雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

悠々と流れている

2019-05-31 19:21:02 | 日々これ好日
        『 悠々と流れている 』

     わが家の小さな庭は
     春の球根たちの花が すっかり終わり
     今は ユリがあちらこちらに姿を見せている
     アマリリスも 幾つかが 蕾をふくらませている
     世間では 哀しいニュースや嫌なニュースが続くが
     球根たちは 悠々と それでもしっかりと 時を紡いでいる

                       ☆☆☆
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天の香具山

2019-05-31 08:13:52 | 新古今和歌集を楽しむ
     春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
                衣干すてふ 天の香具山


                    作者  持統天皇御歌

( No.175  巻第三 夏歌 )
             はるすぎて なつきにけらし しろたへの
                       ころもほすてふ あまのかぐやま 



* 作者は、第四十一代天皇。( 645-702 )享年五十八歳。

* 歌意は、「 春が過ぎて、もう夏が来たらしい。白い夏衣を干すという 天の香具山に。」といったように、素直に解釈すべき歌と思われる。
この歌の原典は「万葉集」であるが、もとの歌は、「 春過ぎて 夏来(キタ)るらし 白妙の 衣干したり 天の香具山 」となっている。

* 持統天皇は、天智天皇の皇女であり、天武天皇の皇后でもある。
そして、わが国古代史上最大の戦いともいえる、壬申の乱における重要な鍵を握っている人物でもある。
また、大化の改新(乙巳の変)を経て、中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)との微妙な関係、そして、壬申の乱を経て天武王朝とも表現できそうな飛鳥時代から奈良時代への大和王権の絶頂期を迎えているが、その中心人物といってよいほどの位置を持統天皇は握っていたように思われるのである。私見が強すぎるかもしれないが。

* この歌は、百人一首にも入選しているなど、古来評価の高い歌(和歌。但し、万葉集は長歌が中心。)であり、持統天皇を歌人として評価されることも多いが、古代史を学ぶ中では、最大級の政治家と考える方が正しいように思うのである。

     ☆   ☆   ☆   
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風は気まぐれ

2019-05-30 19:20:24 | 日々これ好日
        『 風は気まぐれ 』

     「風は気まぐれ」
     首相の 談話の中でのこの一言に
     様々な反応
     その反応も 立場立場で 反応の仕方がこれほど違うのかと
     可笑しくもあり 勉強になる
     同じ言葉でも 話す人 反応する人により
     なるほど これほど違うのだなァ

                         ☆☆☆  
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小さな小さな物語 第二十部  表紙

2019-05-30 14:56:57 | 小さな小さな物語 第二十部
     小さな小さな物語 第二十部  表紙


         No.1141 から No.1200 までを収録しています
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小さな小さな物語  目次

2019-05-30 14:55:59 | 小さな小さな物語 第二十部
          小さな小さな物語  目次


     No.1141  大きな力に抱かれて
        1142  満ちても欠けても月は月
        1143  一緒になるのも別れるのも難しい
        1144  残された日々
        1145  貿易戦争


        1146  拒絶反応
        1147  その間にあるもの
        1148  悪意との戦い
        1149  誤差の範囲
        1150  危険がいっぱい


        1151  彼は何を見ているのだろう
        1152  「平和」を叫ぶのは簡単だが
        1153  正当な評価を
        1154  変わるもの変わらないもの
        1155  一年の計 


        1156  許容範囲
        1157  日本の真ん中
        1158  全力疾走
        1159  清廉潔白
        1160  今を生きる
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大きな力に抱かれて ・ 小さな小さな物語 ( 1141 )

