キャットスマイル
微笑みをありがとう
全体で十二回の中編の小説です。ぜひ、ご覧下さい。
キャットスマイル
① チロの微笑み
「お母さん、ほら、見て。このネコ笑ってるよ」
「ええっ・・、まさかァ・・、気のせいでしょう?」
「ほんとよ、ほら、私の顔を見て安心したのよ、それで微笑んでるのよ」
この、お姉さんの言葉が、ボクが新しい仲間たちと生活するきっかけになったのです。
* *
その朝、目を覚ましたとたんに、何か大変なことが起こっているらしいことを感じました。
だって、あたりの様子が全然違うのです。いつもはタオルが敷かれている箱の中で寝ていたのですが、今いる所は草むらの中なのです。
そういえば、昨夜、食事の後気持ちよく眠っている途中に誰かに抱えられたような記憶がかすかにあるのですが、それも一瞬そう思っただけでまた眠ってしまったのです。その後でも、何だか寝心地が違うなと思いながら何度か寝返りを打ったりしたのですが、目覚めてみると、何と草っぱらの大きな木の根元にいたのです。
大きく伸びをして、いつものように水を飲もうと思いましたが、水が入っている入れ物がないのです。第一、ここは家の中ではなく、外だったのです。
とにかく水を探そうとボクは歩きだしました。そう、ボクは目もしっかりと見えるし、歩くだけではなく、走ることも出来るんだよ。
理由は分からないけれど、今ボクがいる所は広場になっていて、その一角には、水がポトポトと落ちている所があったので、下に流れている水を飲むことが出来たのです。
そして、もう一度先ほどの木の根元近くにうずくまって、食事を持ってきてくれるのを待つことにしました。
その後、またうとうとしたりして大分時間が過ぎましたが、いつまでたっても食事もミルクも持ってきてくれないのです。近くを人が大勢通るのですが、誰も知らんぷりです。
何度か水を飲みましたが、それだけでは空腹は治まりません。やはり、何か大変なことが起こっているみたいなのです。
ボクはその広場を出て、道を横切ってどこかの家の庭に入りこみました。何かを食べないことには空腹で目が回ってしまいます。
すると突然、大きな声が聞こえてきました。誰かが竹箒のようなものを持ってボクに向かってくるのです。ボクは夢中で逃げました。食事をくれるどころか、あんな棒でぶたれたりしたら大変です。
夢中で逃げ込んだ所は別の家のようでした。ボクは注意深くその家に近付きました。また追い払われるのは恐いけれど、食べ物らしい匂いが微かにするのです。
その家のテラスに食器が置かれていて、食べ残しらしいものがあったのです。いつものよりは固いし、一片が大きいのですが、文句を言える状態ではないので、夢中で食べました。
ほとんど食べ終わった頃、今度は犬の声がして、ボクを威嚇しているのです。どうやら、あの犬の残りを頂戴してしまったらしいのです。
もう大丈夫だと思われるあたりまで逃げると、今度はのどが渇いてきました。水のある所に戻ろうと思いましたが、その方向が分からなくなってしまいました。人や犬に追われているうちに、どこをどう逃げたのか分からなくなってしまったのです。
家が途切れた先は畑地になっていて、小川の水を飲むことが出来ました。
その夜は、最初とは違う広場に出たので、茂みの陰で寝ることにしました。
お腹も少し空いていたし、何よりもひとりぼっちなのが寂しくて、なかなか寝付けませんでしたが、生まれて初めて走り回ったため疲れていて、いつの間にか眠ってしまいました。
一晩眠れば前の家に帰っているはずだと願っていましたが、次の朝も知らない広場の茂みの中でした。
大変なことになってしまった、という思いも浮かんできましたが、それよりも空腹の方が激しくて、とにかく食べ物を求めて歩きだしました。
すると、激しい唸り声がしました。このあたりを縄張りにている野良ネコらしく、いやに太っていて噛みついてきそうな気配です。幸い、ボクがあまりに小さいので見逃してくれたのか、ボクが逃げ出すと後を追ってくるようなことはありませんでした。
幾つかの家や、茂みなどを通り抜けましたが、食べ物らしいものは見つかりません。水は何度か飲みましたが、空腹は治まりません。
いつの間にか、また公園らしい所に出た時、ボクを呼んでいるような声がしました。向こうの方に五人ほどの子供が集まっていて、ボクを呼んでいるみたいなのです。
知らない人たちですが、きっと何か食べさせてくれると思って恐る恐る近付くと、その中の一人が虫を捕る網みたいなものでボクを捕まえたのです。
ボクは怒りました。食べ物をくれるどころか、いきなりこんな乱暴される理由などないはずです。ボクは精一杯の声で怒りましたが、子供たちは、「怒った、怒った」などと言いながらその網と一緒にボクを振り回すのです。そのうちに網から放り出されてしまい、腰のあたりを激しく地面に打ちつけられました。
目も回っていましたが、ボクは必死になって立ちあがり、よろけながら近くにあった溝に逃げ込みました。溝にはほとんど水はありませんでしたが、体中泥だらけになりながら走りました。その溝の半分ぐらいには金網のような物が張られていたので、その下まで逃げてうずくまりました。
しかし、子供たちは執念深く追っかけてきて、金網の上で暴れたり、細い木の枝を見つけてきて、隙間からボクを突こうとするのです。
ボクは再び溝の中を走りだし、懸命に飛びあがって外に出ました。
その時、首のあたりに激しい痛みを感じました。何かが突き刺さったらしく、とても激しい痛みです。
傷の様子を確認したいのですが、子供たちがなお追ってくるのでその暇もありません。
広場を突っ切って道路を渡ってどこかの家の庭に駆け込みました。全速力で走ったのですが、すでに弱ってよろよろしていたらしく、人間の子どもなんかが簡単に追い付いてくるのです。ボクは大きな庭木があったのでそこに駆け登りました。生まれて初めての木登りでしたが、子供たちはなおも垣根越しに網でボクを捕まえようとしているのです。
ボクは大声で威嚇を続けましたが、いつの間にか泣き声になっていたかもしれません。声がだんだん小さくなり、傷の痛みも激しくなってきて、ただ網で掬い捕られないように木にしがみついていました。
その時でした。ボクや子供たちの声が聞こえたのでしょうか、その家の人が出てきました。女の人が二人です。
「あなたたち、何をしてるの。動物をいじめたら駄目でしょう」
と、子供たちを叱りつけました。
子供たちは憎まれ口を聞きながらも、逃げ出して行きました。ボクはほっとするとともに全身の力が抜けてしまったのか、木から下りることが出来なくなってしまいました。
「もう、大丈夫よ。安全な所へ逃げなさいよ」
と、女の人はボクの近くまで来て言ってくれましたが、ボクは体が硬直してしまったようで、動けなくなってしまっていたのです。
「降りられないの?」
と女の人は近くまで来てボクを覗き込みました。高くまで登ったつもりだったのですが、その人が楽に覗きこめる程度の位置だったのです。
「大変! この子、怪我をしてるわ。首に何か刺さってるわ」
と、もう一人の女の人に言いました。
「触ったらだめよ。そんなに汚れているのだから野良でしょう? 少し休んだら、勝手に出て行くわよ」
「でもお母さん、ちょっと見て、大変な怪我よ。このままじゃ、死んでしまうわよ」
と言いながら女の人は、ボクに手を伸ばしました。
ボクは再び危険を感じましたが、体が動かないうえ、もうどうでもよいような気持ちになりかけていました。
女の人は、そっと手を伸ばしてボクを抱きかかえました。どろどろの上、胸のあたりに血がついているのも気にならないようです。
抱きかかえられた時、一瞬ボクは逃げ出すことを考えましたが、覗き込んでいる人の顔を見ると、もうどうなっていいや、といった気持になりました。すると、女の人は大きな声を出したのです。
「お母さん、ほら、見て。このネコ笑っているよ」
* *
結局その人がお母さんを説得して、ボクは病院に連れて行かれました。
先生の見立てでは、首には木が刺さっていて、これは少し切ればうまく処置できるが、感染症の心配があるので、そちらの治療も必要だということでした。
さらに先生は、「治療はさせていただきますが、その上は飼ってやって下さいよ」とお母さんに念を押していました。
お母さんは、「でも、三匹目よ。お父さんにまた叱られてしまう」と困った様子でした。
しかし、もう一人の女の人、お母さんの娘さんは、「だって、お母さん。このネコ、わたしを見て笑ったのよ。わたしに抱かれて安心して笑ったのよ。棄てることなんて出来ないわよ、ねえ、チロちゃん」
「チロちゃんて、何?」
「この子の名前よ。チロちゃん、手術をしてもらって、元気になるのよ」
こうしてボクは、この家の一員になることが出来たのです。
お母さんには、お父さんを説得するという大仕事が残っていましたが、ボクには早くも「チロ」という名前が付けられたのでした。
* * *
① チロの微笑み
「お母さん、ほら、見て。このネコ笑ってるよ」
「ええっ・・、まさかァ・・、気のせいでしょう?」
「ほんとよ、ほら、私の顔を見て安心したのよ、それで微笑んでるのよ」
この、お姉さんの言葉が、ボクが新しい仲間たちと生活するきっかけになったのです。
* *
その朝、目を覚ましたとたんに、何か大変なことが起こっているらしいことを感じました。
だって、あたりの様子が全然違うのです。いつもはタオルが敷かれている箱の中で寝ていたのですが、今いる所は草むらの中なのです。
そういえば、昨夜、食事の後気持ちよく眠っている途中に誰かに抱えられたような記憶がかすかにあるのですが、それも一瞬そう思っただけでまた眠ってしまったのです。その後でも、何だか寝心地が違うなと思いながら何度か寝返りを打ったりしたのですが、目覚めてみると、何と草っぱらの大きな木の根元にいたのです。
大きく伸びをして、いつものように水を飲もうと思いましたが、水が入っている入れ物がないのです。第一、ここは家の中ではなく、外だったのです。
とにかく水を探そうとボクは歩きだしました。そう、ボクは目もしっかりと見えるし、歩くだけではなく、走ることも出来るんだよ。
理由は分からないけれど、今ボクがいる所は広場になっていて、その一角には、水がポトポトと落ちている所があったので、下に流れている水を飲むことが出来たのです。
そして、もう一度先ほどの木の根元近くにうずくまって、食事を持ってきてくれるのを待つことにしました。
その後、またうとうとしたりして大分時間が過ぎましたが、いつまでたっても食事もミルクも持ってきてくれないのです。近くを人が大勢通るのですが、誰も知らんぷりです。
何度か水を飲みましたが、それだけでは空腹は治まりません。やはり、何か大変なことが起こっているみたいなのです。
ボクはその広場を出て、道を横切ってどこかの家の庭に入りこみました。何かを食べないことには空腹で目が回ってしまいます。
すると突然、大きな声が聞こえてきました。誰かが竹箒のようなものを持ってボクに向かってくるのです。ボクは夢中で逃げました。食事をくれるどころか、あんな棒でぶたれたりしたら大変です。
夢中で逃げ込んだ所は別の家のようでした。ボクは注意深くその家に近付きました。また追い払われるのは恐いけれど、食べ物らしい匂いが微かにするのです。
その家のテラスに食器が置かれていて、食べ残しらしいものがあったのです。いつものよりは固いし、一片が大きいのですが、文句を言える状態ではないので、夢中で食べました。
ほとんど食べ終わった頃、今度は犬の声がして、ボクを威嚇しているのです。どうやら、あの犬の残りを頂戴してしまったらしいのです。
もう大丈夫だと思われるあたりまで逃げると、今度はのどが渇いてきました。水のある所に戻ろうと思いましたが、その方向が分からなくなってしまいました。人や犬に追われているうちに、どこをどう逃げたのか分からなくなってしまったのです。
家が途切れた先は畑地になっていて、小川の水を飲むことが出来ました。
その夜は、最初とは違う広場に出たので、茂みの陰で寝ることにしました。
お腹も少し空いていたし、何よりもひとりぼっちなのが寂しくて、なかなか寝付けませんでしたが、生まれて初めて走り回ったため疲れていて、いつの間にか眠ってしまいました。
一晩眠れば前の家に帰っているはずだと願っていましたが、次の朝も知らない広場の茂みの中でした。
大変なことになってしまった、という思いも浮かんできましたが、それよりも空腹の方が激しくて、とにかく食べ物を求めて歩きだしました。
すると、激しい唸り声がしました。このあたりを縄張りにている野良ネコらしく、いやに太っていて噛みついてきそうな気配です。幸い、ボクがあまりに小さいので見逃してくれたのか、ボクが逃げ出すと後を追ってくるようなことはありませんでした。
幾つかの家や、茂みなどを通り抜けましたが、食べ物らしいものは見つかりません。水は何度か飲みましたが、空腹は治まりません。
いつの間にか、また公園らしい所に出た時、ボクを呼んでいるような声がしました。向こうの方に五人ほどの子供が集まっていて、ボクを呼んでいるみたいなのです。
知らない人たちですが、きっと何か食べさせてくれると思って恐る恐る近付くと、その中の一人が虫を捕る網みたいなものでボクを捕まえたのです。
ボクは怒りました。食べ物をくれるどころか、いきなりこんな乱暴される理由などないはずです。ボクは精一杯の声で怒りましたが、子供たちは、「怒った、怒った」などと言いながらその網と一緒にボクを振り回すのです。そのうちに網から放り出されてしまい、腰のあたりを激しく地面に打ちつけられました。
目も回っていましたが、ボクは必死になって立ちあがり、よろけながら近くにあった溝に逃げ込みました。溝にはほとんど水はありませんでしたが、体中泥だらけになりながら走りました。その溝の半分ぐらいには金網のような物が張られていたので、その下まで逃げてうずくまりました。
しかし、子供たちは執念深く追っかけてきて、金網の上で暴れたり、細い木の枝を見つけてきて、隙間からボクを突こうとするのです。
ボクは再び溝の中を走りだし、懸命に飛びあがって外に出ました。
その時、首のあたりに激しい痛みを感じました。何かが突き刺さったらしく、とても激しい痛みです。
傷の様子を確認したいのですが、子供たちがなお追ってくるのでその暇もありません。
広場を突っ切って道路を渡ってどこかの家の庭に駆け込みました。全速力で走ったのですが、すでに弱ってよろよろしていたらしく、人間の子どもなんかが簡単に追い付いてくるのです。ボクは大きな庭木があったのでそこに駆け登りました。生まれて初めての木登りでしたが、子供たちはなおも垣根越しに網でボクを捕まえようとしているのです。
ボクは大声で威嚇を続けましたが、いつの間にか泣き声になっていたかもしれません。声がだんだん小さくなり、傷の痛みも激しくなってきて、ただ網で掬い捕られないように木にしがみついていました。
その時でした。ボクや子供たちの声が聞こえたのでしょうか、その家の人が出てきました。女の人が二人です。
「あなたたち、何をしてるの。動物をいじめたら駄目でしょう」
と、子供たちを叱りつけました。
子供たちは憎まれ口を聞きながらも、逃げ出して行きました。ボクはほっとするとともに全身の力が抜けてしまったのか、木から下りることが出来なくなってしまいました。
「もう、大丈夫よ。安全な所へ逃げなさいよ」
と、女の人はボクの近くまで来て言ってくれましたが、ボクは体が硬直してしまったようで、動けなくなってしまっていたのです。
「降りられないの?」
と女の人は近くまで来てボクを覗き込みました。高くまで登ったつもりだったのですが、その人が楽に覗きこめる程度の位置だったのです。
「大変! この子、怪我をしてるわ。首に何か刺さってるわ」
と、もう一人の女の人に言いました。
「触ったらだめよ。そんなに汚れているのだから野良でしょう? 少し休んだら、勝手に出て行くわよ」
「でもお母さん、ちょっと見て、大変な怪我よ。このままじゃ、死んでしまうわよ」
と言いながら女の人は、ボクに手を伸ばしました。
ボクは再び危険を感じましたが、体が動かないうえ、もうどうでもよいような気持ちになりかけていました。
女の人は、そっと手を伸ばしてボクを抱きかかえました。どろどろの上、胸のあたりに血がついているのも気にならないようです。
抱きかかえられた時、一瞬ボクは逃げ出すことを考えましたが、覗き込んでいる人の顔を見ると、もうどうなっていいや、といった気持になりました。すると、女の人は大きな声を出したのです。
「お母さん、ほら、見て。このネコ笑っているよ」
* *
結局その人がお母さんを説得して、ボクは病院に連れて行かれました。
先生の見立てでは、首には木が刺さっていて、これは少し切ればうまく処置できるが、感染症の心配があるので、そちらの治療も必要だということでした。
さらに先生は、「治療はさせていただきますが、その上は飼ってやって下さいよ」とお母さんに念を押していました。
お母さんは、「でも、三匹目よ。お父さんにまた叱られてしまう」と困った様子でした。
しかし、もう一人の女の人、お母さんの娘さんは、「だって、お母さん。このネコ、わたしを見て笑ったのよ。わたしに抱かれて安心して笑ったのよ。棄てることなんて出来ないわよ、ねえ、チロちゃん」
「チロちゃんて、何?」
「この子の名前よ。チロちゃん、手術をしてもらって、元気になるのよ」
こうしてボクは、この家の一員になることが出来たのです。
お母さんには、お父さんを説得するという大仕事が残っていましたが、ボクには早くも「チロ」という名前が付けられたのでした。
* * *
キャットスマイル
② 仲間たち
夢を見ていた。
何か恐いものに追いかけられていて、ボクは一生懸命に逃げた。
ボクは、もう、速く走れるはずなのに、なぜか体が動かず、それに、まだその恐いものに捕まえられていないのに、体のあちこちが痛い。
大変なことになる・・・、と思いながら、意識が薄れていった。
* *
それから、どれほどの時間が立ったのか分からないが、少しずつ目が覚めてきた。
体全体がひどく痛く、それよりものどが渇いてカラカラだ。
先ほど追っかけられていたのは夢だったのだ、と思って少し安心したその時、突然、大きな頭がボクの頭を襲ってきた。
「夢じゃなかったんだ」
と、ボクは叫んだつもりなのだが、声にはならず、体を動かすことが出来ない。
大きな頭は、ボクの頭を押しつけるようにして、襲ってきているのだ。
ただ、襲ってきている割には、乱暴な感じはなく、グルグルと変な声を出しているみたいだ。しかし、薄眼を開けいるボクの視界から溢れるほどに大きな頭が、何とも恐ろしい。
「先ほどの夢の続きなんだ」
と、ボクは呪文のように唱えながら、固く目をつぶっているうちに、再び眠ってしまったらしい・・・。
その次に目を覚ました時、体の痛みは大分少なくなっていた。
ただ、のどの渇きがたまらない。
水を探さなければならないと思いながら、立ち上がろうとして、周囲の様子が少し違うことに気がついた。少し歩けば水のある所へ行けると考えていたが、それは公園で寝ていた時のことを考えていたからだが、いつの間にかボクは、箱の中で寝ていたのである。しかも下には布が敷かれているのだ。
ボクは立ちあがって、箱から出ようとしたが、結構深くて、簡単には出られそうにもない。
それに、どうもボクは怪我をしているらしい。そうでなければ、このくらいの箱なんか、簡単に飛び出せるはずなんだが、出られないのはそのためなんだ、きっと。
「ミャアー、ミャアー」
ボクはいつの間にか大声を出していたらしい。
すると、突然大きな頭がボクの頭に覆いかぶさってきた。
夢の中のことなのか現実の世界のことなのか、ボクはまだ混乱していたが、やはり夢ではないのだ。
大きな頭と思っていたが、頭というより顔で、大きな目玉をいっぱいに見開いて、ボクを睨みつけながら鼻面をボクの頭に押し付けてきているのである。
恐ろしさに思わず身を引いてしまったが、逃げたりすればやられてしまうと思ってボクは、威嚇するように声をあげた。しかし、残念ながら、その声は小さくなっているのが自分でも分かった。
ところが、ボクを襲おうとしている化け物みたいな大きな頭は、少し離れると「クーン、クーン」とボクをなだめるような声を出したのである。ボクの威嚇の声に恐れをなしたのだとも思ったが、どうやらそうではなく、始めから襲いかかるつもりがなかったらしい。
少し離れた姿をよく見ると、化け物なんかではなく、そいつも同じネコだった。ただ、体がとても大きく、丸々と太っていて、何よりも頭がまん丸でとても大きい。もっとも、ネコは、どのネコも大体丸顔らしいが。
少し安心したボクは、威嚇するのをやめて、ボクも同じネコだということを伝えようと優しい声を出した。
ボクは走れるし戦うことも出来るけれど、まだ子供だから体がとても小さい。目の前にいる大ネコは、濃い茶色が主体で白との虎模様だが、ボクはシャム系なので灰色がかっていて、目も青い。同じネコだと気がつかず、他の動物、特にネズミなんかと間違えられたりすれば大変だからである。
