今昔物語 その1 ご案内
『 今昔物語 その1 』には 巻第一から巻第五 までを掲載しています
いずれも 天竺に関する作品です
掲載順は 巻第五から巻第一へと逆になっていますが ご了承ください
今昔物語 その1 ご案内
『 今昔物語 その1 』には 巻第一から巻第五 までを掲載しています
いずれも 天竺に関する作品です
掲載順は 巻第五から巻第一へと逆になっていますが ご了承ください
今昔物語 巻第五 ご案内
巻第五は、全体の位置付けとしては、前巻と同じく 天竺付仏前 となっています。
若干 時代錯誤と思われる物語もありますが、概ね 釈迦入滅後の逸話が集められています。
物語として 十分楽しめるものが集められています。
女人の島 (1) ・ 今昔物語 ( 5 - 1 )
今は昔、
天竺に僧迦羅(ソウガラ・父も豪商とされる。一説には、舎利弗の前生とも。)という人がいた。
五百人(大勢のことを表現する常套句)の商人を率いて一隻の船に乗り、財物を求めて南海に出かけていったが、にわかに逆風が吹き荒れて、船は南に向かって流されること、まるで矢を射るかのようであった。
やがて、船は大きな島に吹き寄せられた。見知らぬ国土ではあるが、陸地に吹き寄せられたことを幸いに思って、良し悪しを言うまでもなく、全員が上陸した。
しばらくすると、端厳美麗(タンゴンビレイ・容姿が美しく整っているさま。)な女十人ばかりが現れて、歌を唄いながらやって来る。
商人たちは女たちを見て、見知らぬ土地にきて嘆き悲しんでいたが、これほど美しい女が多数いるのを見て、たちまち情欲がそそられて女たちを呼び寄せた。
女たちは皆しなやかな風情で近寄ってきた。近くで見ると、一段と美しく心ひかれること限りなかった。五百人の商人たちは、僧迦羅をはじめ全員が賛美して女たちに言った。「私たちは財物を求めて遥かな南海を目指して出航しましたが、たちまち逆風に襲われて知らない土地に来てしまいました。心細くて嘆いていましたが、あなたたちのお姿を見て、心細い気持ちは消えてしまいました。この上は私たちを連れて行って助けてください。船は壊れてしまい、すぐには帰る手段がありません」と。
女たちは、「すぐに仰せのようにいたしましょう」と言って誘うので、商人たちはついて行った。女たちは、商人たちの先に立って案内した。
家に行って見ると、延々と続く高い築垣(ツイガキ・土塀)を遥かにまで築き廻らしていて、厳重な門を構えていた。商人たちをその中に連れて入ると、すぐに門に錠をかけた。
中に入ってみると、様々な家がある。家は細かく仕切られている。
男の姿は一人も見えず、女ばかりである。
そこで商人たちは全員が思い思いに女を選んで妻にして同棲したが、互いに強く愛し合うようになり、片時も離れることがなかった。
このようにして、何日かを過ごしたが、ここの女たちは毎日昼寝をするのを習慣にしていた。寝ている顔も美しいが、少しばかり気味悪さを感じさせた。
僧迦羅は、そのことが何とはなく怪しく思えて、女たちが昼寝をしている間に、そっと起き出してあちらこちらを見て回ると、様々に隔てられている中に、いつもはあらゆるところを見せてきたのに、隔離された所が一ヶ所あり、そこだけは見せようとしなかった。
そこは、周囲を築垣で厳重に囲っている。門が一つある。厳重に錠が閉じられていた。
僧迦羅は横合いから築垣によじ登って中を見てみると、人が多数いた。ある者は死んでおり、ある者は生きている。ある者はうめいており、ある者は泣いている。白骨化した死骸やまだ赤い死骸もある。
僧迦羅は一人の生きている人を招き寄せると、近寄ってきたので、「ここにいるのはどういう人で、どうなっているのか」と訊ねると、「私は南天竺の者です。商売のための航海中に大風に吹き流されて、この国にやって来ました。美しい女たちに心を奪われて、帰ることも忘れて同棲していましたが、目にとまる人は、みな女でした。同棲した女とは相思相愛になっていきましたが、他の商船が寄せられてくると、これまでの男はこのように閉じ込めて、足の筋肉を断ち切って、日々の食物に充てるのです。あなたたちも、また船がやってくれば、私たちと同じような目に遭うことでしょう。何とか工夫して逃れなさい。あの女たちは羅刹鬼(ラセツキ・古代インドの神話伝説に登場する悪鬼で、食人鬼とされる。後には、仏教に取り込まれて、仏法外護の鬼神になっている。)です。あの鬼は、昼寝を三時(六時間か?)ばかり取ります。その間に逃げ出せば、知られずにすむでしょう。この閉じ込められている所は、鉄(クロガネ)で以て四面が固められています。それに、足の筋肉を断たれているので逃れることが出来ません。とても悲しいことです。さあ、早く逃げなさい」と泣きながら言うので、僧迦羅は「やはり、怪しいことだと思っていた通りだ」と思って、もとの所に返り、女たちが寝ているのを確かめ、五百人の商人たちにこの事を告げて廻った。
僧迦羅は急いで浜に出たが、、他の商人たちも皆、僧迦羅に続いて浜に出てきた。しかし、為すべき策はなく、遥かななる補陀落世界(フダラクセカイ・観音の住山とされる霊場で、南方にあるとされる。)の方角に向かって、信仰心を起こして、全員が声を挙げて観音(観世音)の名号を唱えて祈念し続けた。その大合唱は遥かまでとどろき渡った。
熱心に念じ続けていると、沖の方から、大きな白馬が、浪を蹴立てて現れて、商人たちの前まで来てうずくまった。
「これは、まさしく観音がお助け下さったのだ」と思って、商人たち全員がこの馬に取りついて乗った。乗り終わると、馬は海を渡っていく。
羅刹の女どもが昼寝から覚めて見てみると、あの商人たちが一人もいない。「逃げたな」と思って、気づいた者全員が先を争って追いかけて、城を出て見ると、あの商人たちは全員が一匹の馬に乗って海を渡って行こうとしている。
女どもはこれを見て、身長が一丈(約3m)ほどの羅刹になって、四、五丈ほど躍り上がって大声で叫んだ。
