雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

天空に舞う  目次

2010-09-12 10:42:10 | 天空に舞う

      目  次


第一章  萌え出づる頃     第一回 ~ 第六回


第二章  それぞれの旅立ち  第七回 ~ 第十六回


第三章  予期せぬ運命     第十七回 ~ 第二十四回


第四章  新しい出会い     第二十五回 ~ 第三十四回


第五章  激動の時        第三十五回 ~ 第四十二回


第六章  巡り巡りて       第四十三回 ~ 第五十三回


第七章  運命の人        第五十四回 ~ 第六十三回


第八章  天空に舞う       第六十四回 ~ 第七十四回

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天空に舞う   第一回

2010-09-12 10:38:33 | 天空に舞う

『 天空に舞う 』


   第一章  萌え出づる頃  ( 1 )


神戸の街は、北側を山並に護られているようにして広がっている。


かつて、平清盛が福原に都を移そうと画策したのも、大輪田の泊と呼ばれるわが国屈指の良港が、貿易港として大きく羽ばたくことに夢を託したのだといわれている。
清盛の夢は虚しく消え去ってしまったが、この地が貿易港として優れていることには変わりなく、近代から現代にかけてわが国屈指の貿易港としての発展を遂げている。


神戸の街は、その発展過程から港町としての印象が色濃いが、今や百五十万人を超える人口を擁する大都会で、当然多種多彩な顔を有している。


現代神戸の中心地は、JRの駅でいえば三宮から神戸に至る辺りだが、中心地を含め街全体が全面は海に面し後背は六甲山系の山並みに護られているのである。
もっとも、現在の神戸市ということになれば、この六甲山系の山並みも包含されており、さらに北神戸といわれる辺りの開発や発展は特に著しい。


この東西に長い神戸の街を俯瞰し、西に目をやれば、古代歌枕として名高い須磨から源平合戦の舞台を経て明石に至る。
一方東に向かえば、神戸市東部から芦屋、西宮の関西屈指の高級住宅地として知られる地区になる。戦前は大阪や神戸の豪商たちが競うようにして居宅や別荘を構えたが、昭和三十年代以降は大阪のベッドタウンとしての人口増加が著しい。
そして、六甲山系の山並みが終わる辺りが西宮市である。


西宮は古くから日本酒の醸造地として知られ、すでに江戸時代にはこの辺り一帯で醸造される酒は「灘の酒」としてわが国を代表する高級清酒として認知されていた。
近年でいえば、春と夏の高校野球や阪神タイガースのホームグランドである甲子園球場が全国に知られている。しかし、西宮市全体の特徴としては、むしろ静かな佇まいを見せる街という感が強い。


若葉が萌え出づるような青春の時、四人の若者が友情を育んだ高校は、この街の高台にある。


   ***


その高校では毎年十月の上旬に体育祭が行われており、二学期が始まると同時に準備に入るのが恒例となっていた。
九月早々には、体育担当の教師二人と生徒会の役員を中心とした生徒十六人で構成される運営委員会が設置され、準備が進められることになっていた。


運営委員会の委員長は生徒会長が就くが、生徒会の役員だけでは人数が足らないので、二年の各クラスから最低一名は加わるように委員を選出していた。
この高校は大学に進学する生徒が過半を占めていることから、生徒会の役員は夏休みの終了をもって三年生から二年生に引き継がれることになっていた。
新しい生徒会メンバーにとって、体育会の運営が最初のイベントになる。


新しく生徒会長になったのは、水村啓介と親しい男子生徒だった。
一年の時に同じクラスだったことと、クラブ活動でも同じだったことから親しくなっていて、彼が生徒会長を引き受けるにあたって啓介に協力を求めたのである。
二人は共にクラブ活動を断念して、生徒会活動に専念することになっていた。


三沢早知子は中学時代からリーダー的な活動をすることが多かったが、生徒会メンバーに加わったのには啓介の影響があった。


古賀俊介と大原希美は、これまではリーダー的な立場に就くことがあまりなかったが、啓介と早知子の推薦があり運営委員として加わることになった。


運営委員会には二人の教師が相談役として加わっていたが、実際の運営は殆んど生徒たちに任されていた。
競技種目の選定、プログラムの決定、警備の問題、賞品、プログラム表の作成、それに載せる広告の依頼など、どれも簡単なことではなかった。体育祭当日の運営が最も大きな課題であることは確かだが、そこに至るまでの苦労も大変なのである。
大部分のものは引き継ぎを受けた前年までの記録をベースに進められるが、これまで経験していないことも多く簡単な仕事ではなかった。


運営委員になった十六人も、全員が親しいということでもなかった。
一学年の生徒数が三百五十人程なので面識ぐらいはあるとしても、一度も話をしたことがない者同士もいた。
中学が同じであったとか、高校で同じクラスになったとか、クラブ活動が同じなどという以外は、親しくなる機会は意外に少ない。


体育祭の準備から終了するまでの一か月程は、運営委員全員が慌しい状態が続いたが、同時に充実した日々でもあった。

生徒会長も啓介も夏休み前までは剣道部に所属していたが、生徒会の役員を引き受ける決心をした段階で退部していた。二人とも高校に入ってから始めたこともあって、対外試合のレギュラーになるには実力不足だった。それに、団体戦もあるにはあるが剣道が個人競技であることも退部しやすかった。
生徒会の役員でクラブ活動を続けている者は、両立させるのに苦心していた。特に体育祭の準備中は、クラブ活動に参加できない状態が続いていた。


生徒会の役員に限らず運営委員全員が、クラブ活動やその他の活動にかなりの制約を強いられたが、その代償のようにメンバー間の連帯感が強まり、貴重な青春の時を刻むことができたともいえる。
特に、啓介、俊介、早知子、希美の四人にとっては、固い絆で結ばれる切っ掛けになったのはこの活動だった。


 


 


 

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天空に舞う   第二回

2010-09-12 10:37:43 | 天空に舞う

   第一章  萌え出づる頃  ( 2 )


水村啓介と古賀俊介は、中学時代からの親友である。小学校は別だったが中学で同じになり、一年の時にクラスが一緒になった。
二人が無二の親友という関係を続けることになるのには、ちょっとした二つの事件があった。