「ミャアー、ミャアー」
ボクは、自分がネコであることを伝えようとして鳴き続けた。
すると、その大ネコは、ボクから離れると、大きな声を出し始めた。
「ニャアーゴ、ニャアーゴ、ニャアーゴ」
野太くて、あたりが震えるほどの大声である。何かを呼んでいるらしい。
すると、女の人が声が聞こえてきた。
「どうしたの? チビ。あら、赤ちゃんが目を覚ましたのね。教えてくれてありがとう」
などと言いながら、昨日の女の人のうちの一人がボクを覗きこんだのである。
どうやら、あの大ネコはチビという名前らしいが、あんなに大きいのにチビなんてふざけているように思ったが、それ以上に、ボクのことを赤ちゃんなんて、馬鹿にしている。ボクは、もう目もみえるし、走ることも出来るんだから。ただ、今はちょっと元気がないけれど・・・。
その女の人、お母さんと呼ばれている人であることは後で分かったことなのだが、ボクの気持ちが伝わったかどうか分からないが、そっと抱きあげて首のあたりを眺めている。
「大丈夫みたいね、チロちゃん。明日にでも、もう一度お医者さんに行けば治りそうよ」
と、もう一度箱の中にボクを戻すと、ミルクを持ってきてくれた。
少し変な味がしたけれど、お腹も空いていたし、それ以上にのどが渇いていたので、小さな入れ物のミルクを最後まで飲んだ。
「偉いわねぇ、チロちゃん。全部飲んだのね。これで、傷が膿まなくてすむわよ・・・、さあ、あなたは何を食べるのかしら? 後で赤ちゃん用の餌を買ってきてあげるけど、待てないわよねぇ」
などと独り言なのかボクに言っているのか分からないが、どうやら、ミルクには薬が入っていたらしい。
今度は器に食べ物を入れて持ってきてくれた。
「みんなのと同じものだけれど、小さく崩して上げたから、食べられるでしょう」
と、箱の中に器を入れてくれた。うまそうな匂いがしていて、ボクは早速いただくことにした。考えて見れば、この二日満足に食事なんかしていないのだ。
「大丈夫みたいね」
と、お母さんはボクの食べっぷりを見ていたが、まだボクのことを赤ちゃんだと思っているらしい。
お母さんが離れていくと、早速チビとやらいう大ネコがぼくの餌を狙いにきた。
器は小さなもので、餌の量もあまり多くないので、取られたりしたらたまらない。ボクは、「ウウー」と小さく警告した。
しかし大ネコは、まったく気にもしないで大きな頭を近付けてきて、ボクの餌を狙っている。
「チビ、赤ちゃんのご飯でしょ。取ったらだめよ」
と、お母さんが気付いて、大ネコを引き離してくれた。どうやら、このお母さんという人は、ボクの味方らしい。それはありがたいのだけれど、まだボクのことを赤ちゃんだと思っているのが少々気に入らない。
食事の後、箱から出してくれそうもないし、大ネコもどこかへ行ってしまったらしく気配がしなくなった。ボクは箱の中であっち向いたりこっち向いたりしていたが、また眠ってしまったらしい。
次に目覚めた時、お母さんは、ボクの新しい寝床を用意してくれていた。大きさは箱と同じ位だが、浅くて出入りが簡単にできる。前の箱より簡単に出入りできるが、これもボクのことを赤ちゃんと思っているからかもしれない。そのことはやはり少し不満だが、どうやらお母さんのことは味方と考えて大丈夫らしい。
箱からその新しい寝床に移された後、しばらく寝心地や匂いなどを確認した後、そろそろと外に出て見た。その部屋は畳の部屋なので歩きやすく、周りに注意しながら様子をうかがうことにした。体の痛みはなく、のどの傷が少し気持ち悪いが、他に怪我はなさそうだ。
隣の部屋にはカーペットが敷かれていて、背の高い机や椅子が幾つもある。その机の下、正しくは食卓らしいが、その下に大きなネコが寝そべっていた。あの大きな頭を持ったチビとは違うネコである。
ボクの方をじっと睨んでいて、近付いてくるなと言っているらしい。特に怒っている様子はないが、これ以上近づくなと、低いうなり声を出しているようだ。
特別危険は感じなかったが、ボクより遥かに大きなネコだし、どうやら彼の縄張りらしいので、少し後ずさりしながら、敵意がないことを示そうと小さく鳴いた。
「ミャアー、ミャアー、ミャアー」
と、小さく鳴きながらボクはもとの部屋へ戻ることにした。ボクは早く走れるし、戦うことだって出来るが、少し怪我をしているし、何よりもこのあたりのことがよく分からない。無理して大きなネコに向かっていくことはないと思ったからである。
そのネコは、少しばかり首を動かせただけで立ち上がろうともせず、ボクがこれ以上近付かないと知ると、満足そうに眼を閉じた。
「チロ、逃げなくていいのよ。あなたのお父さんみたいな人なんだから、仲よくしてもらわなくてはいけないわよ」
と、お母さんがまた現れて、ボクの横に坐り込んだ。このお母さんは、ネコと人との見分けがつかないらしい。
「トラ。こっちへ来て、トラ。今日からこの子はうちの子になったのよ。可愛がってやってね」
と、寝そべっているネコに声をかけた。トラという名前らしい。
トラは大きなあくびをすると、じゃまくさそうに立ちあがった。そして大きく伸びをした。
立ちあがった姿を見てボクは驚いた。チビは丸々と太っていてとてつもなく大きなネコだったが、このトラは、すごく細くて体調がとても長い。おまけに長い尾っぽを持っているので、頭から尾っぽの先までの長さときたら、それはそれは威厳に満ちている。
これは大変なネコがいるものだ、とボクは内心思ったが、お母さんに押さえられたまま、ぐっと近付いてくるトラを睨みつけた。
トラは近くまで来ると、逃げられないようにお母さんに押さえられているボクのおでこのあたりに鼻を押しつけるようにして匂いを確認している。怒っている様子はないが、親しそうな様子でもない。そして、ボクの首のあたりの薬の匂いが気になるのか、少し鼻を鳴らすと元の場所へ戻っていった。
「さあ、チロ君。トラ君には可愛がってもらわないと駄目よ」
と、お母さんはボクを抱き上げて、寝そべっているトラの横においたのである。トラは迷惑そうにその長い尾っぽを少し膨らませたが、怒りだすようなことはなかった。
ボクは、お母さんに押し付けられるようにしてトラのお腹のあたりに体を寄せた。トラは困ったようにお母さんの顔を見たが、ほんの申訳のようにボクの頭のあたりをなめてくれた。
そういえば、ずっと昔、ほんとは数日前のことなのかもしれないのだが、こうして抱かれるようにお乳をのんだことがあったのを思い出した。
トラのお腹のあたりを探ってみたが、吸いつけそうなお乳はなかった。
それでも、トラの体温を感じながら体を寄せていると、何だか全身の力が抜けてきて、不思議な気持ちがしてきた。
「ほんとだ。このネコ、微笑んでいるわ」
不思議そうにつぶやくお母さんの声を聞きながら、ボクは眠りに落ちていった。
* * *
② 仲間たち
夢を見ていた。
何か恐いものに追いかけられていて、ボクは一生懸命に逃げた。
ボクは、もう、速く走れるはずなのに、なぜか体が動かず、それに、まだその恐いものに捕まえられていないのに、体のあちこちが痛い。
大変なことになる・・・、と思いながら、意識が薄れていった。
* *
それから、どれほどの時間が立ったのか分からないが、少しずつ目が覚めてきた。
体全体がひどく痛く、それよりものどが渇いてカラカラだ。
先ほど追っかけられていたのは夢だったのだ、と思って少し安心したその時、突然、大きな頭がボクの頭を襲ってきた。
「夢じゃなかったんだ」
と、ボクは叫んだつもりなのだが、声にはならず、体を動かすことが出来ない。
大きな頭は、ボクの頭を押しつけるようにして、襲ってきているのだ。
ただ、襲ってきている割には、乱暴な感じはなく、グルグルと変な声を出しているみたいだ。しかし、薄眼を開けいるボクの視界から溢れるほどに大きな頭が、何とも恐ろしい。
「先ほどの夢の続きなんだ」
と、ボクは呪文のように唱えながら、固く目をつぶっているうちに、再び眠ってしまったらしい・・・。
その次に目を覚ました時、体の痛みは大分少なくなっていた。
ただ、のどの渇きがたまらない。
水を探さなければならないと思いながら、立ち上がろうとして、周囲の様子が少し違うことに気がついた。少し歩けば水のある所へ行けると考えていたが、それは公園で寝ていた時のことを考えていたからだが、いつの間にかボクは、箱の中で寝ていたのである。しかも下には布が敷かれているのだ。
ボクは立ちあがって、箱から出ようとしたが、結構深くて、簡単には出られそうにもない。
それに、どうもボクは怪我をしているらしい。そうでなければ、このくらいの箱なんか、簡単に飛び出せるはずなんだが、出られないのはそのためなんだ、きっと。
「ミャアー、ミャアー」
ボクはいつの間にか大声を出していたらしい。
すると、突然大きな頭がボクの頭に覆いかぶさってきた。
夢の中のことなのか現実の世界のことなのか、ボクはまだ混乱していたが、やはり夢ではないのだ。
大きな頭と思っていたが、頭というより顔で、大きな目玉をいっぱいに見開いて、ボクを睨みつけながら鼻面をボクの頭に押し付けてきているのである。
恐ろしさに思わず身を引いてしまったが、逃げたりすればやられてしまうと思ってボクは、威嚇するように声をあげた。しかし、残念ながら、その声は小さくなっているのが自分でも分かった。
ところが、ボクを襲おうとしている化け物みたいな大きな頭は、少し離れると「クーン、クーン」とボクをなだめるような声を出したのである。ボクの威嚇の声に恐れをなしたのだとも思ったが、どうやらそうではなく、始めから襲いかかるつもりがなかったらしい。
少し離れた姿をよく見ると、化け物なんかではなく、そいつも同じネコだった。ただ、体がとても大きく、丸々と太っていて、何よりも頭がまん丸でとても大きい。もっとも、ネコは、どのネコも大体丸顔らしいが。
少し安心したボクは、威嚇するのをやめて、ボクも同じネコだということを伝えようと優しい声を出した。
ボクは走れるし戦うことも出来るけれど、まだ子供だから体がとても小さい。目の前にいる大ネコは、濃い茶色が主体で白との虎模様だが、ボクはシャム系なので灰色がかっていて、目も青い。同じネコだと気がつかず、他の動物、特にネズミなんかと間違えられたりすれば大変だからである。
「ミャアー、ミャアー」
ボクは、自分がネコであることを伝えようとして鳴き続けた。
すると、その大ネコは、ボクから離れると、大きな声を出し始めた。
「ニャアーゴ、ニャアーゴ、ニャアーゴ」
野太くて、あたりが震えるほどの大声である。何かを呼んでいるらしい。
すると、女の人が声が聞こえてきた。
「どうしたの? チビ。あら、赤ちゃんが目を覚ましたのね。教えてくれてありがとう」
などと言いながら、昨日の女の人のうちの一人がボクを覗きこんだのである。
どうやら、あの大ネコはチビという名前らしいが、あんなに大きいのにチビなんてふざけているように思ったが、それ以上に、ボクのことを赤ちゃんなんて、馬鹿にしている。ボクは、もう目もみえるし、走ることも出来るんだから。ただ、今はちょっと元気がないけれど・・・。
その女の人、お母さんと呼ばれている人であることは後で分かったことなのだが、ボクの気持ちが伝わったかどうか分からないが、そっと抱きあげて首のあたりを眺めている。
「大丈夫みたいね、チロちゃん。明日にでも、もう一度お医者さんに行けば治りそうよ」
と、もう一度箱の中にボクを戻すと、ミルクを持ってきてくれた。
少し変な味がしたけれど、お腹も空いていたし、それ以上にのどが渇いていたので、小さな入れ物のミルクを最後まで飲んだ。
「偉いわねぇ、チロちゃん。全部飲んだのね。これで、傷が膿まなくてすむわよ・・・、さあ、あなたは何を食べるのかしら? 後で赤ちゃん用の餌を買ってきてあげるけど、待てないわよねぇ」
などと独り言なのかボクに言っているのか分からないが、どうやら、ミルクには薬が入っていたらしい。
今度は器に食べ物を入れて持ってきてくれた。
「みんなのと同じものだけれど、小さく崩して上げたから、食べられるでしょう」
と、箱の中に器を入れてくれた。うまそうな匂いがしていて、ボクは早速いただくことにした。考えて見れば、この二日満足に食事なんかしていないのだ。
「大丈夫みたいね」
と、お母さんはボクの食べっぷりを見ていたが、まだボクのことを赤ちゃんだと思っているらしい。
お母さんが離れていくと、早速チビとやらいう大ネコがぼくの餌を狙いにきた。
器は小さなもので、餌の量もあまり多くないので、取られたりしたらたまらない。ボクは、「ウウー」と小さく警告した。
しかし大ネコは、まったく気にもしないで大きな頭を近付けてきて、ボクの餌を狙っている。
「チビ、赤ちゃんのご飯でしょ。取ったらだめよ」
と、お母さんが気付いて、大ネコを引き離してくれた。どうやら、このお母さんという人は、ボクの味方らしい。それはありがたいのだけれど、まだボクのことを赤ちゃんだと思っているのが少々気に入らない。
食事の後、箱から出してくれそうもないし、大ネコもどこかへ行ってしまったらしく気配がしなくなった。ボクは箱の中であっち向いたりこっち向いたりしていたが、また眠ってしまったらしい。
次に目覚めた時、お母さんは、ボクの新しい寝床を用意してくれていた。大きさは箱と同じ位だが、浅くて出入りが簡単にできる。前の箱より簡単に出入りできるが、これもボクのことを赤ちゃんと思っているからかもしれない。そのことはやはり少し不満だが、どうやらお母さんのことは味方と考えて大丈夫らしい。
箱からその新しい寝床に移された後、しばらく寝心地や匂いなどを確認した後、そろそろと外に出て見た。その部屋は畳の部屋なので歩きやすく、周りに注意しながら様子をうかがうことにした。体の痛みはなく、のどの傷が少し気持ち悪いが、他に怪我はなさそうだ。
隣の部屋にはカーペットが敷かれていて、背の高い机や椅子が幾つもある。その机の下、正しくは食卓らしいが、その下に大きなネコが寝そべっていた。あの大きな頭を持ったチビとは違うネコである。
ボクの方をじっと睨んでいて、近付いてくるなと言っているらしい。特に怒っている様子はないが、これ以上近づくなと、低いうなり声を出しているようだ。
特別危険は感じなかったが、ボクより遥かに大きなネコだし、どうやら彼の縄張りらしいので、少し後ずさりしながら、敵意がないことを示そうと小さく鳴いた。
「ミャアー、ミャアー、ミャアー」
と、小さく鳴きながらボクはもとの部屋へ戻ることにした。ボクは早く走れるし、戦うことだって出来るが、少し怪我をしているし、何よりもこのあたりのことがよく分からない。無理して大きなネコに向かっていくことはないと思ったからである。
そのネコは、少しばかり首を動かせただけで立ち上がろうともせず、ボクがこれ以上近付かないと知ると、満足そうに眼を閉じた。
「チロ、逃げなくていいのよ。あなたのお父さんみたいな人なんだから、仲よくしてもらわなくてはいけないわよ」
と、お母さんがまた現れて、ボクの横に坐り込んだ。このお母さんは、ネコと人との見分けがつかないらしい。
「トラ。こっちへ来て、トラ。今日からこの子はうちの子になったのよ。可愛がってやってね」
と、寝そべっているネコに声をかけた。トラという名前らしい。
トラは大きなあくびをすると、じゃまくさそうに立ちあがった。そして大きく伸びをした。
立ちあがった姿を見てボクは驚いた。チビは丸々と太っていてとてつもなく大きなネコだったが、このトラは、すごく細くて体調がとても長い。おまけに長い尾っぽを持っているので、頭から尾っぽの先までの長さときたら、それはそれは威厳に満ちている。
これは大変なネコがいるものだ、とボクは内心思ったが、お母さんに押さえられたまま、ぐっと近付いてくるトラを睨みつけた。
トラは近くまで来ると、逃げられないようにお母さんに押さえられているボクのおでこのあたりに鼻を押しつけるようにして匂いを確認している。怒っている様子はないが、親しそうな様子でもない。そして、ボクの首のあたりの薬の匂いが気になるのか、少し鼻を鳴らすと元の場所へ戻っていった。
「さあ、チロ君。トラ君には可愛がってもらわないと駄目よ」
と、お母さんはボクを抱き上げて、寝そべっているトラの横においたのである。トラは迷惑そうにその長い尾っぽを少し膨らませたが、怒りだすようなことはなかった。
ボクは、お母さんに押し付けられるようにしてトラのお腹のあたりに体を寄せた。トラは困ったようにお母さんの顔を見たが、ほんの申訳のようにボクの頭のあたりをなめてくれた。
そういえば、ずっと昔、ほんとは数日前のことなのかもしれないのだが、こうして抱かれるようにお乳をのんだことがあったのを思い出した。
トラのお腹のあたりを探ってみたが、吸いつけそうなお乳はなかった。
それでも、トラの体温を感じながら体を寄せていると、何だか全身の力が抜けてきて、不思議な気持ちがしてきた。
「ほんとだ。このネコ、微笑んでいるわ」
不思議そうにつぶやくお母さんの声を聞きながら、ボクは眠りに落ちていった。
* * *
キャットスマイル
③ 負けないぞ
何だか寝苦しいと思っていたら、やはり、あの大きな頭を持った巨大ネコがボクの寝床に入ってきているんだ。
確かに、ボクが与えられている寝床はとても寝心地が良いが、これはボクのためにお母さんが買ってくれたものなのに、いつのまにか大きな頭でボクを押しのけて、寝床に入ってくるんだ。
ボクは低い声で威嚇し、その大きな図体を押しのけようとするのだが、びくともしない。
それでも少しは効き目があったらしく、薄眼を開けてボクを見たが、グルグルと申し訳程度にのどを鳴らすと、また眼を閉じてしまう。
ボクの体は、半分外に出てしまいそうだというのに、実に気持ち良さそうに寝息を立てているんだ、まったく・・・。
* *
あれから、二度ばかり病院に連れて行かれたけれど、最初の時ほど痛い思いをすることなく、首というかのど近くの傷はすっかり良くなった。
病院から帰って来た後は、その匂いが気になるらしく、トラもチビもあまり近付いて来ないし、ボクが近付くと脅すような声をあげていた。まあ、ボクを憎んでのことではないらしく、病院の匂いが嫌らしのだが、無理もない、ボクも嫌いだからである。
でも、しばらくしてその匂いが消えると、ボクが近付いて行っても、喜んではくれないが、あからさまに嫌がるそぶりは見せない。トラもチビもである。
ただ、一番困るのは、チビはしょっちゅういなくなるのだが、帰ってくると、すぐにボクの寝床を狙うのである。
ボクが起きているときは、厳しく威嚇して寄せ付けないのだが、うっかりウトウトしていたりすると、素早くあの大きな図体を入れてくるのである。だいたいチビは、自分の体の大きさが分かっていないのだろうか。ボクの寝床は、ボクには大き過ぎるほどだが、あの巨大ネコには小さいはずなのに、どうもそれが分かっていないらしく、それにボクが寝ていることも気がつかないかのように、図々しくもあの大きな図体を入れてくるのである。
さすがにお母さんはボクの味方らしく、
「チビ、そこは赤ちゃんの寝床でしょ」
と注意したり、ボクが押し出されそうになっている時はチビを引っぱりだしてくれるけれど、ぎゅうぎゅう詰めでも寝床の中に収まっている時は、知らん顔をしている。どうも、お母さんは、ボクの味方だけでなく、チビにも甘いらしい。
それに何よりも、未だにボクのことを赤ちゃんだと思っているのが気に入らない。
ボクは、この家に来てから、病院に連れて行かれたほかは、外に出たことがない。
半分以上は寝床の中に居り、あとは家の中を歩き回る。初めはすぐ近くだけだったが、いつもトラが居座っている部屋や、食事を出してくれる所や、トイレがある所などがあり、ぐるりと一周出来るようになっている。
トイレは、砂のような物が入れられた箱があり、そこですることになっているが、ボクはたまたま最初からそこを使ったので、お母さんやお姉さんはとても褒めてくれた。どうやらボクは、とても賢いネコらしいのである。
ボクは少しずつ行動範囲を広げ、トラやチビたちの様子を窺うことにした。
この家にはお母さんとお姉さんの他に男の人も二人いるようだが、お母さん以外はあまり見掛けない。食事は殆どお母さんが用意してくれるが、ボクにだけではなくトラやチビたちにも同じようにしているので、本当にお母さんがボクの味方なのかどうかは慎重に見ないといけない。ただ、ボクに害を与えることはないらしい。
そうなると、とりあえずは、トラとチビである。どちらも大きな体をしている。
トラは、細いが長い体をしていて、そのうえ尾っぽも長くて近寄りがたい雰囲気がある。体の色は黄色がかった茶色と白の虎模様だが、鼻筋から胸にかけてとお腹全体、それに四つの足首と尾っぽの先が白である。黄色がかった茶色は、光の関係では金色のように輝いて見えることもあり、とにかく威厳に満ちている。
