体調が良ければ行こうと考えていたお城祭りの白狐御渡。
主催は市地域振興課と大和郡山市観光協会であるが、白狐御渡が行われる午前中に神事をされる源九郎神社を守っているNさんから送り届けられた案内状が気になっていた。
Nさんとは1月31日に水木十五堂授賞記念講演があったやまと郡山城ホールでお会いした。
このときは今よりも身体がしんどいときだった。
案内状をいただいてもたぶんに行けないであろうと伝えていた。
それから2カ月も経てば随分と良くなっているが、午前の神事に午後のお渡りの2度も出かけるのは無理がある。
仕方なく、午前の神事を諦めて出幸する白狐御渡だけを拝見しようと思って神社が鎮座する洞泉寺町まで歩いた。
歩く距離は片道で2.5km。
リハビリ運動を兼ねて歩いた。
今月に入ったころから身体の調子が良い。
自宅を出てお城祭りのメイン会場になる郡山城跡を目指す。
多数の露店で賑わう桜の通り抜け。
というよりも露店を賑わす家族連れ、友達連れでごった返す通路で人混みを縫うように歩いた。
露店を抜けた道に鹿が居た。
本物ではない。
ビニール製の玩具の鹿である。
ワンコを散歩しているかのような紐で引っ張っていた。
大和郡山にはイノシシの出没はあっても鹿は見たことがないが、映像的に面白そうなので撮っておいた。
日中の気温は上昇して花見気分の人たちは盛り上がっていたお城祭り。
城跡を下って遮断機を潜る。
そしてバスロータリー。
近鉄郡山駅からJR郡山へ向かう商店街を抜ける。
丁度、真ん中あたりに信号がある。
城下町の南北を貫く幹線道路の手前は人、人、人でごった返していた。
主催者の人数よりも多いのが大きなカメラを持つ写真撮りだ。
ほとんどが仕事を終えた退職者であろう。
稀に若い人もいるがごく、ごく僅かだ。
彼らの狙いは子どもたちが主役の白狐。
面をつけた豆絞りを頭につけている。
顔の額に男の子も女の子もお稚児さんのような赤い点が2カ所。
鼻筋とほっぺに白粉で塗った顔。
鼻の両側に三本線。
キツネの髭である。
可愛さもあって恰好、ポーズを要求するカメラマン。
期待に応えるのかピースサインを送る白狐たち。
それを撮る高級カメラを持つ壮年な人たち。
たとえカメラを持っていなくとも、だいたいが姿、恰好で判る。
現場で走り回っていたN代表に元気な姿を見てもらって渋滞状態の元遊郭前の筋道。
人と人とでごった返している。
その流れに紛れ込んでカメラを向けるもハテ、である。
法被を着用した関係者たちの姿。
顔に白マスクをしている人たちがとにかく多いのである。
特に目立ってしまう行列の付き添い。
白狐たちを撮ってはみるものの、どうしても背景に写りこむ。
避けられない状態ではシャッターは押せない。
誰もが気にかけない神輿がある。
この神輿は地車。
台車に載せて曳行する。

この写真では判り難いが獅子噛などを細工された彫り物がある屋形だ。
製作年代、寄進者等、いずれも不明であるがなかなかのものである。
見事な彫りをもつ地車はこの日に神輿となる。
幣を屋根に取り付けているからよく判るが、カメラマンも祭り関係者も気にはしていない。
この神輿は平成22年12月11日から翌年の平成23年2月6日までの期間、奈良県立民俗博物館の企画展「大和郡山の祭りと行事」に出展された。
期間中の12月12日には僭越ながら企画展の解説もさせてもらったことを覚えている。
動きだした時間帯は午後1時50分。

少年、少女が扮する義経や静御前とともに市内巡行に繰り出した。
ここでばったり出会った元職場の同僚。
忙しく奔走していた。
顔を見るなり「撮った写真を送ってー」の声がかかる。
この場におれば幾人かの市職員とも顔を合わす。
60歳定年で退職してから5年間。
それまでの7年半は市施設の市民交流館で働いていた。
馴染み関係者はとにかく多い。
馴染みは市ボランティア団体から施設利用者。
また、取引先まで顔見知りになった。
高そうなカメラを持つ男性がこの場に居られた。
どこかで見たことがあるから頭を下げる。
顔は覚えているが名前が思い出せない。
どこでお会いしたっけってと声をかけたらSさんだった。
事業は息子さんに譲られてご本人はカメラを抱えて悠々自適の暮らしぶり。
写真心も通じて話しはご本人が住まいする地域の地蔵墓に発展する。
是非、来てほしいと願われたのは在所斑鳩町の地蔵盆。
国道沿いにある地蔵尊で数珠繰りをしているが、道路にはみ出ては危険だと判断されて自宅の駐車場に移したそうだ。
提灯もぶら下げるので電灯線も引くなどの状況を確認したが、その日、24日は私が知る範囲内だけでも25ケ所。
前日の23日は55ケ所。
あまりにも多い地蔵盆に悩ませる優先順位の設定は、どうするか、である。
そこから帰路につくのであるが、少し北寄りに歩いた。
もしかとすれば市内を巡行していた時代行列の一行と遭遇するかも知れない。
そう思って市役所の前を抜けて人混みを見つける。
城下町を1kmほど練り歩く。
お渡りする時間帯は交通を遮断している。
一切の車は通れないが、バスは定刻通りに運行する。
自宅に戻りたいと思っていたバスは目の前を通り過ぎていった。

