古代からのメッセージ ( 1 )
「古事記」をそのまま受け取ろう
「古事記」が「日本書紀」とともに、わが国の古代を伝える文献の中で、現存している最古の物であることは、定説といえよう。
しかし、その内容については、神話的伝承はともかく、神武天皇以降の記録についても、歴史的事実としては多くの疑義があり、そこには、誇張や混入といったものばかりでなく、明らかな創作であるとか、歪められた記録が多見されるという研究者の声も少なくない。
本稿は、「古事記」に記録されている全てについて、それが歴史的事実か否かという論争から離れて、描かれている歴史事実とされる物、伝承や物語などを素直にそのまま受け取るために、「古事記」の中から興味深い部分のいくつかを味わってみようという試みである。
その中には、明らかに神話として現代の私たちと同一視して考えることなど出来ない物もあれば、現代人の常識では許容できない内容の物もある。あるいは、これまでの先人方の研究により、明らかに虚偽であったり、誤伝であるとされるものもある。
しかし、それらも含めて、その書かれている記事には、それを書き残そうとした意志があり、描こうとした狙いや理想が隠されているはずである。そして、むしろ、そこにこそ「古事記」という文献を編纂した真の目的があるのかもしれないとも思うのである。
本稿は、「古事記」を通して歴史的真実を追求しようとするものではない。現在私たちが目にすることの出来る「古事記」が、原本と若干の相違がある恐れはあるが、壬申の乱(672)に勝利した天武天皇の命により撰録が始まり完成されたとされる元明天皇の御代(在位期間707~715)の頃の天皇を中心とした朝廷指導者たちの息吹が含まれていると思うのである。
以下、「古事記」のごく一部分をご紹介させていただくが、ぜひ、それが歴史的事実かどうかという観点ではなく、往時の人々が描こうとした想いのようなものを推測していただきたいと思うのである。
そうすることが、「古事記」が描こうとした「古代からのメッセージ」の一端を味わえる方法のように思うのである。
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最初に現れた神々
『 天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神。』
古事記の本文は、このような文章で始まる。
「 天地が初めてあらわれ動き始めた時に、タカアマハラに成った神の名は、アメノミナカヌシノカミ。」と始まり、続いて、タカミムスヒノカミ、続いてカムムスヒノカミが成った。
この三柱の神は、独神(ヒトリガミ・男女という性を有さない神)で、やがて身を隠された。
次に、地上世界はまだ未熟で、水に浮かぶ油のようで、くらげのように漂っている時に、葦の芽のように萌えあがる物に因って成った神の名は、ウマシアシカビヒコヂノカミ、そして、アメノトコダチノカミである。
この二柱の神も独神であり、やがて身を隠された。
以上の五柱の神は、別天神(コトアマツカミ・特別の天つ神)である。
その次に、二柱の神が成り、この二柱の神も独神で、やがて身を隠された。
さらに、次々と神は成り、五組十柱の神々が姿を見せられた。
先の二柱は、一柱で一代(ヒトヨ)であり、次の五組の神々は、男女一組で一代と数える。
そして、この二柱と五組十柱の神々を総称して、神世七代(カミヨナナヨ)という。
この五組のうちの最後の組の神の名は、イザナギノミコト・イザナミノミコトである。
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イザナギノミコト・イザナミノミコト
高天原においでの神々が相談されて、イザナギノミコト(伊耶那岐命)・イザナミノミコト(伊耶那美命)の二柱に、「漂える国をあるべき姿に整えよ」と命じられ、天の沼矛(アメノヌホコ・玉飾りのある矛)を授けられた。
二柱の神は、天の浮橋に立って、授けられた沼矛を指し下ろして漂える辺りを掻き回して引き上げたところ、その矛の先よりしたたり落ちた潮は積もって島となった。これをオノゴロ島という。
二柱の神はその島に天降りされて、天の御柱を見つけ、八尋殿(ヤヒロデン)を見つけられた。
『 ここに、イザナギノミコトはその妻のイザナミノミコトに尋ねて申されるには、
「汝が身は、如何にか成れるか」
これに答えて申されるには、
「吾が身は、成り成りて成り合わぬ処一処在り」
これに対してイザナギノミコトは、
「吾が身は、成り成りて成り余れる処一処在り。故に、この吾が身の成り余れる処を以って、汝が身の成り合わぬ処をさし塞ぎて、国土を生み成さんと思う。生むは、いかに」と言われるのに、イザナミノミコトは答える。
「然(シカ)、良し」と。 』
以上は、古代人の何とも直截で、おおらかな表現である。
この部分を、「二人の欠点を補いあおう」ということとして意訳している参考書もある。
そこで二人(二柱)は結ばれて、次々と、国土と神々を生んでいくことになる。
最初の頃に生んだ国土は、不完全で役に立たないものばかりだったので、二人は高天原に戻り、天つ神に相談すると、占いの結果、二人が出会った時に、イザナミノミコトから声をかけたのがいけないということになり、改めてイザナギノミコトから声をかけて結ばれると、次々と立派な国土や神々を生むことが出来るのである。
その生んだ国や神の数は「数知れず」というほどであるが、神々は後の豪族などの祖先にもなっていることを考えれば、島も、国も、神も、人間も、ほとんど同一線上にあるように思われるのである。
また、二人で生んだのは、十四の島と、三十五柱の神と記されているが、イザナミノミコトが亡くなった後にも、多くの神々を誕生させている。
その誕生の様子は、例えば、イザナミノミコトが亡くなったことを悲しんで流した涙からは、泣沢女神という神が誕生しているし、飛び散った血潮や、水しぶき、投げすてた帯などからも神が誕生している。
イザナギノミコトとイザナミノミコトとが結ばれて生んでいった島や神は、いかにも人間的であるが、涙や血潮や水しぶきなどからも多くの神々が生まれたとなれば、しかも、それがイザナギノミコトにより成されたとなれば、どのように理解すればよいのだろうか。
これらのことから、神と人間は極めて近い関係であり、人々を取り巻くあらゆる物に神々が宿っているという考え方につながっていると思うのだが、少々無理な想像かもしれない。
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