雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

『枕草子』清少納言さまからの贈り物 

2015-02-27 11:00:14 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
         『 枕草子 』清少納言さまからの贈り物

何故か最近、枕草子を読みたいとすごく思うようになりました。
そして、少しばかり読み進めてみますと、ますます、枕草子と清少納言という女性の魅力のとりこになってしまいました。

そして今度は、何が何でも全文を読みたいと思うようになりました。
ご承知のように、伝えられている枕草子には幾つかの系統がありますが、それぞれの間の差異は小さなものではありません。
結局、諸先輩の研究成果を読ませていただき、個人的な好みで取捨していくことになりました。
さらに、まことにおこがましいことですが、私見も少々加えたくなり、各章段ごとに若干の感想を付け加えさせていただきました。
その拙い感想文が類まれな名作を穢すのではないかという心配はあるのですが、真剣に書き進めて参りますのでよろしくお願いいたします。

そして、本稿を機に、枕草子ファンとなっていただければ何よりうれしく思っております。
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春はあけぼの

2015-02-26 11:00:24 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第一段  春はあけぼの

春は、あけぼの。
やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。

夏は、夜。
月のころは、さらなり。
闇もなほ。蛍のおほく飛びちがひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。
雨など降るも、をかし。

秋は、夕ぐれ。
夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛びいそぐさへ、あはれなり。
まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
日いりはてて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。

冬はつとめて。
雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。
霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭もてわたるも、いとつきづきし。
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。



枕草子を、そして清少納言を、わが国文学史上に燦然と輝かせたと言ってもいいほど有名な冒頭部分です。
あえて現代訳や注釈など付けず、第一段全文を載せました。

少納言さまの感性の高さや表現力の豊かさを少しでも正確に受け取りたく、何度も何度も読み返したいものです。
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ころは、正月、三月

2015-02-25 11:00:23 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二段  ころは、正月、三月

ころは、正月、三月、四月、五月、七・八・九月、十一・二月。
すべて、をりにつけつつ、一年(ヒトトセ)ながらをかし。

正月。
一日はまいて。空のけしきもうらうらと、めづらしうかすみこめたるに、世にありとある人はみな、姿かたち心ことにつくろひ、君をもわれをも祝ひなどしたる、さまことにをかし。
   (以下割愛)


時節というものは、どの月を取りましても、それぞれの良さがあり、一年を通して趣があるものです。

正月、
一日は格別に結構な日であります。
空の様子もうららかで清々しく、あたりは美しく霞みがかっていて、世にある全ての人が、衣装やお化粧を入念に整えて、主君を、そして自分自身の幸せを祝ったりしている姿は、いつもは見られないことで結構なものです。

七日、雪間の若菜摘み。青々としていて、ふだんは青菜など見ることもない高貴な所ででも、もてはやされているのはおもしろいものです。
節会の白馬 (アオウマ・天皇が白馬を展覧する行事) を見るために、里人たちは牛車を美しく飾り立てて出掛けていきます。中御門の敷居の所を車が通過する時、乗っている人の頭が同じように揺れ、さし櫛も落ち、用心していないと折れたりするのを笑いあっているのも、おもしろいものです。
左衛門の詰所の辺りに殿上人がたくさん立っていて、舎人 (下級役人) が弓で馬を驚かせて笑っているのを、牛車の隙間からちらっと覗いてみますと、立蔀 (タテジトミ・格子の裏に板を張った衝立) が見え、その辺りを主殿司や女官たちが行き来しているのが興味深く感じられます。
どれほど恵まれた人たちが宮中でなれなれしく振る舞っているのだろうと思っていましたが、いざ宮仕えしてみますと、実際に見ることができるのは狭い範囲で、舎人の顔の地肌があらわになって、とても黒いのに、おしろいが行き渡らないところは雪がまだらに残っているみたいでたいへん見苦しいのですよ。馬が躍り上がって騒いでいるのもとても恐ろしくて、よく見ることなどできません。

