雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

歴史散策  古代からのメッセージ

2015-04-22 08:00:41 | 歴史散策
          歴史散策

               古代からのメッセージ


          神代から神武に至る時代を『古事記』に基づき11回に分けて収録しています
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歴史散策  古代からのメッセージ ( 1 )

2015-04-21 19:23:32 | 歴史散策
               古代からのメッセージ ( 1 )  

「古事記」をそのまま受け取ろう

「古事記」が「日本書紀」とともに、わが国の古代を伝える文献の中で、現存している最古の物であることは、定説といえよう。
しかし、その内容については、神話的伝承はともかく、神武天皇以降の記録についても、歴史的事実としては多くの疑義があり、そこには、誇張や混入といったものばかりでなく、明らかな創作であるとか、歪められた記録が多見されるという研究者の声も少なくない。

本稿は、「古事記」に記録されている全てについて、それが歴史的事実か否かという論争から離れて、描かれている歴史事実とされる物、伝承や物語などを素直にそのまま受け取るために、「古事記」の中から興味深い部分のいくつかを味わってみようという試みである。

その中には、明らかに神話として現代の私たちと同一視して考えることなど出来ない物もあれば、現代人の常識では許容できない内容の物もある。あるいは、これまでの先人方の研究により、明らかに虚偽であったり、誤伝であるとされるものもある。
しかし、それらも含めて、その書かれている記事には、それを書き残そうとした意志があり、描こうとした狙いや理想が隠されているはずである。そして、むしろ、そこにこそ「古事記」という文献を編纂した真の目的があるのかもしれないとも思うのである。

本稿は、「古事記」を通して歴史的真実を追求しようとするものではない。現在私たちが目にすることの出来る「古事記」が、原本と若干の相違がある恐れはあるが、壬申の乱(672)に勝利した天武天皇の命により撰録が始まり完成されたとされる元明天皇の御代(在位期間707~715)の頃の天皇を中心とした朝廷指導者たちの息吹が含まれていると思うのである。
以下、「古事記」のごく一部分をご紹介させていただくが、ぜひ、それが歴史的事実かどうかという観点ではなく、往時の人々が描こうとした想いのようなものを推測していただきたいと思うのである。
そうすることが、「古事記」が描こうとした「古代からのメッセージ」の一端を味わえる方法のように思うのである。

     ☆   ☆   ☆

最初に現れた神々 

『 天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神。』
古事記の本文は、このような文章で始まる。
「 天地が初めてあらわれ動き始めた時に、タカアマハラに成った神の名は、アメノミナカヌシノカミ。」と始まり、続いて、タカミムスヒノカミ、続いてカムムスヒノカミが成った。
この三柱の神は、独神(ヒトリガミ・男女という性を有さない神)で、やがて身を隠された。

次に、地上世界はまだ未熟で、水に浮かぶ油のようで、くらげのように漂っている時に、葦の芽のように萌えあがる物に因って成った神の名は、ウマシアシカビヒコヂノカミ、そして、アメノトコダチノカミである。
この二柱の神も独神であり、やがて身を隠された。
以上の五柱の神は、別天神(コトアマツカミ・特別の天つ神)である。

その次に、二柱の神が成り、この二柱の神も独神で、やがて身を隠された。
さらに、次々と神は成り、五組十柱の神々が姿を見せられた。
先の二柱は、一柱で一代(ヒトヨ)であり、次の五組の神々は、男女一組で一代と数える。
そして、この二柱と五組十柱の神々を総称して、神世七代(カミヨナナヨ)という。
この五組のうちの最後の組の神の名は、イザナギノミコト・イザナミノミコトである。

     ☆   ☆   ☆

イザナギノミコト・イザナミノミコト

高天原においでの神々が相談されて、イザナギノミコト(伊耶那岐命)・イザナミノミコト(伊耶那美命)の二柱に、「漂える国をあるべき姿に整えよ」と命じられ、天の沼矛(アメノヌホコ・玉飾りのある矛)を授けられた。
二柱の神は、天の浮橋に立って、授けられた沼矛を指し下ろして漂える辺りを掻き回して引き上げたところ、その矛の先よりしたたり落ちた潮は積もって島となった。これをオノゴロ島という。

二柱の神はその島に天降りされて、天の御柱を見つけ、八尋殿(ヤヒロデン)を見つけられた。
『 ここに、イザナギノミコトはその妻のイザナミノミコトに尋ねて申されるには、
「汝が身は、如何にか成れるか」
これに答えて申されるには、
「吾が身は、成り成りて成り合わぬ処一処在り」
これに対してイザナギノミコトは、
「吾が身は、成り成りて成り余れる処一処在り。故に、この吾が身の成り余れる処を以って、汝が身の成り合わぬ処をさし塞ぎて、国土を生み成さんと思う。生むは、いかに」と言われるのに、イザナミノミコトは答える。
「然(シカ)、良し」と。 』
以上は、古代人の何とも直截で、おおらかな表現である。
この部分を、「二人の欠点を補いあおう」ということとして意訳している参考書もある。

そこで二人(二柱)は結ばれて、次々と、国土と神々を生んでいくことになる。
最初の頃に生んだ国土は、不完全で役に立たないものばかりだったので、二人は高天原に戻り、天つ神に相談すると、占いの結果、二人が出会った時に、イザナミノミコトから声をかけたのがいけないということになり、改めてイザナギノミコトから声をかけて結ばれると、次々と立派な国土や神々を生むことが出来るのである。
その生んだ国や神の数は「数知れず」というほどであるが、神々は後の豪族などの祖先にもなっていることを考えれば、島も、国も、神も、人間も、ほとんど同一線上にあるように思われるのである。
また、二人で生んだのは、十四の島と、三十五柱の神と記されているが、イザナミノミコトが亡くなった後にも、多くの神々を誕生させている。
その誕生の様子は、例えば、イザナミノミコトが亡くなったことを悲しんで流した涙からは、泣沢女神という神が誕生しているし、飛び散った血潮や、水しぶき、投げすてた帯などからも神が誕生している。

