『 柔道競技に拍手 』
今 オリンピック柔道競技の 混合団体決勝戦を見ている
フランスに 三敗目を喫し 苦しい状態
今大会は 日本チームは大活躍だが
それを とても嬉しく思うほど 国際化が進んでいることを
今更のように思う
わが国由来ではないが 野球などを考えると
ここまで国際化が進んだ柔道競技に 拍手
☆☆☆
浅緑 花もひとつに かすみつつ
おぼろに見ゆる 春の夜の月
作者 菅原孝標女
( NO.56 巻第一 春歌上 )
あさみどり はなもひとつに かすみつつ
おぼろにみゆる はるのよのつき
☆ 作者は、平安中期の宮廷女房。更級日記の著者として知られる。生没年は未詳。
☆ 歌意は、「 空は浅緑に 花の色も一つになって 一面にかすんでいて おぼろに見える 春の夜の月のなんとすばらしいことよ 」といった、比較的分かりやすい和歌である。
この和歌の前書き(詞書)には、「祐子内親王、藤壺に住み侍りけるに、女房・上人など、さるべきかぎり、物語して、『春・秋のあはれいづれにか心ひく』などあらそひ侍りけるに、人々多く秋に心を寄せ侍りければ」とある。
つまり、春と秋のいずれが風流に勝っているかとの論争となり、多くの人が秋をあげたので、作者は春の情緒が勝っているとして詠んだ歌なのである。
作者が、本当に春の方が勝っていると思っていたのか、反骨的な気持ちからなのかは微妙なところである。
☆ 作者の菅原孝標女(スガワラノタカスエノムスメ)は、更級日記の著者としてよく知られているが、生没年やその本名さえ正確には伝えられていない。
ただ、生没年については、誕生年を 1008 年、没年を 1059 年以降とする資料も見られるが、これは、更級日記の内容から推定したもので、ほぼ正確だと考えられる。
☆ 作者の父の菅原孝標は、あの菅原道真の玄孫にあたる人物である。母は、藤原北家に属する正四位下伊勢守を務めた藤原倫寧の娘である。つまり、作者は中級貴族の姫として誕生したといえる。
作者の生涯について、比較的多くの情報が伝えられているが、その多くは、彼女が書き残した「更級日記」の内容からのものである。
☆ 作者の父・菅原孝標は、上野国の介としての任期を終えて、帰京することになった。なお、上総国は親王が国司を務める親王任国で、国司が任地に赴くことはなく、次官である「介」が実質的な長官(国司)役である。
1020 年 9 月に、孝標一家は国府(現在の千葉県市川市にあったらしい)を出立し、三ヶ月ほどかけて京に上った。
『 あづまぢの道のはてよりなほ奥つ方・・・ 』と始まる「更級日記」は、「蜻蛉日記」や「紫式部日記」などと共に平安女流日記文学の代表の一つとされるが、実際は、毎日毎日を記録しているものではなく、むしろ回想録といった性格の作品である。
☆ その作品によれば、作者の少女時代は大変な文学少女であったようだ。特に、帰京後間もない頃に、伯母から源氏物語の全巻をもらい受け、尋常でないほどにのめり込んだようである。
1024 年に姉が二人の子供を亡くしたことから、「信心せよ」といった夢を見るようになったらしい。
やがて、祐子内親王家に出仕し、1040 年に橘俊道( 1002 - 1058 ・従五位上信濃守)と結婚、一男二女を儲けた。この頃には、現実生活に追われ、夢のような物語の世界からは解放されていたようで、それと共に仏教に傾倒していったようである。
1058 年に夫の俊通が死去、子供たちも独立していて、孤独な生活になり、物語もその翌年で終っている。この事から、1059 年、作者五十二歳の頃から、そう遠くない頃に死去したと推定されているようである。
☆ 「浜松中納言物語」「夜半の寝覚」という作品も、この作者による物とされる説が強い。どちらも、源氏亜流と評されることがあり、源氏物語の影響を強く受けていることからも、源氏物語の影響を強く受けたとされる作者が書き残した作品かもしれないが、まだ断定はされていない。ただ、もしかすると、この二作品が菅原孝標女という女性の手によるものだとすれば、当時、数多くの物語を書き残していたかもしれないと、強く感じるのである。