商人の中の一人は、妻としていた女の顔の美しさを思い出していると、手を取り外して海に落ちた。(一部、難解な文字あり推定。)
すると、羅刹どもは海に下りて、落ちた商人を奪い合うようにして喰らった。
馬は、南天竺の陸地に着くとうずくまったので、商人たちはみな喜びながら降りた。馬は人を下ろした後、掻き消すように姿が消えた。
僧迦羅は、「ひとえに観音のお助けによるものだ」と思って、涙を流して礼拝し、みな本国に帰って行った。
しかしながら、この事は他人には話さなかった。
( 以下 (2) に続く )
☆ ☆ ☆
女人の島 (2) ・ 今昔物語 ( 5 - 1 )
( (1) より続く )
それから後、二年ばかり経った頃、あの僧迦羅(ソウガラ)の妻になっていた羅刹の女が、僧迦羅が一人で寝ている所に現れた。同棲していた時よりも数倍美しくなっていた。
その女が近寄ってきて、「然るべき前世からの縁(エニシ)があり、あなたとわたしは夫婦となりました。深くあなたを頼りに致しておりました。ところが、わたしを捨てて逃げられたのは、どういうことなのでしょうか。あの国には夜叉の一党がおり、時々やって来て人を捕らえて喰らうことがあります。そのため、私たちは城壁を高く築いて厳重に固めているのです。ところが、多くの人が浜に出てきて騒いでいる声を聞いて、あの夜叉がやって来て荒れ狂っているのを見て、『わたしたちが鬼なのだ』と誤解なさったのです。決してわたしは夜叉ではありません。あなたが返られた後は、恋しくて悲しくて堪えられません。あなたも同じように思ってくださらないのですか」と言って、激しく泣いた。
この女の本性を知らなければ、きっと騙されてしまうだろう。
しかし僧迦羅は、大いに怒って、剣を抜いて切ろうとしたので、女は強い恨みを抱いてその家を出て行った。
そして、王宮に行くと、国王に申し上げるように願い出た。「僧迦羅は、長年連れ添った夫でございます。ところが、わたしを捨てて同居しようと致しませんが、誰に訴え出ればよいのでしょうか。国王、なにとぞこの事の是非をお裁き下さい」と。
王宮の人たちが出て行って見てみると、訴え出た女の美しいことはこの上なかった。その姿を見て、愛欲の心を起こさない者はなかった。
国王はその報告を聞いて、密かにその姿を見てみると、その美しさは並ぶ者とてないほどである。大勢いる寵愛している后たちと見比べると、后たちは土みたいなもので、その女は玉のようであった。
「これほどの女と同居しようとしないとは、僧迦羅の心は劣悪だ」と思われて、僧迦羅を召し出して詰問すると、僧迦羅は、「あの者は、人を欺く鬼でございます。決して王宮に入れてはなりません。速やかに追い出すべきです」と申し上げて、王宮を出た。
国王はそれをお聞きになられても、信じようとはされず、深く愛欲の心を起こして、夜になると密かに裏口から寝殿に召し入れた。国王が女を近くに召し寄せて見るに、その美しさは密かに覗いた時より数倍も勝っている。抱き寄せて我がものとした後は、さらに愛欲の心は深まり、政をかえりみようとせず、三日もの間寝室に入ったままになる。
そこで僧迦羅は、王宮に参って申し上げた。「天下の一大事が出来(シュッタイ)しようとしています。あの女は、鬼が女に姿を変えているのです。速やかかに成敗すべきです」と。
しかし、宮中の人は誰一人として聞き入れようとはしなかった。そうして三日が過ぎた。
その次の朝、女は寝殿から出て階段のそばに立った。人々が見ていると、目つきがすっかり変わっていて怖ろし顔つきである。口には血が付いている。そして、しばらく辺りを見回していたが、寝殿の軒からまるで鳥のように飛び立ち、雲の中に姿を消した。
国王にこの事を申し上げるために、側近たちが様子をうかがったが、声一つなく、国王の気配もない。
そこで、驚き怪しんで寝室に入ってみると、御帳の内に血が流れていて、国王の姿は見えなかった。御帳の内をよく見ると、血まみれの御髪が一つ残されていた。それを見て、宮中は大騒動となった。大臣・百官が集まって涙を流して嘆いたが、今更どうにもならない。
その後、御子が即位して国王となった。
新しい国王は、僧迦羅を召し出して、この度の事を訊ねた。僧迦羅は、「それでは申し上げますが、速やかにあの女を成敗するように再三申し上げました。今となりましては、私はあの女の羅刹国を知っておりますので、宣旨を賜りまして、彼の国へ行き、あの羅刹を成敗しようと思います」と申し上げた。
国王は、「速やかに彼の国へ行って成敗せよ。必要なだけの軍勢を与えよう」との宣旨を与えた。
僧迦羅は、「弓矢で武装した兵士一万人、剣で武装した決死の兵士一万人、それらを百艘の快速の兵船に乗せて出兵させてください。私は、その兵団を率いて行こうと思います」と申し出た。
国王は、「申し出のようにせよ」と仰せられて、全軍は出立した。
僧迦羅は、この二万の軍勢を率いて、かの羅刹国に漕ぎ着いた。
そして、前のように、商人のような姿にさせた者ども十人ばかりを、浜を散策させた。すると、前と同じように美しい女が十人ばかり現れて、歌を唄いながら近寄ってきて、商人姿の者たちに言い寄った。そして、前と同じように、女が先に立って案内する。
その後方から二万の軍勢も続き、途中で襲いかかって女たちを打ち切り、射かけた。女たちは、しばらくは恨みがましい表情をしながらもなまめかしい風情を見せていたが、僧迦羅が大声を出しながら走り回って指揮すると、姿を保ち続けていることが出来ず、遂に羅刹の姿になって、大きな口を開けて反撃してきたので、剣で首を打ち落とし、あるいは肩を打ち落とし、あるいは腰を打ち折って、無傷の鬼はいなくなった。
飛んで逃げようとする夜叉がいると、矢を放って射ち落した。一人として逃げ切れた者はいなかった。家屋などには火を付けて焼き尽くした。廃墟の国としたうえで、国王にその結果を報告すると、国王は、その国を僧迦羅に与えた。
