだった。
今頃は、大きなお腹を抱えて、一緒になった大学生と共に警察の目から逃れるような生活のようだ、とナカは声をひそめるようにして話した。
それは、断片的な情報をもとにしてナカが作り上げた話だと思われたが、警察が千草の消息を池之内家へ照会してきたことは事実のようだった。
ナカは千草の話をしながら史郎の悲しげな表情に気付いたのか、
「お嬢さんは苦労をしているかもしれないが、いやな結婚をして安楽な生活をするより、今の方がずっと幸せなんですよ」という言葉を付け加えた。
史郎が知りたかった千草に関する情報はそのくらいのものだったが、ナカにとってもっと大きな関心事は、池之内家の商売の行く末だった。
営業を続けていくかどうかという状態になっている様子で、場合によっては、ナカの問題にもなる可能性があったからである。
池之内家の食品問屋としての商売は、確かに曲がり角に来ていた。
この数年は全く利益が出ない状態が続いていたし、大都市を中心にスーパーマーケットが出現するなど、食品に関する流通経路に大きな変化が起きていた。それは単に食品業界だけということではなく、あらゆる業界において流通革命と呼ばれる大きな波が起ころうとしていた。
地方の小さな町や村においても、旦那商売と陰口をたたかれるような問屋商売が成り立つ時代が終わろうとしていたのである。
商売面の不振だけでなく、この十年間をみても池之内家はかなりの資産を減らしてきていた。
このあたりでは有数の資産家といわれてきたが、その資産の中心となるものは貸家と貸地だった。
表面上は大きな資産のように見えるが、古くからの貸家や貸地の賃料は極めて低いもので、固定資産税などを差し引けば手元に残るものは殆んどなかった。
公共団体による土地買い上げなどで手放してきた不動産もかなりあるが、敷金や権利金など受け取っていなくても借家人などに支払われる額は小さなものではなかった。当然、池之内家が受け取るものは表面上の資産より遥かに少なかった。
さらに、千草が出奔したような状態になったことで、惣太郎の気力の衰えが目立つなど池之内家の衰運の兆しが表面化してきていたのである。
池之内家で一泊したあと、史郎はふたたび京都を訪れた。
断ちがたい千草への気持ちを整理するのに、故郷の村は役に立たなかった。
盆休みが終われば鉄工所に退職を申し出るつもりだが、その前に千草に対する思いを整理しなくてはならないと、気持ばかりが焦っていた。
これまでと同じ道順で大学を訪れたが、夏休み中ということで学生の姿は少なく何も得ることができなかった。
史郎は重い足取りで銀閣寺に向かった。
京都の街は碁盤の目のようになっているから便利だといわれるが、土地に暗い史郎には分かりやすい街ではなかった。
およその見当をつけて東の方向に歩いた。銀閣寺への標識を頼りに進み、ようやく疏水添いの道を見つけた。
千草が哲学の道だと教えてくれた、思い出の道である。
あの日は、所々に雪が残っていた。
今は、灼熱の太陽が照りつけていた。
歩き続けてきた全身は、水を浴びたように汗にまみれていた。
京都の冬は寒いが、夏も暑さが厳しい土地である。
史郎は木陰に身をおいて、タオルで汗をぬぐった。顔から首にかけて、拭っても拭っても汗はひかず、タオルを絞ってからまた拭った。
疎水の水は、あの日と同じように流れていた。
史郎は水の流れを見続けていた。
いくら見続けたとて何の解決にもならないことは分かっていたが、千草への思いを断ち切る方法が見当たらなかった。
「思いっきり生きるのよ」
史郎は、千草の言葉を思い起こしていた。
あの時千草は、自分に対して、一人で生きて行けと励ましていたのだ。千草から離れて、一人で生きよと言っていたのだ、と思った。
大人になれない自分が悔しかった。
どうすることもできない、千草との四歳の年齢差が悲しかった。
東京へ行こう、と史郎は思った。
流れてゆく疎水の水を見ながら、史郎は決心した。
あの日、千草と共に見た疎水の水は、遥か彼方に流れていってしまったのだ。自分もこのあたりに居てはいけない。
東京へ行こう。
史郎は、小石を一つ力まかせに疎水に投げ込んだ。そして、汗と涙をタオルで拭い、疎水に背を向けて走りだした。
第二章 戦いの街 ( 1 )
列車が東京駅に到着したのは朝の九時を少し過ぎていた。
大阪から普通列車を乗り継いでの旅だった。降りたホームの水道で顔を洗い、両手を上げて大きく伸びをした。
これが、松下史郎の東京生活のスタートだった。
昭和三十四年九月。残暑というより真夏を思わせる東京の朝だった。
史郎は駅の売店でパンと牛乳を買ってきてホームのベンチで食べた。東京での最初の食事である。
そのあと同じ売店でスポーツ新聞などを三紙買い、求人欄を入念に見ていった。できるだけ早く、住み込みで働ける所を見つける必要があった。