イザナギノミコトとイザナミノミコトとが結ばれて生んでいった島や神は、いかにも人間的であるが、涙や血潮や水しぶきなどからも多くの神々が生まれたとなれば、しかも、それがイザナギノミコトにより成されたとなれば、どのように理解すればよいのだろうか。
これらのことから、神と人間は極めて近い関係であり、人々を取り巻くあらゆる物に神々が宿っているという考え方につながっていると思うのだが、少々無理な想像かもしれない。

   ☆   ☆   ☆




       
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歴史散策  古代からのメッセージ ( 2 )

2015-04-21 19:22:42 | 歴史散策
            古代からのメッセージ ( 2 )

黄泉の国

イザナギノミコトとイザナミノミコトとの間に生まれたのは、十四の島と三十五の神であるが、二人の最後の子はヒノヤギハヤオノカミ(火之夜芸速男神)という火の神であった。
このため、イザナミノミコトは体を焼かれたため病となり、やがて亡くなる。この病の時に、イザナミノミコトの嘔吐物などからも何柱もの神が誕生している。イザナギノミコトの涙や、あるいは行動からも多数の神が誕生しているが、二人で生んだ神々との差異などはどう考えればよいのだろうか。

イザナギノミコトはイザナミノミコトの亡骸の枕元に腹這いとなり、さらに足元に腹這いとなり、
「いとしいわが妻の命よ、お前は子一人に代わろうというのか」
と、嘆き泣き悲しんだ。
その時流した涙からは生まれた神の名は、泣沢女神という。
そして、亡骸となったイザナミの神は、出雲国と伯耆国との堺にある比婆の山に葬ったのである。

その後で、イザナギノミコトは、腰に帯びていた十拳の剣(トツカノツルギ・ツカは、握った拳の長さを言い、十拳の剣は長剣を指す)を抜いて、子のヒノヤギハヤオノカミの首を斬ったのである。
その時、その御刀の切っ先に付いた血が神聖な石の群にほとばしり、そこから三柱の神が成り、御刀の鍔に付いた血もまた石の群にほとばしって三柱の神が成った。さらに、御刀の柄に集まった血が指の間から漏れ出て、そこから二柱の神が成った。
さらに、殺されたヒノヤギハヤオノカミの遺体からも、頭から、胸から、腹から・・と、次々に神が成った。

さて、イザナギノミコトは、亡き愛妻を忘れがたく、イザナミノミコトが向かった黄泉国(ヨモツクニ)へと追って行った。
イザナミノミコトは、御殿の戸を閉じたままで出迎えると、イザナギノミコトは、
「愛しきわが妻よ、吾と汝が作りし国は、まだ作り終わっていない。だから、帰ってきてほしい」という。
これに答えて、イザナミノミコトは、
「悔しきことかな。汝が早く来てくれなかったので、吾は黄泉国のかまどで煮たものを食べてしまった。されど、愛しいわが夫がこの国までおいでになるとは恐れ多いことですので、帰ろうと思います。しばし黄泉神(ヨモツカミ)と相談してきますので、その間、吾を見ないでください」
と言って、御殿の奥へ帰って行ったが、その後、なかなか戻ってこない。

待つ時間があまりに長くなり、待ちかねたイザナギノミコトは左の御みずらに刺していた神聖な櫛の端の太い歯を一本折り取り、それに火を灯して御殿の内に入っていった。
その時、彼が目にしたものは、イザナミノミコトの体には蛆がたかっていて、ころころと転がりうごめき、頭には大雷(オオイカズチ)がおり、胸には火雷(ホノイカズチ)がおり、腹には黒雷がおり、陰(ホト)には析雷(サクイカズチ)がおり、左の手には若雷がおり、右手には土雷がおり、左足には鳴雷(ナルイカズチ)がおり、右足には伏雷(フスイカズチ)がおり、合わせて八種の雷神が居たのである。

イザナギノミコトは、その姿のあまりの恐ろしさに、黄泉国の御殿から逃げ出したのである。
それに気づいたイザナミノミコトは、
「よくも吾に恥をかかせたのね」
と言って、ただちに黄泉国の醜女(シコメ)に命じて、その後を追いかけさせた。
それに気づいたイザナギノミコトは、黒い御かずらを取って投げすてると、たちまち山ぶどうの実がなった。それを見た醜女はその実を食べ始めたので、その間にイザナギノミコトは逃げ続けたが、また追いついてきた。
今度は右の御みずらに刺していた神聖な櫛の歯を折り取って投げすてると、たちまち竹の子が生えてきた。それを見た醜女が竹の子を抜き取って食べている間に、イザナギノミコトはようやく逃げ延びたのである。

しかし、その後、イザナミノミコトぱ、あの八種の雷神に黄泉の軍勢千五百を引き連れさせてイザナギノミコトを追わせたのである。
イザナギノミコトは、腰に帯びていた十拳の剣を抜いて、後ろ手に振りながら逃げていったが、雷神たちはなおも追いすがってきた。
黄泉ひら坂(ヨモツヒラサカ)の麓まで逃げてきたとき、イザナギノミコトはその坂の麓に生えていた桃の実を三個取って迎え撃つと、雷神たちはみな坂を逃げ帰っていった。
そこでイザナギノミコトは桃の実に、
「汝は、吾を助けたように、芦原中国(アシハラノナカツクニ)に住むすべての人々に、苦しい目に遭って患え悩む時には助けるように」
と申されて、桃の実にオオカムズミノミコトという名前を授けられた。

