マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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石田六社神社の御田祭

2016年10月17日 09時33分08秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
昨年の4月8日に伺った宇陀市榛原の大字石田のアマチャ。

プリントした写真を持って6月半ばに再訪した在宅のご婦人が云っていた。

4月12日には村の鎮守社の六柱(むつばしら)神社で御田祭が行われたが、「けーへんかったね」と云われた。

その日は自然観察会もあれば奈良市中畑町・高樋町の水口マツリの場を調査していた。

どちらも優先すべき行事の採訪であるが、決めるのはいつも悩ませる。

急ぐべき事柄によって優先順位を決めて伺っている。

今年は病み上がりの身。

県教委時代からお世話になっていたUさんが石田の当家(頭屋とも)を務めると聞いていたので身体状況の報告・挨拶も兼ねた採訪に大字石田を選ばせていただいた。

神社に着けば礼服姿のUさんと顔を合わせる。

頭屋の務めは前年の10月11日より始まった。

平成18年に石田に転入した。

村入り、氏子入りしてから10年目を迎えるころ。

21戸からなる大字石田の氏子入り。

もっと多くあったが何軒かが氏子から抜けられた。

それぞれのやむを得ない事情である。

10月11日は頭屋座がある。

前年の一年間を当家(頭屋)家で祀ったヤカタを六柱神社社務所に還す。

その直後に次の当家(頭屋)がヤカタを抱えて家に戻る。

戻る際には当家を先頭に氏子が並んで当家(頭屋)家に向かうのだ。

ヤカタに納めた石田の神さんを次の当家が一年間祀る。

いわゆる当家渡しの儀式には神職は登場しないとUさんは話す。

ヤカタを受けて2週間後は秋祭りの宵宮がある。

12月は大祓い。

大晦日から正月元日にかけては初詣。

2月は公民館で行われる涅槃講もある。

そして、この日の御田祭。

なにかと忙しい作業が多々ある。

昨日は御田祭に供えられる餅のモチツキ。

前々日は米洗い。

モチ搗きの際に当家が振る舞うボタモチもある。

小豆はこし餡。

手伝いにきてくれた人らに配る。

ウスヒキしたモチゴメで練ったヨモギダンゴもあると話す。

神饌は神事の際に供えられるわけではなく石田では先に本殿前に揃える。

昨日に搗いた大きな二段重ねの鏡餅や紅白結びした桶に盛った御供餅もある。

御供餅は二種類。

カサモチと呼ばれるコモチよりもやや大きめのモチもある。

カサモチは平べったい。

ただ、この日の神饌はモチが主役でなく稲籾である。

大皿に盛った籾は昨年に収穫した。

大切に保管しておいてこの日の御田祭に供える。

今年の豊作を願う籾を供えて祈願するのだ。

採れたてタケノコや大きなシイタケは石田産。

神饌ものは海の幸に山や里の幸など。

先に運んで並べておく。

そのころともなれば村の人たちがやってきた。

ここへ来るまではやや急な坂道。

鳥居を潜る前にある石田の子安地蔵尊堂に立ち止って手を合わせる。

左隣にあるのは不動明王の石仏。

私の目では庚申さんの姿のように思えるが・・・。

その向こうに咲いていた一本の桜の木。

前年の4月8日に訪れたときも咲いていた桜の木。

心穏やかな佇まいをみせる。

村の参拝者は裏道を通ることなく必ずや鳥居を潜る。

なだらかな坂道は手押し車や電動四輪車であっても上がりやすい。

大字石田よりすぐ近くにある榛原高塚に鎮座する八咫烏神社の栗野義典宮司が斎主を務められて神事が始まる。

栗野義典宮司とお会いするのはこの日が初めてでない。

平成21年11月23日に八咫烏神社を訪れたときだった。

曽爾村の小長尾の取材を終えた帰りの道中。

一度はご挨拶をと思って表敬訪問した。

宮司とご対面するのはこの日が初めてだったが、メール交換で馴染んでいた。

