雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

今昔物語 巻十三  ご案内 

2018-12-18 14:05:49 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          今昔物語 巻十三  ご案内

     巻十三は、全体の中の位置付けとしては、本朝付仏法にあたります。
     主として法華経霊験譚といった内容で、全部で四十四話が掲載されています。
     宗教として、あるいは現代の倫理などにはあまり拘らず、読み物として楽しみたいと思います。
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大峰山中の聖人 ・ 今昔物語 ( 13 - 1 )

2018-12-18 14:03:09 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          大峰山中の聖人 ・ 今昔物語 ( 13 - 1 )

今は昔、
仏の道を修行して歩く僧がいた。名を義睿(ギエイ・出自不詳。薬師寺の僧に同名の人物がいるが別人らしい。)という。
諸々の山を廻り、海を渡り、諸国に行ってあちらこちらの霊場に参って、修行を積んでいた。

ある時、熊野に参詣し、そこから大峰という山を通って金峰山(ミタケ・きんぷさん)に参詣して退出する時、山の中で道に迷い方角が分からなくなってしまった。そこで、仕方なく、法螺貝を吹き鳴らし、その音で道を尋ねようとしたが道を見つけることが出来なかった。
そこで、山の頂に登って四方を見てみると、どちらを見ても遥かに深い谷ばかりであった。このような中で、十数日苦しみ続けた。嘆き悲しんだ末、義睿は日頃信仰奉っている本尊仏に人里に出られるように祈請した。すると、いつか平坦な林に出た。その中に一軒の僧房があった。すばらしい造りで、破風・懸魚(ケギョ・棟木の端を隠すための装飾)・格子・遣戸・蔀・簀(ス・ここでは簀の子、濡れ縁)・天井などどれも立派に造られている。前の庭は広く、白砂がまいてある。前栽にはたくさんの木々が隙間なく植えられており、諸々の花が咲き実がなっていて、美しいことこの上ない。

義睿はこれを見てたいへん喜び、近くに寄ってみると、僧房の中に一人の僧がいた。年はわずか二十歳ばかりである。
法華経を読誦している。その声はこの上なく貴く、身にしみるようである。見れば、法華経の一の巻を読み終わり、それを経机に置くと、その経は空に躍り上がり、軸から表紙まで巻き返し、紐を結んで、もとのように机に置かれた。このようにして、巻ごとに巻き返しつつ法華経一部を読み終えた。
義睿はこの様子を見て、怪しくも貴く、そして恐ろしく思っていると、この聖人が立ち上がった。義睿を見つけると、不思議そうな顔つきで、そしてひどく驚いた様子で、
「ここには、昔から今まで、人が来たことがない。山は深く、谷の鳥の声さえまれにしか聞こえない。まして、人がやってくることなど全くないのに、いったいどなたが来られたのですか」と尋ねた。
義睿は、「私は仏の道を修行するためにこの山を通っていましたが、道に迷ってきてしまったのです」と答えた。
聖人はそれを聞くと、義睿を僧房内に呼び入れた。見ると、容姿端正な童がすばらしい食事を捧げ持ってきて食べさせた。
義睿はこれを食べると、このところの飢えがすっかり直って、満ち足りた気持になった。

義睿は聖人に尋ねた。「聖人はいつ頃からここに住んでおられるのですか。また、どうしてこのように何でも思うように(なるのですか)[ 末尾部分は欠字になっている  ]」と。
聖人は、「私はここに住んで、はや八十年余りになります。私はもとは比叡山の僧です。東塔の三昧の座主(サンマイノザス・第十七代天台座主喜慶)という人の弟子でした。ちょっとしたことがあって、師が私を勘当なさったので、愚かにも私は比叡山を去って、気ままに流浪を続け、若く元気な頃は在所を定めず、あちらこちらと修行して歩き、年老いてからはこの山に足を留めて、永らく死期を待っているのです」と答えた。
義睿はこれを聞いて、ますます「怪しいことだ」と思って、尋ねた。「誰も訪ねて来ないと言われましたが、端正な童子が三人お付きになっています。聖人のお言葉は納得できません」と。
聖人は答えた。「経に、『天諸童子 以為給仕』(テンショドウジ イイキュウジ・・法華経の中の一部分で、法華経の持者に対しては、天界の諸天が護法童子として奉仕し、身辺の世話をする。)と説いています。何も怪しむことではありません」と。
義睿はさらに、「聖人は、『老いぼれだ』と言われましたが、お姿を見れば若々しく見えます。これも、私をだまそうとしているのですか」と尋ねた。
聖人はそれに答えて、「経に、『得聞是経 病即消滅 不老不死』(トクモンゼキョウ ビョウソクショウメツ フロウフシ・・法華経の中の一部分で、この経を聞くことが出来れば、病はたちまち消滅して、不老不死の身となるであろう。)と説いています。決して嘘ではありません」と言った。