最初の出来事は、中学生になって間もない日本史の時間に起きた。
日本史の教師は、新学期が始まったばかりのこともあって生徒の名前をフルネームで呼んでいたが、たまたま二人に続けて指名した後、「このクラスには、介が二人も居るんだな」と、いやに感心した表情で二人を見比べたのである。
教室内は大笑いとなったが、これが二人を結びつける切っ掛けになった。


実は、二人とも自分の名前があまり好きではなかった。
「何々の介」という程ではないにしても、「介」という字は古めかしい気がするからだ。啓介にしろ俊介にしろ、ありふれた名前だと思っていたのだが「介」の文字を使っている名前の子供は、この頃意外に少なかった。


二人とも漠然とそのような意識を持っていたので、このことが二人の間に不思議な連帯感のようなものを植え付けることになったのである。


そして、日本史の授業から間もない頃に、クラス内で喧嘩が起きた。
その中学校は三つの小学校が集まって構成されていたが、新入生たちが小学校の出身者同士がグループになって小競り合いを起こすことが時々あった。

その喧嘩も、男子生徒二人が些細なことで始めたものだったが、それぞれに互いの出身小学校の生徒が加勢に加わり、騒ぎが大きくなりかけていた。
その時仲裁に入ったのが啓介だった。学級委員を務めていた立場からの口出しだったが、いつの間にか喧嘩をしていた双方の生徒と啓介という対立になってしまったのである。


啓介には不運な成り行きだったが、もともと彼には同年代の子供に比べて大人びたところがあった。
喧嘩の仲裁でも大人が子供をたしなめるような態度が見えたことが、相手を刺激したようである。啓介は背丈はあるが細身であまり強そうではなかったが、弁は立った。そのことが騒ぎに油を注いでしまい、十人ばかりを相手に孤立した戦いになろうとしていた。
その時、双方の間に入ったのが俊介だった。


俊介は小学校時代からの悪ガキだった。
中学では悪名高いバレーボール部に属していた。俊介と積極的に喧嘩をしたい者はクラスの中には居なかったので、騒ぎはあっという間に収まった。
啓介も安易に口出ししたことを詫びたので、相手となった二つのグループも変な立場となり、全て水に流すということで終息することができた。


その日の夕方、啓介は俊介がクラブの練習が終わるのを待っていて、帰り道で昼間の礼を言った。
その時俊介は「なに、俺こそ口出しして悪かったな」と応えたのである。
啓介は、粗雑な男と思っていた俊介の気遣いが嬉しく、俊介も率直に礼を述べることができる啓介に好感を持ち、この日以降二人は、「啓介」「俊介」と呼び合う仲になり、今も続いているのである。


しかし、中学時代の二人が一緒に過ごす時間は多いものではなかった。
二年の時はクラスが別になり話す機会が少なくなっていたし、放課後も俊介はクラブ活動に忙しかった。三年で再び同じクラスになると、今度は一年の時以上に友情が深まっていった。
それでも、中学時代の二人の活動の場は、交友関係も含め正反対に近いものだった。


啓介はどちらかといえば物静かな方だった。理詰めで物事を考えるタイプで、勉強も行動も計画的だった。
小さい頃から乱暴な振る舞いをするようなことは少なく、少々理屈っぽいところもあったが自分の考えを押し付けることはなかった。むしろ、自分の考えを積極的には表さない方だった。


性格としては積極的なタイプではなかったが、推されると辞退するようなこともなく、クラスや学校全体の行事の世話をしたり委員に就くことも多かった。
学校の成績は小学校以来トップクラスにあり、予習復習なども着実に行い試験の成績も安定していた。運動の方はあまり得意ではなかったが、授業で行われる程度のスポーツは無難にこなしていた。中学では運動クラブに属することはなかったが、なぜか長距離走だけは強く、冬季に行われる校内のマラソン大会では常に上位に入賞していた。


一方の俊介といえば、体格からして見るからに頑丈そうで、スポーツは何をさせても目立った。
小学生の時に三年ばかり空手を習っていたが、中学に入るとバレー部に入部した。体付きからいえば格闘技の方が似合う感じだが、同じ空手道場に通っていた上級生が数人バレー部に居たことから誘われたのである。
この中学のバレー部が悪名高いと陰口されるのは、部員の半数近くが校外で格闘技を習っていたからで、校内で乱暴が目立っていたというわけではない。


俊介の性格は明るく細かなことには拘らなかったが、その分粗雑な行いも多かった。
男気のある人物に憧れをもっていて、自分もそのように行動するような所があった。小学生の頃には、小さい子がいじめられていると必ず助けに入った。俊介の行動基準は、物事の成否より、弱い者をいじめるのが最も悪いという考えに基づいていた。

勉強の方はあまり好きではなかったが、学校の成績は決して悪くはなかった。
ただ、どうしても必要なこと以上のことはしなかったから、啓介とはかなり差があった。


このように、二人は対照的な性格であり交友関係も重ならない部分の方が多かったが、中学を通して友情が途切れることはなかった。
特に三年生の後半に、俊介が啓介の志望校を目指す気になってからは、一緒に勉強する機会が増えていった。 

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天空に舞う   第三回

2010-09-12 10:37:06 | 天空に舞う

   第一章  萌え出づる頃  ( 3 )


水村啓介と三沢早知子との仲はもっと長い。
若い二人の仲を長いと表現するのも大袈裟だが、小学三年生の時からの親友である。
小学生の男の子と女の子が仲好しだということは、周囲からからかわれたり悪く言われたりすることが多いので本人たちも隠すものだが、二人にはそのようなところがなかった。


二人が初めて会ったのは、小学三年の始業式の時である。二人とも転入生として、同じクラスに編入されたのだ。
その小学校では三年生になる時にクラス替えがされなかったので、転入してきた二人が疎外されているような気持ちが消えるまでに時間を要した。そのことも二人が特に親しくなっていく大きな原因になった。


しかも二人の住居は同じ区画にあった。地元の不動産業者が開発した住宅地に殆んど同時に移ってきたからである。
そのため、啓介と早知子だけでなく母親同士も親しくなり、家族ぐるみの交際が続いている。
啓介の家族は、以前は尼崎市に住んでいた。西宮市に隣接した街である。早知子の家族は大阪に住んでいたが、どちらも西宮という名前に魅かれて新しく開発された街に移ってきたのである。


啓介には妹がおり、早知子には兄と弟がいた。
啓介の妹の和子と早知子の弟の政彦も同学年だったが、新しい街に移って来た時は小学校に入る前の年で、小学校へは他の子供たちと同じように入学できたこともあり、特別仲良くするようなことはなかった。


