この日より数日前に電話があった。
なにかとお世話になっている学芸員のUさんからだ。
仕事の都合でどうしても4月1日のちゃんちゃん祭に出かけることができないという電話である。
昨年のちゃんちゃん祭にも出合ったことがある。
場所はといえばちゃんちゃん祭における9ケ大字の一つである成願寺町の民俗調査だった。
ちゃんちゃん祭における9カ大字の在り方は私も調べている。
彼女は県教委の調査員であるが、私は個人的に調べていた。
成願寺に辿り着いたのはその前年にある。
お旅所から大和神社に戻る還幸の渡御の後続についていた。
そのときに遭遇したのが成願寺町の役目である牛の舌御供担ぎだ。
お旅所に向かう神幸の渡御にお伴につくのは頭屋だけのようだ。
お旅所は大字中山町の歯定神社がある。
そこの神さんに献じる神事がある。
7カ大字の新泉町、兵庫町、岸田町、三昧田町、長柄町、萱生町、佐保庄町はそれぞれが献饌をされて換わりに授かりものをいただく。
ところが大字成願寺は献饌をすることもない。
成願寺町が献饌をするのは大和神社に対してである。
それが牛の舌餅と呼ばれている御供である。
昨年のちゃんちゃん祭は朝から雨が降り続けていた。
大行列を組んだお渡りの一切を中止されたが、お旅所での頭屋参りは行われたと聞いている。
お渡りがないから成願寺の牛の舌餅は直接的に大和神社の神さんに献じられた。
そういった大字成願寺の調査を詳細に記録していた彼女だった。
その調査にはイラストを担っている「よろずでざいん」所属のNさんも滞在調査をしていた。
話しを戻そう。
架かってきた電話は任に就いていた大字の一つ。
大和神社から見れば南にある新泉町。
当地の在り方は平成22年および平成23年の4月1日に取材している。
また前日の宵宮祭においては平成22年の3月31日に取材していた。
彼女は仕事に就かなければならない。
前日までの調査は済んでいる。
残すは祭りに使われるさまざまな用具の寸法を測ることである。
私も最近になっては度々測定をすることがある。
こういった作業は調査における必須作業だ。
彼女ら調査員、学芸員とともに同行取材をする機会が増えるにつれ身についてしまった作業であるが、私は専門家でもない。
ましてそういった学習をしたことがない。
民俗行事の取材をするにつれて自然と身についたのであるが、主な活動は撮影と聞取り調査である。
祭りの用具を測る作業は二の次の時間的に余裕があるときだ。
彼女の代理で調査することになった新泉町の頭屋家は東の端だ。
調査員はもう一人が就いている。
何時、どこで落ち合うかは聞いていないが、頭屋家から出発するまでの時間帯は昼食だと話していた。
昼食であれば遠慮する。
出発前の寛ぐ時間帯は頭屋家の時間。
呼び鈴を押すのも躊躇する。
この日は雨。
天気予報通りの雨天だが、大雨ではない。
しょぼ降る春の雨だ。
所在地は判ったが門塀の前辺りで待つことにした。
傘を広げて待っていたが人が動く気配がない。
そうこうしているうちに向かいの家から声が聞こえた。
門塀の処に婦人が居る。
傍には孫さんと思われる二人の男児も居る。
伺った婦人が云うには築百年以上。
一部はリニューアルしているが外観は風情を残している。
新泉の集落はそのような改築をされた家が多いらしい。
Y婦人と立ち話をしているときに目まいがした。
なんとなく頭と身体がふらーとっして揺れたような感じを受けたのだ。
昨年末に退院してから心配されていた目眩。
脈拍が低い心不全がここで発症したのかと思ったが違った。
その向かいの家。
ほぼ新築の現代的な家のドアから若奥さんの声がした。
「今、地震があった。速報がでている」と云う。
11時43分に発生した地震の震源地は割合近いというが、どこだろうか。
それよりも感じた揺れはゆったりした横揺れだった。
身体は反応した。
目眩、ほんまにそう思ってつくもろうとしたが、地震であったのだ。
帰宅してから震源地が判った。
三重県南東沖で深さ10km。
マグニチュードは6.1だった。
滞在していた奈良県天理市の震度は3だった。
特に影響もなかった地震にほっとする。
時間帯は昼前。
子どもたちは声がかかった新築の家に入っていった。
婦人の話しで理解した家族。
新泉町では大字独自の野神行事がある。
一本木のおんだとも呼ばれる野神行事は子供が主役。
平成17年、19年、21年、22年、23年の5年間に亘って取材してきた。
幾度となく訪れた当地。
何人かは顔見知りになる。
ちゃんちゃん祭のお渡りなどに出向けばお会いする人は神社役員になられた人もおられるし、頭人にも、である。
昼食の時間は過ぎていく。
たしか、新泉町が大和神社へ出仕されるのは午後12時半発だったように記憶する。
平成23年は晴れの日だった。
人足ら村の人たちが集まってくるのも午後12時20分ころ。
この日は雨天。
もしかとすれば中止であるのかも知れない。
集合する時間が刻々と過ぎていく。
思い切って頭屋家の呼び鈴を押す。
事情を説明するまでもなく座敷に上がってと案内された。
そこに居られた男性は何度もお会いしたこともあるUさんだった。
何年か前は神社総代も務めていた馴染みの男性である。
その場には一人の調査員がおられた。
横浜在住のKさんである。
この日がやむを得ず欠席したUさんの知人。
遠隔地から遥々とやってきて調査をされている。
もう一人はビデオ撮りの男性だった。
頭屋のUさんはとにかく席について食事を食べてくれという。
ありがたいお言葉に躊躇することなく小皿に取っていただく。
しかしだ、ゆっくりと腰を据えていただいている場合でない。
Uさんの代理で来ている使命がある。
祭り用具の寸法取りと写真撮りだ。
記録項目は産子弊・産子弊の幣、小幣・小幣の幣、梅幹(梅ずわい)、太鼓・天秤棒・バチ、新泉大字旗・旗支え、笠、桶、鋤、樫の葉である。
記録はもう一つある。
出発から集落に戻るまでの詳細行程である。
主な項目を列挙する。
頭屋家の参集・お渡り・氏神参拝に加えて大和神社参集・賽銭集め・隊列組み、お渡り出発・岸田市場休み場神輿廻り・大字兵庫の龍の口舞、長岳寺の鉦叩き、歯定神社神事・頭人トーニンゴ参拝・中山のチンマキ投げ・奉納大字兵庫の龍の口舞、奉納大字新泉の翁の舞(田の実の舞とも)、還幸渡御出発、還幸大字成願寺の牛の舌餅御供担ぎ、還幸大和神社着、神馬奉納、還幸神事、御供下げ、牛の舌餅御供下げ、奉納龍の口舞、奉納田の実・翁の舞、解散された時間を記録する。
持参したメジャーで長さ、幅、高さなどの寸法を計測して記録する。
重さを量る道具は持ち合わせていないので省略とする。