広告欄には溢れるほどの求人広告が出ていたが、いざ身を寄せるとなると簡単に選び出せるものではなかった。
住み込みが可能な募集としては、飲食店やパチンコ店、それにどのような仕事をするのか分からないが雑役夫などである。
ただ、どれも年齢が自分よりもっと上の人を対象にしているようなものが多かった。
史郎が、ようやくこれだと思った求人広告は、練馬区にある新聞配達店が出している配達員の募集だった。
学歴、年齢、経験ともに不問で住み込み可というのが史郎の条件に適っていたし、経験ということでは自信があった。
鉄工所の勤めは五か月ほどしかなく、経験したのは重量物の運搬と掃除だけである。だが新聞配達となれば、一人前の男を相手にしても負けない自信があった。
給料などは「委細面談の上優遇」となっていて、それがどの程度のものを指しているのか分からないが、住み込み可というからには最低の生活はできるということだと判断したのである。
新聞配達の仕事が長く勤めるものではないことは、史郎は経験から分かっていた。店主として独立するのならともかく、いくら経験を積んでも配達できる部数が増え続けるものではないから、給料も増え続けることなど有り得ないと認識していたが、東京の最初の仕事としては悪くないと考えたのだ。
何せ、東京には親戚も知人もいないのだから、生活の拠点を早く決める必要があった。
それに加えて、新聞配達の仕事は朝が早いのは辛いが、その後は時間が十分あるので、うまくいけば学校へ行けるかもしれないという思惑もあった。
「よし」と声に出し、史郎は立ち上がった。
配達員の求人に応募するということを決めただけなのに、史郎は勤めが決まったような気持ちになっていた。張りつめていた気分がゆるみ、安心感のようなものが広がっていた。
求人先に行くのは明朝と決め、今日一日は東京を見学することにした。
東京の地理については、東京行きを決意した時に買った案内書から得たものが知識の全てだったが、東京に着けば最初に行動することは決めていた。山手線を一周して車窓からの景色を見ることである。
史郎の計画では、それで東京の主な街並みの何割かを見ることができると考えていた。
到着した人影のないホームから山手線のホームへ移動すると、人波が溢れていた。
その人波に小突きまわされるようにしながら電車に乗ると、ラッシュの時間が過ぎていたからか意外に空いていた。
楽に座ることができたが、電車が動き出してみると、小さな子供のように窓に向かって座るわけにもいかないので、外を見る姿勢は苦しいものになった。
結局立つことにして、吊り革を握って車窓の景色を食い入るように見続けた。
その姿勢で、山手線の内側と外側に立つ場所を変えながら一周半して、池袋で降りた。
もっとも、史郎のこの努力は、このあとの長い東京生活で役立つことはなかった。
大きなボストンバッグを提げた史郎は、国鉄(現JR東日本)の池袋駅を出た。当時の池袋駅周辺には高層建造物は少なく、高いものでも十階程度だった。
史郎が育ったのは小さな村だが、姫路の他、神戸、大阪、京都などの街並みを知っていたので、池袋の印象は特別に大都会というものではなかった。
史郎は駅を中心に歩き回った。
国鉄の線路で街が二分されているように感じられたが、主に山手線の内側を歩くことにした。
一時間ばかり歩いたあと、あまりきれいでない食堂に入り、うどんを食べた。だだっ辛い味と醤油そのままのような色が、東京での生活が簡単なものでないことを物語っているように感じられた。
史郎は、うどんを食べながら今夜泊まる場所を考えていた。
史郎には小学校の修学旅行以外にホテルや旅館に泊まった経験がなかった。最初の計画では駅か公園の休憩所などで寝るつもりだったが、溢れるほどの人波が途切れない様子を目にしては、少々無謀だと思いはじめていた。
急いで安い旅館を探す必要があった。
しかし、幸いなことに、うどんを食べたあと再び歩き回っている途中で、一晩中上映している映画館を見つけることができた。
表通りから一本奥に入った場所にあり、古い洋画の三本立てで朝まで居れるうえ料金は高くなかった。
すでに夕方になりかけていたから、その映画館を見つけることができたのは運が良かった。
掲示されている上映時間の表と料金表を何度も確認し、朝まで居れることに間違いないことが分かると、急に空腹を感じた。
朝から米の飯を食べていなかった。
早速、映画館の近くにある狭いラーメン屋に入った。陳列されている見本を頼りに、タンメンと大盛りの飯を注文した。
史郎が生まれて初めて食べるタンメンは実に美味かった。
これまでに入ったことがある関西のラーメン屋には、タンメンというメニューがなかった。昼食べたうどんの味には幻滅させられたが、タンメンは、その味といい、麺の美味さといい、何よりもこれでもかというほど盛られた野菜の量がすばらしかった。