啓介と早知子は学校で話をすることはそれほどなかったが、家では学校のことなどで連絡を取り合うことがよくあった。
早知子の方が二か月程先に生まれていたことが関係していたかどうか分からないが、どちらかといえば早知子がリードする部分が多かった。


啓介は大人しい子供であり、早知子の方は活動的で利発な子供だった。男兄弟に挟まれているためか、はきはきとしていて男の子のようだと両親には言われていた。
それと、男の兄弟だけだったためか啓介の妹の和子をよく可愛がった。


啓介が早知子の家で遊ぶことはあまりなかったが、早知子が啓介の家を訪れることはよくあった。和子と遊んでやることが中心だったが、夏休みや冬休みが終わる頃には、二人で宿題を仕上げることは毎年のことだった。


二人は成長と共に、それぞれの友達との時間が多くなっていったが、何かの時には当然のように連絡し合い相談し合う関係はずっと続いていた。
高校進学についても、早知子が県立高校を選んだのは、啓介からの影響が大きな比重を占めていた。早知子には別の高校への進学を考えた時もあったのだが、啓介と別の学校を選択することはできなかった。


啓介の家族は両親と妹との四人で、父の秀介は大手の繊維会社に勤務していたが、西宮に転居する少し前に子会社に移っていた。建材を扱う子会社は業績も良く、また悪い条件での転籍ではなかったが、秀介にとっては挫折感が伴う辞令だった。

古い歴史をもつその繊維会社の人事は、古典的なものがベースになっていて、大学を出ていない秀介には逆風となる社風を持っていた。
中間管理職といわれる辺りまでは学歴など無関係なように見えたが、それから上は彼には納得できないような人事が多かった。
取締役やその候補生とみられる部署は、限られた大学の出身者で占められていることは社内の常識だった。その下に続く管理職でも少なからぬ影響があるのは当然のことといえる。
秀介の転籍には、将来に対する不満から自ら希望した部分もあった。


子会社の社長も主流から外れている人物で、本来なら子会社といえども直系の会社の社長になるのは難しいと噂されていたが、その会社の業績建直しの中心人物だったことから抜擢されていた。
秀介は声をかけてくれたその社長の下で働くことを選び、心機一転の気持ちもあって、転籍により支給される退職金で自宅購入に踏み切ったのである。


秀介には息子を良い大学に行かせたいとの思いが強かった。息子の啓介には、将来どのような道に進むにしても、対等に戦えるだけの学歴をつけてやりたいと考えていた。
父の強い願いは少年期の啓介に大きな影響を与えたが、それにもまして、心機一転のため転居を決意したことが、啓介を早知子と結びつける運命を呼び寄せたともいえる。


 

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天空に舞う   第四回

2010-09-12 10:36:32 | 天空に舞う

   第一章  萌え出づる頃  ( 4 )


大原希美が西宮市に移ってきたのは、中学三年の時である。
それまでは大阪市の南部にあたる街で生まれ、ずっとそこで育ってきた。
希美の母は、この数年入退院を繰り返していたが、闘病の甲斐なく帰らぬ人となった。病が重篤であることは希美も承知していたが、やはりその死は突然という思いだった。


その後は、通いの手伝いの人を頼み、父と娘の二人で半年ばかり生活していたが、何かと不便なことや防犯上のこともあって、父の実家に移ることになったのである。


父の実家、つまり希美の祖父の家は、西宮市の阪急仁川駅の近くにあった。
希美は幼い頃から祖父の家に来る機会が多かった。希美の父は長男であり祖父の事業を継承していたので、いずれはこの家に帰ってくることになっていた。
もともとの予定では、希美が中学を卒業するのを待って移る計画だったが、母の死去により半年早い移転となった。


大原家は、明治の中頃から大阪で商売を営んでいた。
開業以来雑穀を中心に取り扱い、規模も順調に拡大していたが、太平洋戦争の戦火で住居も店舗も失ってしまった。その後しばらくは地方の農家を頼って引きこもっていたが、終戦間もなく、大阪市の北部にあたる十三の近くで雑穀を中心とした食料品店を開いたのが、現在の事業の出発点となった。


希美が仁川の家に移ってきた頃には、電気製品を中心に取り扱う業種に変わっていて、大阪府内を中心に十店舗ほどの支店を展開していた。

希美には兄がいたが、この頃は東京の大学に在籍していた。兄は希美より六歳年長だったが、この年代の六歳は大きな差である。
希美の家族は、祖父母と古くからいる住み込みのお手伝いのヨシ子さん、それに移ってきた希美と希美の父親の五人である。これに希美の兄が帰郷の時には加わることになる。
祖父の住居は相当広いもので、希美父子が同居するのに何の差し障りもなかった。


中学三年で西宮に移ってきた頃は、希美にとって大変苦しい時期だった。
母を亡くしてまだ半年ほどしか経っていなかったし、兄は東京に居り、一人っ子と変わらない状態だった。父は仕事に忙しく、帰宅は遅く出張も少なくなかった。
大阪の家の時は、夕方の三時間ほどは手伝いの女性が来てくれていたが、そのあとはいつも一人だった。父が出張の時は祖母が泊りに来てくれていたが、そのような不便さもあって中学の途中で西宮に移ることになったのである。


しかし、西宮での生活には新たな淋しさが希美を襲った。学校の友達がいなくなったからである。
希美はもともと大人しい性格で、やや引っ込み思案な面をもっていたが、母を亡くした後はその傾向がさらに強くなっていた。学校での友達も多い方ではなかったが、大阪の学校では支えてくれる友達が何人かいた。西宮に移ってからは、挨拶以外に話す友達はいなかった。


希美が編入されたのは早知子のクラスだった。
その頃の早知子はクラスの中心的な存在で、華やかな雰囲気をもっていた。新しく入ってきた希美を気遣ってか、早知子から何回か声をかけられたが、眩しいような存在に感じられ親しくなれなかった。
早知子の方も、希美が深刻なほど淋しい状態にあるなど感じていなかったので、無理に誘うようなことはしなかった。


二人が親しくなったのは、希美が転入してからひと月程過ぎた日の出来事が発端だった。
早知子は放課後二時間ばかりテニスの練習をしていたが、その日は朝からの雨で練習が中止になり、授業が終わるとすぐに教室を出た。その時、少し先に校門を出ようとしている希美の姿が見えた。
その姿が、いかにも淋しげに早知子には見えた。