2019-05-30 14:55:03 | 小さな小さな物語 第二十部
『 ふ化をして海へ入ったアカウミガメはどこへ行くのでしょうか。
子ガメは中央~東部太平洋へと旅立ち、はるか1万キロ先のメキシコ沿岸にもたどり着くものもいます。単独で太平洋を横断しますので、この旅は親や仲間から学習するものではなく、本能的に行うものであることは間違いありません。
成体で100キロを超すアカウミガメでも、ふ化直後は20㌘もありません。小さな身一つで大航海に乗り出すのです。
子ガメはまず黒潮に乗り、続いて北太平洋海流へと乗り継いで、数年~10年ほどかけて太平洋を横断します。海流を利用して子ガメが大洋を横断するのはアカウミガメだけですし、産卵地が集中する地域を考えても、海流の利用は偶然ではないと考えられています。
ただ海流に乗るだけではありません。子ガメはその時々に向かうべき方角を地磁気の仰角や強度から定めているようです。成長した後、地磁気コンパスは日本方面へ帰る地図にもなりますが、子ガメがふ化後地表に出て砂浜を歩き沖合に泳ぎ出て行く際、生まれた地域の磁界が刷り込まれるとされています。
日本方面へ帰るのは生まれて20~30年程も経つ頃ですので、それだけの期間、学習した地図が記憶されているとは驚きます。また、体の大きくなった帰り道では海流は利用せず、まっすぐ泳いでくることも分かっています。
ちなみに、北太平洋では平均40歳頃で成熟すると推定されていますので、日本方面に戻ってから繁殖するまでさらに10年程度かかるようです。 』
  ( 以上は、毎日新聞11月15日付朝刊 「須磨海浜水族園のなかまたち」の飼育教育部・石原孝氏の記事を引用させていただきました。 記事の前後や途中部分を割愛させていただいていますので、記事の趣旨を歪めている部分があればお許しください。 )

「鶴は千年 亀は万年」という言葉がありますが、まさか亀が万年も生きるわけではないでしょうが、太平洋を数十年かけて旅するというのは、実に壮大な物語といえます。
また、生まれた海岸や、自分が向かうべき地を承知しているというのですから、何とも不思議で、切なさを感じてしまいます。
同様の能力は、鮭や鰻なども有しているようですが、もしかすると、彼らのその方面の能力は際立っているとしても、多くの動物が似たような能力を持っているような気もするのです。

私たち、人間も動物の一種ですから、私たちが先天的な能力を何も有していないと考えることの方が不自然だと思うのです。
私たち人間、つまり「ヒト」という種は、多くの生物の気が遠くなるような進化と突然変異の繰り返しの結果、その頂点に位置している「種」のように考えられることがあるようですが、さて、それは本当に正しい姿を把握していることなのでしょうか。

現在地球上に生息している生物の中で、もちろん私たち人類が把握することが出来る範囲に限るとしてですが、最も知的に進化した位置にあるというのは、ごく普通の考え方だと思うのです。
しかし、アカウミガメの壮大な航海を考えると、人間の考える進化などというものは、「ヒト」という種の持つ能力の中でのみ支持させる考え方ではないのかと思ってしまうのです。
もしかすると、私たちは、多くの知識と称するものを得るのと引き換えに、多くの何かを失ってきているのではないでしょうか。「虫が知らせる」などという言葉が今もなお健在なのは、何かのはずみに私たちが失ってしまった何かが、時々顔を見せることがあるのではないでしょうか。
私たちは、科学は万能ではないか、と思ってしまうような社会に生きています。
しかしながら、私たちは今もなお、どうすることもできないものを背負い続けています。
残念ながら、私たちが生きている社会は、すべてを自然の成り行きに任せられる社会ではありません。束縛があり努力が必要であり、欲望だけは十分すぎるほど持っています。そして、そのような社会は、努力次第で浮き上がったり沈んだりする社会のように思ってしまったりします。
けれども、それらをすべて認めるとしても、どうすることもできないものを背から外すこともできません。そう考えれば、私たちは、何か分からないのですが、大きな力に抱かれて存在しているような気もしてくるのです。

( 2018.11.22 )
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満ちても欠けても月は月 ・ 小さな小さな物語 ( 1142 )

2019-05-30 14:53:22 | 小さな小さな物語 第二十部
一昨日、11月23日夕べは満月でしたが、報道などによりますと、平安時代、藤原道長が、『 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば 』と、わが世の春を歌ったのは、ちょうど一千年前の満月を愛でて詠んだものなのだそうです。
一千年前の11月23日は、旧暦でいえば10月16日にあたるそうですが、ある貴族の日記にこのエピソードが記されているそうです。