八日、前日に昇進や位階の証書が授与され、そのお礼に走り回る車の音は、いつもとは違って聞こえるのが不思議なものです。

十五日、七種の穀物の粥で祝う節供のお膳を天皇に差し上げたあと、貴族の家でも、同様の粥を炊きますが、(この粥を食べると邪気を払うといわれ、また、そのとき用いた薪の燃え残りで女性の尻を打つと男子が生まれるという俗信があった) その薪を隠し持っていて、打とうとする女房たちや、打たれまいとしていつも後ろを気にしている女房の様子だけでも大変おもしろいのに、どういう風にしたのか、うまく打ち当てた時はさらにおかしくて、皆で笑い合っている様子は、とても晴れやかでにぎやかなものです。
反対に、打たれた人は悔しがっていますが、当然なことですわねえ。

新しく姫君の家に通うようになった婿君が参内の準備をしている間は、姫君はそちらに気を取られているので、姫君を狙っている女房は今か今かと奥の方で立って構えています。
姫君の御前にいる女房はそれに気付いて笑うので、「静かに」と手真似で止めているのですが、姫君は何も気付かずゆったりと座っていらっしゃる。
「ここにあるものをいただきましょう」などと言いながら、かの女房は近付いて尻を打って逃げると、そこにいる人たち全員が大笑いです。
婿君もまんざらでもないように微笑んでいるのですが、姫君だけがたいして驚いた様子も見せず少し顔を赤らめて座っているのですが、これがまたおかしいのです。
また、女房どうしがお互いに打ち合ったり、さらに男性さえ打ったりするのですが、どういうつもりなのでしょうねえ。泣いたり、腹を立てたり、人をのろったり、不吉なことをいう人さえありますが、それらの様子もとてもおもしろいのです。
宮中など高貴なあたりでも、今日はうちとけて遠慮なく騒いでいるのですよ。

除目 (春と秋に行われる官職任命の会議) の頃、宮中あたりはとてもおもしろい風景が見られます。
雪が降りひどく凍りついている中を、任官を伝える手紙を持ってあちらこちらへ行く四位や五位の人の、若々しくさわやかな様子は、大変頼もしく見えます。
その一方で、年老いて頭の白くなった人が、人に自分の内情を話し、女房の部屋に寄って自分の立派さなどをいい気になって説明したりしていますが、若い女房などはそのまねをして笑っているのを、きっと知らないのでしょうね。
「天皇によろしく、中宮様によろしく伝えて下さい」などと言っても、うまく官職を得られれば結構ですが、得られない時は気の毒なことです。

三月。
三日のお節供は、うらうらとのどかに日が照っているのが良いですね。桃の花が咲き始めるのも良いものです。
柳などが風情たっぷりなのが良いのももちろんです。それも、芽吹きはじめで繭のようになっているのがかわいらしく、葉の広がっているのは良くなく、憎らしくさえ見えます。
見事に咲いた桜の枝を長く折って、大きな花瓶に挿しているのは大変美しいものです。桜の直衣 (貴族の常服) を粋に着て、それが客であれ兄弟の公達であれ、その花の近くに座って話などしているのはたいへん風情があります。

四月。
賀茂祭りの頃はたいへん気持ちが良い。上達部 (カンダチメ・公卿) や殿上人も、正装の上着の色の濃い薄いがあるだけで、白襲 (シラカサネ・裏表とも白い重ね衣) も皆さん一緒で涼しげで快く見えます。
木々の葉もまだあまり茂っておらず、若々しい青葉に彩られていて、霞にも霧にも遮られない初夏の澄み渡った空が、わけもなく心楽しいのですが、少し曇ってきた夕方や夜に、声を忍ばせたような ほととぎすが、遠くの方で、聞き間違いかと思うほどかすかに鳴いているのを聞きつけたような時は、なんとも素晴らしいものです。
祭りの日が近くなって、晴れ着用の布地をしっかりと巻いて、形ばかり紙に包んであちこち行き来しているのがおもしろい。裾濃 (スソゴ・裾へゆくほど濃く染めたもの) や、むら濃 (ムラゴ・濃淡まだらに染めたもの) なども、いつもより趣があるように見えるのです。