されば、僧迦羅はその国の王となって、二万の兵団を引き連れて住みついた。もとの生活よりも安楽な生活を送った。
それから後は、僧迦羅の子孫が引き継ぎ、今もその国に存在している。羅刹は絶滅している。それゆえ、その国を僧迦羅国というのである、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
哀れなる獅子 ・ 今昔物語 ( 5 - 2 )
今は昔、
天竺に一つの国があった。
その国王が山に行幸して、谷・峰に勢子を入れて、ほら貝を吹き鳴らし、鼓を打って、鹿を脅かせて狩り出して狩猟を楽しんだ。
ところで、国王には心から慈しみ可愛がる一人の姫宮がいた。片時も手元から離さずに可愛がったので、この時も輿(コシ)に乗せて連れて行っていた。
日がようやく傾く頃、この鹿追いに山に行っていた者どもは、獅子が寝ている洞穴に入った。
獅子を驚かせたので、獅子は洞穴を飛び出し、小山に立って、威圧するような猛々しい声を放って吠えた。すると、洞穴に入り込んだ者どもは、恐れおののいて逃げ去った。走って倒れる者も大勢いた。姫宮の輿を持つ役の者も、輿を捨てて逃げ去ってしまった。国王も、東西の区別もつかない状態で逃げ去り、宮殿に帰られた。
宮殿に辿り着いた後、国王が姫宮の御輿の在り処を捜させたところ、輿持ちたちは、山に放り出して逃げてきたと話した。国王はそれを聞いて、嘆き悲しんで、気も狂わんばかりに泣き悶えた。
そのままにしておけることではなく、捜し出すために多くの人を山に行かせたが、みな怖気づいていて、自分から進んで行こうとする者は一人もなかった。
一方、獅子はと言えば、驚かされて洞穴を飛び出した後、足で土を掻き、吠えまくり、走り回って見てみると、山の中に輿が一つあった。
輿に架けられた垂れ絹を喰い破って内を見てみると、珠玉のように光り輝く女が一人乗っていた。獅子はこれを見て大いに喜び、抱き寄せて背中に乗せ、もとの棲み処の洞穴に連れて行った。
やがて獅子は、姫宮と情交した。姫宮は茫然自失の状態で、生きているのか死んでいるのかさえ分からなかった。
獅子はこのようにして、数年姫宮と過ごしているうちに、やがて姫宮は懐妊した。そして、月満ちで出産した。
その子は、ふつうの人間の姿をしていて、男の子であった。顔かたちが美しく整った玉のような子であった。
やがて成長し、十歳を過ぎる頃には、勇猛で足の速いことは人間業ではなかった。
その子は、母が長い間憂い悲しんでいる姿を知っていて、父である獅子が食べ物を求めて出掛けている間に、母に訊ねた。「長い間嘆いておられる様子で泣いておられるのは、心の中にお嘆きのことがありますのか。親子の縁を結んだ間柄です。私には隠し事をなさらないでください」と。
それを聞いて、母はいっそう激しく泣いて、しばらくの間は言葉もなかった。
そして、しばらくすると、泣く泣く話し始めた。「私は、ほんとうはこの国の国王の娘なのです」と話し始め、これまでの出来事を、最初から今日に至るまですべて話した。
男の子も、母の話を聞いて泣くこと限りなかった。
やがて、母に「もし、都に出たいとお思いならば、父が帰って来ないうちにお連れします。父の足の速さはよく知っています。しかし、私の速さと同じほどだとしても、優っていることはありません。されば、都にお連れして、密かにお世話しましょう。私は獅子の子であるといえども、母上のお血筋を引いて、人として生まれたのです。速やかに都にお連れしようと思います。さあ、背中に負ぶさりなさい」と言うと、母は喜びながらわが子に負ぶさった。
男の子は母を背負うと、鳥が飛ぶが如くにして都に出た。しかるべき人の家を借りて、母を隠し住まわせて、工夫を凝らして世話をした。
父である獅子は、洞穴に帰ってみると、妻も子もいなくなっていた。「逃げて都に行ったに違いない」と思って、恋悲しんで、都の近くまで行き激しく吠えた。
その声を聞いた国の人々は、国王を始めとして誰もがあわてふためき怖れ騒いだ。
そこで国王は、獅子の始末について宣旨を出したが、それは「あの獅子の災いを止め、あの獅子を殺した者には、この国の半分を与えて統治させよう」というものであった。
獅子の子は、この宣旨を聞くと、国王に申し出た。「あの獅子を退治して、その褒賞を頂戴したい」と。
国王はこの申し出を聞いて、「退治して献上せよ」と仰せられた。
獅子の子は、この宣旨を承って、「父を殺すことは、限りなく重い罪であるが、自分が半国の王となって、人である母をお世話しよう」と思って、弓矢を持って父の獅子のもとに向かった。
獅子は我が子を見て、地に臥して転びまわって大喜びする。あおのけに寝ころび、足を伸ばして我が子の頭を嘗め回していると、子は毒の矢を獅子の脇腹に射立てた。獅子は、子を愛していたので全く怒る様子もなかった。ますます涙を流しながら、子を舐り続けた。そして、しばらくすると獅子は死んだ。
そこで獅子の子は、父である獅子の頭を切って都に持ち帰った。そして、すぐに国王に奉った。
国王はそれを見て、たいそう驚き半国を分かち与えようとして、まず獅子を殺した時の様子を訊ねた。その時、獅子の子は、「このついでに、事の根源を申し上げて、国王の孫であることをお知らせしよう」と思って、母から聞いていた通りに、最初から今日に至るまでのことを申し上げた。
国王はそれを聞いて、「それでは、お前は我が孫だったのか」と知ることになった。
「まずは、宣旨の通りに半国を分かち与えるべきだといえども、父を殺した者を褒賞すれば、自分もその罪から逃れられない。しかし、そうとはいえ褒賞しなければ、明白な約束違反となる。されば、離れた国を与えるのがよいだろう」と思案して、一つの国を与えて、母も子もその国に行かせた。
獅子の子は、その国の王となった。そして、子孫代々継承して今も住んでいるそうだ。