最後には、妻であるイザナミノミコト自らが追ってきた。
イザナギノミコトは、千人かかってようやく動くような巨大な岩を引っ張ってきて、黄泉ひら坂を塞いでしまった。二人はその岩をはさんで、それぞれ意見を交わしイザナギノミコトはかつての妻に離別を申し渡した。
「愛しきわが夫のミコトよ、汝がこのような事をするのなら、吾は、汝が住む国の人間を一日に千人ずつ殺しましょう」
と、イザナミノミコトが言うと、イザナギノミコトは、
「愛しきわが妻のミコトよ、汝がそのような事をするのなら、吾は、一日に千五百の産屋を建てよう」
と申された。
そのため、この国では、一日に必ず千人が死に千五百人が生まれるのである。

また、イザナミノミコトを名付けて黄泉津大神(ヨモツオオカミ)と言う。あるいは、イザナギノミコトに追いついたことから道敷大神(チシキノオオカミ)とも言う。
また、あの黄泉ひら坂を塞いだ岩は、道返之大神(チガエシノオオカミ)と名付けられ、塞いでおられる神を黄泉戸大神(ヨモツトノオオカミ)と言う。
なお、この黄泉ひら坂というのは、出雲国の伊賦夜坂(イフヤサカ)といわれる。

     ☆   ☆   ☆



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歴史散策  古代からのメッセージ ( 3 )

2015-04-21 19:21:55 | 歴史散策
               古代からのメッセージ ( 3 )

みそぎ

何とか黄泉国から脱出することが出来たイザナギノミコトは、
「吾は何と醜く汚れた国に行っていたものだ。それゆえ吾は、この身の汚れを洗い清めよう」
と仰せられて、筑紫の日向の橘の小門(オド・小さい港)のあわき原に参られて、禊(ミソギ)をなさった。その折に、投げ捨てられた御杖に成った御神の名は、衝立船戸神(ツキタツフナトノカミ)であり、その後にも、投げ棄てられた御帯、御嚢(ミフクロ)、御衣(ミケシ)等々、イザナギノミコトが身に付けていたものを脱いだことで成った神は十二柱に及ぶ。

さらに、
「上の瀬は流れが激しい。下の瀬は流れが弱い」
と仰せられて、中ほどの瀬に飛び込んで身をすすがれましたが、その時にも十柱の神が成られましたが、その中の最後の三柱は、左の御目を洗った時には天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右の御目を洗った時には月読命(ツクヨミノミコト)、御鼻を洗った時には建速須佐之男命(タケハヤ スサノオノミコト)が誕生したのである。(なお、建速とは、勇猛、勢いが激しい、といった意味で冠されたものである)

この時、イザナギノミコトは大いに喜び、
「吾は、子を生み続けてきて、その最後に三柱の貴い子を得ることが出来た」
と仰せになり、ただちに自らの御首飾りを清らかな玉の音を立てながら取って、天照大御神に授けられた。そして、「そなたは、高天原(タカアマノハラ)を治めよ」と命じられた。
次に、月読命には、「そなたは、夜之食国(ヨルノオスクニ・夜の世界のこと)を治めよ」と命じられた。
次に、建速須佐之男命には、「そなたは、海原(ウナハラ)を治めよ」と命じられた。

こうして、イザナギノミコトに命じられたようにそれぞれ治めていたが、須佐之男命は命じられた国を治めないで、成人して長い髭がみぞおちのあたりに届くまで泣きわめいていた。
その泣く様は、青々とした山を枯れ山のようになるまで泣き枯らし、河や海はすっかり泣き乾(ホ)してしまう状態であった。そのため、悪しき神の声は、五月にさわぐ蠅のように満ち、多くの禍がことごとく起こった。
そこで、イザナギノミコトは須佐之男命に、
「何ゆえか。そなたが吾が命じた国を治めようとせず泣きわめいているのは」
と仰せられると、これに対して須佐之男命は、
「吾は、亡き母の国である根之堅州国(ネノカタスクニ)に参りたいと泣いているのです」
と申し上げた。
イザナギノミコトは大いに怒って、
「それならば、そなたはこの国に住んではならない」
と仰せられて、追い払われた。

やがて、イザナギノミコトは、伊耶那岐大神として淡海(オウミ・淡路とも近江とも言われている)の多賀に鎮座なされた。

     ☆   ☆   ☆


 
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歴史散策  古代からのメッセージ ( 4 )

2015-04-21 19:21:06 | 歴史散策
          古代からのメッセージ ( 4 )

天照大御神と須佐之男命

さて、父のイザナギノミコトの命令が不満であった須佐之男命は、父の怒りに触れて追放されていたが、父がお隠れになったことを知ると行動を始めた。かねてからの願いの、母を尋ねようというのである。

「それでは、天照大御神に申し上げてから根之堅州国(ネノカタスクニ)へ参ろう」
と須佐之男命は宣言し、ただちに天上に向かった。
その時、山や川はみなどよめき、国土はすべてが震えた。
天照大御神はこれを聞くと大変驚き、
「我が弟の命が上って来るのは、きっと善き心ではあるまい。我が国を奪おうと思ってのことに違いない」
と仰せられ、ただちに御髪を解き、御みずらに結い直して、左右の御みずらに、また御かずらに、また左右の御手に、それぞれ八尺の勾玉(ヤサカノマガタマ)を数多く長い緒で貫き通した玉飾りを巻き付け、鎧(ヨロイ)の背には千本入りの矢入れを背負い、また威力のある竹製の鞆(トモ・弓を射るときに手を守る道具)を取り付けて、弓を振り立てると堅い土の庭に腿(モモ)が埋まるまで踏み込み、地面を淡雪のように蹴散らして、雄々しく立ち向かう姿勢を取った。