女の子が、頭は洗って飾っているものの、身なりは ほころびたり破れかかったりしているのを着ているのに、履き物の「鼻緒を新しくして欲しい、裏打ちして欲しい」と騒いでいて、早く祭りの日になって欲しいと、ちょこまかと歩きまわるのがとてもかわいらしいの。
その子たちが、祭りの日となって、衣装を立派に着飾ると、まるで法会の時の香炉を持つお坊さんのように、もったいぶって歩くのですが、どれほど緊張していることでしょう。身分によって、親、おば、姉などが供をして世話をしながら連れて歩いているのもなかなか風情のあるものです。

蔵人 (天皇の側近くで雑役などを担当する) になりたいと思いながら、すぐにはなれない人が、祭りの供奉者として許されている青色の衣を着ているのを見ると (青色は蔵人に許された色)、そのまま脱がせないでおいてやりたい、とまで思ってしまいます。
ただ、それが位の高い蔵人にしか許されない綾織物でないのは、残念なことです。


 
冒頭部分で、一年は、それぞれに良いと述べられていますが、それぞれの月を書き並べる中で、二、六、十月を省いているのは何か特別な意味があるのでしょうか。

当時の行事や風俗などを伝えてくれていますが、才女の誉れ高い少納言さまでも、人々のおしゃれには無関心ではいられなかったらしく、細やかに描写されているのは親しみを感じさせてくれます。
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同じ言なれども

2015-02-24 11:00:05 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第三段  同じ言なれども

同じ言なれども聞き耳ことなるもの。
法師のことば。男のことば。女のことば。
下衆のことばには、かならず文字あまりたり。



同じ言葉であっても話す人によって違って聞こえるというのは現在でも同じです。
特に、つまらない人ほど余分な言葉があると指摘するあたり、まことに耳が痛く、簡潔な文章で知られる少納言さまの面目躍如といえましょう。
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思はむ子

2015-02-23 11:00:09 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第四段  思はむ子

思はむ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ。
ただ、木の端などのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。
   (以下割愛)


大切な子を法師にした親は、気の毒なことです。
まるで、法師を木屑のように思う人もあり、たいへんかわいそうです。

精進物のまずいものを食べ、寝る場所もひどい。若い人は何にでも好奇心が強いものですし、女のいる所なども覗いてみたいと興味があるでしょうに、それさえも世間は非難するのです。
まして、修験者などはさらに厳しいようです。難しい祈祷などで体力を使い果たし、うとうとでもしようものなら、「いねむりばかりして」と、悪口を言われます。窮屈で、辛いことでしょうね。

もっとも、これは昔のことで、今では、ずっと気楽なもののようですよ。



若い法師の修行や生活に同情し、意外な面までも理解を示されている少納言さま。
ただ、最後に一言、「これは昔のことで今の法師生活はとても気楽だそうだ」ですって。  
もしかする少納言さま、一言多いお姉さまかな?  
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大進生昌が家に

2015-02-22 11:00:54 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第五段  大進生昌が家に

大進生昌が家に、宮の出でさせたまふに、東の門は四足になして、それより御輿は入らせたまふ。
   (以下割愛)



中宮職の三等官である大進 平生昌 ( タイラノナリマサ)の屋敷に、少納言さまが仕える一条天皇の中宮定子様が訪ねられるにあたって、東の門は四足の門に改造されていて、中宮様の御輿はその門から入られました。

