雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

にくきもの

2015-01-31 11:00:13 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二十五段  にくきもの
    
にくきもの。
急ぐことあるをりに来て、長言するまらうど。あなづりやすき人ならば、「後に」とても、やりつべけれど、さすがに心はづかしき人、いとにくく、むつかし。
   (以下割愛)


憎らしいもの。
急用のある時にやって来て、長話をするお客。それが身分の低い者でしたら、「後で」とでも言って、帰してしまうことができますが、こちらが気おくれするような立派な人の場合は、そういうわけにもいかず、ほんとに憎らしく、困ってしまいます。

硯に髪の毛が入ってすられているとき。また、墨が粗悪なためか砂粒が入っていて、きしきしと嫌な音を立ているとき。どちらもとても気持ちが悪い。

急病人がいるので、修験者を呼ぼうとしたところ、いつもいるはずの所におらず、別の所を探しまわっている間が、とても待ち遠しく長く感じますのに、やっとの思いで迎え入れて、よかったと思いながら加持をさせますと、このところ、物の怪の調伏にたずさわって疲れ切ってしまっていたせいなのでしょうか、座るやいなや読経が眠り声なのは、たいそう憎らしい。

これといって取り柄のない人が、へらへら笑いながら、ぺらぺらおしゃべりしているのは、憎らしい。
火鉢などの火に、かざした手を何度も何度も裏返したり、さすったりなんかしながら、あぶっている者は、憎らしい。いつ若々しい人などが、そんな見苦しいことをしたことがありますか。 
年寄りめいている人は、きまって火鉢の淵に足までも持ち上げて、物を言いながら足をこすったりするようですよ。そのような不作法者は、人の所にやって来た時など、座ろうとする所を、まず扇であちらこちらへ煽ぎ散らし、塵を掃き捨てて、座ってもなおふらふらと落ち着かず、狩衣の前裾を股ぐらに巻きいれて座るようなのですよ、まったく。
「このようなことは、取るに足りない身分の者がすることだ」と思っていましたが、少しはましな身分の者で、そう、式部の大夫などといった人がするのですから、ほんとに憎らしいです。

また、酒を飲んでわめき、口をまさぐり、髭がある人はそれを撫で、杯を他の人におしつける時の様子は、たいそう憎らしく見える。
「もっと飲め」と決まったように言うのですが、身体をゆすり、頭を振り、口をへの字にひんまげて、子供たちが「こう殿にまゐりて・・・」などを歌う時のような格好をするのですから。それがなんと、本当に身分の高い立派な人がなさったのを見ましたので、「ああ、いやだ」と思うのです。

何でもうらやましがり、自分の身の上を嘆き、他人のことをあれこれと噂し、ほんのちょっとしたことにも興味を持ち、また聞きたがりして、話してやらない人に対しては、恨んだり悪口を言ったりして、また、少しばかりのことでも聞きこんだことは、まるで自分がもとから知っていたことのように、他の人にも尾ひれをつけて話すのも、たいへん憎らしいことです。

人のお話を聞こうと思っている時に泣く乳飲み子。
カラスが集まって 飛び交いながら羽音をたててガアガアと鳴いているの。
忍んで来る恋人を見つけて、吠える犬。どれもこれも、憎らしい。

やむをえず、無理な場所にかくまっていた恋人が、いびきをかいているのですよ、まったく、もう。

また、忍んでくる場所に、無神経に長烏帽子をかぶってくるなんてどうかと思いますが、それでも、さすがに「人に見られないように」と、あわてて部屋に入ろうとするのですが、何かにその長烏帽子をつきあてて、がさりと音をたてるのですよ。簾などが掛けてある所をくぐる時にも、頭にひっかけて、ざらざらと音をたてているのですから、ほんとに憎らしい。
上縁に布を張った簾は、持ち上げたあと下に置く音が、とてもはっきり響くものです。それでも、端を静かに引き上げて入れば、そうそう音はしないものですよ。

重い引き戸などを荒々しく開けたてするのも、ずいぶんと下品なことです。少し持ち上げるようにして開ければ、音はしなものです。
乱暴にに開ければ、襖などでも、ゴトゴトとがたついて、ひどい音がするものですよ。

「眠たい」と思って横になっている時に、蚊が細かいかすかな声で、ブーンとその存在を名乗って、顔の辺りを飛び回るのですよ。小さいくせに、それなりに一人前のように羽風まであるのが、まったく憎らしい。

ぎしぎし音を立てる牛車であちこち出歩く人。「耳も聞こえないのかしら」と、とても憎らしい。自分が乗っている牛車がそのような状態の時には、乗せてくれたその車の持ち主さへも憎らしくなります。
また、お話をしている時に、横から口出しして、自分勝手に話の先回りする人。出しゃばりは、子供でも大人でも、とても憎らしいものですよ。