これは青竹のオーコで担ぐ太鼓。
打つバチを吊るしている。
青竹は毎年に新しいものにするから青々としている。
今年はやや太めになったから重たくなると話していた。

これは産子弊に小幣。
同じく立てているのは大字旗。

別称に梅ずわいの呼び名がある梅幹。
これらも高さ、長さ、幅などを計測する。

オンダの所作で使われる笠や桶もあるが、すでに計測済みということで写真のみだ。
このころも雨が降っていた。
宮総代から特に連絡はない。
午後1時ともなれば人足など村の人たちが頭屋家に来だした。
前年は大雨でお渡りは中止された。
今年もそうであるのか、心配そうに顔をだすが、こちらからは確認の連絡を入れることにはなっていない。
宮総代からの連絡を受けて待つのである。
統制は宮さんの役員が執行している。
決まった約束事は崩してはならない。
するのか、しないのか待つしかない。
午後1時、連絡があった。
お渡りは中止されない。
ただし、だ。お旅所へは向かわずに新泉の集落を通って大和神社に戻るコース。
いわゆるショートカットコースである。
やむを得ないコース設定は前代未聞。
大和神社一の鳥居を抜けて大字成願寺。
上街道を南下し大字の中山・岸田との境界にあたる辻手前の筋辻を西へ向かい大字新泉の集落に向かう。
集落中央の辻より迂回して東に戻る。
そして、上街道に戻って北上する。
出発した一の鳥居を潜って大和神社まで戻るコースである。
滅多にないコース設定は周知徹底されるのかどうか。
お渡りは大字中山を除く8ケ大字。
手際よく連絡しないと刻々と時間が過ぎていくのでは・・と心配するのである。
いずれにしても新泉の人たちは頭屋家で手水をして出発する。