その後、聖人は義睿に早く帰るように勧めた。義睿は嘆いて、「私は何日も山中で迷い、方角は分からず、心細い上に身体も弱っていて、とても歩けそうにもありません。どうか、聖人のお力添えをいただいて、ここでお仕えさせていただきたく思います」と申し出た。
聖人は、「私はあなたを嫌うわけではありません。しかし、ここは、人間の俗世界から離れて、長い年月を経ています。それゆえに、帰るように強く申し上げるのです。けれども、今夜もしここに留まろうと思われるなら、決して身体を動かさず声を出さないで、静かに座っていなさい」と答えた。
義睿はその夜はそこに留まり、聖人の言葉に従って、静かにそっと座っていた。

初夜(午後八時頃)の頃、にわかに微風が吹き始め、ただならぬ様子になってきた。
義睿が戸の隙間から見てみると、様々な怪物のような姿をした鬼神共が現れ出て来た。ある物は馬の頭の姿、ある物は牛の頭の姿、ある物は鳥の首、ある物は鹿の形、等々多くの鬼神が現れ出てきて、それぞれ香花を供養し、果物や飲食物等を捧げて、前の庭に高い棚を設えて、その上にみな供えて、礼拝し合掌して順に座った。
その中の第一の上位者が、「今夜はどうも怪しい。いつもと違って、人間の気配がする者がいる。何者がやって来たのだ」と言うのを聞いて、義睿はどきりとして身体が震えた。
一方、聖人は願を立てて、法華経を夜もすがら読誦し続けていた。
夜が明ける頃になって、回向して後、この怪物共は皆帰って行った。

その後義睿はそっと出て行った。そして、聖人に会って、「今夜の怪物共は、いったいどこから来たのですか」と尋ねた。聖人は、「経に、『若人在空閑 我遣天竜王 夜叉鬼神等 為作聴法衆』(ニャクニンザイクゲン ガケンテンリュウオウ ヤシャキジントウ イサチョウボウシュ・・法華経の中の一部分で、もしも法華経を聴聞する人がいないならば、私は諸天・竜王・夜叉・鬼神等を遣わして、聴聞の衆としよう。)」とだけ言った。

その後、義睿は「帰ろう」としたが、行き方が分からない。聖人は、「速やかに南に向かって行きなさい」と教えて、水瓶(スイビョウ)を取って濡れ縁に置いた。
すると、水瓶はひとりでに濡れ縁から踊り下りて、ゆっくりと飛んでいく。義睿はその後を追って行くと、二時(フタトキ・約四時間)ほどで山の頂に出た。山頂に立って麓を見下ろすと、大きな里が見えた。そこまで来ると、水瓶は空に飛び上がって見えなくなってしまった。聖人のもとに返ったと思われる。
義睿はついに村里に出ることが出来、涙を流して深山の持経仙人(ジキョウセンニン・法華経を修得した仙人、と言った意味か。)の様子を語った。これを聞く人は、みな頭を垂れて尊んだ。

真(マコト)の心を有する法華経の持者には、このような事があるのである。
その後、今に至るまでその所に行った人はいない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆



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比良山の仙人 ・ 今昔物語 ( 13 - 2 )

2018-12-18 14:02:17 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          比良山の仙人 ・ 今昔物語 ( 13 - 2 )

今は昔、
葛川という所に籠って修行する僧がいた。
穀物を断って山菜を食って、何か月も熱心に修行をしていたが、ある時、夢の中に気高い僧が現れて、「比良山の峰に仙人がおり、法華経を読誦している。お前は速やかにその所に行って、その仙人に結縁(ケチエン・仏道に縁を結ぶこと。)するが良い」と告げた。
夢が覚めたあと、すぐに比良山に入って尋ねたが、仙人の姿はなかった。

何日も何日も捜し回っていると、遥か遠くから法華経を読む声だけが微かに聞こえてきた。その声は貴くて、例えようもないほどである。
僧は喜んで、その声を尋ねてあちらこちらと走り回ったが、経の声だけが聞こえて、声の主の姿は見つからなかった。力の限りを尽くして終日探し求めていると、岩の洞窟があった。傍に大きな松の木があった。その木は笠のような形をしている。洞窟の中を見ると、一人の聖人が座っていた。
その身体には肉がなく、ただ骨ばかりである。青い苔を着物にしている。
その聖人が僧を見て言った。「どなたが此処に参られたのか。この洞は、未だ誰も来たことがないような所なのだ」と。
僧は、「私は葛川に籠って修行している僧です。夢のお告げにより結縁のために参ったものです」と答えた。
仙人は、「そなたは、しばらくは私に近付かず、遠く離れて居りなさい。何とも、人間臭い煙が目に染みて、涙が出て堪え難い。七日経ってから近付いて来るがよい」と言った。

そこで、僧は仙人に言われたとおり、祠より一、二段(10m~20m程か)ほど離れて、宿ることにした。
その間、聖人は昼夜分かたず法華経を読誦し続けた。
僧はこれを聞いていると貴く有難く、「無始(ムシ・限りなく遠い過去)以来の罪障が消えていくかのようだ」と思った。そして、見てみると、多くの鹿・熊・猿やその他の鳥獣たちが、それぞれ木の実を持ってきて、仙人に供養し奉っている。すると、仙人は一匹の猿を使いにして、木の実を僧の所に届けさせた。
このようにし、七日が過ぎたので、僧は仙人の洞に詣でた。