その日から一千年、一万数千回の満月があり、同じ数だけの新月があり、私たちの先人たちは、その折々に満月を仰ぎ見て喜怒哀楽を噛みしめて、時には雲や雨を残念がったりしたのかもしれません。新月の夜は、当然ながら仰ぎ見るべき月はありませんが、その分星は輝きを増し、人々は願を懸け、堪え難い難儀を耐え忍ぶ糧としたのかもしれません。
天体の行動は陰に陽に私たちに影響を与え続けているという考え方もありますし、事実そうなのかもしれませんが、私たちの日々には、いささかの感傷は抱くとしてもほとんど影響を感じることなく、時には、空に星や月があることさえも意識することがないことも少なくないような気がします。
しかし、天体は、地球上から眺めた天体という意味ですが、日々姿を変えています。月の姿の変化ほど明確ではなくても、金星や火星も、日々その位置は変化しており、星座たちも季節単位で見れば大きな変化を知ることが出来ます。

私たちの日常生活にある様々な物、周辺の草木ばかりでなく、山や川や海、毎日使っている器物、さらには毎日のように接し入る人でさえ、毎日少しずつ変化を続けています。
しかし私たちは、日々の僅かな変化に気付くことは少なく、むしろ、そのような変化が毎日敏感に襲いかかって来れば、大きな負担になってしまいます。
しかし、私たちの周辺にあるもの、人間関係も含めて、刻々と変化していることは厳然たる事実なのです。

それは、私たち自身も同様です。毎日同じような時間を過ごしているように感じられることがあっても、厳密には一日とて同じ日はないものです。成長もあり、退化もあるのでしょうが、今日の私が昨日の私と違うことは確かです。
残念ながら私には経験がありませんが、社会的な地位が向上し、権限が高まっていった場合に、「初心忘るべからず」を守るのは、難しいことのようです。
「この世をば わが世とぞ思ふ ・・・」と思ってしまうのは、何も道長だけではなく、最近話題になっている経営者なども、そのような罠にはまり込んでしまったのではないでしょうか。
満ちても欠けても月は月です。その実態に変わりがないことを意識し続けるのは、つくづく難しいことなのだと教えられました。

( 2018.11.25 )
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一緒になるのも別れるのも難しい ・ 小さな小さな物語 ( 1143 )

2019-05-30 14:51:10 | 小さな小さな物語 第二十部
つくづく感じさせられます。「一緒になるのも別れるのも難しい」と。
日産自動車の事件は、経営トップの横暴や使い込みといった単純な事件で終わりそうでない様相を呈してきました。
事の真相は、今のところ現社長サイドの情報が中心になっていますので、すでに前会長らが逮捕されたからと言って安易に判断することは慎むべきだと思いますし、法令違反については、検察がしっかりと捜査してくれるはずです。
その黒白は別にするとして、逮捕とほとんど同時に、一部からは「クーデター説」が浮上していることを考えても、その面は完全否定できないような気がします。
外野席より遠い場所から眺めての意見ですが、窮地にあった日産がルノーに助けられたことは事実ですし、凄腕のリーダーによって業績がV字回復したことも事実でしょう。しかし、別の観点から見れば、名門企業の二万人にも及ぶ社員を切り捨て、本丸ともいえる資産をたたき売りすることが出来たことが大きな要因であることも否定できない一面があります。
ここに来て、日産の業績がルノーを上回る状態になった現在、公表されている分の役員報酬の格差だけでも、まるで占領されている感じがしている人も少なくないはずです。そうした不満に、前会長は絶好のチャンスを与えてしまったような気がしてならないのです。

