発刊するまえからパーティしようと写真家たちから声があがっていた。
私はパーティを開くような大物ではない。
したるでという声まではあがらない。
そうこうしていると、出版編集者と民博の協力先生から是非しましょうと肩を叩かれた。
それならばと、私がこうして出版できたお礼ということで行事取材関係者を中心に声をかけた。
常日頃、情報連携しながら行事取材をしてきた知人たちだ。
前回の「退院直後の打ち上げ快気祝い」で好評だった洞泉寺界隈の「来たむ良」に集まったのは13人。
お互い顔なじみが多いのだが、一度に参集したのは初めてなので、私が他人紹介させていただき宴をスタートした。
小名の取材から駆けつけたビンカメさんは奈良大和路を撮ってきた写真家のお弟子さん。
宝蔵寺で桜を撮っているときに声をかけた。
それ以来親しくおつきあいさせてもらっている人で、雑誌に掲載される数がどれほど多いか。大家である。
同じく小名の取材から駆けつけたF・Kカメラマンは著書の「関西花の寺二十五ケ所」に無理矢理サインをしてもらった。
忘れもしない京都ののぎゃらりー西利でだ。
前職を辞めるときに相談しにいった綿元さんから教えてもらい写真展に飛び込んだ。
その後、行事撮影でときおりお会いして、親しくさせてもらっている。
最近はカメラのキタムラでもお会いする。
小写楽さんは写真家になろうと勢い込んで題目立でお会いした方。
行事の写真では食っていけねぇ、本なんてとんでもないと強烈な助言をいただいた。
まさしくその状況は今でも変わっていない。
そもそも祭りや行事に興味を示す人口が少ないことを知った日だった。
十津川村の玉置神社取材から帰ってきた鬚熊さんに朝臣さん。
鬚熊さんの風貌はどうどうたる人物。取材地でときおり見かけていた。
植槻のオンダで初めて声をかけたのが始まりだった。
御仁のことは各地で名前があがる。
前職会社の方々で各地に点在している。
行動範囲が広すぎる。
朝臣さんはその友人で、鬚熊さんに紹介してもらった。
それがなんと。
朝臣さんの名前が都祁馬場のお寺の住職の口からでてきた。
なんというつながりか。
二人とも謡のプロだったと、そのとき初めて知る。
結崎でお世話になっているMさんも鬚熊さんの紹介だった。
YPCで、自称、写真談義が大好きといえばこの人に尽きる。
宴は男性ばかりでない。宴の華に女優人も集まってくださった。
一人はデンデンさんで東山中における田楽などに詳しい。
学生時代に狭川で初めてお会いしてから、度々その方面で教えを請うている。
もう一人の方はTちゃん。
県民だよりに載ったちゃんちゃん祭の写真がきっかけ。
初対面なのに祭り談義で盛り上がったことを覚えている。
県民だよりに度々採用してくださった功労者だ。
本日、仕事や都合で欠席されたmutateizoさん、ukiukiさん、学徒さん、sekibutuさん、S女史との出合いエピソードも忘れられない。
それぞれの出合いがあって今の私がある。ありがたいことだ。
忘れてはならないのは編集者のYさん。
出合いは御朝拝式。
そのときは小写楽さんも一緒だった。
その後に當麻で再び出会う。
そのときの立ち話で盛り上がった1時間が運命だった。
その彼が奈良新聞に記事を書いてくださった。
宴もたけなわ、盛り上がったころに川西から取材を終えたnomotoさんがやってきた。
氏とはそもそもホームページが出合いだった。
会社は関係会社だったが出向の上司から若い時に「天王寺」写真集を出版したすごい人物だと聞いていた。
辞めてから挨拶に行ったことを覚えているだろうか。
宴が始まって3時間。今から行くとだんじり君から電話が入った。
最初の出合いは山焼きだった。
その後にシャカシャカで話をするようになってから親しくさせてもらっている。
今夜は賑やかなオフ会になった。
帰り際、お店の人が「あんたら一体何者?」って不思議そうに言ったそうだ。
