マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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オフ会になった集い

2009年11月21日 08時25分24秒 | 民俗の掲載・著作
発刊するまえからパーティしようと写真家たちから声があがっていた。

私はパーティを開くような大物ではない。

したるでという声まではあがらない。

そうこうしていると、出版編集者と民博の協力先生から是非しましょうと肩を叩かれた。

それならばと、私がこうして出版できたお礼ということで行事取材関係者を中心に声をかけた。

常日頃、情報連携しながら行事取材をしてきた知人たちだ。

前回の「退院直後の打ち上げ快気祝い」で好評だった洞泉寺界隈の「来たむ良」に集まったのは13人。

お互い顔なじみが多いのだが、一度に参集したのは初めてなので、私が他人紹介させていただき宴をスタートした。

小名の取材から駆けつけたビンカメさんは奈良大和路を撮ってきた写真家のお弟子さん。

宝蔵寺で桜を撮っているときに声をかけた。

それ以来親しくおつきあいさせてもらっている人で、雑誌に掲載される数がどれほど多いか。大家である。

同じく小名の取材から駆けつけたF・Kカメラマンは著書の「関西花の寺二十五ケ所」に無理矢理サインをしてもらった。

忘れもしない京都ののぎゃらりー西利でだ。

前職を辞めるときに相談しにいった綿元さんから教えてもらい写真展に飛び込んだ。

その後、行事撮影でときおりお会いして、親しくさせてもらっている。

最近はカメラのキタムラでもお会いする。

小写楽さんは写真家になろうと勢い込んで題目立でお会いした方。

行事の写真では食っていけねぇ、本なんてとんでもないと強烈な助言をいただいた。

まさしくその状況は今でも変わっていない。

そもそも祭りや行事に興味を示す人口が少ないことを知った日だった。

十津川村の玉置神社取材から帰ってきた鬚熊さんに朝臣さん。

鬚熊さんの風貌はどうどうたる人物。取材地でときおり見かけていた。

植槻のオンダで初めて声をかけたのが始まりだった。

御仁のことは各地で名前があがる。

前職会社の方々で各地に点在している。

行動範囲が広すぎる。

朝臣さんはその友人で、鬚熊さんに紹介してもらった。

それがなんと。

朝臣さんの名前が都祁馬場のお寺の住職の口からでてきた。

なんというつながりか。

二人とも謡のプロだったと、そのとき初めて知る。

結崎でお世話になっているMさんも鬚熊さんの紹介だった。

YPCで、自称、写真談義が大好きといえばこの人に尽きる。

宴は男性ばかりでない。宴の華に女優人も集まってくださった。

一人はデンデンさんで東山中における田楽などに詳しい。

学生時代に狭川で初めてお会いしてから、度々その方面で教えを請うている。

もう一人の方はTちゃん。

県民だよりに載ったちゃんちゃん祭の写真がきっかけ。

初対面なのに祭り談義で盛り上がったことを覚えている。

県民だよりに度々採用してくださった功労者だ。

本日、仕事や都合で欠席されたmutateizoさん、ukiukiさん、学徒さん、sekibutuさん、S女史との出合いエピソードも忘れられない。

それぞれの出合いがあって今の私がある。ありがたいことだ。

忘れてはならないのは編集者のYさん。

出合いは御朝拝式。

そのときは小写楽さんも一緒だった。

その後に當麻で再び出会う。

そのときの立ち話で盛り上がった1時間が運命だった。

その彼が奈良新聞に記事を書いてくださった。

宴もたけなわ、盛り上がったころに川西から取材を終えたnomotoさんがやってきた。

氏とはそもそもホームページが出合いだった。

会社は関係会社だったが出向の上司から若い時に「天王寺」写真集を出版したすごい人物だと聞いていた。

辞めてから挨拶に行ったことを覚えているだろうか。

宴が始まって3時間。今から行くとだんじり君から電話が入った。

最初の出合いは山焼きだった。

その後にシャカシャカで話をするようになってから親しくさせてもらっている。

今夜は賑やかなオフ会になった。

帰り際、お店の人が「あんたら一体何者?」って不思議そうに言ったそうだ。

(H21.10.24 SB912SH撮影)

タイトルは祭りの音色

2009年11月16日 07時17分18秒 | 民俗の掲載・著作
稲穂が実り、金色に染まるころは秋祭り。

どこからとこなく祭りの音が聞こえてくる。

威勢がいい掛け声の太鼓台は祭りの代名詞。

うちの祭りは派手さがない、華も色もないから見せられんのやと言う氏子さん。

祭りに優劣や勝ち負けはない。

祭礼によってそれぞれの特徴や味わいがあるのですが、と口走りそうになったが唾を飲み込んだ。

(H21.10.13 SB912SH撮影)