付き従う女房たちの牛車は北の門から入ることになっていて、まだ陣屋の武士たちは詰めていないはずなので、誰に見られることもなく建物内に入れると思い、髪かたちも乱れたままで牛車に乗ってきたのですが、檳榔毛の車 (びろうの葉で屋根を葺いた高級な牛車) は門が小さくて通ることができないのです。仕方なくいつものように通路に筵を敷いて歩くことになりました。腹立たしいのですがどうすることもできません。
さらに、殿上人や地下の役人たちが立ち並んでこちらを見ているのが何ともいまいましいことでした。

中宮さまの御前に参上して、先ほどの様子を申し上げますと、「ここでだって人は見ているものですよ。どうしてそれほど気を許してしまったの」とお笑いになる。
「ですけれど、ここにいる人はそうした姿を見慣れているでしょうから、こちらがよく身づくろいをして飾っていたら、それこそかえって驚く人もありますでしょう。それにしてもまあ、これほどの人の家に、車の入らないような門があってよいものでしょうか。ここに見えられたら笑ってやりましょう」
などと言っている折も折「これをさしあげてください」と言って、生昌が御硯などの手回り品を御簾の中に差し入れられました。

「まあ、あなたは、随分間の悪い時に見えられましたね。どうしてまた、あの門をあんなに狭く作られたのですか」と言いますと、笑いながら「家格や身分に合わせているのでございます」と応じられました。
「でも、門だけを高く作る人もありましたよ」と私が言いますと、
「これはまあ恐れ入ったことで」と生昌はびっくりして、「それはどうやら于定国(ウテイコク・大きな門を立てて出世した前漢の人)の故事のようですね。年功を積んだ進士(シンジ・大学寮の試験の合格者)などあたりでなければ、伺っても分かりそうもないことでしたよ。私はたまたま文章の道(モンジョウノミチ・漢学の道)に入っていましたから、何とかこれくらいのことだけは理解できたのですが」と言われる。
「その御『道』もそれほどご立派ではないようですね。筵道を敷いてありましたけれど、みなぬかるみに落ち込んで大騒ぎしましたよ」とさらに言いますと、
「雨が降っておりましたから、きっとそうでございましたでしょう。まあまあ、まだこの上あなたからお叱りがあると困ります。退散することにしましょう」と言って、立ち去られました。
中宮様は、「どうしたのです、生昌がひどく怖がっていたのは」とお尋ねになられました。
「何でもございません。車が入りませんでしたことをお話ししたのでございます」と申しあげて、自分たちの部屋に下がりました。

さて、その夜のことですが、
私は若い女房たちと一緒の部屋で寝ることになりましたが、眠たくなり全員がぐっすりと寝てしまいました。
中宮様は母屋にお居ででしたが、私たちは東の棟にある部屋を使っていましたが、出入り口の障子戸には懸け金もありませんでした。私たちは眠たさのためもあって、それを確認していませんでしたが、主である生昌は、懸け金がないことをことを承知しているわけですから、いきなり障子戸を開けたのです。
そして、妙にかすれて、上ずった声で、
「伺ってもいいでしょうか。・・・伺ってもいいでしょうか」
と、何度も言う声に目を覚まして見てみますと、 几帳の後ろに立ててある燈台の明かりに生昌の姿がはっきりと見えたのです。きっと、向こうからはこちらが暗くてよく見えないものですから、自分も見えていないと思ったのでしょう、障子戸を五寸ばかり開けて、囁いているのです。全く、滑稽な姿でした。

生昌という人は、このような好色めいた振る舞いは決してしない人なのに、中宮様をわが家に迎えていることから、いい気になってしまい、これほど大胆な振る舞いをするのだろうと考えますと、おかしくなってきます。
私は、そばで寝ている若い女房をゆり起して、「あれをごらんなさい。見かけない人がいますよ」と言いますと、若い女房は頭をもたげて様子を探ると、意味ありげに笑うのですよ。
「あれは誰かしら、ずうずうしい」と声に出して言いますと、
「めっそうもない。この家の主人として、ご相談したいことがあって参ったのですよ」と答えるのです。