すると、仙人は僧に語った。「私は、もとは興福寺の僧です。名は蓮寂(レンジャク・出自等不詳)といっていた。法相大乗の学者として、法相宗の法文を学び親しんでいた頃、法華経を見奉ったところ、『汝若不取 後必憂悔』(ニョニャクフシュ ゴヒツウケ・・法華経の中の一部分で、もしも汝が法華経を取らなければ、後に必ず後悔するだろう。)という文を見て以来、はじめて菩提心(ボダイシン・悟りを開いて往生を願う心)をおこしたのだ。そして、『寂寞無人声 読誦此経典 我尓時為現 清浄光明身』(ジャクマクムニンジョウ ドクジュシキョウデン ガニジイゲン ショウジョウコウミョウジン・・法華経の中の一部分で、静寂で人声一つしない所で、この経典を読誦すれば、我(釈迦)はその時に、清浄で光り輝く身をあらわそう。)という文を見て以来、永らく興福寺から離れて、山林に入って仏道を修行し、功徳を重ねて、おのずから仙人となり得たのだ。今、前世からの因縁によりこの洞に来ている。人間界を離れてからは法華経を父母とし、戒律を身の防護として、一乗(イチジョウ・唯一の乗物という意味。つまり、一切衆生を迷い(此岸)から悟り(彼岸)へ運ぶ乗物。)を眼(マナコ)として遠くの物を見ることが出来、慈悲を耳として諸々の音を聞くことができる。また、心の中で一切のことを知ることができる。
また、兜率天(トソツテン・天上界の一つで、内院には弥勒の浄土があり、外院はその眷属の天人の遊楽の場所。)に昇り、弥勒菩薩にお会いしたり、また、様々の所に行って聖者に近付いたりする。恐ろしい悪魔も私には近寄らない。恐ろしい災厄もその名を聞くこともない。仏を見、法を聞くことは思いのままである。
また、この前にある松の木は笠の如くして、雨が降っても祠の前には雨が来ない。暑い時には陰をつくり、寒い時には風を防いでくれる。これらのことも又、自然にそうなっているのだ。
そなたがここに尋ねて来られたのも、前世からの因縁がないわけでもない。さすれば、そなたはここに住みついて、仏法を修行するがよい」と。

僧は仙人の言葉を聞いて、仙人を敬うとともに、その生き方を好ましいことだと思ったが、とても修行に堪えられる身ではないと思い、礼拝恭敬して帰って行った。
仙人の神力を以て、その日のうちにもとの葛川に帰り着いた。この話を、志を同じくする僧に詳しく語った。話を聞いた僧も、尊ぶことこの上なかった。

誠の心を込めて修行する人は、仙人になることかくの如し、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

 
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仙人となる ・ 今昔物語 ( 13 - 3 )

2018-12-18 14:01:27 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          仙人となる ・ 今昔物語 ( 13 - 3 )

今は昔、
陽勝(ヨウジョウ)という人がいた。能登国の人である。
俗称は紀氏。年十一歳にしてはじめて比叡山に登り、西塔の勝蓮花院(ショウレンゲイン)の空日律師(クウニチリッシ・出自等不詳)という人を師として、天台の教えを学び、法華経を受持するようになった。
聡敏にして一度聞いたことは二度と問うことがなかった。また、幼い頃から道心があり他のことに興味を示すことがなかった。また、長時間睡眠をとることがなく、無駄に休息することもない。 また、諸々の人に対する哀れみの心が深く、裸の人を見ると自分の衣を脱いで与え、飢えている人を見ると自分の食物を与えたが、これはいつものことである。また、蚊や虱が身を刺したり噛んだりしても、厭うことがなかった。
また、自ら法華経を書写して日夜に読誦した。

やがて、道心が強く起こり、比叡山を去ろうと思うようになった。そして、遂に山を出て、金峰山(ミタケ・きんぶさん)の仙人が前に住んでいた庵にやって来た。また、南京(奈良。ここでは吉野の古京を指す。)の牟田寺に籠って仙人の法を学んだ。
始めは穀物を断って山菜だけ食べた。次にはその山菜を断って木の実だけを食べた。後には全く食を断ってしまった。但し、一日に粟一粒を食べた。身には藤の蔓の皮で織った粗末な衣を着た。最後には完全に食を離れてしまった。そして、長く衣食の欲望を断ち、ひたすら菩提心にすがった。
そこで、人間らしい生活から長く去って、現世の跡を消し去った。着ていた袈裟を脱いで、松の木の枝に懸けて置いたまま姿を消してしまった。その袈裟は、経原寺の延命禅師(エンミョウゼンジ・出自等不詳)という僧に譲ると言い残していた。
禅師は袈裟を譲り受けて、陽勝を恋い悲しむこと限りなかった。そして、禅師は山々谷々を歩き回って、陽勝を捜し求めたが、その消息を掴むことは出来なかった。

その後、吉野山で苦行を修めている僧の恩真(オンシン・出自等不詳)らが、「陽勝はすでに仙人になって、身には血も肉もなくなって、怪しげな骨と毛だけになっている。その身には二つの翼が生えており、空を飛ぶこと麒麟か鳳凰のようであった。竜門寺の北の峰でそれを見たことがある。また、吉野の松本の峰で比叡山の仲間の僧に会い、長年抱いていた仏法の不審について話し合った」と語った。