ちょっと遊びに来た子供や幼児を、目を掛けて可愛がって、喜びそうな物をやったりすると、それがくせになり、いつもやって来ては部屋に座り込み、道具類をさんざん散らかしてしまうのが、ほんとに憎らしい。

自宅であっても、出仕先であっても、「顔を合わさないでいたい」と思っている人が来たので、眠ったふりをしていると、自分のもとで使っている者が、起こしに近寄って来て、「この寝坊が」と思っているような顔で、引っ張ったり揺すったりして、むりやり起こそうとするのは、とっても憎らしいのです。

新参者が、先輩をさし置いて、物知り顔で教えがましいような口をきいて、世話を焼いているのは、とても憎らしい。

今自分の恋人である男性が、以前関係のあった女のことを、つい口に出して褒めたりするのも、遠い昔のことであっても、それはもう、やはり憎らしいものですよ。
まして、それが現在関係している女性だとすれば、どうなることやら思いやられることです。けれども、案外それほどでもないという人も、確かにいるようですね。

くしゃみをして まじないを唱えるのは嫌ですね。大体、一家の男主人でもないのに、無遠慮に声高くくしゃみをするのは、たいへん憎らしいです。

蚤も、とても憎らしい。着物の下で跳ねまわって、着物を持ち上げるようにするんですよ。
犬が声を合せて長々と鳴きたてているのは、不吉な感じさえして憎らしい。
出入りする所の戸を閉めない人も、たいへん憎らしい。



お気に召さないことがとても多いようで、少納言さまの日頃のご苦労が忍ばれます。
数多くの例をあげておられますが、無礼な人や分かっていない輩はいつの世にもたくさんいるようです。ただ、どうでしょうか、例にあげられている事柄の殆どは、現在の私たちにも通じることではないでしょうか。
もしかすると、この章段は、少納言さまから千年後の私たちへの御注意かもしれません。
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心ときめきするもの

2015-01-30 11:00:54 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二十六段  心ときめきするもの

心ときめきするもの。
雀の子飼ひ。
ちご遊ばする所の前わたる。
よき薫きものたきて、ひとり臥したる。
   (以下割愛)


心がときめくもの。
すずめの子を飼うの。
乳飲み子を遊ばせている所の前を通るとき。どちらも、胸がどきどきします。
上質のお香をたいて、ひとり横になっているとき、なぜか胸がときめきます。

唐鏡(カラカガミ・輸入物の上等の鏡)が少し曇って来たのを見つけた時。
貴公子が、家の前に牛車を止めて、従者に来意を告げさせたり、何かを尋ねさせたりしているのは、心がときめくものです。
髪を洗い、化粧をし、よく香をたきしめた着物など着ているとき。特別に、見てくれる人もいないような所であっても、心はときめいて快いものなのです。
訪ねてくる恋人を待っている夜などは、雨の音や、風が吹いて戸を揺らす音にも、自然と胸がさわぎます。



最初の二つの例は、例によって少納言さまの遊び心でしょうが、それ以降は、百人一首の絵札に描かれているような女性を連想させてくれます。
特に三つ目の、「よきたきものたきて、ひとりふしたる」は、少納言さまの女性を感じさせる部分だと思うのですが、どのように意訳すれば少納言さまの真意に近付くことができるのでしょうか。
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過ぎにし方恋しきもの

2015-01-29 11:00:46 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二十七段  過ぎにし方恋しきもの

過ぎにし方恋しきもの。
枯れたる葵。
雛遊びの調度。
   (以下割愛)


過ぎ去った昔が恋しいもの。
枯れた葵。
人形遊びの道具。

二藍染や葡萄染などのきれいな布の切れ端が本の間に挟まれているのを見つけたとき。
また、もらった時の印象がとても深かった手紙を、、雨などが降り、ひとりやるせない日に探し出したとき。
去年使った扇。



過ぎ去った時を懐かしむ少納言さま。
出だしのフレーズ「過ぎにし方恋しきもの」は特にすばらしいと思うのです。

なお、葵とは、賀茂祭りの時に飾った葵のことであり、雛は、現在のひな人形のことではなく、子供が遊びに使う人形のことを指しています。
最後の部分の原文は、「こぞのかはほり」ですが、「かはほり」は夏用の扇のことで、翌年になって去年の夏の扇を見つけ、ひと夏の思い出が浮かんできた、ということなのでしょう。
まことに淡々と列記されていますが、少納言さまも一人の女性に戻って、過ぎ去った時をいつくしんでいるのでしょうか。
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心ゆくもの