「門のことは申し上げましたが、『障子戸を開けて下さい』とは申し上げてはいませんよ」と私が言いますと、
「そうそう、そのこともお話ししましょう。ですから、そこへ行ってもよろしいですか。・・・そこへ行ってもよろしいですか」と、なお言っているものですから、
「なんとまあ、格好の悪いこと」
「とても,来れるものですか」と、若い女房たちが笑ったものですから、
「あれ、若いお方たちもいらっしゃったんですなあ」と、あわてて障子戸を閉めて帰って行ったものですから、皆で大笑いとなりました。
訪れようというのなら、さっさと入ればいいのですよ。入ってもよいかと尋ねられて、「いいですよ」などと、誰が言うものですか。本当に滑稽でばかばかしいことでした。

翌朝、御前に参りましたとき、中宮様に昨夜のことを申し上げますと、
「そのような噂を聞くような人ではないのですがねえ。あなたの昨日のお話に大変感心していましたから、それで参ったのでしょうねぇ。それにしても、皆であの人を厳しくやりこめたようですが、まことにかわいそうなことです」と、お笑いになられました。
中宮様が姫宮 (定子の娘で一条天皇の第一皇女脩子内親王、この時四歳) に仕える童女たちの装束を作らせるようにということをお言いつけになりますと、生昌が「衵(アコメ・下着)のうはおそひ(上着のことで、上襲=ウハガサネというのを間違えたらしく、また、童女の場合、汗衫が正しいのを知らずに間違えたらしい)は何色にして差し上げさせたらようございましょうか」と申しあげるのを、また女房たちが笑ってしまいましたが、仕方がないですわ。
「姫宮様のお食膳は、普通のものでは可愛げがございませんでしょう。ちゅうせい折敷に ちゅうせい高坏などが、よろしいでしょう(ちゅうせい は小さいのなまった言い方)」と申しあげるものですから、
私が「そういうことですと、うはおそひを着ている女童もお給仕しやすいでしょう」と皮肉っぽく言いますと、 中宮様は「これこれ、世間の人と同じように、この人(生昌)のことを言いたてて笑わない方がよろしいですよ。とても気まじめな人なのですから」と同情なさいますのも、さすがにご立派だと思いました。

後日、少し時間が空いている時のことですが、
「大進が『ぜひ、お耳に入れたい』と言っていますよ」
と、ある女房が私に言うのを中宮様がお聞きになって、
「またどんなことを言って笑われたいのでしょうね」と仰せられるので、とてもおかしいのです。
「行って話を聞いてきなさい」と中宮様が仰せになるので、わざわざ出ていきますと、
「先夜の門のことを中納言(生昌の兄 平惟仲)に話しましたら、大変感心されて『何とか適当な機会にゆっくりとお目にかかって、お話を申し上げたり承ったりしたいものだ』と申しておりました」と言って、他には何ということもありません。
先夜の来訪のことを言うのだろうかと、少々胸をときめかしていたのですが、「そのうち落ち着いて、ゆっくりと部屋に伺いましょう」と言い残して去って行きました。

中宮様のもとに帰りますと、「それで何事だったのですか」と待ちかねていたようにお尋ねになりますので、生昌が伝えに来た内容を申しあげますと、
「わざわざ取り次ぎまでして呼び出さなければならないことでもないでしょうよ。お部屋にでも下がっている時に話せば済むことですよ」と女房たちが笑うものですから、
中宮様は「自分が立派だと思っている人(兄・中納言のこと)がほめたのを、あなたもきっと喜ぶだろうと思って、わざわざ伝えにきたのでしょう」と仰せられるご様子も、本当によくできたお方だと思うのです。