見送る村人たちも傘が要る今回のお渡り。
心配そうに見送った。
暗雲が立ち込め、風も強くなってきた。
小雨ではあるが西から東へ横殴りの風で大字旗が煽られる。
先頭は旗持ち。

次は太鼓担ぎに小幣持ち、人足、梅幹持ち、産子弊持ち、人足、頭人、トーニンゴに頭屋家族が列をつくる。
行列の順は平成23年4月1日に拝見した行列順とは異なっていた。
特に決まりはないように思える。
人足は3人。
お渡りの神輿担ぎに1人。
矛持ちが2人だ。
新泉が担う奉納がある。
オンダでもある翁の舞(田の実の舞とも)に使われる道具がある。
この所作の主役は田楽と呼んでいる1人があたる。
道具はお渡りに持っていくわけでもなく別途に運ばれる。
被っている烏帽子が強風で飛ばされそうになる。
後続につく人たちが遅れているのかどうか心もち心配になり振り返ることもある。
頭屋家を出発してから3分後。
ようやく新泉の氏神さんである素盞嗚神社に着いた。

一同は氏神さんに向かって拝礼する。
人足の一人は産子弊を手にして一行を祓って清める。
参拝を済ませたら大和神社だ。
素盞嗚神社から大和神社まではほんの数十歩。
あっというまに着いた。
ここで気がついた玄関脇に立てた門飾り。
これを測るのを忘れていた。
(H28. 4. 1 EOS40D撮影)
なにかとお世話になっている学芸員のUさんからだ。
仕事の都合でどうしても4月1日のちゃんちゃん祭に出かけることができないという電話である。
昨年のちゃんちゃん祭にも出合ったことがある。
場所はといえばちゃんちゃん祭における9ケ大字の一つである成願寺町の民俗調査だった。
ちゃんちゃん祭における9カ大字の在り方は私も調べている。
彼女は県教委の調査員であるが、私は個人的に調べていた。
成願寺に辿り着いたのはその前年にある。
お旅所から大和神社に戻る還幸の渡御の後続についていた。
そのときに遭遇したのが成願寺町の役目である牛の舌御供担ぎだ。
お旅所に向かう神幸の渡御にお伴につくのは頭屋だけのようだ。
お旅所は大字中山町の歯定神社がある。
そこの神さんに献じる神事がある。
7カ大字の新泉町、兵庫町、岸田町、三昧田町、長柄町、萱生町、佐保庄町はそれぞれが献饌をされて換わりに授かりものをいただく。
ところが大字成願寺は献饌をすることもない。
成願寺町が献饌をするのは大和神社に対してである。
それが牛の舌餅と呼ばれている御供である。
昨年のちゃんちゃん祭は朝から雨が降り続けていた。
大行列を組んだお渡りの一切を中止されたが、お旅所での頭屋参りは行われたと聞いている。
お渡りがないから成願寺の牛の舌餅は直接的に大和神社の神さんに献じられた。
そういった大字成願寺の調査を詳細に記録していた彼女だった。
その調査にはイラストを担っている「よろずでざいん」所属のNさんも滞在調査をしていた。
話しを戻そう。
架かってきた電話は任に就いていた大字の一つ。
大和神社から見れば南にある新泉町。
当地の在り方は平成22年および平成23年の4月1日に取材している。
また前日の宵宮祭においては平成22年の3月31日に取材していた。
彼女は仕事に就かなければならない。
前日までの調査は済んでいる。
残すは祭りに使われるさまざまな用具の寸法を測ることである。
私も最近になっては度々測定をすることがある。
こういった作業は調査における必須作業だ。
彼女ら調査員、学芸員とともに同行取材をする機会が増えるにつれ身についてしまった作業であるが、私は専門家でもない。
ましてそういった学習をしたことがない。
民俗行事の取材をするにつれて自然と身についたのであるが、主な活動は撮影と聞取り調査である。
祭りの用具を測る作業は二の次の時間的に余裕があるときだ。
彼女の代理で調査することになった新泉町の頭屋家は東の端だ。
調査員はもう一人が就いている。
何時、どこで落ち合うかは聞いていないが、頭屋家から出発するまでの時間帯は昼食だと話していた。