トラの方からボクの方に来ることはめったにないが、ボクが近付くと嫌そうな顔をする。恐いのを辛抱して思い切って体を寄せると、ほんの少し頭などをなめてくれる。あまり優しさは感じないが、寝そべっているお腹に顔を押しつけると、ボクはとても懐かしい気持ちになれる。それで、時々恐々近付いているのだが、トラはボクをまだ子供として扱っているらしい。子供には違いないが、お母さんが言うような赤ちゃんではないのだから、ボクの恐さを伝えておく必要がある。
チビは太っていて、なんせ図体が大きい。特にあの大きな頭は、どんなネコだって一目置くはずだ。体の色はトラより濃い茶色と白の虎模様だが、白いのは胸から腹にかけてだけである。この数日で分かったことだが、チビは恐ろしげな頭の持ち主に関わらず、意外と気は優しいらしい。結構ボクのことを構ってくれるし、寂しい時には遊んでくれる。ただ、ボクの寝床を狙っているらしいのが、どうも気になる。
食事は、たいていはお母さんが三つの入れ物に入れてくれる。ボクだけは別のもので、いつもミルクを付けてくれる。それぞれが決められた物を食べることになっているはずなのだが、チビはボクのミルクをいつも狙っている。そのくせ、ボクがチビの食器の物を食べようとすると、大きな頭で隠して絶対に食べさせてくれない。
その点トラは、ボクがトラの食器の物を食べようとすると、すぐ譲ってくれる。ボクが食べている間、横でじっと待っていて、ボクが自分の食器に戻ると、また自分の物を食べ始める。
食べ終わるのはいつもチビが一番で、まだ食べ足りない時は、トラの物を食べに行く。その時も、トラは簡単にチビに譲って、ほとんど食べられてしまうこともある。それでもトラは文句を言わない。
チビがトラより強いようには思わないが、いつもそうである。それでトラは細くチビは太っているのかもしれない。
ところが、場所取りとなると様子が変わってくる。
トラはたいてい食卓の下を根城にしているが、自分がいる場所をチビが取りに来ても絶対に譲らない。時々チビは、大きな図体をしているくせに、ボクがトラにするように、トラのお腹に大きな頭を押しつけて甘えたような仕草をすることがある。そんな時は、トラはチビの体をなめてやり、嫌がるそぶりは見せないけれど、自分が飽きない限りその場所を譲ることはない。
反対にチビは、主にソファーを根城にしているが、トラが取りに行っても、ボクが取りに行っても、簡単にその場所を譲る。
トラは縄張り意識が強く、チビは食い意地が張っていることが分かってきた。
ボクは、しだいにこの家での生活に慣れてきた。まったく外に出ていないが、部屋の中で走り回ることが出来るし、食事に困ることはない。水は三か所に置かれているし、草も鉢に植えられたものが水の近くに置かれている。爪をとぐための物もあるし、トイレもいつも新しい砂に替えられている。
どうやら、ボクはここでずっと暮らしていけるらしい。
そうだとすれば、トラやチビたちとの関係をはっきりとさせていかなくてはならない。トラもチビもお母さんもボクのことをまだ赤ちゃんのように思っている節があるが、ボクの強さを何とか示していく必要がある。
それともう一つ、チビとトラとはよく似ている。体の太さも長さも全然違うし、虎模様もよく見ると相当違うが、ちょっと見たところではとても似ている。親子か兄弟みたいである。
ところが、ボクは全然違う。ボクの体の色は灰色がかった白が基調になっているし、毛並みも短い。足も長いし、目の色も青い。
トラとチビがお互いになめあっていることがよくあるが、ボクに対してはほんの少しばかり頭をなめてくれるだけなのも、そのあたりに原因があるのかもしれない。
ボクはまだ体が小さいから、二匹を敵に回すことは出来ないけれど、ボクの強さはちゃんと知らせておく必要がある。
* *
チロがトラやチビに飛びついたり、時には噛みつこうとしたりし始めたのはその頃からである。
まだ体の大きさに大分差があり、トラもチビも本気で反撃するようなことはなかったが、孤立していきつつあることをチロ自身も感じていた。
「チロ君。あなたは、優しい笑顔が出来るのでしょう。トラやチビにあんまりいたずらしたら駄目よ」
ある日、お姉さんはボクを抱き上げて、頬ずりしながらそう言った。
あの時、このお姉さんが抱き上げてくれたから、今ここで生活することが出来ているんだと思った。
トラともチビとも仲良くしなくてはいけないけれど、この二匹に負けるわけにはいかないんだ。父の顔も母の顔も覚えていないけれど、ボクはどんなネコにも負けないように強くならなくてはならないのだから。
* * *
③ 負けないぞ
何だか寝苦しいと思っていたら、やはり、あの大きな頭を持った巨大ネコがボクの寝床に入ってきているんだ。
確かに、ボクが与えられている寝床はとても寝心地が良いが、これはボクのためにお母さんが買ってくれたものなのに、いつのまにか大きな頭でボクを押しのけて、寝床に入ってくるんだ。
ボクは低い声で威嚇し、その大きな図体を押しのけようとするのだが、びくともしない。
それでも少しは効き目があったらしく、薄眼を開けてボクを見たが、グルグルと申し訳程度にのどを鳴らすと、また眼を閉じてしまう。
ボクの体は、半分外に出てしまいそうだというのに、実に気持ち良さそうに寝息を立てているんだ、まったく・・・。
* *
あれから、二度ばかり病院に連れて行かれたけれど、最初の時ほど痛い思いをすることなく、首というかのど近くの傷はすっかり良くなった。
病院から帰って来た後は、その匂いが気になるらしく、トラもチビもあまり近付いて来ないし、ボクが近付くと脅すような声をあげていた。まあ、ボクを憎んでのことではないらしく、病院の匂いが嫌らしのだが、無理もない、ボクも嫌いだからである。
でも、しばらくしてその匂いが消えると、ボクが近付いて行っても、喜んではくれないが、あからさまに嫌がるそぶりは見せない。トラもチビもである。
ただ、一番困るのは、チビはしょっちゅういなくなるのだが、帰ってくると、すぐにボクの寝床を狙うのである。
ボクが起きているときは、厳しく威嚇して寄せ付けないのだが、うっかりウトウトしていたりすると、素早くあの大きな図体を入れてくるのである。だいたいチビは、自分の体の大きさが分かっていないのだろうか。ボクの寝床は、ボクには大き過ぎるほどだが、あの巨大ネコには小さいはずなのに、どうもそれが分かっていないらしく、それにボクが寝ていることも気がつかないかのように、図々しくもあの大きな図体を入れてくるのである。
さすがにお母さんはボクの味方らしく、
「チビ、そこは赤ちゃんの寝床でしょ」
と注意したり、ボクが押し出されそうになっている時はチビを引っぱりだしてくれるけれど、ぎゅうぎゅう詰めでも寝床の中に収まっている時は、知らん顔をしている。どうも、お母さんは、ボクの味方だけでなく、チビにも甘いらしい。
それに何よりも、未だにボクのことを赤ちゃんだと思っているのが気に入らない。
ボクは、この家に来てから、病院に連れて行かれたほかは、外に出たことがない。
半分以上は寝床の中に居り、あとは家の中を歩き回る。初めはすぐ近くだけだったが、いつもトラが居座っている部屋や、食事を出してくれる所や、トイレがある所などがあり、ぐるりと一周出来るようになっている。
トイレは、砂のような物が入れられた箱があり、そこですることになっているが、ボクはたまたま最初からそこを使ったので、お母さんやお姉さんはとても褒めてくれた。どうやらボクは、とても賢いネコらしいのである。
ボクは少しずつ行動範囲を広げ、トラやチビたちの様子を窺うことにした。
この家にはお母さんとお姉さんの他に男の人も二人いるようだが、お母さん以外はあまり見掛けない。食事は殆どお母さんが用意してくれるが、ボクにだけではなくトラやチビたちにも同じようにしているので、本当にお母さんがボクの味方なのかどうかは慎重に見ないといけない。ただ、ボクに害を与えることはないらしい。
そうなると、とりあえずは、トラとチビである。どちらも大きな体をしている。
トラは、細いが長い体をしていて、そのうえ尾っぽも長くて近寄りがたい雰囲気がある。体の色は黄色がかった茶色と白の虎模様だが、鼻筋から胸にかけてとお腹全体、それに四つの足首と尾っぽの先が白である。黄色がかった茶色は、光の関係では金色のように輝いて見えることもあり、とにかく威厳に満ちている。
トラの方からボクの方に来ることはめったにないが、ボクが近付くと嫌そうな顔をする。恐いのを辛抱して思い切って体を寄せると、ほんの少し頭などをなめてくれる。あまり優しさは感じないが、寝そべっているお腹に顔を押しつけると、ボクはとても懐かしい気持ちになれる。それで、時々恐々近付いているのだが、トラはボクをまだ子供として扱っているらしい。子供には違いないが、お母さんが言うような赤ちゃんではないのだから、ボクの恐さを伝えておく必要がある。
チビは太っていて、なんせ図体が大きい。特にあの大きな頭は、どんなネコだって一目置くはずだ。体の色はトラより濃い茶色と白の虎模様だが、白いのは胸から腹にかけてだけである。この数日で分かったことだが、チビは恐ろしげな頭の持ち主に関わらず、意外と気は優しいらしい。結構ボクのことを構ってくれるし、寂しい時には遊んでくれる。ただ、ボクの寝床を狙っているらしいのが、どうも気になる。
食事は、たいていはお母さんが三つの入れ物に入れてくれる。ボクだけは別のもので、いつもミルクを付けてくれる。それぞれが決められた物を食べることになっているはずなのだが、チビはボクのミルクをいつも狙っている。そのくせ、ボクがチビの食器の物を食べようとすると、大きな頭で隠して絶対に食べさせてくれない。
その点トラは、ボクがトラの食器の物を食べようとすると、すぐ譲ってくれる。ボクが食べている間、横でじっと待っていて、ボクが自分の食器に戻ると、また自分の物を食べ始める。
食べ終わるのはいつもチビが一番で、まだ食べ足りない時は、トラの物を食べに行く。その時も、トラは簡単にチビに譲って、ほとんど食べられてしまうこともある。それでもトラは文句を言わない。
チビがトラより強いようには思わないが、いつもそうである。それでトラは細くチビは太っているのかもしれない。
ところが、場所取りとなると様子が変わってくる。
トラはたいてい食卓の下を根城にしているが、自分がいる場所をチビが取りに来ても絶対に譲らない。時々チビは、大きな図体をしているくせに、ボクがトラにするように、トラのお腹に大きな頭を押しつけて甘えたような仕草をすることがある。そんな時は、トラはチビの体をなめてやり、嫌がるそぶりは見せないけれど、自分が飽きない限りその場所を譲ることはない。
反対にチビは、主にソファーを根城にしているが、トラが取りに行っても、ボクが取りに行っても、簡単にその場所を譲る。
トラは縄張り意識が強く、チビは食い意地が張っていることが分かってきた。
ボクは、しだいにこの家での生活に慣れてきた。まったく外に出ていないが、部屋の中で走り回ることが出来るし、食事に困ることはない。水は三か所に置かれているし、草も鉢に植えられたものが水の近くに置かれている。爪をとぐための物もあるし、トイレもいつも新しい砂に替えられている。
どうやら、ボクはここでずっと暮らしていけるらしい。
そうだとすれば、トラやチビたちとの関係をはっきりとさせていかなくてはならない。トラもチビもお母さんもボクのことをまだ赤ちゃんのように思っている節があるが、ボクの強さを何とか示していく必要がある。
それともう一つ、チビとトラとはよく似ている。体の太さも長さも全然違うし、虎模様もよく見ると相当違うが、ちょっと見たところではとても似ている。親子か兄弟みたいである。
ところが、ボクは全然違う。ボクの体の色は灰色がかった白が基調になっているし、毛並みも短い。足も長いし、目の色も青い。
トラとチビがお互いになめあっていることがよくあるが、ボクに対してはほんの少しばかり頭をなめてくれるだけなのも、そのあたりに原因があるのかもしれない。
ボクはまだ体が小さいから、二匹を敵に回すことは出来ないけれど、ボクの強さはちゃんと知らせておく必要がある。
* *
チロがトラやチビに飛びついたり、時には噛みつこうとしたりし始めたのはその頃からである。
まだ体の大きさに大分差があり、トラもチビも本気で反撃するようなことはなかったが、孤立していきつつあることをチロ自身も感じていた。
「チロ君。あなたは、優しい笑顔が出来るのでしょう。トラやチビにあんまりいたずらしたら駄目よ」
ある日、お姉さんはボクを抱き上げて、頬ずりしながらそう言った。
あの時、このお姉さんが抱き上げてくれたから、今ここで生活することが出来ているんだと思った。
トラともチビとも仲良くしなくてはいけないけれど、この二匹に負けるわけにはいかないんだ。父の顔も母の顔も覚えていないけれど、ボクはどんなネコにも負けないように強くならなくてはならないのだから。
* * *
キャットスマイル
④ ボクの順位
「チロ君、きみはだんだんいたずら坊主になってきたのね」
と、お姉さんはボクを抱き上げると、よくこう言う。
「これ、チロ! 最近いたずらが過ぎますよ」
と、お母さんも、時々ボクのことを叱りつける。
お姉さんもお母さんも、ボクの味方のはずだし、実際によくしてくれる。しかし、ボクが、チビやトラを脅していると、二人ともボクを叱りつける。口で注意するだけで、それ以上攻撃してくるようなことはないが、どうも、ボクだけの味方ではないらしい。
* *
ボクはこの家の生活にすっかり慣れた。
寝る場所は、別に決められているわけではないが、三匹の寝場所は大体決まっている。トラは食卓の下が定位置で、チビは好き勝手な所で寝ているようだが、ソファーの上が一番多い。そしてボクは、お母さんが買ってくれた寝床をいつも使っている。
ボクは、この家に来てからでも体が大分大きくなったが、寝床は十分広く、ボクが大人になっても大丈夫なものである。ただ、相変わらずチビが大きな図体を押しこんでくるのが悩みの種である。
食卓のある部屋の窓側は広いテラスになっていて、トラは首輪をしてもらって綱に繋がれた状態でテラスによく出ている。トラが子供の頃からの習慣らしく、勝手に外へは出してくれないらしい。
ところが、チビの方は好き勝手にできるらしい。チビも子供の頃にこの家に来たが、野良だったのがいつの間にかこの家に居ついてしまったため、今も外出自由らしい。本当のところは、チビにも首輪をしようとしたらしいが、うまくいかなかったらしい。あれだけ大きな頭をしているのだから、首輪で繋ぐのは簡単だと思うのだが、実は、チビの首はあの大きな頭を支えるだけあって、とんでもなく太いのである。どこまでが頭なのか首なのかがよく分からず、首輪で繋ぐのをあきらめたらしい。
ボクに首輪をつけるかどうかも検討されたらしい。今のところはトラがテラスに出ている時はボクも出してもらえることになっている。
お母さんたちは、最初の頃は遠くへ行ってしまうことが心配だったらしいが、どうもボクには、外の世界には恐怖感があって、なかなか家から出ることが出来ないのである。テラスには段ボールの箱が置かれていて、その中にバスタオルが敷かれていて、トラなどはその中でうとうとしていることがよくある。
チビは相当遠くまで出かけていて、野良だか他家のネコだかとよく喧嘩をして帰ってくる。あの大きな頭に立ち向かっていくネコもいるらしくて、足とか耳などから血を流して帰ってくることも時々あった。そんな時でも、帰ってくると、トラが出ているかいないかに関わらず、テラスの段ボールで傷の手当てをするようである。ただ、お腹を空かせて帰って来た時にトラが室内に入る時は、テラスへのガラス戸は閉められているので、ガラス戸をガリガリやりながら「今帰ったぞ」とばかりに鳴き叫ぶのである。
ボクは、自分から外に出るようなことはほとんどないが、トラが出ている時は、お母さんが抱き上げてテラスに連れ出してくれる。ボクは余り出たくはないのだが、外の空気を吸わそうとしているらしい。
テラスでは、三つに増やされている段ボールのどれかに入るか、トラの体にぴったりと寄り添うかのどちらかである。家の中では、ほんのお愛想程度にしか舐めてくれないトラだが、どういうわけだかテラスでは親切に舐めてくれる。ボクもトラを舐めることもあるが、トラも結構気持ちが良いらしい。
テラスの先は芝生が少しあり、その先には花壇や植木などがあり、チビはそのあたりをうろついていることもあるが、大抵はどこか他所へ出掛けていることが多い。ボクも何度か芝生までは出て見るが、そこまではチビも出てくることが出来るので、ボクの後についてくる。そして、それ以上先へは行ってはいけないと忠告してくれているようだ。
このように、普通に生活をしている分には、今のボクには何の心配もない。
ただ、トラもチビもボクのことを子供だと侮っているらしいことが時々感じられるのだ。確かに今は、体が小さいし、トラにもチビにも勝てないかもしれない。しかし、いつまでも侮られているわけにはいかない。ボクの強さをトラにもチビにも教えていって、この家で、一番強い立場に昇って行かなくてはならないのだ。
そこで、ボクは、この家での現在の順位付けがどうなっているのか考えてみた。
まず、トラとチビの力関係である。これは、明らかにトラが上のようだ。年がトラの方が上だし、この家にやってきたのが先なので、二匹の間で順位付けは出来ているように見える。実際に戦ってみれば、あの大きな頭と図体の持ち主の巨大ネコであるチビは、トラに負けるとは思われない。
しかし、トラには、何といっても威厳がある。細いが、長い体は崇高でさえある。チビがトラにちょっかいをするようなことは全くないし、たまにチビがわがままな行動をしても、トラは全く意にも介さない。やはり、トラの方が上位にあることは間違いない。
この家には、ネコだけではなく、人間も四人いる。お母さんとお姉さん、それにお父さんとお兄さんだ。
人間の四人がどんな順位になっているのかも、ボクには重要なことだ。四人の順位もそうだし、ボクたちネコとの順位がどうかということもである。
ボクは、いつかはこの家で一番上に立たなければならないが、最初からある程度上位に位置していないことには、後から抜いて行くのは難しいからである。早いうちにボクの存在をしっかり印象付けておく必要があるのだ。
もちろん人間たち同士の順位付けがどうなっているのかは分かりにくいが、ボクにとってどうなのかということで考えれば、まず、お父さんは、どうってことはない。今でもボクより下のはずだ。それに、お兄さんも同じようなものだ。あまり接する機会はないが、ボクに害を加えるようなことはなく、時々不思議な話をしてくれるが、ボクより下にあることは間違いない。
問題はお母さんとお姉さんである。
お母さんは、いつもボクたちの食事を用意してくれるので、どうしても頭が上がらない。お姉さんはボクを最初に助けてくれた人なので、この人をやっつけることなど出来ない。
では、トラやチビはどうなのだろうか。
チビも、お母さんには勝てないようだ。何といってもチビは食いしん坊だから、食事の世話をしてくれるお母さんには勝てるはずがない。お姉さんに対しても、いつも甘えたような態度をしているから、お姉さんにも負けているはずだ。
トラはどうだろうか。お母さんもお姉さんも、トラをとても大切に扱っている感じだ。しかもトラは、お母さんに対しても、お姉さんに対しても、チビのように甘えた様子を見せることはない。いつも威厳に満ちている。
これらのことを考え合わせると、この家のトップにあるのは、トラらしい。そして、お母さん、お姉さんときて、その次がチビ、それからお兄さん、お父さんの順番らしい。
そうするとボクは、チビの前か後のあたりらしい。
まあ、まだボクは子供だし、この家に来て間もないから仕方がないとしても、とりあえずはトラとチビに対して、ボクの強さを示していく必要がある。
そこでボクは、椅子の陰などに隠れていて、通りかかったトラやチビや人間たちに飛びかかったり、前足でひっかいたりすることにした。
人間たちは全員がとても驚いていたので、それなりの効果があったはずだ。それに、チビは大げさすぎるほど大きな声で驚いている。何回してもである。しかし、トラには、ほとんど効果がないようだ。じろっと睨みつけるだけで、驚きもしなければ怒りもしない。トラの威厳は本物らしい。
* *
そんな時のことである。
お姉さんが来た時にも椅子の陰から飛びついたのだが、お姉さんは驚きながらもボクを抱き上げようとしたのである。すると、ボクには、そんなつもりはなかったのだけれど、爪でお姉さんの掌を引き裂いてしまったのである。ボクの爪はまだ小さいけれど、それだけ薄くて鋭利なのだ。
お姉さんは悲鳴をあげてボクを投げ出しました。強く放り出されたわけではないので、ボクには痛みなどなかったけれど、お姉さんの悲鳴がショックだった。
掌の治療をしたお姉さんは、しょんぼりしているボクを抱き上げて言いました。