☆ ☆ ☆
『 瀬戸選手・萩野選手に感動 』
200m個人メドレー決勝
瀬戸・萩野両選手は 惜しくもメダルを逃したが
今大会の 苦しい状況の中で
二人とも よくぞ決勝に進んでくれたものだ
懸命の二人の姿に 頭が下がる思いだった
健闘に 力いっぱいの拍手を送ります
☆☆☆
『 三位決定戦は辛い 』
今 柔道の放送を見ている
どの戦いも 勝者と敗者という 厳しい判別は仕方がないが
三位決定戦は 見ていて辛い
決勝戦の敗者は 悔しさは大きいとして
銀メダリストという誉れが 待っている
三位決定戦は 敗者に対して 健闘を称えるとしても
銅メダルと 四位の差は あまりにも大きい
順位とはそういうもので
だからこそ メダリストの栄誉が称えられるのだが
四位の選手に 健闘を称えて 大きな拍手を送りたい
☆☆☆
『 難民選手団に拍手を 』
柔道男子81kg級で 永瀬選手が金メダルを獲得
そして 敗れたとはいえ 銀メダルを獲得した
モンゴルのモラエイ選手は 難民・亡命を経験した選手だ
この東京大会には、前回の大会に続き 難民選手団が参加している
スポーツに政治を持ち込むことには 賛否両論あると思うが
きれい事ではなく ごくご限られた範囲であっても
避けて通れないのではないだろうか
テレビで見る機会が少ないが 難民選手団の選手に
懸命の拍手を送りたい
☆☆☆
『 バミューダ諸島に金メダル 』
女子トライアスロン
バミューダ諸島のフローラ・ダフイさんが優勝
同国初の金メダルをもたらした
バミューダ諸島の元首は英国女王で
英国の海外領土の一つ
産業は観光・金融などで タックス・ヘイブンの地としても名高く
一人あたりの国民所得は 極めて高い
六万余人の島民と フローラ・ダフィさんに
力いっぱいの拍手を送ります
☆☆☆
『 奇跡的な勝利の陰で 』
卓球 混合ダブルス準々決勝
水谷・伊藤組が 絶体絶命の危機から
ドイツペアーに 奇跡的な勝利をものにした
多くの人に勇気を与えてくれた二人に 拍手を送りたい
同時に 心ならずも 無念の敗者となってしまった
ドイツペアーにも それ以上の健闘を称え
今後の活躍を 祈りたい
☆☆☆
『 競泳400m個人メドレー 』
競泳 400m個人メドレー
女子は 大橋悠依選手が快勝
競泳初の金メダルを もたらしてくれた
注目の男子は 金銀を米国選手が獲得したが
銀メダルの リザーランド選手に拍手を送りたい
ジェイ ユタカ リザーランド選手は
父がニュージーランド人 母が日本人
そして 現在は米国籍の大学生
三歳までは 兵庫県の尼崎市にいて
父の仕事の関係で 米国に移住したそうだ
こうした選手の活躍を見ると
オリンピックを開催した意味があったような気がする
☆☆☆
『 折角のスイカが台無しになり、てて親は辛かっただろうねぇ 』
中でも、スイカは一番お金になると言っていたが、ある時、大雨が続き 畑全体が水に浸かってしまったことがあった。
ちょうど スイカが収穫する時期になっていて、それが 大雨にプカリプカリと浮かび上がり、やがて 一列になって 畑の向こうへ流れ出ていった。
わたしは、それがとてもおかしくて、大雨の怖さも忘れて 手を叩いて大喜びしていたよ。
でも、折角のスイカが台無しになり、てて親は辛かっただろうねぇ。
( 「 さても このごろは 」より )
『 ウインジ・アイサフさんに拍手 』
オリンピック 本格的に競技が始まった
あの種目 このチャンネルと 大忙しだが
女子重量挙げ49kgに 注目した
三宅選手は 残念な結果になったが
長年の節制に 頭が下がる
競技結果は 中国選手の強さが目立ったが
銅メダルを獲得した
インドネシアのウインジ・アイサフさんの笑顔が
実に清々しかった 拍手を送りたい
☆☆☆