この年も番条町一帯の各戸で祭られるお大師さんに伺う。
これまで何度も伺ってはいるもののすべてのお大師さんを参ったことがない。
すべてというのは四国八十八カ所の同じ数だけ祭ってあるから88体。
祭る家はその数ではなく80戸余り。
一度はすべてを拝みたいと思ってくるのだがどうしても途中で止まってしまう。
この年もそうだった。
昨年に撮らせてもらったA家。
家で作ったヨゴミももらったAさんは送迎する患者さんの一人だった。
送迎をすることもなくなったAさんを見舞うことも要件にある。
それもあるし、撮らせてもらった写真をあげることも要件。
もう一つは送迎運転ができずに退職したことの報告。
元気な姿をみたいということもあって、朝一番に訪ねるA家。
到着した時間帯は8時半少し前。
ご主人とともに屋内に安置していたお大師さんを門屋に移す。
安置するお厨子は吊り下げる。
大工さんに頼んで仕掛けてもらったそうだ。
そういう家は何軒かあるようだ。
花を立ててヨモギダンゴを置く。
この日に参拝される人は賽銭を投入して手を合わせる。
お礼にダンゴ若しくはモチをいただく。
家によってはヨモギダンゴでなくヨモギモチの家もある。
ヨモギではなく白モチに換えた家もある。
お礼に貰うのは一個だ。
別に決まってはいないが、当然な数であろう。
ゆっくりと会話を楽しむわけにはいかない。
先を急がねばならない。
ここから西の方角を見る。
佐保川土手にある南の藪大師。
祠にあるお大師さんの石仏は文化三年(1806)。
北垣内には北のお大師さんを崇める大師講がある。
一方、南垣内には南の藪大師を崇める南の大師講がある。
ここでは11軒の講中がそれぞれにある幟を立てるのである。
集落から眺めればすでに数本が立っていた。
今年も遅れたかと思ったが、一人の男性が現われた。
話しかけながら撮らせてもらった幟立て。

赤い幟に白抜き文字で「奉納 南無大師遍照金剛」がある。
幟に各戸講中の願主名が記されている。
いずれも年号は平成5年4月吉日だ。
藪大師に登る石段脇や玉垣に結び付けて倒れないようにする。
これも何かの縁と云われてご自宅を案内してくださった。

ご主人は四国七十五番の善道寺のお大師さんを安置するⅠ家。
南の大師講の一人でもある。

Ⅰ家のヨモギモチは粳米、もち米を半々で作ったという。
作ったのは米屋。
ウスヒキしたコゴメも混ぜて作ったモチはドヤモチの名がある。
おふくろも私もこれがモチのなかで一番美味しいと思っている。
コゴメと聞くだけで口がもぐもぐする。
同じ印象をもつⅠさんがいうには、これも含めて親戚中に配るようだ。
Ⅰ家のお大師さん御供は御膳料理もある。

膳椀は五つ。
ニンジン、シイタケ、アブラゲなどを混ぜて炊いたイロゴハンもあれば、シイタケ、タケノコ、アツアゲ、フキなどを煮込んだ煮物椀もある。
三つ葉のおひたしや汁椀。
採れたてタケノコは立てている。
番条町にみる御膳につきもののタケノコは存在感がある。
イロゴハンで思いだされたⅠさん。
南の大師講のお勤めは4月と10月を除く毎月にある。
廻り当番になる講中の家に上がってヨバレがあった。
季節に応じた料理があったがイロゴハンがつきものだった。
ヨバレに出かけるときは家で食べている茶碗一つを持参した。
集まる時刻は午後7時半。
その椀にイロゴハンを盛って食べていたようだ。
今ではイロゴハンを炊くこともなく大幅に簡略化したという。
ここでも長居をしてしまいそうにある。
お礼を述べて六体も預かっているお大師さんを厨子ごと本堂に並べている高野山真言宗の阿弥陀院を訪ねる。

本堂前、階段登ったところに大きな厨子がある。
もちろん、納めてあるお大師さんは阿弥陀院のお大師さんだ。

集落を出た家の預かりのお大師さんではない。
阿弥陀院のお大師さんにもモチがあるものだから賽銭を奉げて手を合わせる参拝者がいる。

本堂に預かりのお大師さんがあることを知らない参拝者は次の家へと向かっていった。
お参りにくる参拝者は圧倒的に女性が多い。
単独で来られる人もあるが、団体、或は少人数のグループ連れが目立つ。
住職と座り話。ここでゆっくりと会話を楽しんでいる時間はない。
前年に訪れた桜井市の竜谷集落にもお大師さんがある。
離脱する時間を限界。
住職にお詫びを申し上げて腰をあげた。
数時間後の午後2時半。
再び訪れた番条町のお大師さん。
午後に降りだした雨は本降り。
集落道は落ちてくる雨が跳ねていた。
訪ねた家は朝一番にご挨拶をさせてもらった南垣内のA家。
雨にあたる八十四番のお大師さんは門屋の前。

それを避けて門屋の奥に移されていた。
朝に拝見した吊り下げの型枠があるから移動しやすいのである。
再訪したのは朝の約束。
Aさんが戻ってきたらヨモギダンゴをあげるから待っていると云われていた。

