雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

テスバウ共和国 入国体験記 ・ ご案内

2016-03-15 18:47:47 | テスバウ共和国 入国体験記 
     テスバウ共和国 入国体験記 



 テスバウ共和国は、高齢者により運営する独立系の共和国組織である。
 三人姉妹は、この国の市民権を得るべきが検討中であり、体験講座を受けることにした。



                目 次


   序 章     第一回
   第一章    第二回   ~ 第九回
   第二章    第十回   ~ 第十四回
   第三章    第十五回 ~ 第二十五回
   第四章    第二十六回~ 第三十五回
   終 章     第三十六回
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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第一回

2011-08-17 11:21:07 | テスバウ共和国 入国体験記 
               テスバウ共和国 入国体験記 



     序 章 


テスバウ共和国は、花と緑に包まれている。
国土の北側には、なだらかな山並みを背負い、東と西側は野菜を中心とした農業地帯、南面は僅かな傾斜になっていて、やはりいくつかの集落と田園が広がるのどかな風景が続いている。
南面の斜面は、幾つかのうねりを描きながら遥か遠くまで広がっていて、この辺りの中心都市である母国の街並みもかすんで見える。その先は瀬戸内海に続いているが、国土内から遠望することは出来ない。

かつては大規模な運動公園として開発された国土も、今はその面影は殆ど残しておらず、山林の形で残されている部分を除けば、果樹園と田畑、そして草花を中心とした緑地がその多くを占めている。
その豊かな花と緑に囲まれた一画に建物群は集中して配置されているが、建物は機能性が優先されていて、周囲の花や緑との調和を拒絶しているようにさえ見える。
しかし、この花や緑と人工物との組み合わせは、何故か不思議なバランスが感じられ、ここに住む市民たちを温かく見守っているように見える。

     **

母国の人口が一億人を切ってからすでに久しい。
母国の人口が減少に転じたのは、二千年代に入って間もない頃のことである。その傾向は現在に至っても変化はなく、最近のあるシンクタンクの見通しでは、五千万人の声を聞くのもそう遠い日のことではないともいう。人口減に伴う労働力不足は、最近ではそれほど大きな問題として話題に上ることは少ないが、六十五歳人口の比率の増加からくる諸問題は、未だ解決されているとはいえない。

人口の減少と高齢化人口の増大に対して、母国政府が全く無策であったわけではない。
特に人口の減少に対しては、当初の、人口の減少が国家の滅亡につながっているかのような無見識は比較的早い段階で克服し、幾つかの先進諸国の豊かな社会づくりを参考にしながら、量から質への転換が進められた。
また、当時の大きな課題の一つであった年金の問題も、その水準はともかく、国家の補償と個人の自己責任の分担を明確にすることで解決が図られてきた。

しかし、高齢化社会に対する対応ということになれば、まだまだ道半ばと言わざるを得ない。
繰り返すが、この問題に対しても、母国政府が全く無策であったわけではない。しかし、克服できる手段を構築することが出来ていないことも事実であろう。
実施された施策の中には、相当思い切ったものが含まれてはいる。先に述べた年金問題しかり、高齢化層とする年齢の見直し、医療と介護という全く無意味な区分けの見直し、治療から予防と保全への重点の移行、等々である。その中でも、最も画期的なものが、共和国制度の設置といえる。
テスバウ共和国は、この制度により出現した市民国家である。

母国の経済力は、その規模の大きさにおいてアメリカに次ぐ位置にあり、さらに増大が続くと多くの人たちが本気で考えていた時代があった。国家を指導する立場にある多くの人たちもまた、同じような考えをもとに国家運営を続けていたが、そのようなことがあり得ないことは、少し冷静に分析すればごく初歩的な経済学を学んでいれば読み取れることであるが、その渦中にある人たちにとっては決してそうではなかったのかもしれない。
いずれにしても、もう旧来路線の延長線上には、国家の存続が困難だと認めざるを得なくなった段階で、母国の指導者たちは大胆な施策を打ち出していった。その中の重要な施策である共和国制度というものも、当時は賛否が相半ばした政策ではあった。

反対論者の唱える一番の理由は、この制度は、高齢者の切り捨てであるということであった。そして、推進論者の言い分は、この制度は切り捨てではなく、文字通り高齢者の自立推進であると主張したが、その本音は、増大し続ける高齢者比率の抑制にあることは隠すことは出来なかった。
結局、当初、推進論者が目論んだ、全高齢者の共和国への移民という荒技は実現に至らず、希望者だけの移行ということでこの制度は日の目を見ることになった。

しかし、制度が実施されると、当時の知識層といわれる人たちの予想に反して、次々と共和国が設立されていった。
共和国設立にあたって、国家からの手厚い支援や、出資金に対する入手経緯の追及を甘くしたこと、地方自治体がスポンサーになる形のものが予想外に多くなったこと、あるいは、有力な高齢者施設が続々と共和国体制に移ったことなどがその理由に挙げられるだろう。

制度実施後の二年間で三千に達した共和国は、その後の十年で過半のものが姿を消し、現在母国全土に点在している共和国の数は千を少し切っている。
現在存続している共和国の半数余りは、州政府をはじめとした行政機関が経営の主導権を握っているもので、それらの規模は比較的大きい。次に宗教法人が経営母体となっているものが続き、医療法人を経営母体とするものも同数程度あるが、こちらの方の規模は小さいものが多く、共和国制度実施以前の特養ホームに類似しているものが過半である。
そして、これらに属さない独立系の共和国も百近く存続している。これらの共和国には他とは違う特徴を持ったものが多く、規模も比較的小さいものが多い。

以上述べてきたように、この制度の設立には賛否の対立があり、現在に至っても高齢者対策として本当に優れたものであったのかということに対しては、異論も少なくない。しかし、母国の人口ピラミッドの形成において、本来四十%にも近いはずの六十五歳以上人口が、三十%余りで押さえられていることは評価できる現実である。各共和国に対する支援資金は必要であり、経営が行き詰まる共和国へのリスクもあるにはあるが、母国の経済面の運営が平穏に推移していることに寄与していることは明らかである。

ここに紹介するテスバウ共和国は、独立系の共和国としては最大で、しかも豊かな国家として知られている。この国が実施している、入国体験講座を通してその実態を探ってみよう。 



     
    
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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第二回

2011-08-17 11:20:30 | テスバウ共和国 入国体験記 
     第一章  三人姉妹

          ( 1 )

高速道路を出て州道に入った。瀬戸内側と日本海側を結ぶ幹線道路である。
なだらかな坂を十分ばかり南に下り、右折する。そこからは地域を結ぶ一般道路となっている。
道幅は州道の半分ほどであるが、立派に整備されていて、少し上っている。ほんの少しばかり進んだだけで周囲の景色は一変し、のどかな田園風景が広がっている。
この辺りは、野菜を中心とした大規模農園が展開されている地域である。