大変長い章段ですが、少納言さまの知識自慢らしい部分や、少々艶めいた話があり、何よりも中宮定子の優れた人柄を中心に賑やかでとても朗らかな様子が描かれています。

しかし、王朝を取り巻く歴史の流れを考え合わせますと、胸詰まるものがあるのです。
この章段に描かれているのは、中宮定子が二十三歳、少納言さま三十四歳の頃ですが、この時には、定子の父藤原道隆は亡くなっていて実家の凋落は激しく、代わって弟の道長が絶頂期に向かっていた頃にあたるのです。
宮中においても、道長の娘である彰子に勢力を奪われつつあることが、すでに鮮明になっていたのです。
このような背景を重ね合わせてみますと、少納言さまのいつも以上にはしゃいでいるように感じられる文面が痛々しく感じられてしまうのですが、同時に、枕草子が持つ不思議な魅力の大きな要因の一つが、この章段に籠められているようにも思うのです。
「少納言さま、がんばれ!」と、エールを送りたくなってくるのです。
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上に候ふ御猫は

2015-02-21 11:00:19 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第六段  上に候ふ御猫は

上に候ふ御猫は、かうぶりにて、命婦のおとどとて、いみじうをかしければ、かしづかせたまふが・・・
   (以下割愛)


天皇の近くで飼われている御猫は、昇殿可能な五位の位をいただき「命婦のおとど」と呼ばれていました。

大変可愛いので大切にお世話されていましたが、あるとき縁先で横になっているのを見て、お守り役である馬の命婦は「まあ、お行儀の悪い格好。入りなさい」と呼びましたが、日が差し込んでいていい気持ちに寝込んでいて動こうとしませんので、驚かせてやろうと思い「翁まろ、命婦のおとどに噛みつけ」と近くにいた犬に命じました。

すると、本当に命じられたと思った馬鹿正直な翁まろは、本気になって走りかかっていったので、猫は驚いて御簾の内に飛び込みました。
たまたま天皇が朝食の座に着いておられましたが、飛び込んできた猫を見て大変驚かれました。
天皇は猫を懐にお入れになると殿上人たちをお呼びになると、蔵人忠隆らが参上しましたので、「この翁まろを打ち懲らしめて、犬島へ追いやれ。今すぐに」と命じられましたので、何人もが大騒ぎして追いまわしました。

天皇は、馬の命婦もお責めになり、「守り役を替えてしまおう。全く安心ならぬ」と仰せられたので、御前に出られなくなってしまいました。
犬は狩りたてられて、滝口の武士たちによって追放されてしまいました。

「かわいそうなことに。あんなに堂々と歩きまわっていたのに」
「三月の三日には、蔵人の頭(藤原行成)が、柳のかずらを頭に載せさせ、桃の花をかんざしとして挿させ、桜の枝を腰に差させるなど飾り立てて歩かせていましたのに、まさか、このような目にあおうとは思いもしなかったことでしょう」
などと、あわれに思っておりました。

「皇后様 (定子はこの頃には皇后になっていた) がお食事をされる時には、翁まろは必ず御前近くにいたのに姿が見えなくなり、淋しいことですね」などと話していましたが、その三、四日後のお昼頃、犬の激しい啼き声が、聞こえてきましたので、
「いったいどんな犬が、あれほど長い時間啼いているのかしら」と思いながら聞いていると、そのあたりの犬たちも様子を見に行っているのです。
そこへ、下級の女官が走って来て、
「大変なことです。犬を蔵人二人が打ちすえているのです。きっと死んでしまうでしょう。何でも、流罪にした犬が帰って来てしまったものですから、懲らしめているそうです」と言うのです。
何とも心配なことに、翁まろらしいのです。
「忠隆、実房たちが打ちすえている」と言うので止めに行かせると、どうやら啼き止みましたが、「死んでしまったので、陣の外へ引っ張っていって、捨ててしまった」と言うのです。