その国の名を執獅子国(シュウシシコク・獅子を捕らえたことに由来する国という意味で、今のスリランカらしい。)というのである、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
善悪は一つ ・ 今昔物語 ( 5 - 3 )
今は昔、
天竺に一つの国があった。その国の国王は、世に並ぶものとてなぃ宝、暗夜に光を放つ玉をお持ちになっていた。宝蔵に納め置いていらっしゃったが、盗人が入り、どのように計らったものか、その玉を盗み出してしまった。
国王はお嘆きになって、「もしかすると、あの者が盗んだのではないか」と疑わしく思われたので、まともに詰問しても白状するはずがないので、ここは白状させるために計略を立てられて、高楼を七宝(様々な宝物といった意。)で飾り立て、珠玉で飾った幡を懸け、錦の織物を地に敷くなど、この上なく豪華に飾り、見目麗しい女たちに美しい立派な衣服などを着せ、髪飾りをつけてその身を飾り、琴や琵琶などの美しい音楽を奏で、いろいろな遊興を集めて、この玉を盗んだらしい男を召して、きつく酔う酒を存分に飲ませたので、その男は泥酔して死んだかのように酔いつぶれた。
その後、その男を密かに担いで、かの飾り立てた高楼の上に連れて行って寝かせた。そして、その男にも美しく立派な衣服などを着せ、髪飾りや胸飾りなどを懸けさせて寝かせた。そのようにしても、すっかり酔ってしまっていて、何も気づかない。
酔いからようやく醒めて起き上って見てみると、この世のものとは思われないほど、美しく立派に飾られた場所であった。見回すと、四角には、栴檀・沈水などの香が炊かれている。その香りは想像を絶するほどすばらしく、芳しいこと限りなかった。珠玉で飾られた幡を懸け、錦の織物を天井に張り、地に敷かれている。宝玉のように美しい女たちが、髪を美しく結い上げて、玉のように美しい装束で居並んでいて、琴や琵琶などを奏でている。
それを見て、その男は「自分はいったいどういう所に来てしまったのか」と思って、すぐそばの女に、「ここはどこなのか」と尋ねた。
女は、「ここは天上です」と答えた。男は「どうして、私が天上に生まれることが出来たのか」と言った。女は「あなたは、嘘を言わないので、天上に生まれたのです」と答えた。
このように企んだわけは、「あなたは盗みをしたのか」と尋ねるためである。「虚言(ソラゴト)せざる者、天上に生まれる」と言い聞かせておけば、そのまま受け取って、「虚言はしない」と思い定め、「盗み」といえば「そう、その国の王の宝である玉を盗んだのか」と訊ねれば、「盗みました」と言い、「それをどこに置いているのか」と訊ねれば、「然々の所に置いています」と言えば、その時に、その有る所を確かに聞いて、人を使わせて見つけ出そうという謀(ハカリゴト)であった。
さて、女が「虚言せぬ人が生まれる天上です」というのを聞いて、玉の盗人はうなずいた。
女が「盗みをしましたか」と言った。盗人はその返答はしないで、そこに居並んでいる女の顔を一人一人じっと見つめ渡した。全ての女を見つめ渡ると、首を引っ込めて何も言わない。何度も同じ質問をするも、全く返答しない。
女は訊ねあぐんで、「このように返答しない人は、この天上には生まれません」と言って追い下ろしてしまった。
国王は企みがうまくいかず、思いつかれたことは、「この盗人を大臣にしょう。自分と心が通い合うようになってから、企みを試してみよう」と思われて、大臣に就任させた。
その後は、些細な事も、事の大小に関わらず、すべてその大臣に相談なさった。たいそう睦まじい間柄になり、互いにつゆほどの隠し事もしなくなった。
その後に、国王は大臣に仰せられた。「私には心の中で思い続けていることがある。実は、先年、並ぶものとてない宝と思っていた玉を盗まれてしまった。それを取り返そうと思っているが、その手段がない。それを盗んだ人を見つけ出して、玉を返してくれれば、この国の半分を分かち与えようと思うので、その旨の宣旨を出すように」と仰せられたので、大臣は、「自分が玉を盗んだのは、自分の暮らしのためである。ところが、国半分を分けて領地にすることが出来るのであれば、玉を秘蔵していても役に立たない。この機会に申し出て、半国を領地にしよう」と思い至って、静かに座ったままで近寄って、国王に申し上げた。「私こそがその玉を盗んで持っています。国半分を与えてくださるなら、その玉を奉りましょう」と。
すると、国王は大変喜んで、半国を与えるとの宣旨を与えられた。大臣は、玉を持ってきて国王に奉った。
国王は、「この玉を得たことは、この上ない喜びである。長年思い続けていた願いが今叶った。大臣は半国を長く統治するがよい。それにしても、先年、天の高楼を造って昇らせた時、何も言わずに首を引っ込んでいたのは、どういうことなのだ」と訊ねた。
大臣は、「先年、盗みを働くために僧房に入りましたが、比丘(ビク・僧)が経を読んでおられて寝ようとしないので、寝るのを待つために壁に張り付いて立ち聞きしていますと、比丘の経の中に、『天人は目をまじろがず、人間は目をまじろぐ』と読み奉っているのを聞きましたので、天人は目をまじろがないことを知りました。あの高楼の上に居並んでいた女は、皆がまじろぎをしておりましたので、天人ではないと思って、何も申し上げなかったのです。盗みを働くことがなかったならば、あの時の企みに乗せられて、ひどい目に遭ったことでしょう。今日、大臣となり、半国の王になることはなかったでしょう。これ、ひとえに盗みの徳でございます」と言ったのです。
これは、経が教えることであると、僧は語った。(本話が、僧が語ったことから生まれたということらしい。)
されば、悪しき事と善き事とは、差別される事ではない。(善と言い悪と言っても、所詮は凡夫の目から見た実体のない仮象で、事物の真相を空とする立場からは、善も悪も不二一体とする、仏教的思想からきている。)智(サト)りなき者は、善悪は異なるものと考えている。