先程の州道をさらに南に行けば、道路の両側には工場が散在しており、臨海部は都会地となる。反対に北に向かえば、工場や集落も散在しているが、山並みが道路近くに迫っており、過疎地となっている地域が多い。やがて日本海側を縦断している州道と交差し、海岸沿いの都市に行き着く。
州道沿いや海岸沿いは市街地であるが、その規模が瀬戸内側に比べて小規模なのはこの百年大きな変化のないことだか、水産資源の重要な地域となっている。
昔と違って、遠洋漁業の比率が低下しいる現在は、養殖による生産の比率が増えてはいるが、生産コストの関係から養殖が万能ではないことが意識されてからは、近海の水産資源の育成に力が入れられるようになり、この地域の重要性が増している。

「ほら、あれがそうらしいわよ」
ハンドルを握っている君枝が、右前方に視線を向けて言った。
助手席の雅代は、君枝に身体を寄せてその視線を追った。君枝の視線は進行方向に戻っていたが、ナビゲーションが次の信号を右折するように伝えている。交差点の手前には大きな案内板も出ている。
後方の座席にいる長女の和美は、君枝の言葉に視線を動かすこともなく、小さく息をもらした。

「とうとう、あなたたちを連れてきてしまったわねぇ」
「まだ、あんなこと言ってる」
姉の言葉に、次女の君枝が笑いながら応じた。

「姉さん、まだ決めたわけじゃないんだから、気にしなくていいのよ。実際に体験したうえで、わたしたちはわたしたちの考えで決めるんだから。ねぇ、君枝」
助手席にいる末っ子の雅代も、含み笑いと一緒に次姉に応援を求めるような言い方をした。
雅代は君枝のことをいつも名前で呼んでいて、それも妹か親しい友人に対するように呼び捨てである。
女だけの姉妹として育った三人にとって、姉という存在は長女の和美だけで、特に雅代は、君枝のことを姉などと思っていないような言葉遣いや振る舞いが普通なのだ。

彼女らの両親は、三人の娘たちを慈しんで育てたが、全く平等に育てたわけではなかった。
長女の和美を何かにつけて特別扱いしていたように思われた。少なくとも二人の妹はそのように感じていた。その一方で、下の二人に対しては、全く平等に育てようとしていたようだ。
二人の年齢差は正確には二年弱だが、小学校の頃までは背丈が似通っていて、顔立ちも良く似ていた。双子と間違えられることが何度かあったほどである。

洋服も下の二人はお揃いのことが多かったが、長女の和美だけは別のものだった。もっとも、子供の頃の三歳という年齢差は大きく、着るものがかなり違ってくるのは当然ともいえるが、下の二人にとって、長女の和美は「お姉ちゃん」という特別な存在として意識するようになっていった。
その反動というわけではないが、末娘の雅代には君枝を姉として意識することがないらしく、幼い頃から「キミちゃん」と呼んでいて、成人してからも「キミちゃん」か「君枝」で通していた。
他人が入った席などでは、さすがに「姉」とか「姉さん」とか、ぎこちなく呼んでいるが、家族や親しい人だけの場合は相変わらず「キミちゃん」か「君枝」で、それは、二人の生活環境がそれぞれに変わっていったあとも、呼び方は変わることがなかった。

三人が乗ったセダンは、『ようこそテスバウ共和国へ』という大きな看板を持ったドライブインに入って行った。かなり広い駐車場である。
駐車場は、バス用の区画と、一般車量用とに分けられていて、それとは別にテスバウ共和国専用と表示されている区画が別に設置されていた。
三人の車は、案内表示に従って進み、テスバウ共和国専用と表示されている駐車場に乗り入れた。百台ほどは停められるその部分には屋根が付けられていた。
建物に近い方には、すでに二十台ばかり停まっていて、君枝はその横に停車させた。

三人は車内に持ち込んでいる小ぶりのバッグだけを持って車を降りた。後方座席に並べて置いていたものである。着替えなどを入れたスーツケースは、トランクに詰め込んでいる。二か月もの生活に必要な着替えを持ってくるのはとても無理なことで、途中の休日を利用して帰宅する必要があった。



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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第三回

2011-08-17 11:19:36 | テスバウ共和国 入国体験記 
          ( 2 )

君枝を先頭に、和美、雅代の順に一列に並ぶようにして歩き出すと、黄緑色の鮮やかな色のジャンパーを着た案内人らしい男性が二人近づいてきた。
「入国体験される方ですか?」と話しかけ、二階に受付がある旨説明してくれた。
物腰が柔らかく、ガードマンというのとは少々異質な感じがした。それに、年齢が二人とも七十歳は過ぎていると思われ、防犯面よりも案内を目的としている感じである。

三人は、大きな建物の一画にある入り口に向かった。
大きな建物の一般車両の駐車場となっている方はドライブインになっていて、外から見た感じは、高速道路のサービスエリアにある建物に似ていた。そして、全体の三分の二位がドライブインになっていて、残りの部分は一般客が利用する所ではないらしく、入り口はホテルのような作りになっている。

入り口の上部には、『テスバウ共和国入国管理局』と楷書文字で表記されていて、少し圧倒されるようなものを感じる。
三人は、それぞれにその文字を小さく声に出して読み、確かめ合うように顔を見合わせた。
入り口に入ると、やはりホテルと同じようにロビーになっていて、所々にソファーも置かれている。壁面などには写真や絵画が飾られていて、その部分だけ見れば美術館を思わせるほど優雅な空間になっているが、展示されている絵画などは、いずれもテスバウ共和国の市民の作品らしい。

正面部分には、ホテルのフロントのような低い受付があるが、案内の担当者は座って応対するようになっていて、カウンターはホテルのものよりはずっと低くなっている。受付窓口は幾つかに分けられていて、「総合案内」「入国のご相談」「見学のご相談」などの掲示がある。カウンターの奥は事務室になっていて、何人かの人が働いているが、男性も女性も全員の人が黄緑色のジャンパーを着ている。どうやら、先程の案内人も含めて此処の事務員の制服らしい。
そして「総合案内」の前には、「入国体験講座を受けられる方は二階にお上がり下さい」という掲示板が立てられていた。

三人の姉妹は、入り口を入ったあたりから部屋全体を見渡し、再び顔を見合わせて頷き合った。
「いよいよ入国だ」という気持ちを持った者と、予想していたより立派な設備に安心した者とに分かれているかのような、微妙な差があるようにも見えた。
三人は、やはり君枝が引率するかのように先頭に立ち、案内矢印の方向にあるエレベーターに向かった。

