雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ビッグ過ぎるニュース

2024-02-29 18:20:58 | 日々これ好日

      『 ビッグ過ぎるニュース 』

    大谷翔平選手結婚という ビッグニュースが飛び出した
    『おめでとうございます』と 申し上げるばかりだが
    あまりにも大き過ぎるニュースに
    他のニュースが 霞んでしまった感じ
    折から 首相が衆院政治倫理審査会に 出席したが
    その内容も含めて ニュース価値は とても とても・・・
    明日も 同じだろうなぁ・・・

                    ☆☆☆

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長屋王異聞 ・ 今昔物語 ( 20 - 27 )

2024-02-29 07:59:06 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 長屋王異聞 ・ 今昔物語 ( 20 - 27 ) 』


今は昔、
聖武天皇の御代、奈良に都があった時、天皇は天平元年( 729 )二月八日に、左京の元興寺(ガンゴウジ・蘇我馬子が飛鳥の地に建立したものを奈良の地に移築した。観音堂など一部が現存。)において盛大に法会を行い、三宝を供養し奉った。
その折、太政大臣である長屋親王(ナガヤノミコ・長屋王のこと。)という人が、勅を承って諸僧を供養した。

その時、一人の沙弥(シャミ・見習い僧。ここでは半僧半俗の正式でない僧。)がいて、無作法にもこの供養の飯を盛っている所に行き、鉢を捧げて飯を乞うた。
親王はこれを見て、沙弥を追い払い殴りつけると、沙弥の頭を傷つけ、血が流れた。沙弥は頭を撫で血を拭いながら泣き悲しんでいたが、突然姿を消した。どこへ行ったか全く分らない。
法会に出席していた僧俗の人たちはこれを聞いて、ひそかに長屋親王を謗(ソシ)った。

その後、長屋親王をねたましく思う人がいて、天皇に讒言(ザンゲン・陥れるために事実を曲げて告げ口すること。)して、「長屋は、『王位を倒して国位を奪おうとしている』と思っているので、あのように、天皇が善根を催された日に、不善を行った」と告げた。
天皇はそれをお聞きになると、たいそうお怒りになって、大軍を遣わして長屋親王の屋敷を包囲させた。
その時に、長屋親王は、「私には罪がないのに、このように咎めを蒙った。きっと、殺されるであろう。そうであれば、他の者に殺されるよりは、自害する方がましだ」と自ら思って、まず、毒を取って子や孫に飲ませ、即座に殺してしまった。その後、長屋も又自ら毒を飲んで死んだ。

天皇はこれをお聞きになると、人を遣わして、長屋の死骸を取って、都の外に棄てて焼かせ、河に流し海に投げ棄てた。
ところが、その骨は流れて土佐国に着いた。すると、その国の百姓(人民の意味)が多く死んだ。百姓はこれを愁えて、「あの長屋の悪心の邪気によって、この国の百姓が多く死んでいます」と申し出た。
天皇はそれをお聞きになって、王城からさらに遠ざけようと、長屋の[ 欠字。「骨」か ]を、紀伊国海部郡のハジカミの奥の島(有田市の沖にある「沖島」か)に置いた。
これを見聞きした人は、「あの沙弥を罪も無いのに罰したため、護法神がお憎みになったからだ」と言った。

されば、頭を剃り袈裟を着ている僧を、事の善悪を問わず、貴賤を選ばず、畏れ敬うべきである。その中に、仏や菩薩の化身が身を隠して、交じっていらっしゃると思うべきである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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貴重な一日??

2024-02-28 18:47:04 | 日々これ好日

     『 貴重な一日?? 』

    明日は 二月二十九日
    四年に一度しかない 特別な日
    貴重な一日だと 感謝するのか
    生活費が 一日余計に掛かると嘆くのか
    微妙・・・
    まあ せっかくのおまけだと考えて
    何か 少しばかり 日ごろと違うことを
    楽しんでみるのは いかが!!