かわいそうなことをしてしまったと思っていましたが、その夕方、身体全体がひどく腫れあがり汚れきった犬が、苦しげに振るえながら歩いているので、「翁まろではないかしら。それ以外にこんな犬がうろついているはずないわ」と思っていると、「翁まろ」と近くの女房が声をかけましたが、振り向きもしないのです。
「きっと、翁まろだ」という人もあり、「そうではないわ」という人もありましたが、皇后さまは「右近ならよく知っているはずです。呼びなさい」とお命じになりました。
「これは、翁まろか」と右近に見せましたが、
「似てはいますが、これは見るからにひどい様子でございます。それに、『翁まろ』と呼びますと、喜んで寄ってくるはずですのに、この犬は来ません。きっと、違う犬でしょう。それに翁まろは、『打ち殺して捨ててしまった』と報告されています。二人がかりで打ち懲らしめたのですから、生きていることはないでしょう」と申しあげましたので、皇后さまは、大変不憫にお思いになられました。

暗くなってから、餌を与えましたが食べないので、やはり別の犬ではないかということで、そのままにしておいたのですが、その翌朝、皇后様は御調髪や、御手洗いの水などお使いになっていて、私がお持ちしている御鏡をご覧になっていますと、なんと、昨日の犬が目の前の柱の下にうずくまっているのです。
「ああ、かわいそうに、昨日は翁まろを激しく打ち懲らしめてしまった。恐らく死んでしまったのでしょうが、あわれなことをしてしまいました。今はどのような身に生まれ変わっているのでしょうか。どんなに辛かったことでしょう」と、思わず私が申し上げていますと、うずくまっていた犬がぶるぶると震えだし、涙をぽろぽろと流し続けるのです。
何とまあ、驚いたことに、やはり翁まろだったのです。

「昨夜は、自分だと名乗ることもしないで、じっと我慢をしていたのだ」と思いますと、かわいそうでもあり、その心根が何ともいじらしくていじらしくて私はお持ちしていました御鏡を放りだすようにして、「さあ、おいで。翁まろでしょう」と呼びますと、身体をひれ伏して何度も何度も啼くのです。皇后さまも、ことの成り行きに安心されたかのように微笑んでいらっしゃいました。
皇后様は右近内侍をお召しになって、「こうこうであるのよ」などと仰せになられると、他の女房たちが大笑いするものですから、天皇のお耳にも入り、こちらへお出になられました。
「驚いたことに、犬などでもそのような心根を持っているものなのか」と微笑まれました。
天皇にお付きの女房たちも聞きつけて、こちらに集まって来て、翁まろに呼びかけますと、それに応えて起ち上がり動きまわっているのです。

「ともかく、この顔などが腫れているのを、手当てしてあげなくては」と私が言いますと、
「ついに、あなたは翁まろびいきを白状してしまいましたね」と他の女房たちが笑うのです。
すると、このことを聞きつけた忠隆が、台所の方から大きな声で「本当に流罪にした犬なのですか、確認しましょう」と言うので、「まあ、恐ろしい。そんな犬はいませんよ」と言いに行かせましたが、「そうですか。でも見つかるかもしれませんよ。そうそう隠せるものでもないですからね」なんて、言うのですよ。

しかし、間もなく天皇の御許しも出て、元通りになることができました。
やはり、人からかわいそうに思われて、震えて啼きながら出てきた様子などは、何とも言えないほどいじらしく、心動かされることでした。
人間なんかはねぇ、人に情けをかけられて、泣いたりするものですが。


 
この章段は、何とも残酷で哀れな一編の物語を成しています。
命じられたままに行動したばかりに、翁まろは馬鹿呼ばわりされ、散々打たれたうえ追放されるという悲運を背負いました。

そして、それは単に犬に限らず人間にも当てはまることだと、少納言さまは示唆していると思われ、おそらく定子の実家の悲運を意識していたと考えられていますが、そのあたりのことにはまったく触れていません。
そのことを指して少納言さまへの評価が分かれるようですが、仕える主人の不運を材料にお涙を頂戴する気持ちなど少納言さまには全くないのです。
それが少納言さまであり、枕草子であるともいえましょう。
個人的には、大好きな章段です。
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いとうららかなる

2015-02-20 11:00:11 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第七段  いとうららかなる