2015-01-28 11:00:46 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二十八段  心ゆくもの

心ゆくもの。
よくかいたる女絵の、ことばをかしうつけて、おほかる。
物見のかへさに、乗りこぼれて、郎等いと多く、牛よくやる者の、車走らせたる。
   (以下割愛)


満ち足りて気持ちの良いもの。
上手に書いてある女絵の、詞書が巧みで、それもたくさん書いてあるもの。
何かの見物の帰り道に、牛車に女官たちが、着物の袖口などがはみ出るほどいっぱい乗って、従者の男たちを多数引き連れて、牛を巧みに扱う御者が牛車を走らせているのは、気持ちの良いものです。

白く美しい陸奥紙(ミチノクガミ・厚手で最上級の紙)に、とても細字など書けそうもない筆を使って、漢詩を書いてあるもの。
色鮮やかな糸で、練って艶のあるのを、合わせて繰ったものは、とても良いものです。

丁反の遊びで、丁をたくさん言い当てたとき。
弁舌さわやかな陰陽師を頼んで、賀茂の河原に出て、呪詛の祓いをしたとき。
夜、目が覚めて飲む水。

一人でやるせない気分のときに、それほど仲が良くもない客が来て、世間話を、近頃の出来事で、おもしろいこと、憎らしいこと、奇妙なことなどを、誰や彼やにかかわりがあり、公私の分別もきちんとしていて、嫌にならない程度に話して聞かせてくれるのは、たいへんありがたく気持ちの良いものです。

神社や仏閣などに参詣して、祈願をさせるとき、寺院では法師、神社では禰宜などが、理路整然とさわやかで、こちらの期待以上にすばらしく、しかも、よどみなく良い声で願いごとを申し述べてくれたとき。



「心ゆくもの」とは、気持ちがよい、気が晴れる、満足する、といったものを指しますが、あげられているものの中には、もしかすると少納言さま、平安の暴走族か、丁半渡世の経験があるのではないかと思ってしまう部分も含まれています。
もっとも、「丁反」は、現在の丁半ばくちとは別のものですので、念のため。
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びろうげは

2015-01-27 11:00:47 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二十九段  びろうげは

檳榔毛は、のどかにやりたる。急ぎたるは、わるく見ゆ。
網代は、走らせたる。
   (以下割愛)


びろうの葉で飾った立派な牛車は、ゆっくりと進ませているのがいい。急いで走らせているのは、見劣りしてしまいます。
網代の実用本位の牛車は、走らせているのが似つかわしい。

人の家の門の前などを通って行くのを、ふと目をやる間もなく通り過ぎて、供の人だけがあとから走っているのを、今の車の主は誰かしらと思うのは、なかなかおもしろいものです。
網代の車がゆっくりと時間をかけて通って行くのは、あまりよろしくありませんねぇ。



高級車は、ゆったりと走らせるのがよろしいと、少納言さまは千年前に申されています。これ、現在にも通じると思いませんか。
せっかくの高級車を、タイヤをきしませて走らせているは、全く見苦しいですものね。
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説経の講師

2015-01-26 11:00:06 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第三十段  説経の講師

説経の講師は、顔よき。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説く言の尊さも、おぼゆれ。
ひが目しつれば、ふと忘るるに、「にくげなるは、罪や得らむ」とおぼゆ。
   (以下割愛)


説経の講師は、顔の美しい人がいい。講師の顔をじっと見つめていればこそ、その人の説くことの尊さも自然感じられるのです。
そうでないと、よそ見をしてしまうので、つい説経も聞き忘れてしまうので、「醜い講師の場合は、皆が集中して説教を聞かないため、仏の教えを伝えることができず、きっと罪を得るだろう」などと思ってしまう。

しかし、このことは書かないでおきましょう。今少し年が若い頃なら、こんな罪を得るようなことも平気で書いていましたのよ。今の私の歳では、あの世が近くなったことでもあり、仏罰が大変怖いのですよ。
しかしながら、「ありがたいことだ」とか「信じ深いのだ」とか言って、「説経がある」という所へは、いつも真っ先に行って座り込んでいる人を見ますと、、やはり私のような罪深い者からしますと、「そうまでしなくてもいいでしょうに」と思ってしまいます。

元の蔵人などは、以前は、今のように御前駆(行幸の際に召し出された)などということもしないで、辞したその年くらいは、遠慮して宮中あたりには、姿を見せなかったそうです。ところが今は、そうでもないようです。
「蔵人の五位」という名で呼んで、そういう人を、わざわざ頻繁に起用するけれども、やはり蔵人退職のあとは所在ないようで、はた目はともかく、本人自身は暇を持て余しているらしく、そうした説教をする所へ一度、二度と聞きに行き始めてしまうと、いつもお参りしたくなって、夏のたいそう暑い時などでも、直衣の下の帷子を派手に見せびらかして、薄い二藍、青鈍の指貫などを無造作に踏みつけて座っているようですよ。