早知子は一緒に帰ろうとしていた友達に断って、希美の後を追った。誰かに苛められて泣いているのではないかと思ったのである。


「元気ないみたいね」
早知子は希美の横に並んで声をかけた。
希美は泣いているわけではなかった。


「えっ? あら、三沢さん」
希美は眩しいものでも見るように早知子の顔を見た。
「何だか、とぼとぼ歩いているみたいよ」
早知子は遠慮なく言葉を続けた。


「そうお? 雨が降っているからじゃないかしら」
「そうだといいんだけど、何だか、家に帰りたくないような歩き方よ」
「別にそういうわけじゃないけど…。帰っても仕方ないしね…」
「どうして? 家の人と喧嘩でもしたの?」
「・・・」
希美はただ激しく首を横に振った。


早知子は、まずい質問をしたかな、と一瞬思った。中学三年の女の子はもう子供ではないということは、いつも自分が思っていることである。実社会での経験が乏しいとしても、人生について考え悩み苦しむことでは、どんな年代よりも真剣な世代だと思っていた。
希美の心に、土足で入ってしまったのではないかと思ったのである。


二人は無言のままで並んで歩いた。
朝から降り続いている雨は、霧雨のようになっていた。泣いているような雨だと、早知子は思った。

「お家、近かったよね」
「ええ、この先を下った所」
「寄ってもいい?」
早知子の言葉に、希美は歩みを止めた。


「いいの?」
「いいのって・・・、わたしがお邪魔するのよ」
「帰るの、遅くなってもいいの?」
「大丈夫よ。それより、急にお邪魔しても迷惑じゃない?」
「そんなの、大丈夫よ。本当に寄ってくれるのね」


希美は早知子の顔を真っ直ぐに見つめた。
早知子がうなずくと、それを合図のように二人は歩き始めた。希美の歩くスピードが明らかに変わっていた。


西宮市と宝塚市を分けるように流れている仁川に近い、古くからの住宅地の一角に希美の住居はあった。


早知子は、初めて見る大原家の豪壮な建物に圧倒されるのを感じながら、足を踏み入れた。
今風の様式ではなく、建築されてかなりの年月が経っていると思われるが、重厚な感じは中学生の早知子にも伝わってきた。


正面に立派な門があり、その横の通用口から入ると希美は玄関のチャイムを押した。
玄関の扉が開くと、中年の女性が出迎えた。


「お帰りなさい。あら、お嬢さん、お友達もご一緒ですか?」
出迎えた女性は実に嬉しそうな表情で、早知子に来客用のスリッパを揃えた。


「お友達の三沢さんです。わざわざ寄ってくれたの」
希美は、自分のことをお嬢さんと呼んだ女性に、誇らしげに早知子を紹介した。
学校では見せなかった明るい声である。反対に少しおどおとした口調で挨拶する早知子の手を取って、引っ張るようにして部屋に案内した。


案内された部屋は、玄関から廊下を隔ててすぐの大きな洋室だった。そこは居間らしいのだが、片側に十人ほども座れる大きなテーブルがあり、もう片側には応接セットが置かれていた。
そして、早知子が希美に勧められてテーブルの方の椅子に座ると、まるで早知子の訪問を予期していたかのような素早さで、先ほどの女性が紅茶とケーキを運んできた。


希美は、一端座らせた早知子を洗面所に案内し「いつも手を洗わなくて、ヨシ子さんに叱られるの」と悪戯っぽく笑った。
そして、再びテーブルに戻ると、早知子にケーキを勧め、自分は部屋を出ていった。
きびきびと動く姿に早知子は驚くばかりだった。おっとりとしていて、悪く言えば動きが鈍そうなイメージを持っていただけに、希美の本当の姿を見た気がしていた。


間もなく希美は戻ってきたが、彼女の祖母を連れて来ていた。
祖母にあたる人は、和服姿の落ち着いた感じの人だった。そして、早知子が応対に困るほど丁寧に、寄ってくれたことを繰り返し礼を言った。


このあと二人は、二階にある希美の部屋で長い時間話し合った。
学校のこと、家族のこと、将来のこと・・・、時間が過ぎるのを忘れたかのように二人は話し続けた。希美が最近母を亡くしたことを早知子が知ったのも、この時だった。


その日早知子は、とうとう夕食をご馳走になることになってしまった。そのことについても、希美の祖母はわざわざ電話に出て、早知子の母親に了解を取ってくれるとともに、繰り返し礼を述べていた。
沈んでる希美を心配していた祖母は、早知子の訪問がよほど嬉しかったのだと思われる電話だった。


この日を機に、早知子と希美は特別に仲の良い関係になっていった。
希美にとっては、とても淋しい状態にある時に早知子が声をかけてくれたということになるが、早知子にしても、これまでの友達とは違う深いところまで心を開けるものを希美に感じていた。
性格からいえば、二人はむしろ対照的な面が多かったが、親友というものは、そのようなこととは関係なく結ばれる何かがあるのかもしれない。


これ以後は、三日に一度位の割合で希美の家でおしゃべりをした。
最初の日のように遅くなることは少なかったが、土曜日などは遅くまでいて食事をご馳走になることもあった。
また、最初から食事が目的で招待されることもあり、遅い時間になる時は、お手伝いのヨシ子さんが車で早知子の家まで送ってくれた。
その時は希美も車に同乗して、早知子の家に着くまでの僅かな時間も惜しむかのように話し続けていた。


希美が早知子の家を訪れることも何度かあったが、学校からの距離の関係もあって、希美の家に寄ることの方が多かった。
学校では二人だけで長い時間話すということは少なかったが、仲間の輪に希美も加わるようになっていった。
しかし、希美の家を訪れる時は、いつも早知子一人だった。

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天空に舞う   第五回   

2010-09-12 10:35:57 | 天空に舞う

   第一章  萌え出づる頃  ( 5 )


水村啓介と古賀俊介、三沢早知子と大原希美、そして、水村啓介と三沢早知子。この三組の友情は、中学生活が終わる頃にはすでに固く結ばれていた。

四人は、互いに影響を与えあい、あるいは受けあって中学生活最後の半年を過ごした。
年齢から考えて、重要な事柄について本人の選択による部分は少ないように思えるが、高校進学ということだけを考えてみても、彼らにとって決して軽いものではなかった。