昼食であれば遠慮する。
出発前の寛ぐ時間帯は頭屋家の時間。
呼び鈴を押すのも躊躇する。
この日は雨。
天気予報通りの雨天だが、大雨ではない。
しょぼ降る春の雨だ。
所在地は判ったが門塀の前辺りで待つことにした。
傘を広げて待っていたが人が動く気配がない。
そうこうしているうちに向かいの家から声が聞こえた。
門塀の処に婦人が居る。
傍には孫さんと思われる二人の男児も居る。
伺った婦人が云うには築百年以上。
一部はリニューアルしているが外観は風情を残している。
新泉の集落はそのような改築をされた家が多いらしい。
Y婦人と立ち話をしているときに目まいがした。
なんとなく頭と身体がふらーとっして揺れたような感じを受けたのだ。
昨年末に退院してから心配されていた目眩。
脈拍が低い心不全がここで発症したのかと思ったが違った。
その向かいの家。
ほぼ新築の現代的な家のドアから若奥さんの声がした。
「今、地震があった。速報がでている」と云う。
11時43分に発生した地震の震源地は割合近いというが、どこだろうか。
それよりも感じた揺れはゆったりした横揺れだった。
身体は反応した。
目眩、ほんまにそう思ってつくもろうとしたが、地震であったのだ。
帰宅してから震源地が判った。
三重県南東沖で深さ10km。
マグニチュードは6.1だった。
滞在していた奈良県天理市の震度は3だった。
特に影響もなかった地震にほっとする。
時間帯は昼前。
子どもたちは声がかかった新築の家に入っていった。
婦人の話しで理解した家族。
新泉町では大字独自の野神行事がある。
一本木のおんだとも呼ばれる野神行事は子供が主役。
平成17年、19年、21年、22年、23年の5年間に亘って取材してきた。
幾度となく訪れた当地。
何人かは顔見知りになる。
ちゃんちゃん祭のお渡りなどに出向けばお会いする人は神社役員になられた人もおられるし、頭人にも、である。
昼食の時間は過ぎていく。
たしか、新泉町が大和神社へ出仕されるのは午後12時半発だったように記憶する。
平成23年は晴れの日だった。
人足ら村の人たちが集まってくるのも午後12時20分ころ。
この日は雨天。
もしかとすれば中止であるのかも知れない。
集合する時間が刻々と過ぎていく。
思い切って頭屋家の呼び鈴を押す。
事情を説明するまでもなく座敷に上がってと案内された。
そこに居られた男性は何度もお会いしたこともあるUさんだった。
何年か前は神社総代も務めていた馴染みの男性である。
その場には一人の調査員がおられた。
横浜在住のKさんである。
この日がやむを得ず欠席したUさんの知人。
遠隔地から遥々とやってきて調査をされている。
もう一人はビデオ撮りの男性だった。
頭屋のUさんはとにかく席について食事を食べてくれという。
ありがたいお言葉に躊躇することなく小皿に取っていただく。
しかしだ、ゆっくりと腰を据えていただいている場合でない。
Uさんの代理で来ている使命がある。
祭り用具の寸法取りと写真撮りだ。
記録項目は産子弊・産子弊の幣、小幣・小幣の幣、梅幹(梅ずわい)、太鼓・天秤棒・バチ、新泉大字旗・旗支え、笠、桶、鋤、樫の葉である。
記録はもう一つある。
出発から集落に戻るまでの詳細行程である。
主な項目を列挙する。
頭屋家の参集・お渡り・氏神参拝に加えて大和神社参集・賽銭集め・隊列組み、お渡り出発・岸田市場休み場神輿廻り・大字兵庫の龍の口舞、長岳寺の鉦叩き、歯定神社神事・頭人トーニンゴ参拝・中山のチンマキ投げ・奉納大字兵庫の龍の口舞、奉納大字新泉の翁の舞(田の実の舞とも)、還幸渡御出発、還幸大字成願寺の牛の舌餅御供担ぎ、還幸大和神社着、神馬奉納、還幸神事、御供下げ、牛の舌餅御供下げ、奉納龍の口舞、奉納田の実・翁の舞、解散された時間を記録する。
持参したメジャーで長さ、幅、高さなどの寸法を計測して記録する。
重さを量る道具は持ち合わせていないので省略とする。