二階も一階と同じような作りになっていた。一流ホテルのような豪華さはないが、例えば、長女の和美がこれまで訪れたことのある高齢者用のマンションなどのロビーに比べても見劣りすることはなかった。
部屋全体が、ロビーと事務室とに大きく二分されていることは一階と同じ仕様であるが、一階に比べロビーは三分の一程の広さであり、その分事務所側が大きなスペースを占めていた。

受付と表示された場所は四か所あり、その二か所にすでに何人かの人が手続きに入っている様子であった。この事務所の人たちも、一階の事務員と同じ色のジャンパーを着ていて、全員が同じ色の制服に統一されていることは間違いないようである。
三人は、案内書に指示されている時間にはまだ大分間があるので、ソファーに座るか、取りあえず受付に声をかけるか迷っていると、ロビーにいた案内役らしい女性が声をかけてきた。

「ようこそおいで下さいました」と、にこやかに会釈をした後、入国体験講座の参加者であることを確認すると、「時間は早過ぎても大丈夫ですよ」と空いている受付場所に案内してくれた。
案内してくれた女性は和美と同年齢位に思われたが、受付に座っている女性は、二人とも少し年上のようである。

「ようこそおいで下さいました」
受付の二人は、まるで声を合わせるようにして、案内してくれた女性と同じ言葉で歓迎の気持ちを示してくれた。カウンターの前に設置されている椅子に並んで座った三人の顔をしっかりと見つめながら軽く頭も下げた。
座ったばかりの三人も思わず腰を浮かせて、「よろしくお願いします」と、それぞれに挨拶した。受付の二人の接客ぶりは、決してスムーズなものではないが、一生懸命接してくれている雰囲気が伝わってくるものであった。

「それでは、これから入国の手続きをさせていただきます。ご案内状と振込領収書を確認させていただきます」
二人の受付担当者のうち胸に「広瀬」という大きな名札を付けている女性が言った。君枝が三人分の案内状と銀行振込の受取書をカウンターに並べると、「確認させていただきます」と言って受け取り、内容を簡単に確認したうえで、隣りの女性に手渡した。隣りの女性は「池田」という名札を付けているが、三人に軽く会釈して席を立った。どうやら広瀬さんが主担当で池田さんが補助役のようである。

「三姉妹でいらっしゃいますのね」
広瀬さんは、今書類を整えていますので、と断わったあと、話しかけた。三人は、それぞれが小さく声を出し頷いた。

「まだ、お若い方々ですのに、よく決断されましたわね。でも、ここにはすばらしい生活がありますわ。ぜひ、体験講座を楽しんでください」
三人は、広瀬さんの「まだお若い・・・」という言葉に、顔を見合わせて苦笑いした。
和美は六十五歳、君枝は六十二歳、雅代が六十歳である。三姉妹などといえば、何とはなく若々しい感じがするが、「まだお若い」と言われると少々面映ゆい気持ちは隠せない。
もっとも、テスバウ共和国の市民権取得の年齢条件は六十五歳以上が基本である。但し、六十五歳以上の人の配偶者や三親等以内の肉親は同居を条件に認められることになっていて、二人の妹の場合は、単独では市民権を取得できないことになっている。
そういう意味では、三姉妹は、この国では若手ということになる。

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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第四回

2011-08-17 11:18:59 | テスバウ共和国 入国体験記 
          ( 3 )

席をはずしていた池田さんが、書類ケースのようなものを持って戻ってきた。

「お待たせしました。秋沢和美さん、君枝さん、雅代さん、実のご姉妹でしたね。ええ、ご関係は事前の書類で確認させていただいておりますので、改めて書類を提出していただく必要はございません」
広瀬さんは、三人の前に書類ケースを配り、開けるように言った。
ケースの色は落ち着いたエンジ色で、ファスナーを開けると、A4サイズの冊子が三冊とICカードが入っていた。

「テキストの内容などは午後からの開会式でご説明させていただきます。そのうちの一冊は記録用のノートですので、ご自由に使って下さい。それから、筆記具は入っていませんが、お持ちですか?」
広瀬さんは、三人が頷くのを確認してから話を続けた。

「ICカードは、皆様の身分証になります。すでにデーターは入力されています。体験入国されている間の身分証とキャッシュカードやドアキーなどを兼ねていますので、出来るだけ身につけておくようにしてください。カードケースに長い紐がついていますのは、首に掛けることが出来るようにしているためです。
正式の市民になられますと別のICカードになり、もっと多くの機能が加わったものになります。例えば病院での受診カードとか、互助会活動の記録カードといった機能が加わります。
今お渡ししましたカードもキャッシュカードの機能があると申し上げましたが、正しくは、まあ、プリペイドカードのような機能です。見学などで入国される方などにも同じようなカードを発行させていただくのですが、私たちの国テスバウ共和国内では、原則として母国の通貨は使用することが出来ません。このカードのような、プリペイドカードに事前に入金されている範囲でのみ、私たちの国内で買い物やサービスを受けることが出来る仕組みになっています。
皆様のカードには、すでに二万バウの金額が入力されています。ご存知かと思いますが、私たちの国テスバウ共和国の通貨の単位は[バウ」と言います。母国通貨と完全に連動していまして、二万バウは二万円と同じ値打ちです。今からでもすぐに使えるようになっておりますが、そのあたりのことは午後の説明会で詳しくお話があると思います。
他には・・・、そうですね、他に何か質問はございませんか?」

「入国の手続きは、あと、何をすればいいのでしょうか?」
と、君枝が尋ねた。三姉妹がそろっている時には、交渉事の窓口が君枝になるのはいつものパターンなのだ。

「手続きは、これで終わりです。この先の通路にICカードを読み取らせる場所があります。そこを通過しますと入国したことになります。別の通路になりますが、逆に通過しますと出国したことになります」
「車に荷物を積んでいるのですが、それはどうすればよろしいでしょうか?」

「そうですね。お部屋が決まってから運ばれたらいかがでしょうか。取りあえずの物だけお持ちでしたら、昼食の前後あたりでお部屋が決められるはずです。そのあとに二時間ばかり休憩時間がありますから、その時に運ばれたらいいのではないでしょうか。
他にもお分かりにならないこともありますでしょうが、体験講座中は担当者が丁寧に説明させていただきます。どんな些細なことで担当者の方にお尋ねください。皆様にとっては、とても大切な体験期間になるはずですから、出来るだけいろいろなことに触れていただき、そして、何よりもこの国のすばらしさを感じ取っていただきたいと思います。
それでは、私たちの国テスバウ共和国へご案内いたしましょう」

広瀬さんは立ち上がり、にこやかに左の方向を指した。横に座っていた池田さんも立ち上がり、
「係りの者がご案内いたします」と、広瀬さんにならった。
三人が立ちあがると、その動きに呼応するように、ロビーの一画で待機していた人たちの中から一人が近付いてきた。
「私がご案内させていただきます。さあ、こちらです」と三人を促した。三姉妹は、交付された書類ケースと各自のバッグをそれぞれに持ち席を離れた。