仕方なく、と云えば申しわけないが、これもチャンスと思って何枚かのシャッターを押した。
ところでの数日後。市観光協会所属のNから願われた観光的に相応しい数枚の写真を提供した。
が、わたし的な写真はこちらだ。
(H28. 3.27 EOS40D撮影)
主催は市地域振興課と大和郡山市観光協会であるが、白狐御渡が行われる午前中に神事をされる源九郎神社を守っているNさんから送り届けられた案内状が気になっていた。
Nさんとは1月31日に水木十五堂授賞記念講演があったやまと郡山城ホールでお会いした。
このときは今よりも身体がしんどいときだった。
案内状をいただいてもたぶんに行けないであろうと伝えていた。
それから2カ月も経てば随分と良くなっているが、午前の神事に午後のお渡りの2度も出かけるのは無理がある。
仕方なく、午前の神事を諦めて出幸する白狐御渡だけを拝見しようと思って神社が鎮座する洞泉寺町まで歩いた。
歩く距離は片道で2.5km。
リハビリ運動を兼ねて歩いた。
今月に入ったころから身体の調子が良い。
自宅を出てお城祭りのメイン会場になる郡山城跡を目指す。
多数の露店で賑わう桜の通り抜け。
というよりも露店を賑わす家族連れ、友達連れでごった返す通路で人混みを縫うように歩いた。
露店を抜けた道に鹿が居た。
本物ではない。
ビニール製の玩具の鹿である。
ワンコを散歩しているかのような紐で引っ張っていた。
大和郡山にはイノシシの出没はあっても鹿は見たことがないが、映像的に面白そうなので撮っておいた。
日中の気温は上昇して花見気分の人たちは盛り上がっていたお城祭り。
城跡を下って遮断機を潜る。
そしてバスロータリー。
近鉄郡山駅からJR郡山へ向かう商店街を抜ける。
丁度、真ん中あたりに信号がある。
城下町の南北を貫く幹線道路の手前は人、人、人でごった返していた。
主催者の人数よりも多いのが大きなカメラを持つ写真撮りだ。
ほとんどが仕事を終えた退職者であろう。
稀に若い人もいるがごく、ごく僅かだ。
彼らの狙いは子どもたちが主役の白狐。
面をつけた豆絞りを頭につけている。
顔の額に男の子も女の子もお稚児さんのような赤い点が2カ所。
鼻筋とほっぺに白粉で塗った顔。
鼻の両側に三本線。
キツネの髭である。
可愛さもあって恰好、ポーズを要求するカメラマン。
期待に応えるのかピースサインを送る白狐たち。
それを撮る高級カメラを持つ壮年な人たち。
たとえカメラを持っていなくとも、だいたいが姿、恰好で判る。
現場で走り回っていたN代表に元気な姿を見てもらって渋滞状態の元遊郭前の筋道。
人と人とでごった返している。
その流れに紛れ込んでカメラを向けるもハテ、である。
法被を着用した関係者たちの姿。
顔に白マスクをしている人たちがとにかく多いのである。
特に目立ってしまう行列の付き添い。
白狐たちを撮ってはみるものの、どうしても背景に写りこむ。
避けられない状態ではシャッターは押せない。
誰もが気にかけない神輿がある。
この神輿は地車。
台車に載せて曳行する。

この写真では判り難いが獅子噛などを細工された彫り物がある屋形だ。
製作年代、寄進者等、いずれも不明であるがなかなかのものである。
見事な彫りをもつ地車はこの日に神輿となる。
幣を屋根に取り付けているからよく判るが、カメラマンも祭り関係者も気にはしていない。
この神輿は平成22年12月11日から翌年の平成23年2月6日までの期間、奈良県立民俗博物館の企画展「大和郡山の祭りと行事」に出展された。
期間中の12月12日には僭越ながら企画展の解説もさせてもらったことを覚えている。
動きだした時間帯は午後1時50分。

少年、少女が扮する義経や静御前とともに市内巡行に繰り出した。
ここでばったり出会った元職場の同僚。
忙しく奔走していた。
顔を見るなり「撮った写真を送ってー」の声がかかる。
この場におれば幾人かの市職員とも顔を合わす。
60歳定年で退職してから5年間。
それまでの7年半は市施設の市民交流館で働いていた。
馴染み関係者はとにかく多い。
馴染みは市ボランティア団体から施設利用者。
また、取引先まで顔見知りになった。
高そうなカメラを持つ男性がこの場に居られた。
どこかで見たことがあるから頭を下げる。
顔は覚えているが名前が思い出せない。
どこでお会いしたっけってと声をかけたらSさんだった。
事業は息子さんに譲られてご本人はカメラを抱えて悠々自適の暮らしぶり。
写真心も通じて話しはご本人が住まいする地域の地蔵墓に発展する。
是非、来てほしいと願われたのは在所斑鳩町の地蔵盆。
国道沿いにある地蔵尊で数珠繰りをしているが、道路にはみ出ては危険だと判断されて自宅の駐車場に移したそうだ。
提灯もぶら下げるので電灯線も引くなどの状況を確認したが、その日、24日は私が知る範囲内だけでも25ケ所。
前日の23日は55ケ所。
あまりにも多い地蔵盆に悩ませる優先順位の設定は、どうするか、である。
そこから帰路につくのであるが、少し北寄りに歩いた。
もしかとすれば市内を巡行していた時代行列の一行と遭遇するかも知れない。
そう思って市役所の前を抜けて人混みを見つける。
城下町を1kmほど練り歩く。
お渡りする時間帯は交通を遮断している。
一切の車は通れないが、バスは定刻通りに運行する。
自宅に戻りたいと思っていたバスは目の前を通り過ぎていった。

仕方なく、と云えば申しわけないが、これもチャンスと思って何枚かのシャッターを押した。
ところでの数日後。市観光協会所属のNから願われた観光的に相応しい数枚の写真を提供した。
が、わたし的な写真はこちらだ。
(H28. 3.27 EOS40D撮影)