これは青竹のオーコで担ぐ太鼓。
打つバチを吊るしている。
青竹は毎年に新しいものにするから青々としている。
今年はやや太めになったから重たくなると話していた。

これは産子弊に小幣。
同じく立てているのは大字旗。

別称に梅ずわいの呼び名がある梅幹。
これらも高さ、長さ、幅などを計測する。

オンダの所作で使われる笠や桶もあるが、すでに計測済みということで写真のみだ。
このころも雨が降っていた。
宮総代から特に連絡はない。
午後1時ともなれば人足など村の人たちが頭屋家に来だした。
前年は大雨でお渡りは中止された。
今年もそうであるのか、心配そうに顔をだすが、こちらからは確認の連絡を入れることにはなっていない。
宮総代からの連絡を受けて待つのである。
統制は宮さんの役員が執行している。
決まった約束事は崩してはならない。
するのか、しないのか待つしかない。
午後1時、連絡があった。
お渡りは中止されない。
ただし、だ。お旅所へは向かわずに新泉の集落を通って大和神社に戻るコース。
いわゆるショートカットコースである。
やむを得ないコース設定は前代未聞。
大和神社一の鳥居を抜けて大字成願寺。
上街道を南下し大字の中山・岸田との境界にあたる辻手前の筋辻を西へ向かい大字新泉の集落に向かう。
集落中央の辻より迂回して東に戻る。
そして、上街道に戻って北上する。
出発した一の鳥居を潜って大和神社まで戻るコースである。
滅多にないコース設定は周知徹底されるのかどうか。
お渡りは大字中山を除く8ケ大字。
手際よく連絡しないと刻々と時間が過ぎていくのでは・・と心配するのである。
いずれにしても新泉の人たちは頭屋家で手水をして出発する。

見送る村人たちも傘が要る今回のお渡り。
心配そうに見送った。
暗雲が立ち込め、風も強くなってきた。
小雨ではあるが西から東へ横殴りの風で大字旗が煽られる。
先頭は旗持ち。

次は太鼓担ぎに小幣持ち、人足、梅幹持ち、産子弊持ち、人足、頭人、トーニンゴに頭屋家族が列をつくる。
行列の順は平成23年4月1日に拝見した行列順とは異なっていた。
特に決まりはないように思える。
人足は3人。
お渡りの神輿担ぎに1人。
矛持ちが2人だ。
新泉が担う奉納がある。
オンダでもある翁の舞(田の実の舞とも)に使われる道具がある。
この所作の主役は田楽と呼んでいる1人があたる。
道具はお渡りに持っていくわけでもなく別途に運ばれる。
被っている烏帽子が強風で飛ばされそうになる。
後続につく人たちが遅れているのかどうか心もち心配になり振り返ることもある。
頭屋家を出発してから3分後。
ようやく新泉の氏神さんである素盞嗚神社に着いた。

一同は氏神さんに向かって拝礼する。
人足の一人は産子弊を手にして一行を祓って清める。
参拝を済ませたら大和神社だ。
素盞嗚神社から大和神社まではほんの数十歩。
あっというまに着いた。
ここで気がついた玄関脇に立てた門飾り。
これを測るのを忘れていた。
(H28. 4. 1 EOS40D撮影)