国営昭和記念公園(東京都立川市、昭島市)約150ヘクタールの広大な園地にはたくさんの桜(ソメイヨシノ)が植えられています。
その桜が、ちょうど今、見頃となっています。天気の良いこともあり大勢の人が訪れていました。
桜を見るのに良いスポットは?と聞かれても、この公園のことは地理があまりよく分からないので答えることはできません。
でも、園内を流れる残堀川両岸の桜を「ふれあい橋」から眺めるのは良いスポットであるのは確かでしょう。
こちらも残堀川の「もみじ橋」と「うのはな橋」の左岸。下の「ユキヤナギの花」も頑張っていました。
FUJIFILM FINEPIX F200EXR で撮影
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東京ガス(株)の「ガスミュージアム」(東京都小平市大沼町2-590)を訪れました。
建物は2つあり、左手は「ガス灯館」で明治42年建築の東京ガス本郷出張所の建物を移築したもの、
右手は「くらし館」で明治45年建築の東京ガス千住工場計量器室を移築したものとなっています。
手前は東京や横浜にあったガス灯とハーブの花壇が整備されていて美しい庭園になっています。入場無料。
訪れた時は夕方に近く時間も限られていたので、ガス灯館だけに入り、ガス灯について説明を受けました。
右手、ろうそくの明るさに比べ、ガス灯の明るさが数段上であること。
さらに、左手のガスマントルが発明されると一段と明るさが増し光も安定したとのこと。
明治時代、ろうそくの光しか知らなかった人々は、その明るさに大変驚いたようです。
ただ、ガスマントルはすぐに電球に取って代わられてしまいました。
一番右手は花形をしたガス灯。
銀座通りのガス灯(中央)の錦絵と実際のガス灯(右手)。銀座通りには、ガス灯のためのガス管が敷設され、
ガスの工場からガスが圧送されていたとのことです。「文明開化」の雰囲気が伝わってくるようです。
これらのガス灯は「点消方」という人がいて、一つ一つの街灯に夜になると点灯し、朝方には消していたようです。
二階はギャラリーになっていて、いわゆる「鹿鳴館時代」の雰囲気の漂う明治時代の錦絵がたくさん飾られていました。
「錦絵」には、ガス灯が書き込まれていることがあり、企業としてこれらの絵のコレクションを行ったそうです。
明治という古き佳き時代、特に「ガス灯」という柔らかな光をつぶさに見ることができ、大変有意義なひとときを過ごすことができました。
PENTAX K7 + TAMRON 17-50mm F2.8 で撮影
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平林寺を訪れた後に、立寄ったのが、うどんの「たけ山」 ( 埼玉県新座市野火止1丁目23−1 )。
近くの道路沿いには竹林が続いているので、店の名前は納得できます。
今回は「はとバス」2台を借り切った80人ほどで、三カ所ほど見学する小旅行。昼食に、この店に立ち寄りました。
私たちの食べたのは「天ぷら付釜あげうどんと季節の炊きこみご飯」、1470円。
80人ほどの団体客が一度に訪れても十分に対応できる店の広さです。
入り口の看板には「手のべうどん」と書いてあったので、「ご案内と説明」と胸に札をつけていた店員さんに「手のべって何?手打ちとは違うの?」
と聞きました。そうしたら、まず「すいません。実はうちのうどんは手のべではなく、機械打ちです」といいます。
「手のべ」というのは、手打ちでうどんを作った後、1本が2本に、2本が4本に・・・」と折っては伸ばししていく方法でうどんを細くしていく方法
だということです。「それじゃ、看板に偽りありということじゃないの」というと再び「すいません」。
「手のべと書いてあるのは屋号みたいなものなのか・・・」と理解することにしました。
肝心のうどんの味ですが、予約してある大人数に食事を出すこともあってか、うどんが伸びているようでコシがありませんでした。
釜あげうどんはもともとそういう傾向にありますが・・・。
そんなことで、店の外観と内部の雰囲気はまずまず、料理の見てくれもまずまず、うどんのおいしさは、今回はどうも ・・・ ということでした。
PENTAX K7 + TAMRON 17-50mm F2.8 で撮影