烏帽子に物忌の札をつけているのは、「物忌に謹慎しなくてはならない日だけれど、説経聴聞という功徳を積むためなので、外出も差しさわりがないと周囲の人に見てもらおう」という魂胆なのでしょうかねぇ。
その説教をするお坊さまと立ち話をたり、聴聞に来た牛車の駐車することなどにまで目を配り、すっかり場馴れしている顔つきなのです。

しばらく会わなかった人と参詣で来合わせると、珍しがって、そばにくっついて座り、話あったりうなずきあったりして、おかしなことなど話しだしたりして、扇を広く広げて、口にあてて笑い、たくさん飾りをつけてある数珠をまさぐって、手でいじりまわし、あちらこちらに目をやりなどして、車の悪い良いをほめたりけなしたり、どこそこの場所で誰それが行った法華八講や経供養をしたことを、あんなことがあった、こんなことがあったと、互いに言い合っているものですから、肝心のここお説経の言葉などは耳にも入らないのですよ。
「なんの、なんの。いつも聞いていることなので、耳慣れていて、別に珍しくもありませんよ」ということなのでしょうよ。

そんな蔵人の五位のような者ではなくて、高座に講師が座ってしばらくたった頃に、先払いも控えめでほんの少しばかりである牛車を止めて降りて来る人たち、それは、蝉の羽より軽そうな直衣や指貫、下には生絹の単衣などを着ている人も、狩衣姿である人も単衣は同様に軽快な服装で、若くすらりとしている男性三、四人ぐらいで、それにお供の者がまたそのぐらいの人数を連れて会場に入ってくると、もとから座っている人たちも、少し身体を動かして、場所を空け、上座にあたる高座のそば近い柱のもとに席を譲ると、かすかに数珠を押しもみなどして説経を聞いて座っているのを、講師もきっと晴れがましいことと感じていることでしょう。
「ぜひとも、世間に後々までにも語り伝えられるほどに」と、力を込めて説き始めているようです。

それらの貴公子たちは、他の聴聞者たちが講師の熱弁に引き込まれて、大げさに騒ぎ礼拝する状態になるのには加わらず、「適当なところで、引きあげよう」ということで出ていこうとするときに、女性の聴聞者が乗っている牛車の方に視線をやって、仲間同士で話をしている言葉も、「いったい何を話しているのだろう」と、気がもめるのです。
それらの貴公子たちを、こちらが見知っている時には「さすがに格好いいなあ」と思いますし、見知らない人の場合は、「誰でしょうか」「あの方かしら」などと想像したりして、つい目をひかれて自然と見送ってしまうのですが、それがいいのですよ。

「どこそこで説教があった」「法華八講があったらしいよ」などと、人が噂話をする時に、
「あの人は来ていましたか」「来なかったって、そんなはずはないんだがなあ」などと、いつもきまって噂されるような者は、あまりにも度が過ぎていますよ。
そうは言っても、説経の場所に全然顔を出さないでよいというものでもありません。身分の低いような女でさえ、とても熱心に聴聞するようですのに。
とは言え、私が聴聞に出かけ始めた頃は、お説教を聞きに出歩く女性は見なかったですね。
まれには、壺装束(貴族の女性の外出姿)などして、優雅にお化粧をして出掛けてる人もいるようでした。ただ、そのような女性は、お寺詣でなどのついでだったようですね。そのような装束で、お説経だけを聞くために出掛ける話は、そう多くは聞かなかったですね。

私が熱心にお説教の場に通っていた頃口うるさかった人が、長生きしていて最近の私の様子を見ましたら、私の不信心をどれほど非難し、悪口を言うことでしょう。



当時、説経の場は、一種のサロンのような面を持っていたようで、その様子が興味深く描かれています。
特に、元蔵人に対する考え方と、若い貴公子に対する考え方が、まるで平安のおばさま族のようで、才媛の誉れ高い少納言さまの意外な一面を見たような気がします。
また、当時の人々は、あらゆる面において神仏の力に頼る生活でした。
例えば、医療にしても、一部に薬草などは利用されていたのでしょうが、治療の主体は、神社仏閣を頼りとする加持祈祷でした。
少納言さまも、説経の場などに足繁く通っていたと思われるのですが、この章段においても、神や仏に対してかなり冷静に見ていると思われる部分があり、興味深いところです。
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神仏との距離

