大和郡山の西の端になる矢田町。
矢田山の中腹には矢田山金剛山寺がある。
お寺を下るとそこは寺坂と呼ばれる地区。
そこで恒例の大とんどが行われる。
深谷(ふかだに)地区との合同行事だ。
数年前までは2月6日だった。
その日は小学校の創立記念日。
それに合わしているのだと南矢田自治会のMさんは話す。
今年はたまたま同一日となったが来年は5日になるという。
昨年に子供たちも集まりやすい日曜日に変更されたのだ。
かつては子供たちがとんどで燃やすシバを集めていた。
各戸を巡ってワラを一束ずつ集めた。
そんな記憶があるという。
正月飾り、竹、木材などで組まれた大きなとんどは昼過ぎに作業を終えた。
点火時刻が近づくにつれ地区の人たちが道具を持参して集まってきた。
なにやら鉄製の四角いものだ。
脚がついている鉄編み目の道具。
それはモチを焼く道具だという。
十年ほど前に鉄工所で作ってもらったもの。
そこにとんどの火をもらってモチを焼くというのだ。
この日だけに使われるモチ焼き道具は年代物のように焼けて錆び色に染まっている。
「とんどのモチを食べたら風邪を引かん。無病息災のモチなのだ」と話す。
風の向きを考えて火を点ける場所を決める。
火を点けるのは長老だ。
火を点けた種火のワラでとんど周りに火を移していく。
あっという間に燃え上がる。
傍らでは小さなとんどが見られる。
服忌の家では大とんどに手をいれることができないのだという。
遠慮しながら小さなとんどを焚きつけている。
焼けた竹ははぜてポン、ポンと音が出る。
山間に反射して大きな音になった。
とんどを知らない人はなにごとがあったのだろうと思うだろう。
間違って消防車を呼ぶことはなくとも、万が一のために消火器や大量の水を入れたタンクも用意している。
長老たちが子供のころは書き初めした習字も燃やしていた。
燃えた書は天まで上がると上達すると言われていた。
モチは焼けた地べたに石を組んで焼いていた。
炭になった火種は持ち帰っておくどさん(竈)の火に移した。
そういった風習は生活文化が変わったので昔のことだと話す。
そうこうしているうちにモチを焼く炭ができてきた。
鉄製のスコップでモチ焼き道具に投入する。
その上は金網。
そしてモチを乗せていく。
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白いモチ、赤いモチ、緑色のモチと色とりどり。
黒豆、小エビ、青ノリなどが入っている。
それらは各家で作られた自家製のモチだ。
シソが入っているモチもある。
グループホームの人たちは「年寄りやさかいのどをつめんよう、食べやすいように」と言って、モチ米、うるち米を半々にしたモチにしている。
これをドヤモチと呼んでいる。
「火の粉が飛んできたらご利益があるのよねえ」ととんどに近づく。
各家もドヤモチを焼いている。
ウルチモチ、コゴメモチ、コガネモチとも呼ばれているドヤモチは食べやすく美味しい。
塩味が利いているモチもある。
多種彩々な味は家庭の味。
それはイナカモチとも言うそうで呼び名も多彩だった。
(H23. 2. 6 EOS40D撮影)
矢田山の中腹には矢田山金剛山寺がある。
お寺を下るとそこは寺坂と呼ばれる地区。
そこで恒例の大とんどが行われる。
深谷(ふかだに)地区との合同行事だ。
数年前までは2月6日だった。
その日は小学校の創立記念日。
それに合わしているのだと南矢田自治会のMさんは話す。
今年はたまたま同一日となったが来年は5日になるという。
昨年に子供たちも集まりやすい日曜日に変更されたのだ。
かつては子供たちがとんどで燃やすシバを集めていた。
各戸を巡ってワラを一束ずつ集めた。
そんな記憶があるという。
正月飾り、竹、木材などで組まれた大きなとんどは昼過ぎに作業を終えた。
点火時刻が近づくにつれ地区の人たちが道具を持参して集まってきた。
なにやら鉄製の四角いものだ。
脚がついている鉄編み目の道具。
それはモチを焼く道具だという。
十年ほど前に鉄工所で作ってもらったもの。
そこにとんどの火をもらってモチを焼くというのだ。
この日だけに使われるモチ焼き道具は年代物のように焼けて錆び色に染まっている。
「とんどのモチを食べたら風邪を引かん。無病息災のモチなのだ」と話す。
風の向きを考えて火を点ける場所を決める。
火を点けるのは長老だ。
火を点けた種火のワラでとんど周りに火を移していく。
あっという間に燃え上がる。
傍らでは小さなとんどが見られる。
服忌の家では大とんどに手をいれることができないのだという。
遠慮しながら小さなとんどを焚きつけている。
焼けた竹ははぜてポン、ポンと音が出る。
山間に反射して大きな音になった。
とんどを知らない人はなにごとがあったのだろうと思うだろう。
間違って消防車を呼ぶことはなくとも、万が一のために消火器や大量の水を入れたタンクも用意している。
長老たちが子供のころは書き初めした習字も燃やしていた。
燃えた書は天まで上がると上達すると言われていた。
モチは焼けた地べたに石を組んで焼いていた。
炭になった火種は持ち帰っておくどさん(竈)の火に移した。
そういった風習は生活文化が変わったので昔のことだと話す。
そうこうしているうちにモチを焼く炭ができてきた。
鉄製のスコップでモチ焼き道具に投入する。
その上は金網。
そしてモチを乗せていく。
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白いモチ、赤いモチ、緑色のモチと色とりどり。
黒豆、小エビ、青ノリなどが入っている。
それらは各家で作られた自家製のモチだ。
シソが入っているモチもある。
グループホームの人たちは「年寄りやさかいのどをつめんよう、食べやすいように」と言って、モチ米、うるち米を半々にしたモチにしている。
これをドヤモチと呼んでいる。
「火の粉が飛んできたらご利益があるのよねえ」ととんどに近づく。
各家もドヤモチを焼いている。
ウルチモチ、コゴメモチ、コガネモチとも呼ばれているドヤモチは食べやすく美味しい。
塩味が利いているモチもある。
多種彩々な味は家庭の味。
それはイナカモチとも言うそうで呼び名も多彩だった。
(H23. 2. 6 EOS40D撮影)