新聞で紹介された

2009年10月23日 07時12分26秒 | 民俗の掲載・著作
<平成21年 9月25日 奈良新聞記事より>

先月、奈良新聞に「奈良大和路の年中行事」のことを記事にしてくださった。

今月に入って、読売、朝日、毎日の各新聞社から調整されたかのように日にちをずらし順に載った。

新聞を拝見した人から「あんたはそんなことしてたんや」と言われることが多くなった。

隠すつもりはないがベラベラとしゃべるもんじゃないと思っているので、面識ある人からそう言われるといやに照れる。

載った日には「ならグルグル散歩」のHP閲覧数が驚く数字に上がった。

普段は10件あったらいいほうだ。

それが十倍にもなった。

新聞を見た人がアクセスしてくれたのだろう。

翌日には元に戻っていた。

そんなものだと実感する。



<平成21年10月5日 読売新聞記事より>




<平成21年10月7日 朝日新聞記事より>



<平成21年10月8日 毎日新聞記事より>

(H21.10. 9 SB912SH撮影)

タイトルは祓い清めの神道

2009年10月13日 07時18分54秒 | 民俗の掲載・著作
祭りのお渡りは様々な形態がある。

先頭が竹ホウキや農具のクワを使って神さんが通る道を祓い清める祭礼がある。

横田町ではサカキの枝にある。市広報誌「つながり」掲載の“行こか”シリーズは13回目になった。

それを拝見された方が町の祭りを紹介してくれて嬉しいと伝えてくれた。

こういう言葉を聞くと取材に張り合いがでます。

(H21. 9.21 SB912SH撮影)

弘法井戸替え

2009年08月29日 07時05分23秒 | 民俗の掲載・著作
5人の水利組合が行っている井戸替えの作業。

梯子を掛けて降り弘法さんの石仏や井戸を洗う。

訪れた観光客は3人だったそうだ。

ひとりの男性は県内には弘法井戸が六つある、ここは何故に北向きなのか、おかしいじゃないかと執拗に関係者につっこんだようだ。

組合員はほとほと困っていたと伝わってきた。

私がこの記事を書いたのはそのことを紹介したものではない。

7日に井戸替えをするという風習が現在も継承されていることが大切なのだと考えて掲載してもらった。

弘法さんを見たい、知りたいという気持ちは判らんでもないが、村の人に自身の考えを押しつけるのは遠慮してほしいものです。

行事取材をしているとこのような光景にでくわすことがときおりある。

祭りや行事はこうあるべきだとか、手持ちの資料本を見せてなんでこれをしないのだとか、ロープ張ったら写真が撮れないじゃないかとか。

祭りや行事は観客のためにしているのではない。

私はいつも拝見させていただくだけでありがたく、感謝している。

思わず日頃思うことを書いてしまいましたが、自分にも戒めるために書き記しておこう。

(H21. 8. 1 SB912SH撮影)

検証

2009年08月25日 07時01分23秒 | 民俗の掲載・著作
本作りはほぼ最終稿に近いものになってきた。

そこで編者者と協力者の先生と三人で全編検証の打合せ。

議論、検証に盛り上がり、大江町のフジエダコーヒー店で3時間も滞在してしまった。

お二人は専門家。

私しゃ、もともとから博識がない。

高尚な論についていけない。

その内容は文章面でずいぶんと支援してもらった。

苧が芋などの誤字。

これってほんまに青銅?、江戸時代という記しがあったのか、うん百年はたしかななのか?。

つっこみに応えられない。

曖昧、あやふやなことを書いてあったものをきちんと整備していく。

一人の力ではとてもこうはいかない。

それにしても写真の指示も的確でありがたい。

見れば見るほど、読めば読むほどゾクゾク、ワクワク、すごい本になりそうだ。

(H21. 7.28 SB912SH撮影)