「合従連衡(ガッショウレンコウ)」という言葉があります。中国の「史記」に登場する言葉ですが、「その時の利害によって他と結びついたり離れたりすること。時勢に応じて巧みに計略を廻らす政策。」といった意味で、もともとは国家間の外交政策を指していたものですが、現在はもっと広い意味で用いられているようです。
この言葉は、もとは一つのものではなく、「合従」と「連衡」は別の人物により唱えられた政策でした。
「合従」は、中国の戦国時代末期の頃、西方の強国秦に対して、南北に連なっている燕・趙・韓・魏・斉・楚の六国が合力して対抗させる戦略を指します。提唱者は当時数多くいた、学者とも政治家ともいえる人物の一人である蘇秦(ソシン・紀元前317年没)で、六国を説き伏せて六国の宰相となり、秦と戦ったが敗れたようです。ただ、秦の東方進出を十数年阻んだ効果はあったようです。
もう一つの「連衡」は、蘇秦と同門の人物張儀(チョウギ・紀元前309年没)が「合従」に対抗する戦略として提唱したもので、東方にある六国を分断させて一国ずつと同盟を結び、その隣国を攻略していく政策を言います。これにより秦は東進を果たしますが、宰相となっていた張儀も後に失脚したようです。
「合従」が六国を縦に同盟したものであり、「連衡」が秦と横の一国と同盟を結んだものであることから、「合縦連横」という文字を使うこともあったようです。

少々長くなってしまいましたが、このように、国家が同盟を結ぶということは、なかなか難しいようです。最近の歴史で見ても、ソビエト連邦の崩壊があり、現時点ではイギリスのEUからの脱退問題があります。
企業となれば、国内においても多くの事例があります。多くの提携や合併が行われていますが、解消に向かった例も少なくありません。
「同じ力の会社同士の合併は難しく、吸収合併の形はうまくいくことが多い」という声を聞くことがありますが、うまくいったのは吸収した側であって、吸収された側の悲哀は語られないことが多いものです。
そう考えれば、日産自動車も難しいかじ取りが求められるのでしょうが、正々堂々の対処を期待しています。

いずれにしても、国家や会社でなくても、「一緒になるのも別れるのも難しい」ことには変わりがないようです。
死ぬや生きるやと大騒ぎして結ばれた二人でも、そこまでやらなくても良いのではないか、と思うような別れ方をする夫婦も決して珍しくありません。
それなら、なぜ結婚したのかと馬鹿のように言う人もいますが、それは当事者でないから言えることで、結婚なんて、結ばれてみなければ分からないことが山ほどあるものなんですよ。国家や企業同士であっても同様だと思いますよ。
それが証拠に、決して大成功したとは思えない政策である「合従」という言葉も「連衡」という言葉も、今もなお多くの人に親しまれているのですから。

( 2018.11.28 )
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残された日々 ・ 小さな小さな物語 ( 1144 )

2019-05-30 14:49:36 | 小さな小さな物語 第二十部
早いもので、はや十二月に入りました。
毎年のように感じ、当ブログにも何回か書いたような記憶がありますが、十二月への月替わりは、他の月とは少し違うような気がします。もちろん、十二月から一月へと移るのは、気持ちの変化としてはさらに大きいように思いますが、新年を迎えるのは、何だかんだと言いながらも明るさのようなものが伴っているものですが、十二月を迎えるのは、少々切なさを引きずっているような気がするのです。

年齢を重ねるにつけて、一年が経つのが早く感じると言いますが、ある人に言わせれば、それには理由があって、一年は同じ時間を刻んでいるとしても、二十歳の人の一年は、生きてきた分の1/20にあたりますが、六十歳の人にとっての一年は1/60の長さに過ぎないので、年齢とともに一年が短く感じるのは当然なのだそうです。
この計算式が正しいのかどうかは、数学者なら証明できるのか脳学者なら証明できるのか知らないのですが、経験者の多くは感じている現象のようです。
いずれにしても、古来十二月は忙しい月とされているようです。十二月の異称として「師走」という呼び方は今も使われますが、ふだん天地が裂けても微動だにしないほどの坊さんでさえ走り出すので「師走」という名がつけられたとされています。

しかし、この説は、平安時代にまでも遡る古いものだそうですが、すでに当時でさえ、師走の正しい語源だと思われていなかったようなのです。
年が果てる「トシハツル」四季が果てる「シハツ」などといった言葉から転移したという説もあるようですが、やはり、「坊さまが走り出す」というのは、光景を描くだけでも微笑ましいですし、エピソードとしては秀逸のような気がします。
もっとも、十二月の異称は、「師走」だけでなく、「限月」「極月」「窮月」など何となく分かるものから、「弟月」「乙子月」など、ぜひ語源を尋ねて見たくなるようなものまで、二十や三十では終わらないほどの数あるようです。
しかも、月名の異称がたくさんあるのは十二月に限ったことではないようですから、私たちのご先祖たちは、感性の塊のような人に溢れていたのかもしれません。