案内に立ってくれたのは男性で、やはり同じ黄緑色のユニフォーム姿なので若々しく見えるが、表情や身体の動きから考えると、三人よりは相当年長に見えた。
三人は、案内の男性の後を一列に並ぶようにして進んだ。まるで決められているかのように、君枝、和美、雅代の順になっていた。
左手へ少し進むと、事務室の真ん中に作られたような通路が真っ直ぐに伸びている。幅は2m程で、長さは20m以上ありそうだ。

「この通路の何か所かにセンサーがあり、皆さんのICナンバー読んでいます。つまり入国のチェックをさせてもらう所なのです。もし、ICカードを持参していない人が通ろうとしますと、ゲートが閉まり担当者にも連絡されるようになっています。
ああ、ICカードは別に提示す必要はありませんよ。金属製のケースにさえ入れてなければ、大体読み取れるようになっています。キャッシュカードとして利用する場合は、タッチさせる必要があるのですがね」

通路を抜けた所も、先程よりはずっと狭いがロビーになっている。
「出国される場合は、あちら側の通路を通って下さい。ICカードを持っていないとストップさせられますが、カードさえ身につけていますと、特別な手続きなど全く必要なく、一日に何度出入りしても差し障りがありません。
さあ、これで皆さんは、私たちの国テスバウ共和国に入国されたことになります。管理センターでは、入国、出国の人数が即座に把握されていて、今現在の国内にいる人の数が分かるようになっています。たった今、皆さん三人の数が加算されたはずです。
それでは、会場までご案内しましょう」




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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第五回

2011-08-17 11:18:31 | テスバウ共和国 入国体験記 
          ( 4 )

三人の姉妹は、案内の男性のあとを一列に並んで進んだ。その順番は、やはり決められているかのように、君枝、和美、雅代の順である。
隣りのビルと繋がれている連絡路は、幅が20mほどあり長さは100m近いと思われるほど長いもので、窓際には動く歩道が設置されていた。
四人は、その動く歩道上をゆっくりと歩いた。その歩道は、母国などで利用されているものよりは幅が広く、ゆったりとしている感じであるが、それはスピードが抑えられていることから来る感覚かもしれなかった。

渡りきったところはホールになっていて、ソファーや自動販売機も設置されているが人影はなかった。片側にはエレベーターが二台設置されていて、上下階への移動起点にもなっているようだ。
進んできた正面はガラス張りで、その先は広い空間になっている。
「この建物を、私たちは本館と呼んでいます。正しくは本部会館というのですが、私たちの国テスバウ共和国の議会や理事会などが開かれる会場があり、各部署の本部機構もこの会館内に設置されています。皆さんの体験講座もこの会館内の会議場が中心になりますし、宿泊施設もこの階にあります」
と説明しながら、案内の男性は、左手の方向を指差した。

「さあ、参りましょう。ここからは動く歩道がないのですが、大丈夫ですか?」
と君枝に語りかけ、大丈夫との意思を確認してから、先程指差したのとは反対の方向に進みだした。
その通路も、幅が10m以上あり、進む方向は100m程もあるのではないかと思われるほど続いている。振り返ってみると、反対方向に同じほどの通路が見渡され、脚力の心配をしてくれたのももっともだと思われた。
ロビーと言ってもいいような広い通路は、所々に小さな休憩所のような区画が配置されている。進行方向に向かって、左側はガラス窓を隔てて広い空間になっている。現在歩いている通路は二階にあたっているが、その空間はテラスと花壇が配置された公園のようになっていて、その周りを建物が囲んでいるようである。つまり、広大な中庭といった感じである。

進行方向の右手は、会議室などの部屋が取り囲んでいる。そちら側も、半分くらいに窓が設置されているがカーテンが引かれているものが多く中の様子はうかがえない。各部屋の出入り口のドアあたりには、部屋の番号が掲示されているが、いずれもかなり大きな部屋ばかりのようである。
長い通路がようやく行き当たる所まで来て左折すると、その先にも来た距離よりも長そうな通路が続いていた。中庭になっている部分から考えれば、十分予測されることではあるが、気が遠くなるほどの廊下である。

「はい、もう到着しますよ」
案内の男性は、初めてこの通路を歩く人の気持ちを察して、目的の部屋が近いことを告げた。
三人の姉妹は、思わず顔を見合わせたが、あまり足に自信がない長女の和美は、前後を固めるかのように歩いている二人の妹に、「大丈夫よ」と小さく声に出した。

角を曲がってすぐの入り口が解放されていて、『入国体験講座会場』という立て看板が置かれていた。
部屋は会議場らしく、かなり広いものである。その中央部分に四人ずつが座れるように椅子を配置した机が、三列並べられていた。その列と対面する形で机が配置されている。ちょうど教室のような配置である。
さらに、三列の机とは少し離れて、後方にあたる部分にも席が配置されていて、何人かの人が待機していた。そして、この部屋にいる市民らしい人たちは、青みがかった緑色のジャンパーを着ている。どうやら、それぞれの部署により制服が色分けされているらしい。

正面の席にも四人ばかりの人がいるが、こちらは席に座ることなく、互いに打ち合わせなどをしている感じで、その人たちは、着ている服の色は同じだが、幅の広い真っ赤な腕章をつけていた。
案内してきた男性は、三人を真ん中の列の中央あたりの席に案内し、ここで開会の時間まで待つように話し、何かあれば誰でもいいので係りの人に質問するように言って去っていった。ここまで案内するのが、彼の任務だったようである。

三人が案内された席には、すでに名札が立てられていた。机や椅子は四人並ぶように配置されているが、名札があるのは三人分だけで、この机の席を使うのは三人の姉妹だけのようである。
今日から始まる入国体験講座の受付は、午前中に済ませることになっていた。三人は、かなり余裕を持って出てきたつもりであるが、すでに十一時を過ぎていた。周りの席も、すでに半分以上の人が座っていて、その数も五十人を超えているように見えた。
当然どの人も若くなさそうではあるが、全員が緊張しているためか、人数の割には極めて静かであった。

三人が示されている席順に従って、左側から、和美、君枝、雅代の順に席に着くと、まるでそれを待っていたかのように、樹脂製らしいコップに入ったお茶を運んできてくれた。三人よりはかなり年配の女性で、三人は恐縮してしまい、思わず立ち上がってしまった。
「お疲れさまでした。ようこそ私たちの国へおいで下さいました。間もなく係りの者から説明がありますが、もうしばらくお待ちください」と説明してくれた。
三人の母親といってもおかしくない年齢に見受けられるが、足取りはしっかりしていて、口調もはっきりしている。