「チロ君。この頃いたずらが過ぎるわよ。優しい笑顔のチロちゃんは、みんなにもっと優しくしなければいけないわよ」
ボクは、とても悲しい気持ちになりました。もっと強くなり、みんなに勝てるようにするのは間違っているのだろうか・・・。
* * *
④ ボクの順位
「チロ君、きみはだんだんいたずら坊主になってきたのね」
と、お姉さんはボクを抱き上げると、よくこう言う。
「これ、チロ! 最近いたずらが過ぎますよ」
と、お母さんも、時々ボクのことを叱りつける。
お姉さんもお母さんも、ボクの味方のはずだし、実際によくしてくれる。しかし、ボクが、チビやトラを脅していると、二人ともボクを叱りつける。口で注意するだけで、それ以上攻撃してくるようなことはないが、どうも、ボクだけの味方ではないらしい。
* *
ボクはこの家の生活にすっかり慣れた。
寝る場所は、別に決められているわけではないが、三匹の寝場所は大体決まっている。トラは食卓の下が定位置で、チビは好き勝手な所で寝ているようだが、ソファーの上が一番多い。そしてボクは、お母さんが買ってくれた寝床をいつも使っている。
ボクは、この家に来てからでも体が大分大きくなったが、寝床は十分広く、ボクが大人になっても大丈夫なものである。ただ、相変わらずチビが大きな図体を押しこんでくるのが悩みの種である。
食卓のある部屋の窓側は広いテラスになっていて、トラは首輪をしてもらって綱に繋がれた状態でテラスによく出ている。トラが子供の頃からの習慣らしく、勝手に外へは出してくれないらしい。
ところが、チビの方は好き勝手にできるらしい。チビも子供の頃にこの家に来たが、野良だったのがいつの間にかこの家に居ついてしまったため、今も外出自由らしい。本当のところは、チビにも首輪をしようとしたらしいが、うまくいかなかったらしい。あれだけ大きな頭をしているのだから、首輪で繋ぐのは簡単だと思うのだが、実は、チビの首はあの大きな頭を支えるだけあって、とんでもなく太いのである。どこまでが頭なのか首なのかがよく分からず、首輪で繋ぐのをあきらめたらしい。
ボクに首輪をつけるかどうかも検討されたらしい。今のところはトラがテラスに出ている時はボクも出してもらえることになっている。
お母さんたちは、最初の頃は遠くへ行ってしまうことが心配だったらしいが、どうもボクには、外の世界には恐怖感があって、なかなか家から出ることが出来ないのである。テラスには段ボールの箱が置かれていて、その中にバスタオルが敷かれていて、トラなどはその中でうとうとしていることがよくある。
チビは相当遠くまで出かけていて、野良だか他家のネコだかとよく喧嘩をして帰ってくる。あの大きな頭に立ち向かっていくネコもいるらしくて、足とか耳などから血を流して帰ってくることも時々あった。そんな時でも、帰ってくると、トラが出ているかいないかに関わらず、テラスの段ボールで傷の手当てをするようである。ただ、お腹を空かせて帰って来た時にトラが室内に入る時は、テラスへのガラス戸は閉められているので、ガラス戸をガリガリやりながら「今帰ったぞ」とばかりに鳴き叫ぶのである。
ボクは、自分から外に出るようなことはほとんどないが、トラが出ている時は、お母さんが抱き上げてテラスに連れ出してくれる。ボクは余り出たくはないのだが、外の空気を吸わそうとしているらしい。
テラスでは、三つに増やされている段ボールのどれかに入るか、トラの体にぴったりと寄り添うかのどちらかである。家の中では、ほんのお愛想程度にしか舐めてくれないトラだが、どういうわけだかテラスでは親切に舐めてくれる。ボクもトラを舐めることもあるが、トラも結構気持ちが良いらしい。
テラスの先は芝生が少しあり、その先には花壇や植木などがあり、チビはそのあたりをうろついていることもあるが、大抵はどこか他所へ出掛けていることが多い。ボクも何度か芝生までは出て見るが、そこまではチビも出てくることが出来るので、ボクの後についてくる。そして、それ以上先へは行ってはいけないと忠告してくれているようだ。
このように、普通に生活をしている分には、今のボクには何の心配もない。
ただ、トラもチビもボクのことを子供だと侮っているらしいことが時々感じられるのだ。確かに今は、体が小さいし、トラにもチビにも勝てないかもしれない。しかし、いつまでも侮られているわけにはいかない。ボクの強さをトラにもチビにも教えていって、この家で、一番強い立場に昇って行かなくてはならないのだ。
そこで、ボクは、この家での現在の順位付けがどうなっているのか考えてみた。
まず、トラとチビの力関係である。これは、明らかにトラが上のようだ。年がトラの方が上だし、この家にやってきたのが先なので、二匹の間で順位付けは出来ているように見える。実際に戦ってみれば、あの大きな頭と図体の持ち主の巨大ネコであるチビは、トラに負けるとは思われない。
しかし、トラには、何といっても威厳がある。細いが、長い体は崇高でさえある。チビがトラにちょっかいをするようなことは全くないし、たまにチビがわがままな行動をしても、トラは全く意にも介さない。やはり、トラの方が上位にあることは間違いない。
この家には、ネコだけではなく、人間も四人いる。お母さんとお姉さん、それにお父さんとお兄さんだ。
人間の四人がどんな順位になっているのかも、ボクには重要なことだ。四人の順位もそうだし、ボクたちネコとの順位がどうかということもである。
ボクは、いつかはこの家で一番上に立たなければならないが、最初からある程度上位に位置していないことには、後から抜いて行くのは難しいからである。早いうちにボクの存在をしっかり印象付けておく必要があるのだ。
もちろん人間たち同士の順位付けがどうなっているのかは分かりにくいが、ボクにとってどうなのかということで考えれば、まず、お父さんは、どうってことはない。今でもボクより下のはずだ。それに、お兄さんも同じようなものだ。あまり接する機会はないが、ボクに害を加えるようなことはなく、時々不思議な話をしてくれるが、ボクより下にあることは間違いない。
問題はお母さんとお姉さんである。
お母さんは、いつもボクたちの食事を用意してくれるので、どうしても頭が上がらない。お姉さんはボクを最初に助けてくれた人なので、この人をやっつけることなど出来ない。
では、トラやチビはどうなのだろうか。
チビも、お母さんには勝てないようだ。何といってもチビは食いしん坊だから、食事の世話をしてくれるお母さんには勝てるはずがない。お姉さんに対しても、いつも甘えたような態度をしているから、お姉さんにも負けているはずだ。
トラはどうだろうか。お母さんもお姉さんも、トラをとても大切に扱っている感じだ。しかもトラは、お母さんに対しても、お姉さんに対しても、チビのように甘えた様子を見せることはない。いつも威厳に満ちている。
これらのことを考え合わせると、この家のトップにあるのは、トラらしい。そして、お母さん、お姉さんときて、その次がチビ、それからお兄さん、お父さんの順番らしい。
そうするとボクは、チビの前か後のあたりらしい。
まあ、まだボクは子供だし、この家に来て間もないから仕方がないとしても、とりあえずはトラとチビに対して、ボクの強さを示していく必要がある。
そこでボクは、椅子の陰などに隠れていて、通りかかったトラやチビや人間たちに飛びかかったり、前足でひっかいたりすることにした。
人間たちは全員がとても驚いていたので、それなりの効果があったはずだ。それに、チビは大げさすぎるほど大きな声で驚いている。何回してもである。しかし、トラには、ほとんど効果がないようだ。じろっと睨みつけるだけで、驚きもしなければ怒りもしない。トラの威厳は本物らしい。
* *
そんな時のことである。
お姉さんが来た時にも椅子の陰から飛びついたのだが、お姉さんは驚きながらもボクを抱き上げようとしたのである。すると、ボクには、そんなつもりはなかったのだけれど、爪でお姉さんの掌を引き裂いてしまったのである。ボクの爪はまだ小さいけれど、それだけ薄くて鋭利なのだ。
お姉さんは悲鳴をあげてボクを投げ出しました。強く放り出されたわけではないので、ボクには痛みなどなかったけれど、お姉さんの悲鳴がショックだった。
掌の治療をしたお姉さんは、しょんぼりしているボクを抱き上げて言いました。
「チロ君。この頃いたずらが過ぎるわよ。優しい笑顔のチロちゃんは、みんなにもっと優しくしなければいけないわよ」
ボクは、とても悲しい気持ちになりました。もっと強くなり、みんなに勝てるようにするのは間違っているのだろうか・・・。
* * *
キャットスマイル
⑤ チビの生い立ち
ボクは、チビもトラも大好きだ。
そりゃあ、本当のことを言えば、どちらも少々恐ろしいところはある。それに、トラは近寄りがたいところがあるし、チビはすぐにボクの寝床を狙いに来る。
しかし、お姉さんに助けられて迷い込んできたボクを、いじめることもなく受け入れてくれているのはありがたい。
しかし、ボクは、やがてはチビよりもトラよりも強くならなくてはならないのだ。
ところがお姉さんは、「いたずらが過ぎる」と、ボクを叱るんだ。お姉さんに叱られるのは、悲しい。
* *
ここのところ、ボクは少し元気がない。
食事の時も、いつもはチビと先を争っていたのだが、ここ数日はチビより遅れて食べ始める。
食事は三つ用意してくれているので、遅く行っても自分の分は残っているのだけれど、チビは自分の分を食べ終わると、ボクのを狙いに来る。いつもは少し脅してやると、チビはボクのを取るのを諦めて、トラの食事を狙いに行く。トラは簡単に場所を譲って、チビの好きなようにさせている。そしてトラは、チビが満足した後、チビの分も含めて残っている分を食べている。
トラが本当は強いのかどうかよく分からない。
けれども、ここ数日は、チビがボクの食事を狙いにくると、そのまま譲ってボクはその場を離れる。少し経ってから、まだお腹が空いていると、残っているものを食べる。
寝床もそうだ。チビが大きな頭で潜り込んできても簡単には場所を譲らないが、それでもチビはあきらめずに半分だけ体を入れて、グウグウと眠ってしまう。まったく図々しい奴だ。
それが、やはりこの数日は、チビに場所を譲って、ボクは寝床に体のほんの一部だけ残していることがよくあるようになった。何だか、チビを押しのける元気がなくなったみたいなのだ。
体の半分が外に出ている状態でウトウトしていた時のことである。昼下がりのことで、トラはテラスの箱の中で眠っているらしく、いつもいる食卓の下には居ない。
お母さんもどこかへ出かけたのか姿が見えない。他の人はいないことが多いので、お母さんがいない時は、ネコだけになり、何だか物足りない。
ウトウトしながら夢うつつにそんなことを考えていると、いつの間にかチビが大きな頭を持ち上げてボクの体を舐めてくれている。チビは、ボクが体を寄せていくと舐めてくれるが、チビの方から寄ってきて舐めてくれることはほとんどない。珍しいことだが、なんだか良い気持ちだ。
ボクは気がつかないふりをして、目を閉じていた。
しばらく経って、さすがにチビもつかれたのか、舐めるのをやめると体を動かせて、大きな頭をボクの頭に押し付けてきた。
ボクはまだおとなになり切れていないし、頭は他の猫より小さい方なので、チビの頭を押しつけられると体の半分が接してしまうほどなのだ。
と、チビがいつにない小さな声で話しかけてきた。
「どうした? 最近元気がないみたいだぞ」
「うん・・・、そういうわけでもないんだが」
「体の調子が悪いのか?」
「そんなことはない。ただ、なんだか元気が出ないんだ」
「お姉さんに叱られたからか?」
そこで、チビは頭を動かせてボクの顔を覗き込んでにやりと笑った。
そう言われてみると、ボクの元気がなくなったのは、お姉さんに叱られてからみたいだ。確かに叱られたのはショックだったが、元気がなくなるほどこたえていたとは思っていなかったのだ。
「何を叱られたんだ?」
「いたずらが過ぎるって・・・」
「アハハ・・・、そうだろうなあ、お姉さんの手を傷つけたからな」
「あれは、そんなつもりじゃなかったんだ。それに、お姉さんはあのことを怒っているのではないみたいだった」
「そうだろうよ、お姉さんの手を傷つけたのは弾みだったのだろうが、トラやワシに攻撃していることを叱られたんだろう?」
「攻撃していたわけではないよ・・・」
「じゃあ何だ。あれは遊びだったとでもいうのか?」
「・・・」
「まあ、それはいい。お前はまだ小さいから、あの程度の攻撃では、トラもワシも全然こたえないからな。だが、お前がもう少し大きくなったら、そうはいかない。お前は、きっとかなり強くなるネコだから、例えばワシとだと血みどろの戦いをしなくては決着がつかないだろうよ」
言われてみると、ボクはますます落ち込んでしまった。
今のところ、この家で順番をつける場合、トラにはかなわないまでもチビよりは上だと思っていたが、チビが血みどろになる覚悟でかかってきた場合、とても勝てそうにもない。第一、チビにはそんな根性などないと思っていた。チビを少し甘く見ていたのかもしれない。
「お前、余り背伸びしなくてもいいんだよ」
しょんぼりしてしまったボクに、チビは大きな頭を寄せてきた。
「ワシのこと、そう、ワシがこの家に世話になった時のことを話してやろう。ワシも最初は、お前と一緒だったからな」
チビは、鼻の頭にしわを寄せて、遠くを見つめて話し始めた。
「ワシがこの家に来たのは、まだ、今のお前と同じくらいの大きさの時だった。
きっと、棄てられたのだと思うが、ある日突然ワシだけが畑の真ん中に置かれていた。小川があるので飲み水には困らなかったが、食い物には困った。夏のことで、畑や草むらの虫など追っかけまわしたが、まだチビ助のワシには腹の足しになる虫など捕まえることが出来なかった。
仕方がないのでうろうろしているうちに、広い公園に出た。そこには野良ネコが何匹が住み着いていて、誰かが食べ物をもってきてくれるらしく、そのおこぼれを失敬して二日ばかり過ごした。前から住みついている野良たちは、ワシを見て嫌な顔をし威嚇もされたが、まだチビ助だったので、ひどいことはされなかった。
しかし、次の日から雨になって、二日降り続いたので、誰も持ってきてくれないらしく、食べ物はすっかり無くなってしまった。野良たちは、どこかにあてがあるらしくいなくなってしまった。
ワシは仕方なく公園を出た。何軒かどこかの家に入り、犬の餌を失敬したりしたが、とても満腹になどならない。それに彼らは、食べ残しているくせに、ワシが食べるのを惜しがるのだ。
何日か彷徨った後、偶然この家に辿り着いた。
今と同じように、トラが紐に繋がれて、テラスに寝そべっていた。近くには食事の器も置いてあって、大分残っていた。ワシは恐る恐る食器に近づいた。トラは目を覚まし、低い声で威嚇した。恐かったが、朝からほとんど何も食べていないので、少々噛みつかれても何かを口に入れたかった。
トラはワシを威嚇はしたが、ワシが余りに小さいので飛びかかってくるようなことはなく、ワシが容器の食べ物を食べ始めても、不思議そうな顔で見ているだけだった。
全部食べ終わり、粒状の食べ物だったので器にほとんど何も付いていなかったが、それも丹念に舐めまわした後、ワシはトラに少し近づいた。こいつと仲良くしておくとまた何か食べさせてもらえるような気がしたからである。
しかし、ワシか近づくとトラは声を高くして威嚇した。すると、その声を聞いたらしい家の人が、大きな声でワシを追い払った。ワシはあわてて逃げたが、その家の庭からは出て行かず、今もあるが、庭の端にある物置の陰に隠れた。
トラは、今もそうだが、一日に何回もテラスに出たり、家の中に入ったりしていた。テラスに出ている時には、毎回ではないが食べ物の入った容器も置かれていた。ワシはその時を狙ってトラに近づいて行った。二回目からは、トラは威嚇することもなく、ワシに食べ物を譲ってくれた。三日もすると、家の人にもワシが食べに来ていることが見つかってしまったが、最初のように大声で追い払うこともなく、別にわざわざミルクを出してくれたりした。
しかし、ワシは家の人には気を許していなかったので、あまり近づかないようにしていた。それはトラも一緒で、ワシが食事をするのは怒らないが、近づき過ぎると低い声で威嚇するのをやめなかった。特に、トラがテラスに居る時はガラス戸は開けられていたので、ワシがそこから中に入ろうとすると、とても大きな声をあげ、飛びかかって来そうになって怒った。食事はさせてやるが、それ以上近づくなという警告らしい。優しくしてくれているように見えても、自分の城を荒らされるのは嫌だということなのだろう。
そんなある日のこと、トラはテラスに居たが食事の容器は出ていなかったので、ワシは寝床にしている物置の陰にいた。食事の時は怒らないが、何もない時に近づくのはトラは気に入らないらしいからである。
その時、不気味な声がしたのでその方を見てみると、黒と灰の縞模様の大ネコが、ワシに近づいてきていた。悔しいけれど、とても戦えそうな相手ではなかった。
ワシは威嚇だか泣き声だか分からないような声をあげながら、無意識のうちにトラの居るテラスに逃げ込んだ。後ろから大ネコは凄まじい声を上げながら迫ってきていた。
その時である。のんびりと寝そべっているだけだと思っていたトラが、紐に括られているにもかかわらず、その大ネコに敢然と向かっていったのだ。細い体をいっぱいに含まらせて、細長かった尻尾は丸太ン棒のように膨らみ、凄まじい声を張り上げてである。さすがの大ネコも突進を止めて、低く唸りながらも後ずさりしはじめていた。家の中からも大声で人が飛び出してきたので、大ネコは逃げ去って行った。
ワシは足がすくんでしまっていて、動けなくなっていた。
トラはなお、体を大きく膨らませたまま大ネコが逃げていった方角を睨みつけていた。
ワシは、その日からこの家に入れてもらえるようになったんだ。
ワシはいきなり畑の真ん中に放り出されたので、誰にも負けることなど出来ない。誰かに負ければ生きていけないからだ。そう思っていたが、あの時のトラの凄さは、そんなワシの考えを打ち砕いてしまうものだった。あんなに凄い戦いが出来るネコがいるのだ、しかも自分のためではなく、こんなチビ助のワシのために、と思ったんだ。
ワシは今でも、外では誰にも負けないように戦っているよ。よく怪我をして帰ってくるのは知っているだろう。でもな、この家では、そんなことは考えないことにしているんだ。トラのあの凄さを知っているためともいえるが、それでいてトラは全然威張っていないだろう。近づき難いところはあるけれど。
なぁ、チロよ。お前も外に出るようになれば、戦わなければならないし、家の中に居るとしても、大ネコみたいな奴が襲ってくれば、たとえ勝てないまでも戦わねばならない。でも、な、家の中ではいいんじゃないか、余り背伸びしなくても。戦いや、順位など関係なくやって行く方法もあるはずだよ。
まあ、お前にはお前のやり方があるわけだけれど、考えてみなよ」
チビはそれだけ話すと、大きな伸びをして、残っている食べ物を食べるらしく、のそのそと離れていった。
* *
チビにも、子供の時があって、それなりに苦労していたんだ。
単に頭が大きくて、図々しいだけではないんだ、と思うと、チロはこのところ自分が何をしようとしていたのか、分からなくなってしまった。
今の話を聞いていると、どうもチビはボクより上らしいし、そうすると、ボクより下はお父さんとお兄さんだけになってしまう。それでは困るけれど、もしかすると、勝っているとか負けているとかなど関係のない接し方もあるのかもしれない。
そう思うと、チロは肩の力が抜けていくような気持ちになった。
そんな時のチロは、お姉さんたちが「微笑んでいる」という表情になっていた。
* * *
⑤ チビの生い立ち
ボクは、チビもトラも大好きだ。
そりゃあ、本当のことを言えば、どちらも少々恐ろしいところはある。それに、トラは近寄りがたいところがあるし、チビはすぐにボクの寝床を狙いに来る。
しかし、お姉さんに助けられて迷い込んできたボクを、いじめることもなく受け入れてくれているのはありがたい。
しかし、ボクは、やがてはチビよりもトラよりも強くならなくてはならないのだ。
ところがお姉さんは、「いたずらが過ぎる」と、ボクを叱るんだ。お姉さんに叱られるのは、悲しい。
* *
ここのところ、ボクは少し元気がない。
食事の時も、いつもはチビと先を争っていたのだが、ここ数日はチビより遅れて食べ始める。
食事は三つ用意してくれているので、遅く行っても自分の分は残っているのだけれど、チビは自分の分を食べ終わると、ボクのを狙いに来る。いつもは少し脅してやると、チビはボクのを取るのを諦めて、トラの食事を狙いに行く。トラは簡単に場所を譲って、チビの好きなようにさせている。そしてトラは、チビが満足した後、チビの分も含めて残っている分を食べている。