このタンメンさえあれば、東京で生活して行ける、と思った。
考えてみれば、幼い頃から史郎の食卓にのる総菜の中心は野菜だった。お吉婆さんは、乏しい家計費の中から史郎にだけ魚などのおかずを加えてくれていたが、中心となるものは野菜であり、昔ながらの調理方法のものだった。
お吉婆さんに躾けられたこともあり、史郎は食べ物に対して不服を言わない少年だったが、同時に、お吉婆さんが調理する野菜の美味さも分かっていなかった。
大阪で生活するようになって、お吉婆さんの野菜の味が恋しくなるようになった。池之内家の母屋で食事の世話を受けていた時にはそれほど感じなかったことを思えば、池之内家の味はお吉婆さんの味だったようだ。
大阪の生活では、味にも抵抗があったが、池之内家での生活に比べ野菜の量が遥かに少なく、身体が野菜を求めているのを実感したことが何度もあった。
東京の路地裏の狭いラーメン屋で、史郎はお吉婆さんのことを想った。
史郎が東京に来て一年が過ぎた。
幸いにも、史郎が訪ねた新聞配達店は、高齢で退職した配達員のあとが欠員になったままの状態だったので、ボストンバッグ一つで飛び込んできた少年に難しい条件など付けず、即座に採用してくれた。
史郎にとって幸運だったが、配達店にとっても即戦力の貴重な人材となった。
新聞配達に関しては、史郎には二年ほどの経験があるので、少し土地に慣れてくると目覚ましい働きぶりを発揮した。前任者は超ベテランの配達員だったが、退職した時には七十歳を過ぎていたので、少し慣れてくればスピードが違った。
それに店主やその妻女にすれば、子供のような年齢なので使いやすかった。
朝は三時に起き、顔だけ洗うと仕事に取り掛かった。
トラック便で新聞が届くと前日に準備していた広告チラシと組み合わせ、地区ごとの部数に区分けしていくのである。
広告チラシの数は故郷の配達店に比べると驚くほど多く、殆んど毎日あった。
地区ごとの配達員が顔を見せはじめると、史郎も自分の配達分を持って飛び出すのである。
自分の配達が終わり、妻女が全員の配達完了を確認すると、店主と一緒に朝食をいただくのが日課になっていた。
それからあとは時間が空くが、三時頃には夕刊の配達が始まり、終わると翌日用の広告チラシの準備があった。
この夕刊の配達は、史郎の予想外の仕事だった。故郷の村では夕刊の配達がなかったので、新聞配達の仕事は朝だけだと思っていたのである。
掃除などを済ませ仕事が終わるのは、夕方六時を過ぎた。
それからの時間は自由で、たまに池袋に出ることもあるが大体は店舗の二階にある部屋で過ごした。昼寝をめったにしない史郎は、夜は八時になると眠くて仕方なくなるのだ。
近くの食堂で食事をし、毎日ではないが銭湯に寄ってくると、もう寝る時間だった。それから寝入るまでの短い時間は、新聞を読みながらラジオを聴くのが常だった。
僅か十六歳の少年が、何の当ても持たずに東京に出てきた無謀さを考えれば、幸運な一年だったといえるかもしれないが、生活パターンが固まってくるにつれて不満が膨らみはじめていた。
東京での生活を考えた時の重要なテーマの一つに、学校へ行くことがあった。
もっとも、漠然と夜間高校を考えていただけで、どのような手続きが必要かということさえ確認していなかったが、新聞配達店の仕事は時間的に最も適していると考えていたのに、実現できそうもないことも不満の一つになっていた。
さらに給料面も満足できるものではなかった。
給料は鉄工所より少し良かったが、食事が付いているのが朝だけなので食費が高くついた。月に一度か二度、池袋の安い映画館へ行く以外に遊ぶことなどなかったが、給料での生活は苦しかった。
一年経ってみても、お金が残るどころか少し使い込んでいた。郵便局の通帳になっている史郎の全財産ともいえる貯金には手を付けていなかったが、東京駅に着いたとき持っていた現金は使い込んでしまっていた。
毎月の生活でも、給料前には昼食を抜かすことが度々あった。夕食を抜かすことには耐えられなかったが、この一年の史郎の主食ともいえるタンメンだけで過ごすことも少ない回数ではなかった。
新聞配達をしている以上、今より給料が大きく増えることがないことは分かっていた。長い間続けるべき仕事でないことも承知の上だった。
生活に慣れてきたこともあって、空いた時間の仕事を見つけるか、将来のために何か勉強しなくてはならないと焦りはじめていた。
十七歳になっていた史郎に、大きな転機をもたらすことになる出来事が起きたのは、将来に対する不安に心が揺らぎはじめていた頃である。
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