そのあとも次々と受講者のグループが到着したが、いずれも黄緑色の制服姿の人に先導されていた。そして、その人たちが席に案内されると、すぐにお茶が運ばれているが、そのサービスにあたっているのは、いずれもかなり年配の女性ばかりである。
三人は、その光景を少々困惑したような感覚で見つめていた。三人の姉妹は、それぞれなりに、このテスバウ共和国という国の市民になるということがどういうことなのか、改めて考えてみる必要を感じていた。



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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第六回

2011-08-17 11:17:42 | テスバウ共和国 入国体験記 
          ( 5 )

11時40分頃に、正面の席についている四人が立ちあがり、その中の一人が「皆様大変お待たせいたしました」と、マイクを通して語りかけた。参加者たちも、期せずして立ち上がった。

「皆様、ようこそ私たちの国テスバウ共和国においで下さいました。私は本日の進行を担当いたします担当いたします橋本と申しますが、市民全員で精いっぱいご案内させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」
と、並んで立っている他の三人も一緒に頭を下げると、参加者たちも「よろしくお願いします」と応じて、頭を下げた。別に打ち合わせていたわけではないが、意外に揃った声での挨拶だった。
三姉妹も、若干のテレのようなものを感じながらも大きな声を出した。参加者たちは、声を出したことで少しばかり緊張していた空気が和らいだように感じられた。

進行役の女性橋本さんは、参加者に着席するように促し、講師席の女性も橋本さんを残して着席した。
一人残った橋本さんはマイクを握ったまま話を続けた。
「本日から始まります入国体験講座は、八週間にも及ぶ長いものです。皆様、くれぐれも体調にはご注意頂きますよう、特にお願いいたします。
この入国体験講座の期間を通しまして、私たちが皆様のお世話をさせていただきます。今私が着ていますジャンパーは、私が属している総務部外部講座担当者用のユニフォームですが、このユニフォームにここに付けています太い赤い腕章をしている者が皆様のお世話をさせていただきます。詳しくは午後からの時間で説明させていただきますが、お困りのことがあれば何でも結構ですから私たちにお尋ねください。
但し、講義に関する難しい話は勘弁して下さいよ」

進行役の巧みな話しぶりに、参加者席が少しざわめいた。そのタイミングを計るようにして橋本さんは再び話し始めた。
「私たちの自己紹介などを最初にするべきなのですが、何分、間もなく12時になってしまいます。何はともあれお昼の食事にご案内しましょう。テスバウ共和国には昼食が無いのではないかと心配される方がおられるかもしれませんからねぇ・・・。
荷物は、貴重品だけをお持ち下さい。皆様が出られたあとは、この部屋は施錠いたします。一時までには入れるように致しますが、それまでの間は、これからご案内します食堂か、その間にあります休息用のコーナーでお過ごしください。建物内は随時ご案内してまいりますが、それまでは今申し上げました所でご辛抱下さい。
なお、午後からの講座は1時30分からと致しますので、それまでには今お座りの席にお着き下さい。それでは、皆様ご一緒に食堂の方に参りましょう」

進行役の言葉に参加者たちは鞄の中を探ったり立ち上がったりしている。
三姉妹も声を掛け合い、雅代のショルダーバッグだけを持って行くことにした。あとの二人は、それぞれのバッグから取り出したポーチだけである。
やがて、参加者全員が世話役の人たちに挟まれるような隊列で食堂に向かった。車椅子を使っている人も四、五人見受けられた。

食堂は、最初歩いてきた廊下を戻り、入国手続きをした建物との連絡通路を越した最初の部屋であった。
先程の会議室よりさらに広い部屋で、片側には百人以上座れる席が並んでいて、この部分が食堂らしく、反対側は低いテーブルとソファーなどが置かれていて、休憩所になっているらしい。
参加者たちは自然と列をなす形になって入室し、世話役の人たちに誘導されて行動した。
部屋に入ってすぐところに洗面台が五つあり、これは手洗い専用で、トイレは休憩所の向こうに設置されているとの説明であった。

手洗いを促された参加者たちは、「まるで新入児童ね」などと言いながらも全員が素直に従い、手洗いを終えた人から順に食事を受け取るカウンターに進んだ。
「お昼は、一種類しかご用意しておりませんので、皆さん順にお取りになって、空いているお席についてて下さい。なお、おかゆや流動食が必要な方はあちら側のお渡し口で準備させていただきます」

カウンターの向こう側には数人の賄いの人がいて、順次トレイをお持ち下さいと案内してくれている。
この国での最初の昼食の内容は、トレイを受け取る段階で、さわらの焼いたもの、白菜と揚げの煮びたし、カボチャなどの煮しめ、キュウリとワカメの酢の物、漬物三種類がセットされたものが盛られていた。そして、受取って、トレイを少し横に滑らせると素早く味噌汁がよそられ、さらに少し横に動かせるとご飯を入れる人が待っていた。
お茶碗は男性用と女性用らしく大小二種類が用意されていたが、小さい方でもかなり大ぶりのものである。ご飯を担当している女性は、一人一人に「このぐらいでしょうか」と尋ねながら盛りつけ、「ご飯のお変わりは何度でも言って下さいよ」と微笑んだ。

三人の姉妹は、この時も、それがまるでルールかのように、君枝が先頭に立ち、和美が続き、その姉を守るように雅代が最後に並んでいた。
向かい合って十人が座れるようになっているテーブルに、三人は端から詰めて座った。当然のように和美が真ん中である。
テーブルの数は多くあるが、三人が座ると、その横や向かい側の席もすぐに埋まった。別に指示されているわけではないが、やはり誰かと近い席にいたいという心理が働くようである。
テーブルの中央にはお茶が入っているらしい大振りのヤカンと水差しが二つずつあり、湯呑茶碗とグラスも置かれていた。醤油やソース、コショウや七味唐辛子などが並べられているお盆も二組置かれていた。

十人用の座席はすぐに一杯になったが、椅子と椅子の間は余裕があり、食事をするのに狭い感じはしなかった。小さなバッグなどはテーブルの下に入れられるようになっていた。
一つのテーブルに座った十人は、全員にお茶が行き渡るのを待っていたかのように、誰からともなく「いただきます」という声が上がり食事が始まった。

テーブルや椅子、それにトレーや食器類はいずれもシンプルなものだが、粗末なものではなかった。特に食器類は、樹脂製品が一般家庭においても浸透してきているが、ご飯用の茶わんと味噌汁用のお椀以外は、素敵な感じの陶器や磁器製の物が使われていた。

