Sさんのお誘いで5年ぶりに奈良市の中山八幡神社を訪れた。
当時の様相を思い出すように話してくれた現神主さんと元神主。
祭事を勤めるおとな衆は一老が一年神主となって執行し、二老はミナライとしてそれを覚えていく。
十三番目の人は式使(しきじ)と称するミナライで直会の配膳や酒を注いでいくなど給仕に忙しく動き回る。
結縁(けいちん)や莊厳(しょうごん)で本人より先に「せんごくー、まんごくー、じゅうまんごくー」と周りから掛け声を発せられたときは頭がまっ白になってしまったと仰る。
実は式使がもうひとり。
服忌となればもうひとりの式使が祭典で出仕する。
十二人衆で構成されるおとな衆。
この衆団に加わる予備軍は年齢順と決まっている。
欠員ができた場合は年度途中で加わる。
その日は12月1日、9月1日(八朔)、1月末日の初参会のいずれかとし、「どうぞよろしくお願いします」と挨拶するおとな入りの式典を行う。
参会のときは家族も同席するという。
格式ある式典を続けられているおとな衆。
和服を着こなす祭典は引き締まるものだといい、これからも氏神さんを大切に守って祭礼が今後も継承できるよう、陰ながら見守っていきたいとおとな衆OBの元神主さんは仰った。
同神社のおとな衆は雨、水の神さんを祀る龍王社の宮座衆でもある。
東へ流れる秋篠川の傍にはこんもりとした小山に鎮座する龍王社がある。
毎年4月16日の宵宮には太鼓を叩いて八幡神社を出幸する。
三老が龍王社の神主となって祭典を執行する。
稲作に大切な雨。
田植えのころには雨が降ってほしい。
今年も豊作になるよう願って般若心経を唱える春の大祭。
翌日は本祭で同様に心経を唱えるがお渡りはみられない。
中山町では「一日地蔵」と呼ばれる風習があるそうだ。
地蔵さんを納めた屋形は廻り明神と称して130軒が隣家順に送って各家でお参りをする。
朝に引き継いで夜に隣家に回す。
八幡さんと呼ばれる提灯箱とともに町内を渡っていく。
順番を間違えることもあったので回覧のようなリストを付けて廻すようになったというが、何時廻ってくるのか判らないので「一日地蔵」を拝見することはとても難しい。
(H21. 4.11 SB912SH撮影)
当時の様相を思い出すように話してくれた現神主さんと元神主。
祭事を勤めるおとな衆は一老が一年神主となって執行し、二老はミナライとしてそれを覚えていく。
十三番目の人は式使(しきじ)と称するミナライで直会の配膳や酒を注いでいくなど給仕に忙しく動き回る。
結縁(けいちん)や莊厳(しょうごん)で本人より先に「せんごくー、まんごくー、じゅうまんごくー」と周りから掛け声を発せられたときは頭がまっ白になってしまったと仰る。
実は式使がもうひとり。
服忌となればもうひとりの式使が祭典で出仕する。
十二人衆で構成されるおとな衆。
この衆団に加わる予備軍は年齢順と決まっている。
欠員ができた場合は年度途中で加わる。
その日は12月1日、9月1日(八朔)、1月末日の初参会のいずれかとし、「どうぞよろしくお願いします」と挨拶するおとな入りの式典を行う。
参会のときは家族も同席するという。
格式ある式典を続けられているおとな衆。
和服を着こなす祭典は引き締まるものだといい、これからも氏神さんを大切に守って祭礼が今後も継承できるよう、陰ながら見守っていきたいとおとな衆OBの元神主さんは仰った。
同神社のおとな衆は雨、水の神さんを祀る龍王社の宮座衆でもある。
東へ流れる秋篠川の傍にはこんもりとした小山に鎮座する龍王社がある。
毎年4月16日の宵宮には太鼓を叩いて八幡神社を出幸する。
三老が龍王社の神主となって祭典を執行する。
稲作に大切な雨。
田植えのころには雨が降ってほしい。
今年も豊作になるよう願って般若心経を唱える春の大祭。
翌日は本祭で同様に心経を唱えるがお渡りはみられない。
中山町では「一日地蔵」と呼ばれる風習があるそうだ。
地蔵さんを納めた屋形は廻り明神と称して130軒が隣家順に送って各家でお参りをする。
朝に引き継いで夜に隣家に回す。
八幡さんと呼ばれる提灯箱とともに町内を渡っていく。
順番を間違えることもあったので回覧のようなリストを付けて廻すようになったというが、何時廻ってくるのか判らないので「一日地蔵」を拝見することはとても難しい。
(H21. 4.11 SB912SH撮影)