また、笙の石室(ショウノイワムロ・奈良県吉野郡にある)に籠って修業する僧がいたが、食を断って数日が経っていた。何も食べずに、般若経を読誦していた。その時、青い衣を着た童子がやって来て、白い物を僧に与えて、「これを食べなさい」と言った。
僧がそれを貰って食べてみると、とても甘くて飢えがたちどころに癒えた。僧は童子に、「あなたはいったいどなたでしょうか」と尋ねた。童子は、「私は、比叡山の千光院の延済和尚(エンサイカショウ)に仕える童子でしたが、山を離れ、長年苦行して仙人になった者です。このところの師僧は陽勝仙人です。この食物は、その仙人がわざわざお与えになった物です」と話して、去っていった。

その後、また、東大寺に住む僧に会って語ったという。「私は、この山に住むようになって五十余年が経った。年は八十を過ぎた。仙人の道を修得して、自在に空を飛ぶことが出来るし、空に昇ることも地にもぐることも自在にできる。法華経の力によって、仏にお会いして仏法をお聞きするのも思いのままである。世の中を救い、衆生に恵みを与えることにも事欠くことがない」と。

また、陽勝仙人の親が、生国(能登国)で病にかかって苦しんでいて、その親が歎いて、「私にはたくさんの子がいるが、その中でも、陽勝仙人は最愛の子だ。もし、私のこの気持ちを知ることが出来るなら、やって来て私を看取ってほしい」と言った。
陽勝は、神通力によってこの事を知り、親の家の上に飛んできて、法華経を読誦した。ある人が外に出て、屋根の上を見たが、読経の声は聞こえるが姿は見えない。すると、仙人は親に、「私は長く娑婆世界を離れているので、人間界に来ることは出来ないが、孝養のために強いてやって来て、経を誦し言葉を交わすのです。毎月十八日に、香をたき花を散らして私を待っていてください。私は香の煙を尋ねてここに下りてきて、経を誦し法を説いて、父母のご恩に報じたいと思います」と申し上げて、去っていった。

また、陽勝仙人は毎月八日に本山(モトノヤマ・比叡山を指す)にやって来て、不断念仏を聴聞し、慈覚大師(不断念仏の創始者)の遺跡を礼拝申し上げた。他の日には来なかった。
ところで、西塔の千光院に浄観僧正(ジョウガンソウジョウ・正しくは静観。千光院座主。第十代天台座主。)という人がいた。常のお勤めとして、夜ごとに尊勝陀羅尼を夜もすがら読誦する。長年の修行の功徳が積もって、聞く人は誰もがこれを尊んだ。
ある時、陽勝仙人が不断念仏の聴聞に参るため空を飛んでいたが、この僧房の上を過ぎる時、僧正が声高く尊勝陀羅尼を誦すのを聞いて、たいそう尊び感じ入って、僧房の前の杉の木に下りて聞くと、ますます尊く感じられて、木より下りて僧坊の高欄の上に座っていた。
すると、僧正がその気配を怪しんで、「あなたはどなたですか」と尋ねた。
それに答えて、「陽勝でございます。空を飛んでおりましたが、尊勝陀羅尼を読誦される声をお聞きして、やって来たのです」と言った。
すると僧正は、妻戸を開けて呼び入れた。仙人は、鳥が飛び入るかのように入って僧正の前に座った。二人は、これまでの事を夜もすがら語り合って、暁になって仙人が、「お暇しましょう」と言って立ち上がろうとしたが、人間世界の気を受けて身が重くなり、飛び立つことが出来なかった。そこで仙人は、「香の煙を近くに寄せてください」と言った。僧正は、言われたように香炉を近くに寄せると、仙人はその煙に乗って空に昇って行ってしまった。
この僧上は、これから後は、いつも香炉に火をおこし煙を断たぬようにしているのである。

この仙人は、西塔に住んでいた時は、この僧正の弟子であった。
それゆえ、仙人が帰って行った後は、僧正はたいそう恋しがり悲しんでいた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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愛欲に勝てず ・ 今昔物語 ( 13 - 4 )

2018-12-18 14:00:37 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          愛欲に勝てず ・ 今昔物語 ( 13 - 4 )

今は昔、
下野(シモツケ)の国に一人の僧がいた。名を法空(ホウクウ・出自等不詳)という。法隆寺に住んで顕教・密教の法文を学んでいた。また、法華経を受持(ジュジ・教えや戒律を受けてそれを守ること。)して、日ごとに三部、夜ごとに三部読誦して、怠ることがなかった。