高校進学について、何の迷いもなかったのは啓介だった。目指している県立高校は、中学に入った時からの志望校だった。
啓介の狙っている進路は、さらにその先にあった。父親からの影響と思われるが、県立高校は東京の大学に入学するための通過点でしかないと考えていた。


この啓介に影響を受けたのが俊介だった。
俊介も高校への進学を考えていたが、特に志望校というものはなかった。乱暴な言い方をすれば、入れるところへ行けばいいと考えていた。

勉強が好きだとか嫌いだとかといった分け方には無理があると思うが、俊介はテストのために勉強することが苦手だった。勉強などは授業だけで十分で、それで身に着くようにできていなければシステムがおかしいと思っていた。
宿題などというものは、授業で教えきれない教師の責任転嫁だとよく口にしていた。もちろん冗談としてだが、本音の部分もあった。

しかし、三年で再び啓介と同じクラスになり親しさが深まるとともに、同じ高校へ進みたいという思いが強くなっていった。
ただ、思うのは勝手だが、俊介の場合は学力が問題だった。二学期に入ってからは啓介と勉強する時間が増え、テストの成績がこれまでと違って気になるようになっていった。


早知子と希美は、難しい選択を迫られていた。
希美が父の実家に戻ってきたのは、母が亡くなったことにも原因があったが、戻ってくることは以前から決まっていた。母の死により時期が少し早くなっただけである。


その理由は、希美の父が祖父の後継者だったこともあるが、希美を西宮にある女学校に入れるためでもあった。その女学校は名門として名高く、希美の母の出身校だった。
祖父母は、本当は中学校から入学させたかったのだが、希美の母が病気がちで、診てもらっている病院の関係で転居が難しかったのである。
予定を早めたため中学途中での転校という予定外のことが起こったが、高校はその女学校を受験することになっていた。


母の死、転校という厳しい変化について行けず、苦しい状態だった希美は早知子に出会った。そして、短い期間の間に掛替えのない親友になっていった。
しかし、高校進学という目前の進路を考えた時、大きな決断を迫られることになった。


早知子と出会うまでは、その女学校を受験することに希美は何の疑問も持っていなかった。当然に自分が進む道だと考えていたし、そのための勉強もしてきていた。
しかし、県立高校を目指している早知子と同じ高校へ進みたい思いが募っていった。


早知子も同じような悩みを抱いていた。
早知子は積極的な考え方や行動力をもっていて、その明るい性格もあって友達も多い。親友といえる人も何人かいた。

しかし、希美との出会いは早知子にとっても大きな出来事だった。噂話や芸能関係の話だけでなく、将来のことなどを真剣に語り合える友達に出会えたと感じていた。高校への進学などについては、友達間で話し合う機会も少なくなかったが、希美とは、それ以上のこと、大きく言えば人生についてさえ真剣に話し合える仲になっていた。


早知子の志望校は、啓介と同じ県立高校だった。親しい友達の中には私立高校を希望している者もいたが、啓介と同じ高校に進む以外のことは考えたことがなかった。
そのことについて啓介と約束したわけではないが、同じ高校に揃って進むことは当然のことだと二人とも考えていた。


しかし、希美との出会いで、早知子の心に迷いが起きていた。希美との同じ女学校へ行きたいという思いだった。
ただ、そのことを具体的に考えると、幾つかの障害もあった。


一つは学力のことである。志望している県立高校については十分大丈夫だと担任の教師から言われていたが、女学校を受けるとなると不安があった。何分急な変更で、それなりの対策も必要だと思われるが受験日までの時間が少なかった。
かなりレベルが高いという噂であるし、希美の学力は早知子より大分上だった。授業などでは目立たないが、テストになるとクラスで群を抜いていた。希美の前の学校と自分たちとはレベルが違うのではないかと思うほどだった。


もう一つは経済面のことだった。早知子の家庭が特別貧しいわけではないが、兄や弟のことを考えれば、なるべく公立高校へ行って欲しいというのが両親の本音だった。
早知子に家の経済状況が分かるわけではなかったが、普通のサラリーマン家庭が三人の学生を抱えることの大変さはある程度理解できた。


そして、早知子に最後の決断をさせたものは、やはり、啓介と離れるわけにはいかないという思いだった。


希美は早知子が進路で悩んでいることに気付いていた。それが、自分の志望校が確定していることに原因していることも承知していた。二人の友情を守るために一方的に早知子を悩ませてはならないと考え、県立高校への進学を父に訴えた。


女学校へ進学することは、希美にとっても切実な願いだった。
母が生きていれば、もっと簡単に県立高校に志望変更していたが、母がいなくなった今は、母が若い日に学んだ学校へ入学したいとの思いが遥かに強くなっていた。


母を亡くして間もない中学三年生には苦しい決断だったが、女学校を断念して県立高校に進む道を選んだ。早知子との友情を大切に思う気持ちの方が勝ったからである。

早知子とは志望校について何度も相談し合っていた。一緒に女学校に入学した場合のこと、一緒に県立高校に入学した場合のこと、二人が別々の高校に進んだ場合のこと、それぞれの場合の生活について語り合い、どのような形になっても今の友情は変わらないことを何度も何度も確認し合っていた。


しかし、いくら変わらぬ友情を確認し合っても、別の学校に進んだ場合の不安は消すことができなかった。今の自分には、早知子を失うことなどできないことがよく分かっていた。


結局希美は、父や祖父母を説得して県立高校に進学することになったが、説得が簡単だったわけではなかった。
特に父の反対が強かったが、祖母が味方になってくれて父や祖父を説得してくれたのである。
希美にとって早知子の存在がどれほど大切か、祖母には痛いほど分かっていたのだ。大学に進学する時には、必ずその女学校を選ぶということで家族全員が承知してくれたのである。


結果としては、四人は揃って県立高校に進学したが、その陰には中学生とはいえ少なからぬ努力や葛藤があったのである。 

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天空に舞う   第六回

2010-09-12 10:35:16 | 天空に舞う

   第一章  萌え出づる頃  ( 6 )


それぞれの友情を育みながら同じ県立高校に進学した四人だが、グループで行動するようになるのは体育祭が終わってからのことである。
体育祭の運営委員会は、無事にその責任を果たし解散したが、その後も互いの信頼感は続いていた。特に啓介たちは、四人が共通の仲間として認識するようになっていった。


