山添村春日の春日神社で行われている年中行事は数多くある。
申祭りをはじめに、オトナマツリ、アタゴサン、コンピラサンにトヨリ。「トヨリ」を充てる漢字は「当寄り」。
春日若宮神社の祭り当番の役目を決める儀式である。
平成21年10月4日に取材したことがある。
未だ木の宮さんは知らずにいる春日の行事は山の神も拝見したことがあるがこの日行われた風ノ祈祷も始めてだ。
春日神社・直会殿で行われる風ノ祈祷を聞いたのは10年前だ。
神社に参るわけではなく、直会殿で榊の葉をちぎって両肩後方に投げる祓い清めの儀である。
その場で般若心経を唱えると聞いていた。
知人の写真家が伝えてくれた風ノ祈祷の在り方。
般若心経を終えた村人らは6カ所に別れて祈祷した竹の札をそれぞれの垣内の地に立てると話していた。
おそらくは村を囲むように立てるのだろうと推測していた。
知人は一カ所に付いていったそうだ。
そのような話しを聞いてから数年間も経っていた。
是非とも拝見したいと思って出かけた春日の直会殿。
顔馴染みの氏子たちが集まっていた。
春日の不動院の住職に予め祈祷してもらったお札は半切りにした竹に貼っていた。
願文は「奉読誦慈救咒大字中安全風雨順和五穀成就祈攸」である。
読誦することによって村を雨風から守り五穀成就を祈るということであろう。
祈祷札の竹は8本手渡したのにお札は7枚で返ってきたと話す。
本来は8本である。
1本は直会殿に納めて残る7本を各垣内の氏子が持ち帰り、持ち場の地に立てると云う。
12時ころより始まった直会殿の寄りあいは「日待ち」である。
席について会食する前は村の報告や相談ごとを話しあう。
グランドゴルフ、観月祭、コンピラサンの会食内容や回数を協議する。
結論が出たところで区長らが供えたお神酒を下げる。

そしてドウゲが酒を注ぎ回る。
「ドウゲ」は行事の下支え役。
充てる漢字は「堂請」である。
ドウゲは二人一組で家廻りの順で毎月交替する。
月初めのサヘイ(朔幣)もあれば、行事の月も、である。
「日待ち」の会食は2時間。
延々と飲み続けていた。
ドウゲは忙しく酒を継ぎ回る。
酒杯が空になれば酒を注ぐ。
ドウゲは休むこともできない下支え。
パック膳の料理を口にする時間もとれないと云う。
風ノ祈祷が始まったのは14時だった。

上座は長老と区長、両側に年齢順で座につく。
上座に置かれたのが祈祷されたお札である。
ドウゲから手渡された榊を受け取った長老・区長が始めに一枚の葉っぱを千切って肩後方に投げる。
もう一方の肩もそうする。身を清める作法である。
この作法はオトナマツリのときと同じである。

上座から順に廻された榊を受け取った氏子はそれぞれが作法をして順送り。
下座についたドウゲも同じく作法をされるが、右、左、どちらが先になっても構わないようだ。

かつて宮守を勤めたドウゲ。
作法をされて手を合わしていた。
それから始まる般若心経は10巻。

前半に五巻を唱えてひと息をつける。
わずかな時間の小休止を挟んで後半の五巻を唱える。

前半はドウゲが上座に進み出て、榊の葉を一巻唱えるごとに一枚の葉をお札に落としていた。
「唱える巻数を数えているのだ」と話していた。
後半は上座の長老に五枚の葉を渡して下がるドウゲ。
数取り役は長老に替ったのだ。

こうして儀式を終えたらお札は各垣内の5人が受け取って解散する。
2本の祈祷札を預かった寺総代に同行させてもらって祈祷札立てを撮らせてもらう。
春日の戸数は48戸。
市場、西岡、山脇、海老浦(えびら)、呼出(よんで)の5垣内に分かれている。
同行させていただく寺総代は市場在住。
一旦、自宅へ戻って槌を軽トラに積みこんで出発する。
向かう先は名阪国道トンネルを越えた地である。
その場にはこれまで立てた祈祷札が並んでいた。
寺総代の話によれば「何本か溜まっていけばトンドで燃やす」と云っていた。
朽ちた祈祷札の竹を抜いて傍に置く。

そして新しく祈祷札を打ちこんでいく。
向こう側に白っぽいものが見えるのは走行中のトラック。
そこが名阪国道である。

寺総代にくっついていかなければ判らなかった祈祷札を立てる場。
地図だけではとてもじゃないが見つからない場である。
その場は大字遅瀬との境界になる。
もう一カ所は大字大西との境界地。

草がぼうぼうに生えていた。
これもまた見つけることが困難な場である市場西。
この他にある村の境界地は大字菅生や山辺高分校グランド付近、コンピラサンからさらに奥へ行ったトンド場の大門があるそうだ。
山添小学校より北側の山脇垣内に2か所、学校より下った大字広代との境界だと云う。

この写真の向こう側のようであるが、この日の取材は地に馴染みがなく断念した。
村の境界に風の祈祷札を立てる地域が他所にもある。
山添村・大塩、奈良市月ヶ瀬・月瀬、天理市・西井戸堂の在り方を拝見したことがある。
探してみればもっとあるのではないだろうか。

