町会の日帰り研修会で深谷市を訪れました。
新一万円札の肖像に決まった大実業家である渋沢栄一(1840-1931)の人となりを知るためです。
まず訪れたのは深谷市の「渋沢栄一記念館」、なかなか立派な建物です。
建物の裏側に回ると渋沢栄一の銅像がありました。深谷駅にあったものを駅の改修工事のために
移転させたものだそうです。高さは3m以上もある巨大な銅像。右手に持っているのは「論語」。
記念館の1階にある資料館。貴重な資料が並んでいます。撮影は禁止。入り口の右側に立ってるのが渋沢栄一の等身大の像。
身長は1m55cmだったそうです。江戸末期から明治にかけての男性の身長では一般的だったようです。
渋沢栄一の生涯を書こうとするとあまりにも足跡が偉大すぎます。500の会社を設立、社会公共事業は
600を超えるとは想像も出来ないほどの活躍です。
さらに、死の間際でしたが日本女子大学の学長をつとめ女子の高等教育にも力を尽くしたこと。
養老院(現、東京都健康長寿医療センタ)の院長もし福祉事業にも尽くしたことなど、現在にも通じる視野の広さ
も特筆すべきことです。一体どのような時間管理をしていたのでしょうか?
旧渋沢邸の「中の家(なかんち)」の正門。7年かけて造ったとか。扉はケヤキの一枚板。
敷地内にある若き日の渋沢栄一の像。「中の家」の家は農家だったが「名字帯刀」を許されていました。
この頃は、役人の強引な税の取り立てに腹を立て、尊皇攘夷派の活動を続けましたが
徳川慶喜に使えるようになり、欧米視察に随行するなど次第に活動の場を
拡げて行くことになります。
母屋。千坪の敷地内には、他にいくもの蔵がある。染め物の藍、藍玉と養蚕で財をなした豪農だったらしい。現在の額にして年に数億の利益があったとも。
屋敷の内部。
近くの道の駅「おかべ」で売っていた渋沢栄一像の10万円?札。100円(税込み)。額に入れて飾ると良いとのこと。