と言っても、いつも一緒に行動するというわけではなく、男同士、女同士での行動が主だったが、四人で集まることもよくあった。
男同士、あるいは女同士の時と、四人全員の時とでは話題も違ったが、二学期が終わる頃には志望校に関することが多くなっていった。


三年のクラス編成は、成績と志望校などに基づいて行われることになっていた。志望校に合わせた学科の絞り込みが必要だからである。
年が明けると早々に担任教師からの指導が行われ、その時にかなり具体的な形で志望校や学部を申請する必要があった。
高校生活はまだ一年以上残っているが、進路を確定させる時期は間近に迫っていた。


この時も、志望大学が一番はっきりしているのは啓介だった。
啓介の志望校は変わることがなく、一貫して東京の大学だった。もし駄目な場合は浪人することに決めていて、他の大学は一切受けないつもりでいた。


俊介の場合はその正反対だった。
受験できる大学は片っ端から受けて、極端にいえば、どこでもいいから現役で入学したいと考えていた。問題は、三年のクラス編成においてどの教科に重点を置いているコースを選ぶかということだった。


希美の場合も志望校がはっきりしていた。
母の母校である女子大に決めていたからである。高校進学に際して父や祖父母と約束していたし、希美自身も大学だけは母が青春の日を過ごした学び舎に通いたいと思っていた。


早知子は、期限ぎりぎりまで志望校を絞ることができなかった。
本当なら啓介と同じ大学に行ければ一番良いとは思うのだが、どう考えても啓介が目指している大学は、学部にかかわらず早知子には荷が重かった。その大学は、この高校の誰にとっても簡単な関門ではないが、残りの一年をどう頑張っても無理だと早知子は考えていた。


啓介と同じ大学に行けないとなれば、希美の志望校を目指すべきだとは考えていた。高校に進学する際に、希美や希美の家族が自分の志望校に合わせてくれたことは十分承知していたので、大学は希美が目指している女子大に進むつもりで勉強して来ていた。


その女子大は関西の名門であり、早知子自身にもあこがれのようなものもあった。
しかし、早知子の両親の本音は、家から通える公立大学に進んで欲しいと思っていることは確かだった。


年が変わり、やがて四人は三年生になった。
結局、国立大学を目指すのは啓介だけになり、後の三人は文系の私立大学を目指すことになった。
早知子も希美と同じ女子大を目指すことに決めたのである。


早知子のこの決定は、希美だけでなく彼女の家族まで喜ばせた。
西宮に移ってきた頃に比べれば、希美はすっかり元気になり明るさを取り戻していた。西宮の生活に慣れてきたことや、時間の経過が母の死という悲しみを和らげていることもあったが、早知子という親友を得たことが最も大きな要因だと家族の全員が思っていた。
それは、希美の父や祖父母だけでなく、お手伝いのヨシ子さんも大変喜んでくれたことでも分かる。


早知子はこの選択にあたって、極めて多くのことを真剣に考える機会になった。
経済的なことも小さな問題ではなく、アルバイトに精を出すことで解決するつもりでいたし、場合によっては奨学金も検討する必要があるかもしれなかった。


しかし、一番深く考えたことは、やはり啓介のことだった。
早知子と啓介は小学三年の時からの親友だった。常に一緒に行動していたわけではないし、お互いにそれぞれ大切な友達をもっていた。
十代の少女にとって、異性の友達を他の人に知られたくないという心理が働くものだが、早知子にはそのような気持ちは殆んどなかった。

早知子の心の中にある啓介という存在は、どのような状態になっても最後のところでは味方し守ってくれるという信頼感だった。
それは、友情と表現するものより遥かに重いものだったが、異性として意識したものとも違うものだった。


早知子は志望校について検討を重ね、啓介と違う大学への進学を決めた時、そしてそれが、東京と西宮に別れることを意味しているのに気付いた時、激しい動揺に襲われた。
本当に離れてしまっていいのかという不安が心の中に広がり、啓介への新たな感情が大きく育っていった。

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天空に舞う   第七回

2010-09-12 10:34:42 | 天空に舞う

   第二章  それぞれの旅立ち  ( 1 )


昭和五十七年三月、旅立ちの日が近づいていた。
卒業式が終わると、新しい生活のスタートとなる。
幸いなことに四人は、それぞれ希望の大学に入学することができたが、それは、グループでの活動が大きな変化を迎えようとしているということでもあった。


四人は、グループでの交際をいつまでも続けようと互いに確認し合っていたが、今までのようにいつでも会えるわけではない。
これまでとは性格の違う付き合いに変わっていくことを誰もが予感していた。そして、そのことが不安だった。


水村啓介は志望の大学に合格していた。四月の初旬には東京に立つことになっていた。
三沢早知子と大原希美も、希望通りの女子大学に進むことになっていた。


一番忙しく数多くの学校や学部を受験した古賀俊介は、五割を超える合格率で有り余るほどの合格通知を手に入れた。その中から、本人としては実力以上と考えていた自宅から近い私立大学を選んでいた。関西の名門校である。


啓介は三月いっぱいを慌ただしく過ごした。
東京での下宿は、学校の紹介を通じてこの春卒業した先輩のあとを借りられることが決まったので、予定していたより安い家賃ですみそうだった。
ただ、これまでに親元を離れたことが一度もなかったので、独立生活への準備が大変だった。着るものなどは夏までのものを準備して、その先の物は夏休みに帰郷した段階で考えることにしていた。それでも、あれやこれやということで結構な量になってしまっていた。


啓介の準備に家族全員が巻き込まれていたが、中でも母親が大変だった。このところ殆んど毎日のように何かを買い増していた。
母の文子は、正直な気持ちとしては東京の大学に行かせることにあまり賛成ではなかった。息子が世間から高い評価を受けている大学を目指し見事合格したことは嬉しかったが、有名な大学は関西にもあるし、東京で一人暮らしさせることに抵抗もあった。


啓介が東京の大学に進むことは、夫秀介の悲願ともいえる強い希望であることは承知していたが、文子には、その大学について夫が言うほどの価値を理解できなかったし、むしろ、息子に実力以上に背伸びする生き方はさせたくないという思いもあった。


秀介が持っていた息子の進学に対する期待は、尋常のものではなかった。
啓介の家族が西宮に移って来た時は、新しい住居を得た喜びに溢れていたことも確かだが、秀介にとっては、大きな挫折感を味わっている時でもあった。そして、その挫折感に耐えながら、息子に同じ思いをさせたくないと誓っていた。
どのような犠牲を払っても、息子には、どのような職場においても対等に戦える学歴をつけさせたいと考えていた。


