マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

南矢田御日待講祭

2011年03月28日 08時35分06秒 | 大和郡山市へ
清水垣内のとんどを終えたその夜は南矢田公民館で御日待講祭が行われる。

以前は2月5日と決まっていた。

それも清水地区と垣内地区、それぞれで行われていたお日待ちだった。

回り当番のトーヤ(当家)の家で掛け図を掲げて祭礼をしていた。

その家をヤドと呼んでいた。

当時はパック詰め料理をいただいて一晩を明かした。

お日待ちはお日さんが出てくるまでヤドで籠もる。

長い夜を過ごすには時間をもてあます。

ばくちをして時間をつぶしたと長老は話す。

パック詰め料理になる前はヤドで炊きあげられた料理だった。

サバの炊いたものかイカの煮付けだったそうだ。

それにはダイコン、ニンジン、ドロイモをカシワ肉のだしで炊いていたそうだ。

ごはんは白飯だったという。

それを肴に酒を飲んで一晩明かす日待講の行事だったという。

それぞれの地区で行われていた行事は15年ほど前に合同になり矢田坐久志玉比古神社宮司による祭典が行われる。

祭壇の後方には掛け図が掲げられた。

洗い米、小モチ、海の幸や里の幸などの神饌を供えて始まった。

神事は宮司一拝、祓えの儀などだが神さんを呼ぶ降神の儀では灯りが消され真っ暗にする。

「オオォーー」の神降ろしと同時に室内の照明が消された。

祝詞奏上、玉串奉奠などのあとは再び照明が消された。

今度は昇神の儀式だったのだ。

神事を終えてほどなくお神酒が配られ、神さんに感謝をこめて乾杯された。

新しい年を迎える立春の翌日だったお日待ち。

籠もることはなくなったが、近年には立春過ぎの日曜日になった。

来年のお日待ちには垣内の掛け図(アマテラス)が掛けられる。

合同行事になったことから掛け図は毎年交替するという。



日輪光背をもつ仏画のような掛け図はどうやら三社託宣の三尊と思われる。

神道信仰の対象として室町期から江戸時代にかけて広く民間に普及したとされる。

中央に伊勢の天照太神宮(正直)を配し、右が石清水八幡大菩薩(清浄)で左が春日大明神(慈悲)。

生き方に正直で、清き心であれ、慈悲を尊べと人々に対する誡めの言葉などが書かれたものであろう。

だが、私自身はまだまだ修行ができていないのか判読できない。

(H23. 2. 6 EOS40D撮影)