許可

2009年08月25日 06時58分22秒 | 民俗の掲載・著作
本作りが佳境に入ってきた。

掲載許可も返ってきていると編集者はいう。

東大寺さんからはサバ投げキャプションにカラスもいるだろうと追加してくれた。

プラス表現になった。

ありがたいことだ。

大寺は使用料が要るが神社は求めない。

ほぼ予算内で済んでいるそうだ。

驚いたのはあるお寺さんから送られてきた現金。

これって何だろうと編集者は首をかしげる。

数ヶ月前にこの件を事前にお願いしたら協力しますよと話された住職。

編集者も存知されているので逆お礼ではないだろうか。

それとも先払いで本を買うとか。

気になっていたのが春日大社。

ちょこちょこ撮らせてもらっている大社だ。

広報担当者にはいつも感謝している。

内から撮るよりも一般参拝者の目線。

内から見えるのは特別なこと。

一般の人はそこには立ち入れない。

なので目線を同じにしている。

そうしていることも広報担当者は知っている。

これが私流の撮る位置。

本に掲載するのは同じ目線のもの。

今まで撮らせていただいたものから厳選してプリントした。

掲載許可を機会に差し上げることにして編集者を同行訪問した。

喜んでおられた。

文面はごくごく一部だけ訂正が入った。

たぶんそうなるであろうことは認識していた。

見解が一致したということだ。

掲載許可を求める出版本は多い。

ほとんどが訂正を入れるそうだ。

えげつない文章もあるようで、もっとちゃんと調べて書いてぇなと思うものが多いなか、スラスラと読めてしまったそうで逆に心配になってしまうと担当者は笑った。

大和郡山の行事と関係することが多い春日大社。

撮影依頼はなんぼでも出してよと逆に催促された。

うれしいことです。

(H21. 7.28 記)

変貌する景観は写真集に残された

2009年08月12日 07時02分56秒 | 民俗の掲載・著作
病室で天使に見つけられてしまった樹林社刊の『大和郡山・天理の今昔写真集』。

「この本、最寄りの本屋さんで予約購買したんです。住んでいる地域の昔の写真を眺めて母親と一緒に懐かしいって話してたんです」と仰る。

この写真集、実は私も執筆者の一人なんですよと伝えるとたいへん驚かれた。

戦後の昭和時代を記録された地域景観の移り変わりに家族が話す。

これこそ発刊を待ち望んでいた私の思いなのです。

数ヶ月前、取材者が私を探して訪ねてきた。

なんでも祭りや行事のことを聞くなら私を尋ねて行けと数人から言われたそうだ。

主旨に賛同して取材やお祭り写真の検証などに協力した。

その後に写真協力ではなく、お祭りについてコラム文を書いてほしいと依願された。

数あるお祭りや行事のなかから一本のテーマだてをするのは難しい。

頼まれた以上はなんとか書かねばと思い一気に書き上げた。

こんなんでどうとオンダ祭を中心としたコラム文を送付すれば半分が被っているという。

それは牛の貸し借りだった。

そのことは集められた写真にキャプションで書かれているという。

この風習は民俗行事を取材しているなか、各地で聞きとられたものである。

まさか、それが写真に残っているとは。

記録された方に敬意を評する。

仕方がないので全編を書きなおして入校した。

そんなことはともかく、私にとってはこの今昔写真集に掲載された写真はどれをとっても垂涎のもの。

リヤカーに乗った子どもに、街角なので遊ぶ普段儀が着物だった子ども。

自分自身でもそうであったようにとても懐かしい風景だ。

ハナタレ小僧で木棒でチャンバラゴッコをしていた時代を思い起こす。

当時は大阪市内だったがほとんど変わらない情景。

そのころ写真はといえば、カメラマンがやってきて子供の姿を撮って売りつけていく時代だった。

実家にも一枚残っている。

高価なカメラなんぞ、持っている家なんてなかった時代。

カメラを持っていても家族の記念写真ばかり。

とてもじゃないけど風景などを撮っている人は写真館かよほどの人だ。

そんな難しい写真収集を短期間でよく集めたものだと感心する。

なにげない一枚が貴重な記録となって甦った写真集。

そこには数十年の間に大きく変貌した地域の憧憬が残されている。

(H21. 7. 1 SB912SH撮影)

タイトルは鉛筆の教え

2009年07月19日 07時41分43秒 | 民俗の掲載・著作
母親が子どもだったころ住んでいた車町に子ども連れで里帰り。

ちびった鉛筆を大切する心は今でも守っている母親。

その教えを住職の法話を借りて子どもに伝えたいと願い鉛筆供養にやってきた。

親子二代に亘る伝統行事はありがたい教えになっている。

(H21. 5. 9 SB912SH撮影)

タイトルは一日だけの巡礼旅

2009年05月24日 06時48分27秒 | 民俗の掲載・著作
「つながり」を拝見された市民から電話があったと市広報から連絡が入った。

写っている方がおじいちゃんに似ているとその方から話を伺った。

住んでいた地域と写していたときが一致する。

なんでもその年の秋に亡くなったというおじいちゃん。

大きくプリントして差し上げたらたいへん喜ばれた。

大切にしたいと仰るお孫さんにとって記念の一枚になった写真だ。

(H21. 4. 1 SB912SH撮影)