「悪くないわねぇ」
長女の和美が両方の妹に小さな声で話しかけた。
「ほんとねぇ。味噌汁なんて、とても美味しい。それに煮つけなどの器、センス悪くないわねぇ。お茶碗は、樹脂製だと思うけれど、これ上等よ。それにほら、お姉さんと私とは色違いよ」
「そうお・・・。ほんとね、私のは薄い水色だけれど、雅代さんのは淡いピンク系よ。君枝さんのは、オレンジみたいね」
「ほんとだ、私のはオレンジ色の模様よ。いろいろ考えてくれているんだ」

三人の会話が聞こえたらしく、それぞれが自分の茶わんの色を確認して、隣りの人と見せ合ったりしている。どうやら五種類くらいあるらしい。
世話役の人は各テーブルの様子を見たり、車椅子の人に声をかけたりしていたが、その人たちも一つのテーブルに集まって食事を始めていた。


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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第七回

2011-08-17 11:17:07 | テスバウ共和国 入国体験記 
          ( 6 )

食事のあと、三姉妹は同じ部屋にあるソファーなどが置いてあるコーナーに移った。食事の時隣り合わせた夫婦と思われる二人と一緒であった。
食事をした場所と休息する場所とは同じ部屋であるが、途中に柱があるので、もともとは二部屋として作られたものらしい。ただ、仕切るためのアコーディオンカーテンのようなものも見当たらないので、二部屋として使うことはないらしい。

その休息するためのコーナーには、四人用のものから十人位は座れる大きなものまで、いくつもの席が配置されている。お茶やコーヒーなどの自動機が数台並んでいて、自由に利用できるようになっていた。
三姉妹は、食事で隣り合わせた二人と一緒に、一番広い座席になっているところに座った。空いている席にも、もうひと組が続き八人が一つのテーブルを囲み、互いに挨拶を交わしたが、「よろしくお願いします」といった程度のものでしかなかった。
しばらく休憩した後、三人を含む八人は席を立ち、最初の会議室に向かった。
長い廊下には、すでに何人かが先を歩いていたり、車椅子での移動の人も見えた。

三姉妹が最初の部屋に戻ったのは、一時を少しばかり過ぎた時間であるが、正面の席には四人の進行役がすでに席についていた。
各自の席には、参加者全員のメンバー表が配られていた。参加者全員の氏名、性別、年齢、現在居住している都市名が書かれていて、同時に宿泊用の部屋割とチーム分けもされていた。
それによると、参加者は全員で六十五人、部屋は二十六室に分けられているが、同時申込みの者はそれぞれ一室が割り当てられているようであり、単身での申込者は性別ごとに三、四人で一部屋という割り当てになっているようである。

大半の参加者が席に着いた頃、こげ茶色のスーツ姿の男女四人が入場してきて、正面席の真ん中に着座した。進行役の人たちが両側に分かれて座っていたのは、この四人の席を空けていたかららしい。
参加者たちの後方にいてお茶などを運んでくれていた人たちは少なくなっていて、そのあたりには四人の人が立っていて、いずれも赤い腕章をしていることから引き続き参加者たちの世話をしてくれる人たちのようである。

「お待たせいたしました。ただ今から私たちの国テスバウ共和国の入国体験講座を開会いたします」
最初から進行役を務めている橋本さんが立ち上がって開会を告げた。
「講座の進め方につきましては順次説明させていただきますが、何分八週間にも及ぶ長い講座でございます。生活環境が変わることでもありますので、くれぐれも体調にはご注意くださいますようお願いいたします。なお、講座の途中で随時休憩を入れてまいりますが、お手洗いなどが必要な場合は、たとえ講演の途中であっても全く構いませんので、自由にお席を立って下さい。絶対辛抱しないでくださいよ。
皆様のお世話は、お昼前にも申し上げましたように、この赤い腕章をしております私たちが担当させていただきます。担当者は随時交代しますが、出来るだけご不便をかけないように致しますので、その点はご承知おきください。担当は、それぞれの班ごとに分かれますが、お困りの節にはその担当に関わりなく赤い腕章を着けている者でしたら誰でも結構ですから、遠慮なく申しつけて下さい」

橋本さんは、ここで一息入れるように少し間を取った。そして、中央に座っているこげ茶色のスーツの人たちに会釈を送った。
それに応えて中央の四人が立ちあがった。

「それでは、最初の講座に入ります。私たちの国テスバウ共和国の運営を担っている役員から、皆様に歓迎のご挨拶を申し上げます。
本日は、四人の役員が参っておりますのでご紹介させていただきます。
皆様の方から見まして一番左におりますのが、常任委員会議長を務めます大月雅文でございます」

橋本さんの紹介の声に、参加者たちからざわめきが起こった。そして、一斉の拍手となった。
大月雅文はテレビなどへの出演機会が多く、著作物も数多く出版されている。テスバウ共和国がニュースになる時には必ずといっていいほど登場する人物である。
高齢者問題の権威であり、ちょっとした著名人といえるのである。
大月氏は、少し困ったような笑顔と共に会釈し座った。

「その次におりますのが、理事長を務めます石田順三でございます。私たちの国の理事長は、母国の首相にあたる役職です」
石田氏も軽く会釈し、参加者たちも拍手を送った。
三番目が副理事長の宇喜多かおり、最期が医局担当理事の大須賀敬一郎であった。

「温かい拍手をいただきありがとうございました。紹介させていただきました四人が着ておりますこげ茶色のユニフォームは、私たちの国テスバウ共和国の運営にあたっている役員が公務についている時に着用するものです。それでは、四人の方から順次ご挨拶申し上げます」

拍手に迎えられて大月雅文は再び立ち上がった。細身の身体はすっきりと伸び、銀髪はきれいに整えられている。
テスバウ共和国の今日の隆盛を築き上げた指導者の一人とされているが、確かに人々を惹きつけるような雰囲気を感じさせる。

「皆さま、ようこそ私たちの国テスバウ共和国においで下さいました。心からの歓迎を、九千二百人の市民を代表して申し上げます。
さて、本日お集まりの皆さまは、縁あって私たちの国の市民権を得ることの是非を検討していただくために、体験入国していただいた方々です。ご参加の六十五人の方々は、一部の方を除き、ご縁も面識もなかった方々です。
しかし、本日ここにお集まりいただきましたことは、皆さまがテスバウ共和国という人生の舞台に興味をお持ちいただいたという強いご縁に結ばれたのです。本日からの八週間という長い時間を一緒に行動することになりますが、どうぞ強いご縁に結ばれた仲間として、胸襟を開いて意見を交換して下さいますよう切に願っております。