彼の央崛魔羅(オウクツマラ・切り取った指を連ねて首飾りにしたとされる。)は仏の御指を切らなければ、たちまちに仏道を極めることは出来なかった。阿闍世王(アジャセオウ・釈迦と同世代のマガダ国王。)は、父を殺さなければ、どうして生死の煩悩から逃れることが出来ようか。盗人は玉を盗まなければ、大臣の位に昇ることがあっただろうか。
これを以て、善悪は一つであると知るべし、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
一角仙人 ・ 今昔物語 ( 5 - 4 )
今は昔、
天竺に一人の仙人がいた。名を一角仙人(イッカクセンニン・異能の持ち主で、万巻の経典に通じ、座禅行を修めていたとされる。)という。額に角が一つ生えていた。それゆえに一角仙人というのである。
深い山に入って修行して、長い年月を過ごした。雲に乗って空を飛び、高い山を動かして鳥や獣を思いのままに駆使した。
ある時、にわかに大雨が降り、道の状態が極めて悪くなったが、この仙人は、どうしたわけだったのか、徒歩にて行こうとしていたが、山が険しくて思いもかけず足を滑らせて倒れてしまった。年老いてこのように倒れたことにひどく腹を立てて、「世の中に雨が降るから、このように道が悪くなって倒れるのである。着ている苔の衣も濡れてしまって大変着心地が悪い。されば、雨を降らすのは竜王のすることだ」と思って、すぐさま、多くの竜王を捕らえて一つの水瓶(スイビョウ・飲み水を入れる瓶。僧が山中修行や遊行の時に携帯する。)に入れたので、多くの竜王は嘆き悲しむこと限りなかった。
このように狭い水瓶の中に、多くの大きな竜王を捕らえて押し込んだので、狭くてどうにもやりきれなく、動くことも出来ず極めて辛い状況であったが、聖人(ショウニン・一角仙人のこと)の極めて優れた験力のため為す術がない。
こうして、雨が降らなくなって十二年が過ぎた。このため世の中はすべて旱魃(カンバツ)となり、五天竺(ゴテンジク・・古代インドを中・東・西・南・北に五分した呼称。全インドの称。)すべてが嘆き合った。十六の大国(釈迦の時代、ガンジス川流域に栄えていた十六の民族国家の総称。)の王は、様々な祈祷をして雨が降ることを願ったが、全く効き目がなかった。どういうわけで、このような状態になっているのか知らなかったからである。
ところが、ある占い師が「ここから丑寅(ウシトラ・東北。陰陽道では鬼門の方角にあたる。)の方角に深い山がある。その山に一人の仙人がいる。雨を降らす多くの竜王を取り込めているので、世の中に雨が降らないのである。優れた聖人たちに祈祷させたとしても、かの聖人の験力にはとても及びますまい」と言った。
これを聞いて多くの国の人々は、どうすればよいか相談したが、全く思いつかない。
すると、ある大臣が「いくら優れた聖人だといっても、女人の色香に惑わされず、美しい声に心を引かれない者はあるまい。昔、鬱頭藍(ウツヅラン・釈迦が出家後に教えを求めた仙人の一人。)という仙人は、変わり者であったが、その仙人に勝る聖人であった。それでも、色香に迷いたちまちのうちに神通力を失っている。されば試みに、十六の大国の中の端正美麗(タンジョウビレイ・容姿が整っていて美しいさまを表現する常套語。)な女人で声の美しい者を召し集めて、彼の山の中に行かせて、峰の高い所や谷の深い所など仙人が棲み処とし、聖人が居所とすると思われる所々で、心に染み入るような趣のある歌を唄えば、聖人だといっても、それを聞けば心が緩むはずだ」と申すと、「早速そのように取り計らうべし」と決定して、世に端正美麗にして声の美しい女人を選び、五百人を召し出して、美しく立派な衣服を着せて、栴檀の香を塗り沈水香を浴びさせて、美しく飾り立てた五百の車に乗せて行かせた。(五百も、多いことを表現する常套句。)
女人たちは山に入ると、車より下りて五百人の美しい女人たちが群れ連なって歩く姿は、言いようもないほどすばらしい。
女人たちは、十人、二十人ずつに分かれて、仙人が棲んでいそうな窟屋(イワヤ)を廻り、木の下・峰の間などにおいて、情緒たっぷりに歌を唄った。
山も響き、谷も騒ぎ、天人も天下り、竜神も近寄っていく。
その時、奥深い窟屋のそばに、苔の衣を着た一人の聖人が現れた。痩せ衰えて体には肉がない。骨と皮だけでどこに魂が宿っているのかと思わせる。額に一本の角が生えている。怖ろし気なこと限りなかった。
その聖人が、まるで影法師のようにして杖に寄りかかって、水瓶を持ってくしゃくしゃの顔で笑いながら、よろめき出てきた。
そして、「これは、いかなる人々がこのようにお集まりになって、結構な歌を唄われているのですかな。我は、この山に住して千年になりますが、未だかって、このような事を聞いたこともございません。天人が天下られたのか、それとも魔物がやって来て近づいてきたのですかな」と言った。
一人の女人がお答えした。「わたしたちは、天人でもなく、魔物でもありません。わたしたちは、五百人のケカラ女(意味不詳。古代インドの天部に属する人(人の姿をしているが人間ではない)とも。)申しまして、天竺から徒党を組んでこのようにやって来た者でございます。ところが、この山はたいそう趣きがあり、多くの花が咲いており水の流れも美しくて、そこにはたいそう優れた聖人がいらっしゃるとお聞きしまして、『歌を唄ってお聞かせしましょう。このような山中におわしますれば、未だこのような事をお聞きになっていないでしょうから。そしてまた、お近づきになりたい』と思いまして、わざわざ参上したのでございます」と言って、歌を唄うのを聖人は聞いて、まことに、昔も今も未だ見たこともない姿の女人たちの、しみじみと情感をかき断てるように唄う様子に、目もまばゆいほどに思われ、心も動転して我を忘れた。
聖人は、「我が申すことは、お聞き入れくださるか」と尋ねた。女は、「心が軟化したようだ。うまくあしらって堕落させよう」と思ったので、「どのような事でも、どうしてお断りすることがございましょうか」と答えた。