トラが本当は強いのかどうかよく分からない。
けれども、ここ数日は、チビがボクの食事を狙いにくると、そのまま譲ってボクはその場を離れる。少し経ってから、まだお腹が空いていると、残っているものを食べる。
寝床もそうだ。チビが大きな頭で潜り込んできても簡単には場所を譲らないが、それでもチビはあきらめずに半分だけ体を入れて、グウグウと眠ってしまう。まったく図々しい奴だ。
それが、やはりこの数日は、チビに場所を譲って、ボクは寝床に体のほんの一部だけ残していることがよくあるようになった。何だか、チビを押しのける元気がなくなったみたいなのだ。
体の半分が外に出ている状態でウトウトしていた時のことである。昼下がりのことで、トラはテラスの箱の中で眠っているらしく、いつもいる食卓の下には居ない。
お母さんもどこかへ出かけたのか姿が見えない。他の人はいないことが多いので、お母さんがいない時は、ネコだけになり、何だか物足りない。
ウトウトしながら夢うつつにそんなことを考えていると、いつの間にかチビが大きな頭を持ち上げてボクの体を舐めてくれている。チビは、ボクが体を寄せていくと舐めてくれるが、チビの方から寄ってきて舐めてくれることはほとんどない。珍しいことだが、なんだか良い気持ちだ。
ボクは気がつかないふりをして、目を閉じていた。
しばらく経って、さすがにチビもつかれたのか、舐めるのをやめると体を動かせて、大きな頭をボクの頭に押し付けてきた。
ボクはまだおとなになり切れていないし、頭は他の猫より小さい方なので、チビの頭を押しつけられると体の半分が接してしまうほどなのだ。
と、チビがいつにない小さな声で話しかけてきた。
「どうした? 最近元気がないみたいだぞ」
「うん・・・、そういうわけでもないんだが」
「体の調子が悪いのか?」
「そんなことはない。ただ、なんだか元気が出ないんだ」
「お姉さんに叱られたからか?」
そこで、チビは頭を動かせてボクの顔を覗き込んでにやりと笑った。
そう言われてみると、ボクの元気がなくなったのは、お姉さんに叱られてからみたいだ。確かに叱られたのはショックだったが、元気がなくなるほどこたえていたとは思っていなかったのだ。
「何を叱られたんだ?」
「いたずらが過ぎるって・・・」
「アハハ・・・、そうだろうなあ、お姉さんの手を傷つけたからな」
「あれは、そんなつもりじゃなかったんだ。それに、お姉さんはあのことを怒っているのではないみたいだった」
「そうだろうよ、お姉さんの手を傷つけたのは弾みだったのだろうが、トラやワシに攻撃していることを叱られたんだろう?」
「攻撃していたわけではないよ・・・」
「じゃあ何だ。あれは遊びだったとでもいうのか?」
「・・・」
「まあ、それはいい。お前はまだ小さいから、あの程度の攻撃では、トラもワシも全然こたえないからな。だが、お前がもう少し大きくなったら、そうはいかない。お前は、きっとかなり強くなるネコだから、例えばワシとだと血みどろの戦いをしなくては決着がつかないだろうよ」
言われてみると、ボクはますます落ち込んでしまった。
今のところ、この家で順番をつける場合、トラにはかなわないまでもチビよりは上だと思っていたが、チビが血みどろになる覚悟でかかってきた場合、とても勝てそうにもない。第一、チビにはそんな根性などないと思っていた。チビを少し甘く見ていたのかもしれない。
「お前、余り背伸びしなくてもいいんだよ」
しょんぼりしてしまったボクに、チビは大きな頭を寄せてきた。
「ワシのこと、そう、ワシがこの家に世話になった時のことを話してやろう。ワシも最初は、お前と一緒だったからな」
チビは、鼻の頭にしわを寄せて、遠くを見つめて話し始めた。
「ワシがこの家に来たのは、まだ、今のお前と同じくらいの大きさの時だった。
きっと、棄てられたのだと思うが、ある日突然ワシだけが畑の真ん中に置かれていた。小川があるので飲み水には困らなかったが、食い物には困った。夏のことで、畑や草むらの虫など追っかけまわしたが、まだチビ助のワシには腹の足しになる虫など捕まえることが出来なかった。
仕方がないのでうろうろしているうちに、広い公園に出た。そこには野良ネコが何匹が住み着いていて、誰かが食べ物をもってきてくれるらしく、そのおこぼれを失敬して二日ばかり過ごした。前から住みついている野良たちは、ワシを見て嫌な顔をし威嚇もされたが、まだチビ助だったので、ひどいことはされなかった。
しかし、次の日から雨になって、二日降り続いたので、誰も持ってきてくれないらしく、食べ物はすっかり無くなってしまった。野良たちは、どこかにあてがあるらしくいなくなってしまった。
ワシは仕方なく公園を出た。何軒かどこかの家に入り、犬の餌を失敬したりしたが、とても満腹になどならない。それに彼らは、食べ残しているくせに、ワシが食べるのを惜しがるのだ。
何日か彷徨った後、偶然この家に辿り着いた。
今と同じように、トラが紐に繋がれて、テラスに寝そべっていた。近くには食事の器も置いてあって、大分残っていた。ワシは恐る恐る食器に近づいた。トラは目を覚まし、低い声で威嚇した。恐かったが、朝からほとんど何も食べていないので、少々噛みつかれても何かを口に入れたかった。
トラはワシを威嚇はしたが、ワシが余りに小さいので飛びかかってくるようなことはなく、ワシが容器の食べ物を食べ始めても、不思議そうな顔で見ているだけだった。
全部食べ終わり、粒状の食べ物だったので器にほとんど何も付いていなかったが、それも丹念に舐めまわした後、ワシはトラに少し近づいた。こいつと仲良くしておくとまた何か食べさせてもらえるような気がしたからである。
しかし、ワシか近づくとトラは声を高くして威嚇した。すると、その声を聞いたらしい家の人が、大きな声でワシを追い払った。ワシはあわてて逃げたが、その家の庭からは出て行かず、今もあるが、庭の端にある物置の陰に隠れた。
トラは、今もそうだが、一日に何回もテラスに出たり、家の中に入ったりしていた。テラスに出ている時には、毎回ではないが食べ物の入った容器も置かれていた。ワシはその時を狙ってトラに近づいて行った。二回目からは、トラは威嚇することもなく、ワシに食べ物を譲ってくれた。三日もすると、家の人にもワシが食べに来ていることが見つかってしまったが、最初のように大声で追い払うこともなく、別にわざわざミルクを出してくれたりした。
しかし、ワシは家の人には気を許していなかったので、あまり近づかないようにしていた。それはトラも一緒で、ワシが食事をするのは怒らないが、近づき過ぎると低い声で威嚇するのをやめなかった。特に、トラがテラスに居る時はガラス戸は開けられていたので、ワシがそこから中に入ろうとすると、とても大きな声をあげ、飛びかかって来そうになって怒った。食事はさせてやるが、それ以上近づくなという警告らしい。優しくしてくれているように見えても、自分の城を荒らされるのは嫌だということなのだろう。
そんなある日のこと、トラはテラスに居たが食事の容器は出ていなかったので、ワシは寝床にしている物置の陰にいた。食事の時は怒らないが、何もない時に近づくのはトラは気に入らないらしいからである。
その時、不気味な声がしたのでその方を見てみると、黒と灰の縞模様の大ネコが、ワシに近づいてきていた。悔しいけれど、とても戦えそうな相手ではなかった。
ワシは威嚇だか泣き声だか分からないような声をあげながら、無意識のうちにトラの居るテラスに逃げ込んだ。後ろから大ネコは凄まじい声を上げながら迫ってきていた。
その時である。のんびりと寝そべっているだけだと思っていたトラが、紐に括られているにもかかわらず、その大ネコに敢然と向かっていったのだ。細い体をいっぱいに含まらせて、細長かった尻尾は丸太ン棒のように膨らみ、凄まじい声を張り上げてである。さすがの大ネコも突進を止めて、低く唸りながらも後ずさりしはじめていた。家の中からも大声で人が飛び出してきたので、大ネコは逃げ去って行った。
ワシは足がすくんでしまっていて、動けなくなっていた。
トラはなお、体を大きく膨らませたまま大ネコが逃げていった方角を睨みつけていた。
ワシは、その日からこの家に入れてもらえるようになったんだ。
ワシはいきなり畑の真ん中に放り出されたので、誰にも負けることなど出来ない。誰かに負ければ生きていけないからだ。そう思っていたが、あの時のトラの凄さは、そんなワシの考えを打ち砕いてしまうものだった。あんなに凄い戦いが出来るネコがいるのだ、しかも自分のためではなく、こんなチビ助のワシのために、と思ったんだ。
ワシは今でも、外では誰にも負けないように戦っているよ。よく怪我をして帰ってくるのは知っているだろう。でもな、この家では、そんなことは考えないことにしているんだ。トラのあの凄さを知っているためともいえるが、それでいてトラは全然威張っていないだろう。近づき難いところはあるけれど。
なぁ、チロよ。お前も外に出るようになれば、戦わなければならないし、家の中に居るとしても、大ネコみたいな奴が襲ってくれば、たとえ勝てないまでも戦わねばならない。でも、な、家の中ではいいんじゃないか、余り背伸びしなくても。戦いや、順位など関係なくやって行く方法もあるはずだよ。
まあ、お前にはお前のやり方があるわけだけれど、考えてみなよ」
チビはそれだけ話すと、大きな伸びをして、残っている食べ物を食べるらしく、のそのそと離れていった。
* *
チビにも、子供の時があって、それなりに苦労していたんだ。
単に頭が大きくて、図々しいだけではないんだ、と思うと、チロはこのところ自分が何をしようとしていたのか、分からなくなってしまった。
今の話を聞いていると、どうもチビはボクより上らしいし、そうすると、ボクより下はお父さんとお兄さんだけになってしまう。それでは困るけれど、もしかすると、勝っているとか負けているとかなど関係のない接し方もあるのかもしれない。
そう思うと、チロは肩の力が抜けていくような気持ちになった。
そんな時のチロは、お姉さんたちが「微笑んでいる」という表情になっていた。
* * *
キャットスマイル
⑥ トラの脱走
ボクはこの家の生活に慣れていった。
寝床や食事などに慣れてきたこともあるが、一緒に生活しているトラとチビとの関わり方について慣れてきたことが大きい。
ボクは誰よりも強くならなくてはならないのだけれど、この前チビがいろいろ話してくれたことから、この家にいる間は、少なくともトラやチビを負かす必要がないし、彼らもボクをやっつけたり追い出したりする気はないようだということが分かってきたのだ。
ただ、物陰に隠れていて飛びかかるのは、とても楽しいので簡単にやめるわけにはいかない。でもそれは、出来るだけお母さんやお姉さんなどにすることにしている。
*
チビが家にいる時は、食事をしているか寝ているのがほとんどで、それも寝ている時間の半分はボクの寝床にもぐりこんでくるのである。
ボクは、この家に来てから大分大きくなっているので、チビにもぐりこまれると以前よりさらに狭苦しい。しかしチビは、あんなに大きい体をしているのに、むしろそのせいかもしれないが、狭苦しいということを感じないらしい。その上、自分の図体の大きさが分かっていないらしく、狭い所にどでかい体を押しこんでくるのだ。
チビは、食べるだけ食べて、寝るだけ寝ると、やおら外へ出かけていく。
たいていはガラス戸が閉まっているが、その時には図々しくも「ニャアーゴ、ニャアーゴ」とどでかい声でお母さんを呼んで戸を開けさせるのである。
帰って来た時も、テラスにおいてある箱の中でおとなしく寝ていることもあるが、戸が閉まっていて入りたい時にも、同じように大声を上げる。それでも誰も開けてくれない時には、ガラス戸をガリガリとひっかいて呼び続ける。お母さんがいない時や二階に上がっている時などには、それでも開けてもらえないので、ふてくされたような顔で箱の中で眠ってしまう。
トラは、チビと違って遠くへは行かせてもらえないらしい。どういう理由からか知らないが、この家に来た時からのことらしく、外へ行くのが危険なので、そうなったらしい。
そのかわり、外に出たい時は窓際に行って、「ウゥー」という低い声を出すと、お母さんが首輪に紐を繋いで外に出してやる。紐はテラスの柱に繋がれているが、結構長く、テラスの外へも少しばかり行ける。
ただ、たいていはテラスに長々と寝そべっているか、箱の中で寝ている。
時々、お母さんがうっかりしている時などに、紐に繋がれない状態で外に出てしまうことがある。
お母さんなどがそれに気付くと、大騒ぎになってトラを捕まえにかかる。
トラは庭から外へ行ってしまうことはあまりないが、時には隣家の庭に入り、さらに姿を消してしまうこともたまにある。
そんな時には、お母さんばかりでなく、他に誰かがいる時には総出で探しまわる。しかし、トラはそのくらいでは簡単には捕まらない。
感心なのは、そのような状態になると、いつの間にかチビが姿を現して、トラの後について行くらしい。
お母さんも、
「チビ、トラを探してきて」
と言っているのを何度も聞いたことがある。
トラは、散歩に飽きると勝手に帰ってくるし、チビの鳴き声に呼び寄せられて帰ってくることもある。
帰ってきても、お母さんが捕まえようとするとなかなか捕まらないが、しばらくすると勝手に家に入ってくるか、テラスの箱の中で眠っていたりする。
ともかく、トラが繋がれていない状態で外に出ると、家中が大騒ぎなのだ。
ボクの場合は、どうもはっきりしていない。
ボクにも首輪を買ってくれているが、どうもボクは首輪をつけられるのが好きではない。チビの場合は、どこまでが頭でどこからが体だか分からないので、したがって首の場所がはっきりしないので首輪が付けにくいのだと思うが、ボクの場合は、頭が小さいので首輪が付けにくいらしい。
外に出るのは、トラが外に出ている時に一緒に出してくれる。いつもではないが、必ずお母さんかお姉さんが近くに付いている。それに、トラもボクがテラスに出ている時はのんびり寝ていられないらしく、座ったりねそべったりしてボクを見ている。チビも、家の中に居る時はわざわざ出てきてボクの近くに座る。
ボクはテラスでねそべるか、たまに箱に入ったりするが、テラスの箱はボクには寝心地がよくない。
たまには、テラスの外に走り出ることもあるが、その時はお母さんなどが大声を出し、チビも追っかけてくる。その声に驚いて、ボクは家の中に走り込む。
ボクは、今でも子供たちからいじめられていたことが頭のどこかに残っているらしく、外に出るのが恐い気がして、テラスからはなかなか出て行けないのである。
ボクたちは、それぞれ方法は違うが、家の外に出ることも多かったが、ある日事件が起こった。
いつの間にかトラが外に出てしまっていた時のことである。
そういうことはよくあることなので、お母さんもしばらくは捕まえようとしたが、これもいつものように簡単に捕まるはずがなかった。ちょうどチビが帰って来たので、例によってお母さんは、
「チビ、トラをよく見張っているのよ」
と言って、家の中に入ってしまった。ボクは家の中からガラス戸越しに二匹の様子を見ていた。
庭の中をトラとチビは追っかけっこをしたり、少し離れて芝生の上に座ったりしていた。
その時である。庭の向こうから黒と灰の縞模様の大ネコが入ってきたのだ。
チビもトラも大声をあげ、チビは大ネコに向かっていき、トラは隣家の庭に駆け込んだのである。
大声を上げながらチビと絡み合った後、大ネコはトラが逃げた方向に向かった。今度は隣家の庭でトラの大声がし、チビもそちらに向かった。
その頃にはお母さんも気がついて、大声でトラを呼びながら、表の道路から隣家に向かったが、その時には三匹ともが姿を消していた。
遠くで何度かネコが闘う声が聞こえてきたが、それも静まり、三匹の姿は見えなくなってしまった。
かなりの時間が経ってから、チビだけが帰ってきた。
特に怪我をしている様子はないが泥まみれで、激しく戦ったらしいことが窺える。
心配しながら家を出たり入ったりしていたお母さんは、チビの姿を見ると、
「トラはどうしたの?」
と尋ね、「トラを探してきてよ」と言葉を続けたが、チビは疲れているらしくうずくまってしまって探しに行こうとしなかった。
やがて日が暮れてあたりは暗くなったが、トラは帰ってこなかった。
チビは一度出掛けて行ったが、トラに会うことは出来なかったらしく、すごすごと帰ってきた。何だか、チビが少し小さくなったように見えて、ボクは、何か大変なことが起こっているのではないかと胸騒ぎがした。
お姉さんが帰ってくると、お母さんと共に懐中電灯をもってトラの名前を呼びながら近くの公園などを探したようだが、まったく姿が見えなかったらしい。
夜遅くになって、お父さんはさらに遠くまで探し回り、近くにある川の中も名前を呼びながら長い時間探したが見つからなかった。
その夜は、チビはいつもはトラが居る辺りで横になっていたが、寝付けないらしく部屋の中をあちこちうろついていた。ボクも同じで、明日になれば帰ってくると思いながらも、どうしても寝ることができず、チビに体を寄せて思わず「クー、クー」と泣いてしまった。
翌朝、お父さんはまだうす暗いうちからトラを探しに行った。チビも、外に飛び出していって、近所の庭や公園など、いつも出掛けているチビの縄張りの外までも探したそうだが、トラは見つからなかった。
お母さんは、皆が出掛けた後、近所のお家を訪ねて、トラのことを頼んでまわった。少し離れた所にある動物病院にも、怪我でもして運びこまれていないか尋ねに行ったようである。
しかし、トラはとうとう戻って来なかった。
その次の日も、お母さんとチビが中心になって探し回ったが、何の消息もなかった。
ボクは何の役にも立たず、ガラス戸から外を眺めて、トラの姿が見えないか、ぼんやりと見つめているだけなのだ。
三日目も夜となり、お母さんたちは、トラが何か食べることが出来ているのかを心配していた。トラは、ボクより小さいくらいの頃にこの家に貰われてきて、ずっと家の中で育ってきた。だから、自分で食べ物を捕った経験など全くないのである。
あのトラのことだから、この前襲ってきた大ネコであっても、トラが簡単にやっつけられるはずなどないけれど、しかし、犬もいるし、いたずら坊主たちもいるし、もっと怖い自動車も走っている。
どれもこれも、トラはこれまであまり接したことがないのが心配なのだ。
その夜も、なかなか寝つかれなかった。
チビも、なぜだかボクの寝床に入ってこようとはせず、いつもトラが寝ている近くでうずくまっている。ボクもチビもトラがいなくなってから食事の量が減って、チビは少し痩せたみたいだ。
それでも、いつの間にかうとうとしていた。夢を見ていたようで、はっとして目が覚めた。何かいつもと違う気配が感じられるのだ。まだ夜明けには大分時間があると思うのたが、チビも痩せたとはいえ依然大きな頭をもたげて、ボクの方を見ている。
その時、何かをひっかくような音が聞こえてきた。
ボクは起き上がり、ガラス戸に駆け寄った。普段は閉めている雨戸を、トラがいなくなってからは半分開けていた。暗闇の中で、そのガラス戸をひっかいている姿が見えたのだ。
「ミャアー」
と、ボクは大声で鳴いた。同じように気がついたらしいチビはもっと大きな声を出した。
「ミャアーコ゜、ミャアーゴ」
「ミャアー、ミャアー」
ボクたちは声の限りに鳴き叫び続けた。
二階から、まずお母さんが駆け降りてきた。お姉さんたちも、全員が大きな足音を立てて階段を降りてきた。
お母さんが電気をつけ、ガラス戸を勢いよく開けた。
そこには、トラがうずくまっていたのである。
もう、動けないらしく、自分では家に入ることが出来ないみたいで、お母さんは裸足でテラスに出てトラを抱き上げた。
「ミャオー」
と、トラはようゆく小さな声を出した。
「トラが帰って来たわ、トラが帰って来たのよ」
と、お母さんは涙を流しながら大きな声をあげた。お姉さんたちも近くにきていて、様子は分かっているのに、お母さんは、「トラが帰ってきた、トラが帰ってきた」と、何度も何度も繰り返している。
*
ボクは、いつの間にか泣いていた。
トラが帰ってきて嬉しいのに、なぜか泣いていた。
嬉しい時にも泣くことがあることをボクは初めて知った。
「チロ君、あなたも喜んでくれているのね」
と、お姉さんは、ボクを抱き上げて顔を覗き込むようにして言った。
もしかすると、ボクは嬉しい時も悲しい時も、同じ顔をしているのかもしれない、と思った。
* * *
⑥ トラの脱走
ボクはこの家の生活に慣れていった。
寝床や食事などに慣れてきたこともあるが、一緒に生活しているトラとチビとの関わり方について慣れてきたことが大きい。
ボクは誰よりも強くならなくてはならないのだけれど、この前チビがいろいろ話してくれたことから、この家にいる間は、少なくともトラやチビを負かす必要がないし、彼らもボクをやっつけたり追い出したりする気はないようだということが分かってきたのだ。