そして、荒々しく足を踏み鳴らして、須佐之男命を待ち受けて、
「何のために上ってきたのか」
と詰問した。
これに対して須佐之男命は、
「私は、邪心などありません。ただ、父が私が泣きわめいている理由を問いただされましたので、『私は亡き母の国へ行きたいと思って泣いているのです』と申しますと、たいそうお怒りになり追放されましたが、何としても母の国に参りたく、その次第を申し上げるため参上しただけです。他意はありません」
と弁明した。

これに対して天照大御神は、
「それならば、汝が心の清く明るいことを、どのようにして知ればよいのか」
と仰せられた。
「めいめい『うけい』をして子を生みましょう」
と、須佐之男命が申し入れをした。

***(『うけい』について)『うけい』といのは、言葉による呪術のようなものと考えられる。例えば、「男子を生む(あるいは女子を生む)」と言い立てて、その通りに生めば「心が清く明るい」ということになる、ということらしい。
但し、この場面ではなかなか分かりにくい。まず、須佐之男命の心の清明が問われている場面であるが、「めいめい」子を生もうと提案しており、天照大御神もそれを受けているのである。そして、次の項にあるように、子を生むにあたって、男女どちらの子を生むといった言い立ては行われていない。
要は、子を生む場面を「うけい」という形を借りたらしい。***

     ☆   ☆   ☆

うけい

天照大御神が須佐之男命の申し入れを受け入れたので、「うけい」が行われることになった。

それぞれは、天の安の河(アメノヤスノカワ)をはさんで「うけい」を始めた。
まず天照大御神が須佐之男命の腰に帯びている十拳の剣(トツカノツルギ)を乞い受けて、三つに折り、玉の音もさやかに高天原の聖なる井戸に振り漱いで、噛みに噛んで、吹き出した息の狭霧に成った神の御名は、タキリビメノミコト。またの御名は、オキツシマヒメノミコトという。
次に、イチキシマヒメノミコト。またの御名は、サヨリビメノミコトという。次に、タキツヒメノミコト。以上の三柱。

須佐之男命は、天照大御神の左の御みずらに巻いた、数多くの八尺の勾玉を長い緒で貫き通した髪飾りの玉を乞い受けて、玉の音もさやかに高天原の聖なる井戸に振り漱いで、噛みに噛んで、吹き出した息の狭霧に成った神の御名は、マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト。その後も同様に、右の御みずらに巻いた玉を乞い受け、息の狭霧から成った神の御名は、アメノホヒノミコト。御かずらに巻いた玉を乞い受け、息の狭霧に成った神の御名は、アマツヒコネノミコト。さらに、左の御手に巻いた玉からは、イクツヒコネノミコト。右の御手に巻いた玉からは、クマノクスビノミコト。合わせて五柱である。

そこで、天照大御神は須佐之男命に告げられた。
「この、あとから生んだ五柱の男子は、我が持ち物から成ったから、当然私の子である。先に生んだ三柱の女子はお前の持ち物から成ったから、お前の子となる」
このように、御子の所属を決められたのである。

因みに、先に生まれた三柱の女神は、胸形(ムナカタ・現在の福岡県の宗像か)の奥津宮、中津宮、辺津宮(ヘツミヤ)に鎮座されていて、胸形君らが祭り仕えている三前(ミマエ)の大神である。
そして、このあとから生んだ五柱の男神のうちの、アメノホヒノミコトの子であるタケヒラトリノミコトは出雲国造(イズモノクニノミヤツコ)らの祖先である。また、アマツヒコネノミコトは凡川内国造(オウシコウチノクニノミヤツコ)らの祖先である。

     ☆   ☆   ☆


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歴史散策  古代からのメッセージ ( 5 )

2015-04-21 19:20:09 | 歴史散策
          古代からのメッセージ ( 5 )

天の石屋

「うけい」で競い合った後、須佐之男命は天照大御神に言った。
「我が心は清く明るいので、私は女の子を得た。これにより、当然私の勝ちである」
そう宣言すると、勝ちに乗じて、須佐之男命は天照大御神が作られている田の畦を壊し、溝を埋め、大嘗(オオニエ)の儀式をされる御殿に糞をまき散らした。

しかし、天照大御神は、須佐之男命の乱暴の限りをとがめることもなく、
「糞のようなものは、我が弟が酔って吐き出したものであろう。また、田の畔を壊し溝を埋めたのは、使われていない部分がもったいないとでも思って、我が弟がそうしたのであろう」
と、庇われたのである。
けれども、須佐之男命の悪い行いは止むことなく、さらに激しくなった。

天照大御神が、忌服屋(イミハタヤ)にいらっしゃって、神御衣(カムミソ)を織らせていた時に、その忌服屋の屋根の頂に穴をあけて、高天原の斑入りの馬の皮を剥いで落し入れた。中に居た天の服織女(ハトリメ)は驚きのあまり、機織りの機材を下腹に突き立てて死んでしまった。
ここに至って天照大御神は、弟の命のあまりの乱暴を恐れ、天の石屋(アメノイワヤ)の戸を開き、中に籠ってしまわれた。
すると、天高原はすっかり暗くなり、芦原中国(アシハラノナカツクニ・地上の国)もことごとく暗くなってしまった。
こうして、光が失われ、いつ明けるとも知れない夜が長く続いた。

