月食 月食 と大騒ぎ
153年振りだとかと
家人から ご高説を賜る
まあ それだと この前見ていないだろうから
拝見するとしますか
ただ 今はくっきりと満月が見えているが
厚い雲が接近中とか
さて 天体のドラマ 無事みえるかなあ
☆☆☆
み吉野は 山もかすみて 白雪の
ふりにし里に 春は来にけり
作者 摂政太政大臣
( No.1 巻第一 春歌上 )
みよしのは やまもかすみて しらゆきの ふりにしさとに はるはきにけり
* 作者は、藤原(九条)良経(ヨシツネ)を指す。九条家の祖、藤原兼実の次男。(1169 - 1206)享年三十八歳。
* 歌意は、「吉野は山もかすんで、白雪が降っていた里にも、春がやって来た」といった感じ。
歌中の、「み」は美称の接頭語。 「ふり」は「降りにし」と「古りにし」との掛詞。「古りにし」は、かつて吉野に離宮があったことを詠んでいる。
比較的分かりやすく、朗々とした風情であるが、この歌が新古今和歌集の巻頭を飾っている。
* 作者名が摂政太政大臣となっているのは、古今和歌集の編纂される時に現職であったことからと考えられる。つまり、良経は、往時の朝廷の最高位にあった人物といえる。
藤原北家の嫡流である藤原忠通の三男・関白兼実の次男であったが、二十歳の頃に兄良通が急死したことにより九条家の当主となり、朝廷の最高位まで上り詰める。
しかし、その時代は、保元・平治の乱を経て平氏の絶頂期となり、程なく源平合戦、鎌倉幕府誕生という激動の時代であった。安徳天皇が壇ノ浦において入水という悲劇は1185年のことで、良経十七歳の頃の事である。
* 九条家の家系は、辿って行けば今上天皇にまでつながるとされている名門である。その当主であり朝廷の最高位としての地位は、武士の台頭が著しい時代であったが、なお社会の最高位に君臨していたと考えられる。
その一方で、良経は教養人としても後世に名を残している。和歌・漢詩に優れ、書道は天才的とまでいわれ、後に「後京極流」と呼ばれている。
また、慈円は叔父にあたり、良経の後援が彼の活躍を支えていることも無視できない。
新古今和歌集には、良経の和歌は79首選ばれていて、歌人順では3位に位置している。
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