マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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額田部推古神社年越し

2011年03月20日 09時05分29秒 | 大和郡山市へ
2月4日は立春。

暦のうえでは春である。

その前日はいわずとしれた節分の日だ。

昼間の気温は上昇し続けて10度近くまでなったが日が落ちるころには急カーブの下降線。

朝晩の冷え込みはさほど変わらない。

1月31日はとんどの日だった額田部の町。

かつては北の町に三カ所あったそうだが、南の町だけは推古神社境内で行われている。

温かい火を求めて十数人が来たそうだ。

それを終えて年末にユンボで掘ったとんど場の穴は元に戻された。

ちなみに北町は1月15日の朝に行っていたそうだ。

とんどを作るのは子供だった。

モチを焼いて食べていたと1番当家は回想される。

古くは立春を正月新年としていた。

節分の日から立春の新年へ。

年を越す日である節分の日。

年越しそばは見られないが節分につきものの大豆が推古神社祭壇に出現する。

とは言っても鬼が現れるわけでもないから豆撒きにする豆でもない。

半紙に包まれた豆は各家から訪れた参拝者が持ち寄ったもの。

始めの豆袋(10個ほど)は当家が用意しておく。

それは炒った豆(15粒ほど)だそうだ。

氏神さんに手を合わせてお参りする。

そして祭壇にその包みを置く。

それはオヒネリの形だ。

持って来たローソクに火を点けて奉る。

そのときに手にしたのは先に供えられた人さまのオヒネリ。

それを手にして持ち帰る。

まるで交換しているかのようだ。


当家が用意したお神酒をいただく人も居る。

持って帰らない人も居る。

こうしてオヒネリの数は徐々に増えていった。

ときには大きな袋を持ち込む人も居た。

中身はと言えば家族の人数分のオヒネリが入っているという。

それは歳の数だけ豆がある。

誰のか判るように名前を記している。

さすがにそれは交換するわけにはいかない。

お参りを済ませばそのまま年越しの豆を持って帰った。

参拝者が訪れなくなったとこを見届けて年越し行事の幕を締める。

供えられた豆は拝殿辺りに撒いて帰宅につくそうだ。

(H23. 2. 3 EOS40D撮影)