               ☆☆☆

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虎を描いて猫にも成らず

2024-02-28 08:02:38 | 私の好きなフレーズ

     『 虎を描いて猫にも成らず 』


良寛さんは曹洞宗団という唯一の拠り所からも離れ、まさに身一つで故郷を望む丘に立ちます。僅かに身を覆う襤褸(ランル・ぼろぎれ)と鉄鉢と師匠から譲り受けた藤の杖だけでした。
良寛さんは眼下に広がる故郷の村を、どんな思いで見たのでしょうか。
   少年、父を捨て他国へ走る
   辛苦、虎を描いて猫にも成らず
良寛さんの胸に去来するものは何だったのでしょうか。
良寛さんにとって、描こうとした虎とは何だったのでしょうか。

         ( 「言葉のティールーム」 第十一話より )
 

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スウェーデンのNATO加盟決定

2024-02-27 19:18:06 | 日々これ好日

     『 スウェーデンのNATO加盟決定 』

    難航していた スウェーデンのNATO加盟が決定した
    ロシアによるウクライナ侵攻が 切っ掛けとなり
    スウェーデンは ナポレオン戦争以来の中立政策を放棄
    大変な決断をしたことになる
    ロシアにとっても 極めて大きな代償を払うことになった
    これで この地域の国家間の対立が 厳しくなるが
    これによって 「緊張した平和」が訪れることを 期待したい
    いくら緊張していても 見せかけであっても
    とにかく ウクライナ戦線の 停戦を実現して欲しい

                    ☆☆☆     

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痛いの痛いの飛んで行け ・ 小さな小さな物語 ( 1742 )

2024-02-27 08:00:16 | 小さな小さな物語 第三十部

とても怖い夢を見ました。
恐いと言うより、苦しいと言った方が正しいのかも知れませんが、ずいぶん昔の仕事に関係した夢です。その出来事は、私が当事者だったわけではないのですが、危うく大事に至りそうなミスだったのですが、夢の中では私が中心人物になって、何かを背負って色々な人に助けを求めていました。もちろん、昔の出来事とは内容は一致していないのですが、いやに具体的で、鮮明でした。
目覚めたとき、「ああ、夢でよかった」と、かなり本気で嬉しかったのです。
夢については、当コラムでも、何度か取り上げた記憶がありますが、つくづく不思議なものです。

目覚めた後、起床時間には少し早かったのですが、そのまま起き出しました。「こんな夢の続きを見せられてはたまらない」という気持ちがあったからのようで、顔を洗っているうちに、さすがに自分が可笑しくなりました。そして、こういうのを「悪夢」というのだろうなあ、と思いましたが、同時に、「本当にそうかなあ」という気持ちも湧いてきました。
確かに、夢の中ではとても苦しい思いをしましたが、目覚めて夢だと認識した時の、あのほっとした時の気持ちは、そうそう経験できないほど有り難かったのです。もしかすると、あの夢は悪夢でも何でもなく、むしろ「良い夢」だったのではないかと思いました。逆に、夢の中で大変良い思いをしていて、まさに願いが成就するという寸前に目覚めた場合、夢の中でいくら幸福感を味あわせてもらっても、目覚めて落胆するようでは、それを良い夢といえるのでしょうか。

「禍福は糾(アザナ)える縄の如し」という言葉があります。中国の歴史書にある言葉のようですが、禍と福が目まぐるしく入れ替わることを見事に言い表していますし、禍と福が、簡単に判別できないことを示しているような気もするのです。
まだ幼い頃、あるいは青少年期に、不幸な時期や苦しい時に、周囲の人から差し伸べられた手によって、禍と思っていた事を福に変えていき、あるいは、福であるゆえに堕落への道へと進んでしまう例も、決して特殊なことではないでしょう。
乳幼児に関する悲しい事件が跡を絶ちません。青少年の残虐な、あるいは非常識すぎる事件も同様です。
これらの事件や当事者に対して、周囲から適切な手を差し伸べてくれる人がいてくれたなら、その寸前で立ち止まれたり、禍を福に変える切っ掛けが生まれていたかも知れないと思うのです。