ところが、法空はある時突然を世を厭い、仏の道を求めようという心が生じ、本の寺(法隆寺)を棄てて生国に帰り、東国の山々を廻って修業を重ねていたが、「人跡絶えた山の中に古い仙人の洞がある」と伝え聞いて、その場所を尋ねていき、その祠を見ると、五色の苔で祠の上を葺き、また扉とし、また部屋の仕切りとし、板敷や敷物としていた。
法空はその祠を見て、「これは私が仏道を修行するのにふさわしい所だ」と喜び、この洞に籠居して、長年にわたってひたすら法華経を読誦していた。
そうした間に、ある時、突然端正美麗の女人が現れて、すばらしい食物を捧げて持経者(法空を指す)に供養した。法空はこれを怖れ怪しんだが、恐る恐るこれを食べると、その味は甘美なることこの上なかった。
法空は女人に尋ねた。「あなたは、どういうお方ですか。どこから来られたのですか。ここは世間から遥かに離れた所です。全く不思議なことです」と。
女人は答えた。「私は人ではありません。羅刹女(ラセツジョ・法華経受持者を擁護する十人の羅刹女。羅刹は、もとは古代インドにおける悪鬼で、後に仏法の守護神となる。)です。あなたの法華経読誦が長年の功徳を積んだものなので、自然に私はやって来て供養させていただくのです」と。
法空はこれを聞いて、限りなく尊いことと思った。やがて、諸々の鳥・熊・鹿・猿等がやって来て、前の庭で常に経を聞くようになった。

その頃、一人の僧がいた。名を良賢(ロウゲン・出自等不詳)という。[ 欠字あり。寺院名等が入ると思われるが不明。]の僧である。一つの陀羅尼(ダラニ・原語である梵語のまま読誦する呪文)をひたすら誦して、諸国の霊験所を廻り歩いて、住居を定めることなく修行していたが、たまたま道に迷ってこの洞にやって来た。
法空は良賢をみて、「不思議なことだ」と思い、「あなたはどなたで、どこから来たのでしょうか。ここは山は深く人里から離れています。たやすく人が来ることができる場所ではありません」と尋ねた。
良賢は、「私は山林に入って仏道を修行していますが、道に迷っていつの間にかここに来てしまったのです。それにしても、聖人は、どういうお方で、どうしてここにおいでなのですか」と言った。
法空は、良賢にこれまでの事を詳しく話した。

このようにして、数日の間この洞で一緒に住んでいたが、あの羅刹女がいつもやって来て法空に供養するのを見て、良賢は法空に尋ねた。「ここは、人里から遥かに離れています。どうしてあのような端正美麗な女人がいつもやって来て世話をされているのでしょうか。あの女はどこから来ているのですか」と。
法空は、「私もあの女がどこから来ているのか知りません。法華経を読誦するのを心から有難がって、このようにいつもやって来るのです」と答えた。
ところが良賢は、女の端正美麗な姿を見ているうちに、「あの女は、近くの里から法空を尊んで食物を運んできているのだ」と思ったのであろうか、急に女に対して愛欲の心を起こしたのである。

その時、羅刹女はたちどころに良賢の心を察知して、法空に告げた。「破戒無慚(ハカイムザン・戒律を破っても心に恥じないこと)の者が寂静清浄の所にやってきました。すぐに罰を与えてその命を断ちましょう」と。
法空は、「この場所で罰を与えて殺してはなりません。命だけは助けて、人間界に帰してやるべきです」と答えた。
すると、羅刹女はたちまち端正美麗の姿を棄てて、本来の忿怒慕悪(フンヌボアク・怒りの表現であるが、慕悪は暴悪が正しいようだ。)の姿になった。良賢はその姿を見て怖れまどうことこの上なかった。すると、羅刹女は良賢を宙に引っさげて、数日かかる道を一息で人里に連れて行って、棄て置いて返ってきた。
良賢は死んだようになっていたが、しばらくして気が付くと、「自分は凡夫の身から離れていないから法華経守護の羅刹女に愛欲の心を起こしてしまったのだ」と自分の罪を悔い悲しんで、たちまち道心を起こした。
身も心も傷ついて、僅かに命だけ助かったという状態であったが、何とかもとの里に帰り着いて、これまでの事を人に語り伝えて、改めて法華経を信じ学んで、心を込めて読誦するようになった。

これを思うに、良賢の愚痴(グチ・無明と同意。煩悩に惑わされて理非を悟らないこと。)が招いた結果である。
それゆえに、羅刹女は法華経守護の善神であることを知るべきである、
とぞ語り伝たるとかや。 (本稿は、最終部分が少し違う形になっている。)

     ☆   ☆   ☆


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聖人の生き様 ・ 今昔物語 ( 13 - 5 )

2018-12-18 13:59:21 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          聖人の生き様 ・ 今昔物語 ( 13 - 5 )

今は昔、
摂津国に慶日(キョウニチ・出自等不詳)という僧がいた。幼くして比叡山に登って出家し、顕教・密教の法文を学びいずれも十分習得し、外典(ゲデン・内典に対する語で、仏教経典以外の典籍。主に道教、儒教の書籍を指す。)についても精通していた。

ところが、いつしか道心が強く起こり、すぐさま本山(モトヤマ・比叡山を指す)去り生国に戻って、菟原(ウバラ・芦屋市付近?)という所に籠居して、方丈(ホウジョウ・一丈四方。約3m四方。)の庵室を造って、その中で日夜に法華経を読誦し、三時(早朝・日中・日没の三回)には懺法(センポウ・六根の罪過を懺悔する修法)を修行し、その合間には天台の止観(シカン・摩訶止観の略。法華経注釈書の一つ。)を学んでいた。
庵の内には、経典以外の物はなく、三衣(サンエ・僧の個人所有が許された三種の袈裟)よりほかに着る物はない。また、庵の辺りに女人が来ることがなかった。まして女人と会って話をすることなどあるはずがなかった。もし、食物を与え衣服を進呈しようとする人があると、貧しい人を捜し出してそれを与え、自分のために用いようとはしなかった。