聖人は、「少し触らせていただきたいと思うのだが」と、いかにも武骨で、求愛とも思えない言い方に、女は怖ろしい者の機嫌を損なってはならないと思う一方、角が生えていて気味が悪かったが、国王の仰せもあることから、遂には恐る恐る聖人の言うことに従った。
その時、大勢の竜王たちは大喜びして、水瓶を蹴り割って空に昇った。(一角仙人の女犯により、その呪禁が破れたため)
竜王たちが空に昇るや否や、空全体が雲に覆われ、雷電霹靂(ライデンヘキレキ・雷が響き、稲妻がひらめくこと。)して大雨が降り出した。女は身を隠しようもなく、とはいえ都へ帰るすべもなく、怖ろしいことながら数日を過ごすうちに、聖人はこの女に心底惚れてしまった。
五日目にようやく雨が少し止み、空も晴れてきたので、女は聖人に「いつまでもこのようにしているわけにはいきませんので、帰らせていただきます」と言えば、聖人は別れを惜しんで、「それでは、お返りなさい」という様子は、いかにも辛そうである。女は、「これまで体験したこともないことで、このような巌の上を歩きましたので、足もすっかり腫れてしまいました。それに、都に返る道も分かりません」と言った。
聖人は、「それでは、山の中の道は案内させていただこう」と言って、先立って行くのを見ると、頭は雪を戴いたように真っ白で、顔は波を立てたかのようにしわだらけで、額には角が一本生えている。腰はすっかり曲がり苔の衣を着ている。錫杖(シャクジョウ)を杖にして突き立て、ゆらゆらと体を揺らしよろめきながら行くのを見ると、愚かしくもあり、怖ろしくもある。
やがて、一つの谷を渡ろうとすると、何とも険しい断崖に懸け橋がかけられている。まるで屏風を立てかけたかのようである。巌が高くそびえている下には、大きな滝があり、その下は大きな淵になっている。
下からは逆さまに湧き上がるような白波が立っていて、見渡せば、雲の波・水煙の波が深く立ち込めている。まさに、羽が生えるか、竜に乗るかしなければ渡れそうもない。
その場所まで来ると、女は聖人に言った。「ここは、とても渡ることが出来ません。見ただけで目がくらむような気がして、どうすることも出来ません。まして、渡ることなど出来るはずがありません。聖人は常に行き来されているのでしょう。わたしを背負って渡らせてください」と。
聖人はこの女にすっかり心を奪われてしまっていたので、女の申し出を断れず、「無理もないことです。それでは、負ぶさりなされ」と言う。聖人の脛は、つまむと断ち切れるほどかぼそくて、背負われるとかえって落ちるのではないかと怖ろしかったが、背負われた。
そして、その難所を渡ることが出来たが、女は「今しばらく」と言って、王城まで負われたまま入って行った。
道中の人を始めとして、その姿を見た人は、あの山に住む一角仙人と言う聖人が、ケカラ女を背負って王城に入っていったと、極めて広い天竺の人々は、貴賤男女皆集まってその姿を見ると、額に角が一本生えている者の頭は雪を戴いたかのように真っ白である。脛は針のように細く、錫杖を女の尻に当てて、ずり落ちてくると揺すり上げていくのを見て、こぞって笑いあざける。
王宮に入ってきたので、国王はけしからぬことだと思われたが、この聖人はとても優れた人だと聞いていたので、敬って丁重に、「早々にお返りくださいませ」との仰せ事があったので、空を飛んで行く気であったろうに、この度は、よろけたり倒れたりしながら帰って行った。
このような愚かな聖人もいるのだ、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
鹿の娘 ・ 今昔物語 ( 5 - 5 )
今は昔、
天竺の波羅奈国(ハラナコク・古代インド十六大国の一つ)に王城からそう遠くない所に一つの山がある。山の名は聖所遊居(ショウショユコ・多くの行者が修行する山、といった意味らしい。)という。
その山に二人の仙人がいた。一人は南の岳(オカ)に住んでおり、もう一人は北の岳に住んでいた。
二つの岳の中間に水をたたえた泉があった。その泉の辺りに平らな石が一つあった。
この南の岳の仙人は、この石の上に座って衣を洗い足を洗って住処に帰った後に、一頭の妻鹿がやって来て泉の水を飲んだ。そして、仙人が衣を洗った所に行ってすすいだ後の水を呑み、また、小便をした所を捜してその跡を舐めた。
その後、この鹿は懐妊した。月満ちて一人の女の子を産んだ。この子は完全な人間であった。
南の岳の仙人は、鹿が悲しげに鳴くのを聞いて、哀れな感情がわいてきて、外に出て見てみると、母鹿が一人の女の子を舐めていた。母鹿は、仙人が来たのを見ると、女の子を置いて去っていった。
そこで、仙人は、その女の子を見ると、これまでこのような子供を見ることもなかったが、端厳美麗(タンゴンビレイ・容姿が美しく整っているさま)にして気品のあることこの上ない。
仙人は女の子を哀れんで、自分の草の衣にこの女の子を包んで、住処に連れて帰った。
四季折々の木の実や草の実を拾ってきて女の子を育てた。
やがて、いつしか年月が過ぎて、この鹿の娘は十二歳になった。この娘に火を埋めさせて消させることがなかった。そのため、仙人の住処は火が絶えることがなかった。
ところが、ある朝のこと、火が消えてしまっていた。仙人は娘に言った。「わしは長年の間、この住処から火を途絶えさせることがなかった。それなのに、お前はどうして今朝火を消してしまったのか。今すぐ、あの北の岳の仙人のもとに行って、火種を貰ってきなさい」と。
鹿女(ロクニョ・女の子のこと)は仙人に教えられたように、北の岳の仙人のもとに行ったが、足を持ち上げる跡ごとに蓮華が生じた。
やがて行き着いて火種を乞うと、北の岳の仙人は、この娘が歩む足跡ごとに蓮華を生じるのを見て、不思議に思いながら、「娘さん、火種が欲しいのであれば、まずは我が家の周りを七周廻りなさい。その後で火種を差し上げよう」と言った。