ただ、物陰に隠れていて飛びかかるのは、とても楽しいので簡単にやめるわけにはいかない。でもそれは、出来るだけお母さんやお姉さんなどにすることにしている。
*
チビが家にいる時は、食事をしているか寝ているのがほとんどで、それも寝ている時間の半分はボクの寝床にもぐりこんでくるのである。
ボクは、この家に来てから大分大きくなっているので、チビにもぐりこまれると以前よりさらに狭苦しい。しかしチビは、あんなに大きい体をしているのに、むしろそのせいかもしれないが、狭苦しいということを感じないらしい。その上、自分の図体の大きさが分かっていないらしく、狭い所にどでかい体を押しこんでくるのだ。
チビは、食べるだけ食べて、寝るだけ寝ると、やおら外へ出かけていく。
たいていはガラス戸が閉まっているが、その時には図々しくも「ニャアーゴ、ニャアーゴ」とどでかい声でお母さんを呼んで戸を開けさせるのである。
帰って来た時も、テラスにおいてある箱の中でおとなしく寝ていることもあるが、戸が閉まっていて入りたい時にも、同じように大声を上げる。それでも誰も開けてくれない時には、ガラス戸をガリガリとひっかいて呼び続ける。お母さんがいない時や二階に上がっている時などには、それでも開けてもらえないので、ふてくされたような顔で箱の中で眠ってしまう。
トラは、チビと違って遠くへは行かせてもらえないらしい。どういう理由からか知らないが、この家に来た時からのことらしく、外へ行くのが危険なので、そうなったらしい。
そのかわり、外に出たい時は窓際に行って、「ウゥー」という低い声を出すと、お母さんが首輪に紐を繋いで外に出してやる。紐はテラスの柱に繋がれているが、結構長く、テラスの外へも少しばかり行ける。
ただ、たいていはテラスに長々と寝そべっているか、箱の中で寝ている。
時々、お母さんがうっかりしている時などに、紐に繋がれない状態で外に出てしまうことがある。
お母さんなどがそれに気付くと、大騒ぎになってトラを捕まえにかかる。
トラは庭から外へ行ってしまうことはあまりないが、時には隣家の庭に入り、さらに姿を消してしまうこともたまにある。
そんな時には、お母さんばかりでなく、他に誰かがいる時には総出で探しまわる。しかし、トラはそのくらいでは簡単には捕まらない。
感心なのは、そのような状態になると、いつの間にかチビが姿を現して、トラの後について行くらしい。
お母さんも、
「チビ、トラを探してきて」
と言っているのを何度も聞いたことがある。
トラは、散歩に飽きると勝手に帰ってくるし、チビの鳴き声に呼び寄せられて帰ってくることもある。
帰ってきても、お母さんが捕まえようとするとなかなか捕まらないが、しばらくすると勝手に家に入ってくるか、テラスの箱の中で眠っていたりする。
ともかく、トラが繋がれていない状態で外に出ると、家中が大騒ぎなのだ。
ボクの場合は、どうもはっきりしていない。
ボクにも首輪を買ってくれているが、どうもボクは首輪をつけられるのが好きではない。チビの場合は、どこまでが頭でどこからが体だか分からないので、したがって首の場所がはっきりしないので首輪が付けにくいのだと思うが、ボクの場合は、頭が小さいので首輪が付けにくいらしい。
外に出るのは、トラが外に出ている時に一緒に出してくれる。いつもではないが、必ずお母さんかお姉さんが近くに付いている。それに、トラもボクがテラスに出ている時はのんびり寝ていられないらしく、座ったりねそべったりしてボクを見ている。チビも、家の中に居る時はわざわざ出てきてボクの近くに座る。
ボクはテラスでねそべるか、たまに箱に入ったりするが、テラスの箱はボクには寝心地がよくない。
たまには、テラスの外に走り出ることもあるが、その時はお母さんなどが大声を出し、チビも追っかけてくる。その声に驚いて、ボクは家の中に走り込む。
ボクは、今でも子供たちからいじめられていたことが頭のどこかに残っているらしく、外に出るのが恐い気がして、テラスからはなかなか出て行けないのである。
ボクたちは、それぞれ方法は違うが、家の外に出ることも多かったが、ある日事件が起こった。
いつの間にかトラが外に出てしまっていた時のことである。
そういうことはよくあることなので、お母さんもしばらくは捕まえようとしたが、これもいつものように簡単に捕まるはずがなかった。ちょうどチビが帰って来たので、例によってお母さんは、
「チビ、トラをよく見張っているのよ」
と言って、家の中に入ってしまった。ボクは家の中からガラス戸越しに二匹の様子を見ていた。
庭の中をトラとチビは追っかけっこをしたり、少し離れて芝生の上に座ったりしていた。
その時である。庭の向こうから黒と灰の縞模様の大ネコが入ってきたのだ。
チビもトラも大声をあげ、チビは大ネコに向かっていき、トラは隣家の庭に駆け込んだのである。
大声を上げながらチビと絡み合った後、大ネコはトラが逃げた方向に向かった。今度は隣家の庭でトラの大声がし、チビもそちらに向かった。
その頃にはお母さんも気がついて、大声でトラを呼びながら、表の道路から隣家に向かったが、その時には三匹ともが姿を消していた。
遠くで何度かネコが闘う声が聞こえてきたが、それも静まり、三匹の姿は見えなくなってしまった。
かなりの時間が経ってから、チビだけが帰ってきた。
特に怪我をしている様子はないが泥まみれで、激しく戦ったらしいことが窺える。
心配しながら家を出たり入ったりしていたお母さんは、チビの姿を見ると、
「トラはどうしたの?」
と尋ね、「トラを探してきてよ」と言葉を続けたが、チビは疲れているらしくうずくまってしまって探しに行こうとしなかった。
やがて日が暮れてあたりは暗くなったが、トラは帰ってこなかった。
チビは一度出掛けて行ったが、トラに会うことは出来なかったらしく、すごすごと帰ってきた。何だか、チビが少し小さくなったように見えて、ボクは、何か大変なことが起こっているのではないかと胸騒ぎがした。
お姉さんが帰ってくると、お母さんと共に懐中電灯をもってトラの名前を呼びながら近くの公園などを探したようだが、まったく姿が見えなかったらしい。
夜遅くになって、お父さんはさらに遠くまで探し回り、近くにある川の中も名前を呼びながら長い時間探したが見つからなかった。
その夜は、チビはいつもはトラが居る辺りで横になっていたが、寝付けないらしく部屋の中をあちこちうろついていた。ボクも同じで、明日になれば帰ってくると思いながらも、どうしても寝ることができず、チビに体を寄せて思わず「クー、クー」と泣いてしまった。
翌朝、お父さんはまだうす暗いうちからトラを探しに行った。チビも、外に飛び出していって、近所の庭や公園など、いつも出掛けているチビの縄張りの外までも探したそうだが、トラは見つからなかった。
お母さんは、皆が出掛けた後、近所のお家を訪ねて、トラのことを頼んでまわった。少し離れた所にある動物病院にも、怪我でもして運びこまれていないか尋ねに行ったようである。
しかし、トラはとうとう戻って来なかった。
その次の日も、お母さんとチビが中心になって探し回ったが、何の消息もなかった。
ボクは何の役にも立たず、ガラス戸から外を眺めて、トラの姿が見えないか、ぼんやりと見つめているだけなのだ。
三日目も夜となり、お母さんたちは、トラが何か食べることが出来ているのかを心配していた。トラは、ボクより小さいくらいの頃にこの家に貰われてきて、ずっと家の中で育ってきた。だから、自分で食べ物を捕った経験など全くないのである。
あのトラのことだから、この前襲ってきた大ネコであっても、トラが簡単にやっつけられるはずなどないけれど、しかし、犬もいるし、いたずら坊主たちもいるし、もっと怖い自動車も走っている。
どれもこれも、トラはこれまであまり接したことがないのが心配なのだ。
その夜も、なかなか寝つかれなかった。
チビも、なぜだかボクの寝床に入ってこようとはせず、いつもトラが寝ている近くでうずくまっている。ボクもチビもトラがいなくなってから食事の量が減って、チビは少し痩せたみたいだ。
それでも、いつの間にかうとうとしていた。夢を見ていたようで、はっとして目が覚めた。何かいつもと違う気配が感じられるのだ。まだ夜明けには大分時間があると思うのたが、チビも痩せたとはいえ依然大きな頭をもたげて、ボクの方を見ている。
その時、何かをひっかくような音が聞こえてきた。
ボクは起き上がり、ガラス戸に駆け寄った。普段は閉めている雨戸を、トラがいなくなってからは半分開けていた。暗闇の中で、そのガラス戸をひっかいている姿が見えたのだ。
「ミャアー」
と、ボクは大声で鳴いた。同じように気がついたらしいチビはもっと大きな声を出した。
「ミャアーコ゜、ミャアーゴ」
「ミャアー、ミャアー」
ボクたちは声の限りに鳴き叫び続けた。
二階から、まずお母さんが駆け降りてきた。お姉さんたちも、全員が大きな足音を立てて階段を降りてきた。
お母さんが電気をつけ、ガラス戸を勢いよく開けた。
そこには、トラがうずくまっていたのである。
もう、動けないらしく、自分では家に入ることが出来ないみたいで、お母さんは裸足でテラスに出てトラを抱き上げた。
「ミャオー」
と、トラはようゆく小さな声を出した。
「トラが帰って来たわ、トラが帰って来たのよ」
と、お母さんは涙を流しながら大きな声をあげた。お姉さんたちも近くにきていて、様子は分かっているのに、お母さんは、「トラが帰ってきた、トラが帰ってきた」と、何度も何度も繰り返している。
*
ボクは、いつの間にか泣いていた。
トラが帰ってきて嬉しいのに、なぜか泣いていた。
嬉しい時にも泣くことがあることをボクは初めて知った。
「チロ君、あなたも喜んでくれているのね」
と、お姉さんは、ボクを抱き上げて顔を覗き込むようにして言った。
もしかすると、ボクは嬉しい時も悲しい時も、同じ顔をしているのかもしれない、と思った。
* * *
キャットスマイル
⑦ 家路を求めて
トラはお母さんに抱きしめられて、小さく二度ばかり鳴いた。
その後は、大騒ぎする皆の動きに反応することなく、じっとしていた。
ボクはお姉さんに抱きあげられ、チビは誰にも相手にされなかったが、お母さんの足にまつわりついていた。
みんなが、トラがお腹を空かしているのではないかとしきりに心配したが、お母さんはトラを抱きしめて、なかなか離そうとしなかった。
*
ようやく少し落ち着いたお母さんは、トラを両手で持ち上げて、「こんなに汚れてしまって・・・」とまだ泣き声のままで、それでも少し微笑んだ。
そして、それからのお母さんは、矢継ぎ早に命令を出し始めた。
「お父さん、洗面器にお湯を入れてくださいな」
「お姉さん、トラはお腹を空かしているのよ、早く何か食べさせないといけないわよ。スープか何かが良いわね」
「チビくんも、チロくんも、じゃまをしては駄目よ」
と、次々に指示を出している。確か先ほどまでいたと思ったお兄さんはいなくなっていたが、お母さんの口ぶりを聞いていると、この家の大将は、やはり思っていた通りお母さんのようだ。
やがてトラは、全身を濡れタオルでごしごしと拭かれた。
一目見た時から、「痩せたな」と感じていたが、濡れタオルで拭かれると一層小さくなってしまった。トラはもともと痩せているが、頭から尻尾の先までの長さはとても長大で、あたりを威圧するような威厳に満ちていた。
それが、全身が濡れて毛並みが張り付いてしまったこともあって、とても小さく感じられて、それがとても悲しかった。
お姉さんが器に食事を入れて持ってきた。いつもの缶詰を水を加えて温めスープ状にしたものらしく、とても良い匂いが漂っていた。
「もう、熱くないと思うわ。ゆっくりと食べるのよ」
と、お姉さんはトラの前に置いた。
トラは、二、三歩食器に近づくと、ブルブルッと全身を震わせた。濡れタオルで拭いただけだが、それでもずいぶんと水分を含んでいたらしく、あたりに水滴が散った。
「ワアッ、大変」
と、お姉さんもお母さんも大声を出したが、トラの体は大分膨らみを取り戻し、特に尻尾はふさふさと逞しさを取り戻した。
そして、トラがやおら食器に顔を近づけると、その横からチビが大きな頭を押し付けて行った。トラは、チビに視線をやったが、何かを思い出したかのように、その場を譲ろうとした。
「だめよ、チビ!」
とお姉さんは厳しくチビを叱った。
当たり前でしょう、とボクは思った。いったいチビは何を考えているのだろうか、こんなときでもトラの食事を狙うなんて、まったく。
まあ、チビの図々しい行動のお陰で、ボクたちもお相伴できたのだが。
その夜は、トラはいつもの指定席で横になった。
自分の城をしっかりと覚えていたようだが、すぐには寝付けないらしく、何度も寝がえりを打っていた。ボクも気になって眠れなかったが、チビも同じらしく、トラに近づいていったが、どうやらトラは誰も近くに寄せつけたくないらしく、チビはボクの近くに戻ってきて、トラの方を見ながら腹這いになった。
その後もチビは寝付けない様子に思われたが、もしかすると、チビは一晩中トラを見守っているつもりだったのかもしれない。
図々しいし、食いしん坊だし、どうしようもない奴だけれど、このあたりがチビのいいところなんだろう。
翌朝、お母さんは、起きてくると最初にトラを見つけると、「いた、いた」と頭を撫でて、「もう、どこへも行っちゃだめよ」と、何度も何度も話しかけた。
ボクもチビも近くまで寄って行っているのに、まるで気がつかないように無視して、ひたすらチビと話し続けている。
しばらく経ってから、ようやくボクたちに気がついたのか、「あら、どうしたの? チビもチロも、お腹が空いたの?」と、お愛想みたいな声をかけてきた。
いつもより早い食事は、全員が昨夜トラが食べたのと同じようなスープだった。
トラは、さすがにお腹が空いていたらしく、いつになく早く食べ終わり、例によってチビが横取りするために頭を押し付けて行った時には、もう食べ終わっていた。するとチビは、今度はボクの食器を狙って迫ってきたが、ボクはトラとは違い、簡単に取られたりしない。
チビは不満そうに、もう一度チビの食器を覗いて何もないことを確認すると、お母さんに追加を請求した。トラも、まだ食べ足りない様子だったので、全員にいつもの缶詰を追加してくれた。
ひとしきり食べ終わると、チビは外に出て行ったが、遠くに行く気はないらしく、テラスに寝そべって部屋の中を見ていた。トラを見守っているつもりかもしれない。
ボクは自分の寝床近くで座っていたが、トラは次々と起きてくる人たちに声をかけられ、嬉しそうな、そして迷惑そうな声を出していたが、やがて朝の慌ただしい時間が過ぎると、いつもの定位置である食卓の下で横になり、この日は食事とトイレ以外は一日中眠っていた。
トラがようやく元気を取り戻したのは、三日経った頃からだった。
それまでは、ボクやチビが近付くのを嫌がっている様子だったので、ボクは近くまで行っても体を寄せるのを遠慮していたが、その点チビは違う。奴には遠慮なんて感覚はないらしく、トラが嫌がっても大きな頭を押し付けて行く。トラがはっきりと拒絶の低い声を出すと、ようやくあきらめて離れるが、すぐ近くで寝そべっていたり眠ってしまったりする。外へ出て行くのはいつも通りだが、遠くへは行かないらしくすぐに戻って来る。そしてトラに頭を押し付けては叱られている。
トラに変化があったのは、帰ってきてから四日目の朝の食事の後、トラは自分の指定席で寝そべり、ボクは自分の寝床近くで毛繕いをしていた。
チビはいつものように外に出て行ったが、すぐに戻って来ると、当然のようにトラに大きな頭を押し付けて行った。すると、昨日まで嫌がっていたトラが、チビの大きな頭を舐めはじめたのである。チビは、のどを鳴らしてさらに体を押し付けて行った。
ボクも、慌ててトラに近づき、チビを押しのけるようにトラに頭を押し付けた。
トラは、チビより遥かに小さなボクの頭を舐めてくれ、ボクがトラのお腹のあたりを舐めようとしても怒らなかった。
三匹は、互いに体を寄せ合って、互いに頭や足や体を舐めあった。
トラが、家に帰って来なかった間のことを断片的に話し始めたのは、それからのことである。
家の庭から飛び出したトラは、隣家の庭も突っ切ってその次の家の高い塀も越えた。
後ろからネコが戦う大きな声が聞こえていたが、別にそれから逃れるつもりなどなかったが、反射的に走りだしていたのである。
今から思うと、駆け込んだ何軒目かの家で犬と遭遇したことが、道に迷ってしまった最初の原因となった。その犬は、チビと大して大きさの変わらない程度の大きさの白っぽい犬で、しかも紐で繋がれていたのだが、これでもかというほど激しく吠えかけてきたのである。
何分知らない家に入りこんでしまった弱みのあるトラは、一目散に逃げ出して、道路や公園などを突っ切って草原のような所に出た。もしかすると、畑だったのかもしれない。
そこでしばらく休んだ後、走ってきた通りに戻ろうとしたが、犬のいる家を避けるために少し方向を変えた。どうも、それがとんでもない方向に向かわせたらしい。
夕暮れてきて、懸命に走ったが、とうとう自分がどこを走っているのか分からなくなってしまった。
夜はどこかの林の中で少しばかり眠り、水は川の水を飲んだ。空腹が激しくなり、何かを捕まえて食べてみたが、とても食べられそうにも思えないのをむりやり飲み込んだが、しばらくするとむかむかして吐き出してしまった。激しい下痢もしてしまった。
その後は、食べ物はあきらめ、水だけは何でもいいから口にした。
次の夜も少しうとうとしたが、下痢の後は体力が奪われたらしく、足が少し震えるようになった。
しかし、とにかく家が集まっているところを探し、何か目印がないか探した。
日頃家からあまり離れたことがないので、見覚えのある景色は限られたもので、それらしいと思って知って近づくと、まったく違う家だった。
走ってはうずくまり、少しばかり眠ると少しばかり体力が回復して、帰り道を探した。急がなくてはと思うが、もう走ることが出来なくなっていた。
小さな誰も住んでいないらしい小屋があったので、その軒下で体を休めた。もう、動けそうもないので、ここでぐっすりと眠ることにしようと思った。
どのくらい眠っていたのか、何かの声を聞いて目が覚めた。あたりはすでに薄暗くなっていた。頭を持ち上げて周りを見回したが誰の姿も見えなかった。気のせいかと思って、再び頭を腹のあたりに入れようとすると、今度ははっきりと聞こえてきた。
「トラ、さあ、起きるんだ。みんな待っているから、帰るんだ」
「お兄さんの声だ」と、思った。姿は見えなかったが、その声は確かにお兄さんの声だ。
「ニャオー」と、大きな声で鳴いて立ち上がった。しかし、その声は自分でもびっくりするほど弱々しくなっていた。
「よし、立てたな、さあ、走るんだ。みんなが待っている家に向かって走るんだ」
やはり、お兄さんの声に間違いなかった。
「ニャオー、ニャオー」と、帰り道が分からないことを告げた。
「大丈夫だよ、さあ、こっちだ」
トラは声のする方に向かって走ったが、すぐに足がもつれてしまって、うずくまってしまった。
「トラ、元気を出して、ゆっくりでいいから進むんだ。みんなが待っているんだから、こんな所で倒れてはいけない」
と、お兄さんは励まし、その声が少し離れて行った。
トラは立ち上がった。よろよろと声に向かって必死に走った。苦しくなって座りこむと、お兄さんの声がまた聞こえてきた。
何度か、何十度か覚えていないが、そんなことを繰り返した。
そして、ある家の角を曲がった時、確かに見覚えのある光景が、うすぼんやりと街灯の中に浮かんでいた。
「ニャオー、ニャオー」
「そうだよ、あそこがお前が帰る家だよ。さあ、あと少しだ、お前の家に向かって走るんだ」
トラは、よろよろと、しかし懸命に走りだした。
お兄さんの声はそれが最後だった。
*
トラの話を聞いた夜は、三匹が集まって寝た。
いつもトラが寝る場所に、チビもボクも体を寄せ合って眠った。こんなことは、ボクがこの家にきてから初めてのことだった。
「お母さん、見て! この子たち一緒に寝ているよ」
お姉さんが大きな声でお母さんを呼んでいる。ボクは夢の中のような気持ちでその声を聞き、「ああ、この家に来ることが出来てよかったなあ」と思いながら、深い眠りに落ちて行った。
「ほら、お母さん、チロ、笑っているよ。きっと何か良い夢見ているんだね、きっと・・・」
* * *
⑦ 家路を求めて
トラはお母さんに抱きしめられて、小さく二度ばかり鳴いた。
その後は、大騒ぎする皆の動きに反応することなく、じっとしていた。
ボクはお姉さんに抱きあげられ、チビは誰にも相手にされなかったが、お母さんの足にまつわりついていた。
みんなが、トラがお腹を空かしているのではないかとしきりに心配したが、お母さんはトラを抱きしめて、なかなか離そうとしなかった。
*
ようやく少し落ち着いたお母さんは、トラを両手で持ち上げて、「こんなに汚れてしまって・・・」とまだ泣き声のままで、それでも少し微笑んだ。