そして、大勢の神々が騒ぐ声は、五月の蠅の如くいっぱいとなり、たくさんの禍(ワザワイ)がことごとく起こった。
そこで、八百万の神々は天の安の河原に集まり、天照大御神を天の石屋から引き出す方法を相談した。
その結果、タカミムスヒノカミ(高御産巣日神)の子であるオモヒカネノカミ(思金神)に考えさせて、まず、常世(トコヨ・海の彼方の異郷)の長鳴鳥を集めて鳴かせ、天の安の河の河上にある堅い石を取り、天の金山の鉄(クロガネ)を取り、鍛冶師であるアマツマラを捜し出して、イシコリドメノミコトに命じて鏡を作らせ、タマノオヤノミコトに命じて八尺の勾玉を数多く長い緒に貫き通した玉飾りを作らせ、アメノコヤノミコトとフトタマノミコトを呼び出して、天の香山(アメノカグヤマ)の雄鹿の肩の骨を取り出させ、天の香山のハハカ(桜の一種)でその骨を焼いて占わせ、天の香山のよく茂った榊を根こそぎ掘り取ってきて、その上の枝には八尺の勾玉を数多く長い緒に貫き通した玉飾りを付け、中の枝には八尺の鏡をかけ、下の枝には白い幣と青い幣をさげて、この様々な品は、フトタマノミコトが尊い御幣として捧げ持ち、アメノコヤノミコトが尊い祝詞を寿ぎ申し上げて、アメノタヂカラオノカミが戸の脇に隠れて立ち、アメノウズメノミコトが天の香山の日蔭かずらを襷にして、天のまさきかずらを髪飾りにして、天の香山の笹の葉を束ねて手に持ち、天の石屋の戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神懸かりして胸乳を露出させ、裳の紐を女陰まで押し垂らした。
そうすると、高天原がどよめき、八百万の神々はどっと笑った。

外の様子に、天照大御神は不思議に思い、天の石屋の戸をほんの少し開けて、内側から外の様子を窺った。
「私はここに籠っているので、天の原は自ずから暗くなり、また芦原中国もすべて暗いと思うのに、どうしてアメノウズメノミコトは桶を鳴らし踊っているのか。そのうえ、八百万の神々は皆大笑いしているのか」
と申された。
「あなた様よりも立派な神がいらっしゃりますので、皆が喜び笑って歌舞をしているのです」
と、アメノウズメノミコトがお答えする。
そのようにお答えしている間に、アメノコヤノミコトとフトタマノミコトがあの鏡を差し出して、天照大御神にお見せすると、それに写った姿を自分とは気づかず、少しずつ戸から出て鏡に写っている姿を確かめようとされた。

戸の脇に隠れてそれを待っていたアメノタヂカラオノカミがその御手を取って外へ引き出すと、すぐにフトタマノミコトが天照大御神の後ろに注連縄を引き渡して、
「これから内へお戻りになることはかないません」
と申し上げた。
こうして、天照大御神がお出ましになった時、高天原と芦原中国はもとのように明るくなったのである。

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歴史散策  古代からのメッセージ ( 6 )

2015-04-21 19:19:19 | 歴史散策
         古代からのメッセージ ( 6 )

須佐之男命を追放

須佐之男命の暴虐に堪えかねた八百万の神々は相談しあって、須佐之男命に山ほどの祓え物を背負わせ、髭と手足の爪とを切り取って、罪をあがなわせて天上の国から追放した。

また、神々は、食べ物をオオゲツヒメノカミに求めた。
オオゲツヒメノカミは、鼻・口と尻からさまざまな美味な物を取り出して、さまざまに料理し盛り付けて差し上げる時に、須佐之男命がこの様子を窺っていて、穢して差し上げようとしているのだと思い、そのオオゲツヒメノカミを殺してしまったのである。
そうして、殺されてしまった神の身体に成ったものは、頭には蚕が成り、二つの目には稲の種が成り、二つの耳には栗が成り、鼻には小豆が成り、女陰には麦が成り、尻には大豆が成った。
そこで、カムムスヒノミオヤノミコト(神産巣日御祖命・芦原中国に働き続ける神)は、須佐之男命にこれらの成った穀物の種を取らせた。

     ☆   ☆   ☆

八俣のおろち

さて、天上から追放された須佐之男命は、出雲国の肥の河の上流、鳥髪という所に降った。
すると、この時、箸がその河を流れ下ってきた。須佐之男命は、その河の上流には人がいると思い、尋ね求めて上っていったところ、老人と老女の二人がいて、女の子を間において泣いていた。

「お前たちは、誰か」
と、須佐之男命が尋ねた。
「私は国つ神で、大山津見神(オオヤマツミノカミ)の子です。私の名は足名椎(アシナヅチ)といい、妻の名は手名椎(テナヅチ)といい、娘の名は櫛名田比売(クシナダヒメ)といいます」
と、老人が答えた。 [ 国つ神(クニツカミ)は、天上の神に対してへりくだって名乗るときに用いられる。]

「お前たちが泣いているわけは何か」
と、須佐之男命がさらに尋ねると、その老人が答えた。
「私の娘は、もともと八人いたのですが、高志の八俣(コシノヤマタ)のおろちが毎年やって来て食べてしまったのです。今、そのおろちがやってくる時なのです。それで泣いていたのです」
「そのおろちは、どのような姿形をしているのか」
「その目は赤かがち(赤くなったほうずき)のようで、一つの身体に八つの頭と八つの尾があります。また、その身体には日蔭かずらと檜・杉が生え、その長さは谷八つ、山八つに渡っていて、その腹を見れば、どこもかも血が流れただれています」
と、老人は答えた。