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武蔵野の面影を今も残す平林寺(埼玉県新座市野火止)。境内林は国の天然記念物です。
紅葉の名所として知られていますが、桜の花は少なく、この時期に訪れる人は少ないようです。
この桜は、山門の左手にあるしだれ桜。ソメイヨシノではないとのこと。
4月17日は平林寺最大の行事「半僧坊大祭」が行われるのですが、この時期まで例年は咲いているのだとか。
写真の看板には
「当山では花見の飲酒や放歌は固く禁じています。何卒静かにご散策下さるよう御願いいたします。平林寺」
と書いてありました。臨済宗妙心寺派の僧侶の修行の場ですからね。
裏手の墓地には山桜が咲いていました。
PENTAX K7 + TAMRON 17-50mm F2.8 で撮影
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法事の折に、富士浅間神社の前を車で通りました。由緒ある神社に見えたので訪ねてみました。
北口本宮富士浅間神社は社伝によると「紀元110年、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に、
大塚丘より富士山を遙拝し『富士には北側より登拝するのが良い』として、祠と鳥居を建てたのが始まり」ということなので、
その歴史の古さは尋常ではありません。
国道の入口から、うっそうと茂る樹齢数百年の杉木立の参道が続いていました。
その途中にあるのが「角行の立行石」。
江戸時代に広まった富士講の開祖。慶長15年(1960年)この地を訪れた角行は富士を遙拝し、
この石の上に爪立ちして三十日間の荒行をしたと伝えられます。
彼は数々の荒行を行い、江戸ではやった「つきたおし」という奇病の病を癒すなどの奇跡を起こした人物として
知られています。百六歳にして大往生。
大鳥居は日本武尊の故事にもとづいて昭和27年に再建されたもの。朱塗りの四脚の鳥居で国内第一の大きさとのことです。
本殿は国の重要文化財となっています。他に西宮本殿、東宮本殿とあり、こちらも重要文化財となっています。
梁から見下ろす天狗も迫力十分、この辺りに天狗が本当にいたのではと思ってしまいます。
立派なのは、本殿の前、左右にある山梨県第一号天然記念物指定のご神木「太郎杉」と「富士夫婦檜」です。
本樹は樹齢千年くらいと言い伝えられている。根張りが著しく発達し漏斗を伏せたような樹形は、
ご神木に恥じない荘厳さがあり本殿を見守るかのようである。「富士太郎杉」と呼ばれ広く市民に親しまれている。
南側附近の損傷部は昭和34年8月の7号台風により被害を受けたものである。
山梨県を代表する杉の巨木として、山梨県の天然記念物の第一号に指定された。
大きさは次の通りである。
1.露出根張り 21.0メートル
2.幹根境の周囲 12.7メートル
3.目通り幹囲 8.2メートル
4.樹 高 30.0メートル
5.枝張り 東西12.8メートル
南北14.7メートル
平成11年3月
山梨県教育委員会
富士吉田市教育委委員会
この木は二本のヒノキが根元で一本になり、また地上約12mで再び合着していることから「富士夫婦檜」と呼ばれ、
広く市民に親しまれている。根張りが著しく発達し漏斗を伏せたような形になっており、
枝は丈夫で四方に良く伸びてたいへん見事である。
合着木であるが、県下で最大のヒノキの巨樹であり、市内の代表的な巨樹である。
大きさは次の通り。
1.露出根張り 17.0メートル
2.幹根境の周囲 8.7メートル
3.地上から幹根境までの高さ 1.7メートル
4.目通り幹囲 7.65メートル
5.樹高 33.0メートル
6.枝張り 東8.5メートル 西8.9メートル
南7.6メートル 北8.3メートル
平成5年3月
富士吉田市教育委員会
社殿右後ろにある鳥居から吉田口登山道があります。富士山頂に向かう起点となっています。
「富士北口登山本道」の石碑が重々しく感じられます。
「富士浅間神社」は静岡県や山梨県と関東近県に43社ほどあるようです。
総本山は静岡県富士宮市にある「富士山本宮浅間大社」ですが、山梨県側ではこの神社が一番です。
ちなみに私の住んでいる志木市には埼玉県で唯一の「羽根倉浅間神社」があります。ここには、社の他に富士塚が作られています。
富士山を崇拝してきた日本人の心の歴史が感じられる神社でした。
PENTAX K7 + TAMRON 17-50mm F2.8 で撮影