そして、それからのお母さんは、矢継ぎ早に命令を出し始めた。
「お父さん、洗面器にお湯を入れてくださいな」
「お姉さん、トラはお腹を空かしているのよ、早く何か食べさせないといけないわよ。スープか何かが良いわね」
「チビくんも、チロくんも、じゃまをしては駄目よ」
と、次々に指示を出している。確か先ほどまでいたと思ったお兄さんはいなくなっていたが、お母さんの口ぶりを聞いていると、この家の大将は、やはり思っていた通りお母さんのようだ。
やがてトラは、全身を濡れタオルでごしごしと拭かれた。
一目見た時から、「痩せたな」と感じていたが、濡れタオルで拭かれると一層小さくなってしまった。トラはもともと痩せているが、頭から尻尾の先までの長さはとても長大で、あたりを威圧するような威厳に満ちていた。
それが、全身が濡れて毛並みが張り付いてしまったこともあって、とても小さく感じられて、それがとても悲しかった。
お姉さんが器に食事を入れて持ってきた。いつもの缶詰を水を加えて温めスープ状にしたものらしく、とても良い匂いが漂っていた。
「もう、熱くないと思うわ。ゆっくりと食べるのよ」
と、お姉さんはトラの前に置いた。
トラは、二、三歩食器に近づくと、ブルブルッと全身を震わせた。濡れタオルで拭いただけだが、それでもずいぶんと水分を含んでいたらしく、あたりに水滴が散った。
「ワアッ、大変」
と、お姉さんもお母さんも大声を出したが、トラの体は大分膨らみを取り戻し、特に尻尾はふさふさと逞しさを取り戻した。
そして、トラがやおら食器に顔を近づけると、その横からチビが大きな頭を押し付けて行った。トラは、チビに視線をやったが、何かを思い出したかのように、その場を譲ろうとした。
「だめよ、チビ!」
とお姉さんは厳しくチビを叱った。
当たり前でしょう、とボクは思った。いったいチビは何を考えているのだろうか、こんなときでもトラの食事を狙うなんて、まったく。
まあ、チビの図々しい行動のお陰で、ボクたちもお相伴できたのだが。
その夜は、トラはいつもの指定席で横になった。
自分の城をしっかりと覚えていたようだが、すぐには寝付けないらしく、何度も寝がえりを打っていた。ボクも気になって眠れなかったが、チビも同じらしく、トラに近づいていったが、どうやらトラは誰も近くに寄せつけたくないらしく、チビはボクの近くに戻ってきて、トラの方を見ながら腹這いになった。
その後もチビは寝付けない様子に思われたが、もしかすると、チビは一晩中トラを見守っているつもりだったのかもしれない。
図々しいし、食いしん坊だし、どうしようもない奴だけれど、このあたりがチビのいいところなんだろう。
翌朝、お母さんは、起きてくると最初にトラを見つけると、「いた、いた」と頭を撫でて、「もう、どこへも行っちゃだめよ」と、何度も何度も話しかけた。
ボクもチビも近くまで寄って行っているのに、まるで気がつかないように無視して、ひたすらチビと話し続けている。
しばらく経ってから、ようやくボクたちに気がついたのか、「あら、どうしたの? チビもチロも、お腹が空いたの?」と、お愛想みたいな声をかけてきた。
いつもより早い食事は、全員が昨夜トラが食べたのと同じようなスープだった。
トラは、さすがにお腹が空いていたらしく、いつになく早く食べ終わり、例によってチビが横取りするために頭を押し付けて行った時には、もう食べ終わっていた。するとチビは、今度はボクの食器を狙って迫ってきたが、ボクはトラとは違い、簡単に取られたりしない。
チビは不満そうに、もう一度チビの食器を覗いて何もないことを確認すると、お母さんに追加を請求した。トラも、まだ食べ足りない様子だったので、全員にいつもの缶詰を追加してくれた。
ひとしきり食べ終わると、チビは外に出て行ったが、遠くに行く気はないらしく、テラスに寝そべって部屋の中を見ていた。トラを見守っているつもりかもしれない。
ボクは自分の寝床近くで座っていたが、トラは次々と起きてくる人たちに声をかけられ、嬉しそうな、そして迷惑そうな声を出していたが、やがて朝の慌ただしい時間が過ぎると、いつもの定位置である食卓の下で横になり、この日は食事とトイレ以外は一日中眠っていた。
トラがようやく元気を取り戻したのは、三日経った頃からだった。
それまでは、ボクやチビが近付くのを嫌がっている様子だったので、ボクは近くまで行っても体を寄せるのを遠慮していたが、その点チビは違う。奴には遠慮なんて感覚はないらしく、トラが嫌がっても大きな頭を押し付けて行く。トラがはっきりと拒絶の低い声を出すと、ようやくあきらめて離れるが、すぐ近くで寝そべっていたり眠ってしまったりする。外へ出て行くのはいつも通りだが、遠くへは行かないらしくすぐに戻って来る。そしてトラに頭を押し付けては叱られている。
トラに変化があったのは、帰ってきてから四日目の朝の食事の後、トラは自分の指定席で寝そべり、ボクは自分の寝床近くで毛繕いをしていた。
チビはいつものように外に出て行ったが、すぐに戻って来ると、当然のようにトラに大きな頭を押し付けて行った。すると、昨日まで嫌がっていたトラが、チビの大きな頭を舐めはじめたのである。チビは、のどを鳴らしてさらに体を押し付けて行った。
ボクも、慌ててトラに近づき、チビを押しのけるようにトラに頭を押し付けた。
トラは、チビより遥かに小さなボクの頭を舐めてくれ、ボクがトラのお腹のあたりを舐めようとしても怒らなかった。
三匹は、互いに体を寄せ合って、互いに頭や足や体を舐めあった。
トラが、家に帰って来なかった間のことを断片的に話し始めたのは、それからのことである。
家の庭から飛び出したトラは、隣家の庭も突っ切ってその次の家の高い塀も越えた。
後ろからネコが戦う大きな声が聞こえていたが、別にそれから逃れるつもりなどなかったが、反射的に走りだしていたのである。
今から思うと、駆け込んだ何軒目かの家で犬と遭遇したことが、道に迷ってしまった最初の原因となった。その犬は、チビと大して大きさの変わらない程度の大きさの白っぽい犬で、しかも紐で繋がれていたのだが、これでもかというほど激しく吠えかけてきたのである。
何分知らない家に入りこんでしまった弱みのあるトラは、一目散に逃げ出して、道路や公園などを突っ切って草原のような所に出た。もしかすると、畑だったのかもしれない。
そこでしばらく休んだ後、走ってきた通りに戻ろうとしたが、犬のいる家を避けるために少し方向を変えた。どうも、それがとんでもない方向に向かわせたらしい。
夕暮れてきて、懸命に走ったが、とうとう自分がどこを走っているのか分からなくなってしまった。
夜はどこかの林の中で少しばかり眠り、水は川の水を飲んだ。空腹が激しくなり、何かを捕まえて食べてみたが、とても食べられそうにも思えないのをむりやり飲み込んだが、しばらくするとむかむかして吐き出してしまった。激しい下痢もしてしまった。
その後は、食べ物はあきらめ、水だけは何でもいいから口にした。
次の夜も少しうとうとしたが、下痢の後は体力が奪われたらしく、足が少し震えるようになった。
しかし、とにかく家が集まっているところを探し、何か目印がないか探した。
日頃家からあまり離れたことがないので、見覚えのある景色は限られたもので、それらしいと思って知って近づくと、まったく違う家だった。
走ってはうずくまり、少しばかり眠ると少しばかり体力が回復して、帰り道を探した。急がなくてはと思うが、もう走ることが出来なくなっていた。
小さな誰も住んでいないらしい小屋があったので、その軒下で体を休めた。もう、動けそうもないので、ここでぐっすりと眠ることにしようと思った。
どのくらい眠っていたのか、何かの声を聞いて目が覚めた。あたりはすでに薄暗くなっていた。頭を持ち上げて周りを見回したが誰の姿も見えなかった。気のせいかと思って、再び頭を腹のあたりに入れようとすると、今度ははっきりと聞こえてきた。
「トラ、さあ、起きるんだ。みんな待っているから、帰るんだ」
「お兄さんの声だ」と、思った。姿は見えなかったが、その声は確かにお兄さんの声だ。
「ニャオー」と、大きな声で鳴いて立ち上がった。しかし、その声は自分でもびっくりするほど弱々しくなっていた。
「よし、立てたな、さあ、走るんだ。みんなが待っている家に向かって走るんだ」
やはり、お兄さんの声に間違いなかった。
「ニャオー、ニャオー」と、帰り道が分からないことを告げた。
「大丈夫だよ、さあ、こっちだ」
トラは声のする方に向かって走ったが、すぐに足がもつれてしまって、うずくまってしまった。
「トラ、元気を出して、ゆっくりでいいから進むんだ。みんなが待っているんだから、こんな所で倒れてはいけない」
と、お兄さんは励まし、その声が少し離れて行った。
トラは立ち上がった。よろよろと声に向かって必死に走った。苦しくなって座りこむと、お兄さんの声がまた聞こえてきた。
何度か、何十度か覚えていないが、そんなことを繰り返した。
そして、ある家の角を曲がった時、確かに見覚えのある光景が、うすぼんやりと街灯の中に浮かんでいた。
「ニャオー、ニャオー」
「そうだよ、あそこがお前が帰る家だよ。さあ、あと少しだ、お前の家に向かって走るんだ」
トラは、よろよろと、しかし懸命に走りだした。
お兄さんの声はそれが最後だった。
*
トラの話を聞いた夜は、三匹が集まって寝た。
いつもトラが寝る場所に、チビもボクも体を寄せ合って眠った。こんなことは、ボクがこの家にきてから初めてのことだった。
「お母さん、見て! この子たち一緒に寝ているよ」
お姉さんが大きな声でお母さんを呼んでいる。ボクは夢の中のような気持ちでその声を聞き、「ああ、この家に来ることが出来てよかったなあ」と思いながら、深い眠りに落ちて行った。
「ほら、お母さん、チロ、笑っているよ。きっと何か良い夢見ているんだね、きっと・・・」
* * *
キャットスマイル
⑧ お母さんたち
穏やかな日が続いた。
トラはすっかり元気になり、以前の威厳を完全に取り戻した。
チビは相変わらず、出掛けて行ったり家でゴロゴロしていたり、侵入者に対しては敢然と立ち向かっていくくせに、ボクにさえ甘えてくるようなところがある。全く分からない奴だ。
ボクもこの家にすっかり慣れて、時々、ずっと前から此処にいたような気がすることがある。体もずいぶん大きくなって、トラほど長くはないし、チビほど太くはないが、足はすでにボクが一番長い。
*
ボクの毎日は、部屋の中だけでなく、テラスで過ごす時間が長くなったが、テラスから外に出ることはほとんどない。別に止められているわけでないが、ボクはどうも外の世界が好きになれない。小さい時のことが、頭のどこかに残っているのかもしれないが、ボクにはテラスと部屋の中と、時々二階に上がるくらいで十分なのだ。走りたくなった時は、部屋の中をぐるぐると駆けまわる。うまく回れるような間取りになっていて、ボクが走り出すとチビも同じように走りだし、時にはボクの前を走ることも珍しくない。
あれだけ外に行っているのに、まだ走り足らないのか不思議だ。
トラは部屋の中で走り回ることはあまりないが、トラには得意技がある。
時々襖を駆け上って、一番上の小さな押し入れに駆け込むのだ。一番上の押し入れは、トラのためにいつも少し開けられている。そのためトラが駆け上る襖の部分はいつもボロボロで、お父さんが時々その部分だけ張り直している。別に文句も言わないで。
チビも同じことをしようと何度も挑戦しているが、ほとんどは失敗して大きな音を立てて落ちている。五回に一度くらいは成功するが、その代わり降りる時は一人で降りられなくて、大きな声でお母さんを呼んでいる。本当に甘えん坊なんだ、あいつは。
トラはとにかく身が軽い。普段はあまり動かないで食卓の下で寝ていたりうずくまって目を閉じているが、突然高い所に飛び上がる。
押し入れだけでなく、タンスや本棚の上にも飛び上がることが出来る。もちろん、タンスの上にひと飛びで上がれるわけではないが、狭いテレビの上に昇り、そこからジャンプするのである。
例によって、チビも何度もまねをしようとしたが、テレビの上は凄く狭いので、その上に昇ることが出来ないのである。第一、あの太い図体でテレビの上に乗ることなんて無理だということが分からないということが、ボクには理解できない。
ボクは、高い所は苦手だ。
お姉さんに助けられた時には、必死になって木に登ったが、それも大した高さではなかったらしい。
トラの行動を見ていても、とても真似など出来そうになく、ボクはチビほど向こうみずではないから、チャレンジしようという気にならない。
ここの家の人もそれぞれ行動に特徴がある。
お母さんは、ボクたち三匹をまんべんなく世話をしてくれる。トラがいなくなっときなどは、トラのことばかりでボクたちは見捨てられるのではないかと心配したが、トラが元気になって来ると依然と同じように接してくれる。
ボクやチビが家中を駆け回ると、「静かにしなさい」と口では叱るけれど、別にむりやり止めさせる気はないらしい。押し入れに上れないボクや、めったに成功しないチビが、腹いせというわけではないが、襖にガリガリと爪を立てることがあるが、その時も、口では叱るけれど力ずくで止めるようなことはない。
その分、お父さんの仕事が増えることになる。
お姉さんは、時々しか家にいないけれど、いる時はいつも抱き上げてくれる。
ボクだけでなく、チビもあのトラさえも抱き上げられるとゴロゴロとのどを鳴らして嬉しそうにしている。ボクは抱かれることはあまり好きではないけれど、お姉さんに抱かれていると、なぜか幸せな気持ちになる。きっと、初めて抱かれて助けられたことを思い出すからかもしれない。
お父さんはあまり家にいないが、あまりボクたちを構ってくれることはない。ただ、食事をしている時、時々自分のおかずをボクたちに分けてくれる。お母さんは嫌がって怒っているが、魚の身をほぐして少しずつボクたちに分けてくれる。
それと、お父さんがたまに一日中家にいる時などには、櫛でボクたちの毛を梳(ト)いてくれる。お母さんも梳いてくれるが、お父さんは、ゴシゴシと力強くて、とても気持ちがよい。
お兄さんはほとんど家にはいない。たまに姿を見せた時には、頭を撫でてくれる。それも、元気がなかったり、とても寂しい気持ちになっている時に必ずそうしてくれる。
それは、ボクに対してだけでなく、トラやチビに対しても同じらしい。
ただ、トラが家に帰る道が分からなくなった時、お兄さんの声がして帰る道を教えてくれたらしいのだが、どういうことなのかボクにはよく分からない。トラも、謎のままらしい。
ただ、チビは、お兄さんはそういう人なんだ、と不思議でもなんでもないらしい。
こういう人たちに囲まれての日々が続いていたが、ある日、ボクは急に食欲がなくなっていった。
特に変わった物を食べた記憶はないし、チビと違って、ボクはお母さんが出してくれる物以外は食べることはない。それなのに、朝、目が覚めると、何かむかむかするような気がして、食欲がなくなっていたのである。
昨日食べ過ぎたのかな、と思って、食事の後また寝床にもぐりこんだが、なかなか寝つかれず、少しうとうとした後も、気分がさらに悪くなっていた。
外から帰ってきたチビが、いつもなら大きな頭を押し付けてくるのに、それをしないでじっとボクの顔を見つめただけで、さっさとソファーに上って寝てしまった。
いつもは、頭を押し付けられるのは迷惑なのだが、素通りされてしまうと、少し寂しいし、ボクが少し変なのを感じとったのかもしれない。
夕方になって、お姉さんがボクの様子に気がついて、
「お母さん、チロ、少し様子が変よ」
と、お母さんに小声で話している。
「そういえば、今日はあまり食べていないみたい」
と、お母さんが答え、二人でボクの側に座りこんだ。
ボクは、無理に寝ているふりをしようとしたが、お姉さんはボクを抱き上げて、顔を覗きこんできた。
「やっぱり、少し元気がないみたい」
「そうねぇ、しばらくおとなしくさせていて様子を見ましょう」
と、ボクは寝床に戻された。
翌朝、ボクは昨日より状態が悪くなった。
どこかが特別痛いというわけではないが、体全体に力が入らず、食欲がなかった。
お姉さんはボクの様子を気にしながら出かけて行ったが、その後お母さんに籠に入れられて病院に連れて行かれた。確か、この家に助けられた時連れられてきた所で、独特の匂いがした。
ボクは注射のような物を三本ばかりもされて、そのうち眠ってしまったらしい。
次に目が覚めた時には、見覚えのない小さな檻の中に入れられていた。一瞬、ボクは再びとんでもない状態になっているのではないかと思ったが、しばらくして意識がはっきりしてくると、そうではなくて病院に連れて来られていることに気がついた。
ボクがゴソゴソと体を動かせていると、あの独特の匂いを持った人が近付いてきて声をかけ、スープの入った食器を入れてくれた。
ボクは低い声で威嚇して、その人を追いやったが、スープを飲むつもりはなかった。それにやはり食欲がわかないのである。
やがて夕方となり、お母さんとお姉さんが来てくれたが、また注射らしい物をされ、今夜はここに泊ることに決まったとお姉さんが話してくれた。
ボクは一緒に帰りたいと訴えたが、我ながら情けない声しか出なくて、お母さんやお姉さんに、ボクの病気が悪いと思わせてしまったかも知れなかった。
しばらくは眠ったようだったが、夜中に目覚めた後は、なかなか眠れなかった。
ボクが入れられているような小さな檻が幾つもあって、他にもネコだか犬だかが入れられているらしい。どうもあまりいい気もちのしない場所だった。
ボクは、突然のように、もしかするとこのままトラやチビのいる家に帰ることが出来ないのではないかと思った。一度その思いが襲ってくると、何だか息苦しくなってきて、とんでもない病気にかかっている気がしてきたのである。
思わず、二度、三度、小さな声で鳴いてしまった。
「大丈夫だよ、チロ。ぐっすりお休み。明日にはきっと帰れるから」
という声が聞こえてきた。
お兄さんの声だ、とボクは思った。同時に、そっと頭を撫でられたような気がした。
*
翌朝目が覚めると、ボクは猛烈に空腹を感じた。
知らない女の人が持ってきてくれた食事をガツガツと食べた。あまり美味しくなかったが、空腹には勝てない。
やがてお母さんが迎えに来てくれて、また注射のような物を長い時間かけてされた後、お母さんが持ってきた籠に入れられた。
「ああ、これで帰ることが出来る」
と、ボクは思った。
病院の人と長々と話していたお母さんは、籠の中のボクを覗き込んで、
「帰られて良かったね・・。ほんとだ、この子笑ってるわ」
と、病院の人に話しかけると、病院の女性も、「ほんとだわ」と不思議そうに言っていた。
* * *
⑧ お母さんたち
穏やかな日が続いた。
トラはすっかり元気になり、以前の威厳を完全に取り戻した。
チビは相変わらず、出掛けて行ったり家でゴロゴロしていたり、侵入者に対しては敢然と立ち向かっていくくせに、ボクにさえ甘えてくるようなところがある。全く分からない奴だ。
ボクもこの家にすっかり慣れて、時々、ずっと前から此処にいたような気がすることがある。体もずいぶん大きくなって、トラほど長くはないし、チビほど太くはないが、足はすでにボクが一番長い。
*
ボクの毎日は、部屋の中だけでなく、テラスで過ごす時間が長くなったが、テラスから外に出ることはほとんどない。別に止められているわけでないが、ボクはどうも外の世界が好きになれない。小さい時のことが、頭のどこかに残っているのかもしれないが、ボクにはテラスと部屋の中と、時々二階に上がるくらいで十分なのだ。走りたくなった時は、部屋の中をぐるぐると駆けまわる。うまく回れるような間取りになっていて、ボクが走り出すとチビも同じように走りだし、時にはボクの前を走ることも珍しくない。
あれだけ外に行っているのに、まだ走り足らないのか不思議だ。
トラは部屋の中で走り回ることはあまりないが、トラには得意技がある。
時々襖を駆け上って、一番上の小さな押し入れに駆け込むのだ。一番上の押し入れは、トラのためにいつも少し開けられている。そのためトラが駆け上る襖の部分はいつもボロボロで、お父さんが時々その部分だけ張り直している。別に文句も言わないで。
チビも同じことをしようと何度も挑戦しているが、ほとんどは失敗して大きな音を立てて落ちている。五回に一度くらいは成功するが、その代わり降りる時は一人で降りられなくて、大きな声でお母さんを呼んでいる。本当に甘えん坊なんだ、あいつは。
トラはとにかく身が軽い。普段はあまり動かないで食卓の下で寝ていたりうずくまって目を閉じているが、突然高い所に飛び上がる。
押し入れだけでなく、タンスや本棚の上にも飛び上がることが出来る。もちろん、タンスの上にひと飛びで上がれるわけではないが、狭いテレビの上に昇り、そこからジャンプするのである。
例によって、チビも何度もまねをしようとしたが、テレビの上は凄く狭いので、その上に昇ることが出来ないのである。第一、あの太い図体でテレビの上に乗ることなんて無理だということが分からないということが、ボクには理解できない。