この入国体験講座が、八週間という長い時間を設定していることには、外部の方からの批判の声も少なくないことは承知しております。入国希望者に過酷な条件を押しつけているとか、受け入れ側の傲慢であるとかが、その主な理由です。
私たちは、これらの意見を何度も何度も検討してきております。そして、その検討結果も参考にしたうえで、この講座が、何よりも入国を希望される方々にとって有用であると確信しております。
本日お集まりの方の中にも、この講座を負担に感じておられる方も少なくないことでしょう。しかし、私たちはこの講座を体験していただくことが絶対必要だと考えております。もちろん、この講座の内容が十分なものだとは思っておりません。講座を担当しております部署を中心に、私たち役員も加わりまして、常に検討を続けております。その中から、講座をもっと充実させるために何が必要か、多くの意見やアイデアが出されていますが、日程を短縮させるべきという意見は殆どありません。

しかし、八週間が長いことも事実です。環境が変わるわけですから、体調の維持が大変だと思います。少しでも変調を感じられましたら、遠慮なくスタッフに申し出て下さい。体調不良で受けられない講座が発生しましても、正式入国するのには何の支障もありません。
これは、皆さまが誤解されているようでもありますので特に強調しておきますが、この入国体験講座は、私たちの国テスバウ共和国が、皆さまにとって将来を託するのに耐えられる国なのかどうかを確認していただくためのものなのです。この講座は、皆さまに出来るだけ正しい判断をしていただくためのお手伝いをさせていただくものなのです。
この講座を通じて、皆さまを評価させていただく気持ちなど全く持っておりません。試されているのは、テスバウ共和国であり、私以下九千二百人の市民なのです。

同時に、皆さまは、入国体験講座を受けておられる間は試験する方ですが、将来、正式入国された場合には、テスバウ共和国を自分の国として支えていく一員になることも忘れないでいただきたいのです。
テスバウ共和国の市民権を得るということは、単に老後の生活の安定や介護の権利を得ることでは全くありません。
市民権を得るということは、テスバウ共和国と、この国に将来を託して生きている九千余人に、これまでの経験をベースに貢献することが出来る権利を得るということなのです。
テスバウ共和国市民になるということは、安易な生活を手に入れることではなく、互いに助け合い貢献する機会を得ることが出来るということなのです。

皆さま、私たちの国テスバウ共和国の市民は、一人一人がこの国に貢献できることを喜びとし、それぞれがそれぞれの生き方を尊重し、自分に与えられている生命力の限りを溌剌と輝かせる生き方を求めているのです。
どうぞ皆さま、この国の市民たちの生き方や考え方を、ごく限られた時間ではありますが、講座を通して感じ取っていただきたいと思います。そして、近い将来、皆さま全員が私たちの仲間になっていただくことを願って、ご挨拶とさせていただきます」




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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第八回

2011-08-17 11:16:34 | テスバウ共和国 入国体験記 
          ( 7 )


一日目の講義のあと、グループ分けと部屋割の説明があり、それぞれの部屋に案内された。
宿舎は、食堂になっている部屋の前を更に進み、突き当って直角に曲がった所からの一辺があてられていて、ホテルのような部屋がずらりと並んでいる。
この建物は、大きな中庭を取り囲んだ「回」の形になっていて、講義が行われていた部屋と対面する形で宿舎となる部屋が三十ばかりも並んでいて、さらに曲がった先の一部にも部屋が続いている。何でも、最大では二百人近い宿泊が可能だそうである。

三姉妹の部屋は真ん中あたりで、三人で使用するように割り当てられていた。姉妹なので特別に配慮されたということではなく、申込単位で、二人から四人で一部屋を利用するように割り当てられていて、一人での申込者は、同性の何人かが一部屋になるように決められていた。
部屋の鍵は、それぞれに与えられているICカードが機能を持っていて、三姉妹の場合は、誰のカードでも使用できるように、既に設定されていた。ドア横にカードを接触させる機器が設置されていて、かなりしっかりと接触させないと働かないようになっていた。

三人は車から荷物を運び込み、部屋の整理にかかった。
といっても、三人が持ち込んだのはいずれも大型のスーツケースではあったが、その殆どは衣類なので改めて片付けるということもなかった。
部屋は十分な広さが確保されていた。入った所がたたき風になっていて、履き物入れがあり新しいスリッパが三足用意されていた。講義に出る時以外は食堂などへも履いて行ってもよく、個人的に準備したものを使うのも自由であった。室内全体はカーペットが敷かれていて、土足のままで部屋を使っても差し障りなかった。

部屋全体は奥に長い造りになっていて、たたきにあたる部分に洗面所があり小さな調理台もついている。その次にベッドルームが四つあり、その奥にトイレと洗面所と風呂が配置されている。入り口ドアから一番奥の窓際までは幅の広い廊下になっていて、一番奥の部分は応接セットが置かれていた。
ベッドルームにはロッカーと机が置かれていて、出入り口は引き戸になっていて施錠も出来るようになっている。
間取りからすれば、四人用と考えられるが、ベッドさえ追加させれば八人でも可能な広さを持っている。

三人は部屋割を決め、荷物の一部を各自のロッカーに移した。三人が使う部屋も一番奥を空けることにして、一番奥に長女の和美、その横が次女の君枝、一番手前に雅代が入ることにした。
いつもは和美を真ん中にするのが習慣のようになっているが、ここの部屋割では長女を一番奥にするのが姉を守ることになると妹たちは考えたのである。

     **

「少し、イメージ違ったなあ・・・」
雅代が二人の姉に近づきながらつぶやいた。

参加者全員がそれぞれ割り当てられた部屋に入り、片付けや休憩でしばらく時間を過ごした後夕食となった。
歓迎会を兼ねたもので、役員や世話役の人も加わったバイキング形式の食事会で、世話役の人たちは大変気を使って参加者たちに話しかけてくれていた。ただ、残念ながら、参加者の方は今一つ打ち解けることが出来ず、慣れない一日に疲労を感じている人もいる様子で、主催者側の人たちの動きが目立つ夕食会となった。

参加者にとっては緊張した一日の予定がようやく終わり、再びそれぞれの部屋に入った。
三姉妹も、部屋に戻ると早速に交代で風呂に入った。風呂の様子などはすでに確認済みで、長女の和美は着替えもそこそこに風呂に向かった。風呂に入る順番は特別に相談することもなく、当然のように和美が最初で、二番目は、これは当然ではないが次女の君枝が入り、最後が三女の雅代という順になっていた。
風呂は洋式になっているので、順序は特に考えなくてもよいが、危険でないものはたいてい和美が最初というのが不文律のようになっていた。
広い廊下の窓際がリビングのようになっていて、狭いながらも四人が座れるように応接セットが置かれている。和美と君枝は席についていて、テーブルにはビールの入ったグラスが置かれている。

「さあ、座って。乾杯しよう」
君枝が姉と妹にグラスを配り、乾杯の音頭を取った。
「何はともあれ、無事に初日をスタート出来てよかったね。それで、イメージが違うって、何が?」
一息にグラスを半分ほど開けて、君枝が尋ねた。
グラスは和美の家から運んできたもので、ビールとつまみは、夕食会の残りを頂戴してきたものである。