(H21.10.24 SB912SH撮影)
私はパーティを開くような大物ではない。
したるでという声まではあがらない。
そうこうしていると、出版編集者と民博の協力先生から是非しましょうと肩を叩かれた。
それならばと、私がこうして出版できたお礼ということで行事取材関係者を中心に声をかけた。
常日頃、情報連携しながら行事取材をしてきた知人たちだ。
前回の「退院直後の打ち上げ快気祝い」で好評だった洞泉寺界隈の「来たむ良」に集まったのは13人。
お互い顔なじみが多いのだが、一度に参集したのは初めてなので、私が他人紹介させていただき宴をスタートした。
小名の取材から駆けつけたビンカメさんは奈良大和路を撮ってきた写真家のお弟子さん。
宝蔵寺で桜を撮っているときに声をかけた。
それ以来親しくおつきあいさせてもらっている人で、雑誌に掲載される数がどれほど多いか。大家である。
同じく小名の取材から駆けつけたF・Kカメラマンは著書の「関西花の寺二十五ケ所」に無理矢理サインをしてもらった。
忘れもしない京都ののぎゃらりー西利でだ。
前職を辞めるときに相談しにいった綿元さんから教えてもらい写真展に飛び込んだ。
その後、行事撮影でときおりお会いして、親しくさせてもらっている。
最近はカメラのキタムラでもお会いする。
小写楽さんは写真家になろうと勢い込んで題目立でお会いした方。
行事の写真では食っていけねぇ、本なんてとんでもないと強烈な助言をいただいた。
まさしくその状況は今でも変わっていない。
そもそも祭りや行事に興味を示す人口が少ないことを知った日だった。
十津川村の玉置神社取材から帰ってきた鬚熊さんに朝臣さん。
鬚熊さんの風貌はどうどうたる人物。取材地でときおり見かけていた。
植槻のオンダで初めて声をかけたのが始まりだった。
御仁のことは各地で名前があがる。
前職会社の方々で各地に点在している。
行動範囲が広すぎる。
朝臣さんはその友人で、鬚熊さんに紹介してもらった。
それがなんと。
朝臣さんの名前が都祁馬場のお寺の住職の口からでてきた。
なんというつながりか。
二人とも謡のプロだったと、そのとき初めて知る。
結崎でお世話になっているMさんも鬚熊さんの紹介だった。
YPCで、自称、写真談義が大好きといえばこの人に尽きる。
宴は男性ばかりでない。宴の華に女優人も集まってくださった。
一人はデンデンさんで東山中における田楽などに詳しい。
学生時代に狭川で初めてお会いしてから、度々その方面で教えを請うている。
もう一人の方はTちゃん。
県民だよりに載ったちゃんちゃん祭の写真がきっかけ。
初対面なのに祭り談義で盛り上がったことを覚えている。
県民だよりに度々採用してくださった功労者だ。
本日、仕事や都合で欠席されたmutateizoさん、ukiukiさん、学徒さん、sekibutuさん、S女史との出合いエピソードも忘れられない。
それぞれの出合いがあって今の私がある。ありがたいことだ。
忘れてはならないのは編集者のYさん。
出合いは御朝拝式。
そのときは小写楽さんも一緒だった。
その後に當麻で再び出会う。
そのときの立ち話で盛り上がった1時間が運命だった。
その彼が奈良新聞に記事を書いてくださった。
宴もたけなわ、盛り上がったころに川西から取材を終えたnomotoさんがやってきた。
氏とはそもそもホームページが出合いだった。
会社は関係会社だったが出向の上司から若い時に「天王寺」写真集を出版したすごい人物だと聞いていた。
辞めてから挨拶に行ったことを覚えているだろうか。
宴が始まって3時間。今から行くとだんじり君から電話が入った。
最初の出合いは山焼きだった。
その後にシャカシャカで話をするようになってから親しくさせてもらっている。
今夜は賑やかなオフ会になった。
帰り際、お店の人が「あんたら一体何者?」って不思議そうに言ったそうだ。
(H21.10.24 SB912SH撮影)