そこで、須佐之男命はその老人に、申し出た。
「このお前の娘を私に献上するか」
「畏れ多いことです。しかし、まだあなたのお名前を存じません」
「私は、天照大御神の同母の弟である。そして、今、天上より降ってきたのだ」
と、須佐之男命が答えると、足名椎と手名椎の神は、
「さようでいらっしゃるのであれば、畏れ多いことでございます。わが娘を差し上げましょう」
と申し出を受け入れた。

須佐之男命は、その娘をたちまちのうちに神聖な爪櫛に変えて、自分のみずらに刺して、足名椎・手名椎の二人の神に命じた。
「お前たちは、何度も醸造を繰り返した強い酒を造り、また、垣を作って廻らし、その垣に八つの入り口を作り、その入り口ごとに八つの仮の棚を設け、その棚ごとに船形の酒の器を置き、その器ごとに強い酒を盛って待て」
命じられた二人は、命じられたように準備を整えて待っていると、その八俣のおろちが本当に二人の神の言葉通りにやって来て、すぐさま船形の器ごとに自分の頭を垂らし入れて、中の強い酒を飲んだ。

やがて、おろちは酒に酔い、その場に突っ伏して寝てしまった。
機を窺っていた須佐之男命は、腰に帯びていた十拳の剣を抜き、その蛇を斬り散らしたところ、肥の河は血の川となって流れた。
そして、その蛇の中ほどの尾を斬った時に、御刀の刃が欠けてしまった。不審に思って御刀の切っ先で刺し、裂いて見てみると、つむ羽の大刀(ツムハノタチ・つむ羽の意味は諸説あるも不詳)があった。
須佐之男命は、この大刀を取って、稀有なものと思い、天照大御神に申し上げて献上した。
この大刀こそ、草那芸之大刀(クサナギノタチ)なのである。

     ☆   ☆   ☆

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歴史散策  古代からのメッセージ ( 7 )

2015-04-21 19:18:31 | 歴史散策
          古代からのメッセージ ( 7 )

須賀の宮 

さて、八俣の大蛇を退治した須佐之男命は、宮を作るための土地を出雲国に求めた。
そして、須賀という地に至った時、
「この地に来て、我が心はすがすがしい」
と言って、そこに宮を作り住むことになった。それで、その地を今は須賀というのである。

この大神(須佐之男命のこと。宮を作ったことからか、初めて大神と記されている)が、最初に須賀の宮を作った時に、そこから雲が立ち上った。
そこで御歌を作った。
『 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を 』
( 雲が湧きいずる出雲の地に、雲のように幾重にも垣をめぐらし、妻を住まわせるために幾重にも垣を作っている。ああ、その幾重にもめぐらした垣よ。)

そして、須佐之男命は、足名鉄神(アシナヅチノカミ)を呼び寄せて、この須賀宮の長官に任じ、稲田宮主須賀之八耳神という名前を与えた。
こうして須賀宮を造営し、あの櫛名田比売と寝所に入り生んだ神の名は、八島土奴美神(ヤシマジヌミノカミ)という。
また、大山津見神の娘である神太市比売(カムオオイチヒメ)を娶って、二柱の神を儲けた。
八島土奴美神が、大山津見神の娘である木花知流比売(コノハナチルヒメ)を娶って儲けた子は、布波能母遅久奴須奴神といい、この神の子が深渕之水夜礼花神といい、この神の子が淤美豆奴神といい、この神の子が天之冬衣神(アメノフユキヌノカミ)といい、この神が刺国若比売(サシクニワカヒメ)を娶って生まれた子が大国主神(オオクニヌシノカミ)である。

大国主神は、またの名を大穴牟遅神(オオアナムシヂノカミ)といい、またの名を芦原色許男神(アシハラシコオノカミ)といい、またの名を八千矛神(ヤチホコノカミ)といい、またの名を宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)といい、合わせて五つの名前を持っている。

     ☆   ☆   ☆

稲羽の兎

さて、この大国主神にはたくさんの兄弟の神々がいた。けれども、兄弟の神々たちは皆、国を治めることを大国主神に委ねた。
その理由というのは、次のような出来事があったからである。

その兄弟の神々が、それぞれ稲羽の八上比売(ヤカミヒメ)と結婚したいと思う心を持っていて、一緒に稲羽に行った時、大国主神に袋を背負わせて、従者の扱いのようにして連れて行った。
そして、気多の岬に着いた時に、赤裸の兎が倒れていた。
それを見た兄弟の神々はその兎に、
「お前は、この海水を浴び、風が吹くのに当たって、高い山の頂に伏せっておれ」
と教えた。
その兎は、兄弟の神々の教えに従って伏せっていた。

すると、その海水が乾いていくにしたがって、身体の皮が風に吹かれて裂けていった。
兎は、痛みに苦しみ泣き伏していると、一番最後にやってきた大国主神がその様子を見て、
「どうしてお前は泣き伏しているのか」
と尋ねた。
兎は答えて申し上げた。
「私は、隠岐島に居ましたが、ここへ渡ろうと思いましたが、渡る方法がありませんでした。そこで、海のわに(鮫のことらしい)をだまして、『私とお前と比較して、一族の多い少ないを数えたいと思う。この島から気多の岬まで、全員が並んで伏せよ。そこで私がその上を踏んで、走りながら声に出して数えながら渡ろう。そうすれば、私の一族とどちらが多いか分かるだろう』と言いました。
私がそう言いますと、わにたちはだまされて並んで伏したので、私はその上を踏んで声を出して数えながら渡ってきて、今まさに地面に降りようとするときに、『お前たちは、私にだまされたのだ』と私が言うと、一番端に伏せていたわにが私を捕えて、私の着物をすべて剥いでしまったのです。
このため、泣いて困っていたところ、先に行った大勢の神々が、『海水を浴びて風に当たって伏せていよ』と教えてくれました。それで、教えられた通りにしたところ、私の身体は、ことごとく傷ついてしまったのです」
とのことであった。