「手当て」という言葉は、広い意味を持っていますが、痛みのある場所に手を当てることによって和らげることが出来る、という意味も持っています。お母さんが幼い子供の痛みの場所に手を当てて、「痛いの、痛いの、飛んで行け」と唱える呪文のような言葉は、きっとその子供は、折りに付けて思い出すでしょうし、お母さんがそうした気持ちを持ち続けている限り、子供たちは逞しく成長してくれることでしょう。
もちろん、子供は母親だけが育てるわけではなく、父親はもとより、家族や近隣の人々、学校や職場、社会全体のあらゆる影響を受けながら育っていきます。
幼い子供や少年たちが、悲しい環境に追込まれたり、とんでもない事件の当事者になってしまうのを、親や家庭の責任だけにして良いのか、地域の問題としてどう手当てすることが出来るのか、情けないことに全く無知なのですが、子供たちが育つ環境、つまり「社会力」のようなものが、劣化しつつあるのではないかという懸念を抱いております。


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大阪マラソン

2024-02-26 19:10:16 | 日々これ好日

       『 大阪マラソン 』

    昨日の大阪マラソンは 平林清澄選手が優勝
    国内の大きな大会で 日本選手の優勝を
    久しぶりに見た気がする (確認していないが)
    初マラソンの日本最高記録 日本学生最高記録と
    意味のある大会だったが パリ五輪代表の切符は逃した
    マラソンは コース条件 気候・天候による記録差が大きく
    代表選考は とても難しいと感じた大会だった

                     ☆☆☆ 

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乞食僧も三宝の内 ・ 今昔物語 ( 20 - 26 )

2024-02-26 08:04:50 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 乞食僧も三宝の内 ・ 今昔物語 ( 20 - 26 ) 』


今は昔、
備中国の小田郡に白髪部猪麿(シラカベノイマロ・伝不詳)という者がいた。邪見(ジャケン・よこしま)な心の持ち主で、三宝(仏法僧。ここでは、仏の教えといった意味。)を信じることがなかった。また、人に物を与える心が全くなかった。 

ある時、乞食僧が猪麿の家にやってきて食べ物を乞うた。ところが、猪麿は食べ物を施すどころか、乞食僧を罵り殴りつけて、乞食僧が持っていた鉢を打ち壊し、追い払ってしまった。
その後、猪麿は用事があって他の村に行くことになったが、その途中で、にわかに雨が降り風が吹き出した。その為、先に行くことが出来ず、しばらく他
人の倉の軒下に立ち寄って、雨風の止むのを待っていたが、突然その倉が倒れた。それで、猪麿はその下敷きになって死んでしまった。
妻子や一族の者に、何も言い残すことなく、不慮の死を遂げたので、「これは他でもない。乞食僧に食べ物を施さず、罵り殴って、鉢を打ち壊した罰である」と知って、これを見聞きした人は皆、現世での報いを受けたのだと言って謗(ソシ)った。

されば、乞食僧を見たら、喜んで、多少に関わらず、すすんで物を施すべきである。まして、罵り殴るなどは、けっしてしてはならない。乞食僧といえども、みな三宝のうちなのである。その中でも、乞食僧の中にこそ、昔も今も仏・菩薩の化身が在(マシマ)すのである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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米大統領選の行方

2024-02-25 19:11:56 | 日々これ好日

      『 米大統領選の行方 』

    米大統領選 共和党の候補指名争いは
    ヘイリーさんの地元でも トランプ元大統領が勝利し
    圧倒的な強さが 続いている
    一方 民主党は バイデン大統領の対抗馬がいない状態だが
    トランプ氏には訴訟の壁 バイデン氏に健康面の壁があるようだ
    別の候補者の名前も ちらほら聞こえてくるが さて・・
    他国の事ながら 大いに関心がある

                       ☆☆☆ 

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道長と倫子 ・ 望月の宴 ( 103 )