娘は、言われるままに家の周りを七回廻ってから、火種を貰って南の岳の仙人のもとに返った。
さて、それから程ない頃、その国の大王が多くの大臣・百官を引き連れてこの山に入り、多くの鹿を狩ろうとしているうちに、この北の岳の仙人の家に行き着いたが、家の周りに蓮華が生えているのを見て、大変驚き褒め称えて仰せられた。「今日、我はここに来て珍しい物を見た。見事じゃ、見事じゃ。我は大変感動した」と。
仙人は王に申し上げた。「あれは、私の功績ではありません。この南の岳に仙人がおります。その仙人は、一人の娘を養育しています。その娘は端正美麗なこと並ぶ者とてありません。その娘が、今朝ほど、仙人の使いとして火種を取りにこの家にやって来ましたが、その時、足を上げるたびにその足跡に生じてきた蓮華なのです」と。
大王はそれを聞いて、その家から南の岳の仙人の住処に行かれて、仙人に話された。「そなたのもとに娘がいると聞いてきた。ぜひ、貰い受けたい」と。
仙人は、「私は貧しい身でありながら、一人の娘を育てています。差し上げるのに惜しむ理由はありません。ただ、今だ幼くして人との付き合いもありません。幼い時から深い山に住んでいて世間を知りません。草を織って衣服とし、木の実を拾って食物としてきました。また、この娘は畜生が産んだ子なのです」と申し上げた。そして、生まれてきた様子を詳しく申し上げた。
王はそれを聞いて仰せられた。「畜生が産んだ者だといえど、我は一向に差し支えない」と。
仙人は、王の仰せによって、娘を連れてきて奉った。
王は娘を請い受けてご覧になると、実に端正美麗なこと並々の者とはとても見えない。
そこで、すぐに香湯(コウトウ・香を入れた湯のことらしい。)でもって湯浴みをさせ、百宝の瓔珞(ヨウラク・首飾りや胸飾りの装身具。)でもってその身を飾り立て、大象に乗らせて、百千万の人々に前後を取り囲ませて、美しい音楽を奏でながら宮殿にお還りになった。
その間、父である仙人は、高い山の頂に昇って、遥かにこの娘が行くのを、身動きもせずに見送り、娘が遥か遠くまで去って見えなくなってから、もとの住処に返り、涙を流して恋い悲しむこと限りなかった。
大王は宮殿に還り着かれるとすぐに、娘を宮殿内に住まわせ、敬って第一夫人の地位につけて、鹿母夫人(ロクモブニン)と名付けた。すると、諸々の小国の王・大臣・百官が大勢やって来て、新しい夫人を見て喜び祝った。
王はその様子を見て心から喜び、ますます全く他の夫人たちを顧みることがなかった。
やがて、鹿母夫人は懐妊した。
王は、「もし男の子が生まれたならば、詔(ミコトノリ)して王位を継承させよう」と思われた。
月満ちて生まれるのを待っていると、一つの蓮華を産んだ。王はそれを見て、大いに怒って、「この后は、畜生が産んだ人間であるから、このような物を産んだのだ。極めて奇怪なことだ」と仰せられて、ただちに后の地位から外した。
そして、「その蓮華を速やかに棄てよ」と命じられて、池に棄てさせた。
命じられた人が、花を取って池に入れてみると、蓮華からは五百の葉が生じ、それぞれの葉ごとに一人の童児がいる。その姿は、みな端正美麗にして、世に並ぶ者とてない。
大王にこの事を申し上げると、王はそれをお聞きになると、王子をみな迎え入れられた。鹿母夫人をもとのように第一夫人に戻し、蓮華を棄てさせたことを悔いられた。
そして王は、大臣・百官ならびに小国の王・諸々の婆羅門(バラモン・古代インドの四姓制度の最上位に位置付けられる僧侶(司祭)階層。)を召して集め、五百の太子を抱かせた。また、大勢の占い師を召して、五百の太子の吉凶を占わせた。
占い師たちは、占なって「この五百の太子、みな尊い相をしておられます。間違いなく正しい教法の功徳によって世間に尊ばれることでしょう。国はその恩恵を受けることでしょう。もし在家(ザイケ・世俗の生活を営む人。)の身であれば、鬼神がその人を護り、もし出家の身であれば、生死(ショウジ)の海を断じて、三明六通(サンミョウロクツウ・阿羅漢果を修得した聖者が身につけているとされる超能力。)を得て、四道四果(シドウシカ・成道に至る四つの道と、究極の悟りに至る修行によって得られる四つの成果。)を身につけられるでしょう」と申し上げた。
大王は、占い師の言葉を聞いて大いに喜ばれた。国内から五百人の乳母を選んで召し出して、それぞれに養育させた。
やがて、太子たちはしだいに成長して、全員が出家を希望した。父母は、占い師の言葉に従って全員の出家を許した。そこで、五百人の太子は、全員が出家して、宮殿の後ろにある庭園に住んだ。そして、修業に努め、辟支仏(ビャクシブツ・仏に一度聴法した後、山林などに籠ってひたすら観想を行じ、独学自修して悟りを得た聖者の称。)となった。
このようにして、次第に四百九十九人の王子は仏道果を得た。父母の前にやって来て、「我らは、すでに仏道果を修得しました」と言って、様々な神変(ジンペン・神通力によって起こす種々の不可思議な現象。)を現じて般涅槃(ハツネハン・完全な涅槃という意味で、入滅を指す。)に入った。そこで鹿母夫人は、四百九十九の舎利塔を建てて、その辟支仏の骨をそれぞれに納めて供養した。
その後、あと一人の一番小さい王子は、九十日遅れて辟支仏となって、同じように父母の前にやって来て、大神変を現じて涅槃に入った。
鹿母夫人は、また、その王子のために一つの舎利塔を建てて、前と同じように供養した、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
卵から生まれる ・ 今昔物語 ( 5 - 6 )
今は昔、
天竺の[ 欠字。「般沙羅」らしい ]国に大王がいた。般沙羅王(ハンシャラオウ)という。
その后が、五百の卵を産んだ。大王はそれを見て、不思議に思った。后も自ら恥じて、小さな箱に入れて、使いの者に恒伽河(ゴウガガワ・ガンジス川。)に流した。