2015-01-25 11:00:47 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子   ちょっと一息 

「神仏との距離」

清少納言が活躍した時期は、今からざっと一千年前、西暦一千年前後のことです。
平安時代の中期にあたり、藤原氏の全盛期の絢爛たる王朝文化が咲き乱れている時代ともいえます。

この頃、人々にとって、それは老若男女を問わず、身分の上下を問わず、神仏と非常に近い関係にありました。もちろん神仏といっても、仏教など特別な対象を意識することもありましたでしょうが、もっと広い対象を身近に感じていた生活だったと考えられます。

よく知られているように、陰陽師なども活躍したでしょうし、物の怪やたたりは日常生活に密接していました。忌日とか方違えとかは、現代の交通ルールよりも定着している程でした。
貴族が病ともなれば、医師の見立てや薬の投与もされましたが、最も頼りとされるものは、厄を払ったり、付きものや悪霊を追い払ったりするための、僧侶や行者や神官による加持祈祷でした。

枕草子の中にも、加持祈祷や法華八講などの様子が数多く描かれています。
清少納言も、法会などに熱心に通われたりしておられたようですが、そして、当然その御利益を尊ばれていたと思うのですが、書き残された文章の所々には、極めて冷静に神仏と接しているように感じられる表現があります。

現代の私たちでもなかなか理解しにくい、神仏や物の怪や悪霊たちとの距離を清少納言がどのように保っているのかと推察するのも興味深いものです。
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菩提といふ寺に

2015-01-24 11:00:11 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第三十一段  菩提といふ寺に

菩提といふ寺に、結縁の八講せしに、詣でたるに、人のもとより、
「疾く帰りたまはぬ、いと寂々し」といひたれば、蓮の葉の裏に、
 求めてもかかる蓮の露を起きて  
    憂き世にまたは帰るものかは
と、書きてやりつ。
まことにいと尊く、あはれなれば、やがてとまりぬべくおぼゆるに、「湘中」が家の人のもどかしさも、忘れぬべし。



菩提という寺で、結縁の八講をした日に参詣しましたところ、ある人の所から「早くお帰りにならないのが、とてもさびしい」と言ってきましたので、蓮の葉の裏に和歌を一首書いて送りました。
和歌の意味は、「自分から求め望んででも掛かって濡れたい、こうした蓮の露のような尊い講会をさしおいて、どうして辛い世の中に再び帰ることがありましょうか」といったもの。
本当に、たいへん尊くしみじみと心をうたれましたので、そのままお寺にとどまってしまいたい程に感じて、あの湘中の家族のじれったさも忘れてしまいそうでしたわ。



早く帰ってきて欲しいと言ってきた人が誰なのか、諸説あるようです。この人物がはっきりすると、少納言さまの私生活が覗けるのですがねぇ。
また、文中の和歌は「清少納言集」にも収められているようです。
最後部分の、「湘中(ショウチュウ)の家族・・・」は、湘中老人が、黄老の書を読むのに夢中になり、家路を忘れてしまったという故事からきています。
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小白河といふところは

2015-01-23 11:00:57 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第三十二段  小白河といふところは

小白河といふところは、小一条大将殿の御家ぞかし。そこにて、上達部、結縁の八講したまふ。
世の中の人、いみじうめでたきことにて、
「遅からむ車などは、立つべきやうもなし」
といへば、露とともに起きて、げにぞひまなかりける。轅の上にまたさし重ねて、三つばかりまでは、すこしものもきこゆべし。
     (以下割愛)



小白川というところは、小一条の大将済時殿のお屋敷でございますよ。
そこで上達部(カンダチメ・上級貴族)が、結縁の八講をなさいました。
世の中の人は皆たいへん素晴らしいこととして、
「遅く来るような車は、駐車できそうもない」
と言うので、朝露が置くとともに起きて行ってみますと、なるほど本当に隙間がなかったのです。
車の轅の上に、またあとの車の車台をさし重ねていて、まあ車三つぐらいまでは、少しはお説教の声も聞こえるのでしょう。

六月十余日(旧暦)のことで、暑いことといったらまったく例を知らないほどです。池の蓮に視線を走らせて極楽浄土を想像することだけが、たいへん涼しい気持にしてくれます。

左大臣、右大臣を別にしますと、おいでにならない上達部はいらっしゃいません。上達部がたは、二藍の指貫、直衣といった姿で、薄青色の帷子などを透き通るように召していらっしゃいます。
すこし年配のお方は、青鈍の指貫に白い袴といった姿なのも、とても涼しそうです。佐理の宰相(スケマサノサイショウ・従三位参議で当時四十三歳)なども、みな若々しくふるまっていて、ともかく、ありがたいことはこの上もありませんし、結構な眺めでもありました。