啓介が中学生になった頃から、秀介は息子本人や文子を通じて学習塾に通うことを勧めていたが、啓介は行こうとしなかった。
その前にも秀介は、啓介の成績が小学生の頃から良かったことから、私立の中学校に入学させたいと考えたのだが、本人にも文子にも秀介の熱意は伝わらなかった。
啓介の勉強に対する考え方は、父親の強い願いを感じながらも、母親のおっとりとした考え方の方が浸透しているように見えた。


このような経過を経ながらも、息子が望んでいた大学に現役で入学できたので、秀介の喜び方は大変なものだった。
新しい職場でも、然るべきポジションを得ていたこともあって、啓介の東京生活の準備にはわがことのように張り切っていた。
秀介にとっては、長年の宿願を果たしたような日々だったのである。


四人のうち家を離れることになったのは啓介だけなので、あとの三人には、それほど大きな変化が待っているわけではなかった。
しかし、啓介が東京に発つ日が近づくにつれて、四人のグループに大きな転機が訪れようとしていることを、誰も口にはしなかったが全員が強く感じていた。


高校の卒業式のあとも、四人は互いに連絡を取り合い何度も集まっていた。そして、啓介の送別会を兼ねてハイキングに行くということになった。
泊まりがけの旅行をしようという案もあったが、準備や家族を説得することもあったし、経済的なこともあった。
希美の家庭は別にして、あとの三人の家庭は裕福というほどではなかった。それぞれ希望の大学に進学させて貰えることを考えれば、いずれも経済的にも恵まれていたといえるが、大学生活に備えて少しでも小遣いは残しておきたいという気持ちもあった。

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天空に舞う   第八回

2010-09-12 10:33:53 | 天空に舞う

   第二章  それぞれの旅立ち  ( 2 )


三月の末、四人は六甲山に出掛けた。
神戸の街の北側を護るようにして連なっているのが六甲山を中心とした山並であるが、その一帯は神戸市やその近隣の街に住む人々にとって親しむことの多い行楽地である。
四人が住む西宮市は、その山系の東端にあたる場所に広がった街なのだ。


四人は阪急電鉄で六甲駅まで行き、バスとケーブルカーを乗り継いで山上駅まで登った。そのあとは歩くつもりだったが、ここまでで意外に時間を要してしまったため、さらにバスを乗り継いで牧場に向かった。
最初から綿密なコースや目的地を決めていたわけではなく、とりあえずは昼食に適した場所に向かうというものだった。


牧場辺りでしばらく騒いだあと昼食をとった。
全員が小さなナップザックを背負っていたが、男二人のナップザック中身は昼食と水筒だけという軽装だった。弁当は早知子と希美が手分けして作ったものだった。


昼食のあとは、少し歩こうということになり植物園に向かった。
さわやかな風を受けながら大きな声でしゃべりながら進んだが、その道はハイキングコースというより車が行き交う道路だった。
ただ、道路沿いには会社の保養寮などがたくさんあり、いずれも道路際は余裕を持った庭になっていて、花壇などが整備されていた。


四人は施設の玄関脇や進入路などに無断侵入し、花壇や花畑を背景に写真を撮りあった。また、突然のように見晴らしがきく場所があり、そこでは遠くの景色を眺めながらおしゃべりを続けた。

途中での休憩が多すぎて、植物園に着いた時には午後三時を過ぎていた。
植物園は外から観賞するということで通り過ぎ、やはり道草を食いながらにぎやかに歩き続けた。
道路は大きな円を描く形で、やがてケーブルカーの駅に着くことは分かっていた。


六甲山へ行くことが決まった時には、牧場や植物園の他にも、山上に登ることや途中にある有名ホテルでコーヒーを飲むことも計画に入っていた。しかし、植物園に入る時間がないくらいなので、山上に登ることなどとても無理で、有名ホテルに着いた時には、すでに陽は陰りかけていた。
四人は、残念などと言い合いながらそこも通り過ぎた。


ケーブルカーの駅近くになった辺りに展望所があった。
すでに夕闇が迫り、眼下一面に灯りが瞬き始めていた。下に広がっている街並みは、神戸市の東部から、芦屋市、西宮市の方向にあたる。
手前の山に近い辺りはすでに暗くなっていたが、遠くの方にはまだ陽射しが残っていた。
その陽射しも、みるみるうちに明るさを失い、同時に灯りが輝きを増していった。


四人はいつの間にか肩を組み合っていた。
僅かに吹いている風が少し冷たく感じるようになっていた。


眼下の明かりは溢れるほどに増えて、遥か遠くまで広がっていた。
かつて、百万ドルの夜景と賞されていたことを若い彼らは知らなかったが、妖しいほどに美しい瞬きは、それぞれの心に何かを刻みつけようとしているかのようだった。
一日動き続けていた軽い疲れが心地よく、それぞれが違う道に分かれていくのだという感傷が、多感な心に渦巻いていた。

「今日が最期じゃないよね・・・」
誰に言うわけではなく、それでいて全員に訴えるような声だった。
希美の声だった。
「これからも、ずっと一緒よ、ね・・・」
希美が同じような口調で続けた。


四人が一緒に一緒に行動するようになって、一年半ほどになっていた。その間に、勉強することもあったし、遊ぶこともあったし、将来のことなどについても多くのことを語り合ってきた。
しかし、これまで希美が最初に発言することは殆んどなかった。どちらかといえば、聞き役に回ることの方が多かった。


早知子と希美が知り合った頃に比べるとずいぶん明るくなっていたが、それが性格らしく、自分が先頭になって騒ぐようなところはなかった。
しかし、この時は、複雑な全員の気持ちを最初に口にしたのは希美だった。


肩を組み合ったまま沈黙が続いた。
僅かな時間だったが、四人には長い長い時間のように感じられた。


「あたりまえだよ。俺たちは、いつまでも今のままだよ」
俊介が、まるで不安でも吹き飛ばすように大きな声で叫んだ。それから少し声を落として、「そうだろう?」と啓介の顔を見つめた。