ところで、この聖人(慶日)のいる所には、時々不思議なことがあった。雨が降ってとても暗い夜、聖人が庵を出て厠へ行こうとすると、庵の中には誰もいないはずなのに、聖人の前には灯を持った人がおり、後ろには笠を差しかける人がいる。これを見た人が誰なのかと思って近寄って見ると、灯もなく笠もない。聖人にはお供はなく、一人で歩いている。
ある時には、美しく飾り付けた馬に乗った長老の上達部(カンダチメ・三位以上の公卿と四位の参議の総称。)と思われる人が聖人の庵にやって来た。いったいどなただろうと行ってみると、馬もなく人もいない。きっとこれは、天界の諸天や冥界の神仏などが、聖人守護のために来られたのか、と人々は疑うのであった。

やがて、聖人は最期に臨んで、身に病なく、ただ一人庵の内で西に向かって声高く法華経を読誦した。その後で、定印を結んで定(ジョウ・禅定。一切の雑念を払い、瞑想して悟りの境地に入ること)に入るが如くに命が絶えた。
しかし、近所の人々は聖人が死んだことを知らず、ただ、庵の中で百千人の声がしていて、聖人を慕い悲しんで泣き合っている声がしていた。近隣の人たちはこれを聞いて驚き怪しんで、庵に行ってみると、人ひとりいなかった。ただ、聖人が、定印を結んだままで死んでいた。庵の内には、かぐわしい香りが満ちていた。
そこで、聖人がいつになく高い声で法華経を読誦しているのに合わせて、庵の内で多くの人の泣き悲しむ声が聞こえていたのは、護法童子たちが聖人の死を惜しんで悲しみ泣いていたのかと、人々は疑ったのである。
聖人が亡くなった時には、空には音楽が聞こえていた。

されば、聖人は疑いなく極楽に往生した人である、
とぞ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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閻魔王庁より蘇る ・ 今昔物語 ( 13 - 6 )

2018-12-18 13:58:34 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          閻魔王庁より蘇る ・ 今昔物語 ( 13 - 6 )

今は昔、
摂津国の豊島郡(テシマノコオリ・大阪と兵庫の境辺り)に多々院(タダノイン)という所がある。その所に一人の僧が住んでいた。その僧は山林に入って仏道を修行していた。また、法華経を長年にわたり日夜読誦していた。
ところが、その傍らに一人の世俗の男がいた。この持経者(ジキョウシャ・法華経を常に読誦し信奉している者)の勤めを尊び、心を寄せ常に供養していた。

そうしていたが、この俗世の男が病を受けて、数日患ったのち、遂に死んでしまった。家の人は、死人を棺に入れて木の上に置いていた。
その後、五日経って、死人は生き返って棺をたたいた。人々は恐れて近寄らなかった。
けれども、死人の声を聞くと、「さては生き返ったのだ」と思って、棺を下ろして開けて見ると、やはり死人は生き返っていた。
「不思議なことだ」と思って家に連れて帰った。

男は妻子に語った。「私は死んで閻魔王の所に行った。閻魔王は帳面を繰って、前世の善悪の行いが書かれた札を調べ、『お前は罪業が重いので地獄に遣るべきであるが、この度だけは罪を赦して速やかにもとの国に帰してやる。そのわけは、お前はこの数年、誠の心を起こして、法華経の持者を供養した。その功徳は限りなく大きいからである。お前はもとの国に戻って、ますます信仰心を高めてあの持者を供養すれば、三世(サンゼ・過去、現在、未来の総称。)の諸仏を供養するよりも優れたことになるのだ』と言った。
私はこのいましめを受けて、閻魔王の庁を出て人間界に帰ることになったが、途中、野山を通る時に見てみると七宝の塔があった。それは実に立派に飾られたものだった。すると、私が供養している持経者が、その宝塔に向かって口より火を吹いて、その宝塔を焼いていた。
その時、空から声があって、私に告げた。『お前、よく聞け。この塔はあの持経の聖人が法華経を読誦する時、宝塔品のところまで読んで出現した塔である。ところが、あの聖人は、瞋恚(シンイ・激しく怒り恨むことで、善根を損なう三毒の一つ。)の心をもって弟子や童子を叱りつけることがある。その瞋恚の火がたちまち現れて宝塔を焼いているのである。もし瞋恚の心を止めて経を読誦するなら、麗しい宝塔が世界に充満するであろう。お前は、もとの国に帰ると、すぐにこの事を告げるべし』と。
私は、この言葉を聞くと同時に帰って来たのだ」と。

妻子や一族の者たちは、この男が生き返ったことをたいそう喜んだ。近所の人々は、この聖人(「この男」の方が正しいように思われるが?)のことを聞いて不思議に思った。
その後、この男は聖人のもとに行って冥途でのことを語った。聖人はそれを聞いて、恥じそして悔いて、弟子を帰し童子を棄てて、一人になって、一心に法華経を読誦するようになった。
男も、ますます持経者を熱心に供養した。
やがて、数年が経って、聖人は命が終わろうとする時、身に病なく、法華経を読誦しながら死んでいったという。