廂の間の簾を高く上げて、長押より上座に、上達部は本尊のある奥に向かい、ながながと並んで座っていらっしゃいます。
その次の座には、殿上人、若い君達(キンダチ・貴族の子女、公達に同じ)も狩装束、直衣などをたいへんおしゃれに着て、落ち着いて座ってもいないで、あちらこちらと歩きまわっているのも、たいへんおもしろい。
実方の兵衛の佐、長命の侍従などは、小一条の一門のお方なので、一段としげしげ出たり入ったりして物慣れていらっしゃる。まだ元服前の君達なども、とてもかわいらしい様子でそこにいらっしゃる。

少し日が高くなったころに、三位の中将とは今の関白殿を当時そう申し上げたのですが、その三位の中将が、唐綾の薄物の二藍色の直衣、二藍の織物の指貫、濃い蘇芳色の御下袴に、張りのばしてある白絹の単衣のとても鮮やかなのをお召しになって入っていらっしゃいましたが、あれほど軽快で涼しそうな装いの一座の方々の中では暑苦しく感じられそうですのに、「実に立派なご様子」にお見えになるのです。

朴(ホオ)、塗骨など、扇の骨は違いますが、一様に赤い地紙の扇を、人々がみな同じようにお持ちになり使っていらっしゃるのは、なでしこがみごとに咲いているのに、たいへんよく似ています。
まだ講師も高座に上がらないうちですが、お膳が出されていて、何なのでしょうか、どうも何か召しあがるようです。

義懐の中納言のご様子が、いつもよりまさっていらっしゃって、とてもご立派なのですよ。どなたもが色合いが華やかで、たいへん色艶美しく、鮮やかなので、どれがどうと優劣のつけがたいみなさんの帷子の中で、この方は、本当にただ直衣一つを着ているといったすっきりとしたお姿で、絶えずいくつかある女車の方に視線を走らせ、使いをやって何かそちらに言いかけていらっしゃるのです。
そのご様子をすばらしいと思わない人はいないことでしょう。


あとから来ている女車で、そこには入り込ませる隙間がなかったので池の近く引き寄せて駐車されているのを中納言が御覧になって、実方の君に、「言伝をちゃんと伝えられそうな者を一人呼ぶように」とお召しになると、どういう人なのだろうか、実方の君が選んで連れていらっしゃった。
「どう言い送ったらよかろうか」と、中納言の近くに座っていらっしゃる方々がご相談になっていて、しかしその言い送りをなさろうとする言葉はこちらまでは聞こえてきません。
呼ばれて来た使いの者はたいへん気取って女車のそばへ行く様子を、お笑いになっておられる。
使いの者は車の後ろの方に寄って口上を言うようですが、そのまま長い間立っていますので、
「あちらでは歌など詠むのだろうか。兵衛の佐(実方のこと・一座の中で最も和歌にすぐれていた)よ、返しの歌を今から考えておけ」などと笑っていて、「早く返歌を聞きたいものだ」と思って、そこに居られる人はみな、年配の上達部までが、みなそちらの方に目をやっていらっしゃるのです。
ほんとにねぇ、車に乗らずに外に立っている人々までが、それに注目していたのですから、おもしろいことでしたよ。

やっと返事を聞いたようです。使いの者が少しこちらに歩いて来たと思うと、女車から扇を差し出して呼び返すので、「歌などの言葉を間違えた時には、呼び返してでも訂正しようと思うのでしょうね。それにしても、これほど長い時間をかけたのですから、そのままで格好がつくものなら、わざわざ直すほどのこともありますまいに」と私には感じられました。

使いの者が帰りつくのも待ちかねて、「どうだった」「どうだった」と誰もがお聞きになっています。
それらの声には答えず、権中納言(義懐のこと・権中納言が正式)が使いの者に用をお言いつけになったので、使いの者はそこに参上し、気取った態度で報告しているようです。
三位の中将が、「早く言え。あまり格好をつけ過ぎて、返事をやりそこなうな」とおっしゃると、使いの者は、「これから申し上げることも、ご返事をやりそこなったのと同じことでございますよ」と言っているのが聞こえてきます。
藤大納言が、とりわけ熱心に覗き込んで、「どう言っていたのか」とおっしゃている様子なので、三位の中将が、「まっすぐな木を無理に曲げようとして、折ってしまったのでしょうねぇ」と申しあげると、藤大納言はお笑いなさいますので、あたりからはよく分からないままに、ざわざわと笑い声がたち、その声はかの女車の人にも聞こえたことでしょう。