正月一日、三月三日は、いとうららかなる。
五月五日は、曇りくらしたる。
七月七日は、曇りくらして、夕方は晴れたる空に、月いと明く、星の数も見えたる。
九月九日は、暁がたより雨すこし降りて、菊の露もこちたく、覆ひたる綿などもいたく濡れ、移しの香も持てはやされて。つとめてはやみにたれど、なほ曇りて、ややもせば降りたちぬべく見えたるもをかし。


正月一日、三月三日は、たいそううららかなお天気がよろしいですね。
五月五日は、一日中曇っているのが結構です。
七月七日は、日中は曇っていて、夕方になって晴れてきた空に、お月さまがたいへん明るく、星もはっきり見えるのが結構です。
九月九日は、夜明け前に雨が少しばかり降って、菊の露もたっぷりとあり、花に被せてある綿も十分に濡れて、移り香もいっそうその香りを高めて結構なことです。朝早くには雨は止んでいますが、なお曇っていて、ともすれば降り出しそうなのも、風情があるものです。



なお、九月九日の部分は、菊の着せ綿という習わしで、菊の花に綿をかぶせ、移り香と露の湿りがある綿で身体を拭うと老衰を防ぐという慣わしを描いたものです。
それにしても少納言さま、この章段は、まるで お天気お姉さんではありませんか。
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よろこび奏する

2015-02-19 11:00:03 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第八段  よろこび奏する

よろこび奏するこそ、をかしけれ。うしろをまかせて、御前の方に向かひて立てたるを。
拝し、舞踏し、さわぐよ。


お礼を天皇に申し上げる姿はよいものです。下襲の裾を後ろに長く引いて、玉座に向かって立っている姿はすばらしい。
拝礼申しあげ、さらに踊るような仕草でお礼を申し上げ、嬉しさを身体全体で表していますわ。



天皇に叙位等のお礼を申し上げる姿を生き生きと描いています。

貴族社会において、任官や昇進のお礼を天皇に申し上げる時こそ、一番の晴れ舞台だったことでしょう。
宮中に仕える少納言さまにとっても、晴々とした行事だった様子が伝わってきます。
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定澄僧都の枝扇

2015-02-18 11:00:02 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第九段  定澄僧都の枝扇

今内裏の東をば、北の陣といふ。
梨の木のはるかに高きを、「幾尋あらむ」などいふ。

権中将、「もとよりうち切りて、定澄僧都の枝扇にせばや」とのたまひしを、山階寺の別当になりて、慶び申す日、近衛司にて この君の出でたまへるに、高き屐子をさへ履きたれば、ゆゆしう高し。
出でぬる後に、
「など、その枝扇をばもたせたまはぬ」といへば、
「もの忘れせぬ」と、笑ひたまふ。
「定澄僧都に袿なし。すくせ君に衵なし」といひけむ人こそ、をかしけれ。


今の内裏の東を、北の陣と言います。
そこに,たいへん大きな梨の木があり、「幾尋ほどあるのでしょう」などと噂していました。

ある時、権中将様が「根元から切って、定澄僧都の枝扇にすればよい」と冗談を言われたのですが、しばらく経って、この僧都が山階寺の別当になられ、天皇にお礼を申し上げるため参上されました。この時、近衛の役人として、かの権中将様も居られましたが、定澄僧都はもともと長身ですのに、さらに高い足駄まで履いているものですから、それはそれはおそろしいほどに高いのです。
やがて、僧都がお帰りになったあとですが、
「どうして、あの梨の木の枝扇をお渡しにならなかったのですか」と、私が申しますと、
「もの忘れしない人だなあ」と、権中将様はお笑いになられました。
また、「定澄僧都に合うほど長い袿 (ウチギ・長い着物) はない。すくせ君 (背の低い人らしい)に合うほど短い 袙 (アコメ・短い着物) もない」という人がいましたが、うまいものですねえ。



以上、この章段は、少納言さまの小咄講座といったところでしょうか。
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