それを聞いた大国主神は、
「今すぐにこの河口に行き、真水でお前の身体を洗って、急いで河口の蒲の穂を取って敷き詰めて、その上に横たわって転がれば、お前の身体はきっともとの肌のように治るだろう」
と、兎に教えました。
早速兎が教えられた通りにすると、その身体はもとの通りになった。
これが、稲羽の白兎なのである。今は、兎神という。

そして、その兎は大国主神に、
「先に行った大勢の神々は、きっと八上比売を手に入れることは出来ないでしょう。従者のように大きな袋を背負っていても、あなた様が手に入れるでしょう」
と申し上げたのである。

     ☆   ☆   ☆







      
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歴史散策  古代からのメッセージ ( 8 )

2015-04-21 19:17:47 | 歴史散策
          古代からのメッセージ ( 8 )

兄弟の神々の迫害

さて、赤裸の兎にいたずらをした兄弟の神々は、我こそはとばかりに八上比売(ヤカミヒメ)を求めようとしましたが、
「私は、あなた方の申し出は受けません。私は、大国主神に嫁ぎます」
と、答えたのです。

兄弟の神々は怒って、大国主神を殺そうと思い相談し合った。
そして、伯耆国の手間の山の麓に着いた時に、兄弟の神々たちは大国主神に言った。
「赤い猪がこの山にいる。そこで、我々が一緒になって山の上から追い下るので、お前が待ち受けていて捕えよ。もし捕えることが出来なければ、必ずお前を殺すぞ」
と命じて、兄弟の神々たちは、猪に似た大きな石を火で焼いて、真っ赤にして転がし落とした。
そして、その後を兄弟の神々が追いかけて下ってきたので、大国主神はその真っ赤な石を捕まえたところ、たちまちその石に焼き付けられて死んでしまった。

それを知った大国主神の御母の命は泣き悲しんで天上に参り、神産巣日之命(カムムスヒノミコト)に申し上げたところ、すぐにキサカイヒメとウムカイヒメとを遣わして作り生かすようにさせた。
天上より降った二人は、キサカイヒメが石に張り付いた大国主神の身体をこそげ集め、ウムカイヒメが待っていて受け取り、母親の乳を塗ったところ、立派な青年になって歩き出したのである。

この様子を見ていた兄弟の神々は、再び大国主神をだまして山に連れて入り、大きな樹を切り倒して、割れ目にくさびを差しこんで、その割れ目に大国主神を入らせると、くさびをいきなり抜き取って、打ち殺してしまった。
すると、また母親の命が泣きながら探し回って、見つけるとすぐにその木を割いて取り出して生き返らせた。そして、
「お前は、ここにいたらしまいには兄弟の神々に滅ぼされてしまうだろう」
と言って、すぐに木国(キノクニ)の大屋毘古神(オオヤビコノカミ)のもとに人目を避けて行かせた。

しかし、兄弟の神々は大国主神を探し求めて追いつき、弓に矢をつがえて大国主神を引き渡すように求められると、大屋毘古神は大国主神を木の叉からくぐり抜けさせて逃し、「須佐之男命がいらっしゃる根之堅州国(ネノカタスクニ)に向かいなさい。きっと、その大神が取り計らってくれるでしょう」と言って向かわせた。

     ☆   ☆   ☆

根之堅州国

大国主神が須佐之男命のもとに参り着いたところ、その娘である須勢理毘売(スセリビメ)が出てきて、大国主神を見ると、目配せして、結婚した。
須勢理毘売は家に帰って、その父に申し上げた。
「たいへん立派な神がきました」と。
そこで、大神が出てきて大国主神を見て、
「これは芦原色許男命(アシハラシコオノミコト)という者だ」
と仰せられ、すぐに呼び入れて蛇の室に寝させた。
すると、妻となった須勢理毘売は、蛇の領巾(ヒレ・女性が肩にかける薄い布。ここでは、蛇に効力がある領巾という意味か)を夫に授けて、
「蛇が喰おうとしたら、この領巾を三度振って打ち払いなさい」
と教えた。
それで、教えられた通りにしたところ、蛇は自然に静まった。こうして、大国主神は無事に寝ることが出来て室を出た。

また、別の日の夜には、ムカデと蜂の室に入れられた。
するとまた、須勢理毘売が先日と同じようにムカデと蜂の領巾を授けて、同じように教えた。そのお蔭で、大国主神はその室からも無事に出ることが出来た。

また、須佐之男命は鳴鏑(カブラ・鏑矢)を大きな野の中に射こんで、その矢を大国主神に取らせた。
それで、大国主神がその野に入ると、直ちに火で周囲を焼いた。
大国主神が逃げ道が分からないでいたところ、鼠が出てきて、「内はほらほら、外はすぶすぶ」と言った。
それを聞いて、そこを踏んだところ、穴があいて落ち込んでしまい、その中にこもっている間に火はその上を燃えて通り過ぎていった。
そして、その鼠が例の鳴鏑をくわえて持ってきて差し出した。その矢の羽は、その鼠の子らが食べてしまった。

     ☆   ☆   ☆




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歴史散策  古代からのメッセージ ( 9 )

2015-04-21 19:16:58 | 歴史散策
          古代からのメッセージ ( 9 )