中納言は、「それで、呼び返す前は、どう言ったのか、これは言い直したあとの返事なのか」とお問いになると、「長い間立っておりましたけれど、どうという返事もございませんでしたので、『それではこのまま帰参してしまいましょう』と言って帰ってきました時に、呼び返されたのです」などと申しあげています。

「誰の車だろう。ご存知の方はいますか」などと不審がっていらっしゃって、「さあ、歌を詠んで、今度はこちらから送ろう」などとおっしゃっていましたが、講師が高座に上がってしまったので、どなたもが座って静かになり、講師の方ばかり見ているうちに、女車はかき消すように見えなくなってしまったのです。
あの車は、下簾などは、今日使い始めたばかりに見えて、濃い紫の単襲(ヒトエカサネ)に、二藍の織物、蘇芳色の薄物の表着などの服装で、車の後ろにも、模様を摺りだしてある裳を、伸ばしてひろげたままうち下げなどしてあるのは、「いったい、どう言う人なのでしょうか。あの返事の仕方も、なまじ不完全な返事を無理にするよりは、なるほどもっともだと思われて、かえってとてもよい応対だ」と私には感じられました。

朝座の講師清範(セイハン・興福寺の僧でこの時二十五歳、説経の名人として名高かった)のその尊く美しい様子は、高座の上も光に満ちているような気持がして、とてもすばらしいものですよ。
暑さのやり切れなさに加えて、やりかけの仕事で、しかも今日中にしてしまわなくてはならないものを放っておいて「ほんの少しだけ聞いて帰ろう」と思っていたのですが、幾重にも重なって集まっている車なので、出られるはずもありません。
「朝の講が終わったら、やはり何としても出てしまおう」と思って、上に重なっている幾つかの車にそのことを伝えると、自分の車が高座の近くになることがうれしいからでしょう、早々と自分の車を引き出して場所をあけて私の車を出してくれるのを、室内の上達部、殿上人たちが御覧になって、やかましいほどに声をかけられ、、年のいった上達部までが中座する私を笑って非難するのにも耳をかさず、言い訳もしないで肩身の狭い思いを我慢して出て行きますと、
権中納言が、「やあ、『退くもまたよし』さ」と言って、お笑いになられたのは、とてもありがたく、すばらしいことでした。
しかし、それも耳にもとまらないほど、暑さもありうろたえあわてて出て来てしまいましたので、使いの者を通して、「あなた様も五千人の中にはお入りにならないこともないでしょう」と権中納言に言葉をおかけ申し上げて帰って来ました。

その八講の始めから結願の日まで、毎日駐車している車があったのですが、人が近寄ってくる様子もなく、全くあきれることに、まるで絵に描いたかのようにじっと動かずに過ごしたので、「めったにないことで、感心で奥ゆかしいことだ。いったいどういう人なのだろう、ぜひ知りたいものだ」と権中納言が人に聞いてお探しになっているのを、お聞きになった藤大納言などは「何が感心なことか。ひどく感じが悪く、無気味な者に違いない」と、とおっしゃったのが、とても愉快でしたわ。

そして、その月の二十日過ぎに、中納言が法師におなりになってしまわれたのは、本当に無常を感じることでした。
「桜などが散ってしまう」のも、それに比べれば、よほど当り前のことに思われます。
「(白露の)置くを待つ間の」と表現することさえ出来ないような、中納言のはかない御盛りのご様子に見えました。



この章段は、少納言さまが二十一歳の頃の様子を描いています。
まだ定子のもとに出仕する以前のことで、枕草子全体の中でも、かなり特別な位置にある章段ともいえます。

全体としては、当時貴族階級を中心に盛んであった、八講の様子を描いていますが、本段の主人公ともいえる藤原義懐(フジワラヨシチカ・権中納言、当時三十歳。妹は花山天皇の母)が、この催しの数日後に花山帝の退位、出家にともなう形で出家するという衝撃的な出来事が背景になっています。
また、女車が再々登場しますが、当時、この種の催しには女性は部屋に入ることはできず、牛車の中から聴聞していたのです。


また、少納言さまが途中退出する時の義懐との問答は、「釈迦が法を説こうとしていた時、五千人の増上慢(悟りを得ているとうぬぼれているもの)が座を立って退いた。釈迦はこれを制止せず、『かくのごとき増上慢の人、退くもまたよし』と言った」という仏教説話に基づいています。

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いみじう暑ければ

2015-01-22 11:00:29 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第三十三段  いみじう暑ければ

七月ばかり、いみじう暑ければ、万づのところ開けながら夜も明かすに、月のころは、寝おどろきて見出すに、いとをかし。闇もまた、をかし。有明、はたいふもおろかなり。
     (以下割愛