いずれにしましても、今年も残すところひと月となりました。
これも、毎年のように思うことですが、残されたひと月を、「あとひと月しかない」と考えるのか、「まだひと月ある」と考えるかによって、気分はずいぶん変わったものになるように思うのです。
そう考えながら、私自身の今年を振り返ってみますと、「意味があったな」と思う日なんて一割もありません。残りの三百余日はいつの間にか過ぎ去ってしまったような日ばかりのように感じます。そう考えれば、残された日が三十日もあれば、相当意味ある時間を生み出すことが出来る可能性が残っているということになります。
まあ、こう大見えを切りながら、年末の頃になると、「まだ三日も残っているのだから、云々・・・」ということになるのでしょうね。そうとは分かっているのですが、あとひと月、気合を入れて行くとしますか。

( 2018.12.01 )

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貿易戦争 ・ 小さな小さな物語 ( 1145 )

2019-05-30 14:47:55 | 小さな小さな物語 第二十部
米中の激しい貿易交渉は、とりあえず三か月ばかり休戦ということになったようです。
わが国をはじめ、多くの国は、ほっと一息ということではないでしょうか。
「貿易戦争」などと大げさなテーマを掲げて見ましたが、私が特別な知識を持っているわけではなく、新聞やテレビなどで報道されるものの断片を、拙い知識で勝手に理解したものがベースであることをお断りしておきます。

貿易戦争という言葉自体は、相当以前からあったものと思われますし、当時者同士が激しく対立する状況は、おそらく人類の歴史と大差ないほど古くからあるものと考えられます。
わが国の戦後の円/ドル相場の変遷を振り返ってみても、1ドルが360円だったことを考えますと、現在、1ドル当たり数円動いただけで、まるで大企業が傾いたり、国家さえも大打撃を受けると大騒ぎすることと考え合わせれば、厳しい貿易条件の変化をよくも切り抜けて来れたものと思ってしまいます。

貿易戦争という言葉は時々目にする言葉ですが、その多くは、当事国が激しく競り合うことの象徴として使われることが多いように思われます。
しかし、今回の米中間の貿易戦争は、その言葉通りのような不気味さを感じさせます。今回、とりあえず休戦になりましたが、その内容に関する両国の発表を聞くだけでも、とても合意などとは程遠いものであったことが考えられます。
両国による互いの関税の掛け合いは、圧倒的に輸入額が大きい米国の方が有利なような気がしますが、そうそう簡単なものではないようです。両国間の経済交流、第三国を経由したものなどを考えていくと、両刃の刀という面が強く浮かび上がってきます。それに、米国の方が圧倒的に世論を気にしなくてはならない弱みもありそうです。
そういうことを考えれば、どこかで手打ちが必要な気がするのですが、今回の米中の貿易戦争は、どうも「貿易を前面に立てた戦争」という感じが漂っているように思われるので、全面解決というのは、簡単には実現しないのではないでしょうか。

現在、それぞれの国は、個別に、あるいは集団で、関税を中心として経済活動の統一を図っています。しかし、現在のわが国についてでも、とても私などでは説明できないほど複雑ですし、その究極を目指したはずのEUでさえ難問山積みのようです。
ただ、肝に銘じておかなくてはならないことは、どんな堅い絆で結ばれた契約があったとしても、究極の状態になった場合には、どの国も自国優先になることは間違いありません。つまり、わが国の場合、食料とエネルギーに関しては、輸入なしでは成り立たない国家になってしまっていることを認識する必要があります。豊かな自然に恵まれたわが国がどうして食糧自給率がこれほど低いのか、海洋資源に恵まれているわが国はエネルギーの自給も夢ではないはずです。
ドルを貯め込むことも必要ですが、ドルさえあれば食料も石油も手に入れることが出来る時代がいつまでも続くと考えるのは、あまりにも楽観過ぎるのではないでしょうか。 

( 2018.12.04 ) 
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