2024-02-25 08:00:03 | 望月の宴 ③

      『 道長と倫子 ・ 望月の宴 ( 103 ) 』


寛弘五年( 1008 )になった。
一夜のうちに峯の霞も立ち変って、すべてが行く末はるかに穏やかな空の様子であるが、京極殿(土御門邸の別称)においては、尚侍殿(ナイシノツカサド・道長の次女妍子)と申し上げるのは中姫君でいらっしゃるが、その御方の女房や、小姫君(三女威子)の女房など、実に様々に当世風に華やかに着飾って仕えていらっしゃる。
殿の御前(道長)が尚侍殿のお部屋においでになってご覧になると、尚侍殿は十四、五歳ばかりで、たいそう可愛らしく調度類をととのえて大切にお育てになっていらっしゃる。色さまざまの御衣を幾重もお召しになられているが、御髪(ミグシ)が紅梅の織物の御衣の裾にかかっている様子は、隙間なく磨き上げているようで、御身の丈より七、八寸ばかりは余っていらっしゃるように見える。
御顔のつややかな美しさがすばらしく、気品があって愛らしくていらっしゃるが、それに加えて、華やかな雰囲気をたたえていらっしゃる。異様なまでの美しさでいらっしゃる。御前(オマエ)には、若い女房たちが七、八人ばかりお仕えしていて、いかにも気持ち良さげで誇らしげである。

また、小姫君は九つか十ばかりで、たいそう愛らしくて雛人形のようで、あちらこちらと出入りなさっているのが可愛らしい。重ね着の上に萌黄の小袿(コウチ・高貴な女性が平常着る上衣。)をお召しになって、肌のお色が雁の子のうぶ毛のようにお見受けするのは、それはただ色が白いだけであるが、この姫君はつややかな美しさが加わっていて、少納言の乳母(出自未詳)がたいそう可愛がりお守りしているのが、そばから見ていても、何とうらやましいことだと思われる。

いと姫君(嬉子。道長と倫子の間の四番目の女子。)は、二つ三つばかりでいらっしゃるので、殿の御前が御戴餅(イタダキモチイ・正月に幼児の頭に餅を戴かせて前途を祝う行事)の儀式をなさろうとされたところ、「まだ晴れ着を召していませんので、しばらくお待ちを」と、殿の上(道長の正妻倫子)が仰せられる。
こうした姫君方の御有様をやさしくご覧になっていて、すぐに御部屋から出ようとなさらない。参内が遅くなっていて、宮中からの御使者がしきりに訪れる。上達部や殿上人が大勢参られて、そのまま殿のお供をして宮中に参られるおつもりである。

殿のご出立の間際に、参内のための束帯姿で、いと姫君の御戴餅の儀をおさせ申し上げられる。御乳母の小式部の君が、たいそう若々しいお姿で姫君をお抱きになって殿の前に向かわれる様子は、並々ならぬ晴れやかさである。

殿の上は、このように君達(キンダチ・ここでは子供たちの意。男二人、女四人を儲けている。)をたくさんお持ちでいらっしゃるが、今のお姿は二十歳ばかりにお見えである(倫子はこの時四十五歳。)。小柄で品がありふっくらとなさっていて、たいそう愛らしい御容姿であられて、御髪の筋もすっきりと清らかで、御袿(ウチキ・貴族女性の常用着。ここでは、唐衣や袴を付けず、袿を重ね着した日常の姿。)の裾まであり、先を細くなさっている。
白い御衣を数が分らないほどお召しになって、御脇息に寄り掛かっていらっしゃる姿は、たいそうすばらしくお見えになり、中宮(長女の彰子)の御有様と比べても、それぞれにすばらしくお見えになる。

御前にお仕えする女房たちも、にこやかにご覧になられているが、殿の上は、紫檀の御数珠の小さい物を、小さく唱えてておられる御念仏にそれとなく合わせてつまぐられ、御脇息に寄り掛かっているご様子が、何とも言いようがなくすばらしくお見えになるので、殿の御前(道長)は、姫君をお抱きになっている御乳母の君に、「見てごらん。あの母君の御有様をどのように拝見なさるかな。姫君(彰子たちを指している)たちの御有様と比べても、そうそう劣らぬほど若々しいではないか。なによりも御髪の見事さよ」と、たいそう満足そうに微笑まれ、お目を向けていらっしゃるのも、御乳母の君は、実にすばらしいと感じ入っている。
小姫君があちらこちらと目まぐるしく動かれているので、「なんとまあ、あわただしいことよ」とお止めようとされる。

このようにして、ようやく殿の御前はお出ましになるが、「すっかり日が高くなってしまった」と仰せになり、急がせなさるので、そのまま大勢の殿方の御車を引き連れて参内なさる。    

     ☆   ☆   ☆ 

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