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北口本宮富士浅間神社は社伝によると「紀元110年、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に、
大塚丘より富士山を遙拝し『富士には北側より登拝するのが良い』として、祠と鳥居を建てたのが始まり」ということなので、
その歴史の古さは尋常ではありません。
国道の入口から、うっそうと茂る樹齢数百年の杉木立の参道が続いていました。
その途中にあるのが「角行の立行石」。
江戸時代に広まった富士講の開祖。慶長15年(1960年)この地を訪れた角行は富士を遙拝し、
この石の上に爪立ちして三十日間の荒行をしたと伝えられます。
彼は数々の荒行を行い、江戸ではやった「つきたおし」という奇病の病を癒すなどの奇跡を起こした人物として
知られています。百六歳にして大往生。
大鳥居は日本武尊の故事にもとづいて昭和27年に再建されたもの。朱塗りの四脚の鳥居で国内第一の大きさとのことです。
本殿は国の重要文化財となっています。他に西宮本殿、東宮本殿とあり、こちらも重要文化財となっています。
梁から見下ろす天狗も迫力十分、この辺りに天狗が本当にいたのではと思ってしまいます。
立派なのは、本殿の前、左右にある山梨県第一号天然記念物指定のご神木「太郎杉」と「富士夫婦檜」です。
本樹は樹齢千年くらいと言い伝えられている。根張りが著しく発達し漏斗を伏せたような樹形は、
ご神木に恥じない荘厳さがあり本殿を見守るかのようである。「富士太郎杉」と呼ばれ広く市民に親しまれている。
南側附近の損傷部は昭和34年8月の7号台風により被害を受けたものである。
山梨県を代表する杉の巨木として、山梨県の天然記念物の第一号に指定された。
大きさは次の通りである。
1.露出根張り 21.0メートル
2.幹根境の周囲 12.7メートル
3.目通り幹囲 8.2メートル
4.樹 高 30.0メートル
5.枝張り 東西12.8メートル
南北14.7メートル
平成11年3月
山梨県教育委員会
富士吉田市教育委委員会
この木は二本のヒノキが根元で一本になり、また地上約12mで再び合着していることから「富士夫婦檜」と呼ばれ、
広く市民に親しまれている。根張りが著しく発達し漏斗を伏せたような形になっており、
枝は丈夫で四方に良く伸びてたいへん見事である。
合着木であるが、県下で最大のヒノキの巨樹であり、市内の代表的な巨樹である。
大きさは次の通り。
1.露出根張り 17.0メートル
2.幹根境の周囲 8.7メートル
3.地上から幹根境までの高さ 1.7メートル
4.目通り幹囲 7.65メートル
5.樹高 33.0メートル
6.枝張り 東8.5メートル 西8.9メートル
南7.6メートル 北8.3メートル
平成5年3月
富士吉田市教育委員会
社殿右後ろにある鳥居から吉田口登山道があります。富士山頂に向かう起点となっています。
「富士北口登山本道」の石碑が重々しく感じられます。
「富士浅間神社」は静岡県や山梨県と関東近県に43社ほどあるようです。
総本山は静岡県富士宮市にある「富士山本宮浅間大社」ですが、山梨県側ではこの神社が一番です。
ちなみに私の住んでいる志木市には埼玉県で唯一の「羽根倉浅間神社」があります。ここには、社の他に富士塚が作られています。
富士山を崇拝してきた日本人の心の歴史が感じられる神社でした。
PENTAX K7 + TAMRON 17-50mm F2.8 で撮影
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黒目川の桜 (埼玉県朝霞市浜崎)。東武東上線の上り線、朝霞台駅を出て朝霞駅に向かう車窓、すぐ右手によく見えます。
東武鉄道の発行する情報誌 「ゆあ東上・・・3月号」 に沿線お花見情報「朝霞黒目川沿い」として掲載されています。
今日は、まだ八分咲き。今週の土日の3、4日には、満開になって見頃を迎えるでしょう。
少しは電気がついて夜桜見物も出来るかも知れません。
近くには菜の花畑もあり雰囲気も上々です。
PENTAX K7 + TAMRON 17-50mm F2.8 で撮影
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