ロンドンオリンピック、寝不足になりながら楽しんでいます。
一つのメダルの陰に多くの物語が隠されており、感動したり、同情したりの毎日です。
それぞれの競技にはそれぞれの特徴があり、歴史や国民性なども加味されながら、実にたくさんの競技があるものだと感心してしまいます。
例えば、カヌー競技などは、もちろん名前は知っていましたし、これまでにも映像は何度か見ましたが、今回テレビ放送を見ていても、どのあたりが技術的にすばらしいのか今一つ分からず、むしろ、こんな競技施設をつくるのは大変だっただろうなどと感心している始末です。
かつて、クーベルタン男爵は、スポーツを通じて世界の平和に貢献しようと近代オリンピックを提唱したと学びましたが、かの男爵も、今日のような発展までは考えていたでしょうか。
今回は、204の国や地域が参加していて、現に戦闘状況にある地域や、紛争の絶えない地域からも多数の国などが参加しています。経済的に厳しい状況にある国家や、経済面や領土などをめぐって激しく対立している国家も同じ競技場で肩を並べていたりします。
クーベルタン男爵の高邁な理想は、達成には遥かに遠いということは確かですが、この競技会にはまだまだ夢を託すだけの可能性があるように思われます。
競技運営に関していえば、審判判定に関しての不手際や不明瞭さがちらほら見えてしまいました。
メダル獲得のための凄まじいまでの戦いは見るものに感動を与えますが、それが行き過ぎてしまい、無様な姿として表面化してきているものもいくつか指摘されています。ある競技で無気力試合として失格扱いとなったものなどは、少々ではなく、相当程度を超えてしまっているように見えました。
これなどは、おそらく競技している選手の意思ではなく、指導者層の作戦、あるいは背景にある団体や国家の事情が出てしまったのだと思うのですが、実に後味の悪い出来ごとに感じました。
しかし、どうでしょうか。いろいろ醜い面も浮かび上がってきてはいますが、全体としてはオリンピック大会は感動を与えてくれるものだと思うのです。
大会はまだ前半戦が終わろうとしているところですが、これからも、まだまだ素晴らしい競技を展開してくれることでしょう。スポーツだけで世界の平和が実現できるとは思われませんが、希望を感じさせてくれるような気もします。
私たちの社会も、多くの嫌な事件や現象を抱えています。時代が進むことと、私たちが住みよい社会になることとが、一致しているとはとても実感できないのですが、オリンピック出場選手たちの努力や苦難を乗り越える姿を思えば、私たちは、そうそう簡単にこの社会を見捨てるべきではないように思うのです。
進歩の度合いは少なくとも、おもしろくないことの多過ぎる社会だとしても、それなればこそ私たちは、未来への希望を見つけ出すことが絶対に必要だと思うのです。
( 2012.08.04 )