「何がって・・・。お偉いさん達の話よ。わたしが考えていたのとは、少し違うみたい」
「違うって、どのあたりが?」

「お偉い方々が次々挨拶されたでしょう。どなたも歓迎してくれているのはよく分かるの。でも、何だか難しそう」
「難しい・・・。別にそれほど難しいほどの話ではなかったわよ」

「いえ、ね、難しいというのとは少し違うけど・・・、つまり、ちょっと様子が違うぞ、って感じかな」
「何よ、それ?」

「わたしはね、ここの市民になれば、恵まれた自然の中で自由気ままに自分の好きなことをしながら過ごせると思っていたの。もちろん、お姉さんたちのお世話は一生懸命するわよ。でも、それ以外は、のんびりとした生活が待っているものだと期待していたの。でも、お偉い方々の話では、何だか、わたしたち、お世話をするためにやってきたみたいよ。
『どうぞご心配なく。皆さまが活躍していただける場所は必ずありますから』だって・・・」

雅代が、役員の挨拶の一節を真似るようにして不満を述べたので、姉たちは声を出して笑った。そして、そのあとを和美が引き取った。
「確かに、雅代さんの言う通りかもしれないわね。この講座は、私が二人をひっぱってきてしまったようなものでしょ。ですから、受けたからって、入国しなければならないってことではないのよ。じっくりと中身を検討してから決めたらいいのよ」

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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第九回

2011-08-17 11:16:00 | テスバウ共和国 入国体験記 
         ( 8 )

開会の挨拶では、常任委員会議長間大月雅文に続き、他の役員の人たちも歓迎の言葉を述べた。

二番目に挨拶に立った理事長の石田順三は、テスバウ共和国が如何にダイナミックな生活の場であるかを強調し、それが、先輩市民たちが営々と築き上げてきてくれた財産と精神風土にあることと、何よりも現在この国に献身的なまでの互助精神を発揮してくれている九千二百人の市民の力であることを誇らしげに語った。
そして、その運営を託されている理事会メンバーは、全ての市民に活躍の場を提供できるように努力を続けていると、挨拶の最後を結んだ。

三番目の副理事長宇喜多かおりは、互助会を中心とした市民の生活面を担当させていただいていると自己紹介し、この国の市民の多くがダイナミックな生活を実現していると自負しているが、その中心にあるのは、この国が築き上げてきた互助会組織であると語った。
全ての市民が全ての市民から支援を受けることが出来るとともに、全ての市民が全ての市民のために、たとえそれがどれほど微力なものであっても、能力の許す範囲で貢献できる喜びを得ることが出来る体制こそが、私たちの国テスバウ共和国の根幹をなしていると力説した。
そして、挨拶の最後は、「どうぞご心配なく、皆さまが活躍していただける場所は必ずありますから」と締めくくった。

最後の大須賀敬一郎は、医局担当の理事だと自己紹介し、医療保険体制について語った。
運営されている具体的な体制については後日の講義で説明させていただくと前置きし、わが国の医療体制の根幹をなすものは、健康年齢の伸長であり、不幸にして重い病気や障害を得た人に対しても、残された能力でどのようにして同胞である市民に対して貢献できるのかを追求していくことに重点を置いている、と淡々と語った。
やや肥満気味の、そのためか見るからに温厚な医者らしく見える大須賀の言葉に、話の真意を掴みかねてか、受講者席からは小さなざわめきが起こった。

     **

「『全ての市民は全ての市民のために・・・』だなんて、どこかで聞いたことない? 
のんびり暮らそうなんて考えていたら、とんでもない目に合いそうよ」
雅代はなお不満そうに口を尖らせて、自分のグラスにビールを注いだ。
「だから、言ってるでしょ、ここの市民になるかどうかは決めているわけではないって・・・。あなた方に無理強いする気もないし、わたし自身もまだ決めているわけではないのよ」

「分かっています。よーく分かっています。ただね、半日だけでどうこう言うわけではないけれど、テスバウ共和国をまるでユートピアのように考えるのは間違っているように感じたのよ」
「何言ってるの。まるでユートピアのように言ってたのは、あなただけよ」
姉と妹のやりとりを聞いていた君枝が間に入った。

「まあ、ね・・・。それはね、君枝、あなたを引っ張り込むためもあったからね。あまり乗り気でなかったあなたを連れ出すためには、少々オーバーには言ったわよ。でも、今日の役員さんたちの挨拶をそのまま受け取ると、まるでこの国に勤めるような気分にならない? わたしがそうなんだもの、君枝お姉さまといたしましては、もっと気に入らなくなっているのでしょ」
「憎らしい話し方ね。でもね、それが、そうでもないのよ。もしかすると、案外いい所かもしれないな、って少し感じてるのよ。これ、嫌みじゃなく、率直な気持ちよ」

「へぇ・・・。やっぱり君枝は少し変わってるわ。あのお偉いさんたちは、まるでわたしたちが出稼ぎに来たとでも思ってるんじゃないかしら」
「そういう雅代は、この国の市民になれば、三食昼寝付きの毎日があるとでも考えていたの? それなら、わざわざこの国の市民にならなくても、介護施設とか老人ホームなど行くところはたくさんあるわよ。お金の問題はあるとしても、至れり尽くせりの施設が望みなら、わさざわざこのテスバウ共和国まで来る必要はないはずよ。
わたしは、役員の方々の話はすごく面白かったわ。ええ、とても興味を感じたの」

「そうお? ここへ来るのが反対だった君枝くんがねぇ・・・」
「そうよ、雅代くん。わたしが乗り気でなかった一番の理由は、テスバウ共和国の生活なんて、ぬるま湯に放り込まれるみたいに感じていたからなの。今も、そう思ってるわよ。でも、先程の四人の話からは、少し違うものが感じられたの。
八週間なんて、それこそ気が遠くなるほど長い講座だけれど、真剣に取り組んでみる価値がありそうな予感がしているの」

「そんなものかなあ・・・。何だか、わたしは怠け者みたいねぇ・・・」
「まあまあ、お二人とも、今からそんなに意気込まないで、のんびりと自然体で明日からの講義を体験しましょうよ。こうして三人が同じ部屋で八週間も寝起きするなんて、私が結婚してから初めてのことでしょう? ここでの生活を楽しみましょうよ」

和美の言葉に二人の妹はうなずき合った。
考えてみると、始まったばかりの講座の、それも役員四人の挨拶にそう熱くなる必要もなかった。それに第一、和美の言葉に妹たちが反論することなど、余程のことでもないかぎりあり得ないことなのである。
三姉妹は、残っているビールを互いに注ぎあった。そして、それぞれグラスをかざして微笑みあった。
テスバウ共和国での最初の夜であった。




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