マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大和な雛まつりの鈴木邸

2012年04月20日 08時06分41秒 | 大和郡山市へ
「大和な雛まつり」のイベントとは関係なくこれまで近くの園児だけに限定公開していた鈴木邸。

3年前に取材させていただいた鈴木邸はその後もなにかにつけて訪問しては当主と談話していた。

昨年に寄ったときは玄関口に居所を示す紙が張ってあった。

とある場所で一時的に避難していたのだった。

お元気であったことは知っていた。

県立民俗博物館でその姿を拝見したのであった。

ボランティアグループ「『やまと郡山かるた』作って遊ぼう会」の催しにあったお顔を見て安心したのだ。

その『やまと郡山かるた』の絵札を描いたのが当主の鈴木さんだった。

現物が博物館で展示されていた。

印刷するには難しいと印刷会社から断れたぐらいの絵札である。

そう、鈴木さんは水墨画の先生なのである。

この日もお家に飾られた江戸・享保時代のお内裏さまとお姫さま。

手尺で測ってみた高さはお内裏さまが35cmでお姫さまは25cm。

幅はといえば30cmに38cm。

実に大きな姿である。



よくよく拝見すれば何かが足りない。

3年前にあった冠がない。

昨年に公開したときのことだ。

園児が冠を引っかけて落とされた。

それを知らずに踏んでしまった冠は壊れてしまった。

たいそうな費用が要るが修理に回した。

ところが一部のパーツは行方不明。

探してみたが見当たらない。

なんとかして補修してもらっているという。

「公開するのはリスクを背負うのは当たり前です」と話す当主の心は大きい。

そういう経緯も知らずに訪れた観光客。

どれほど来るのかいというぐらいに多い。

例年、子供たちを接待している婦人たちも疲れぎみ。

当主は来訪する人が替るたびにお雛さんを解説する。

畳に敷いた毛せんもシワがよる。

そんなことも気にかけずに拝見する人たち。

「雛段は何故ないのですか」と尋ねる。

当主はそんな質問にも「昔から雛段はなかった。商家の家は広かったから座敷に広げて飾ったのです」と丁重に答える。

三人官女、五人囃子は昭和の時代、胡蝶の舞に衛士たち。

怒り衛士、鳴き衛士に笑い上戸衛士たち三人は特徴ある丸顔。

おそらく大正時代。

面長が特徴のお雛さんは享保雛。

それぞれの時代変遷を物語る人形の顔だ。

享保の改革は300年前の1716年だ。

「何かがあれば、県立民俗博物館に寄贈したい」と話す当主。

「大和な雛まつり」ではそれらの姿を一般向けに披露された一日であったが、明日も行うという。

お身体にさし障ってはならない高齢者。

支援している婦人たちともども、午後は解説もおいといてゆっくりしてほしいと伝えて鈴木邸をあとにした。

(H24. 3. 2 EOS40D撮影)