二人の妻

父に火をかけられて大国主神は死んでしまったものと思った妻の須勢理毘売は、喪の用具を持って泣きながらやって来たので、父の須佐之男大神は大国主神はすでに死んでしまったのだと思い、その野に出て行った。

すると、大国主神が例の矢の部分を差し出したので、家に連れて帰り、多くの田が入るほどの大きな室に呼び入れて、頭の虱を取らせた。大国主神が須佐之男大神の頭を見ると、ムカデがたくさんいた。
そこへ妻の須勢理毘売が来て、椋(ムク)の木の実と赤土を取って夫に与えた。それを受け取った大国主神は、その木の実を噛み砕き赤土を口に含んで吐き出したところ、大神はムカデを噛み砕いて吐き出しているものと思い、心の中で愛おしく思いながら寝てしまった。

そこで、大国主神はその大神の髪を手に取って、その室の垂木(タルキ)ごとに結び付けて、五百人掛かってようやく動くほどの大きな石でその室の入り口を塞いで、妻の須勢理毘売を背負い、その大神の生大刀(イクタチ・生は、生き生きとした力を指す)と生弓矢と、天の沼琴(アメノヌコト・玉飾りの付いた琴。ヌは玉を表す)を奪って逃げだした。
その時、天の沼琴が樹に触れて、大地が揺れ鳴り響いた。そのため、寝ていた須佐之男大神がこれを聞いて驚き、その室を引き倒した。しかし、垂木に結び付けられている髪をほどいている間に、大国主神は遠くまで逃げた。

やがて、須佐之男大神は追いかけて、黄泉ひら坂(ヨモツヒラサカ・黄泉国あるいは根之堅州国と芦原中国との境界)に至ると、遥か先の大国主神に呼びかけた。
「お前が持っている其の生大刀・生弓矢で、お前の腹違いの兄弟たちを坂の裾に追い伏せ、また川の瀬に追い払って、お前は大国主神となり(正しくは、ここまでは大穴牟遅神と呼ばれていた)、また宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)となって、そのわが娘須勢理毘売を正妻として、宇迦能山の麓で、盤石の大岩の上に太い宮柱を立て、高天原(タカアマノハラ)に千木(チギ・屋根の両端で木材が交叉して棟より高く突き出た部分)を高くそびえさせて住め。この奴め」
と叫んだ。
大国主神は、その大刀・弓をもって大勢の兄弟の神々を追いやる時、坂の裾ごとに追い伏せ、川の瀬ごとに追い払って、初めて国を作った。

そして、あの八上比売(ヤカミヒメ)は、先の約束通り大国主神と結婚した。
それで、八上比売を宮殿に連れてきたが、正妻の須勢理毘売を畏れて、自分の生んだ子を木の叉に差し挟んで帰ってしまった。
その子は、木俣神(キノマタカミ)という。またの名は、御井神(ミイノカミ)という。

     ☆   ☆   ☆

沼河比売

さて、大国主神が多くの名前を持っていることはすでに述べたが、八千矛の神というのもその一つであるが、その彼は、高志国(コシノクニ・越国。今の北陸地方)の沼河比売(ヌナカワヒメ)と結婚しようと思い向かった。
そして、その家に着くと、歌で呼びかけた。

『八千矛の 神の命(ミコト)は 八島国 妻娶(マ)きかねて 遠々し 高志の国の 賢(サカ)し女(メ)を 有りと聞かして 麗(クワ)し女を 有りと聞かして ・・・ 』
(私、八千矛神は、八島国(日本全土を指す)の内で妻を求めかねていたが、遠い遠い高志の国に賢い女がいると聞いて、麗しい女がいると聞いて、求婚しようと思いやって来た。大刀の緒もまだ解かず、襲衣(オスイ・上着)もまだ脱がないで、乙女の寝ている家の板戸を、何度も押し揺さぶり、何度も引っ張ったりしているうちに、青山では鵺(ヌエ・トラツグミのことで、深夜の物思いを誘う鳥とされる)が鳴いてしまった。
さらに、野原の鳥である雉が鳴き騒ぐし、庭の鳥である鶏も鳴いている。いまいましくも鳴き騒ぐ鳥どもめ、こんな鳥は打ち殺して鳴くのを止めさせよ。付き従ってきている空飛ぶ鳥よ、このことを語り伝えよ、正しくな。)

大国主神(八千矛神)の歌の呼びかけに対して、沼河比売は、まだ戸を開けようとせず、家の中から歌って言うには、
『八千矛の 神の命 萎(ナ)え草の 女(メ)にしあれば 我が心 浦渚(ウラス・入り江の中の砂地)の鳥ぞ 今こそば 我鳥(ワドリ)にあらめ 後(ノチ)は 汝鳥(ナドリ)にあらむを 命は な殺せたまひそ ・・・ 』
(八千矛の神の命よ、萎え草(なよなよとした感じ。女にかかる枕言葉のようなもの)のような女ですから、私の心は浦渚の鳥のようなものです。今は私のものでしょうが、後には、あなたのものになるでしょうに、その鳥の命は殺さないでください。付き従ってきている空飛ぶ鳥の使いよ、そのように伝えてください。このことを正しくね。
青山に日が隠れたならば、ぬばたまの夜になりましょう。朝日のような笑みをたたえておいでになり、白い腕を、柔らかな胸をそっとたたき、愛しがり、玉のような手を差し交して枕にし、脚を伸ばして、おやすみなさいますのでしょうから、むやみに、恋い焦がれなさいますな、八千矛の神の命よ。語り伝えられていることも、このようでございましょう。)

そこで、大国主神は、その夜は逢わず、あくる日の夜に訪れて結ばれたのである。

     ☆     ☆     ☆

 


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