たまたまその頃に、隣国の王は漁に出て歩いていたところ、あの卵を入れた箱が川を流れて行っているのを見つけて、取り上げて開けて見ると、五百の卵が入れられていた。
王はそれを見ると、棄てることなく王宮に持ち帰って置いていたが、数日経った頃、この五百の卵から、それぞれ一人ずつの男の子が出てきた。王はそれを見てたいへん喜んだ。
この王には子供がいなかったので、生まれてきた子を大切に養育し可愛がっていたが、五百人の王子たちは次第に成長して、全員が心が勇猛で武芸の道に達していった。国内には、この五百の王子たちに肩を並べる者がいなくなった。
ところで、この国は、もともと彼(カ)の般沙羅王の国とは敵対関係にあったので、この五百の王子の武勇を得て、これを以て彼の国を攻めようと思って、まずは彼の国に使者を送って、「勝負を決しよう」と伝えた。
その後、軍勢を整えて彼の国に進軍し、その城を囲んだ。
そのため、般沙羅王は大いに恐れ嘆かれた。すると、后は「王さま、決して恐れることはございません。と申しますのは、あの敵国の五百の軍勢というのは、全員がこのわたしの子なのです。子が母を見れば、親の国を滅ぼそうという悪心は、自然に消えてしまうものです。あのわたしが産みました五百の卵が、彼らなのです」と言って、その時のことを語った。
軍勢が城に向かおうとした時、后は自ら高楼に昇って、五百の軍勢に向かって「そなたたち五百人は、皆この私の子供なのですよ。わたしは先年、五百の卵を産みました。その時は、恐ろしく思って恒伽河に流しましたが、隣国の王がそれを見つけて持ち帰り、養育したのがそなたたちなのです。どういうわけで、今、父母を殺して逆罪を造ろうとしているのですか。そなたたちが、もしわたしの言う事が信じられないのであれば、皆それぞれが口を開いてわたしに向かってきなさい。我が乳をもみさすれば、その乳は自然にそなたたちの口に入るでしょう」と言って、誓いを立てて乳をもみさすった。
五百の王子たちはこれを聞いて、全員が高楼に向かって立っている口ごとに、同時に乳が入っていった。そこで五百の王子たちは、皆この事を信じて、畏まり敬って軍勢を引き返して行った。
それから後は、この二つの国は互いに仲良くなって、戦い合うことはなくなった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
我が身を食わせる ・ 今昔物語 ( 5 - 7 )
今は昔、
天竺の波羅奈国(ハラナコク・古代インドの十六大国の一つ。)に大王がいらっしゃった。
この大王が寝ておられる間に、王宮を守る神が現れて大王に告げて、「羅睺(ラゴ)大臣が現れて、王位を奪うために大王を殺そうとしている。速やかに国境から出て逃げ給え」と言った。
大王はこれを聞いて、恐れおののいて、后・太子と相談して国境を出て逃げて行ったが、心が錯乱しうろたえてしまって、脱出路のうち四十日かかる道に入ってしまった。その道は険しくて、堪え難いほどである。もっとすばやく国境を抜けることが出来る道を行くつもりだったので、飲み水がなくなり喉が渇いて死んでしまいそうになる。いわんや、食料も堪えてきて、命をつなぐことも難しくなってきた。
そこで、大王と后は、大声をあげて叫び嘆きながら思ったことは、「我らは三人とも間もなく死んでしまう。どうせ死ぬのであれば、夫人(ブニン・貴人の妻のことで、ここでは后を指す。)を殺して、その肉を取って食べ、我と太子の命をつなごう」ということであった。
剣を抜いて夫人を殺そうとした時、太子は父である王に言った。「私は母の肉を食べることは出来ません。されば、私の肉を父上母上に奉りましょう」と。
王は飢えに堪えることが出来ず、太子の申し出を受け入れて、体の肉を切り裂いた。進まねばならない道はまだ遥かに遠く、さらに手足の肉を切り取って父母に与えた。体の肉は臭くて、その匂いは遠くまで届いた。そのため、蚊や虻が競って飛んできて、全身にまつわりつき、さらに喰いつく。苦しいこと限りなかった。
太子は、「願わくば、私は来世において無上菩提(ムジョウボダイ・一切の煩悩から解放された最高の悟り)を得て、あなた方の飢えの苦しみを救おうと思います」と申し上げた。
そうしている間に、太子を捨てて父母は去っていった。
その時、帝釈天は、狂暴な獣に変じてその所にやって来て、太子の体の残っている肉に喰いついた。すると太子は誓いを立てて、「願わくば、私のこの捨てがたい身を捨てる功徳によって、無上菩提を得て、一切の衆生を救済しようと思う」と言った。
すると帝釈天は、本来の姿に戻って仰せられた。「汝は極めて愚かである。無上道は長い苦行を積んでこそ得られるものである。汝がその身を布施にしたところで、無上道に至ることなど出来ない」と。
太子は、「私がこの誓願において、偽りたぶらかすようなことがあれば、私の体は決して元通りにはならないでしょう。もし真実の言葉であれば、我が身はもとのように回復するでしょう」と言った。
すると、太子の体は、切られ食われた肉はものとのように回復した。姿形の美しいことはこれまでより数倍勝っていた。すぐ起き上って、帝釈天を礼拝申し上げた。その後、帝釈天は掻き消すように姿が消えてしまった。
父の大王は、隣国の王のもとに行き着いて、この事を話されたところ、隣国の王は同情して、四種(シシュ・・古代インドの軍制で、象兵・馬兵・車兵・歩兵の総称。)の軍団を組織して羅睺大臣を攻めた。そして、遂に攻め滅ぼして、父の大王は本国に還り元通り王位に就いた。
この太子の名は、須闡提太子(スセンダイタイシ)と言う。現世の釈迦仏はこの人である。羅睺大臣というのは、現世の提婆達多(ダイバダッタ・釈迦の従弟。後に教団を離れて仏敵視された人物。)はこの人である、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