祈祷札立てを撮らせてもらった寺総代の玄関にはヤカタがあった。
御所市や五條市で拝見した祈祷札のヤカタは春日にもあったのだ。
(H26. 8.21 EOS40D撮影)
申祭りをはじめに、オトナマツリ、アタゴサン、コンピラサンにトヨリ。「トヨリ」を充てる漢字は「当寄り」。
春日若宮神社の祭り当番の役目を決める儀式である。
平成21年10月4日に取材したことがある。
未だ木の宮さんは知らずにいる春日の行事は山の神も拝見したことがあるがこの日行われた風ノ祈祷も始めてだ。
春日神社・直会殿で行われる風ノ祈祷を聞いたのは10年前だ。
神社に参るわけではなく、直会殿で榊の葉をちぎって両肩後方に投げる祓い清めの儀である。
その場で般若心経を唱えると聞いていた。
知人の写真家が伝えてくれた風ノ祈祷の在り方。
般若心経を終えた村人らは6カ所に別れて祈祷した竹の札をそれぞれの垣内の地に立てると話していた。
おそらくは村を囲むように立てるのだろうと推測していた。
知人は一カ所に付いていったそうだ。
そのような話しを聞いてから数年間も経っていた。
是非とも拝見したいと思って出かけた春日の直会殿。
顔馴染みの氏子たちが集まっていた。
春日の不動院の住職に予め祈祷してもらったお札は半切りにした竹に貼っていた。
願文は「奉読誦慈救咒大字中安全風雨順和五穀成就祈攸」である。
読誦することによって村を雨風から守り五穀成就を祈るということであろう。
祈祷札の竹は8本手渡したのにお札は7枚で返ってきたと話す。
本来は8本である。
1本は直会殿に納めて残る7本を各垣内の氏子が持ち帰り、持ち場の地に立てると云う。
12時ころより始まった直会殿の寄りあいは「日待ち」である。
席について会食する前は村の報告や相談ごとを話しあう。
グランドゴルフ、観月祭、コンピラサンの会食内容や回数を協議する。
結論が出たところで区長らが供えたお神酒を下げる。

そしてドウゲが酒を注ぎ回る。
「ドウゲ」は行事の下支え役。
充てる漢字は「堂請」である。
ドウゲは二人一組で家廻りの順で毎月交替する。
月初めのサヘイ(朔幣)もあれば、行事の月も、である。
「日待ち」の会食は2時間。
延々と飲み続けていた。
ドウゲは忙しく酒を継ぎ回る。
酒杯が空になれば酒を注ぐ。
ドウゲは休むこともできない下支え。
パック膳の料理を口にする時間もとれないと云う。
風ノ祈祷が始まったのは14時だった。

上座は長老と区長、両側に年齢順で座につく。
上座に置かれたのが祈祷されたお札である。
ドウゲから手渡された榊を受け取った長老・区長が始めに一枚の葉っぱを千切って肩後方に投げる。
もう一方の肩もそうする。身を清める作法である。
この作法はオトナマツリのときと同じである。

上座から順に廻された榊を受け取った氏子はそれぞれが作法をして順送り。
下座についたドウゲも同じく作法をされるが、右、左、どちらが先になっても構わないようだ。

かつて宮守を勤めたドウゲ。
作法をされて手を合わしていた。
それから始まる般若心経は10巻。

前半に五巻を唱えてひと息をつける。
わずかな時間の小休止を挟んで後半の五巻を唱える。

前半はドウゲが上座に進み出て、榊の葉を一巻唱えるごとに一枚の葉をお札に落としていた。
「唱える巻数を数えているのだ」と話していた。
後半は上座の長老に五枚の葉を渡して下がるドウゲ。
数取り役は長老に替ったのだ。

こうして儀式を終えたらお札は各垣内の5人が受け取って解散する。
2本の祈祷札を預かった寺総代に同行させてもらって祈祷札立てを撮らせてもらう。
春日の戸数は48戸。
市場、西岡、山脇、海老浦(えびら)、呼出(よんで)の5垣内に分かれている。
同行させていただく寺総代は市場在住。
一旦、自宅へ戻って槌を軽トラに積みこんで出発する。
向かう先は名阪国道トンネルを越えた地である。
その場にはこれまで立てた祈祷札が並んでいた。
寺総代の話によれば「何本か溜まっていけばトンドで燃やす」と云っていた。
朽ちた祈祷札の竹を抜いて傍に置く。

そして新しく祈祷札を打ちこんでいく。
向こう側に白っぽいものが見えるのは走行中のトラック。
そこが名阪国道である。

寺総代にくっついていかなければ判らなかった祈祷札を立てる場。
地図だけではとてもじゃないが見つからない場である。
その場は大字遅瀬との境界になる。
もう一カ所は大字大西との境界地。

草がぼうぼうに生えていた。
これもまた見つけることが困難な場である市場西。
この他にある村の境界地は大字菅生や山辺高分校グランド付近、コンピラサンからさらに奥へ行ったトンド場の大門があるそうだ。
山添小学校より北側の山脇垣内に2か所、学校より下った大字広代との境界だと云う。

この写真の向こう側のようであるが、この日の取材は地に馴染みがなく断念した。
村の境界に風の祈祷札を立てる地域が他所にもある。
山添村・大塩、奈良市月ヶ瀬・月瀬、天理市・西井戸堂の在り方を拝見したことがある。
探してみればもっとあるのではないだろうか。

祈祷札立てを撮らせてもらった寺総代の玄関にはヤカタがあった。
御所市や五條市で拝見した祈祷札のヤカタは春日にもあったのだ。
(H26. 8.21 EOS40D撮影)