ボクは、高い所は苦手だ。
お姉さんに助けられた時には、必死になって木に登ったが、それも大した高さではなかったらしい。
トラの行動を見ていても、とても真似など出来そうになく、ボクはチビほど向こうみずではないから、チャレンジしようという気にならない。
ここの家の人もそれぞれ行動に特徴がある。
お母さんは、ボクたち三匹をまんべんなく世話をしてくれる。トラがいなくなっときなどは、トラのことばかりでボクたちは見捨てられるのではないかと心配したが、トラが元気になって来ると依然と同じように接してくれる。
ボクやチビが家中を駆け回ると、「静かにしなさい」と口では叱るけれど、別にむりやり止めさせる気はないらしい。押し入れに上れないボクや、めったに成功しないチビが、腹いせというわけではないが、襖にガリガリと爪を立てることがあるが、その時も、口では叱るけれど力ずくで止めるようなことはない。
その分、お父さんの仕事が増えることになる。
お姉さんは、時々しか家にいないけれど、いる時はいつも抱き上げてくれる。
ボクだけでなく、チビもあのトラさえも抱き上げられるとゴロゴロとのどを鳴らして嬉しそうにしている。ボクは抱かれることはあまり好きではないけれど、お姉さんに抱かれていると、なぜか幸せな気持ちになる。きっと、初めて抱かれて助けられたことを思い出すからかもしれない。
お父さんはあまり家にいないが、あまりボクたちを構ってくれることはない。ただ、食事をしている時、時々自分のおかずをボクたちに分けてくれる。お母さんは嫌がって怒っているが、魚の身をほぐして少しずつボクたちに分けてくれる。
それと、お父さんがたまに一日中家にいる時などには、櫛でボクたちの毛を梳(ト)いてくれる。お母さんも梳いてくれるが、お父さんは、ゴシゴシと力強くて、とても気持ちがよい。
お兄さんはほとんど家にはいない。たまに姿を見せた時には、頭を撫でてくれる。それも、元気がなかったり、とても寂しい気持ちになっている時に必ずそうしてくれる。
それは、ボクに対してだけでなく、トラやチビに対しても同じらしい。
ただ、トラが家に帰る道が分からなくなった時、お兄さんの声がして帰る道を教えてくれたらしいのだが、どういうことなのかボクにはよく分からない。トラも、謎のままらしい。
ただ、チビは、お兄さんはそういう人なんだ、と不思議でもなんでもないらしい。
こういう人たちに囲まれての日々が続いていたが、ある日、ボクは急に食欲がなくなっていった。
特に変わった物を食べた記憶はないし、チビと違って、ボクはお母さんが出してくれる物以外は食べることはない。それなのに、朝、目が覚めると、何かむかむかするような気がして、食欲がなくなっていたのである。
昨日食べ過ぎたのかな、と思って、食事の後また寝床にもぐりこんだが、なかなか寝つかれず、少しうとうとした後も、気分がさらに悪くなっていた。
外から帰ってきたチビが、いつもなら大きな頭を押し付けてくるのに、それをしないでじっとボクの顔を見つめただけで、さっさとソファーに上って寝てしまった。
いつもは、頭を押し付けられるのは迷惑なのだが、素通りされてしまうと、少し寂しいし、ボクが少し変なのを感じとったのかもしれない。
夕方になって、お姉さんがボクの様子に気がついて、
「お母さん、チロ、少し様子が変よ」
と、お母さんに小声で話している。
「そういえば、今日はあまり食べていないみたい」
と、お母さんが答え、二人でボクの側に座りこんだ。
ボクは、無理に寝ているふりをしようとしたが、お姉さんはボクを抱き上げて、顔を覗きこんできた。
「やっぱり、少し元気がないみたい」
「そうねぇ、しばらくおとなしくさせていて様子を見ましょう」
と、ボクは寝床に戻された。
翌朝、ボクは昨日より状態が悪くなった。
どこかが特別痛いというわけではないが、体全体に力が入らず、食欲がなかった。
お姉さんはボクの様子を気にしながら出かけて行ったが、その後お母さんに籠に入れられて病院に連れて行かれた。確か、この家に助けられた時連れられてきた所で、独特の匂いがした。
ボクは注射のような物を三本ばかりもされて、そのうち眠ってしまったらしい。
次に目が覚めた時には、見覚えのない小さな檻の中に入れられていた。一瞬、ボクは再びとんでもない状態になっているのではないかと思ったが、しばらくして意識がはっきりしてくると、そうではなくて病院に連れて来られていることに気がついた。
ボクがゴソゴソと体を動かせていると、あの独特の匂いを持った人が近付いてきて声をかけ、スープの入った食器を入れてくれた。
ボクは低い声で威嚇して、その人を追いやったが、スープを飲むつもりはなかった。それにやはり食欲がわかないのである。
やがて夕方となり、お母さんとお姉さんが来てくれたが、また注射らしい物をされ、今夜はここに泊ることに決まったとお姉さんが話してくれた。
ボクは一緒に帰りたいと訴えたが、我ながら情けない声しか出なくて、お母さんやお姉さんに、ボクの病気が悪いと思わせてしまったかも知れなかった。
しばらくは眠ったようだったが、夜中に目覚めた後は、なかなか眠れなかった。
ボクが入れられているような小さな檻が幾つもあって、他にもネコだか犬だかが入れられているらしい。どうもあまりいい気もちのしない場所だった。
ボクは、突然のように、もしかするとこのままトラやチビのいる家に帰ることが出来ないのではないかと思った。一度その思いが襲ってくると、何だか息苦しくなってきて、とんでもない病気にかかっている気がしてきたのである。
思わず、二度、三度、小さな声で鳴いてしまった。
「大丈夫だよ、チロ。ぐっすりお休み。明日にはきっと帰れるから」
という声が聞こえてきた。
お兄さんの声だ、とボクは思った。同時に、そっと頭を撫でられたような気がした。
*
翌朝目が覚めると、ボクは猛烈に空腹を感じた。
知らない女の人が持ってきてくれた食事をガツガツと食べた。あまり美味しくなかったが、空腹には勝てない。
やがてお母さんが迎えに来てくれて、また注射のような物を長い時間かけてされた後、お母さんが持ってきた籠に入れられた。
「ああ、これで帰ることが出来る」
と、ボクは思った。
病院の人と長々と話していたお母さんは、籠の中のボクを覗き込んで、
「帰られて良かったね・・。ほんとだ、この子笑ってるわ」
と、病院の人に話しかけると、病院の女性も、「ほんとだわ」と不思議そうに言っていた。
* * *
キャットスマイル
⑨ 一大事件
その後もボクは、時々食欲が減ることがあったが、それもごくたまのことで、特に変わったこともなく過ごしていた。
トラもすっかり以前のような威厳に満ちた姿に戻ったし、チビは相変わらず出歩いていて、食事の頃にはきっちりと帰ってきて、思う存分食べている。そして、いまだにボクの寝床を狙っていて、大きな頭でボクを押しのけようとする。
*
お天気の良い時は、ボクたち三匹は、揃ってテラスで過ごすことが多くなった。
トラは箱の中で寝ていることが多いが、ボクはテラスのコンクリートの上で横になるのが好きだ。もっとも真冬の寒い時には、箱の中か、その頃だけ敷いてくれるマットの上で寝そべることになる。
チビは、テラスでも好き勝手である。ボクと同じようにコンクリートの上に寝そべることも多いが、ボクと違って真冬でもコンクリートの上でぐうぐう眠っている。箱に入ることも多いが、それもチビが入っている中に入り込んでいって、トラを押しつぶすようにして眠っている。
全くチビという奴は、自分の図体の大きさが分かっていないらしい。
テラスは南側にあり、とても日当たりがよく、夏は風通しがよく、冬は北風を防いでくれる。
冬もお天気さえ良ければいっぱいの日差しがあり、夏は日差しが遠のくし、お母さんが日除けをつけてくれる。その下で寝転んでいるボクたちの上を涼しい風が通り抜けて行く。蝉の声がうるさいのは少し困りものだが。
あの日、いたずら坊主たちに追われて、傷を負ってたまたまこの家の庭に逃げ込んだのが、今の生活の始まりなのだが、それも、もう随分と前のことになり、思い出すことも少なくなった。
あれから、夏も冬も何度か迎えたし、今ではボクの体はトラと比べてもチビと比べても見劣りしないほどになっている。
もっとも、トラとチビは茶と白の虎模様であり、ボクは灰色がかった白で、見た目は全然違う。
体つきも、トラほど長くないし、チビほど丸々としてはいない、ただ足の長さはボクが一番でその分背が高い。
その日は、雨模様の日であった。
ボクもトラもテラスには出ないで、家の中で寝そべったりゴロゴロして一日を過ごしたが、チビはいつものようにどこかへ出かけていた。
ただその日は、夕方になって、食事の頃になってもチビは帰って来ないのである。
時々遊び呆けて夜遅くまで帰って来ないこともあるが、たいていは、どうしてそれほど時間に正確なのだと思うほど、食事時には帰ってきているのである。
夕方も過ぎ、雨は止んでいたが外はすっかり暗くなっているのにチビは帰って来ず、お母さんも少し気になったらしく、庭に出たり、すぐ近くまで捜しにいったらしい。チビがこの時間まで帰って来ないのは特に珍しいことではないので、お母さんがわざわざ捜しに行ったのは、お天気が良くないこともあり、虫の知らせのようなものがあったのかもしれない。
お母さんが外へ捜しに行って少し経った頃、テラスのある所のガラス戸に何かがぶつかる音がした。
ボクが駆け寄っていると、ガラス戸の向こうにチビがうずくまっていた。様子が変である。
ボクは大声を出した。
その声にトラも駆け寄ってきて、ガラス戸に爪を立てたが、外のチビは身動きをしない。
ボクとトラは大声で鳴き叫び、家の中を走り回った。
外から帰って来たお母さんは、ボクとトラが暴れ回っている姿に異常を感じて、ガラス戸に駆け寄った。
すぐにガラス戸が開けられたが、チビは少しばかり頭を持ち上げ、小さな声で鳴いたが、その声はかすれていてほとんど聞き取れないほどである。
お母さんは飛び出してチビを抱え上げた。
チビはぐったりとしていて、口と顔のあたりから血が流れていた。顔のあたりの血はすでに固まっていたが、口からはまだ少し血が流れていた。電灯に照らされたテラスには点々と血の跡が見られた。
お母さんは大声でチビの名前を呼び、抱き上げた。それでなくとも大きなチビの体は、ぐったりとしていてさらに重たそうにお母さんは抱え上げて、
「どうしたの、チビ。しっかりして!」
と繰り返した。お母さんの服のあちこちに血が滲んだ。
お母さんは、お父さんたちのために用意していたらしいバスタオルの上にチビを寝かせ、包み込むようにして抱き上げると、
「トラ、チロ、お留守番頼むわよ」
と言って、家を飛び出していった。
ボクが病院に行く時などに使われる籠は物置の中なので、お母さんはチビを抱きかかえたまま病院に向かったらしい。
ボクはトラに体を寄せて、小さく鳴いた。
お留守番を頼むといわれても、何が出来るわけでもないし、それは、いくら偉大なトラだといっても同じだと思う。
ボクたちは、ただ部屋の中をうろうろし続けていた。
寝そべってみても何だか落ち着かず、もちろん眠ることなど出来ない。
ボクとトラだけでの留守番が、とても長い時間になった。
どれくらいの時間が経ったのか、お母さんとお姉さんが帰ってきた。お母さんの電話でお姉さんは直接病院に行ったらしい。
「大丈夫よ、チビは大丈夫だからね」
と、お姉さんは、ボクたち二匹を同時に抱き上げてそう言った。
しかし、その顔はとても大丈夫そうな顔ではなく、「チビは大丈夫だから」という言葉は、お姉さんが自分自身に言っているような声に聞こえた。
お母さんとお姉さんとの会話や、お父さんに説明している話などから、チビの様子が少しばかり分かってきた。
どうやら、車か自転車にぶつかったらしく、怪我の様子からすれば、多分自動車らしいとのことであった。怪我をしているのは、頭と口の中で、腰のあたりも打っているのは、跳ね飛ばされたためらしい。
口の中の怪我は、出血はひどいが、治療で治るし、腰のあたりや足には骨折がないので、時間が経てば良くなっていくらしい。
問題は頭から顔にかけての傷で、おそらくここをぶつけたらしく、左目が心配だし、頭の方はしばらく様子を見る以外に方法はないらしい。
怪我をしたのは、血の固まり具合からすれば、お母さんが病院に連れて行った時から二時間ほども前のことらしく、もしかするとしばらくは気を失っていたか、まったく動けなかったのではないかと病院の先生は言っていたらしい。
おそらく片目は腫れあがっていて見えない状態なので、傷む体と見えない片目をかばいながら、一歩一歩必死になって家まで辿り着いたらしい。
お母さんもお姉さんも涙ながらに話していて、お父さんも沈痛な面持ちで聞いていて、お兄さんも側に立っていた。
頭の怪我は命にかかわるほどのもので、今はとにかく安静にしていることが大切で、鎮痛剤を打ってとりあえず寝かせているらしい。
この丸一日ぐらいが山で、手術というわけにもいかず、あとはチビの生命力に託すしかないという状態だというのである。
*
その夜、ボクはトラに身体を寄せて眠った。
とても独りで寝ることなど出来なかったので、寝床を出てトラの横に寝そべったが、トラも嫌がる様子を見せずに僕の頭を舐めてくれた。
「チロ、トラに優しくしてもらいなさいよ。そうそう、トラに舐められていい顔しているわね。トラもチロも、良い夢を見てぐっすり眠れば、きっと明日にはチビも元気になるからね」
とお姉さんはボクたちの頭を撫でてくれた。
その夜、ほんとにボクは夢を見た。
しかしその夢は、ボクが大怪我をして、口から血を垂らしながら、一歩一歩、懸命にわが家に向かっている夢であった。
* * *
⑨ 一大事件
その後もボクは、時々食欲が減ることがあったが、それもごくたまのことで、特に変わったこともなく過ごしていた。
トラもすっかり以前のような威厳に満ちた姿に戻ったし、チビは相変わらず出歩いていて、食事の頃にはきっちりと帰ってきて、思う存分食べている。そして、いまだにボクの寝床を狙っていて、大きな頭でボクを押しのけようとする。
*
お天気の良い時は、ボクたち三匹は、揃ってテラスで過ごすことが多くなった。
トラは箱の中で寝ていることが多いが、ボクはテラスのコンクリートの上で横になるのが好きだ。もっとも真冬の寒い時には、箱の中か、その頃だけ敷いてくれるマットの上で寝そべることになる。
チビは、テラスでも好き勝手である。ボクと同じようにコンクリートの上に寝そべることも多いが、ボクと違って真冬でもコンクリートの上でぐうぐう眠っている。箱に入ることも多いが、それもチビが入っている中に入り込んでいって、トラを押しつぶすようにして眠っている。
全くチビという奴は、自分の図体の大きさが分かっていないらしい。
テラスは南側にあり、とても日当たりがよく、夏は風通しがよく、冬は北風を防いでくれる。
冬もお天気さえ良ければいっぱいの日差しがあり、夏は日差しが遠のくし、お母さんが日除けをつけてくれる。その下で寝転んでいるボクたちの上を涼しい風が通り抜けて行く。蝉の声がうるさいのは少し困りものだが。
あの日、いたずら坊主たちに追われて、傷を負ってたまたまこの家の庭に逃げ込んだのが、今の生活の始まりなのだが、それも、もう随分と前のことになり、思い出すことも少なくなった。
あれから、夏も冬も何度か迎えたし、今ではボクの体はトラと比べてもチビと比べても見劣りしないほどになっている。
もっとも、トラとチビは茶と白の虎模様であり、ボクは灰色がかった白で、見た目は全然違う。
体つきも、トラほど長くないし、チビほど丸々としてはいない、ただ足の長さはボクが一番でその分背が高い。
その日は、雨模様の日であった。
ボクもトラもテラスには出ないで、家の中で寝そべったりゴロゴロして一日を過ごしたが、チビはいつものようにどこかへ出かけていた。
ただその日は、夕方になって、食事の頃になってもチビは帰って来ないのである。
時々遊び呆けて夜遅くまで帰って来ないこともあるが、たいていは、どうしてそれほど時間に正確なのだと思うほど、食事時には帰ってきているのである。
夕方も過ぎ、雨は止んでいたが外はすっかり暗くなっているのにチビは帰って来ず、お母さんも少し気になったらしく、庭に出たり、すぐ近くまで捜しにいったらしい。チビがこの時間まで帰って来ないのは特に珍しいことではないので、お母さんがわざわざ捜しに行ったのは、お天気が良くないこともあり、虫の知らせのようなものがあったのかもしれない。
お母さんが外へ捜しに行って少し経った頃、テラスのある所のガラス戸に何かがぶつかる音がした。
ボクが駆け寄っていると、ガラス戸の向こうにチビがうずくまっていた。様子が変である。
ボクは大声を出した。
その声にトラも駆け寄ってきて、ガラス戸に爪を立てたが、外のチビは身動きをしない。
ボクとトラは大声で鳴き叫び、家の中を走り回った。
外から帰って来たお母さんは、ボクとトラが暴れ回っている姿に異常を感じて、ガラス戸に駆け寄った。
すぐにガラス戸が開けられたが、チビは少しばかり頭を持ち上げ、小さな声で鳴いたが、その声はかすれていてほとんど聞き取れないほどである。
お母さんは飛び出してチビを抱え上げた。
チビはぐったりとしていて、口と顔のあたりから血が流れていた。顔のあたりの血はすでに固まっていたが、口からはまだ少し血が流れていた。電灯に照らされたテラスには点々と血の跡が見られた。
お母さんは大声でチビの名前を呼び、抱き上げた。それでなくとも大きなチビの体は、ぐったりとしていてさらに重たそうにお母さんは抱え上げて、
「どうしたの、チビ。しっかりして!」
と繰り返した。お母さんの服のあちこちに血が滲んだ。
お母さんは、お父さんたちのために用意していたらしいバスタオルの上にチビを寝かせ、包み込むようにして抱き上げると、
「トラ、チロ、お留守番頼むわよ」
と言って、家を飛び出していった。
ボクが病院に行く時などに使われる籠は物置の中なので、お母さんはチビを抱きかかえたまま病院に向かったらしい。
ボクはトラに体を寄せて、小さく鳴いた。
お留守番を頼むといわれても、何が出来るわけでもないし、それは、いくら偉大なトラだといっても同じだと思う。
ボクたちは、ただ部屋の中をうろうろし続けていた。
寝そべってみても何だか落ち着かず、もちろん眠ることなど出来ない。
ボクとトラだけでの留守番が、とても長い時間になった。
どれくらいの時間が経ったのか、お母さんとお姉さんが帰ってきた。お母さんの電話でお姉さんは直接病院に行ったらしい。
「大丈夫よ、チビは大丈夫だからね」
と、お姉さんは、ボクたち二匹を同時に抱き上げてそう言った。
しかし、その顔はとても大丈夫そうな顔ではなく、「チビは大丈夫だから」という言葉は、お姉さんが自分自身に言っているような声に聞こえた。
お母さんとお姉さんとの会話や、お父さんに説明している話などから、チビの様子が少しばかり分かってきた。
どうやら、車か自転車にぶつかったらしく、怪我の様子からすれば、多分自動車らしいとのことであった。怪我をしているのは、頭と口の中で、腰のあたりも打っているのは、跳ね飛ばされたためらしい。
口の中の怪我は、出血はひどいが、治療で治るし、腰のあたりや足には骨折がないので、時間が経てば良くなっていくらしい。
問題は頭から顔にかけての傷で、おそらくここをぶつけたらしく、左目が心配だし、頭の方はしばらく様子を見る以外に方法はないらしい。
怪我をしたのは、血の固まり具合からすれば、お母さんが病院に連れて行った時から二時間ほども前のことらしく、もしかするとしばらくは気を失っていたか、まったく動けなかったのではないかと病院の先生は言っていたらしい。
おそらく片目は腫れあがっていて見えない状態なので、傷む体と見えない片目をかばいながら、一歩一歩必死になって家まで辿り着いたらしい。
お母さんもお姉さんも涙ながらに話していて、お父さんも沈痛な面持ちで聞いていて、お兄さんも側に立っていた。
頭の怪我は命にかかわるほどのもので、今はとにかく安静にしていることが大切で、鎮痛剤を打ってとりあえず寝かせているらしい。
この丸一日ぐらいが山で、手術というわけにもいかず、あとはチビの生命力に託すしかないという状態だというのである。
*
その夜、ボクはトラに身体を寄せて眠った。
とても独りで寝ることなど出来なかったので、寝床を出てトラの横に寝そべったが、トラも嫌がる様子を見せずに僕の頭を舐めてくれた。
「チロ、トラに優しくしてもらいなさいよ。そうそう、トラに舐められていい顔しているわね。トラもチロも、良い夢を見てぐっすり眠れば、きっと明日にはチビも元気になるからね」
とお姉さんはボクたちの頭を撫でてくれた。
その夜、ほんとにボクは夢を見た。
しかしその夢は、ボクが大怪我をして、口から血を垂らしながら、一歩一歩、懸命にわが家に向かっている夢であった。
* * *