されば、聖人といえども、瞋恚を起こしてはならない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
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写経の功徳 ・ 今昔物語 ( 13 - 7 )

2018-12-18 13:57:47 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          写経の功徳 ・ 今昔物語 ( 13 - 7 )

今は昔、
比叡山の西塔に道栄(ドウエイ・出自等不詳)という僧が住んでいた。もとは、近江国[ 欠字あるも、不詳 ]の郡の人である。
幼くして比叡山に登り、出家して法華経を受持し日夜読誦して、十二年間を修行期間として山を出ることがなかった。
花を摘み、水を汲んで仏に供養し奉って、経を読誦することますます怠ることがなかった。

いつか十二年が過ぎ、はじめて故郷に帰ったが、心の中で、「自分は比叡山に住んでいたが、顕教・密教の立派な教えにおいて、何も学ぶことがなかった。今生はいたずらに過ぎようとしている。後世(来世)のための善根を積まなければ、自分は今の世でも来世でも成仏できない身となる。されば、法華経を書写し奉ろう」と思って、一部を書き終えて後、智者(知識・徳行の優れた僧)の僧五人を招いて供養した後、その僧たちに経の深い教義を説かせ、教義を明らかにするための問答を行わせた。
このようにして、ひと月に一度二度、もしくは五度六度、書写し供養していた。

長年にわたって、このような善根を修め、命の終わる時を待っていたが、ある時、道栄は夢を見たが、比叡山西塔の宝幢院(ホウドウイン・西塔の中心的寺院)の前の庭に、金の多宝塔が立っていて、その美しさは表現できないほどであった。道栄はそれを見て、心をこめて敬い礼拝していると、そこに一人の気高い男がいた。その姿は並の者には見えない。人体を見ると、梵天や帝釈天に似ている。その男が道栄に「お前はこの塔が何だか知っているか否か」と尋ねた。道栄は、「存じません」と答えた。男は、「これはお前の経蔵である。すぐに戸を開いて見るがよい」と言った。道栄は男の言葉に従って、塔の戸を開けて見ると、塔の中には多くの経巻が積み置かれていた。男はさらに、「お前はこの経巻を知っているか否か」と尋ねた。道栄は、「存じません」と答えた。また男は、「この経はお前が今生で書写した経をこの塔の中に積んで満たしたものである。お前は、速やかにこの塔を持って、兜率天(トソツテン・天界の一つで、弥勒の浄土がある。)に生まれるがよい」と告げたところで夢が覚めた。
その後、いよいよ心をこめて書写供養を続けた。

ところが、大変な老齢になって、歩行もままならぬ状態になっていたが、ある縁があって下野国に下って住みつき、いよいよ最期になった時、普賢品(フゲンボン・法華経の最終品)を書写供養し奉り、その経文を読誦しながら命を終えた。
夢のお告げのように、疑いなく兜率天に生まれた人である、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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怒りの心を諫める ・ 今昔物語 ( 13 - 8 )

2018-12-18 13:56:51 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          怒りの心を諫める ・ 今昔物語 ( 13 - 8 )

今は昔、
法性寺の尊勝院(京都にあった)の供僧(グソウ・供奉僧の略。供養や法会の寺務をする僧。)をしている道乗(ドウジョウ・出自等不詳)という僧がいた。比叡山の西塔の正算僧都(ショウザンソウツズ・のちに第十一代法性寺座主になる。)の弟子として、はじめは比叡山に住んでいたが、後には法性寺に移り長年経っていた。
若い時から法華経を読誦して、老齢になるまで怠ることがなかった。但し、たいそうひねくれていて、時々、弟子の童子を口汚く怒鳴りつけることがあった。

ある時、道乗は夢を見た。
「法性寺を出て比叡山に行く途中、西坂の柿の木の所までやって来て、遥かに山の上を見上げると、麓の坂本から頂上の大嶽に至るまで、多くの堂舎や楼閣が重なるように造られていた。屋根は瓦で葺き金銀で飾られている。その中には多くの経巻が安置し奉っている。黄色の紙に朱色の軸(経文は黄色の紙に墨で書写し、朱の軸を用いることが多い。)、あるいは紺色の紙に玉の軸である。いずれも金や銀で書かれている。道乗はこれを見て、『いつもと様子が違う。いったいどういうことか』と思って、そこにいた老齢の僧に向かって、『この経は極めて多く数え尽くすことが出来ません。これはどなたか置かれた物でしょうか』と尋ねた。老僧は、『これは、お前が長年読誦してきた法華大乗の経である。大嶽から水飲(ミズノミ・湧き水があった所)に至るまでに積まれている経は、お前が西塔に住んでいる時に読誦した経である。水飲から柿の木のもとまで積み置かれている経は、法性寺に住んで読誦した経である。この善根により、お前は浄土に生まれることが出来るだろう』と答えた。道乗はこれを聞いて、『不思議なことだ』と思っていると、にわかに火が出て、一部の経が焼けてしまった。道乗はこれを見て老僧に尋ねた。『どういうわけで、この経は焼けてしまったのですか』と。老僧は、『これは、お前が瞋恚(シンイ・激しく怒り恨むこと)を起こして童子をどなりつけた時に、読誦した経を瞋恚の火が焼いたのだ。されば、お前が瞋恚を断てば、善根はますます増えて、必ず極楽に参ることが出来よう』と答えた」
そこで、道乗は夢から覚めた。

