桜井市脇本に鎮座する春日神社の祭礼は簡素化しているものの古くから伝わるかたちを残している。
この日は御供撒き。
夜遅くに神主、一老、頭屋、神社役員が社務所に集まった。
階段下の境内ではすでに何人かの人たちが来ている。
楽しみにしている正月行事の御供撒きなのだ。
拝殿には御供のモチが桶一杯に詰められている。
境内は真っ暗。
拝殿には灯りが燦々。
それを見上げて参拝する地区の人たち。
祓えの儀、祝詞奏上など厳かに神事が始まった。
そうすれば拝殿前まで詰め寄ってきた。
今から名前を呼び出すのだ。
今夜はゴーサンのお符を配る日なのだ。
「牛宝神宮寺」の版木で刷られたお符には朱印もある。
神社の行事であるのに寺の名があるお符。
神宮寺の所在を示すものは一つもないがお符は名残がある。
かつては寺行事であったものが宮座の行事に移っていったのであろう。
名前を呼び出すのは頭屋。
そのお符を一人2枚ずつ手渡していく。
その際には供えられた2個のモチを一緒に渡していく。
その横では一老が声をあげた。
「えっぽだんご」するから子供らはこっちに来てや」の声に親と共にやってきた。
お符に押していた朱印を額に押すというのだ。
「頭のえー、賢い子になるんやで」といわれて頭を差し出す子供たち。
額には朱印が印された。
赤ちゃんを抱いた親も来た。
目出度い「えっぽだんご」とは何語なのか。
近くには長谷寺があり寺行事に修正会がある。
「だだ押し」で有名なあの行事だ。
そのときに朱印を押すのが「えんぶだごん」。
なにやらよく似ている。
作法もまったく同じだ。
「えんぶだごん」が訛っていつしか「えっぽだんご」になったと思われる。
長谷寺との関係は判らないが仏事の行事に違いない。
氏子総代がいうには「昔はお符を挿していた木があった」と。
その木はクリの木。
一本の長い木だった。
お符を挿すほうは木肌を削って白くした。
挿すところは切れ込みを入れていた。
クリの木は6、7年前になくなりお符配りになった。
農業を営む家は多かった。
およそ50軒もある脇本では専業農家のほとんどが転業された。
苗代ができたときにこのお符を挿して花を立てた。
いわゆる水口まつりである。
クリの木はなくなったが、総代はそれをススンボの竹に置き換えて水口まつりをしているそうだ。
元々は13日だった神社行事の御供撒き。
昔は二座で行われていた。
両座はコオトとシントだった。
充てる漢字はコオトが古頭でシントは新頭だったかも知れないと総代は話す。
両座がそれぞれモチを用意してそれを御供撒きしたそうだ。
そのころも「えっぽだんご」があったという。
行事を終えた神主、一老、頭屋、神社役員に区長らは社務所で直会。
仕出し料理に酒を1本飲み干すまで宴が催される。
(H23. 1. 8 EOS40D撮影)
この日は御供撒き。
夜遅くに神主、一老、頭屋、神社役員が社務所に集まった。
階段下の境内ではすでに何人かの人たちが来ている。
楽しみにしている正月行事の御供撒きなのだ。
拝殿には御供のモチが桶一杯に詰められている。
境内は真っ暗。
拝殿には灯りが燦々。
それを見上げて参拝する地区の人たち。
祓えの儀、祝詞奏上など厳かに神事が始まった。
そうすれば拝殿前まで詰め寄ってきた。
今から名前を呼び出すのだ。
今夜はゴーサンのお符を配る日なのだ。
「牛宝神宮寺」の版木で刷られたお符には朱印もある。
神社の行事であるのに寺の名があるお符。
神宮寺の所在を示すものは一つもないがお符は名残がある。
かつては寺行事であったものが宮座の行事に移っていったのであろう。
名前を呼び出すのは頭屋。
そのお符を一人2枚ずつ手渡していく。
その際には供えられた2個のモチを一緒に渡していく。
その横では一老が声をあげた。
「えっぽだんご」するから子供らはこっちに来てや」の声に親と共にやってきた。
お符に押していた朱印を額に押すというのだ。
「頭のえー、賢い子になるんやで」といわれて頭を差し出す子供たち。
額には朱印が印された。
赤ちゃんを抱いた親も来た。
目出度い「えっぽだんご」とは何語なのか。
近くには長谷寺があり寺行事に修正会がある。
「だだ押し」で有名なあの行事だ。
そのときに朱印を押すのが「えんぶだごん」。
なにやらよく似ている。
作法もまったく同じだ。
「えんぶだごん」が訛っていつしか「えっぽだんご」になったと思われる。
長谷寺との関係は判らないが仏事の行事に違いない。
氏子総代がいうには「昔はお符を挿していた木があった」と。
その木はクリの木。
一本の長い木だった。
お符を挿すほうは木肌を削って白くした。
挿すところは切れ込みを入れていた。
クリの木は6、7年前になくなりお符配りになった。
農業を営む家は多かった。
およそ50軒もある脇本では専業農家のほとんどが転業された。
苗代ができたときにこのお符を挿して花を立てた。
いわゆる水口まつりである。
クリの木はなくなったが、総代はそれをススンボの竹に置き換えて水口まつりをしているそうだ。
元々は13日だった神社行事の御供撒き。
昔は二座で行われていた。
両座はコオトとシントだった。
充てる漢字はコオトが古頭でシントは新頭だったかも知れないと総代は話す。
両座がそれぞれモチを用意してそれを御供撒きしたそうだ。
そのころも「えっぽだんご」があったという。
行事を終えた神主、一老、頭屋、神社役員に区長らは社務所で直会。
仕出し料理に酒を1本飲み干すまで宴が催される。
(H23. 1. 8 EOS40D撮影)