手作りのヨモギダンゴはコジュウタに並べてあるが、袋に入れて待っていたという。
ありがたいことである。
(H28. 4.21 EOS40D撮影)
これまで何度も伺ってはいるもののすべてのお大師さんを参ったことがない。
すべてというのは四国八十八カ所の同じ数だけ祭ってあるから88体。
祭る家はその数ではなく80戸余り。
一度はすべてを拝みたいと思ってくるのだがどうしても途中で止まってしまう。
この年もそうだった。
昨年に撮らせてもらったA家。
家で作ったヨゴミももらったAさんは送迎する患者さんの一人だった。
送迎をすることもなくなったAさんを見舞うことも要件にある。
それもあるし、撮らせてもらった写真をあげることも要件。
もう一つは送迎運転ができずに退職したことの報告。
元気な姿をみたいということもあって、朝一番に訪ねるA家。
到着した時間帯は8時半少し前。
ご主人とともに屋内に安置していたお大師さんを門屋に移す。
安置するお厨子は吊り下げる。
大工さんに頼んで仕掛けてもらったそうだ。
そういう家は何軒かあるようだ。
花を立ててヨモギダンゴを置く。
この日に参拝される人は賽銭を投入して手を合わせる。
お礼にダンゴ若しくはモチをいただく。
家によってはヨモギダンゴでなくヨモギモチの家もある。
ヨモギではなく白モチに換えた家もある。
お礼に貰うのは一個だ。
別に決まってはいないが、当然な数であろう。
ゆっくりと会話を楽しむわけにはいかない。
先を急がねばならない。
ここから西の方角を見る。
佐保川土手にある南の藪大師。
祠にあるお大師さんの石仏は文化三年(1806)。
北垣内には北のお大師さんを崇める大師講がある。
一方、南垣内には南の藪大師を崇める南の大師講がある。
ここでは11軒の講中がそれぞれにある幟を立てるのである。
集落から眺めればすでに数本が立っていた。
今年も遅れたかと思ったが、一人の男性が現われた。
話しかけながら撮らせてもらった幟立て。

赤い幟に白抜き文字で「奉納 南無大師遍照金剛」がある。
幟に各戸講中の願主名が記されている。
いずれも年号は平成5年4月吉日だ。
藪大師に登る石段脇や玉垣に結び付けて倒れないようにする。
これも何かの縁と云われてご自宅を案内してくださった。

ご主人は四国七十五番の善道寺のお大師さんを安置するⅠ家。
南の大師講の一人でもある。

Ⅰ家のヨモギモチは粳米、もち米を半々で作ったという。
作ったのは米屋。
ウスヒキしたコゴメも混ぜて作ったモチはドヤモチの名がある。
おふくろも私もこれがモチのなかで一番美味しいと思っている。
コゴメと聞くだけで口がもぐもぐする。
同じ印象をもつⅠさんがいうには、これも含めて親戚中に配るようだ。
Ⅰ家のお大師さん御供は御膳料理もある。

膳椀は五つ。
ニンジン、シイタケ、アブラゲなどを混ぜて炊いたイロゴハンもあれば、シイタケ、タケノコ、アツアゲ、フキなどを煮込んだ煮物椀もある。
三つ葉のおひたしや汁椀。
採れたてタケノコは立てている。
番条町にみる御膳につきもののタケノコは存在感がある。
イロゴハンで思いだされたⅠさん。
南の大師講のお勤めは4月と10月を除く毎月にある。
廻り当番になる講中の家に上がってヨバレがあった。
季節に応じた料理があったがイロゴハンがつきものだった。
ヨバレに出かけるときは家で食べている茶碗一つを持参した。
集まる時刻は午後7時半。
その椀にイロゴハンを盛って食べていたようだ。
今ではイロゴハンを炊くこともなく大幅に簡略化したという。
ここでも長居をしてしまいそうにある。
お礼を述べて六体も預かっているお大師さんを厨子ごと本堂に並べている高野山真言宗の阿弥陀院を訪ねる。

本堂前、階段登ったところに大きな厨子がある。
もちろん、納めてあるお大師さんは阿弥陀院のお大師さんだ。

集落を出た家の預かりのお大師さんではない。
阿弥陀院のお大師さんにもモチがあるものだから賽銭を奉げて手を合わせる参拝者がいる。

本堂に預かりのお大師さんがあることを知らない参拝者は次の家へと向かっていった。
お参りにくる参拝者は圧倒的に女性が多い。
単独で来られる人もあるが、団体、或は少人数のグループ連れが目立つ。
住職と座り話。ここでゆっくりと会話を楽しんでいる時間はない。
前年に訪れた桜井市の竜谷集落にもお大師さんがある。
離脱する時間を限界。
住職にお詫びを申し上げて腰をあげた。
数時間後の午後2時半。
再び訪れた番条町のお大師さん。
午後に降りだした雨は本降り。
集落道は落ちてくる雨が跳ねていた。
訪ねた家は朝一番にご挨拶をさせてもらった南垣内のA家。
雨にあたる八十四番のお大師さんは門屋の前。

それを避けて門屋の奥に移されていた。
朝に拝見した吊り下げの型枠があるから移動しやすいのである。
再訪したのは朝の約束。
Aさんが戻ってきたらヨモギダンゴをあげるから待っていると云われていた。

手作りのヨモギダンゴはコジュウタに並べてあるが、袋に入れて待っていたという。
ありがたいことである。
(H28. 4.21 EOS40D撮影)