志木市にある「田子山富士塚」が「国指定重要有形民族文化財 」として1月17日国の文化審議会で新たに指定するよう文部大臣に答申されました。
高さ約9m、直径約30mで富士山信仰に基づき1872年(明治5年)に築かれたものです。建設費は今のお金にして10億円とも言われています。
江戸時代から明治・大正にかけて志木は陸上交通と水上交通(新河岸川から隅田川)の交差点に当たり、人や物の集まる大商業地で経済的な
地盤がありました。特に富士山信仰に篤い高須庄吉(志木で「富士峰醤油」という銘柄の醤油醸造をしていた)が多くの人達に寄進を呼びかけ、
広範囲の人達から寄付金や労力提供、石造物奉納がありました。富士山の溶岩だけても2000個ほどが、この田子山富士にあるそうです。
これらの溶岩は富士の裾野から太平洋、東京湾、隅田川、を経て、すぐ近くを流れる新河岸川の岸辺まで運ばれてきたものと思われます。
なお、田子山富士は埼玉県志木市の敷島神社境内にあり、現在は「埼玉県指定有形民族文化財」(2006年3月指定)となっています。
上の絵図(田子山富士保存会のパンフレットより)にもあるとおり、数々の石碑や石造物があります。
この田子山富士は私の家から歩いて10分弱、子供の頃には私たちの遊び場になっていました。
これは北側斜面にある「御胎内」(女性のシンボル)と呼ばれる洞窟です。子供の頃(小学校低学年)には、
よくこの洞窟の中に入って遊びました。現在は特別な場合を除いては入れないようです。小さな子供でも腰を屈まなければならなかった
と記憶していますが、奥は数十メートルはあったと思います。
頂上には陰陽石(男根・・・男性のシンボル)があります。
「御胎内」と合わせてパワースポットとなっていて、霊験あらたかと言われています。
富士塚とは
富士塚は本物の富士山に似せて作った地井様富士山です。
実際に富士山に行けない人が富士山に登ったのと同じ御利益が得られるように、江戸時代の後期から関東地方を中心に造られました。
富士塚としての6要件
1.「山頂に祠」があること
2.「烏帽子岩」があること
3.「小御嶽神社」があること
4.「黒ボク(富士山の溶岩)」があること
5.「御胎内(地下洞窟)」があること
6.「霊峰富士を遙拝」できること
なお、富士塚として「国指定重要有形民族文化財 」となっているのは、現在4箇所で、すべて江戸時代に築造された物です。
田子山富士から望む富士山。この日は少しもやっていました。正月三が日には、もっとよく見えたのですが・・・。
写真はいずれ差し替えしたい。
左側の建物は「志木市の市民文化会館大ホール」、老朽化しているのでいずれは建て替えるようです。
いったんは更地になるようですが、その後の計画はまだ未定。現在志木市庁舎を建て替え始めたばかりなので
時期は大分先になりそうです。なんとか、影響のないようにしたいとは市の意向です。
登頂できる日は、正月三が日、大安・友引の日など限られています。
田子山富士塚保存会のホームページ http://www.tagoyamafuji.org/ で調べて下さい。