宮司職は本職でもあるが、もう一つの本業がある。

奈良県内に配られているフリーペーパーの「やまとびと」がある。

「やまとびと」の創刊は平成10年8月。

その直後に発刊元の共栄印刷に入社された栗野氏は「やまとびと」編集の仕事に就いていた。

その栗野氏から直接、メールをいただいたのは平成20年の夏前だったと思う。

栗野氏より依頼があったのは行事写真の借用である。

写真は旧西吉野村の城戸(じょうご)集落を巡るススキ提灯だった。

掲載誌はVOL34号だから平成20年に発汗された秋号である。

表敬訪問した訳はそのときのお礼も兼ねてだった。

その後の平成23年1月。

勧請縄行事に訪れた榛原額井がある。

トンドの風習も取材させてもらったのは栗野氏の紹介である。

その後も度々訪れるなど、ありがたい情報に感謝している。

栗野氏は八咫烏神社の動きを伝える「八咫烏神社 週間ねぎ生活」ブログを立ち上げ現在に至る。

栗野氏はそのブログに私が運営するブログをブックマークしてくださった。

宮司が出仕される地域は榛原の伊那佐の地。

いつかは行事取材にお会いすることだろうと思っていた。

それがこの日であった。

前置きが長くなった。

神職の登場に緊張感が漂う境内。

参進された宮司、氏子たちは本殿前に並ぶ。



神事は修祓、献饌、祝詞奏上、玉串奉奠など賑々しく行われる。

厳粛さに参拝者は音をたてることなく静かに見守る。



石田の田は苗代作りが始まっていた。

水があればカエルも登場する。

静寂のうちに行われる神事。付近からはシュレーゲルアオガエルの鳴き声が聞こえてくる。

五穀豊穣、家内安全を願われた御田祭に所作はないが種籾がある。



御供下げした種籾は半紙に包んで持ち帰る。

苗床に蒔く籾種は何日もかけて育苗する。

すくすくと育ってほしい種籾を余祝するのがこの日の祭典。

豊作の願いが込められているが、早い家では4月初めの3日ころに育苗していた。

一週間経ったこn日の芽生えは5cmの長さに伸びたと話す。

稀なケースで、大多数は4月末の祝日辺り。

イロバナを立てる家は少なくなって1軒がしていると聞いた。

社務所に寄り合う氏子たち。

しばらくの時間は直会である。

その間は村人たちの参拝がある。

家族連れ、子どもたちのグループなどめいめいが神さんに詣でる。

直会は短時間で終える。

これより始まるのは恒例の御供撒きだ。

供えたモチを盛った御供桶は社務所に置かれる。

その場に登る村の人たち。

座った子どもたちも落ち着かない。

以前は境内に広がっていた。

撒く人は本殿前。

そこから下の境内に向けてモチを撒く。

落ちたモチが土に塗れる場合がある。

汚れないようにと判断されてゴクマキの場は社務所に移したと云う。

当家(頭屋)のお礼の御供撒きに群がる人たちの声に釣られて撒く。



広げた手に嵌ったモチもあればすり抜けるモチも。

大笑いの会場に笑顔も飛び交う。

手に入れたモチはなぜか股間に集める人が多い。

袋に入れるよりもモチ取りに専念する。

効率的な方法だと思った。

八臼も搗いた御供餅はあっという間に股間に消えていった。

こうして村の豊作祈願を終えて後片付けをする当家(頭屋)。

家には祭ってある神さんのヤカタを撮ってほしいと願われてお邪魔する。

祭壇を組んで白い布を被せる。

沈黙のヤカタにローソクを灯す。



お供えは二段重ねの鏡餅に大きなシイタケにこし餡を塗したボタモチも。

毎日、お酒や洗い米を供えて手を合す。

こうして一年間も石田の神さんを預かるのが当家の役目だと云う。

ちなみに石田の六社神社の造営は20年おき。

過去を手繰ってみれば平成20年(2008)、昭和55年(1980)、昭和36年(1961)に祭典されたときの記念日が書かれていたので判るが、若干のズレがある。

村の在り方によっては往々にしてあることだ。

(H28. 4.10 EOS40D撮影)