マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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車町蛭子神社のえびす祭

2011年02月19日 08時55分10秒 | 大和郡山市へ
エビスさんが見事に鯛を釣り上げた姿を描写しているお符は商売繁盛のご利益があるとされる。

平成10年に社務所内に移設された蛭子大神を祀る大和郡山市車町の蛭子神社は古式の姿を止める。

オソナエには扇型に作られた昆布も見られる。

そのお札といえば左書きに「大和郡山 車町鎮座」の文字が見られる。

一枚ずつ版木で刷られた大切なお符である。

この日は隣町にある塩町でもえびす祭が行われている。

多くの参拝者は白玉だんごが入った振る舞いぜんざいに舌鼓。

一方の車町では甘酒が振る舞われている。

塩町ほどでもないが商売繁盛を願う参拝者は途切れることもない車町。

かつては塩町、柳町の三社であったえびす祭。

当時はそうとう賑わったのだと受付している人たちがいう。



それを証明するかのような当時のポスターが社務所に残されている。

残念ながら開催年を示すものはなかったがそうとう古いものには違いない。

「1月10日 郡山の十日戎」とある。

そこには「岡町芸姑宝恵籠(ほえかご)行列 正午より全町ねりあるく 富日全町商店 薬園神社境内にて芸姑総出演奉納舞いあり 一せい特賞大売出し」 主催は郡山産業会 後援は郡山町役場だ。

宝恵籠に乗る芸姑姿が古の状況を映し出す。

これには郡山町役場と書かれている。

大和郡山が市制になったのは昭和29年。

それまでは郡山町だった。



サンデー郡山の記事によれば昭和27年の塩町十日戎の記事には選り抜きの美姑を乗せた宝恵籠5台が出たとある。

久しぶりで本格的な宝恵籠が出たもので、車町、薬園宮の戎さんも十日戎のお祭りで多数の参拝者で賑わったとある。

その後の昭和31年には子ども会の宝恵籠になっている。

昭和32年には市内六社から集められたお嬢さん、坊ちゃんになったようだ。

その当時は三社十日戎。

当番の町が毎年変わるようでこの年は塩町だった。

記事の内容からすればこのポスターは昭和27年か28年のものであろう。

(H23. 1. 9 SB932SH撮影)


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