その後、道乗は悔い悲しんで、仏に向かい奉り、長く瞋恚を断ち、心を励まして法華経を読誦して、余念を交えることはなかった。
されば、瞋恚はこの上ない罪である。善根を修める時には、絶対に瞋恚を起こしてはならない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
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舞い上がる経典 ・ 今昔物語 ( 13 - 9 )

2018-12-18 13:55:54 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          舞い上がる経典 ・ 今昔物語 ( 13 - 9 )

今は昔、
理満(リマン・出自等不詳)という法華の持者がいた。河内の国の人である。吉野山の日蔵(ニチゾウ・金峯山椿山寺の僧。一度死んでから蘇生したという伝説がある。)の弟子である。
仏道心を起こした初めの頃に、日蔵の身近に仕え、その意に背くことがなかった。

ところが、この理満聖人は、「自分は世を厭い仏道修行をしているが、凡夫の身で未だ煩悩を断つことが出来ない。もしかすると、愛欲の心を起こすかもしれない。それを止めるために、そういう心を起こさせない薬を飲みたいものだ」と思って願い出ると、師はその薬を求めてきて飲ませてやった。
すると、薬の効果があって、前以上に女人への思いを長く断つことが出来た。

そして、日夜に法華経を読誦しながら、住処を定めずあちらこちらと流浪して仏道を修行して歩くうちに、「渡し場で人を船で渡してやることこそ、この上ない功徳になることだ」と思いつき、大江(大きな入り江といった意味だが、大阪市天満辺りらしい?)に行き、そこに住みついて、船を手に入れて渡し守になり、多くの往来の人々を渡す仕事にたずさわった。
また、ある時には、京にいて、悲田院(ヒデンイン・孤児や病人を収用して保護救済する施設。)に行き、いろいろな病に煩い苦しむ人を哀れんで、願う物を捜しては与えてやった。
このように、あちらこちらへ行ったが、法華経を読誦することを怠ることはなかった。

そうした折、京にいたおいて、小屋に籠居して二年ばかり法華経を読誦し続けた。どういう事情から行ったかは分からない。ところが、その家の主が、「聖人の様子を見よう」と思い、密かに隙間から覗いてみると、聖人は経机を前に置いて、法華経を読誦している。見ていると、一巻を読み終えて机の上に置き、次の巻を取って読もうとすると、前に読み終わって置いていた経が一尺ばかり躍り上がって、軸のもとより表紙の所まで巻き返して机の上に置かれた。
家の主はこれを見て、「不思議なことだ」と思って、聖人の御前に出て、「ありがたいことです。お聖人さまは、ただのお人ではございません。この経を躍り上がらせ巻き返して机の上に置くこと、これはまことに不思議なことです」と申し上げた。
聖人はこれを聞いて驚き、家主に答えた。「それは、私にとっても思いがけないことだ。まったく有り得ないことだ。決してこの事を他の人に話さないようにしてほしい。もしこの事を他の人に聞かせたら、いつまでもあなたを恨みますぞ」と。
こう言われた家主は、聖人が生存中はこの事を口外することがなかった。

ある時、理満聖人は夢を見た。
「自分が死んで、その死骸が野に棄て置かれていて、百千万の犬が集まってきて、自分の死骸を喰っている。その傍に理満聖人本人がいて、自分の死骸を犬が喰うのを見ていて、『何ゆえに、百千万の犬が我が死骸を喰らうのか」と思った。その時、空に声があって、「理満よ、まさに知るべし。これは本当の犬ではない。これらは皆、仮の姿を現しているのだ。昔、天竺の祇園精舎において釈迦仏の説法を聞いた者たちである。今、お前と結縁するために犬の姿になって現れているのだ」と告げた。
そこで、夢から覚めた。
その後は、今まで以上に真心を込めて法華経を読誦し、「私がもし極楽に生まれるなら、二月十五日は釈尊(釈迦の尊称)の入滅の日であるから、私はその日にこの世から別れよう」という誓いを立てた。
聖人は、一生の間に読誦した法華経の数は二万余部である。悲田院の病人に薬を与えたのは十六度に及ぶ。

臨終に臨んでは、いささかの病はあったが、重病というほどではなく、長年の願いが叶って、二月十五日の夜半になり、口には宝塔品(ホウトウボン・法華経の一部分)の「是名持戒行頭陀者 速為疾得無上仏道」(ゼミョウジカイギョウズダシャ ソクイシットクムジョウブツドウ・・これを戒を保って頭陀{乞食修行}を行う者と名付ける、このような者は速やかに無上の仏の悟りを得る者である。)という文を誦して、入滅したのである。
実(マコト)に、入滅の時の様子を思うと、後世の極楽往生は疑いない。

あの、経典が踊り給うたことは、聖人の言いつけにより、家主は聖人生存中は他の人に語ることはなかった。入滅の後に、家主が語り伝えたのを人々が聞いて、
広く語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆



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