七月の頃はたいへん暑いので、どこもかしこも開けたままで、昼はもとより、夜も明かすのですが、月の明るい頃は、夜中に目が覚めて外を見るのが実にすばらしいものです。月のない闇夜もまた趣のあるものです。有明の月となりますと、これは言うだけ野暮なほど良いものです。

たいへん艶のある板敷の間の端近くに、真新しい畳を一枚敷いていて、三尺の几帳を畳よりずっと奥の方に押しやっているのは、几帳が役目をしておらず感心しません。端の方にこそ立てるべきです。そうでなければ、奥の方がまる見えでみっともないでしょう。

恋人は、もう出て行ってしまったのでしょう。女は、薄い色の衣で、裏がたいへん濃くて、表面は色が少しさめているものか、さもなければ、濃い綾織のつやつやしているもので、あまり着くずれていないものを、頭から引きかぶって着て朝寝を楽しんでいます。
その下には丁子染の単衣、あるいは黄生絹の単衣を着て、紅色の単衣袴の腰紐がとても長く、着物の下からのびて着ているのも、まだ解けたままなのでしょう。

頭から引きかぶっている衣から外に出ている女の髪が、ゆったりと重なって波打っている様子からその長さが推し量れますが、そこへ通りかかった男は、二藍色の指貫に、ごく薄い色の丁子染の狩衣を着て、白い生絹の単衣に、下の紅色が単衣を透いて見えるのが色っぽく、霧でひどく湿っている狩衣を肩脱ぎにして、寝乱れたらしい鬢が少し乱れていて、烏帽子をむりに頭に押し込んであるといった格好も、しまりがなく見える。

「朝顔の露が落ちてしまわないうちに、女のもとへ後朝(キヌギヌ)の文を書こう」と思って、帰り道も気が急いていて、「麻生の下草・・・」などと古歌を口ずさみながら、わが家に帰る時に、かの女の局の格子が上がっているので、御簾の端を少しばかり引き上げてのぞくと、中は先に述べたような様子なので、すでに帰ったらしい男にも興味があり、この女にも少々惹かれて、しばらく立ち止まって見ていると、女の枕もとの方に、朴の木の骨に紫の紙を張ってある夏扇が広げたままで置いてあり、上質のみちのく紙の懐紙の細く畳んであるもので、はなだ色か紅の色が淡く色づいているのが、几帳のそばに散らばっている。

人の気配がするので、女は、かぶっている着物の中から覗いて見ると、男がにこにこしながら、下長押に寄りかかって座り込んいる。顔を合わせるのをはばかるほどの人ではないが、気軽に応対できそうな気分でもないのに、「いまいましいことに、とんだ寝姿を見られてしまった」と女は思う。

「ずいぶんお名残り惜しそうな朝寝ですな」と言って、御簾の中に身体を半分入れてくるので、
「置く露より先に起きて帰ってしまった人が、恨めしくってね」と女は言う。
こうした風流事は、特に取り立てて書くべきほどのことではありませんが、こんなふうにあれこれ言葉のやりとりをしている男女の様子は、そう悪いものでもないですよ。

女の枕もとにある扇を、自分の持っている扇で、及び腰になって引き寄せようとしている男に、女は「あまりにも近づき過ぎていませんか」と胸をどきどきさせながら、身を奥の方に引っ込めようとする。
男は扇を手に取って眺めたりして、「嫌われたものですなあ」などと、思わせぶりに恨みごとを言ったりなどしているうちに、明るくなってきて、人々の声もして、きっとお日さまも出てきたのでしょう。
朝霧の晴れ間が見えてくるようになって、急いでいた後朝の文も、男は今は忘れてしまっているのでしょうが、他人事ながら気になりますねぇ。

この女のもとから帰って行った男も、いつの間に書いたのか、露に濡れたまま手折った萩の枝につけた後朝の手紙を使いの者が持ってきているのですが、そこに男の姿もあるものですから、差し出すことが出来ないで困っている。香染の紙をさらに薫り高くたきしめてある匂いが強く漂っているのが、、とてもおかしい。

あまりにも明るくなってきて、人目に立つほどになったので、男は女のもとから立ち去りながら、「自分がさっき別れてきた女の所もこんなふうなのだろうか」と想像しているらしいのは、まったく愉快なことですねぇ。



夏の日のあさぼらけ、何とも艶っぽい描写が続く章段です。
この細やかな描写は、誰かから聞いたものなのか、たまたま見かけたものなのか、はたまた、少納言さまの実体験をもとにしたものなのでしょうか。少々、心が騒ぎます。
ただ、当時の上流階級の男女関係は、現在の道徳観をもとに考えるのは正しくありませんので、念のため。
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