マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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石川町十日盆の観音講

2015年03月08日 09時06分15秒 | 大和郡山市へ
午前6時過ぎに高知県安芸市付近に上陸し、10時過ぎに兵庫県赤穂市付近に再上陸した台風11号。

前日も大雨でこの日も雨だった。

年寄り講ともいえる婦人たちは雨にも拘わらず大和郡山市の石川町公民館に集まっていた。

この年の3月に涅槃さんを終えたばかりの観音講中は8月の10日ごろは念仏を唱えていると話していた。

その様相を聞いて取材願いをしていた。

台風の日になってしまったが再訪した石川町。

訪れた公民館には涅槃のときに迎えてくれた婦人だった。

「まぁ上がってや」と云われて公民館併設の観音堂を拝見する。

観音講中は20人と云っていたが、実際は11人になるそうだ。

講中全員が揃うまでは少し時間がある。

その間の話題はやはりお盆である。

仏壇の位牌も奇麗にしたが、並べ方が判らんとか話していた。

家によっては位牌の並べ方がどうも違うようだが、一人の婦人は「古い方から奥にしますんや」と云っていた。

先日は墓で事件があったと話される。

水さしとか花立てを盗られたという事件である。

「アカ」と呼ぶ花立ては真鍮製。

「これを盗っていきよったんや」と云うのだ。

一つだけでなく、隣近所の花立ても盗られたそうで、プラスチック製に替えたと話す。

石川町の北、奈良市でも墓地にあった花立てを盗られたという話しはすべてが金属製だった。

バチがあたりそうな泥棒の行為が横行する難儀な時代になったものだと思った。

まだ来られていない人もおられたが、先に始めましょうと云って本尊や弘法大師など数々の仏像を安置した前に蝋燭・線香を灯された。

お供えは特別なものでもなくお菓子である。



導師が前に座って鉦を打ちながら般若心経を三巻唱える。

鉦は涅槃のときに拝見した三本足をもつ伏鉦だ。

それには「文化八辛未年(1811)十二月 石川村惣中」の刻印があった。

生前おられた安寿さんはこの小さな伏鉦を持って、村の北にあるオイナリサンに参って寒行をしていたとKさんが話す。

もしかとすれば寒の入りの寒行であるかも知れない。

十日盆のお勤めを終えた講中は公民館の食堂でパック詰め料理をいただいく。

しばらくはおしゃべり時間を過ごしていた。

前日は近くの中城町の南側で水ツキが発生した。

隣村の番条町は大丈夫だったと云って胸をなで下ろしていた。

台風は過ぎ去ったものの、「今日はゆっくりでけん。大雨になっては帰りがたいへんになる。食べずに弁当を持って帰ろうか」というような意見も出る日。

「今日は早めに切り上げますわ」と話していた。

9月は彼岸の入り、12月は一年を感謝するお礼念仏をしている観音講中の在り方は毎回同じだと伝えられたが、再訪してみたいと思った。

(H26. 8.10 EOS40D撮影)