「もちろんだよ」
すぐに啓介は応じたが、早知子は声を出さなかった。


四人は組んでいた肩をはずし、手を繋ぎあった。
二人の女性を中に挟んで、再び眼下に視線を移した。眼下に広がる夜景は、光に溢れた海に変わっていた。


この景色が青春の日の貴重な光景なのかもしれない、啓介は突然のようにそう感じた。そして、啓介にとっての青春とは、横にいる早知子を除いては何の意味もないとも思った。

その時、早知子が繋ぎあっている手に力を加えた。同時に少しばかり啓介に体を寄せて囁いた。
「でも、啓介さんは、東京へ行ってしまう・・・」


   **


阪急電鉄の西宮北口に着いたのは、午後八時を少し過ぎていた。
俊介はそこからバスに乗り換え、あとの三人は宝塚行きの電車に乗り換えた。甲東園駅では啓介と早知子が降り、希美は隣の仁川まで乗って行った。


啓介と早知子は徒歩で自宅に向かった。二人の自宅は同じ区画にあり数分程の距離であるが、どちらが誘うともなく回り道をした。
二人は、通っていた高校の裏側辺りにある公園に向った。
道路から少し公園に入った所で、そっと抱きあった。そして、唇を合わせた。
初めてのくちづけだった。

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天空に舞う   第九回

2010-09-12 10:33:20 | 天空に舞う

   第二章  それぞれの旅立ち  ( 3 )


六甲山に行った日の三日後に、啓介は東京に向かった。


その前の日、早知子は啓介の家を訪ねた。ちょうど啓介の母と妹が連れ立って買い物に出掛けるところだった。
啓介の荷物はすでに東京に向けて送っていたが、まだ少し足らないものがあるとかで大阪まで行くと早知子にも留守を頼んでいた。
早知子が啓介の部屋で過ごすことは、小学生の頃から変わることなく続いていた。


二人は、これから始まろうとしている大学生活について語り合った。殆どは、何度も何度も話し合ってきたことの繰り返しだが、二人にはそのような自覚はなく、真剣な話題に変わりなかった。

啓介にとっては、東京での生活になるので、まさしく新しい出発になる。早知子の場合は、自宅からの通学であり、希美と同じ大学に通うので、環境の変化はあるとしてもそれほど深刻に考えるほどのことではないと考えていた。
しかし、いざその日が近づいてくると、そうではなかった。


啓介と離れることが、早知子が想像していた以上に大きな変化であることが、日ごとに大きくなっていた。
小学三年の時からずっと一緒だった啓介は、早知子にとって家族と同様だった。いつも必要な時には横に居てくれたし、どのような時でも自分のことを見守ってくれる存在だった。


小学生の頃には取っ組み合いの喧嘩をしたこともあるし、二日も三日も口を利かなかったこともあった。
中学生の頃からは激しい喧嘩をするようなことはなくなったが、意見が相当激しく対立することは何度かあった。それでも、考えを一致させることができようができまいと、自分のことを理解し守ってくれるとの信頼が揺らいだことなど一度もなかった。


それは啓介も同じだった。
学校などで意見が対立した時でも、自宅で二人だけで話し合うとたいていのことは理解しあえた。歩み寄りが難しくなったことも時々あるが、殆どの場合啓介が一歩引き下がることになったが、啓介に譲歩されると早知子はすぐに冷静さを取り戻し、対立は解消した。


啓介は、中学の終わりの頃から、早知子に眩しいようなものを感じることが時々あった。
早知子は中学では目立つ存在だった。多くの行事で中心になって活躍することが多かったし、男子生徒だけでなく女子生徒にも人気のある存在で、学校で親しく話し掛けるのに気が引けるほど輝いていた。


一方、早知子が啓介のことを強く意識し始めたのは、啓介が大学に合格してからだった。
早知子にとって啓介は意識する必要のない存在で、父や母が、父や母として意識する必要がないのと同じように、常に横に居てくれるものだと思っていた。啓介を男性として意識したことがないかといえば決してそうではなく、自分にとって一番大切な男性だとの気持ちは持っていたが、それは身内といった感情の方が強かった。


しかし、啓介の東京行きが現実のものになってくると、これまでになかった感情に襲われた。不安というか、胸騒ぎのようなものがじわじわと襲って来ていた。
ハイキングからの帰り道で生まれて初めてのくちづけを経験したのは、どちらかが誘ったものではなかったが、早知子の心の中に浮かんでいた願望を啓介が受け止めてくれたものだと思われた。


東京へ発つ啓介を想う感傷と、溢れるほどに輝く夜景に酔ったこともあったかもしれないが、このままで別れたくないという願いが込み上げてきていた。
光の海を見つめながら訴えるように言った希美の言葉が、大切なものを失おうとしている自分に投げかけられたもののように、早知子は感じ取っていたのだ。


いつか、二人は身体を寄せ合っていた。
「淋しくなるわ・・・」
早知子は、体を預けるようにしてつぶやいた。
「うん・・・。こんなに淋しい気持ちになるなんて思わなかった」


啓介も率直に気持ちを述べた。そして、早知子の肩に手を回してその体を引き寄せた。
二人は並んでソファーに座っていたが、早知子は啓介の動きに合わせるように、さらに体を寄せた。啓介はぎこちない仕草で早知子の胸に片手を当てた。薄いセーターの下に、確かな膨らみが感じられた。


「わたしたち、これからどうなるの?」
早知子は、胸に当てられた啓介の手に自分の手を添えたが、拒絶の意思は示さず、ただ心細げにつぶやいた。


「今までと同じだよ。何も変わらないよ」
「でも、啓介さんは東京へ行ってしまう・・・」


「学校へ行くためだよ。時々は帰ってくるし、何も変わらないよ」
「これまでは、ずっと一緒だったのよ。淋しいわ・・・」


「四年間だけだよ」
「四年経ったら、帰って来てくれるの?」


「もちろんだよ」
「東京で就職してしまうかもしれないでしょう?」


「いや、関西で就職するつもりだよ」
「本当に?」


「うん。それに、もし東京で就職する時は、早っちゃんが東京に来ればいい」
「わたしが東京へ行くの?」


「そう、その頃には、早っちゃんのお父さんやお母さんも行かせてくれるよ、きっと」
「その時は、啓介さんの所に行っていいの?」
「もちろんだよ」


二人はじっと顔を見合わせた。
早知子がさらに体を寄せて目を閉じた。唇が合わさり、早知子の胸にある啓介の手に力が加わった。
二人の二度目のくちづけだった。

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